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第222回国際人権規約連続学習会(2001年10月23日
世人大ニュースNo.231 2001年11月10日号より

「反人種主義・差別撤廃世界会議」が発したメッセージとは?
―会議と私たちの接点―

全体報告 友永健三さん(部落解放・人権研究所)
報告 世界人権宣言大阪連絡会議NGOフォーラム参加者

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反人種主義・差別撤廃世界会議に参加して

全体報告
友永健三さん(部落解放・人権研究所所長)

 私は去る8月27日から9月4日まで南アフリカのダーバンで開かれた国連主催の「反人種主義・差別撤廃世界会議」に参加した。

 今回の世界会議はユースフォーラム、NGOフォーラムと政府間会合が開催され、それぞれにおいて宣言と行動計画が採択された。参加した人数が多く、様々な企画が同時並行に開催されていたため私自身、会議の全体的な動向を把握できなかったという印象がある。もしかすると会議に関するホームページを見ている人が一番把握できたのではないだろうか。

今回の会議は従来よりもテーマが「反差別」という多岐にわたるものであり、それが特徴でもあった。中でも多くの関心を呼んだ重点テーマは、‡@奴隷貿易・奴隷制と植民地支配に対する謝罪と補償、‡Aイスラエルによるパレスチナに対する抑圧、‡B「職業と世系(門地)に基づく差別」の3つであった。

まず植民地支配の補償と謝罪について述べたい。これが大きな問題となった背景に、中国とインドが今後経済成長を続け大きな存在になると予想されるのに対して、アフリカ諸国は取り残されてしまう恐れが強いという事情がある。そしてその原因が奴隷貿易や植民地支配にあると考えられるからだ。なぜなら奴隷貿易は数世紀に渡って行われ、その間に2〜4千万人の人々が強制連行されていた。また1960年が世界史において「アフリカの年」といわれているが、逆にこの年までアフリカは植民地支配を受けていたことになる。さらにこの植民地支配は長年の歴史の中で形成された民族の生活単位を、ヨーロッパ諸国の力関係によって人為的に区分けしていった。このようにアフリカ諸国の民族紛争や経済発展に及ぼした影響を無視することはできない。この歴史的流れからアフリカ諸国はこの問題を熱心に訴えたのである。

 会議において、奴隷貿易・奴隷制が人道に対する罪であったことを認めたものの、補償に進展する謝罪は得られなかった。しかし、アフリカ諸国の発展を支援する必要性について政府間会議の宣言と行動計画に重要課題として取り上げられている。

 次にイスラエルとパレスチナの問題である。これはNGOの分科会において警察が収拾に入ったほど混乱していた。会議が行われている間も両者の対立が激化し、多くの死傷者が出ている深刻な事態が背景としてあった。この問題は1948年にパレスチナの人々を排除し人為的にイスラエルが建国されたことに端を発し、今日も解決に至る出口が見えていない。今回の会議ではやはりイスラエルに対する批判が多く、結局会議の途中でイスラエルとそれを支援するアメリカの政府代表団は退席してしまった。最終的にはヨーロッパが仲介に入り、イスラエルの政策が「人種主義」として文書に盛り込まれなかったが、パレスチナの民族自決権の尊重が政府間会議の宣言と行動計画に盛り込まれた。

 この会議が終わって間もない9月11日にあの同時多発テロ事件は起こった。会議での雰囲気を知っていた私は「予想していたことが起きた」と感じた。理由の如何を問わずに人命を奪うテロは許されるものではなく、法律や条約に基づき関係者は処罰されなければならない。しかし武力によって問題を解決するのは無理だと思う。なぜなら現在イスラム原理主義者と呼ばれる人は全世界に5千人いるといわれており、報復に対して更に大きな報復が行われることが考えられるからだ。関係者は処罰しなければならないが、他方ではもう少し冷静にその原因を解決する手立てを探していくべきだ。その意味ではイスラエル建国に関わらず、同じアジアとしての親近感、そして何よりも「武力を持たない」と記した憲法を持つ日本が武力でない解決を担えると私は思う。

 最後に「職業と世系に基づく差別」について述べたい。会議で部落差別とインドのダリット差別に関するパネル展を催し、反差別国際運動や部落解放同盟等の共催でワークショップも開催された。このワークショップではネパールのダリットが、他のワークショップでは初めてナイジェリアの身分差別の被差別者から訴えが行われた。またインドのダリット代表団や解放同盟からの参加者がデモ行進を行い、世界会議の参加者に身分差別の問題を訴えた。その結果NGO会議で「日本の部落の人々に対する職業と世系に基づく差別は400 年以上存在してきた。

 そして今日も結婚や就職、教育に関連した差別、差別的な宣伝や扇動等の新しい形態の差別が特にインターネット上で出現し、300 万人以上の人々が差別を経験している」(宣言)」と「日本政府による時限的な特別措置の実施にも関わらず彼・彼女らが継続的に直面している差別の性質と範囲を明確にし、そのような差別を無くすために必要な法的、行政的及びその他の措置を取るために日本に於ける部落の人々の状況の調査を行うこと(行動計画)」が採択された。

 一方政府間会議では、当初スイス政府の提案で職業と世系に基づく差別に関するパラグラフが盛り込まれていたが、インド政府の強硬な反対のために採択に至らなかった。だがこれまでの様々な準備会合を通じて、世界中の多くの人々に部落差別・ダリット差別があることを分かってもらえたのではないだろうか。また会議に向けて国際ダリット連帯ネットワークに代表される被差別当事者の国際的な連帯が構築されてきていることも重要な成果であるといえる。


◆世界会議NGOフォーラム参加者の報告◆

安藤正彦さん(大阪同企連)

 まず初めに反差別国際運動日本委員会が部落解放同盟やタミール・ナドゥの女性フォーラムと共催した「職業と門地、世系に基づく差別の世界的な撤廃に向けて部落とダリット、アウトカースト、インド、ネパールからの提起」のワークショップについて紹介したい。

 ワークショップには日本、インド、ネパールの約50人が参加し、部落差別やダリット差別についてのパネル展も同時に行われた。司会は反差別国際運動の顧問でダリット連帯プログラムのバクワン・ダスさん。開催挨拶や世界会議における門地差別のとらえられ方の解説、部落差別の歴史・現状・課題の報告が行われた。

 タミールナドゥ女性フォーラムのブルナド・ファティマさんからはインドにおけるダリット差別についての解説が行われた。「ダリットはカースト制度のもとで政治・経済的に差別され、発展から取り残されており、ダリットの女性は暴力や強姦という深刻な差別を受けるなど女性差別も深刻な問題である」という報告だった。

 ダリットのNGOのトルーガ・ゾブさんからは、ネパールにおけるダリット差別について「ネパールのダリットは人口の20%を占めているが、政治・経済的に厳しい状況に追い込まれている。ネパールのダリット組織は学校教育を受けていない女性や児童に対して識字教育を行っている」という報告だった。8月31日に現地NGOの協力を得て、ピーサンリバーというコミュニティーを訪問して、現地の生活について意見交換を行った。アパルトヘイトの時代には住居地域が限定されていて、賃金も安く、その日暮しの生活だったこと。またアパルトヘイト政策終了後の生活についても現地の人々から報告があった。

南アフリカ政府が住居の建設についてあまり力を入れてこなかったため、現在、コミュニティーでは家々から金を集め、それを低金利で貸し付けて家を建てられるようにする活動を行っていた。そうすることで各自の自立を促し、コミュニティーとしても強くなることができたとの説明があった。

 住居は土壁で非常に小さく、私たちを見て集まってきた子ども達は裸足だった。また現地は治安が悪く、私たちは警察に見守られての見学になってしまった。だがそんな中でも住民、特に子ども達の笑顔が印象的だった。

 南アフリカでは人々の違いを尊重した統合という壮大な計画が進められている。だがアパルトヘイト時代の負の遺産が今もまとわりついた実態もある。かつて日本人は「名誉白人」であった。だからこそ、南アフリカの歴史・現状を忘れずに人種差別撤廃条約の中身を日本で実現していくことが大きな課題だといえる。今回南アフリカを訪れてこの国が遠くて近い国だと感じた。 

川本和弘さん(ヒューライツ大阪)

 私はNGOフォーラムと政府間会議に参加してきた。政府間会議では全体会議と並行して、宣言や行動計画といった会議で出される文章が全体会議とは別室で討議されていた。しかし今回の会議では対立する問題が多く、それらについての討議と並行して別の非公式会議で議論・決議されていた。だが結局のところ対立は対立のまま持ち越されてしまい、議論の場は政治的な駆け引きの中で各国の思惑が交差する場となってしまった。

 NGOによる抗議デモ等の活動は政府間会議が始まってからも様々なところで行われていた。例えば奴隷制に深く関わり、今もなお黒人に対する差別が存在しているアメリカが会議から撤退したことへの抗議デモ。

また職業と世系に基づく差別に関する項目を政府間会議の文章に残すように求めるためにインド・ネパールのダリット、 韓国から参加していたNGOは「SHAME ON YOU,JAPAN」と書いた大段幕を広げ、歴史教科書や従軍慰安婦問題等についての抗議を激しい口調で行っていた。一方政府間会議でも韓国と北朝鮮政府は全体会議でのスピーチで日本政府を非難していた。

今回の世界会議は様々なテーマが含まれていた。その中に移住労働者のグループも関わっており、移住労働者に関する国際条約の批准を求めてデモを行っていた。

 日本から参加したNGOは今年1月から「ダーバン2001」という連合組織を結成して会議への準備と参加をしてきた政府間会議が始まる中そのメンバーと議員を含む他の日本からのグループとで記者会見を行った。

 私は約1年前からヒューライツ大阪の中でこの世界会議の担当として、会議への関心を高めるように努めてきた。そして会議は終わり、世界のコンセンサスとして宣言と行動計画が出されたのである。

 しかしこれらの文章は出されただけで、実行されなければ意味がない。当然政府が実行していかなければならない。またNGOもこれから実行していくための活動をしていかなければならないと私は思う。ヒューライツ大阪としても頑張っていき、皆さんと力を合わせ世界会議のフォローアップを今後も盛り上げていければと考えている。