「社会権規約日本政府第2回報告書審査を終えて」
〜もう一つの国際人権規約の課題と可能性〜
藤本俊明さん(神奈川大学講師・社会権規約NGOレポート連絡会議副責任者)
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社会権規約とは
これまで「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」はある意味で世界において忘れられてきた人権条約であった。日本においても20年以上前に批准はされているが、実施についての不十分さが残る中で今回の第2回政府報告書審査が行われた。
では初めに社会権規約について簡単に説明しておきたい。これは人権の中の経済的・社会的・文化的な権利を定めるもので1966年12月16日に国連総会で採択(76年1月3日発効)され、現在日本を含めて145 カ国が加盟しており、自由権規約と並ぶ国際人権法の中心的文章である。日本では1979年9月21日に発効している。
社会権規約の重要性は認識されているものの、そこから一歩前進することが学者も政府もNGOもできないままに20年以上が経過してしまっている。ここで注目すべき重要な点として憲法第98条2項がある。これは日本が批准した条約を国内法として位置づけると定めたものである。
? つまりこれによって条約に対する国際的義務が発生すると同時に、日本国内においては「社会権規約」という名の法律が1979年以降位置づけられているということを意味する。従って社会権規約も国内の他の法律と同様の位置づけであるという前提で考えていかなければならない。
社会権規約にはその実効性を高めるため、報告書を実施機関である国連社会権規約委員会に5年に1度提出し、審査を受けるという政府報告制度を加盟国に義務づけている。今回はタイトルにある通りその第2回となるわけだが、その第1回報告書審査当時は、政府内また学者にも注目されておらず、レポートを提出するNGOも皆無に等しい状況だった。この背景には人権を自由権と社会権に2分し、自由権は個人に与えられた権利であり、それを保障するのは国家の義務であるのに対し、社会権は個人の権利ではなく国家の政策の目標であるとする古典的な解釈が、司法や学者、NGOに反映していたからだといえるだろう。
こうした状況は国際的にもあったがその後の規約委員会や一部の学者、NGOの働きかけ、そして社会権への侵害が深刻化する中、社会権規約は1980年代後半から国際社会で復権し、それが日本にも影響するようになった。そして1990年代に入ってからはさらに注目されるようになった。特に日本では、阪神大震災以降、居住の権利を中心に社会権が注目されるようになった。そういった状況の下で今年2001年8月21日にジュネーブ行われた第2回報告書審査は非常に注目を集め、100 名以上が参加し、委員会史上最多の人数で審査が行われた。
政府報告書審査へ向けたNGOの取り組み
次にNGOの政府報告書審査へ向けた取り組みを簡単に紹介したい。
NGOとしての最大の目標は政府報告書の検討と、NGOレポートの作成にあった。しかし社会権の問題は居住や医療といったいわゆる従来の人権NGOのネットワークを越えた広がりがあるため、NGO間の連携が不可欠である。そこで部落解放・人権研究所をはじめ国内約30の団体・個人からなる社会権規約NGOレポート連絡会議を結成し、レポートを作成した。日本のNGOでレポートを提出したのは、包括的なものに関しては、この連絡会議と日本弁護士連合会、そして国際人権活動日本委員会の合計3団体で、その他に個別の問題についてもいくつかの団体が提出している。
報道などでは8月21日の審査ばかりが取り上げられているが、実はそれ以前から社会権規約委員会と政府の間で文章によるやりとりが行われていた。流れとして、まず政府が委員会に政府報告書を提出し、委員会はその報告書の内容について事前質問票を作成する。それに対して政府は文章で回答し、その回答を踏まえて審査が行われる。この事前質問票で取り上げられた問題が審査においても中心的な議題になる重要なものであるため、NGOとしても事前質問票が作成される前の段階から国内における社会権状況の情報提供用レポートを作成し、本審査が行われる前の会期前作業部会においても口頭によるプレゼンテーションを行ってきた。
本審査と総括所見
次に政府報告書審査の概要についてだが、審査は計6時間かけて事前質問票への政府回答に対して各委員が質問・コメントを行い、そして政府代表が答弁するといった一般に建設的対話と呼ばれる形式で進められる。まず初めに規約の総論的な部分の審査が行われた。ここで特に注目すべき点は、モーリシャスのピレイ委員の「政府は規約上の権利は単なる意思の表明と考えているのか。規約2条2項(差別の禁止)、3条(男女平等)、義務的無償教育等の規定は中核的義務であり、たとえ緊急事態であっても制限できないものである。
裁判所の判例を見ると司法はこのような中核的義務を理解していないようだ。規約の規定は委員会の一般的意見にのっとり、国際法の原則に従って解釈されなければならないものである。」という発言だ。これはつまり差別の問題は社会権規約の中でも特に中心的な重要性を持つ規定である。そしていかなる逸脱・違反も許されないということを明確に指摘している点で重要な発言だと思われる。
また差別の禁止についてスイスのマリンベルニ委員は、1999年の大阪高裁判決における「在日韓国人に対する戦傷者等援護法不適用事件」で社会権規約の「漸進的達成」義務を根拠に同2条2項の自動執行力を否定したことに触れながら、政府や裁判所が合理的差別を認めていることについて、「差別の禁止は絶対的な原則であって、合理的差別という考え方は許されない。大阪高裁判決は差別の禁止の原則でさえ漸進的に達成すべきものとして捉えているが、これは即時的適用が必要な原則である。」と述べている。また個別の差別の問題についても触れたが全般的につっこんだ議論は行われず、全体として差別があるという抽象的な議論に止まってしまった印象があった。
次に個別の権利に関する審議が行われたが、ここでは特に居住権についての発言を紹介したい。ドイツのリーデル委員からは「ホームレスの人々は2万400人程度とのことだが、手元の情報ではもっと多いとされている。20倍の人数が現実的なのではないか。最近、私自身も日本に行って多くのホームレスの人々を見てきたが、彼等の苦境は驚くべきものである。大阪府は若干の救済措置をとっているが、社会に再統合できるのはわずかな人数のみである。
政府は今後どのような対策を取ろうとしているのか。達成目標は何か。」など、来日した際の現地訪問を踏まえた詳細な指摘がなされた。またこれ以外にも居住権の問題が非常に時間を割いて取り上げられていた。労働権や居住権に関して相対的に活発な議論が行われた一方、社会保障や健康・教育・文化・科学技術等に対する権利に関する審議が限定的であったという問題点も残ったといえるのではないだろうか。
以上の審査を経て、8月31日に全63項目からなる日本政府に対する勧告・総括所見が出された。今回この勧告全てを紹介することはできないが特徴的なものを幾つか見てみると、積極的評価の部分において政府報告書作成におけるNGOの参加が指摘されている。これは政府がうまく答弁したのか委員会が誤解したのか分からないが、実際には政府報告書の作成にNGOは全く関わっておらず、間違った指摘となっている。
更にNGOについての事柄を付け加えると、今回の所見では他の条約と比べてもNGOの提供した情報がかなり反映されていたといえる。これまでは喜んでいたことだが、あくまでもNGOは参考として情報を提供しているのだから、社会権規約委員会活動の自立性から考えてNGOの情報に委員会が頼り過ぎているのではないかと逆に心配してしまう状況が今回あった。そのためこの点は今後の課題として指摘しておきたい。
これまで政府報告制度では建設的対話という手続の性質上、直接的に「違反」という言葉が用いられることは稀であるが、今回の勧告では規約に対する違反が3カ所認定されていることも特徴的である。具体的には(1)規約の国内適用に関する裁判所及び政府の消極的な姿勢、(2)公務員によるストライキの全面的禁止、(3)ホームレスの人々及び京都・ウトロ地区の人々等に対する強制立退きがこれに当たる。
裁判手続ではない 政府報告制度、あるいは委員会という国際機関の場で違反認定をすれば国際問題に影響しかねないにも関わらず、今回それを行ったことは今後のフォローアップにおいても特に重視すべきことではないかと私は思っている。
さらに阪神大震災に関連しての兵庫県や、ホームレス問題についての大阪・釜ヶ崎地域、京都・ウトロ地区の強制立退きといった、従来国家を基盤とした国際法で直接的には切り離されていた自治体の個別の問題に言及している点も特徴といえるだろう。今後こういう傾向が増えていき、場合によっては自治体からの報告書の提出も増えてくるのではないだろうか。
しかし委員会自らが総括所見の中で認めている通り公正かつ良好な労働条件、社会保障および保障サービスに対する外国人の権利、および患者の権利等多数の問題が全く取り上げられなかったという問題もある。本来規約上の規定では同様の重要性を持つ権利であるため、審議の内容が一部に限定されてしまうのは今後の社会権規約への理解を限定的なものにしかねないので、今回の審査の重要な問題点として指摘しておかなければならないだろう。
社会権規約の国内的実施へ向けて
以上の審査を受けて次回の報告書は2006年までに提出しなければならない。ではそれまでの5年間でどのように社会権規約を実施していけばいいのだろうか。それを考えるためには国内実施の観点から、社会権規約の課題と可能性を考える必要があるだろう。課題は他の主要な人権条約と同様に、主となるアクターである条約機関(委員会)、締約国(政府)、NGOにそれぞれあると思う。ただ従来、この三者だけだったが、今後はこれに直接的な権利実現の場として自治体や企業が加わってくるように、アクターも広がってきている。この点を踏まえて課題を考えていかなければならない。
今後の可能性については規約の中身が十分に周知されていないという問題はあるが、その対象となる主体・権利は他と比べても実に広範に及んでいる。この権利を保障・実施していく締約国政府と自治体の義務が明らかにされたため、これまで以上に規約の活用の可能性は大きいだろう。加えて経済のグローバリゼーション、情報・医療分野等における科学技術の発達、高齢化社会、環境問題の深刻化等といった社会状況の変化が、残念ながら社会権規約をより必要にしてきている。
以上を踏まえて最後に社会権規約の国内的実施へ向けて、社会権も含めた国内人権政策全般の整備として、(1)国内人権機関としての人権委員会の設置、(2)差別禁止法を含む人権法制の整備、(3)社会権規約に関する個人通報制度案採択の推進を含め各人権条約上の同制度の導入、(4)人権政策の立案・実施におけるNGOなど市民社会との具体的な協働体制の確立の4点を提案しておきたい。
21世紀を人権の世紀とするならば、自由権だけの人権実現では不十分であって、社会権をも踏まえた人権保障が必要である。社会権規約は人権の世紀への扉を開く鍵であると同時に、その性格上グローバルとローカルの結合点であるともいえる。だからこそこの問題は先進国・発展途上国を問わず、全ての人にとって重要な問題である。
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