講座・講演録

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第11回ヒューマンライツセミナー(2002年7月18日)
世人大ニュースNo.241 2002年9月10日号より
今なぜ差別禁止法か

-さまざまな立場からその必要性・意義を探る-

2002年7月18日(木)に開催された第11回ヒューマンライツセミナーの後半は、会場からの質問を受けて、どんな差別禁止法が必要なのかについてパネルディスカッション形式で議論されました。

今月は後半で議論された内容について掲載します。(文責 事務局)。

パネリスト

大谷 美紀子さん(弁護士)

楠  敏雄さん (障害者インターナショナル日本会議副議長)

友永 健三さん (部落解放・人権研究所所長)

丹羽 雅雄さん (弁護士・RINK代表)

山崎 公士さん (人権フォーラム21/新潟大学教授)コーディネーター


パネルディスカッション

後半:具体的にどんな差別禁止法が必要なのか?


Q 人権なり差別禁止法などは社会的弱者のためのものであり、その法律は政府がつくるのはどうか?

                  

山崎 憲法学者の中でも、国家権力は人権を抑圧する主体であって、その政府が人権保護者となってその基準をつくるのはどうかという議論はあるようだ。しかし一般論として、18、19世紀の国家とは異なり、ワイマール憲法以降の社会では様々な場面で国民の福利厚生や権利に責任を政府が持っていることから、積極的な立法義務があると考える。また議員立法あるいは内閣立法にしても、きちんとした議論が行われ、最終的に国民の視点から見て望ましい内容であれば良いと思う。

大谷 女性差別についても条約で状況改善に向けた立法を含む国家の義務が規定されており、政府としてはやるべきことを行なっているといえる。ただ審議会で学者などが話し合ってできるだけでは、本当に必要としている人の視点がその法律に活されないのではないか。立法の形式は何であれNGOなどから巻き上がってくる議論を反映させていかなればならず、そのためには私たちがもっと議論をしていかなければならない。

丹羽 私が先日訪問した韓国では、NGOが多く集まり法務部(法務省)が提出した人権擁護委員会の法案を廃案に追い込んだ経緯がある。日本の憲法規定では市民の代表者である国会が立法機関になっているが、実際はほとんどが行政・官僚主導型になってしまっているのではないだろうか。国会議員が立法能力・政策提言能力を身につけ、そこにNGOが関わっていという構造を作っていくことが必要だと思う。


Q ‡@在日外国人への差別状況の中、年金以外に雇用保険等で差別はあるのか。‡A公務員採用の際、国籍条項はどのぐらい県で撤廃されているのか。

丹羽 社会保障分野では、永住者についての国籍条項はない。また非永住者についても合法的な在留資格を持つ人であれば、年金や保険などの社会保障は認められている。しかし合法的な在留資格のない人に対してはこれらが認められていないという問題がある。

阪神・淡路大震災の際にオーバーステイの人が重傷を負ったが、諸外国の多くではそういった人にも医療を保障するシステムを取っているのに対して、日本はそれが保障されておらず、ボランティアで金を集めて病院に持っていったことがあった。それでも1996年にやっと国立救急救命センターで50万円以上の医療費の未払いがあった場合、国・都道府県・病院が1/3 ずつ補てんする制度ができた。ただ母子保険についてはほとんど資格を問わない方向に進んできている。

 公務員採用について正確なことは分からない。政令指定都市で一般事務職への国籍条項を最初に撤廃したのは川崎市だが、国との調整の結果、決済権のある役職には就けないという条件があるという。こうした動きが徐々に広がってきているようだ。


Q 最近の政治の世界では国家(優先)主義が進められ、一方市民社会では多民族・多文化共生主義の方向に進んでいるように思われる。このようなねじれ、歪みをどう考えているのか。

友永 これは20世紀と21世紀との違いをどう考えるかにかかってくる問題だと思う。日本では2000年に地方分権推進一括法が施行され、法律上では国と地方自治体は対等になっている。ここに先の質問を解く鍵があるのではないだろうか。つまり自治体にもっと権限を持たせて、そこに住む人々が共に人権が尊重された豊かな社会をつくる。そしてそれがベースになって21世紀の日本社会の在り方をつくっていけば良いのではないだろうか。

その点では、部落解放運動が中心になっている関係から人権に関する条例を作っている自治体が関東以西の地域に限られているという問題はあるが、今後は他の団体とも連携を取り自治体レベルで条例をもっと作り、その力で国に迫っていくことが必要だと私は思う。

丹羽 戦争責任、戦後保障について考えてきた観点から述べたい。戦前の日本は多民族帝国制秩序の形成を目指していたといえる。戦後は幻想国家として単一民族国家を築こうとした。また憲法第9条と人権の問題から見ると、世界人権宣言が全ての人間を対象にしているのに対して、憲法は国籍条項を取り入れているズレがある。主権在民といいながらも、在日外国人については憲法と管理法しかないという状況である。こうしたズレが今日の日本の現実であり、その中心にあるのが血統主義という幻想だと私は思う。

 中央と各都道府県にある障害者施策推進協議会によると、障害者の施策を決定するシステムが障害者基本法に規定されている。ところが中央の委員48名の大半が役人と学識経験者で構成されており、障害を持つ当事者は3人しか含まれていない。これに対して大阪府では40名の委員のうち14人が家族も含めた当事者で、更に推進協議会の中に当事者部会を設けてまずここで議論し、ここの了承を得ずに施策を決定すべきではないというルールを確立し約10年間活動している。こうした政策決定への当事者参画を原則として日本政府にきちんと確認させていかなければならない。

ただ組織内での当事者同志の差別も残っており、残念ながら地方自治体の多くもそうした性格から抜け切れていない。こうした状況を変えていくには当事者がしっかりまとまり、意識を高めて、その上で当事者参画を実現していかなければならないと私は思っている。

大谷 男女共同参画社会基本法というものを私は1995年に北京で開かれた世界女性会議以降の取り組みの成果としてとらえていた。しかし、東京大学の上野千鶴子教授が講演の中で「男女の役割分担をこうしなさいと国から言われているようで恐くないですか」と言われショックを受けたことがある。

男性が作り上げた「国家」が生み出すものに対して女性の観点から調整をしていくという視点を持っているからそのような見解が彼女から出たのだろう。

男女共同参画社会基本法ができた時、少子高齢化が進む中で労働力として女性の必要性や、出産をうながそうとするトーンが如実に現れていた。つまりこの法律が女性差別をなくし、男女が社会で平等の役割を担うためのものとみることができ、単純に差別がなくなると喜べば良いのか、それとも「女性も働きなさい・子どもも産みなさい」という国の考え方の現れととらえれば良いのかの判断であって、質問者と同様に市民社会では多文化、多様性を受け入れる一方で国家中心主義が進んでいるというねじれについて、私たちは懸念する視点を持っていなければならないと思う。

 少子化対策については女性自身が子どもを産む・産まないを自由に選択できるように構造を変えていくことが必要であり、特定の価値観やモデルを押しつけるべきではない。従って差別の禁止もそういった構造を変えていくことに働きかけるものでなくてはならないと私は思っている。

山崎 ローマ帝国以前の民主主義社会において、奴隷は「市民」には含まれていなかった。また18世紀後半のフランス人権宣言では女性は「市民」として認識されていなかった。このように時代の流れによって法の対象となる人は変化してきており、特定の人にレッテルを貼って排除しようとすることは徐々になくなってきている方向にあるといえる。しかし具体的な人権の中身を誰が決めるのかというと、残念ながら20世紀は国家裁量型の人権観であった。憲法などにはいくらかそれを規定する部分もあるが、人権擁護法案について私たちが批判しているのは、人権の定義がはっきりしていないということである。本来は憲法と批准した条約に定義されたものは全て受け入れなければならないのだが、それをするよりも政府は従来の国家裁量型の人権観を続けたいと思っているようだ。しかしそれを許せば人権委員会が人権を決めてしまうことになり、被害者にとって不利なケースも必ず出てくるだろう。だからそれをさせないために人権の定義、そして何がしてはいけない差別なのかをはっきり書いておくべきだと思う。     


まとめ  今回の討論・質問を踏まえて

友永 人権擁護法案ではいくつかの差別が禁止されているが、その禁止の方法でどれだけの実効性があるのかという問題がある。例えば部落差別に基づく就職差別、特定の個人に対する侮辱、部落地名総鑑などを公然と摘示する行為は第3条として明確に禁止されている。しかし身元調査や大量殺りくを呼び掛けるような差別扇動は禁止されておらず、これを禁止した国際人権自由権規約の第17・20条との関係でどうするのかが今後問われてくるだろう。    

禁止のしくみについては、例えば就職差別の場合、厚生労働大臣による特別調査、調停、仲裁、勧告、勧告の公表が行われ、それでも解決しなければ人権委員会の訴訟参加によって図られる。しかし訴訟だけを人権委員会が担当するといったねじれ現象が起こっており、更に勧告に従わない場合に罰則がないという問題がある。つまりこれらが法案で禁止される行為として明記されたことは評価できるが、実効性については問題が残っていると思う。

丹羽 私は1989年に民族差別によるマンション入居拒否事件の訴訟に参加した。当時はまだ日本が人種差別撤廃条約に加入していなかったため、民法を適用して勝訴することはできたが、判決まで4年半もかかった。一方、条約加入後の浜松宝石店入店拒否事件では条約を間接的に適用して、8か月で勝訴している。この点から差別禁止法があれば明確な判断基準ができ、救済に必ず近づくと私は思う。

 在日外国人にとって包括的な差別禁止法は将来的に必要だが、まずは個別具体的な禁止法が必要である。つまり国連・反人種差別モデル国内法をベースにした人種差別禁止法を設けて差別を禁止し、政府から独立した人種差別専門の救済機関を設置するべきだということだ。その際には必ず国籍差別を含めた人種差別を定義した上での救済機関設置にするべきだ。そして設置する際には当事者、支援者の声がどう反映されるかが重要である。

また、今回の人権擁護法案に書かれていないが、公権力からの人権侵害を明確に禁止することである。更に私人間差別について基本的に説得、調整、仲裁を行い、それでも駄目なら刑事処罰にすべきである。

 最後に、有事法制など国民中心主義的な発想が台頭しているが、異なるものを尊重し互い認め合う社会をどう目指していくかが重要な柱であることを改めて言いたい。

 障害者差別は大きく4種類に分けることができるだろう。‡@は能力・生産性優先の社会の仕組みから生まれるもの。‡Aは行政施策の不備・遅れからくる差別。‡Bは悪質な扇動や虐待という行為に基づく差別。そして‡Cが偏見など心のバリアが生み出す差別である。ここで差別禁止法の対象にすべきなのは、‡Aと‡Bだと思う。これらは法律による明確な規定が必要だろうし、場合によっては罰則も必要だろう。また‡@と‡Cについては法律だけではなく、人権教育が重要である。ただこれまでのパターン化した人権教育は不十分であり、手法を変えていくべきだ。 

最近は中途障害者が増えており、全障害者の70%が高齢者を含む中途障害者といわれている。つまり障害者対健常者という単純な分け方はできなくなってきている。誰もが障害者になり得るという切り口で、障害者の人権や社会の在り方を考え直していくことが緊急の課題だと思う。

大谷 まず差別の禁止に対して罰則を設けるべきかについて、私はまだ明確な答えが出せていない。確かに女性の中でも刑事罰則を必要とする意見は多い。しかし定義された犯罪を処罰するかどうかについて討論した際、禁止はすべきだが処罰するのは行き過ぎではないかという意見も聞いたことがある。また今日の日本では処罰を課すとなれば警察の不当な介入を恐れ、例えばストーキング防止法で逮捕されてもまたすぐに同じことが繰り返されるように、処罰があっても根本的に変えられないという問題が考えられる。つまり罰則ができても犯罪を止められなければ必要とは言えないということだ。

 私が思うのは、第1に悪いことは悪いこととして社会に示される担保として、やはり罰則は必要ではないかということだ。第2に警察の不当な介入など公権力の乱用があれば、それに対してチェック機能を人権委員会が果たせれば明確になると思う。ただ今の人権擁護法案では非常に弱い。今後、罰則の必要性とそれができてからの問題点などを議論する必要があるのではないだろうか。

山崎 今回のパネリストの発言内容を集約して3点述べておきたい。まず第1に差別禁止法の中身だが、これは楠さんが規制と人権教育の対象としてうまくまとめられていたと思う。諸外国でも禁止される差別事由と差別行為が縦横軸となって法体系ができており、日本も参考にするべきだと思う。

 第2は差別禁止法の実施だが、刑事的手法を含むべきという議論が提起された。これについては国連・反人種差別国内モデル法が参考になるだろうが、諸国では様々な手法が用いられているので、日本でもそれらをどのように組み合わせるのかの議論を今後進めていかなければならない。またその実施主体となる人権委員会の独立性も重要な問題となる。   

そして第3に構造的な社会的差別を放置することは社会正義に反するという合意ができつつあり、それを法律にしようとする方向に徐々にあると私は感じた。「差別をしてはいけない」、また人権という社会の共通の価値観をみんなそして国内で共有できるかどうかが、21世紀の共生社会の試金石になるのではないだろうか。