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第225回国際人権規約連続学習会(2002年1月24日)
世人大ニュースNo.234 2002年2月10日号より

「グローバル化の中のアフリカ」
-日本とアフリカ-

勝俣 誠さん(明治学院大学国際学部教授・国際平和研究所所長)


はじめに
-2002年1月のアフリカ-

 今日は「グローバル化の中のアフリカ」という大きなテーマで話をするわけだが、アフリカと一言でいっても非常に多くの国がある。国連加盟国だけでも53カ国あり、それぞれの地域で全く異なった歴史や文化が存在している地理的にも多様な世界である。

 昨年のテロ事件以降、アフリカのニュースはあまり伝わってこなくなったが、アフリカで事件がなくなったわけではない。現在も多くの問題が継続中である。その象徴といえるのが戦闘、あるいは戦闘終了後も停戦が十分に守られていない地域が世界で一番多いのがアフリカであるということだ。特に多いのが中部アフリカで、私が初めてアフリカに行った30年前とだいぶん変わってしまっている。例えば現在のコンゴ民主共和国(かつてのザイール)では1997年に政権が交替しているが、日本ではほとんど報道されていない。その時期に非戦闘員も含めて約250万もの人が亡くなっている。これだけ戦闘地域が拡大していることは前代未聞の事態といえる。

グローバル化とは何か

 さて今回のテーマとなる「グローバル化」という言葉だが、日本で一般に使われている意味とアフリカの、特に歴史を研究されている方々とでは言葉に食い違いがあるようだ。日本で「グローバル化」を「世界化」とも訳されているかも知れないが、一般には1980年代以降の情報技術の発展に伴い、金融を中心にした大規模なモノ、人の移動を伴う市場開放を意味しているだろう。しかし、アフリカでは1980年代以降に始まったものではなく、ヨーロッパとの出会いにさかのぼった数世紀にわたる長いトレンドで「グローバル化」をみている。つまり、ヨーロッパ中心の世界市場に統合されていく過程を意味している。そのため私は「グローバル化」の定義のズレを感じている。

 このグローバル化の中でいろんな問題が起こっているが、その一つに経済の問題があげられる。アフリカ大陸には世界人口の10-12%がいるが、世界全体から貿易から見るとアフリカが占める割合はせいぜい2-3%になってしまう。経済で見ればアフリカは非常に小さな存在になってしまう。恐らく最近の意味でのグローバル化はこのような経済的格差を更に大きくしてしまっているのではないかと私は思っている。

大西洋貿易と植民地支配

 18世紀、アフリカ西海岸において大西洋貿易が行なわれた。これについては日本でも数年前に上映された「アミスタッド」という映画やレゲエ・ミュージシャンのボブ・マーリーが歌った「バッファロー・ソルジャー」という曲でご存知かもしれないが、セネガルやガーナ等の西海岸からヨーロッパ人がアフリカの住民をブラジルやキューバやアメリカ等に強制連行していった奴隷貿易を意味する。実際、奴隷の積み出し港だったアフリカの西海岸に行くと博物館が今も多く存在している。ヨーロッパとアフリカと交流との結果、ヨーロッパ系の名前を博物館でよく見掛ける等、日常の風景として大西洋貿易はまだまだ残っている。もし、もっと奴隷貿易について知りたければ、17,8世紀の奴隷貿易についてアフリカ人の研究者自身がどのように奴隷貿易を位置づけているかについて執筆した「ユネスコ・アフリカ史」という日本語訳本をぜひ一読されることをお薦めしたい。残念ながらこの本を出版した会社は倒産してしまったが、恐らく図書館に行けば読むことができる。

 この奴隷貿易が、昨年8月に開催された反人種主義・差別撤廃世界会議でも大きく取り上げられた問題である。謝罪はするが補償はしないとの欧米の主張が崩されなかったことは、アフリカからすれば残念な結果に終わってしまったといえるだろうが、ヨーロッパが奴隷貿易を「人道に対する罪」として認めたことは成果といえる。

 アフリカの国々は主にイギリス・フランス・ポルトガルから長年植民地支配を受けてきた。アフリカでの授業で私は、「商業Commerce」、「文明化Civilization-(文明の名において非文明地域を侵略しても構わないという意)」と「植民地化Colonization」が「アフリカにおける3つのC」であると学んだ。植民地支配を受けた国々が、後に独立を果たしていくわけだが、その道程はスムーズに進む国と大きな犠牲を伴う激しい戦闘によって勝ち取る国に分かれるようだ。スムーズに運んだ場合でも、独立そのものの内容が薄れて、また戦闘によって勝ち取った場合も多くの犠牲や独立後も戦闘が続くといった問題が生じている。コンゴ民主共和国はその最たる例である。1960年に独立し、停戦が守られていない状態が続いおり、1997年に250万人が死んだ。この国は、石油、エメラルド、材木などアフリカで最も天然資源に恵まれている。つまり富がある地域ほど、独立後も国内紛争の要因を持っているといえる。この国の大使館事務所は日本にもあるが恐らく給料も払われておらず、事務所の電気も止められている。

 またアフリカで最も大きな国であるナイジェリアでは、先日元大統領の遺族が現政権に数億円を返還した。だが一方で独立後40年経っても3食を食べられない人がいる。またアンゴラやシェラレオネ等でも同様である。これらの国は豊かな国であるはずなのに、その富はどこに消えてしまったのか。この点についてアフリカの経済学者は考えるべきだろうし、併せて独立とは何かということも考える必要があると私は思う。

グローバル化の中の現代アフリカ

 次々と独立が果たされた1960年代以前から、独立のあり方に警鐘を鳴らす人はいた。例えば精神分析医であったフランス・ファロンという人は「親ヨーロッパの人に政権を渡して独立しても、実質的な支配は継続し富は外へ出ていくのだから、このまま独立してもろくなことはない」と1958,9年当時の著書で述べている。しかし、大勢が独立を歓迎し、1963年にはアフリカ統一機構が設立され、「アフリカ合衆国」が目指されたが、40年経った現状はこれまで述べた通りになっている。

 世界史で1960年がアフリカの年といわれるように、1960年前後にアフリカの多くの国々が独立を果たしている。そしてその次の時代ではアフリカの国々はグローバル化が強制される形で、世界経済の中に入っていくことになる。その背景はつまりこういうことだ。独立後進めてきた工業化・近代化が経営能力の問題等から失敗してしまい、そこへ投資するため等に国際金融機関から借りた借金の返済期限が1980年代以降に訪れている。これが累積債務問題と呼ばれるものである。しかし、それを返すことができない上に国を担保とすることもできないため、返すことができる経済にするように国際通貨基金(IMF)や世界銀行から、途上国からの輸入の自由化や公務員を削減、補助金の削減等といった条件が付けられたのである。しかし、それもうまくいかないために借金が返済できない。それどころか20年にも及ぶグローバル化に向けた構造改革・調整によって失業率も高くなるなど、もう削るところすらなくなってしまったのである。

 そういった状況に加えて紛争が続き、戦争と貧困によって多くの人が生命の危機にさらされている。貧困については様々な指標が出されているので今回は触れないが、私は教育が最も深刻な問題だと考えている。教育を受ける機会がないと、労働市場にいくら人材を送り込んでも使いものにならないからだ。また貧困による医療問題も非常に深刻である。つまり1989年の冷戦終了後はアフリカにも民主化と市場経済によって再出発できるという夢のシナリオがあった。しかし1995年頃からその夢は崩れはじめ、紛争が終わらないどころか拡大していき、ポスト冷戦期はアフリカにとってよい方向に進んでいないというのが現実である。

グローバル化と市民社会

 次にグローバル化と市民社会について、3つのキーワードから述べていきたい。

 まず一つは「真実を知る」ということだ。かつてアフリカの人々は植民地時代に宗主国の兵士として戦争に参加して、戦死している人も多い。例えばフランスの統治下にあったセネガル周辺の人々はフランスのセネガル兵として第2次世界大戦に参加したが、戦後、彼らに支払われた年金はフランス本国とは違い、金額的にかなりの格差があった。長年フランス政府はその是正要求を無視し続けてきたが、つい最近、フランスの行政最高裁判所はセネガル兵側勝訴の判決を出したのである。これ以外にも南アフリカで真実和解委員会が設置され、真実を明らかにすることで、アパルトヘイト問題の和解への道を探るなど過去をもう一度見直して謝罪すべきことは謝罪しようという動きが強まっている。こうした法的な追及によって真実が明らかになり、植民地時代の後始末が少しずつ良い方向に進んでいるといえるだろう。これは逆にいえば、ヨーロッパの人が忘れたいと思っていても、アフリカでは奴隷貿易や植民地の問題は今も終わっていないことを示している。

 二つ目が「薬を安くする」ということである。アフリカの南部ではエイズの感染者が非常に増加しており、地域によっては感染者数が人口の3-4割に達しているところもあり、そうした地域では経済活動までが低下してしまっている。ここで一番問題となるのは、治療である。先進国から治療薬を正規の値段で購入したり、特許料を製薬会社に支払ったりしていると費用が掛かり過ぎて、一部の人しか治療ができなくなってしまう。そこで南アフリカ政府は例外的に製薬会社の「国際的な知的所有権を守らなくても良い」という法律をつくった。これに対して製薬会社の約40社がWTOの国際協定に違反するとして南アフリカ政府を訴えたのだが、「必要なところに薬がないのはおかしい」等の欧米も含めた市民運動からのかなりの圧力があり、結局イメージダウンを恐れた製薬会社は訴えを取り下げたのである。

 薬が手に入らない人がいるという意見もあるが、それでもこのことは最近「強制されるグローバル化」の中での数少ない成果だったと私は思っている。

 そして三つ目が「対外債務を減らす」ということである。結局アフリカの国々は、経済の成長率を見込んで借金をしているのだから、それが達成できなければ借金ばかりが増えてしまう。従ってそれを減らすのは小手先だけのことでは不可能である。また先述の通り、教育や医療の面で生存の危機に瀕している人口が増えてきているため、対外債務は帳消しにするほうが早いのではないかという意見が強まってきている。対外債務帳消しを求める「ジュビリー2000」という運動によって少しは改善しつつあるが、まだまだ続く問題だと私は思う。なぜなら「ジュビリー2000」という広範な市民運動でも債務を全て無くすことはできておらず、また債権国側も削減するためのハードルを設けているため、使いにくい制度にしてしまっているからだ。いずれにしても現場を知っている市民たちが動かなければ対外債務は何も変わらなかったのだから、今後もこの問題は市民運動が政府や国際機関にどれだけ影響力を持てるかに掛かってくるといえるだろう。

むすびにかえて-日本とアフリカ-

 かつて南アのアパルトヘイトに対する日本政府の姿勢は、1989年に南アとの貿易額がトップになり「名誉白人」という位置付けが最後まで曖昧に残ってしまったことからも分かるように、非常に中途半端で恥ずかしいものであった。あの当時、差別に対してもっと強いスタンスを取っていたら、アフリカの人々からもっと評価されていただろう。

 しかし最近ではアフリカの格差問題や環境問題で日本の市民運動は積極的に活躍している。また政府の対外政策については地域紛争に直結する武器を輸出していないという数少ないプラス面もある。そういったプラス面を少しでも活かしていけば、日本とアフリカとの関係でこれからできることはまだまだあると思う。重要なのは、アフリカ人自身が自分たちの歴史などを幅広い分野で語り、その中で私たちが対話していくことではないだろうか。誤解があればそこでぶつかれば良いのであって、そこから理解を深めあえる関係を築いていくことが一番大切だと私は思う。

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