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提言

「グローバル・コンパクトと日本」
                            
高島 肇久
                                            (前国連広報センター所長)

 国際連合のアナン事務総長がスイス・ダボスの世界経済フォーラムでグローバル・コンパクトを提唱してから、既に二年半が経過した。この間にグローバル・コンパクトは世界四十数カ国に広がって七〇〇社以上が参加表明を行い、このうち一〇〇社以上が約束に従って自社の活動内容を国連に報告している。ところが日本では、参加企業が一社だけという状態が長く続き、最近数社が相次いで参加表明をしたもののその数はなかなか増えない。日本でグローバル・コンパクトへの関心が高まらないことに、国連の担当者は「世界的に名を知られた企業がひしめく経済大国にしては不思議だ」と訝っている。

 無論、第一の原因は日本における国連側のPRの不足があるだろうが、その一方でグローバル・コンパクトが従来の日本的発想とはいささか趣きが異なる要素を含み、これが日本企業の腰を重くしているという指摘もある。企業の社会的責任という考え方が急速に広まりつつあるなかで、グローバル・コンパクトは日本にとってどのような意義を持ち、今後どのような展開を見せる可能性があるかを考えてみたい。

■グローバリゼーションの光と影

 アナン事務総長がグローバル・コンパクトを提唱した一九九九年一月に遡ってみよう。その二年前の一九九七年に、世界はタイのバーツの暴落をきっかけとした経済危機に突入し、アジア、ロシア、ラテンアメリカそして世界全体へと混乱が広がっていった。その後危機は収まったものの、グローバル化した世界経済がいかに脆いものであるかについて様々な角度から議論が交わされるようになり、グローバリゼーションの光と影の問題、つまりグローバル化がもたらす「富める者」と「富まざる者」の格差拡大の問題に注目が集まるようになった。世界各国首脳、ビジネスリーダー、政治家、行政担当者、NGO代表、学者、ジャーナリストが一堂に会して世界が抱える諸問題を一週間以上にわたって議論する「世界経済フォーラム」は、一九九九年一月の会議でグローバル化を如何にマネージし、世界全体に益をもたらすものにするかという問題を取り上げてアナン事務総長に国連としての考えを表明するよう求めた。

 これに対してアナン事務総長は「グローバリゼーションはいまや後戻りできないところに来ている。そのペースはあまりにも速くて社会も政治も変化に追いついていけず、様々な不均衡が生じている。これを放置することは許されない。かつて大恐慌の後に弱者に対するセーフティネットが考えられたように、世界は今、社会的調和と政治的安定を維持するための新たな枠組みを考える必要がある」と述べ、会議に集まった世界の企業経営者に「人権、労働、環境の三分野で世界的に確立された九原則を支持し、実践する」という約束をするよう求めた。何故この三分野か、という点についてアナン事務総長は「これこそビジネスリーダーが実践できる分野であり、しかも、世界人権宣言、ILO基本宣言、一九九二年の地球サミットのリオ宣言という国際的に認められた原則がすでに存在しているからだ。この三つの分野こそ、開かれたグローバル・マーケットと世界貿易のシステムを維持していくうえで様々な深刻な問題を生む可能性が大きい分野だからだ」と説明した。そして最後にアナン事務総長は「我々に与えられた選択肢は、短期の利益だけを追い求めるるグローバル・マーケットか、それとも人間の顔をしたグローバル・マーケットか、のいずれかだ。かたや人類の四分の一が飢え苦しむ世界、かたや全ての人々が健康的な環境のもとで豊かになるチャンスを与えられる世界。かたや敗者や弱者のことを思いやることのない弱肉強食の世界、かたや強者や成功者が責任を自覚しグローバルなビジョンをもってリーダーシップを発揮する世界だ」と述べて、世界のビジネスリーダーの自覚と協力を強く求めた。

 アナン事務総長の狙いは、企業に地球市民としての正しい行動を促し、反グローバリゼーション派の主張、つまり「企業、とりわけ多国籍企業は、途上国で人権の侵害、労働力の搾取、環境の破壊、資源の収奪をすることによって不当な収益を上げ、途上国に害を与えている」という批判に対抗できるような企業を増やしていくこと、また、そうすることによって、グローバリゼーションを途上国にとってもプラスに働くものにしていくという点にあった。

■グローバル・コンパクトの立ち上げ

 グローバル・コンパクトは、二〇〇〇年七月、アナン事務総長のこの考えに賛同した世界の有力企業五〇社の経営者がニューヨークに集まって正式に発足し、スタッフが五人という小さな事務局が国連本部の事務総長室の一角に店開きした。この第一回会合を開く時、国連はいくつかの日本企業に参加を呼びかけたが、集まった五〇社のなかに日本企業はなかった。

 発足にあたってアナン事務総長は、国連諸機関のうち、国連人権高等弁務官事務所(UNHCHR)、国連環境計画(UNEP)、国際労働機関(ILO)をグローバル・コンパクト担当機関に指名し、本部の事務局とともにグローバル・コンパクトの推進にあたるよう指示した(後に国連開発計画〈UNDP〉が参加)。なかでもメアリー・ロビンソン国連人権高等弁務官は発足当初からグローバル・コンパクトに積極的に取り組み、世界各地で企業経営者の会合に出席して参加要請を続けている。その理由をロビンソン高等弁務官は「国連人権高等弁務官として仕事をすればするほど、人権問題の解決は各国政府が国際条約に盛られた人権の規定を守るだけでは駄目で、政府、民間企業、非政府組織(NGO)、国際機関を含めた関係者がパートナーシップを組み、全ての人々の基本的人権が守られるよう取り組んでいかない限り、長続きする結果は得られないことを痛感したからだ」と説明している。

 グローバル・コンパクトは発足後一年で世界各国から二〇〇社を超える参加申し込みがあり、順調な滑り出しを見せた。このうち日本では二〇〇一年一月にキッコーマン株式会社が参加を表明し、国連への活動報告を提出している。同社は、茂木友三郎社長が、グローバル・コンパクト発足当初にこの問題の事務総長特別顧問を務めたジョン・ラギー現ハーバード大学教授から直接勧誘を受け、参加日本企業第一号になったもので、茂木社長は「他に何社も入っておられると思ったが、我が社だけと知って驚いた」とその当時を回顧している。この頃日本では、ラギー特別顧問が来日して企業を訪問したり、佐藤国連大使が企業トップに書簡を送ったりするなど様々な働きかけが行われた。しかし二〇〇二年五月に株式会社リコーが参加表明をするまで事実上動きは止まっていた。その後二〇〇二年五月二一日になって国連は、社団法人・海外事業活動関連協議会(CBCC)の協力を得て東京・大手町の経団連会館ではじめてのグローバル・コンパクト説明会を開き、日本での本格的なPR活動に着手した。この結果、説明会に出席した七三社の多くがグローバル・コンパクトについての検討を始め、このうち数社がすでに正式な参加申請を行っている。

 一方世界を見ると、冒頭で述べたように、これまでに四十数カ国で七〇〇社以上が参加の手続きを済ませ、そのうち一〇〇社以上が、人権、労働、環境の九原則のどれについてどのような活動を行ったかを国連に報告している。またヨーロッパの企業のなかには国連への報告とは別に、人権問題についての詳細な活動報告をパンフレットにまとめ、希望者に配布しているところもある。

■グローバル・コンパクトへの疑問

 日本企業の動きは最近やや活発になったとはいえ、まだ遅いのは何故だろうか。数々の企業の担当の方々と話し合った結果、私自身の印象では、いくつかの共通項があるように思える。

 その一つはグローバル・コンパクトというプログラムそのものへの警戒感である。グローバル・コンパクトはISOなどの認証制度と違って、評価したり、認定したりする仕組みはなく、あくまでも参加企業が自主的に九原則を守るべく努力し、その努力の内容を国連に報告するということだけで成り立っている。罰則はない。この緩やかなところが、きちんとしたことを大切にする日本的思考には違和感を与え、時には「曖昧さの陰に実は厳しい要求が潜んでいるのではないか。裁判を起こされた時には不利に働くのではないか」といった警戒心を引き起こしているように見える。これに対して国連の担当者は「コンパクトという言葉はコントラクト(契約)とプロミス(約束)の間にある緩やかな状態を指している。基準や罰則を設けなかったのは、国によって社会状況や経済状況が異なるなかで、先進国、途上国を問わずできるだけ多くの企業にこのプログラムに参加してもらい、人権、労働、環境面で自主的な努力をしてもらいたいと考えたからだ」と説明している。

 もう一つはこのプログラムに参加することの利点がはっきりしないという点である。たとえどれだけ努力をしても、国連に報告した内容がグローバル・コンパクトのホームページに掲載されるだけで、何の評価も報奨も得られず、手間がかかるだけではないか。それよりも、あらかじめ決められたガイドラインに基づいて自社の努力を判定できるグローバル・リポーティング・イニシアティブ(GRI)や、近くまとまる予定の国際標準化機構(ISO)の「企業が果たすべき社会的責任の新規格」に準拠したほうが良いのではないか、という声を度々聞いた。

 確かにビジネスの世界には、国連のグローバル・コンパクトを含めて社会的責任をめぐるプログラムがいくつもあり、そのなかでグローバル・コンパクトがどのような位置付けにあるかは必ずしもはっきりしない。この点について国連のグローバル・コンパクト事務局では「グローバル・コンパクトは他のプログラムと競合するものではない。参加企業はグローバル・コンパクトを含めて三種類でも四種類でも色々なプログラムを組み合わせて自らの社会的責任を全うしていってほしい。グローバル・コンパクトは世界中の企業が各々リーダーとなってより良い地球市民としての役割を果たすよう期待するもので、お互いがお互いの努力の内容を知り、学びあってこそ効果が一層高まるはずのものだ」と話している。

 更に、日本企業の担当者から「当社は人権、労働基準ではすべきことをしていて、国連に報告するようなことはない。環境問題なら今まさに取り組んでいるところだが、それとてもISO14000シリーズの認定取得で充分だ」という言葉を聞かされることが多い。確かに多くの日本の企業が、職場や雇用の差別撤廃を中心に、人権と労働基準の問題でこれまで多大の努力を払って来たことは国連の関係者の間でも良く知られている。日本の実情に詳しい国連スタッフは「日本では沢山の企業が人権擁護団体が主催する研究会に担当者を派遣するなど、人権問題と熱心に取り組んでいると聞く。これこそ民間企業とNGOの連携ぶりを示す好例だ」と言っている。

 それだけに国連グローバル・コンパクト事務局は、一社でも多くの日本企業がグローバル・コンパクトに参加して、環境問題だけでなく、人権問題や労働基準の問題で、過去どのような努力をして今の状況をつくり上げたか、また企業の社会的責任が世界中で注目され、投資や金融面でもこうした側面が考慮されるようになるなかで、日本企業が今後どのような取り組みをしようとしているかを、世界、とりわけ日本をお手本にしている開発途上国の企業に説明してほしいと願っている。

■これからのグローバル・コンパクト

 グローバル・コンパクトの最初の呼びかけから丁度二年経った二〇〇二年二月、アナン事務総長はニューヨークで開かれた世界経済フォーラムで締めくくりの演説をし次のように述べた。

 「グローバル・コンパクトに参加する企業に対して、単に人権、労働、環境で自らの行いを正すだけでなく、よりよき地球市民として、貧困、疫病、汚染、搾取、弾圧など国際社会が抱える諸問題の解決に向けてそれぞれができる範囲内で積極的に協力してほしい」。

 「我々の住む地球を船に例えれば、六〇億人もの乗客のうち、四〇〜五〇億人の乗客は貧しさのなかで人生の選択肢をほとんど持たず、生き延びることだけで精一杯の状況におかれている。しかもその船はまるで嵐の海にもまれ、方向を失っているように見える。そんななかにあっては誰かが病気をすれば乗客全員が感染する可能性があり、誰かが怒って暴れ出せばけが人が続出する恐れがある。そうした状況にあるにもかかわらず、今、世界の富と権力は、極めて不公平な形で偏在し、あまりにも多くの人々が貧困と困難のなかに置かれている。この現実が、事態をますます深刻なものにしているのだ」。

 アナン事務総長はこう述べて、世界のビジネスリーダーが「グローバリゼーションを万民にとって益のあるものにして世界の貧困問題の解消に役立てる」という国連の取り組みに積極的に参加するよう強く要請した。

 これに応えて、最近、欧米の有力企業や金融機関が、エネルギー、教育、健康、産業振興など様々な分野で、国連諸機関のプロジェクトに協力しながら途上国支援の事業をはじめるようになり、国連のグローバル・コンパクトのホームページでもそうした試みが次々と紹介されている。二〇〇一年九月の同時多発テロ以来、各国の企業の間に「世界の不安定要因がなくならない限り企業活動を安定的に持続させる保証はない」という認識が広まっていることもそうした動きを加速させているようだ。これに伴ってグローバル・コンパクトは、企業に地球市民としての自覚を求めるというところから一段飛躍し、地球社会をより良いものにするために参加企業が創造力を駆使し、リーダーシップを発揮するプラットフォームに向けて大きな進化を遂げつつあるように思う。

 世界中に生産拠点を持ち、世界全体をマーケットとする日本企業が一社でも多くグローバル・コンパクトに参加し、NGO、政府機関、そして国連と手を組んで、真に人間の顔をしたグローバリゼーションの実現のために、知恵と力を貸すようになってほしいという願いが日に日に強まっている。

※編集注 国際連合広報センター所長として七月にご寄稿いただいた高島肇久氏は、八月二日、外務報道官に就任された。

グローバル・コンパクトの9原則

人権

1)国際的に宣言されている人権の保護を支持し尊重する。

2)人権侵害に荷担しない。

労働基準

3)組合結成の自由と団体交渉権を実効あるものにする。

4)あらゆる種類の強制労働を排除する。

5)児童労働を実効的に廃止する。

6)雇用と職業に関する差別を排除する。

環境

7)環境問題の予防的なアプローチを支持する。

8)環境に対して一層の責任を負うためのイニシアチブをとる。

9)環境を守るための技術の開発と普及を促進する。