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第234回国際人権規約連続学習会(2002年11月25日)
世人大ニュースNo.244 2002年12月10日号より
ドイツおよびヨーロッパにおけるスィンティ・ロマに対するマイノリティ保護

報告者:ジャック・デルフェルドさん
(ドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会副委員長)

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スィンティとロマの歴史

 今回お伝えしたいのはドイツにおけるスィンティとロマの置かれている状況、そしてヨーロッパの広い範囲で見られるロマの憂慮すべき現状についてである。それを話す前提として、スィンティとロマの歴史を少し述べたいと思う。 

何百年にも渡り、スィンティとロマはヨーロッパに暮らしてきており、いくつかの国では古くから定住者として歴史的にも重要な位置を占めてきた。  

ドイツにおいてスィンティ・ロマは600年も前からこの国を故郷として暮らしてきており、1995年にドイツに暮らす7万人のスィンティ・ロマは国内少数民族として公式に認知された。私たちスィンティ・ロマは家庭内ではドイツ語とともに二つ目の母語として、私たち固有の少数民族言語であるロマニ語を使っている。

「ツィゴイナー(英語では「ジプシー」)」という言い方の起源は中世にさかのぼるが、これは否定的に使われる言い方であり、少数民族は差別的なものとしてその呼称を拒否している。正しい呼称として私たちは「スィンティ」と「ロマ」と自らを名乗っている。「スィンティ」とは中世後期以降にドイツも含めた中部ヨーロッパに定住していた少数民族の人々が自分たちのことをいう呼称で、「ロマ」は南東部ヨーロッパにいた人々が同じように使っていたものである。

ナチスのプロパガンダによる歪められたイメージ

とは違い、1933年にヒトラー率いるナチスが台頭する前までは、スィンティとロマは、ユダヤ人たちと同じようにドイツの社会的生活や地域のつながりの中に溶け込んでいた。第一次世界大戦では多くの人々が帝国軍人として従軍し、高位の勲章を授かった者も少なくはなかった。にもかかわらず、ナチスによって、スィンティとロマはユダヤ人と同様、乳児から老人に至るまで捕らわれ、権利を奪われ、ゲットーへ押し込まれ、最終的には死の収容所へと送られた。ナチス国家はスィンティやロマ、またはユダヤ人に生まれたというだけの理由で、集団的にこれらの人々の生存権を奪ったのである。彼らがどんな行動をし、どんな信条、政治的信念を持っているかは全くお構いなしにである。 

このいわゆる「人種」に基づいた「最終解決」政策は、人類史上のこれまでのすべての迫害パターンとは根本的に異なったものだ。また国家による「ツィゴイナー政策」の単純な連続性をそこに見いだすことも決してできない。むしろホロコーストが意味するものは、マイノリティーとマジョリティー社会の何世紀にもわたる共通の歴史が根本的な転機を迎えたということだ。ナチスによる人種イデオロギーの文脈の中でのみ、私たち少数民族への虐殺が現実のものとなり、またそれは全体主義による支配や、第二次世界大戦のそれまでは思いもしなかった規模での暴力解放という前提があったから可能となった。ナチス支配下のヨーロッパでのホロコースト、すなわち歴史的に類を見ないこの犯罪の犠牲になったスィンティとロマの数は50万人といわれている。そしてそのホロコーストを生き延びた人々は、ドイツ連邦共和国において第二次世界大戦以降も新たな不利益や差別にさらされている。

ヨーロッパでみられるスィンティとロマの現状

 ヨーロッパの国々では、人種主義的暴力が急激に増加しており、それは全てのマイノリティーに向けられている。このことはドイツだけでなく、1989年11月のベルリンの壁崩壊後、経済的・社会的に最も多く変化してきた中部・東部ヨーロッパの国々においてもあてはまる。若い世代において失業者が増え続けており、福祉国家の側面が消えていくなどがあげられ、これらが人種主義と人種差別を引き起こしている。こうしたことが起こるたびに、私たちはとても不安な気持ちになる。なぜならヨーロッパ諸国におけるマイノリティーとマジョリティー間の平和な共生が、大きな危機にさらされていることを意味しているからだ。

 特に暴力的不当行為にさらされているのは、それぞれの故郷に暮らす800〜1000万人のスィンティ・ロマの人々である。この2年間だけに限ってもヨーロッパの国々の極右グループによる暴力と人種主義的事件の増加を示す例を数多く挙げることができる。

30〜50万人のロマが暮らしているチェコでは、人種差別による暴力事件は2000年だけで15%という驚くべき増加を見せており、その多くはロマの人々に向けられたものであった。1989年以降、数百人のチェコ系ロマが人種差別的暴力行為の対象となり、少なくとも10人以上が亡くなっている。可燃物を手にした極右のスキンヘッドたちがロマの住居を襲い、マイノリティーの人々に危害を加えている。また極右の乱暴者たちはより一層暴力的なやり方で住居の中にまで押し入り、住人に重い傷を負わしている。こうした人種差別的暴力行為や国家・司法の無策、そしてロマに対してしばしば見られる劣悪な生活・労働条件といったものが、またしてもこの少数民族の人々が故郷を捨て、海外、西・北欧に避難の場所を見つけるということの要因となっている。

もう一つチェコでの出来事だが、極右の乱暴者が多数のロマを走っている列車から突き落とし、国際的にセンセーションを巻き起こした事件があった。これに対してチェコの裁判所は彼らを無罪とし、判決文では「ロマはインド=ヨーロッパ人種に属する。だとすればこれは我々と同じ人種に属する。故にこの犯罪は人種主義に基づくものではない」となった。 

警察や当局がこのように人種主義的な暴力行為を正当化するのは、決してまれなことではない。またロマとスィンティに対する犯罪の容疑者が司法当局によって罪を問われない事実に対して驚かずにはいられない。

ロマとスィンティは何世紀もそこに住んでいる市民として、社会の多数派の人々と同じようにそれぞれの政府から守られ、援助されることを要求する権利を持っている。しかしこの数年、特にチェコやスロバキアといった東欧諸国では、社会生活へのアクセスに対するロマの参加を妨げているため、今日では高いパーセンテージでロマの人々が失業者になっている。共産主義国家当時のチェコでは、例え常勤でないにしても仕事を探すことは十分に可能だった。しかし今のチェコではロマの70〜80%の人々が職を持っていない。それに加え1989年以降急激に値上がりした家賃が払えないために住んでいた住居を追われるロマの人数がとても増えており、彼らはそれに代わる公営住宅に移住させられた。しかしチェコ政府のある委員会の委員によると、こうした移住は現代の「ゲットー」をつくり出すことにもなっていると言われている。つまりそこではマイノリティーの人々がしばしば劣悪な社会的・衛生的状況での生活を強いられているからだ。これらの集合住宅はロマの子ども、青少年にとって十分な教育環境とはいえず、明らかに職業訓練の機会が失われ、それによって保証されるはずのより高い収入への道も閉ざされてしまう。

私が今紹介したのはチェコの状況だが、それはそのまま中部及び東部ヨーロッパの多くの国々に当てはまる。そのため、各国政府はその責任を果たし、ロマに対して完全な平等化を約束する少数民族保護法を制定しなければならない。

インターネット、報道における差別

 マイノリティーに対する人種主義的な暴力の増加はインターネットの普及が進んだことも要因となっている。電子メディアにおける人種差別的プロパガンダの驚くべき実例として知られているのは、2000年のチェコの例である。明らかにロマに対する暴力を呼びかけるコンピューターゲームがインターネットを通じて販売された。このゲームはロマの居住地を市の残りの地域と分ける壁を築いたチェコの町ウスティ・ナド・ラーベムの状況を忠実に再現しており、いわゆる「白人」たちが武力に頼って他の「非白人」から自分の身を守る内容になっている。そしてゲーム解説書には「良いツィゴイナーとは、唯一死んだツィゴイナーのことだ」と書かれている。

 ドイツでも極右主義者たちはマイノリティーに対して憎悪に満ちたプロパガンダを広めるため、ますますインターネットを利用している。アメリカ国務省のデータによれば、ナチスの思想を堂々と掲載している「チューレ・ホームページ」のような人種差別的なホームページが今日のドイツに約800 あると言われている。ここではスィンティとロマは、窃盗や売春や麻薬の密売によってのみ生活の糧を得ている「さすらいの民」の「ツィゴイナー集団」と見なされており、それはナチスがスィンティ・ロマやユダヤ人たちの追放と絶滅を正当化するために使ってきた人種主義的スローガンと同じである。そしてホロコーストはなかったものとされ、民族虐殺の責任者たちに対してあからさまに味方につく内容が書かれている。これに対して中央委員会は責任者を司法の手によって追及できるようにするため、インターネットのプロバイダに対して全てのホームページの作者を記録するよう要求している。

ジャーナリズムのマイノリティーに対するスキャンダラスな報道にも不安を感じている。私たちは1995〜2000年までに255 件の報道に訴えを起こしてきた。それらの報道で容疑者がどの民族に属しているかが公表されているためだ。こういった報道はマイノリティー対する偏見をかきたて、一方でマイノリティーの一員であることが犯罪者としての刻印を押されるということにもなる。 

中央委員会は数年来、公務員法やメディア法に差別禁止条項を入れることに力を尽くしてきた。日本の部落の人々と同じようにスィンティとロマも何十年にわたって警察の識別リストによって掌握され、犯罪を起こすかもしれない者としてひとまとめにされていた。こうしたことに対してドイツはスィンティ・ロマに対するホロコースト、またその結果生じた少数民族に対する責任に基づき、他のヨーロッパ諸国にとっての積極的な手本となる行動を取らなければならないと私は考えている。

また言語についても同様のことが言える。最近ヨーロッパでは少数民族保護の法律が制定されてきて

おり、併せて少数民族の言語も保護されるようになってきている。しかしスィンティ・ロマには他の少数民族言語と同様の保護規定がない。このような不平等な扱いは早急に是正されなければならず、文化の発展の中で人権侵害を受けてきたスィンティ・ロマの言語は他の少数言語とともに認知されなければならない。

反差別法の採択とこれからの課題

 私たちにとって重要な前進として期待されるのは、EUが2000年に平等化指令の中で承認した包括的な反差別法をドイツが採択することである。この中でEUはそれぞれの国のマイノリティーに属す人々が全ての生活領域において差別されることのないように加盟国に指示しており、加えて各加盟国に条項の速やかな実現のための専門的部署の創設も求めている。これによって差別の犠牲者はより訴訟を起こしやすくなり、また金銭的補償の権利を有するようにもなる。

 今後もドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会では、IMADR(反差別国際運動)などと共に国際的にイニシアティブをとることで、各国政府と国際的な国家連合とが、マイノリティーの権利を守るための効果的な歩みを進めていけるよう活動していく。