はじめに
教育改革のひとつのキーワードとして「開かれた学校づくり」が進められています。しかし一方で、どういうふうに学校を開けばいいのかという戸惑いが学校現場にはあるようです。「開かれた学校づくり」の取組は各地でさまざまな進み方をしており、先進事例は全国にたくさんあります。しかし、府県単位で「開かれた学校づくり」を進め、学校と地域がともに手を携えて子育てや教育のことを考えていこうとしているのは、大阪が最も典型的だと思いますので、今日は大阪の事例についてお話します。
とくに、教育コミュニティづくりを学校と地域がともに進めるために「地域教育協議会」という具体的な組織が大阪府下の全中学校区に一昨年度から設置されています。この地域教育協議会の設置に伴い、学校と地域の関係にこれまでとは違ったものが現れてきていますので、それを紹介できればと思います。
その前に私が最近注目している取組・実践がありますので、そのことについて少しお話をしておきたいと思います。松原市の布忍小学校の取組です。
大切な保護者参加の取組 〜松原市布忍小学校の実践から〜
布忍小学校では数年前からタウン・ワークスという人権総合学習に取り組んでいます。私がとくに注目しているのは、2,3年前からこのタウン・ワークスの中に、保護者の参加を積極的に求め、進めるようになってきたことです。
たとえば、ゲストティーチャーとして外国人の方や障害者の方、同和地区の方に話を聞くときに、子どもだけではなくて保護者も一緒に話を聞く、職業体験学習や老人ホームでの体験学習に子どもが行くとき、保護者が付き添いとして参加する等、さまざまな学校主催のイベント等に保護者の参加する機会が年を追うごとに増え、活動への姿勢・積極性も見えてきています。
保護者の中から、「布忍小学校は同和教育・人権教育ばっかりやっていると思っていたけれども、子どもたちが受けている授業を自分も実際に体験してみて、これは子どもにとって大切な教育なんだと思うようになった」というような発言が出てくるようになってきました。同和地区と地区外の保護者同士の間での交流もこのタウン・ワークスへの参加を通じて見られるようになってきています。
この保護者の参加という形の中に、これまでの同和教育・人権教育とは違うものが現れてきている、追求されてきているのではないかと私は思います。子ども対象にしてきたものを大人にまで広げ、学校でおこなっていることを理解する大人を増やしていき、学校の取組を学校の壁の中だけではなく、地域にも輪を広げ、学校の味方を一人でも多くつくっていく取組だと思います。
同和教育・人権教育だけではなく、環境教育や福祉教育等においても、これから21世紀の学校にとってはこういう手法が非常に大事だと思います。学校の活動を理解・支援してくれる人を増やし、学校の教育活動が家庭・地域で波紋を広げていくような教育を目指さなければならないと思います。
学校が進む方向と家庭・地域が進む方向ができるだけ同じ方向を向くことによって二つの合力になって大きな力になっていく、そういう力の合成、合力を作り出すために地域教育協議会という学校と地域を結ぶための組織、つなぐための組織を作り出しました。
大阪府地域教育脅威議会の取組
大阪府で実際に施策化されたのは一昨年(2000年)です。大阪府下には、大阪市内を除くと334の中学校区があります。その334の中学校区全部に学校と地域をつなぐための組織を作ることが施策化されています。今年中には、334の中学校区全部に地域教育協議会が設置されます。
これまで作られた250の実態を見ると、正直なところ250全部が全部、力を合わせたような活動を進めているのかというと、まだそこまではいっていない。ただ、そのうちの一割は、これまでとは違う学校と地域の関係が作られてきており、学校の活動も地域の活動も非常に活性化してきています。
その一割を追うような形で、後の一割が徐々に活動をはじめつつあります。25〜50ぐらいの学校が大阪府下で活動を始めています。これだけでもすごいことだと私は思いますが、実際に活動を始めるところが3割ぐらいになってくると状況は大きく変わっていくでしょう。3割ぐらいの組織が活動し始めると、活動していない後の組織は少数派のように見えてきて、一挙に全体状況が変わってくるだろうと思っています。
和泉市北池田中学校でおこったこと
数年前になりますが、ある中学校の報告を聞いて、学校と地域が実際に協力し始めた、ともに取り組み始めたなということを実感しました。大阪の南にある和泉市にある北池田中学校がある事件をきっかけに変わり始めるという報告です。
北池田中学校では長崎に修学旅行に行き、被爆の語り部さんの一人芝居を見学することになっていましたが、会場に子どもたちが入ってきたときからざわざわしていました。芝居がはじまって5分も経たないうちに「おもろないのう、帰ろうぜ」という声が子どもたちの中から出てくる。そのうちに「やめろ、おもろないわ、帰れ!」という野次を飛ばすようになり、なめていた飴やガムを投げつけるということが起こります。語り部さんは、こんな状況では芝居を続けられないと途中でやめてしまいます。そのことを全国紙三紙ほどが取り上げて伝えるわけです。大阪の公立中学校の生徒がこんな事件を起こしたという記事でした。
子どもたちが修学旅行から帰ってくるその日に保護者全員を体育館に集めて説明会を開きます。その説明会のときに、「学校で子どもたちはどんなことをやっているのか、全部言ってくれ」ということを保護者が要求します。学校も、ここに至って隠すことはできないということで、学校で起こっていること、生徒同士の暴力事件とか授業中に子どもが飛び出していくこと、窓ガラスが一週間に何枚割られる、消火器が撒き散らされる等々、学校の中で起こっていることを情報公開する形で説明するわけです。
その説明を聞いたとき、保護者の中からため息や驚きの声があがったとのことです。「教師は給料もらっているのに子どもたちにどんな指導をしているのか?」というきつい学校批判・教師批判をする保護者も何人かはいたらしいですが、多くの親たちは「今日の説明を聞いて驚いたけれども、こういう状態になるまで学校まかせにしていた親・家庭の責任もある」という受け止めで、「こんな事件が起こってからでは遅いのかもしれないが、今からでも学校と家庭が力を合わせて子どもたちの状態をよくしていこうじゃないか、できることならなんでもやっていこうじゃないか」という話し合いの方向になっていくのです。
そのころから、学校と家庭・地域が一緒に取り組むいろんな活動がおこなわれていきます。報告していた教師の話では、地域と協働して学校改革に取り組む中で、みるみる子どもたちの様子が変わっていったということです。
この北池田中学校の報告を聞いて、このことが大事なのではないかと思いました。学校は学校で一生懸命取り組んでいるけれども、いじめや不登校・学級崩壊等をなかなか解決できない。やはり、地域に助けを求め、地域とともに取り組んでいくことが大切なのではないか。そのための条件・仕組みとして、地域教育協議会という学校と地域をつなぐ、橋渡しをするための組織を考えたのです。
北池田中学校の報告を聞いた後、いろんなところから同じような取組が報告されましたし、私の耳に入ってきました。もうひとつ松原二中という中学校の取組を紹介したいと思います。
地域との協働で「子どもが変わる」〜松原二中の取組〜
6年前まで松原二中には20数人の不登校生がいました。一人の地域の青少年指導員の方(当時60歳前後の方ですが)が校区内のパトロールをしていると、明らかに学校で授業がおこなわれている時間帯に、5,6人の中学生がたむろし、自転車で走り回っている。「この子たち、授業にも出ないで何をしているのだろう」と思っていたらしいのです。そういう子どもたちを見かけると「こんにちは」「君らは学校行っていないのか?」と根気強く声をかけていっているうちに、向こうのほうからも「こんにちは」という返事が返ってくるようになり、だんだん気軽に話できるようになる。「どうせ学校に行かないのなら、おっちゃんのうちに遊びに来るか?」と誘いかけたら、素直についてきたというんです。
こうして友達が友達を連れてくるという形で、その青少年指導員の人の家は不登校生の溜まり場みたいになり、多いときには20数人の子どもたちが出入りしていたそうです。話し相手になってみたり、時にはトラブルを解決する手助けをしてやったり、ほかの青少年指導員や地域の人にも協力してもらいながら、子どもたちの世話をしていたのですが、学校のほうはそのことをしばらく知らなかったのです。
というのは、教師たちも学校の中で起こることだけでへとへとになっており、学校の外で子どもたちがどんな状態なのかまでわからなかったのです。ところが、小学校の教頭さんが「あんたところの生徒たちが世話になっている人が地域におるから、一回挨拶に行っておいたほうがいいよ」といってくれる。早速、教頭と生徒指導がお礼にいき「いつもうちの生徒たちがお世話になっています」ということから始まるのですが、「学校の“荒れ”を克服するために一緒に力をあわせてやりましょう」ということになっていくわけです。
二つの歯車はそれまでは別々に回っているわけですが、このころからひとつかみ合い、ふたつかみ合うように協働の手を取り合った活動が始められていくことになります。この結果、松原二中は3年後に不登校生をかなりゼロに近いところまで減らすことができるようになりました。
この不登校生に対する取組がおこなわれたほぼ同じ時期に校区フェスティバル(学校を場所にした地域のお祭り)が始まります。松原二中校区は九州や四国等の地方出身の方が作った庶民的な町なのですが、町全体がまとまるようなことはそれまであまりなかったのです。「地域全体の人が集まれるようなお祭りってやってみたいなあ」ということで、校区フェスタ実行委員会というものを作ります。地域のいろんな団体のPTAから町内会、婦人会、子ども会等、いろんな団体の代表の方に出てもらいまして、80人ぐらいでフェスティバル実行委員会を作るのです。
その当時、不登校生が20数人、学校の中でもいろんなことが起こる、そういう状態ですので、地域の人たちが集まったフェスティバル実行委員会の中で学校に対する批判が出てくるわけです。教師は最初「すみません、一生懸命やっているのですが、なかなか効果があがりませんで・・・」というようにあやまっていたわけですが、何人かにそうあやまっているうちに「これは謝っているだけではすまない」と思い、学校で起こっていることを地域の人たちに話して聞かせるようになっていくわけです。
それを聞いた地域の人たちは、「ええ!そうか、今の中学生ってそんなんか、中学校の中ってそんなふうになっているのか・・・」と、ちょっと驚きの反応だったようです。多くの人たちが、「そんなんだったら、学校の教師だけではなんともならんやろう、わしらがやれることならなんでも言ってや!一緒に汗流すから」いう反応が返ってきたのです。
実行委員会の人たちの「やれることやったら何でも言ってや」という声を聞き、教師から「実は子どもたちに職業体験をさせたいと思っているのですが・・・」ということを切り出すのです。すると、商店街の代表できていた人が、「うちの商店街30件ぐらいあるがな、わしが一軒ずつ頼みにいったるから、30人ぐらいいけるで!」と。
こうして、フェスティバル実行委員会の人たちを中心にして職業体験をする事業所を地域の人たちが見つけてくれて、だいたい30箇所ぐらいあがってきたそうです。それに学校が開拓した保育所・病院・警察などを合わせて40箇所ぐらいのところで職業体験学習がおこなわれる、こんな形で二中校区では地域の協力を得ながら職業体験が進められてきているわけです。
6年前に不登校対策で学校と地域が力を合わせていく体制が出来、それから校区フェスティバルが実施され、職業体験が実施される。このころから学校と地域にあった大きな壁に風穴が開き風通しがよくなり、学校と地域の交流がそれまでと違ったものになっていく。
スクールボランティアやゲストティーチャーという形でいろんな人が学校に来て子どもたちにいろんなことを教え、いろんなことを一緒にするようになっていく。また、職業体験学習という形で校区内にもでかけていき、あるいは社会貢献体験ということで子どもが保育体験や老人ホームの介護体験等をするようになっていく。こうして二中校区では大人と子どもとのふれあいが以前と比べるとずいぶん多くなっていきました。
そんな中で、「子どもが変わってきた」「学校が変わってきた」という実感を教師も地域の人も持つようになったのです。私が一番印象に残っているのは、教師が「授業が成り立つようになってきた」と感想を述べたことです。それまでは授業が成り立たなかったのです。教師が教壇に立って一生懸命授業をしていてもペチャペチャしゃべる子どもたちがいる。中には寝たふりをしている子どもたちが二人、三人といる、勝手に授業を飛び出す生徒がいる…。「6年前までは授業をやってすごく疲れた、50分の授業をやって本当に子どもたちにこのことを教えられたという達成感が得られるような授業はなかった、非常にむなしい、自分の努力が空回りしている授業が多くて、授業をしていて疲れた」というのです。
しかし、6年前にフェスティバル等を境にして地域との交流が増えていく中で、しゃべっている子どもが話をやめて教師の言うことを聞くようになっていく、寝たふりをしていた子どもが顔を上げて話を聞くようになってくる、授業を勝手にとび出す生徒もいなくなってくる、授業が成り立つようになってくる、こういうことがあったらしいのです。
なぜこんなことが起こるのか、ある調査結果をご紹介します。
深刻な「規範意識の低下」〜大人の権威を認めない子どもたち〜
日本とアメリカ、中国の高校生に規範意識の調査をしたものです。「してはいけないこと」について、「どう思うか」ということを聞いています。日本の高校生は「先生に反抗すること」79%、「親に反抗すること」84.7%、つまり8割前後が「本人の自由でよい」本人の勝手だと答えています。逆に言うと2割程度しか「これはしてはいけない、悪いことだ」とは思っていないということです。ところが、アメリカ、中国は「本人の自由でよい」というのは、だいたい15%です。85%ぐらいは、これは「してはいけない悪いことだ」と考えているのです。
日本では、こういう親とか教師、すなわち大人の権威を認めないという風潮が顕著に現れてきています。大人の権威を認めないということは、大人の中に自分たちが学ぶべきものがあるというまなざしで子どもたちが大人たちを見なくなってきたということです。子どもが大人から学ぼうとしなくなっているということです。大人に対するこういう子どものまなざしがある以上、家庭でも学校でも地域社会全体でも教育というものが非常に難しくなるわけです。この「大人の権威を子どもたちが認めない」という風潮は、年々日本では深刻になってきているのです。
また、別の資料では、「親のいいつけに従わないことをどう思うか」という質問に対して1979年に「絶対してはいけない」と答えた割合は、日本では43,3%、ところがアメリカは72%です。この時点ですでに日本とアメリカで開きがありますが、これが1986年になると日本は29.1%に下がります。アメリカは73.2%であまり変わりません。日本はあきらかに「絶対してはいけない」と答える生徒の割合が減っているわけです。
「先生のいうことに従わないことをどうどう思うか」という質問に対して「絶対してはいけない」と答える生徒の割合は、日本では1979年が51.7%、アメリカ68.5%であったのが、1986年には日本39.1%、アメリカ73.0%です。アメリカは86年のほうが「絶対してはいけない」という数字は上がっているのですが、日本は明らかに下がっています。
価値ある大人の生き方と子どもを出会わせよう
このように、日本では年々、大人を尊敬するとか大人の権威を認める子どもの割合が減ってきており、教育が非常に難しい状況になってきているのですが、なぜ、「大人を尊敬しない、大人から学ぼうとしない」子どもたちがこんなに増えてくるのかということです。
いろんな原因が考えられますが、私は最大の原因は子どもたちが生の大人たちと触れ合う機会が少ないからだと思うのです。確かに、毎日親とは顔を合わすでしょう。学校では教師と月曜から金曜まで顔を合わせているかもしれませんが、それ以外の大人の人たちと触れ合い、その大人がどういう人間であるのか、どういう生き方をした人であるのかというそういう触れ合う機会が本当に少ないわけです。
大人の中にある宝もの、知識や技術や体験や技や芸というものと触れ合うことによって、子どもたちは「大人の人たちは自分たちが学びとらなければならない何か大切なものを持っている」と思うようになっていくのです。このことが先ほどの授業中の子どもたちの態度の変化になって現れているのではないかと思います。「子どもが変わった、学校が変わった」という報告があがってくる学校では、こういう大人の価値との出会い、大人の価値を発見するような機会を意識的に作り出しているのだと思います。
「子育て」を軸に地域でつながりを
地域教育協議会の取組の一つのセールスポイントは、0歳から15歳までを一貫した連続した過程として地域が責任を持って見守っていこうという点です。中学校でおこっていることは小学校に根があり、小学校で起こっていることは就学前に根があり、家庭に根があるという形で、0歳から15歳までの子どもの育ち・発達・成長を地域で責任を持って見ていこうという点です。
そこで、これまでにはなかったいろんな取組がおこなわれているわけですが、そのうちの一つは、若い保護者たちのつながりを作る活動に積極的に取り組み始めているところが出てきている点です。わたしはこのことが非常に大事だと思うのです。
いま日本社会の中で子育て文化とか教育文化というものが非常に危機的な状況にあります。家庭の中の教育が空洞化しつつある、あるいは子育てについて家庭の責任、親の責任意識が希薄化しつつあるということです。若い親の層では、子どもの教育,子育てを学校まかせにする傾向が見られ、家庭で責任を持たなければならないという意識の希薄化が明らかに出てきています。しかし、わたしは個々の家庭が責任を持つ、個々の保護者が責任を持つということを強調するだけではだめだろうと思います。多くの親は何とかしたいと思っているけれどできない、どうやったらいいかわからない状況に置かれて、ずるずる子育てが悪くなる、子どもの教育が悪くなるという状況に置かれているわけで、その人たちがどうすればいいのかという具体的な手だてがわかる条件、仕組みを作らなければならないのです。
いま、若い保護者たちに大事なのは、子育てや教育のことで悩んでいることを気軽に相談できるような場所であったり,同じ悩みを持っているものたちが一緒に集まって話ができる場所であったり、離婚して一人で子どもを育てなければならない人であれば、子育てをしながら再就職のための職業訓練を受けられるような場所を教えてくれるようなところではないでしょうか。そういう場所を具体的に提供していかなければならないと思います。
地域教育協議会の活動に取り組んでいるいくつかのところで、このような若い保護者のためのつながりを目的にした活動に取り組み始めています。たとえば、幼稚園や保育所を(特に土曜日に)開放し「子育てサークル」や「子育て学習会」を開いて若い母親・父親たちがつながっていけるような場を作り出しています。
「縦のつながり」こそ地域の強み
こういう若い親たちを対象にした活動が盛んになってきている一方で、小学生と中学生が一緒に取り組む活動、あるいは中学生が就学前の幼稚園や保育所の子どもと一緒に活動するといった年齢の縦のつながりを作り出すような活動が積極的に行なわれるようになってきています。これまでは、幼稚園は幼稚園,小学校は小学校、中学校は中学校と、一緒に活動するようなことはなかなかなかったわけです。ところが、総合的な学習などを通じて中学生と小学生が一緒に活動する、そんな中でかつて子どもたちの中にあった「あこがれる、あこがれられる」関係「導く、導かれる」「頼る、頼られる」関係が、新たに作り出されつつあります。
私は年齢の縦のつながりを作ることは非常に大事なことだと思います。
活躍が期待される「学校応援団」
もう一つ非常に特徴的なのは、大阪府下ではこの2、3年の間に学校応援団という組織が数多く生まれてきていることです。「学校のためだったら何でもやるよ!」と組織化され、サポータークラブやボランティアクラブ、「やったろう会」、親父クラブと、様々な名称で呼ばれています。学校が必要とすることだったら何でもやりますよという形で組織されてきたこれらの団体が、ここ2,3年で数えたらきりがないほどたくさん生まれてきています。
やっている活動は例えば、校区内のパトロールであったり、通学途中の子どもたちを見守る役であったり、校門の前で立って「おはよう」と声掛けをする役であったり、図書活動、学校内の花壇を手入れする役割であったりと、いろんなことをやっています。
私がなぜ、この学校応援団に注目するかといえば、これまでの教育に関わる地域活動(子ども会活動やPTAなど)では、役員になるのに自分から手を挙げる人はほとんどいなかったのではないかと思うからです。だいたいが「順番が回ってきたから」とか「もう頼み倒されて仕方なく引き受けた、1年だけですよ」という感じで、1年でだいたい変わっていってしまう。そういう従来の地域の教育活動では自主性とか自分が責任を持ってという意識が非常に弱かったわけですが、この学校応援団の組織は、自分から手を挙げて入ってくるわけです。「自分もやりたいことがあるから入れてください!」と。
何か特技があるというのではなくて、子どもたちのために何かをしたいという思いが実現できるような仕組みを作っていく、それを学校が受け入れていく、そのことが大事ではないかと思います。学校応援団では、地域の人たちが自分たちで子どもたちのためにできることがあれば何かをしようという責任と主体性と自覚のもとに作られてきている。これは非常に注目すべきことだと思います。
学校を核にしてコミュニティの再構築を
学校と地域がつながり一緒に活動する、これが教育コミュニティづくりということの意味なのですが、どうしてこれが大事なのかについてまとめ的な話をしておきます。
<1>コミュニティの再発見
まず一つは、子どもの成長や発達にとってコミュニティが非常に重要な意味を持っているということです。「コミュニティの再発見」というのは世界的な規模で起こっており、アメリカでもヨーロッパでもコミュニティがすごく大事だと論議されています。
少し専門的な話になりますが、我々の教育社会学の分野では、文化資本という言葉がこの20年ぐらいよく使われていました。「子どもが学力をつける、学歴をつける、出世していくためには、文化資本が大事ですよ」「それぞれの家庭にどれだけの文化資本があるかによって子どもがどれだけの学力を達成できるか、どれだけの学歴が身につけられるかというのが決まってきます」「文化資本をそれぞれの家庭に蓄積しましょう」…というストーリーが語られてきたのです。
しかし最近は、個々の家庭の文化資本に変わって社会資本(地域における人と人の信頼関係、相互扶助・支え合い等々)の方が大事だと言われるようになりました。
例えば、親が高学歴で所得も比較的高い人たちが住んでいるが、家庭同士のつながりはほとんどない地域があります。そういう家庭では、順調に営まれている場合はいいのですが、何かの事情で夫婦が離婚するとか父親に収入がなくなるような事態に追いこまれた場合、一挙に文化資本が低下してしまうような場合もあります。
ところが母子家庭が多いような地域社会でも、お互いのつながりがあり、助け合うような関係のあるところでは、一つ一つの家庭の文化資本は弱いけれどもコミュニティ全体の社会資本は非常に高いのです。その中では、子どもは健全な成長を遂げていくことができると言われています。そういう意味で、地域のつながり、地域の中での社会資本というものは子どもの成長や発達にとって非常に大きな有形無形の影響力を及ぼしていると考えられます。
このことを学校がもっと自覚すべきだとわたしは思うのです。地域づくりのために何ができるのかということをもっと学校は考えるべきだ、学校ができることってたくさんあるだろうと思うのです。地域づくりに貢献する立場に立ってこれからの学校づくりを考えていくことが大事ではないかと思います。
<2>縦のつながりを大切に
二つ目は、ある地域社会がコミュニティであると言えるかどうかは、年齢の縦のつながりと世代の縦のつながりがあるかどうか、これが一番大事なのです。多くの地域社会では、同じ青年層は青年層、主婦層は主婦層、お年よりはお年よりの層…と横のつながりはあっても縦のつながりがほとんどないところが多い。そういうところはコミュニティとは言えない。学校という場にいろんな世代の人たちが参加することによって「年齢のたてのつながり」「世代の縦のつながり」ができていく、学校というのはそのための最適な場なのです。
<3>学校の求心力の活用を
三つ目は、学校というのは人をひきつける力をいまだに持っているということです。学校に対する批判や不信感はありますが、学校というところは子どもにせよ大人にせよ、地域の人を惹きつける力を持っているのです。
ある校区で2年前から「子ども広場」という活動を土曜日に実施しています。学校が休みの土曜日にいくつかの遊びのコースを設けて子どもたちに選ばせて参加させる活動を始めたそうです。そうするとその400人あまりの学校の子どもたちの半分以上が、毎回「子ども広場」に参加するのです。学校でやるとこれだけの子どもたちが来る、情報の伝わり方も非常に幅広く伝わっていく。学校というところは人をひきつける力、いい言葉ではないかもしれませんが、集客力を持っている。だから、地域で行うような活動をもっと学校という場でやっていく意味はあるだろうと思います。
<4>学校は社会の鏡・プリズム
4点目に、学校というのは社会問題を映し出す鏡やプリズムというところがあることです。地域の中にあるさまざまな問題が、子どもの問題となって具体的に現れてくる。貧困状態にある家庭では、それが子どものいろんな問題となって現れてくる、あるいは家庭崩壊状態にあれば、その影響は子どもに現れてくる。学校というものを通じて地域の中にどんな問題があるのかということがよくわかってくるのです。
学校は、そのような社会問題を映し出す鏡あるいはプリズムであるという発想に立って、様々な社会的なサービス(福祉に対するサービス、医療や保健・健康に対するサービス、職業訓練とか生涯学習,レクリエーション等のいろんなサービス)を学校という場で統合して地域に提供していったらどうかという発想が生まれてきています。このような動きはアメリカやヨーロッパで出てきているわけですが、「フルサービス教育」と呼ばれています。学校という場にいろんな社会的なサービスを集結して学校の場でいろんなサービスを受けられるようにしていきましょうという考え方です。
日本でも地域の中でいろんな社会問題が起こってきています。貧困の問題、福祉の問題,児童の問題もいろいろありますが、そういう問題を学校という場を通じて解決していくという手法がこれから考えられるべきではないかと思います。
学校は、校区という一つの地域的な単位でいっしょに考えていく、そういうスタンスがこれから必要になってくるのではないかと思います。