2002年4月6日、部落解放研究教育センターから名称変更したばかりの大阪人権センターにおいて、全国水平社創立80周年を記念して「水平運動史研究の方向と課題 〜 『近代日本と水平社』を発刊して」と題するシンポジウムが約70人の参加を得ておこなわれた。
まず主催者を代表して部落解放・人権研究所の友永建三所長から、『近代日本と水平社』は部落解放運動の転換点にあたって歴史的教訓を学び引き出すための時宜にかなった記念出版であり、また本書が部落問題に関する歴史研究の深化に大きく寄与するであろうとのあいさつがあった。
パネリストは『近代日本と水平社』の編者の一人である池坊短期大学教授で部落解放・人権研究所副理事長の秋定嘉和さん、『近代日本と水平社』において水平運動史研究の新しい視点と方法について積極的な問題提起をしている小樽商科大学の今西一さんと山梨学院大学の関口寛さんであり、進行は編者の一人である私・朝治がおこなった。
秋定さんの第1報告は「最近の水平運動史研究の動向」と題した総括的なもので、<1>水平運動史研究の原型は三位一体論、青年同盟中心史観、身分=階級闘争論を基本にした井上清の研究であり、馬原鉄男、鈴木良に引き継がれたこと、<2>それに対して渡部徹は共産党の役割を過大評価し、全水による独自的運動を軽視するものであると厳しく批判し、秋定、岩村登志夫が同調したこと、<3>その後、藤谷俊雄による資本・帝国主義の影響や岩井忠熊による上部構造たる天皇制の役割、山崎隆三による政治的弾圧の強調などによる部落差別に関する新たな研究と連動して国民的融合論の立場から水平運動史研究の書き換えがおこなわれていること、<4>それを批判的に乗り越えようとした社会思想史的研究を深めた藤野豊の研究があり、秋定さん自身は1930年代に関して改善費闘争を重視して戦時下の転向や水融合体への道を探っていること、<5>近年の水平運動史研究では今西一、黒川みどり、関口寛、重松正史、私・朝治などが新たな研究をおこなっていることなどと整理した。
関口さんの「水平社と民衆」と題した第2報告では、<1>戦後の歴史学とともに歩んできた水平運動史研究はマルクス主義に依拠した発展段階論に基づき、近代的変革主体を解明しようとしてきたこと、<2>近年、国民国家論の影響を受けて近代社会の規範秩序から排除された存在としてのマイノリティ研究が活性化してきたが、同時に国家の制度やシステムに取り込まれたことが強調され、主体形成の契機が軽視されていること、<3>水平運動史研究を豊かにするためには部落民を生活者、言説、集合体という三つのレベルにまたがったもとして捉える必要があること、<4>それをふまえて政治的実践の母体であるアイデンティティや集合心性の形成を解明すべきであり、とくに言説や実践をアイデンティティが構築される過程として位置づける必要があること、<5>今後の水平運動史研究の展望として、アイデンティティの形成、体制変革のダイナミズム、他のマイノリティ集団との関係の3点を重視することなど提言的な内容が述べられた。
今西さんの第3報告は「国民国家と水平社・補論」と題され、<1>国内外ともに福祉国家から新自由主義への転換が進行し、昨年9月の同時多発テロ事件を契機にセキュリティの上昇という名のもとに隔離や監視が強化され危険な状況にあること、<2>歴史の進歩を前提とした近代化や文明化が暴力や差別、排除をなくすばかりか反対に再生産し、もはや部落問題では従来から慣れ親しんでいた解放史観や未解放部落という概念さえも失効させていること、<3>水平社創立宣言の中にある「男らしき」という表現など水平運動はフェミニズムから厳しい問いを発せられていること、<4>婦人水平社は水平運動全体において如何に位置づけられ、また女性差別の撤廃に対していかなる役割をはたしたのかを検証する必要があること、<5>国民国家論が主体形成を軽視しているというのは誤解に基づくものであり、むしろ国民国家論は部落民アイデンティティなど主体形成にとって大きく寄与することなどを問題提起した。
3つの報告に続いて、国民国家論と主体形成の関係、水平社の戦争協力と「世界の水平運動」の今日的意味、証言および聞き取り資料の位置づけ、部落の現実をふまえた水平運動史研究のあり方などについて活発な討論がおこなわれた。このシンポジウムは『近代日本と水平社』の発刊という水平運動史研究の現段階にふさわしく、その方向と課題を明確にしたものであったといえよう。