講座・講演録

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第237回国際人権規約連続学習会(2003年2月24日)
世人大ニュースNo.247 2003年3月10日号より
教育基本法改正問題を考える
〜子どもの権利条約をふまえて〜

喜多 明人さん
(早稲田大学教授 子どもの権利条約総合研究所代表)


はじめに

 今、教育基本法の改正問題について非常に切迫した状況になっています。そして近日中に中央教育審議会(中教審)が答申を出すそうです。その答申により、通常国会に法案を出すかどうか決まります。これまでの新聞報道によると、小泉内閣は、有事法制や大学法人化法などの法案成立を優先させるために、教育基本法改正案までたどり着かないとの見通しがあります。創価学会が教育基本法改正に反対し、与党の公明党が改正に慎重論を唱えています。

  小泉首相は、次期総選挙で創価学会の票を充てにしていることもあり、改正を無理強いしないのではという新聞報道もあります。また与党内で公明党が政治的取引に応じて今回の通常国会に法案を出すという話もあります。たとえ今通常国会で継続審議になったとしても、夏休み明けの臨時国会で決着が図られるという流れから、おそらくこの1年が教育基本法改正問題の勝負の年になることにまちがいありません。

 今回、教育基本法改正問題の話をしますが、私は普段、子どもの権利条約や一般市民の活動を通じて子どもの権利をいかに広げていくかという話をします。本題に入る前に、なぜ私が基本法改正問題に携わるようになったか話したいと思います。

 私は80年代まで教職員組合の教育運動が日本の教育学の要だと思いながら、教育運動にドップリ漬かっていました。89年に国連で子どもの権利条約が採択され、90年代にこの権利条約を広める仕事に携わるようになりました。その時、今の教育運動のスタンスでは狭いとの認識をもつようになりました。子どもの権利条約をもっと広く普及するためには、市民運動に自分の身を置かなければならないと思うようになり、91年に「子どもの権利条約ネットワーク」というNPOを設立しました。

  現在は、「チャイルドライン支援センター」と「日本子どもNPOセンター」の理事を勤め、市民運動にドップリ漬かっています。また昨年4月には自宅を改造してNPO法人として「子どもの権利条約総合研究所」を設立しました。そこで雑誌『子どもの権利研究』や川崎市と共同編集した単行本『川崎発・子どもの権利条例』を発行しました。今は憲法や福祉法など、その道の最前線にいる方にシンポリストになってもらう集会を準備しています。

 こういう状況のため、正直言って教育基本法改正問題にここまで深入りするとは夢にも思いませんでした。1年ほど前、雑誌『世界』の編集長が私の研究室に訪れたことが、この問題を取り組むきっかけとなりました。基本法改正問題で新しい組織を作りたいので、その事務局をやってくれないかという話でした。教育運動として、基本法改正問題に対する反対組織ではなく、もっと広く国民的な論議を起こせるような組織を作りたいということでした。研究所の立ち上げ前ということもあり、無理な話でしたが、最終的に、「今回だけは」教育基本法の問題をやらざるをえないという実感を持ち、引き受けることにしました。そして「教育と文化を世界に開く会」を発足しました。この会の呼びかけ人になって下さった方々も、今回だけは反対せざるをえないという気持ちがあります。専門家だけでなくさまざまな立場の方々のこうした思いが広がらなければ、改正問題は国民的議論にならないと思います。


わたしの問題意識―今回だけは「動く」?

 私が「今回だけは」と思う理由はいろいろあります。第1に私は戦後(1949年)生まれですが、戦後生まれの者は、憲法・教育基本法に育てられたという実感がある世代です。また学生時代、教育基本法研究が教育学の花形の研究テーマであり、私もかつてそれに取り組んでいました。そんな人間にとって、今回の改正は自分の生まれ育ったふるさとを汚されるように感じて、それだけは許せないと思うのです。また私は2年前まで憲法・教育基本法を基盤とする日本教育法学会の事務局長を務めていて、そこで学会改革に取り組んでいました。その学会の基礎である教育基本法が大きく変質するということは、学会の存立にも関わるということで、今回だけは反対するという思いがあります。

  教育界全体を考えると、この改正が行われば完全にバランスが悪くなるという問題があります。政府受動型で、ある意味で教育基本法を形骸化していくような教育政策が、戦後一貫して出されてきて、その総仕上げとして教育基本法を改正するという意味合いがあるので、私たちが何とかしなければならないと思うのです。中教審は、中間報告で「教育根本法」として教育基本法の見直しを図ると言いました。これは、現に教育基本法が改正されると、学校教育法も改正され、学習指導要領や教科書検定基準も改正されることを意味します。そのために現在、教育界でいちばん強く市民レベルで反対運動をしているのは、教科書関係の団体です。改正を賛成する中軸になっているのは、「歴史教科書をつくる会」です。基本法改正問題は教科書紛争の代理戦争にもなっているのです。

  教育目的の中に、「国を愛する心」や「伝統文化・郷土を愛する心」という文言を入れると、それに基づいて教科書を検定せよということになります。そうすると「歴史教科書をつくる会」の教科書は検定でパスし、愛国心を無視する教科書は通らなくなってしまいます。つまり基本法改正問題は教科書問題も含め、教育法制の枠組み全体を大きく変えてしまうのです。1976年の最高裁「学テ判決」から見ても分かるように、教育基本法は単に改正されて、他の法律に影響を与えるのではなく、すべての教育関係法令の解釈基準を変更することになります。


“市民の目線”で、「改正」論議を広げる

 この問題に取り組むもう一つの理由は、これまでの歴史から見て、おそらく教育運動だけで改正に反対しても勝負にならないということです。中教審や、その前の教育改革国民会議が主張したように国民的論議がぜんぜんできていません。従来型の教育運動と文科省がぶつかるだけでは生産的な議論にならず、発展性も可能性もないのです。

9月に教育基本法改正問題をテーマに、非公開で改正問題に反対しているさまざまな団体や個人、グループと新聞に「意見広告」を出すことについて議論しました。私は、国民的関心事として教育基本法改正問題に反対して意見広告を出すことが、果たして国民の関心を集められるのか問いかけました。基本法改正は教育界の人にとって切実な問題であっても、一般市民にとっては問題として捉えられていないからです。実際に「教育と文化を世界に開く会」で、著名な呼びかけ人を講師に招いて連続講演会を毎月開いていますが、300人入る会場の半分も埋まりません。市民レベルで教育基本法をテーマにするとぜんぜん盛り上がらないのが現実なのです。市民レベルでどう広げていくか、教育運動と市民運動との接点をどうつなぐかが大きな課題なのです。

 このため、どうして改正問題が市民レベルで議論できない、または国民的関心事にならないのか、若者や親の立場で議論してもらおうというシンポジウムを開きました。私は、市民集会は議論する場だと思いますが、教育運動をする人たちはそうではなく、単に自分の運動の成果を公表する場だと思っていることが分かりました。連続講演会の第一回で、全国PTA問題研究会の味岡尚子さんは、「憲法も生活実感とは離れているが、学校で教わった。教育基本法は、学校で教わることもなかった。読む機会もなかった」と言いました。教育学の学生か教員採用の試験を受ける立場にならない限り、基本法を勉強することはないということです。この論評を考えることは大切です。つまり教育基本法を学ぶ場がないのです。教育基本法の学習を小中高校の教育カリキュラムとしてどう捉えるか考えていかないと国民的議論にはなりません。

  なぜ教育基本法を習うことが親や子どもの課題にならないのでしょうか。教育をする側の立場、つまり教育の当事者性を今の子どもや親が持っていないからです。子どもや親が教育を受ける側であり、決定する側にいないということです。教育する側や教育制度・政策を実施する人たちにとって、その基本理念として教育基本法を学ぶのは大切です。そのように社会全体が思いこんできたことが問題なのです。どのようにして学校教育に子どもの参加を実現するかという子どもの参加論が、私の重要なテーマです。この点に関して、アメリカの環境心理学者であるロジャー・ハートさんは、「子どもにとって真の参加とはその子どもが参加する活動及び、その活動に参加する理由について誰が決めているかを知ることから始めなければならない」と素晴らしい言葉を残しています。学校教育の決定システムについての情報が社会的に共有できることが大切です。基本法改正に反対してくださいということは簡単ですが、学校教育の決定過程に参加することが前提でなければ子どもも親も教育基本法を学ぶ意味がありません。


「改正」問題の3つの論点

 さて今回の改正の問題点を大まかに分類すると、<1>改正理由の不当性、<2>改正内容の違法性や違憲性、<3>改正手続の不適正性の3つの論点にまとめられます。この論点について当然、賛成・反対の意見はありますが、<3>でいう手続をいいと言う人は誰もいません。もともと故小渕元首相が電話で集めて開いた教育改革国民会議という法的根拠のまったくない私的諮問機関で、しかも教育界から飲み屋談義と呼ばれるような法段階レベルの議論しかやっていないからです。それを森前首相が乗り込んで、新しい時代にふさわしい教育基本法を作るんだと国民会議で勝手に結論を決めて最終報告を出させたのです。しかし私的諮問機関の意見だけで法律を改正してはまずいと気づいた文科省が、最低限の形を作るために中教審に諮ろうとしましたが、創価学会が基本法賛成の姿勢を示したため、早く諮問が出せなくなりました。

  最初から教育基本法改正を前提として諮問に入った中教審は、定足数にも満たないような低い出席率(教育基本法問題を集中審議していた基本問題部会で出席者が70%を超えたのは僅か5回)にもかかわらず、2002年11月に中間報告を出しました。特に中間報告を出す直前の全体審議では当初3時間を予定していた審議時間を1時間に短縮し中間報告を出すといった、審議委員から呆れられるほどの状況でした。


改正内容・手続きの違法性、違憲性と条約違反性を問う

  私は、時代の流れの中で子どもの権利条約を批准し、その価値が深められあるいは広められてきたと解釈しています。しかし、時代に合わせて教育基本法を改正しなくても、子どもの権利条約で十分やっていけるのではないかと思います。私は教育基本法が準憲法である限り、子どもの権利条約も準憲法だと思っているからです。教育目的を変更するということは、子どもの権利条約の教育目的を改正することにつながりかねません。教育目的の改正は、子どもの権利条約29条の理念と抵触します。実は、国連でいちばん厳しい条約チェックは、子どもの権利条約でいう教育目的です。子どもの権利条約は、批准後2年以内に一回目の報告書を提出し、その後5年ごとに報告することになっています。

  日本は94年に批准し、96年に第1回目の報告書を子どもの権利委員会に出しました。その監視機関で審査を受けて98年に権利委員会は、条約を十分に実施していないと12の勧告を出しました。政府は、2001年12月に第2回目の報告書を提出し、今、その審査が始まっているはずです。子どもの権利委員会は、基本的なガイドラインを示しながら、同時に教育の目的について特別な審査を受けさせるべきです。教育目的について権利委員会より一般的勧告が出ており、その25項で、「締約国は現行の政策または実施が第29条第1項(教育の目的)に一致していないという苦情申立てに対応する審査手続の設置を検討するべきである」といっています。

  教育というのは恐ろしくて、民族的・宗教的寛容性を奪ってしまうような憎悪を掻きたたせる道具になります。そういう恐ろしさがあるからこそ、国連は教育目的に対する監視を強めているのです。民間のカウンターレポートの中で、教育基本法改正は大きな焦点になると思います。場合によっては、基本法改正は権利委員会の審査対象になる可能性もあります。いずれにしても、基本法改正は国際的な問題になります。これは国内問題ですが、戦争をかきたたせたり、ファシズムに結びついたり、人権侵害を助長するような可能性のある改正である場合には、国際社会が許さないという視点があるからです。

  このように基本法改正問題を国際的な問題にしていくことで、改正内容・手続きの違法性と条約違反性を問うこともできます。ただし、私のような国際法学会の主流派は「教育の自由論」がありますから、教育目的の法規制の審査を一般化することに対して簡単な問題ではないと言わざるを得ません。基本法10条(教育の自由)で、教育の不当な介入にならないような審査手続論を議論しながらこの問題を検討していく必要があると思います。


むすびに

 以上が教育法学をやってきた者としての話です。しかし、私は市民シフトからもう少し違った視点で改正問題を見ています。

 その象徴となるのが今年2月15日の世界的な反戦運動です。この日、60カ国400ヵ所で1000万を超える市民が同時に反戦運動を起こしました。この運動は国連を動かし、各国のイラク問題の対応に多大な影響を与えました。私は、あの市民の力とは一体何だったのか、これから解明すべき重要な課題だと思っています。この市民運動はある意味で国家を超えて、国家間の紛争を市民が止めることができるという発想に立っていることを証明しました。こういった発想に立つことは、21世紀の新しい市民運動の方向付けになるのではないでしょうか。

 そういう中で改正問題を見ると、地域自治体で教育改革・子どもの権利条例作りを進める者として、改正問題を絶対視しようと思っていません。これは教育運動の人との大きな違いです。教育運動をやっている人は、もしこの改正が行われてしまえば、日本の教育は絶望だと思うかも知れません。私は、改正だけがすべてに影響を与えるとは思いません。国の変化だけですべての市民生活が大きく影響を受ける時代は終わったのです。つまりグローバルスタンダードを持ちながら、地域で動くことのできるもっとしたたかな力が市民にはあるということです。

 だからこそ改正の動きにしっかり対応していくと同時に、地域で市民主体の取り組みを進めていき、それをグローバルスタンダードに依拠したローカルネットワーク化をしていくことも重要だと思います。

昨年、65の自治体が集まり、子ども施策のローカルネットワーク作りのシンポジウムを川西市で実現しており、今年は10月にその第2回目を川崎市で開催する予定になっているので、ぜひ注目してください。

 グローバル化という大きな流れの中で、国民ではなく、地球市民というグローバルな視点から地域を見据えていく改革が必要です。たとえ教育基本法が改正されても、それですべてがだめになったと考えるのではなく、先の視点で捉えた地域を基軸として国の動きにきっちり対応していくことが大切だと思います。


質 疑 応 答 …

Q.朝鮮学校のような一部の民族学校に大学受験資格を与えないという問題がありますが、教育を受ける権利と日本人としての育成を強く打ち出している法案についてどのようにお考えでしょうか。

A.教育を受ける権利は、憲法26条にあるので、基本法にも入れようということです。この権利は憲法26条の枠内にあることになります。26条は「何人も」ではなく、「国民は」という言い方をしているので、外国人差別の問題に矛盾すると言い切れるのか問題となっています。しかし、子どもの権利条約には、生活領域内にいるすべての子どもを差別してはならないと書いているので、子どもの権利条約を批准しているという点からは矛盾すると言えます。これは日本の中で、国際的規範が日本政府を動かす政策理念としてきちんと位置づけられているかの問題だと思います。