1 はじめに
子どもの非行や問題行動、保護者の育児不安や児童虐待、いわゆる「学級崩壊」などが社会問題となるにつれ、「地域の教育力の向上」や「学校・地域・家庭の連携」の必要性が、教育関係者や行政関係者から指摘されるようになってきた。学校を生涯学習やコミュニティ活動の拠点として活用し、コミュニティを活性化させようとする取り組み、学校週五日制のもとでの子どもの地域活動を支援する取り組み、保護者や地域住民の協力を仰いで「総合的な学習」を創造する取り組みなどが、各地で活発になっている。
大阪府教育委員会は、2000年(平成12年)度、中学校区を単位とした「教育コミュニティ」づくりを支援する「総合的教育力活性化事業」を開始した。この事業は、2002年(平成14年)度までに大阪府下の全中学校区(大阪市はのぞく)で開始されることになっており、各地で結成されている「地域教育協議会」は、コミュニティづくりの推進母体としての役割を期待されている。
大阪府教委の公式文書に「教育コミュニティ」という言葉が登場したのは、1999年(平成11年)1月の「社会教育委員会議」の提言『家庭・地域社会の教育力向上に向けて−教育コミュニティづくりのすすめ−』が最初である。これを受けて同年4月に公表された『教育改革プログラム』では、教育改革の柱として「学校教育の再構築」とともに学校、家庭、地域の「総合的な教育力の再構築」が挙げられ、「地域社会の共有財産である学校を核とし、様々な人が共に子どもの教育のために力を出しあう「協働」の関係によって持続的に子どもに係わるシステムをつくり、地域社会で展開されている様々な活動やネットワーク化を進めることなどにより、地域社会の中で子どもを育てる教育コミュニティの形成を図る(下線は筆者)」ことが行政課題とされた。
もっとも、行政の事業が始まったからといって、教育コミュニティづくりがすべての地域で同じペースで一律にすすむわけではない。地域の歴史や自然環境、住民特性、学校と地域住民の関係、学校教育と社会教育の関係など、コミュニティづくりを左右する要因は多岐にわたる。しかも、現時点では、行政関係者も、当事者(保護者、地域住民、教育関係者など)も、コミュニティづくりの明確な構想を持っているわけではない。今回の現地調査は、多様な形で展開するコミュニティづくりの現状を明らかにし、各地のコミュニティづくりの活性化を図るべく、企画されたのである。
今回の調査実施にあたっては、松原市教委の全面的な協力を得ることができた。調査には、松原市「地域教育推進会議」の委託調査という公的な位置づけが与えられ、4つの中学校区(第二、第三、第五、第七中学校区)で詳細なフィールドワークを行うことができたのである。実査は、2000年(平成12年)度の一学期から2001年(平成13年)度の一学期にかけて、大阪大学の大学院生が中心になって行った。
調査地である松原市は、大阪の河内地方に位置する人口約13万人の都市である。市内には近鉄南大阪線、阪和自動車道と阪神高速松原線が通り、大変交通の便がよい。市域の中には古代から開けていた地域もあるが、1960年代後半から1970年代にかけて「ミニ開発」でつくられた住宅や公営団地が多い都市である。近鉄の駅周辺には商業地が広がり、一部には田畑も残っている。また、大阪市と境を接する市の北端には大和川が流れ、市の西部には、大和川の支流である西除川(にしよけがわ)が流れている。
松原市内には15の小学校と7つの中学校がある。なかには明治時代に開校した学校もあるが、1970年代の児童生徒の急増期に開校した学校の方が多い。各校では、以前から地域とのつながりを大切にした学習活動が盛んであったが、近年は、その伝統を受け継ぎ、地域色豊かな「総合的な学習」が活発に展開されている。また、1992年(平成4年)には市内すべての小学校区に「学校週五日制推進委員会」が結成され、学校休業の土曜日の地域活動が行われている。1990年代の半ばからは、各中学校区で地域の新しい「祭り」が開かれるようにもなっている。府教委の「総合的教育力活性化事業」も、府下の他市町村に先駆けて、2001年度に全中学校区で始まった(末尾の年表)。このように、松原市は、教育コミュニティづくりの活動が大きく進展している地域の一つであるといえる。
2 松原の教育改革
(1)教育コミュニティづくりの前史−三中校区の歩み−
松原の教育コミュニティづくりの歴史を語るとき、校区に同和地区を有する三中校区の取り組み、とりわけ、布忍小(ぬのせしょう)と三中の人権・同和教育の実践を避けて通ることはできない。両校の教員たちは、自らの実践を教育コミュニティづくりとして意識してきたわけではない。だが、子どもの生活現実から出発し、地域とのつながりを大切にする両校の実践は、「松原市同和教育研究会」(松同研)の研究活動などを通じて、市内各校の実践に、大きな影響を与えている。
布小と三中の歩みはすでに紹介されている(1)ので、詳細はそちらに譲るが、筆者は、両校の歩みを、次のように時期区分できると考えている。第一期は、1960年代終わりから1970年代である。この時期、教育委員会の適正就学指導により、部落差別問題を背景とする「越境就学」がようやく解消した。校区の子どもが校区の学校に通うことが当たり前のことになり、子どもたちの仲間づくりが学校教育の課題として定着した。一方、校区内の部落には市立青少年会館(2)が設置され、解放子ども会活動が軌道に乗った。子どもたちの「荒れ」の克服や学力・進路保障のために、保護者・子ども会・学校の協力が不可欠であるとの共通認識のもと、同和地区の保護者・教員・子ども会指導員の「三者懇談会」が始まった。
第二期は、1980年代から1990年代の初め頃までである。人権・部落問題学習の一環として、保護者の生い立ちや労働などについての聞き取り学習が始まった。学習には部落内外の保護者がともに参加し、子どもだけでなく、保護者にも、「思いを共有」する人の輪が広がった。一方、校区の被差別部落でも、子どもへの「語り部」の輪が広がり、保護者の組織化がすすんだ。こうして、学校教育活動を通じて、子ども同士、子どもと大人、大人同士のつながりが確かなものになっていく。
1990年代なかばから現在に至る第三期では、1994年(平成6年)に布忍小・中央小・三中が府教委の「同和教育協同推進校」指定を受け、三校の連携が強まった。この年、小学校六年生と中学生の合同授業「ジョイント・レッスン」が始まり、1996年(平成8年)には、中学校区の「祭り」として「ヒューマンタウンフェスティバル」が始まった。さらに、2000年(平成12年)度は、布忍小と中央小の「学校五日制推進委員会」の共催で、三中を会場に「ニュースポーツ・フェスティバル」が開催された。また、これらの取り組みと並行して、布忍小・中央小・第三中学校では、今日的な教育課題や多様な人権課題を位置づけた「総合的な学習」が開始された。
以上のように、地域住民と学校が子どもの教育課題を共有し(第一期)、学校教育活動を通じて校区の子どもたちや大人たちの関係を紡ぎ(第二期)、中学校区の教員のネットワーク化や地域活動の活性化を図る(第三期)という三中校区の歴史は、まさに、学校を中心に、教育を機軸としたコミュニティを形成する歴史であったといえよう。
(2)学校教育の活性化−同研活動と「マイスクール推進研究事業」−
松原市は教員自身による教育研究活動が盛んであるが、その基盤となっているのは「松原市同和教育研究会(松同研)」である(3)。松同研で教員が一堂に会する機会は年に三回ほどある。年度始めの総会、夏休みの夏期研修会、三学期に行われる実践交流会である。また、専門部会(人権・部落問題学習部、人権・共生教育部、幼児同和教育部、人権・文化創造部、進路保障部、学習活動研究部)の活動も、ほぼ月に一回のペースで行われている。これらの場での教員の実践交流や情報交換は、各校の学校づくりを活性化させる上で大きな役割を果たしている。中学校区レベルの同研活動も活発である。多くの中学校区同研が、年に二回、小中学校の合同授業研を行っている。
教員自身による教育研究活動は、教員の熱意だけではなく、市教委の支援にも支えられている。市教委は、国や府の研究指定事業を数多く導入しているが、それらにくわえて、市単独の研究委嘱事業として、1994年(平成6年)度に「マイスクール推進研究事業」を開始した。市内には、この事業をきっかけにして、地域色豊かな「総合的な学習」が活発化した学校がいくつもある。
この事業の特徴は、第一に、教職員の合意形成を大事にしていることである。研究委嘱校は次のような手順で決定される。まず、各校はこれまでの取り組みをふまえた校内論議を経て、市教委に提出する研究計画書(4)を作成する。その後、市教委は、各校からヒアリングを行い、その結果をもとに、次年度からの委嘱校を正式決定する。「マイスクール推進研究事業」は、このような手順を踏んでいるが故に、各校は、委嘱の開始当初から、本格的な研究活動を始められるのである。
この事業の特徴の二つめは、各校の教育研究活動の「跳躍台」となっていることである。委嘱校には、市単独事業としてはかなり多額の財政的支援がなされ、市教委の担当指導主事がつく。また、各校の研究課題に応じて大学などに勤める研究者が紹介される。さらに二年間の委嘱期間終了後も、「マイスクール継続支援事業」として財政的支援が行われる。
表1は、松原市内小中学校がうけた研究委嘱・研究指定である。学校名の後の数字は「マイスクール推進研究事業」の委嘱順を、カギカッコ内は学校が掲げた研究主題をしめしている。まず目立つのは、研究主題で「地域」がキーワードになっている学校が多いことである。各校の「総合的な学習」の課題設定においては校区の地域性が強く意識されており、地域住民からの学習活動支援も盛んである。
(3)地域活動の再生−「青少年健全育成協議会」の転換−
学校の活性化と平行して、地域組織の活動も様変わりしている。ここでは、市全域にある「青少年健全育成連絡協議会」(育成協)の変化を取り上げたい。
育成協は、今から約20年前、中学校が全国的に「荒れた」時期に各中学校区ごとに結成された。育成協の構成団体は校区ごとに若干異なるが、小中学校、PTA、青少年の健全育成や福祉の関係者(子ども会、青少年指導員、民生委員など)、犯罪防止や更生支援の関係者(防犯協議会、保護司会など)、地域全体を括る組織(町会・自治会など)から成っている。発足以来、この組織は、非行防止のための地域巡回、大人たちの親睦、講演会やキャンペーン活動などを行ってきたが、子どもの非行や問題行動が落ち着つくと、育成協の活動は一部に停滞現象も見られるようになった。当時の様子を、松原市内のある住民は次のように語っている。
「見回りとかシンナー撲滅とか、そういったことをやっても、インパクトが弱いですからね、みんなで一緒にやっていくのには。市の方から予算は出てましたから、その当時でも、ずっと、その予算出た分について、その会の運営をしていかなあかんので、いろんな諸団体のまとめ役というので、ずっと来たんだと思います。」
こうして「非行防止」を主な活動としていた育成協は、活動の転換を迫られることとなった。1994(平成6)年に市財政の事情から助成金がうち切られると、育成協組織が自然消滅した地域もある。その後、関係者からの要望もあって、育成協への助成は、子どもの地域活動支援を趣旨とする「中学校区いきいき事業」の助成金として復活した。
「今、地域にそういう問題っていうのが大きな問題だと思っているわけではなかったですから、その当時は。それで、その会自体の存続自体どうだっていうのはありました。……中略……でも、やっぱり地域の諸団体をとりまとめていくっていう中ではね、やっぱりそれだけの意味はあるんちゃうかなっていうことは思ってましたから、会そのものをなくすつもりはなかったですね。ただ、いろんなイベントをしていくのに、どういうイベントしていったらいいんかっていうのは、模索中でしたからね。」
育成協が今後の活動を模索していた頃、他の地域組織も曲がり角にたっていた。地域子ども会は、子ども会の世話を負担に感じる保護者が増え、入会者が減少していた。小学校区の「スポーツ振興会」や青少年指導員も子ども向けイベントを行っており、「学校週五日制推進委員会」も活動を続けていたが、各地域組織間の横の連絡はほとんどなく、活動が停滞気味の組織も少なくなかった。
このような中で、各地域組織の活動をつなぎ、活性化させたいという思いが、関係者のなかで高まっていった。中学校を会場として行われる「祭り」は、地域組織のつながり、学校と地域のつながりを創り出す行事である。
(4)「祭り」がつくりだすつながり
松原の各中学では、年に一回、中学校区の「祭り」が開かれる。祭りは、最初、七中校区で始まったのだが、現在は、その他の中学校区にも広まり、各校区とも3000〜4000人が集う一大イベントになっている。祭りは、市教委の「中学校区いきいき事業」の助成をうけており、府教委の「総合的教育力活性化事業」が始まってからは、中学校区「地域教育協議会」の主催で行われるようになっている。
表2は、各中学校区の祭りの一覧である。それぞれの祭りの名は、校区の特色を端的に示している。高度経済成長期に住宅地が形成され、校区住民のつながりが比較的弱い二中校区では「いきいきふれあい祭り」。人権・同和教育に長年取り組んできた三中校区では「ヒューマンタウンフェスタ」。西除川をはじめとする自然環境に恵まれ、今池下水処理場を有する五中校区では「いきいき環境フェスタ」。校区に中国からの渡日者が多い七中校区では「国際文化フェスタ」。「ふれあい」、「人権(ヒューマン・ライツ)」、「環境」、「国際文化」。これらのテーマは、校区の地域特性とそこから必然的に生じる住民の生活課題を示すキーワードである。
校区の祭りを最初に始めたのは、七中校区である。七中は、恵我南小校区に府営団地が建設されたことをきっかけとして、1985年(昭和60)年に開校した。市内ではもっとも新しい学校である。校区には、旧村時代からの住民と遠方の県から越してきた住民が混在し、府営団地には中国からの渡日者も多かった。七中校区はきわめて人為的に成立した校区であって、校区住民の一体感は薄かった。こうした状況の下で、開校当時の中学校の教職員は、地域の人々が誇れる学校づくり、中学校が中心になったコミュニティづくりを考えたのである。中学校は、七中開校と同時に発足した育成協の活動を組織的に支えるとともに、中国からの渡日者を中心にした「多文化共生」の学校づくりを始めた。
育成協への団体助成がなくなり、育成協が今後の活動を模索していた頃、七中校区の児童生徒数は減少期に入っていた。当時、地域住民の間には、歴史の浅い学校であるだけに、将来は中学校がなくなるのではないかという不安もあったという。これに危機感を抱いた学校関係者と育成協関係者は、中学校を「地域の学校」として地域住民にアピールする活動、中学校区の地域住民が一体となれる活動として、「国際文化フェスタ」を開催することにしたのである。第一回「国際文化フェスタ」は、1995年(平成7)1月に開催された。この祭りは、地域住民に、中学校の多文化共生教育を自然な形でアピールする場となり、祭りを契機に、旧村時代からの住民中心の恵我小校区と新しい住民が多い恵我南小校区の交流が活発になった。
ちょうどその頃、松原市内の各校は、地域住民の協力を得ながら、人権学習、生活科、社会科などで地域学習を展開し、地域とのつながりを強めつつあった。一方、地域側でも、地域組織の活動の見直しを求める気運が高まっていた。七中校区の祭りが成功裡に終わったことは、教員のネットワークを通じて他校区の教員にも知られ、学校を通じて地域住民にも知られることとなった。こうして、自分たちの校区でも祭りをやってみようという機運が、市の各地に広がっていったのである。
祭りは、各中校区で、地域の活性化や地域と学校のつながりづくりに大きく寄与している。例えば、二中校区の天美北小校区と天美南小校区では、それぞれ「学校週五日制推進委員会」が活動をしてきたが、後者の活動は停滞気味であった。だが、祭りをきっかけに北小校区の人々と出会った南小校区の人々は、自分たちの活動を再組織化し、「天南ランド」という五日制の取り組みを始めるようになった。校区クリーンキャンペーンなど、中学校区全体の共同活動も生まれた。五中校区では、祭りに出すジオラマ(立体模型)づくりを天美西小学校のランチルームで続ける中、異なる校区の住民同士の関係や、一般の教職員と保護者の関係が深まっていった。
祭りは、当日かぎりの「打ち上げ花火」ではない。祭りは人々の新たな出会いをもたらす。祭りは、日常的な地域住民同士のつながりや、地域住民と学校のつながりを創り出すきっかけなのである。
3 まとめ
(1)コミュニティの中心としての「地域に開かれた学校」
松原各地の教育コミュニティづくりは、各地域ごとに個性的に展開されているが、「松原らしさ」というべき共通の特徴を有している。それは、「地域に開かれた学校」が、教育コミュニティづくりの中心として機能していることである。ここでいう「地域に開かれた学校」には、次のような側面がある。
第一に、施設開放を通じて地域活動の場を提供していること(物理的に開かれていること)である。例えば、五中校区の天美西小では、地域の伝統行事「とんど」が、開校以来校庭で行われてきた。「学校週五日制推進委員会」の発足後は、伝統行事「寒餅つき」が、推進委員会の行事に衣替えし、小学生が米作り体験学習で収穫した餅米を使って、餅つき大会が行われるようになった。その他の各学校でも、「学校週五日制推進委員会」の行事、「スポーツ振興会」の活動、中学校区の祭りなどに施設を開放している。学校は、地域住民が気軽に足を運べる場であり、コミュニティの「共有財産」なのである。
第二には、教育内容面で地域の特色を重視した学習活動を展開していること(教育内容面で開かれていること)である。三中校区の布忍小や三中では、1980年代から、人権・部落問題学習の地域教材を開発したり、地域住民からの聞き取り、地域のフィールドワークを行ってきた。近年は、「マイスクール推進研究事業」をきっかけにして、三中校区以外の各校でも、地域の特色をふまえた「総合的な学習」が活発に行われるようになっている。
これらの地域色豊かな「総合的な学習」は、住民の教育参加に支えられている。これが、「地域に開かれた学校」の第三の側面である(教育参加の機会が開かれていること)。「総合的な学習」において地域住民の協力を仰ぐことは、今日では、珍しくはない。だが、ここには危険な落とし穴もある。学校は、学校の都合にあわせて、地域の個人、組織、施設を、「一本釣り」で利用することが少なくないのである。それに対して、松原市で特徴的なのは、地域と学校の「双方向的な」関係が大切にされていることである。例えば、筆者が知るある小学校では、子どもたちが校区の高齢者に昔の暮らしぶりや遊びを教えてもらい、高齢者が子どもたちにパソコンを教えてもらうといった例があった。高齢者は子どもとふれあうことを生き甲斐に感じ、子どもたちが地域で声をかけてくれるようになったと喜ぶ。このように地域住民の側にも利益をもたらす地域との連携が、その学校では行われていたのである。
(2)人々の重層なつながりと交流のネットワーク
松原の教育コミュニティづくりにおいて、特徴的なことはもう一つある。それは、人々の重層的なつながりが、交流のネットワークを形成していることである。教育研究活動を通じた教職員のつながりについては先に述べたが、地域にも交流のネットワークはできつつある。ひとつは中学校区レベルにおいて、もうひとつは市全域において、である。
地域住民は、居住地以外の地域のことや、自分の子どもが通っていない学校の様子を知る機会が少ない。地域の既存組織の活動も停滞気味である。同じ校区に住む新旧の住民に交流がなかったり、小学校の保護者が中学校の様子を知らないことなどは、珍しくない。だが、そのような地域住民も、コミュニティづくりの活動にふれるうちに、地域の特色、学校の教育活動、そして、そこで育つ子どもたちの姿をじかに知ることができるのである。 例えば、三中校区のある住民は、「ヒューマンタウンフェスティバル」の意味を次のように語っている。
「子ども会やってたら、子ども会は学校単位でありますから……中略……〔子ども会の活動を〕やるところっていったら、学校の校庭とかそういう場所を使って。お母さんは子どもがおったら、学校に来るわけです。そういった意味でものすごいいいわけですね。でも今、それがだんだん少なくなってきてる。これを〔=「ヒューマンタウンフェスタ〕を三中でやるってことは、三中にみんな来るわけです。お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんがね。来るっていうだけでも、学校の先生が見える、地域が見える。それだけでもすごい意味は大きいと思ってるんですよ、やっぱり。最終的には、学校を知ってもらう、学校を知ってもらって、学校中心に地域の人たちのふれあいができる場があったらええかな」。
三中校区の祭りには、教職員や保護者、高齢者の集会所、「障害」者の作業所、地域組織(婦人会、子ども会、「学校週五日制推進委員会」など)のほか、多文化共生を掲げるNPO、同和地区の識字学級など、様々な人や組織が参加している。小中学生の学習発表やクラブの発表もある。祭りは、まさに、「学校が見える、地域が見える」場なのである。
昨年10月には、市教委開催で、保護者や教職員約600名が参加した「松原の子どもに夢とロマンを」という行事が行われた。当日は、各中学校区の地域教育協議会の代表が「地域発・子育て・教育コミュニティづくり」と題するリレートークを行った。このように、松原市では、各学校と校区の住民のつながり、教職員間のつながりにくわえ、中学校区を横断する地域住民のつながりも、できつつある。
こうして、今、松原市では、教職員、学校と地域住民、地域住民の間に重層的なつながりがうまれ、それらが交流のネットワークを形成しつつある。
おわりに
以上、松原市の教育コミュニティづくりを紹介してきたが、大阪府下のみならず全国各地でも、「開かれた学校づくり」を通じた地域の活性化と学校の活性化、地域活動と学校教育の有機的なつながりづくりが、多様な形で展開されている。
松原市では。体育活動やレクリエーションを含む広い意味での生涯学習が比較的盛んであるが、どちらかといえば、学校の教員や学校教育行政の動きが目立つ地域である。だが、他地域に目を転じると、学校の「余裕教室」や学校に併設された公民分館での生涯学習と学校教育がつながりをつくっている地域や、行政の支援のもとで全市的に「学社融合(=学校教育と社会教育の融合)」が進展している地域もある。学校を拠点に新興ニュータウン住民の「まちづくり」が行われている地域もあれば、地域住民のボランティアが組織されている地域もある。
教育コミュニティづくりには、多様な可能性がある。松原各地のコミュニティづくりが、各地の取り組みとどのように交流し、どのように刺激を与えあうのか、その動きを今後も追っていきたいと思う。
年表 90年代の教育改革
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松原市内の動き |
大阪府下の動き |
国レベルの動き |
92(H4) |
各小学校区に「学校週五日制推進委員会」 |
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「生活科」始まる月1回の学校週五日制始まる(9月) |
93(H5) |
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94(H6) |
育成協への団体助成がなくなる「マイスクール推進研究事業」開始 |
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学校週五日制、月2回に |
95(H7) |
七中校区「国際文化フェスタ」(1月) |
「ふれあい教育推進事業」開始(主に同和地区を含む中学校区で) |
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96(H8) |
「いきいき推進事業」による「祭り」への助成
二、三、五中校区で「祭り」
布小「タウン・ワークス」 |
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中教審答申「21世紀を展望した我が国の教育のあり方について」 |
97(H9) |
松中、四、六中校区で「祭り」 |
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98(H10) |
この頃、各校で「総合的な学習」の試行が盛んに |
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中教審答申「新しい時代を拓く心を育てるために」6月)
教育課程審議会答申(7月)
中教審答申「今後の地方教育行政の在り方について」(9月)
小中の新学習指導要領公示(12月)
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99(H11) |
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社会教育委員会議提言「家庭・地域社会の教育力向上にむけて」(1月)
「教育改革プログラム」(4月) |
生涯学習審答申「青少年の生きる力をはぐくむ地域社会の環境充実方策について」(6月) |
00(H12) |
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「ふれ愛教育推進事業」の後を受け、「総合的教育力活性化事業」を開始 |
学級経営研究会『学級経営をめぐる問題とその対応』(3月) |
01(H13) |
全中学校区で府教委の「総合的教育力活性化事業」始まる。全中学校区で「地域教育協議会」発足 |
完全学校週五日制大阪府推進会議協議のまとめ「地域とともに歩む学校と教育コミュニティの形成をめざして」(4月)
幼児教育に関する研究協力者会議報告「今後の幼児教育のあり方について」(12月) |
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02(H14) |
すべての小学校で英会話体験授業が始まる。「心の窓にアクセス」事業、国際交流プロジェクト「教室の窓は世界に」開始。「学校週五日制推進委員会」が「土曜子ども体験活動推進委員会」に名称変更。 |
「総合的教育力活性化事業」、府下の全中学校区で開始 |
完全学校週五日制開始。小中、新学習指導要領にもとづく教育課程に移行。「総合的な学習の時間」 |
表1 近年の主な研究委嘱・研究指定(2001年度末現在)
天美西小‡@ |
94(H6)〜95(H7)松原市教委「マイスクール推進研究事業」委嘱
「地域とともに育つ学校をめざして」 |
恵我南小‡A |
92(H4)〜93(H5)文部省「帰国子女教育研究協力校」
95(H7)〜96(H8)松原市教委「マイスクール推進研究事業」委嘱
「夢 地域 ともに歩む」
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四中‡A |
95(H7)〜96(H8)文部省「教育課程一般(外国語)」研究指定校
95(H7)〜96(H8)松原市教委「マイスクール推進研究事業」委嘱
「個性化教育−個に応じた指導・選択履修幅の拡大」
「個に応じた学習形態・指導法・評価のあり方−国際理解とコミュニケーション活動」 |
東小‡B |
96(H8)〜97(H9)マイスクール推進研究校
「暮らしを見つめ、地域で学び合い、共に育つ子ども」 |
七中‡B |
95(H7)〜96(H8)文部省「帰国子女教育研究協力校」
96(H8)〜97(H9)松原市教委「マイスクール推進研究事業」委嘱
「『松原に生きる』 ちがいをバネに共にめざすもの−すべての子どもたちが目を輝かせ、生き生きと生活できる多文化共生の学校づくり」
98(H10)〜99(H11)文部省「中国等帰国孤児子女教育研究協力校」 |
中央小‡C |
97(H9)〜98(H10)松原市教委「マイスクール推進研究事業」委嘱
「見つめ、創り、ともに育つ子どもたち−地域と結んだ人権教育を基盤とした総合学習を」 |
天美小‡D |
98(H10)〜99(H11)松原市教委「マイスクール推進研究事業」委嘱
「あるこう まなぼう みつけよう−学校で、地域で、共に生きる仲間としてつながる子ども集団をめざして」 |
二中‡D |
98(H10)〜99(H11)松原市教委「マイスクール推進研究事業」委嘱
「マイタウン天美 未来を見つめる子どもたち−地域の特色を生かした総合的な学習の展開を」 |
西小‡E |
99(H11)〜00(H12)松原市教委「マイスクール推進研究事業」委嘱
「つながろうよみんな−小規模校の特色を生かした地域と共に育つ子どもと学校づくり」 |
三中‡F |
94(H6)〜95(H7)大阪府教委「同和教育研究協同推進校」(三中・布小・中央小)
96(H8)〜98(H10)文部省「中学校進路指導総合改善事業」指定
「さんちゅうドリームワークス−選択・総合学習、情報教育を通して人権文化の発信を」
00(H12)〜01(H13)文部科学省「小中連携教育実践研究事業」委嘱
00(H12)〜01(H13)松原市教委「マイスクール推進研究事業」委嘱
「ネットワークを生かした総合学習・授業改革−多様な学びのクエスト」 |
恵我小‡F |
00(H12)〜01(H13)松原市教委「マイスクール推進研究事業」委嘱
「子ども一人ひとりの「学び」を育む授業創造−基礎・基本をふまえた総合的な学習」 |
布忍小‡G |
97(H9)〜98(H10)大阪府教委「情報教育研究学校」指定
「21世紀への情報発信−ぬのしょうタウン・ワークス」
01(H13)〜02(H14)松原市教委「マイスクール推進研究事業」委嘱 |
五中 |
99(H11)〜00(H12)大阪府教委「夢をはぐくむ学校づくり」研究校区委嘱(五中校区) |
表2 松原市の各中学校区の「祭り」
松中校区 |
こころのふれあい秋祭り(97年〜) |
二中校区 |
いきいきふれあい祭り(96年〜) |
三中校区 |
ヒューマンタウンフェスタ(96年〜) |
四中校区 |
いきいきスポーツ文化フェスタ(97年〜) |
五中校区 |
いきいき環境フェスタ(96年〜) |
六中校区 |
笑顔・夢・ふれあい祭(97年〜) |
七中校区 |
国際文化フェスタ(95年〜) |
- 中野陸夫・長尾彰夫編著『21世紀への学びの発信−地域と結ぶ総合学習 ぬのしょうタウンワークス−』解放出版社(1999年)。
- 青少年会館とは、青少年の遊びや学習、地域活動の拠点として、大阪府各地の部落に設置されている施設である。各館には、学習室、会議室、プレイルーム、工作室、図書室、運動場などがあり、多くの館に「社会同和教育指導員」が置かれている。近年、各地の青少年会館は、特別対策としての同和対策事業が終結をむかえるにあたり、小学校区あるいは中学校区に事業範囲を拡大している。
- 大阪府下の市町村では、一般に「同研」とよばれる人権・同和教育の研究会が組織されている。松同研は、この単位同研の一つである。各同研の連絡協議機関として、「大阪府人権教育研究協議会(大人教)」がある。大人教は、夏休みと二学期に研究大会を行うほか、人権・部落問題学習、学力保障、進路保障、就学前教育、「障害」児教育、男女共生教育、在日外国人教育、地域教育コミュニティづくりなどの専門委員会やプロジェクトチームを組織し、研究活動を行っている。
- 研究計画書の作成に際して、市教委は次の三領域から研究テーマを設定するよう、各校に文書で依頼している。第一の領域は、「『総合的な学習』に関する研究」である。国際理解教育、環境教育、地域学習、福祉・健康教育、情報教育、その他(男女平等教育、図書館教育、安全教育、消費者教育等)の例が示される。第二には、「多様な学びの導入による、指導内容、指導方法の工夫改善に関する研究」であり、「多様な学びのスタイルの活用」と「選択授業の拡大による学習活動の展開」という例が示される。第三には、その他の「自校の教育課題に応じた研究」である。この事業の基本的性格は、新しい学習指導要領のもとでの「学校づくり」を、教育行政の立場から支援するものだといえよう。
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