講座・講演録

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第229回国際人権規約連続学習会(2002年5月16日)
世人大ニュースNo.238 2002年6月10日号より
ヨハネスブルグ・サミットの意義と課題
〜NGOの視点から〜

神田浩史(世界水フォーラム市民ネットワーク事務局長)

リオ・サミットとは何であったか?

 私は日本のODA政策を中心として主に環境と開発の問題について取り組んでいるが、その中でヨハネスブルグに向けて関西のNGOで流れをつくりながら取り組んでいる。そこで今回はリオ・サミット(1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた「環境と開発に関する国連会議」、別名「地球サミット」)から今日までの10年で見られた進展と後退について、NGOの観点から述べていきたい。 

まず始めに10年前のリオ・サミットについて振り返っておきたい。国連レベルで環境に関して初めて包括的な世界会議が開かれたのは1972年(スウェーデンのストックホルムで開かれた国連人間環境会議)で、人権より約30年遅れていたのではないだろうか。しかも1972年に会議が開かれたといってもそこから急激な変化があったわけではなく、また当時の中心課題は公害問題であった。ちなみに公害問題と今日いわれている環境問題との違いは、公害問題では加害者と被害者の立場の区別が明確であったのに対して、今日の環境問題はその両者がこんぜん渾然一体となっている。つまり、環境負荷が非常に高い暮らし方をすることによって、みんなが加害者であると同時に被害者でもあるということである。

 この時期から公害問題主眼でいろいろな集まりが行われていくが、その10年後の1982年に国連の環境委員会から一般にブルントラント報告として知られる報告書が出された。その中で「開発の限界」や「環境による制約」ということが初めて唱えられた。それまでは開発すれば人間は幸福になれるとの考え方で経済開発中心に進んできた国際社会において、初めてその限界について国連レベルで唱われたという意味でこれは大きな報告書といえる。しかし、そこから先の具体的なことについて例えば、環境負荷の低減など個別で取り上げられる場はあったが、包括的に話し合う場所はなかった。それが初めて議論できたという点でも92年のリオ・サミットには大きな意義があったといえる。

 しかしリオ・サミットは地球サミットと銘打って環境問題を包括的に議論しようとしたサミットであったが、そこで最も大きな議論になったのは、「開発の権利」の問題であった。これは南北問題と言葉を置き換えることもできるだろう。つまりいわゆる先進国が「開発は抑制しなければならない」という提案に対して、いわゆる途上国側が自分たちの「開発の権利や開発を享受する権利」を主張して反発したことであり、この対立は今日までも続いている大きな問題である。そこでリオ・サミットではブルントラント報告にあった「Sustainable Development 」という文言を中心にそえて、「開発は抑制せずに永続可能な社会をつくるための開発・発展」を進めていくというところで妥協を図ったといえる。

 この他にリオ・サミットの成果としての環境問題行動計画である「アジェンダ21」が策定されたことや、個別問題の条約化への流れの確認されたことなどがあげられる。

リオ・サミット以降の10年

 リオ・サミット以後の10年のポジティブな側面については、先述の通りサミットにおいて個別問題の条約化が確認され、この10年で実現してきたことといえる。具体的には気候変動枠組条約、生物多様性条約、砂漠化防止条約等があり、個別問題として非常に進展してきた。社会に環境問題に対する意識が定着、また理解が高まってきたことがあげられる。

 さらにリオ・サミットをきっかけにして開発の主体が誰かということが、国際機関だけでなく国内的にも相当議論が進んできたこともこの10年の成果だといえる。つまり開発の主体は国際機関や国家ではなく、地域の住民一人一人が主体となって開発を進めていくという意識が根づいてきたということだ。例えば開発に大きな影響力を有する世界銀行は、1993年から政府を介さないで住民から直接の異議申立を受けつける制度を取り入れている。これまで、ずさんな開発への融資を行いNGOから批判されてきた国際機関が、このように大きく開発政策を切り替えていくという成果をもたらしている。またこれに加えてリオ・サミットで提言された情報公開と住民参加についても発展途上国である南側の国々では困難が残るが、国際機関や日本国内でも進展していることもポジティブな側面として紹介しておきたい。

しかし一方で、ネガティブな側面も存在している。まず何よりもリオで大きな対立となった高所得国と低所得国との格差は、今日およそ30対1となっている。(2000年「環境白書」参照)また二酸化炭素の排出量が途上国で急激に増えていると同時に、先進国でも依然として伸び続けており、さらに砂漠化や様々な生物が絶滅の危機に瀕しているといった深刻な状況にある。現在、先進国では環境優先ではなく、依然として経済拡大を指向した政策を取り続けている。つまり環境対策を行うにも経済成長が不可欠だとして、消費・生産の拡大を推し進めている。これが経済のグローバル化に伴って、環境への負荷を増大させているといえる。

拡大する所得格差―サミットでの争論―

 ヨハネスブルグ・サミットで最も厳しい議論になる点として考えられるのは、リオ以後の10年で南北間の格差が一層拡大している現実である。これは経済のグローバル化によってもたらされた結果であり、特にアフリカでは顕著に見られる。最近では国家間だけではなく国内での格差が北側諸国でも出てきている。80年代の中頃から新自由主義の経済理論に裏づけられた楽観的な経済政策によって、経済のグローバル化は進んできた。しかしそれは強い側だけに金や資源を集中させてしまい、南側に絶望的な状況を生み出してしまっているのである。こういった強者の論理ともいえるグローバル化に反発して、リオで議論になった南側の言い分がまたぶり返されることになり、ヨハネスブルグ・サミットでは環境と開発に加えて貧困対策が最も大きな対立点になるだろう。つまり南北格差の増大によって、環境対策の立ち遅れによって「安全な水にアクセスする」、「教育を受ける権利」などを獲得できるどころか、むしろ失ってきた階層がこの10年で多く出てきた。そして新たな問題を引き起こしている状況にあるからだ。

 また、特にアメリカや日本でODAが縮減されてきたことも大きなネガティブの側面だと思う。理由としては援助が実効的でなかったことへの反省、あるいは援助する側の財政状況の悪化による援助疲れがある。しかしリオで、ODAをGNPの0.7%まで引き上げることが先進国に対して提案されたが、アメリカや日本はその当時よりも引き下げてしまっている。確かにODAが実効的に使われていないのは事実であり、額を増やせば貧困が解決されるわけではない。ましてや環境問題が解消されるどころか、ODAによる環境破壊は今でも続いている。だからといって単にODAを増やせという提案はNGOとしても控えたいと思っている。だが民間の資金を中心に開発を進めていけば貧困が助長される恐れがある。ならばこの10年の成果で得られた住民主体の開発が実現していく流れさえあれば、ODAがある程度有効に使われる道が開かれてくるのではないかと私は思っている。また日本が財政的に苦しいといっても、日本は依然として経済大国であり、世界第2位の資源消費国であり、対外依存率の非常に高い社会構造である中でODAを縮減しようとするのは、内向きな議論ではないかと思う。

ヨハネスブルグ・サミットへ期待するもの

 では次にヨハネスブルグ・サミットの意義と課題に話を移していきたい。まず何をもって成果とするかだが、何よりもこの会議を政治的に力を持った会議にしていかなければならない。そのためには各国首脳の出席が必要であり、特に地球環境に大きな影響を及ぼしているアメリカと日本の首脳の参加は大きな課題だと考えられている。彼らが参加するかどうかで、ここで出される政治文書の力が変わってくるからだ。それを実現するためにはNGOだけでなく日本国内でヨハネスブルグ・サミットの意義が共有されていく必要があるだろう。また今回のサミットを南北格差解消のためのサミットだととらえるならば、北側は相当大胆な公約をする必要があるだろう。そのためにも首脳が参加する必要がある。そして非常に難しいであろうが、ここで経済開発中心から環境中心の政策への転換が行われれば、大きな前進になるとの期待もできるだろう。

 

ヨハネスブルグから琵琶湖・淀川流域へ

リオではあまり語られならなかったが、この10年で国際的環境問題として大きく取り上げられるようになったのが「水」である。恐らくヨハネスブルグでは大きく問題になるであろうこの点を最後に触れておきたい。 

日本は水資源が豊富だが、世界的にはひっ迫しており、世界人口で見るとおよそ5人に1人が安全な水にアクセスできない状況にある。これは食糧よりも深刻な数字だ。そしてこの問題を議論するために第1回世界水フォーラムが97年に開催された。そこで「世界水ビジョン」という世界の水資源の現状についてのレポートを作成することが合意され、それが2000年の第2回世界水フォーラムで報告されている。しかしこれを主導し、スポンサーとなっているのが水関連企業であった。つまり世界水会議という国際的なシンクタンクである。そこからも分かるように水資源についての議論という動機は表向きであって、本来の動機は別にあったといえる。それは第2回で水問題の解決方法として強く打ち出された水の自由化・商品化の流れだった。これは水道事業だけの話ではなく、最も大きいのは水利権の問題である。水をコスト化することで水の浪費を減らし、水利権を市場にゆだねて売買取引を自由化すれば水利用がもっと効率化するといった主張で、最近ではアジア開発銀行がこの流れに沿った政策提案・介入をアジアの幾つかの国々で行っており、それらの国々では混乱が生じている。しかし地球や生命の根幹である水を、ペットボトルに入った水と同様に全て商品化してしまって良いのだろうか。他の資源同様、市場にゆだねることで強い者がそれを独占し、水資源消費が偏在化してしまえば、人間だけでなくあらゆる生物にとって死活問題になると思う。

NGO、企業、政府など多様な主体の協働作業へ

 こういった自由化・商品化に反対するNGOが第2回世界水フォーラムで排除されるなど、最近の国際会議では珍しい事態になった。そしてその第3回が2003年3月に琵琶湖・淀川流域で開催されることになった。そこでその会議で水問題を本当に解決するための実効的な議論をする場とするために、私たちは世界水フォーラム市民ネットワークというNGOを立ち上げたのである。そして日本政府主導の事務局と協働で準備作業を進めることで、NGOがオブザーバーとして参加するより一歩踏み込んだ会議にしていこうと考えている。

 農産物や林産物は全て水の生成物である。その生成物を日本は年間50億‡dも輸入しており、他方ではそれを送り出している北米や中国で水資源が枯渇するという問題が起こっている。こういった水資源消費の偏在の上に私たちが生活しているからこそ、この問題を解決していくためにはより多くの人が議論に参加して最善の策を見出だしていかなければならない。その機会が運良くこの地域で行われるのだから、ぜひ皆さんにも関心を持ってもらいたい。

 ヨハネスブルグ・サミットで包括的な部分での解決策が打ち出されるかどうかについて、私は悲観的な見方をしている。だが根幹的な部分での合意が成され今後の方向性だけでも打ち出されれば、リオで提出された気候変動枠組がヨハネスブルグで結実しようとしている流れから見ても、その後に開かれる個別の会議が重要になってくるのではないだろうか。だからヨハネスブルグ・サミットで何かが大きく変わると期待するのではなく、それを弾みとして今後どういったことに取り組んでいけるのかを考えていくことが重要であると思う。