講座・講演録

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人種差別撤廃条約の実施に向けて
〜私見〜

パトリック・ソーンベリー
(英国キール大学教授・国連人種差別撤廃委員会委員)

部落解放・人権研究所の第56回総会が2002年6月28日に大阪市立浪速人権文化センターで開催され、第2部で「人種差別撤廃条約の実施に向けて −私見−」と題する講演を行ったパトリック・ソーンベリーさん(英国キール大学教授・国連人種差別撤廃委員会委員)は、人種差別撤廃条約の目的は、「差別を被っている個人やコミュニティーをエンパワーし、他者からの支配を脱して自らの生活を自らがコントロールできるようにする」ことであるとの考えを強調した。以下に講演の要旨を紹介する。

人種差別撤廃条約−数々の国際人権条約で構成される家族の一員

人種差別撤廃条約の締約国政府には、条約に規定された基準を守る義務が生じる。

この条約は、何もないところから出現したのではない。国際社会が明確に非差別の原則を確認したのは、国連憲章においてである。人種差別撤廃条約の前文では、国連憲章、世界人権宣言、1960年の植民地及びその人民に対する独立の付与に関する宣言が言及されている。

条約が出来た当初、条約の主要な関心は植民地主義やアパルトヘイトとの闘いにあると解釈されていた。そのため、条約は締約国の国内問題ではなく、外交政策を扱っているのだという誤解が一部の締約国政府の間で生じた。今日では、人種差別はあらゆる国において存在するという、以前より前進した理解が共有されている。

人種差別撤廃委員会が条約の解釈を示す際には、ILO条約など関連する他の条約が参照されている。

ここで強調したいことは、人種差撤廃条約の解釈は、真空で行われるのではなく、国際法の進展の影響を受け、委員会は、条約のよりよい理解に向けて、そのような進展を肯定的に取り込む立場にあるということだ。人種差別撤廃条約は、数々の国際人権条約で構成される家族の一員なのだ。

条約中の用語をめぐって 〜人種、世系(descent)〜

 条約は、人種差別の定義をしているが、「人種(race)」という用語の定義はしていない。そのため、委員会が、「人種」という概念をもって活動することには、困難がある。実際、委員会は条約第1条の他の要素に重きをおいている。また、「人種」という用語が議論を起こしやすいことを考慮し、民族的出身や先住民族という要素に注意を傾けている。

 条約第1条における人種差別の定義の中に、「世系(descent)」という用語が含まれ、この用語についても議論が分かれている。多くのコメンテーターが、「世系(descent)」という用語に、カーストが含まれるという結論を出しており、人種差別撤廃委員会も同様の見解を示している。

 日本政府による定期報告書を審査した際に委員会は、条約で規定されている人種差別について、日本政府と異なる解釈をとることを言明し、条約第5条に規定された権利が被差別部落出身者を含む全ての集団に保障されるよう、日本国政府に勧告した。これを受けて、日本政府は委員会に反論を提出した。今年の8月に、「世系(descent)」という用語の意味を明確にする会議が開催される。会議後には、関係国がとるべき政策を示した一般的勧告が出されることが予想される。

条約の特徴

条約第1条の人種差別の定義において注意をよびかけたいのは、意図がなかったとしても、他人の人権に影響を及ぼす効果を有する、人種、皮膚の色等に基づく区別、排除、制限等は人種差別に該当するという点である。

特別措置の概念について簡単に触れておきたい。特別措置については条約第1条第4項と第2条第2項に規定があり、それらの条件にあてはまる場合には、不利益を被っている集団に対する特別措置は選択的なものではなく、締約国が必然的に取り組むべきものであり、責務であると考える。

条約第3条は、人種隔離とアパルトヘイトの禁止を謳っている。委員会は、これが南アフリカの状況に限定されるのではなく、例えば大都市における、非公式な住居の隔離にもあてはまること、関係国はその隔離による好ましくない影響の廃絶に努めるべきであることを主張してきた。

条約第4条は、憎悪発言と人種主義的組織に対する厳しい条項である。委員会は、憎悪発言は表現の自由の原則によって守られるものではないとの考えを示している。

条約第5条は多くの項を含む長い条項で、そこには、市民的・政治的権利のみならず、経済的・社会的・文化的権利が保障されていることに注意を促したい。委員会は、住宅、教育、福利厚生面における集団間の差異に懸念を表している。

第6条と第7条はそれぞれ、救済と教育に関する規定である。人種差別を刑法で禁止し、加害者を処罰するだけでは十分ではなく、賠償も必要だと考える。反人種主義の教育を全ての国で行う必要性が認識されてきており、とりわけ重要な条項だ。

条約実施のシステム

条約実施のメカニズムで重要なのは、締約国政府が条約実施状況に関するレポートを提出し、委員会がそれを審査する過程で、締約国政府との建設的対話を通じ、勧告をまとめる点だろう。NGOから提供される、信頼度の高い情報はこの過程に大きな貢献をしている。委員会は、締約国政府に説教をする立場にはなく、条約のよりよい理解と実施のために締約国政府を援助するために存在する。

条約の究極の目的は、差別を被っている個人やコミュニティーをエンパワーし、他者からの支配を脱して自らの生活を自らがコントロールできるようにすることであると私は考えている。被差別集団をエンパワーすることがこの条約の本質であり、条約の底流にある哲学ではないだろうか。

(小西 裕美子)