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第218回国際人権規約連続学習会(2001年5月16日
世人大ニュースNo.226 2001年6月10日号より
21項目の勧告突きつけた
国連・人種差別撤廃委員会『最終所見』

友永健三さん(部落解放・人権研究所所長)

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人種差別撤廃条約の概要

 日本は1995年12月に人種差別撤廃条約に加盟している。この条約では、本来加入してから1年以内に国内での実施状況についての報告書を国連・人種差別撤廃委員会(CERD)へ提出する義務が課せられている。しかし、様々な事情があり、日本の報告書は昨年の1月にようやく提出された。その報告についての審査が行われ、2001年3月20日にCERDは21項目の勧告を含めた日本政府報告書に対する「最終所見」を採択した。今回、その日本政府報告書に対する「最終所見」の内容と意義・課題について述べていきたい。まずその前に人種差別撤廃条約について簡単に説明しておきたい。

 この条約は「同対審」答申と同年の1965年に国連で採択されたということで、部落問題に取り組んでいる人にとっては覚えやすい。そして最初の同和対策事業特別措置法が制定された同年の1969年の1月に、27カ国の加盟により国際条約として発効した。

 なぜ1965年に制定されたのかについては、大きな意味がある。その背景には3つの動きがあった。まず直接的なきっかけとなったのは、1960年前後にヨーロッパでネオナチの動きが活発化し始めたことである。つまり差別を栄養源にし、力をつけようとするナチズムの根を断ち切ろうとしたのがこの条約である。また同時にアフリカの影響もあった。実際に世界史年表を見ていただければ分かるが、1960年にアフリカでは17カ国がそれまでの植民地支配から独立を果たしている。これらの国々が国連に加盟し差別撤廃、特にアパルトヘイトの廃止を訴えたことも大きな背景となっている。では、この条約がヨーロッパとアフリカの影響だけできたかというと、決してそうではない。例えばアメリカの公民権法やイギリスの人種関係法は1964年に制定されており、日本の「同対審」答申は1965年に出されている。そしてこれらが誕生するまで、多くの運動が繰り広げられてきた。つまり、1960年代前半は世界的に差別撤廃の運動が盛り上がった時期であり、それらを国連の場に集めたものが人種差別撤廃条約である。ではその中身はどのようなものなのか。

 まず第1に注目したい点は、第1条に提起されている条約の対象となる差別事由である。ここでは人種・皮膚の色・世系・民族的・種族的出身に基づく差別を人種差別としている。特にこの中で問題となるのは「世系(decent)」である。この条約を日本で最初に紹介した龍谷大学の金先生は、これを「門地」と訳している。これは、普段使う言葉にすれば「出身」や「家柄」ということになり、部落差別も対象となる。従ってこの条約での「人種」とは非常に広い概念であることを理解していただきたい。

第2に、差別をなくすために5つの方法を講じている点である。具体的には差別の禁止、救済、特別措置、教育・啓発、共生である。差別の禁止は国・地方自治体だけでなく、個人、民間も対象となることを明記している(第2条、第4条を参照)。また救済については、裁判所が人種差別の行為に対する保護と救済の措置をすると明記している(第6条参照)。日本では、それ以外の措置として新たに人権委員会を設置し、救済措置として差別問題を効果的に迅速に対応できるようにする必要があるということから注目されている。差別を撤廃するためには、特別措置が必要だが、この措置は、いかなる場合においても、その目的が達成された後、異なる集団に対して不平等な又は別個の権利を維持することとなってはならないと明記されている。(第2条2項参照)

このように人種差別に対する具体的かつ明確な規定が人種差別撤廃条約に明記されている。

各国政府がこの条約を守り、実施するための措置が3つある。1つは、報告書を提出させ、条約に基づいて設置された人種差別撤廃委員会(CERD)が審査し、結果を公表することである。2つ目は、この条約を用いて国家が他の国家を訴えることである。3つ目は、条約14条を特別に宣言した国が、この条約を守っていない場合、個人・団体がその内容について訴えることができる。それをCERDが調査・助言を行う。日本は、この第14条を留保している状態である。

NGO共同レポートの意義

 日本で人種差別撤廃条約への本格的な批准運動が始まったのは1979年頃からである。最終的に加入したのは1995年12月である(発効1996年1月14日)。日本が146番目に批准した国であることから分かるように、日本政府は非常に消極的で、村山内閣の時にようやく入ったわけである。先述の通り、加入後1年以内に報告書を提出しなければならず、その後は2年ごとの提出が義務づけられている。しかし、最初の報告書の提出が遅れた日本政府は、2000年の1月に第1・2回報告書としてまとめて提出した。

 通常政府報告書が出されると、その中の問題点を民間団体の立場から指摘したレポートを委員会に送ることができる。全員ではないが特にCERDの委員の多くがNGOに対して好意的で、NGOの書類は読んでくれている。実際、私も委員の方に会った時、できればレポートを審査の1ヶ月前に欲しいと言われたほどである。またNGOが個々にレポートを提出するのではなく、NGOで話し合い、共同でまとめたレポートを提出してほしいとの希望も出されていた。そこで日本では、反差別国際運動日本委員会が事務局となり、NGOの共同レポートをまとめた。その内容はざっと次の通りである。

 総論では、条約の適用対象としてアイヌ民族、琉球・沖縄民族、中国帰国者、被差別部落出身者を明記した。そして私的差別の規制・反差別立法、苦情の申し立て・監視手続きと国内人権機関、国内における条約の広報の問題を指摘した。続いて各論では、アイヌ、沖縄、部落出身者、在日コリアン、移住労働者、移民、難民、滞日外国人、中国帰国者それぞれの差別ごとの状況を報告している。またテーマ別の問題では、ジェンダーに関する人種差別の側面として、マイノリティ女性に対する複合差別の問題があげている。さらに、石原慎太郎東京都知事の「三国人発言」を独立の項目として取り上げた。また、教育・啓発についての規定をした条約第7条に関する問題や、インターネットにおける差別の現状についても報告している。

CERDの審査と最終所見

 CERDは通常2つの会期を使って1つの国の政府報告書を審査する。日本の場合は3月8日の15〜18時と、9日の10〜13時までの2回、合計6時間をかけて審査が行われた。日本政府は、17人もの大代表団を送り込み、加えて約25人のNGO関係者と約10人の報道関係者で会場は大盛況になった。普段は傍聴する人が少ないため、委員会のメンバーもハッスルしていたようだ。

 具体的な流れとして、ミカエル・シェリフィス議長が開会のあいさつ等を行った後、原口幸市在ジュネーブ日本政府代表部大使のあいさつと尾崎久仁子外務省外交政策局国際社会協力部人権人道課課長(当時)から説明が行われた。次いで、日本政府報告書全般についての質問が日本政府報告書審査の担当者であるバレンシア・ロドリゲス委員から出された。その内容は次の通りである。

 まず条約が裁判所で直接適用されるのか、また、アイヌ民族についてはその差別の状況や、特にアイヌ民族の女性がおかれている状況はどうか等の質問が出された。在日外国人については職業選択の自由が制限されているのではないか、不正規入国した外国人の人権を尊重してあっせん業者を処罰すべきではないか等の質問も出されていた。

在日韓国・朝鮮人に対する差別を撤廃し、アムネスティの勧告にもあるように入国管理局や収容施設職員による虐待・暴力をなくすべきであるとの指摘があった。条約第2条との関係で、人権擁護局による取り組みの効果があるのか、また民法の公序良俗の具体的内容は何か等といった質問があった。第3条のアパルトヘイト廃絶について、日本の取り組みが評価されたが、第4条については、表現や結社の自由といえども無制限ではなく、人種差別の宣伝や煽動、あるいはこれを目的とした団体の結成を禁止する国内法が必要であると指摘した。在日朝鮮人に対する暴行等の事例をみたとき、日本の現在の刑法では不十分であり、国内法を整備し、留保の撤回が求められた。また石原発言に対して何の対応もなされていないことは残念であると指摘している。

 第5条にあるように外国人の排除は差別であり、地方参政権について統一的な見解を出すべきことが指摘されている。また第6条の規定を直接使った裁判が2つの例しかなく、人権侵犯事件に対する任意調査が非現実的であり、注意処分で満足のいく成果をあげているのかといった質問が出された。第7条の規定にある教育・啓発を更に実施するとともに、この条約に対する政府報告書の審査結果も広く周知、特に裁判官に周知してもらいたいという要請が出された。

 その後政府報告書に触れられていない問題として、被差別部落民の問題が指摘された。部落民は日本の歴史上最下層の集団として位置づけられ、死牛馬の処理や清掃等の仕事に就くことを余儀なくされてきた。近年においても「部落地名総鑑事件」に示されているように、雇用面等で差別を受けており、中には自殺している人も出ている。この部落問題は今日の国際化社会において周知の事実であるにもかかわらず、日本政府の報告書はこれを隠そうとしており、これに対し民間団体として部落解放同盟が重要な活動をしているとした上で、この問題が条約第1条の「世系」に該当するとも断言している。また、沖縄の人々が独自の民族と考えられ、特に米軍基地によって犠牲を被っており問題があるとの指摘も出された。 

最後に、個人又は団体からの直接の訴えを認めた条約第14条を受け入れる旨を日本政府に宣言を求め、またNGOから出されたレポートを日本政府は検討することを求めたいとして話しを締めくくった。

 以上、総括の質問の後、他の委員からも先の質問を補強する質問が出され第1日目が終った。第2日目は日本政府代表が前日の質問に答える形で審査が進められ、その後3月20日にCERDの最終所見が出された。

この最終所見で3項目の肯定的側面も記されているが、加えて21項目の懸念事項及び勧告が日本政府に突きつけられた。ここではその全てを紹介することはできないため、いくつかの項目を抜粋して紹介したい。

 まずパラ8では、「条約の第1条に規定されている人種差別の定義の解釈に関して、委員会は締約国とは反対に『世系(descent)』という文言が独自の意味を持ち、人種や種族的出身、民族的出身と混同されてはならないと考える。従って、委員会は締約国に対して部落の人々を含む全ての集団が差別に対する保護、及び第5条に規定されている権利の完全な享受を確保するように勧告する」とある。このような勧告がなされた背景には、「『descent』はあくまで人種や民族、更には種族による『descent』を意味するもので、部落問題のような同一民族内の社会的出身を理由にした差別まで含むものではない」という答弁を尾崎課長が行ったためである。しかし、この回答はインド政府がダリット差別(被差別カーストに対する差別)に関する主張と同一で、既にCERDによって明確に否定されている。従ってこの条文では「締約国とは反対に」という表現を用いてその主張を否定し、ダリット差別や部落差別も「descent」に含まれると断言している。

 またパラ13で、委員会は「高い地位にある公務員による差別的な性格を有する発言並びに、特に第4条-Cの違反の結果として、当局はとるべき行政上又は法律上の措置をとっていないこと、及び当該行為が人種差別を扇動し、助長する意図がある場合にのみ処罰されうるという解釈に懸念を持って留意する」としている。これは特に名前は出ていないが石原発言を指したものである。「第三国人とは単に外国人を指したもので、また石原都知事はその後、在日外国人の人権を積極的に守っていくとの見解を表明しており、差別の意図はなかったので問題はない」という尾崎課長の答弁に対するものである。しかし委員会は意図がなくても、条約に背いた主張が見受けられると、明確に否定している。

 パラ14、15では、在日する外国籍の子どもに対することについて勧告している。特に、日本政府が「義務教育というものは日本国民を育てる教育であるから、外国籍の子どもたちに強制するわけにはいかない」という考え方に対し、CERDは「義務教育における民族教育を認めるべきだ」と日本政府に対して指摘した。これは今後議論されるだろう。

 更にパラ23で、(1)人権擁護施策推進法並びに人権擁護推進審議会の活動及び権限、(2)「アイヌ文化振興法」、(3)「地対財特法」及び同法の適用終了後の2002年以降に部落民に対する差別の撤廃のために検討されている戦略の3点について、次回の報告書で情報を提供するよう日本政府に求めている点も重要である。

今後の課題

 以上のような最終所見を受けて、私は今後の課題として次の4点を指摘しておきたいと思う。まず、日本政府が認めていない部落問題と沖縄の人々に対する問題を条約の対象として認めていくべきだという点についてである。2つ目が、差別禁止法の制定が必要であるということ。3つ目が、条約第14条の留保を撤回することである。最後に、条約の対象になっている人々の生活や教育、差別に関する実態調査をジェンダーの視点も含めて実施するべきである。

質疑応答

Q: 「世系(desent)」の概念で語られている日本以外の国の事例を教えてほしい。

A: 私が知る限りで「世系(descent)」について議論になり、一番早かった国は、インドである。日本政府と同じく、インド政府はカースト制度に基づく問題は条約の対象にならないという態度を取っている。しかしCERDはそれに対して条約の対象であるとするため議論になっている。またネパールにもカーストの問題がある。この場合は、政府もCERDも条約の対象であることを認めている。その他にはモーリシャスやバングラディッシュでもカースト制度の問題がある。各政府の対応はわからないがCERDが意見を求めている。これらを通じていえることは、政府は認めたがらないが、CERDは一貫してカースト制度や身分制度に基く差別を条約の対象であるという方向に考えがまとまっていることだ。このように条約の解釈で曖昧な部分があれば委員会で一般的見解を採択し、その考えをまとめている。私が聞いている限りではそろそろ「descent」に対する一般的見解を採択する議論が始まろうとしている。そこで「descent」の中身が明らかになれば部落問題を解決する上でかなり有利になるだろう。

Q: 国内法を制定しなければ条約の内容で国内の行動を規制することはできないのかどうか。

A: 大筋でいえば、国内法を整備しなければならない。第4条で「処罰しなければいけない」とあるが具体的な処罰は国内法で規定する必要がある。しかし、全ての条文に対して国内法がなければ活用できないというのではなく、特に民事で争う場合など、条約を直接適用できる部分もあるとする意見も研究者の中にある。実際に裁判で条約を適用して勝訴した事例がある。やはり厳密に差別を禁止する法律をつくった方が好ましいとする意見が多い。つまり国内法を整備した方が良いのではないだろうか。

Q: 「最終所見」に基づいて地方自治体が独自に政策を打ち出すことは現実的に可能か。

A: 私は、国よりも地方自治体独自の政策を打ち出すことの方が現実的であると思っている。実際多くの自治体で、差別を撤廃する条例を作っており、ある意味で条約の国内法化ともいえなくはない。ただ問題は、禁止するとの意味で、一つの自治体だけで禁止することができるのかということである。やはり国のレベルでするべきだという意見はかなりある。従って、条例で規制する場合はなぜ条例なのかを立証しなければならず、全国的に発生している問題に対処する場合は、条例では難しいといえるだろう。だから教育・啓発や施策に関する部分ではあまり抵抗はないだろう。むしろ国に法律を作らせるよりも、自治体に条例を作らせる方が運動としてもやりやすく実現性も高いと私は思っている。そしていくつかの自治体で条例ができれば、最後には国レベルで法律ができるということもあるだろう。