国連識字の10年を考える
〜これからの識字と成人基礎教育について〜
報告者:上杉 孝實さん
(龍谷大学教授、識字・日本語連絡会代表)
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はじめに
2003年1月1日から「国連識字の10年」が打ち出されていますが、国内ではまだそれに関する行動が見えない状況にあります。日本ユネスコ国内委員会は、「万人のための教育の達成に向けた支援の推進について」という建議を公表しています。この中でも海外支援を主体にしていますが、国内のことはまったく触れられていません。もちろん発展途上国と言われるところに識字状態にない人が多いため、援助も大事ですが、私たちの足元である国内に目を向けることも大事です。それを抜きにしての「国連識字の10年」はないだろうと思います。そういった視点から話を進めていきます。
「国連識字の10年」というと、以前にあったと思う人もいるかと思います。確かに1990年に国際識字年があり、その後の10年の取り組みが期待されました。しかし残念ながら国連挙げての取り組みにはなりませんでした。国内においても大阪のように取り組みが活発に行われたところもありましたが、全体としてみれば地域差があり、全国的に広がったとは言えません。そこで今回は「国連識字の10年」として設定されたのであり、改めて識字を捉え直してみる必要があります。
「国連識字の10年」の前史
今回の「国連識字の10年」は当然1990年の国際識字年を基礎にしていますが、他にも前史はあります。まず97年にドイツのハンブルグでユネスコ国際成人教育会議が開かれました。この会議はほぼ12年ごとに開催されています。特に、85年、学ぶことを権利として明確に打ち出したパリ会議の「学習権宣言」が有名です。教育を受ける権利は、日本国憲法や教育基本法にもありますが、学校教育のようなものを連想してしまいます。教育を「受ける」という表現はやや消極的です。この宣言で「学習をする権利」としたことは意義深いことです。
1997年の会議では、「成人教育に関するハンブルク宣言」が採択されました。ここでは成人識字への取り組みが大きく打ち出され、未来への提起の一つとして識字が挙げられました。また、識字と基礎教育への普遍的権利の保障を謳っています。英語では識字は"literacy"と表現されていますが、それは単に文字の読み書きだけでなく、もっと幅広く基礎的な知識や技術も含んだ言葉として使われています。そのため成人基礎教育という言い方が使われるようになってきました。
現在、識字は十分なコミュニケーション能力も保障するという観点がもたれるようになりました。具体的には、文字を「識字と学習者の社会的・文化的・経済的発展への願い」とつないだ形で識字というものを考えなければならないということです。大人は、生活課題と自分たちの願いをしっかりと位置づけ、その中に、識字を組み込んでいくということが今の課題です。ユネスコはこれを、"functional literacy"といい、「機能的識字」と訳されました。その後、批判的に社会を捉えることも含めるようになり、部落解放運動における識字と同じような観点で進められてきたと言えます。
さらにハンブルグでの未来への提起では、「伝統的でマイノリティである知識や文化との結合による識字プログラムの質の向上、識字環境を豊かにすること」などが謳われています。「マイノリティである知識や文化」とは、それぞれの社会や文化を全く切り離したところで、文字の習得をするのではなく、なじみのある生活文化、生活スタイルと知識とを結びつけて、識字プログラムをいいものにしようということです。
「マイノリティ」は、社会的な勢力の面では、少数者の立場におかれているということで、文字を奪われてきた人が少なくありません。また「マジョリティ」という社会的に勢力を持っている人たちが、少数者に文化を押しつけるということがよくありました。本来文字がなくても文化はあり、差別されるべきではありません。しかし今日の日本社会の中で、文字の習得は欠かせません。文字が読めるということを前提として、すべての仕組みが整っているからです。
2000年にセネガルのダカールで世界教育フォーラムが開かれ、「ダカール行動枠組み」が示されました。ここでは2015年までに成人、特に「女性」の識字率を現状より50%以上向上させることを目指しています。また「全ての成人が基礎教育及び継続教育に対する公正なアクセスを達成すること」が謳われました。
「国連識字の10年」の設定
以上のような前史を経て、2001年12月の国連総会決議で2003年1月1日から始まる10年が「国連識字の10年;万人のための教育」として設定されました。ユネスコがプランを国連総会に提出する形で進められましたが、その中でユネスコ事務局長は、「『万人のための識字』は識字に対する刷新された見方を必要とするもので、それは文化的アイデンティティ、民主的参加と市民権、寛容と他者に対する尊敬、社会開発、平和、進歩をはぐくむといったものである」と明言していました。
このように識字が国連の舞台に上がってきたのですが、日本の動向が不十分であることが気になります。現在ユネスコの事務局長である松浦晃一郎さんは、新聞に「『万人のための教育』を国内ではすでに達成している日本では、それが世界全体で達成されるよう協力する必要がある」と書きました。しかし、その認識でいいのでしょうか。成人、子どもも含めて、本当に達成しているのかと問い直すことが、今日必要ではないでしょうか。文部科学省では、国際教育協力懇談会がつくられていますが、国内ではどのように関係しているのか気になります。また、日本における動向として、日本ユネスコ国内委員会によって「万人のための教育の達成に向けた支援の推進について」という建議がなされています。国際的な支援にもっぱら焦点があたっていますが、国内にももっと目を向けるべきです。
日本における動き
大阪では、国際識字年前の89年から国際識字年大阪連絡会が活動しておりましたが、2002年5月に「識字・日本語連絡会」に改名しました。この名称の中に、「日本語」という言葉が入っているのが特徴です。外国人などで日本語を学ぶことを必要としている人が増えているのです。一方、日本語を話せる人でも文字を習得する機会を奪われてきた人も多いということです。両者にスポットがあたってきたのです。このような組織の活動が「国連識字の10年」の中で行われているのはすばらしいことですが、その取組みが国レベルで行われていません。また日本には識字を推進していくためのセンターというものが皆無でした。大阪の場合、昨年大阪人権センター内に「識字・日本語センター」が開設されました。まだ規模は小さいですが、日本国内の動向を考える上で、このセンター開設は意義のあることです。
また日本の動向を見る上でもうひとつ欠かせないのが、夜間中学の問題です。中学は義務教育ですが、その義務さえ実際に保障されなかった人たちが多くいます。ここは就学年齢時に義務教育を受けられなかった人や、学校に在籍していても長期欠席や不就学だった人、または外国人の人々が義務教育を受ける年齢を過ぎてから基礎教育を受ける場となっています。長い間日本政府は、義務教育を受ける年齢を15歳以下の人とし、成人は社会教育で学べばよいとしていました。解放運動があり、成人が自ら取り組むのに動かされて、自治体も夜間中学校を立ち上げてきました。これに対して日本政府は夜間中学の存在意義を少しずつ認めるようになってきましたが、自治体の問題として済ませています。義務教育の問題なのだから、本来は国がバックアップして推進していくべきです。先日、全国夜間中学校研究会では、日弁連に人権救済の申立てをすることが正式に決まりました。これによって政府がすぐに動くかどうかは別としても、日弁連がこの人権救済申立てを受けて、何らかの動きを示すということは、多くの人にこの問題を知らせることになり、国会や政府を動かしていく上で大きな意味があるといえます。
識字をめぐる問題
識字をめぐる問題として、まず国連の「人権教育の10年」との関連が重要です。文字を獲得しなければ今日では,権利は守られないようになっているからです。また成人基礎教育の中に、単に文字の習得だけでなく、欧米のように日常的・職業的なさまざまな基礎知識・技術の習得を含めて発展させることも大きな課題となっています。また「他言語を話す人のための日本語」も重要です。これは、日本語を話せない、文字を習得できていない外国人を日本人と同化させるのではなく、相手の言語や文化を尊重し、日本語を第2の他の言語として学ぶ機会を提供する必要があるということです。大阪では、日本語について知識を提供する人を、講師ではなく、パートナーと呼んでいます。また学習者の参画も大切で識字プログラムにもそれが見られます。つまり、学習者自身が自分たちに必要なものを作り上げていくことが大きな課題となっています。民族教育・多文化共生教育との関係も重要です。日本文化に同化させるのではなく、その人たちの文化的アイデンティティを大切にし、民族の文化を尊重する学習でなければなりません。その人が知識や技術を提供する側に立つことも大事ということです。またどこで学べるのかということについての情報提供の方法をもっと考えていかなければなりません。
「国連識字の10年」のこれから
世界には1億人以上の子どもが初等教育を受けられず、少なくともそこに6千万人以上の女子が含まれています。また9億6千万人以上の成人が非識字者で、その3分の2が女性である、と90年の「万人のための教育世界宣言」でいわれています。
2002年「国連識字の10年の起草提案と計画」では、「およそ8億8千万人の非識字状態の青年と成人、1億1千3百万人の未就学の子どもがいる。成人非識字者の3分の2と未就学の子どもの60%が女性である」といわれています。90年に比べ、この間の取り組みの成果がないとは言えませんが、今日も厳しい状況下にあるといえます。また、「『万人のための教育』のもとで、90年以後の変化を2000年まででみると初等学校就学の子どもは8千2百万人増加。発展途上国の初等学校就学率は平均80%以上。1990年に比べ1998年には4千4百万人多くの女子が初等学校に就学。成人の識字率は男性で85%、女性で74%まで上昇したが、非識字率を1990年の半分に減らすという目標からはほど遠い。」と報告されています。
日本での具体的数値は出されていませんが、義務教育未修了者は全国に推定百数十万人いるといわれ、大阪で識字・日本語を現に学んでいる人は6000人以上といわれています。これに対して例えば公立夜間中学校は全国で8都道府県に35校しかありません。
日本で「国連識字の10年」を考えていくには、こうした足元から見直していかなければなりません。識字を進めていく上で重要なことは、1)ジェンダーに敏感になること、2)健康、産業と結びつけること、3)母語に配慮した教材が必要ということで、成人教育を含む教育がどう位置づけられでいるのかということです。これらを考えて識字学習につなげていく必要があります。
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質 疑 応 答
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Q,今回の「国連識字の10年」を国・自治体レベルでどうすれば実効的なものにしていけるのでしょうか。
A,自治体を動かしていくことも大切ですが全体としては、国が動かなければ自治体は動かないので、国に働きかけなければならないでしょう。「国連識字の10年」には法律も国内行動計画もないので、人権教育・啓発推進法の中に識字を位置づけていくと同時に、識字の国内行動計画を作るために連絡組織を作っていくべきだと思います。
Q,教育基本法改正と識字の問題はどうリンクするのでしょうか。
A,現在、国家というものを前に出した形での教育基本法改正の動きがありますが、改正の必然性に疑問を感じています。もちろんこの法律に識字ということが明記されているわけではありませんが、その第2条に『教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。』との記述があります。また第7条では『家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。』とされています。つまり現在行われている識字・日本語学習を奨励することが国や地方公共団体の責務となっており、識字・日本語学習の保障を求めていくという点でも現在の教育基本法が十分使えるだろうということです。
Q,成人基礎教育としての識字と、成人基礎教育と識字を並列に捉えることとの違いや区別はどこにあるのでしょうか。
A,成人基礎教育には情報を読み解く技術や職業に就く上で最低限必要な基礎知識・技術、あるいはコミュニケーション力や日常生活を営む上で必要な知識や技術の習得などといった幅広い内容が含まれています。厳密には成人基礎教育の中の識字という捉え方になるといえるでしょう。私は、成人基礎教育と識字が別だと考えてはいません。ただ識字の取り組みの重要性を意識して、並列して表現することはあってよいでしょう。
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