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第230回国際人権規約連続学習会(2002年6月18日
世人大ニュースNo.239 2002年7月10日号より
DPI世界会議・札幌大会の意義と目指すもの

尾上浩二(DPI日本会議事務局次長)

DPIとは何か
―世界共通のスローガン「われら自身の声」の持つ意味―

 今年の10月15〜18日までの4日間、札幌でDPI世界会議が開催される。この会議は4年に1度開催されており、今年は国内外で約2000人の仲間の参加が予想されている。ではこの会議を主催しているDPIとは何なのか。これはDisabled Peoples′International の略で、障害者インターナショナルという百数十カ国に支部がある、国連が認めた障害者の意見を代表するNGOである。DPIは1981年にシンガポールで、「われら自身の声」という世界共通のスローガンのもとに結成された。しかし世界各国でそれぞれの状況や課題があるのに、なぜ「われら自身の声」が世界共通のスローガンになるのだろうか。 

各国のみならず日本でも1949年の身体障害者福祉法の制定をはじめ様々な障害者政策が取り組まれているが、その政策決定の際に果たして障害者自身の声・ニーズがどれだけ反映しているのだろうか。

身近な例を紹介すると、車椅子用トイレの鏡の取りつけ方の違いがある。最近では手洗い台の上から長めの鏡がまっすぐに取りつけられているが、これが10年ぐらい前までは斜めに取りつけられた斜鏡が、障害者にとって使いやすい鏡として主流になっていた。この斜鏡は1970年代に行政などがまちづくりの指針として取り入れたが、実際には当事者にとって使いにくかった。これが1993年大阪府の福祉のまちづくり条例が制定されるなどしてまっすぐの鏡に変わるまで約20年かかっている。これだけ時間がかかった理由は、斜鏡を購入するのが障害者ではなく、行政機関や百貨店などだったからではないだろうか。つまり購入するのはエンド・ユーザーである障害者ではないために、直接使用する障害者の声が企業に届けられないままであったからである。確かに車椅子で使うことのできない鏡があった25年前では斜鏡も一つの進歩であったかもしれない。だが障害者の間で斜鏡が使いにくいということが言われていた。それにも関わらず、1993年に条例ができて、そこで私たちの指摘を受けるまで斜鏡が使いやすいと考えられてきていた。もちろん、困らせてやろうといってメーカーが斜鏡を作ったわけでなく、時代制約のなかでそういう発想しかなかったといえる。こういったトイレの鏡という身近な例でさえも、今まで政策決定に当事者の声が反映されてこなかった。

「障害者を一か所に集めて特別な専門教育を行ったほうが障害者のためになる」、あるいは「重度の障害者が社会で生きていくのは大変だろうから施設や病院で保護してあげるほうが幸せだ」というように、これまで推測や思い込み・レッテルをはることで様々な障害者政策が決定されてきた。それらに対してサービスや技術が消費者である当事者の声が本当に反映されているのかという問いかけが、この「われら自身の声」という言葉に込められている。

DPIの基本理念

 DPIの基本理念はDPIマニフェスト(DPI宣言)に明記されているので、機会があればぜひ一度ご覧いただきたいが、ここには重要なことが書かれている。例えば「あらゆる発展計画やプログラムは障害者の参加を保障する方策を含むものでなければならない」と記している。ここで大事なのは日本のように社会福祉計画だけではなく、様々な経済計画や行政のマスタープランなどの全分野に障害者が関わっていてあたり前だという発想である。更に「商業ベースで行われるような分野における障害者のための方策については、社会は障害者がそのサービスや活動から排除されることのないよう、その利益を保障しなければならない」とも記している。要するに民間企業が行うサービスの利用者の中に、一定の比率で障害者が存在しているという発想が前提にあるのかが問われている。 

現在、大阪市の地下鉄でエレベーターは約120 駅中8割に設置されているが、私は地下鉄谷町線「喜連瓜破」駅に80年に初めて設置されたエレベーターの設置運動にかつて携わっていた。その当時エレベーターが設置されている駅はほとんどなかったが、あったとしても利用者がインターホンで駅員を呼び、その都度、駅員が鍵で開けて使う「閉鎖型」のエレベーターばかりだった。しかしそれでは障害者自身も駅員が来るまで待たされて不便であるし、車椅子に乗っていない人は使うこともできない。そこで私たちは障害者専用ではなく、障害者をはじめ誰もが使えるエレベーターを求めて5年間に及ぶ交渉を行った。これに対して当時の交通局は、「それは障害者の問題だから交通局ではなく福祉に言ってくれ」という対応であった。しかしここが重要である。つまり自分たちが提供するサービスの乗客には一定の比率で障害者がいるのが当たり前であり、その障害者が利用できないサービスを続けていることが差別であると、問い直していくことが大事だと私は思う。特にこれから高齢化社会を迎えて要介護の比率は上がっていくのだから、行政サービスだけでなく民間企業のサービスや商品開発など、全ての分野において一定の比率で障害者がいることを念頭に置いておかなければならない、といち早く提起したのがDPIである。

 全てのサービスや商品に障害者の利用をかんがみるならば、評価システムとして障害者自身の声をフィードバックしていくべきだろう。ただ一方的に障害者の言うことを聞けというのではなく、実際にサービスや物を使っている当事者である障害者自身が障害者のニーズを一番分かっているからだ。また最近では「人にやさしい」というコンセプトでの商品や設備の開発が行われているが、その中には結果的に人には優しいが障害者には厳しい物も存在している。しかし「優しい」や「厳しい」という主観的な部分で判断しようとするから間違いが起こるのではないだろうか。つまり「私たちが使えるようにしてほしい」のである。そういう主観的な判断をせずに、障害者の具体的ニーずを分析、対応しそれを合理的にクリアしていくことが私は大切だと思う。そのために私たちは商品の開発のプロセスへの参加を望んでいるおり、こういったこと全てが先の「われら自身の声」という言葉に象徴されている。

国際的な流れ

 国連が初めて障害者の人権を取り上げて提起したのは、1971年の「知的障害者権利宣言」であった。そしてそれは75年に全ての障害者に広げた「障害者の権利宣言」へと発展していくわけだが、知的障害者の権利から始まったということに私は象徴的なものであると感じている。後の国際障害者年の基本理念となるノーマライゼーションという考え方がこの71年頃から始まっている。実はそれ以前の60年代までは世界中で障害者を隔離する政策が採られていた。特に福祉国家として有名なスウェーデンやデンマークでは一時期多くの重度障害者を施設に入所させていたほどである。しかしその施設の中で知的障害者に対する虐待や非人間的な扱いが行われていた。それに気づいた親達が施設での隔離から、障害者も障害のない人と共に生きることが必要だと方向を転換する運動を始めた。それが始まったのが50年代の終り頃の北欧であり、その結果、最も人権侵害の酷かった知的障害者だけをまず取り上げることで国際的な障害者の人権回復が始まったのである。

 その後の現在に通じる大きな流れとしては、80年のWHOの国際障害分類(ICIDH)発表がある。これは例えば日本の学校教育法や公営住宅法などに見られるように障害を故障や欠陥ととらえているのとは違い、障害を「機能障害・医学的障害(impairment)」と「能力障害(disability)」と「社会的不利益(handicap)」で多元的にとらえようとしている。しかし、これがあまりにも医療モデルで障害者を患者扱いし過ぎているとイギリス等から批判を受け、2001年にその改訂版(ICF)が承認されている。ここでは「機能障害(impairment)」「活動(activity)」「参加(participation )」とすることによって、より社会的アクセントを強めながら障害を多元的にとらえようとしている。

  そして81年が国際障害者年、83〜92年が国連・障害者の10年となった。またその間に子ども権利条約が制定され、93〜02年までがアジア太平洋・障害者の10年とされた。更にこれに基づいて各国政府が障害者の参画に対する差別の解消をするように提唱した、国連・障害者の機会均等化に関する基準規則が93年に採択されている。

 続いて94年のユネスコ「サマランカ宣言」、2000年の北京障害者運動NGOサミットが行なわれた。更に2001年国連総会での障害者の権利と尊厳の推進と保護に関する包括的かつ全面的な国際条約に関する決議採択などを経て、今年DPI世界会議札幌大会が開催される。また2003〜12年までを「障壁からの解放の10年」をテーマに、第2次アジア太平洋・障害者の10年として取り組んでいくことも決まっている。

 70年代の権利宣言で障害者は専門家などの他者から保護される対象であったが、80年代以降は主体となっていった。そして障害者問題は福祉分野だけではなく、社会全てに関わる人権の問題に変わっていった。この2つがこれまでの障害者の人権確立に向けた国際的な大きな流れといえるだろう。

ノーマライゼーション

 これまで見てきた国際的な取り組みの基本理念はいうまでもなくノーマライゼーションである。この言葉を直訳すると「正常化・ノーマル」にするということになるのだが、私がここで重要だと思うのは「何をノーマルにするのか」、「どういう状態がアブノーマルか」ということだ。ここでいうノーマライゼーションとは、障害者は一定の比率で産まれる社会の当然の構成員とする基本認識の下で障害を持って産まれることがアブノーマルなのではなく、それを理由に社会から障害者を締め出すことこそがアブノーマルなのである。その社会の側をノーマルにする、先のICIDHのいうところの「社会的不利益」をなくすという意味である。従ってここでは教育や就労や様々な社会分野への単なる参加のみならず、政策決定への参加ができて始めて完全参加となるとしており、国連も国際的な障害者運動の高まりによってそれらを提唱するようになった。

 一方、その当時、日本の障害者問題のアプローチというのは90年に改正される前の身体障害者福祉法の目的が「更生と経済活動への参加」であったことからも分かるように、その障害者観に問題があった。つまり「障害=欠陥」というととらえ方である。これを先のICFに照らし合わせて、国際的な障害者観に変えていかなければならない。また合わせて「自立」のとらえ方も職業自立や身辺自立に加えて、障害者が地域で自分らしい生き方ができるような多元的なとらえ方を国際的潮流に沿って取り入れていくべきだと私は思う。つまり障害者がライフスタイルを自己決定することで保護・隔離的な状況から脱し、地域で自立した生活をするということだ。そしてこういった自立観を取り入れることで、地域社会の人間関係の障害者に対する具体的な態度そのものが変わっていかなければならない。

DPI世界会議札幌大会に向けて

 以上の流れを受けて今回のDPI世界会議は開催される。主な内容は著名な障害者活動家のジュディー・ヒューマンさんによる発題、シンポジウム「DPIと権利擁護〜障害者権利条約への道〜」、そして2日間で15のテーマに及ぶ分科会も予定されている。すでにこの会議の成功を目指して現地札幌だけではなく、全国で様々な動きが始まっている。 

これだけの国際的に著名な障害者リーダーが日本に集まることはこれから当分ないだろう。それだけ貴重な機会なのでぜひ皆さんに注目いただき、障害者をはじめ、日本の人権状況を変えていく最初の年であったと後に振り返れるようなDPI世界会議にしていきたいと思う。