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Journal of International Cooperation Studies, Vol. 10, No.2(2002.11), pp.31-58.
国際協力論集 第10巻 第2号より
2002年11月
パキスタン・インドにおけるサッカーボールの生産と児童労働

香川 孝三さん
(神戸大学大学院国際協力研究科)

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1 はじめに

 2002年は日本にとって,さらにサッカー界にとって記念すべき年である。日本と韓国との共同開催で、アジアで初めてサッカーのワールドカップが開かれた年であるからである。サッカーを楽しむ人口はどのスポーツよりも多い。日本でも1993年Jリーグが誕生して以来大変な人気になっている。しかし,サッカーをめぐって様々な問題が存在している。その中で本稿ではサッカーボールの生産に従事している児童労働の問題を考察することにする。

 児童労働はサッカーの持つ暗い側面である。大勢のサポーターに応援されてスター選手が華麗な技をみせて,高い報酬を得ているはなやかな側面の裏で,悲惨な労働条件のもとでサッカーボールの生産に従事している児童が存在している。この児童労働の存在にどれだけの人々が気づいているのであろうか。現在サッカーボールの多くがアジアの発展途上国で生産され,先進国で多くが消費されている。この問題が世界的に脚光を浴びたのは1994年以来マスコミで報道されてからである(1)。

  就労している児童を救済するためにNGO,国際機関,スポーツ団体がそれに注目することによって関心を呼んだ。さらに国際貿易上の問題としても注目された。その頃,貿易協定に社会条項を設けて,それに違反する場合には罰則を課すかどうかの問題が議論されている時期であって,公正な労働基準を順守しないで作られる商品を輸出することは不公正な貿易であるとして批判されていた。その過程で児童労働や強制労働(債務労働)が格好の議論の対象となっていった(2)。つまり,経済のグローバル化が進むにつれて,国際商品であるスポーツ用品の生産過程にまで注目が集まり,国際労働基準の順守が求められる状況になってきた。

 現在サッカーボールはパキスタン,インド,中国,インドネシア,タイ,メキシコ,スペイン,ドイツ,,台湾,香港,モロッコ,ブラジル,アルゼンチン,日本等で生産されている。サッカーボールには手縫いのボールと機械で張り合せるポールがある。公式試合には手縫いのボールでなければならないというルールがある。先進国では機械で張り合せるポールしか生産していない。人件費が高くつくからである。手縫いのサッカーボールは発展途上国で生産され,その生産高の多いのはパキスタン,インド,中国,インドネシアである。中でもパキスタンが約70%,インドが約10%,中国が約15%ぐらいを占めている。そこで本稿ではパキスタンとインドを考察の対象とする。両方今わせて世界の手縫いサッカーボールの8割以上を生産しているからである。サッカーボールの生産は現在のパキスタン領であるパンジャブ地方のシアルコット(Sialkot)市とその周辺の農村部で約80年前にはじまり,それがイギリスから独立後にインド側のパンジャブ地方に広がっていった。ともにパンジャブ語を使う地方である。したがってパキスタンとインドでの生産をめぐる状況はきわめて類似しており,両国を考察の対象とすることにする。

 近代スポーツとしてのサッカーが誕生したのはイギリスである。1863年ロンドンでフットボールの統一団体が結成され,統一したルールが採択された。それ以前からサッカーは楽しまれていたが,組織化されたのがこの年であった。パブリック・スクールや大学での体育に取り入れられるとともに,労働者階級にもサッカーがひろがっていた。この当時イギリスはビクトリア女王の時代であり,大英帝国として世界中に植民地を持っていたので,そこにサッカーが広がっていった。1904年には国際サッカー連盟(Federation Internationale de Football Association)が設立されており,このころには世界中にサッカーが相当広がっていたことがわかる。1930年には13カ国が参加してウルグアイで第一回のワールドカップが開かれた。

 本稿ではサッカーという言葉を用いているが,サッカーの正式名称はAssociation Footballである。そのAssociationを短縮してできた言葉がサッカーである。「Soc」に語尾に名詞を短縮する機能を持つ「er」をつける。最初「socker」と表現していたが,「k」の代わりに「c」に変えて「soccer」となった。1890年代に学生が言葉を短縮して符号のように使い始めたものが普及してサッカーという言葉が定着している。しかし,サッカーという表現が一般的に使われているのはアメリカ,カナダ,オーストラリアと日本だけである。それ以外はフットボールが使われている。イタリアだけはカルチョが使われている。本稿では日本で通常使われているサッカーを用いることにする。

 サッカーの普及のためにはポールが不可欠である。イギリス国内で生産されていたポールがインド帝国内での生産に切り替えていったが,そのきっかけはなにか。サッカーの初期には豚や牛の膀胱を膨らまして,それに皮革をつけて蹴っていた(3)。牛が沢山いたインド帝国では材料に事欠かなかった。膀胱は時間が立つと固くなって,蹴ると破裂して使い物にならなくなった。したがって大量の膀胱を必要としたのである。インド帝国からイギリスに膀胱が輸出され,さらに膀胱を保護する皮革として牛の原皮がイギリスに輸出された。しかし,イギリスに輸出するよりインド帝国内で生産する方が安上がりであることに気づき,生産拠点をインド帝国内に設けた。最初はサッカーボールの修理をおこなっていたが,しだいにサッカーボール自体の生産にのりだしていった。

 ヒンズー教徒が牛皮をとるために意図的に牛を殺すことは宗教的理由からありえない。1947年制定のインド憲法では,その48条で「牛,子牛その他の搾乳用および農役用家畜の屠殺の禁止」が定められている国である。さらに州法で牛の屠殺を禁止している場合もある。そこで病気や老衰によって牛が死亡した場合にのみ皮を入手することができた。そこでヒンズー教徒の間には牛の屠殺業を社会的に認知するシステムはできていない。

  それに対して,イスラム教ではこのようなタブーはなかったので,人為的に牛を殺して皮を利用することができた。そこでイスラム教徒の中に屠殺業や牛の原皮を販売する事業に従事する者がでてきた。このことから,イスラム教徒の多いパキスタン領内のシアルコットに生産拠点を設けることになった。病気や老衰で死亡する牛の皮は質がよくないであろうから,良質の皮を取るためには屠殺業が不可欠であり,屠殺業者がいるイスラム教徒の住む地区に生産地を設けるのは当然のことであったであろう。もし,ヒンズー教徒の多い場所に設けると,屠殺をおこなうイスラム教徒を襲い,暴力事件がおきる可能性があるからでもある。

  今も宗教の違いによる紛争が頻発していることを考えると(4),イスラム教徒が多く,ヒンズー教徒の少ない場所に生産拠点を設けたことは安定した生産を確保するには不可欠であったであろう。

 インド独立の際に,シアルコットでサッカーボールの生産に従事していたヒンズー教徒は,パキスタンがイスラム教徒の国となったためにインド領に移住し,ジュランデル(Jallandhar)を中心とするパンジャブ地方に生産拠点を設けた。インドではそこからUP州のメーラット(Meerut)やハリヤナ州のグルガオン(Gurgaon)に生産地が広がっている。現在ではサッカーボールだけでなく,ラグビー,アメフト,バレーボール,ハンドホールのポールやバトミントンの羽根等のスポーツ用品の生産にも乗り出している。そこに児童労働が見られることが本稿で考察するテーマである。

 本稿ではひとまず文献研究を中心におこなう。現段階では現地での実態調査をおこなっていないので,文献を中心として考察することとする。調査を予定していたが,2002年5月になってインドとパキスタンのカシミールの領有をめぐって武力紛争がおこりそうになり,旅行を控えるようにという情報があり,調査にいく場所がカシミールの南隣のパンジャブ州で,インドと国境を接しているので取りやめたためである。

 以前にネパールとインドのカーペット工場で働く児童労働の実態調査をおこなったが,その調査のむずかしさを実感した。児童を働かすことは違法行為であり,それをなくしていくべきことを使用者は知っている。しかし,現実に児童自身が親の家計を助けたいために働きたいという希望を持っているし,使用者側も低賃金の児童を雇用すれば低コストで生産が可能になる。このために児童労働の利用がなくならない。児童労働を必要悪とか恥部ととらえている使用者は調査の対象とされることを嫌っている。

  建前上児童労働がないことになっているのに,それを暴かれることを好む使用者はいない。調査を認めた結果児童労働の存在を報告され,そのために取引が拒否されて商品が売れなくなり損害を蒙った使用者は特にそうである。そこで調査にいっても児童を労働の場から隠したり,休ませてしまう。調査者とは口をきかないようにという指令が仕事の発注先からでている場合もある。時には使用者に雇われた男たちに調査団が襲撃された事例も報告されている(5)。

 そうなると,児童労働をなくしていく活動をしているNGOの情報を利用することになる。その国の事情に通じているNGOでも実態調査をすることは身の危険を伴う場合もあるという。しかし,現地のNGOはなんらかのルートを使って調査し,その結果をレポートとして発行しており,それを活用することができる。

 筆者はこれまでアジア諸国の児童労働についての研究を積み重ねてきた〈6)。そのきっかけは1998年のILO総会で決議された「労働における基本原則と権利に関する宣言とそのフォローアップ」である。この中で中核的労働基準(7)の1つとして児童労働の撲滅があげられている。これは児童労働の撲滅が先進国か発展途上国を問わず,世界共通の普遍的課題であると宣言したものである。

  現在でも児童労働は発展途上国だけでなく先進国(8)にも存在している。児童労働のグローバル化が進んでいる。そこで,いかにして児童労働撲滅を実現していくかが重要な実践的課題である。その政策をどのように構築し,実施していくかを検討していく必要がある。本稿も児童労働の実態を踏まえて,これまでの政策やその実施状況を検討し,そこに含まれる問題点を検討したいと思っている。

 この問題は日本とは無縁ではない。イギリス人によって1870年代に日本にサッカーが導入された。1921年9月にサッカーの団体として大日本蹴球協会が設立され,1996年にはJリーグというプロのサッカーチームが活躍するまでになった。現在の日本もパキスタン,インド,中国,タイ等からサッカーボールを輸入している。スポーツ産業研究所が発行している「スポーツ産業年鑑」によると,1999年度で208万個,2000年度で204万個,2001年度で207万個のサッカーボールが日本で販売されている。その約60%がモルテン,約15%がミカサ,約7%がリージェントファーイーストとナイキジャパンが取り扱っている。そのほとんどが輸入である。

  世界で年間3000万個ぐらいが生産されているとすると日本は約7%のサッカーボールを消費している。過去には日本でもサッカーボールを生産していたが,現在では採算に合わないために全然手縫いのサッカーポールを生産していない。日本では機械で貼りつけるサッカーボールだけを生産している。したがって日本はサッカーポール消費大国として,児童労働に無関心でいることはできない(9)。


 2 児童労働がなぜサッカーボールの生産現場で見られるのか

 なぜパキスタンとインドで児童労働がサッカーボールの生産現場に見られるが,その要因を検討してみよう。

 (1)家計の貧困とカースト制度の影響

 親が貧しいために,子供がその家計を支えるために労働に従事する。これは児童労働に共通に見られる要因である。サッカーボールの生産に従事する児童の家庭に貧困が見られるのはなぜか。ヒンズー教徒の場合にはダリット(虐げられている者という意味。不可触民のこと。インド憲法に定めれる指定カーストScheduled Casteとほぼ重なっている)が多く生産に従事していることが貧困者が多い理由である。それはサッカーボールに使う材料に牛の皮が用いられるからである。

  最近では化学繊維が便われる場合が増えているが,伝統的に牛の皮が使われてきた。牛はヒンズー教のもとでは神の使いとして神聖視されている。しかし,それが死亡した場合,その処理をおこなうのはダリットである。死は不浄とみなされ,牛の死体処理,皮剥ぎ,皮なめし,皮袋や皮バケツの製作という皮革関連の仕事は「賎業」とされ,アウトカーストであるダリットの仕事とされている。それ以外のカーストはそれには従事しない。

 北インドでは皮革関連の仕事に従事しているヒンズー教徒は「チャマール」と総称されている(10)。カーストの下部概念として2000以上のジャーティ(サブ・カースト)があるが,ダリットの中の1つのジャーティとしてのチャマールが皮革関連の職種に従事している。経済的理由からそれ以外のカーストが従事していても,その数はきわめて限定されているし,精神的に従事することに抵抗感がある。したがって,他のジャーティが参入しないので,チャマールに職業を保証することになるが,その反面,チャマールがそれ以外の仕事につく自由が制限されることを意味する。ヒンズー教徒の場合,牛を屠殺することはできないので,いつも牛の死体を処理する仕事があるわけでないので,皮革関連以外に農業労働者や機織り職人としても働いているが,それ以外の職業に従事することが制限されている。

 サッカーボールの生産に従事しているダリットの中には,マハシャク(Mahashaku)という伝統的に縫い合わせる(stitching)仕事に従事しているジャーティがいる。サッカーボールの生産には牛の皮革を縫い合わせる作業が必要であり,パンジャブ地方にはマハシャクが多く住んでいることと,さらにチャマールが多〈住んでいることが,パンジャブ地方に生産拠点を設けた理由である(11)。

 牛皮を利用するスポーツ産業でサッカーボールやスポーツ用品という国際商品を生産するようになって,サッカーボールの生産がチャマールやマハシャクの仕事として固定化されるようになった。つまり,近代産業の成立によってカースト制度が固定化されるという問題が生じている。高いカーストの者にはカースト制度の規制が緩まっているのに,低いカーストの者ほど特定の仕事との結びつきが強まっているのである。

 チャマールやマハシャクを初め,ダリットの生活は貧しい場合が多い。貧困線以下(農村部では2400カロリー,都市部では2100カロリー以下のカロリーしか摂取できない所得を得ている者)の生活を余儀なくされている割合はダリットが一番高い。インドでは貧富の格差が大きく,しかも貧困線以下の生活をしている層が大規模にあり,約4億人も存在する(12)。地域によっても格差があり,パンジャプ州は所得水準の高い方であるが,それでも農村部では30%以上も貧困層がいる。その貧困層の中にダリットが多く含まれる。そこでダリットの児童が家計を助けるために働くことになる。特に皮革を縫い合わせる作業は労働集約的作業であり,多くの人手を必要としたので,児童だけでなく女性も多く作業に従事している。その一方で,ダリットの一部には製造/輸出業者や仲介業者として富を蓄える者が誕生しており,ダリットの中でも貧富の格差を生じている。

 パンジャブ地方にはシク教徒が多くいる(13)。シク教はイスラム教の影響を受けており,カースト制度を否定している。しかし,ダリットからの改宗者の場合,ダリットであったことがそのまま残り,改宗前と同じ束縛をうけている。つまり,改宗してもヒンズー社会の影響から逃れることができない。そこで,シク教徒の中でもダリット出身者がサッカーボールの生産に従事している。

 さらにキリスト教徒もサッカーボールの生産に従事しているケースが報告されているが,ダリットがキリスト教徒になっても,カースト制度の拘束から逃れられない。インドにはきわめて古くからキリスト教は伝わっており,イエス・キリストと最後の晩餐を共にした聖トーマスがキリストの死後,南インドで布教活動をし,チェンナイ(旧マドラス)で死亡している。しかし,ヒンズー教の強さのために全人口の約2%強しかキリスト教徒になっていない。そのキリスト教徒の多くがダリットや部族(Scheduled Tribe)出身者である。

  特にシアルコットでは1873年以来,清掃を伝統的職業とするチューラーが集団でキリスト教に改宗している。個人で改宗するのではなく,1つのジャーティに属する者が集団で改宗するのが普通である。シアルコットでのキリスト教への改宗はアメリカの統一長老派教会の活動の成果であるが(14),1万人以上のキリスト教徒が存在していた。これは逆にダリットがパンジャブ地方に多くいたことを示すものである。

 パキスタンでは国民の95%以上がイスラム教徒である。ムガール帝国やイギリスの植民地時代には,ヒンズー教徒からイスラム教への改宗者が多い。ヒンズー社会の中で高い階層の者が改宗してムスリム支配に加わった場合,ムスリム社会の庇護を受けた手工業者が改宗する場合や,低いカーストの者が改宗する場合がある。ヒンズー社会の中で低いカーストの者は虐げられていたので,そこから逃れるためにイスラム教徒になった。

  しかし,パキスタンやインドの場合,中近東のイスラム教とは違っており,ヒンズー教の影響から完全に離脱できなかった。そこで,ダリット出身者のイスラム教徒がサッカーボールの生産に従事することになった。イスラム教徒にはヒンズー教のように不浄という観念はないので,イスラム教徒の中には屠殺業に従事したり,各地の屠殺場から原皮を集めて仲買人となる者がいる。北部インドではシェイクやボジャと呼ばれる特定の集団に属するイスラム教徒が牛皮を取り扱った。牛の屠殺業や原皮の流通はイスラム教徒が握っていたのである。その仕事にはヒンズー教徒の上位カーストからの参入がないので,ムスリムの活躍する場が残されていたと言える(15)。イスラム教徒の中でも屠殺業者や仲買人として成功して富を蓄える者がいたが,サッカーボールの生産に従事する他ない貧しい者もいる。児童が働くのはそのような家庭である。

 以上のように,どのような宗教に改宗しようとも,ダリットであった者は社会的に低い地位に置かれ,伝統的な職業に従事するほかなかった。近代になって新しいスポーツ産業が生まれても,牛の皮を利用するためにダリットやダリット出身者がサッカーボールの生産に従事せざるをえない。一部は経営者や仲介人として経済的に成功しているが,貧しいダリットの家庭では児童は働かなければならない状況に置かれている。

(2)サッカーボールの生産形態と技術革新

 過去においてはサッカーボールの生産には熟練が必要とされていたために大人しか従事していなかったが,技術革新によって単純作業が増えて,児童でも就労することが可能になった。80年になる製造の歴史の中で児童労働が縫い合わせ作業に従事しはじめるのは約30年ぐらい前からである。

 空気で膨らませた球体は,どの方向にも等しい反応を持って運動するので,その打ち方によって飛ぶコースやスピードを決めることができる。そこで,軽業師のように足技をみがいて正確なコントロールによってポールを打つことが可能になる。ここがアメリカン・フットボールやラグビーとは違う点である。そこで丸い球体のサッカーボールを作ることが求められる。国際サッカー連盟では試合に便うポールは重量は16オンス以下,14オンス以上(396〜453グラム),空気圧は0.6〜0.7気圧と定められている。この基準にあうポールを生産できるのは近代の製造技術のおかげである。

 先に述べたように最初サッカーボールは豚や牛の膀胱を膨らまして蹴っていたが,それに皮革を縫い合わせて外被をつけた。しかし,膀胱は蹴ると破裂しやすいので,それをなくしたのがゴムの利用であった。ゴムが新しい化学製品としてポールの生産に利用するためには技術革新が必要であった。イギリスでは植民地であったマレーシアでプランテーションでゴムを生産していた。ゴムは自転車や自動車のタイヤとして使われていたが,ポールの生産にも使われるようになった。19世紀にマッキントッシュが生ゴム用の溶解方法を見つけ出すことによって,それが可能となった。薄手のシートゴムを作れるようになって,それを使って丈夫なゴム製空気袋が開発された。これがサッカーボールのチューブとして用いられた。1880年代にこれが実用化されている。1885年にはS.E.ステイタムがサッカーボールの中袋の特許を取得している。これで蹴っても弾む丈夫なポールが作れるようになった(16)。

 ゴムを使ったポールは初期には,18枚のなめし革を使い,3枚を1つのパネルとして縫い合わせ,それで出来る6枚のパネルを縫い合わせていた。なめし革は内側を外にした状態で,口ひも用の切り込みを少し残し,麻糸で縫い合わせる。それを裏返して,切り込み口からゴム製空気袋を押し込んだ。そこに空気を入れて規定の空気圧にして,ニードルという太めの針金でつくった道具で,切り込み口に口ひもを通して縫い合わせる。この製造方法で作られたポールが激しい試合に耐えるポールであることから,長く用いられた。たた,これはへディングした時に,口ひもの部分が頭に当たると非常に痛かった。さらに雨の日には革が水を吸って重くなるという欠点があった。そこで,この2点が改良された。新しい注入パルプが考案されて,口ひもが不要になり,表面は防水加工することによって,雨の日でも水を吸うことがなくなった。18枚のパネルの革を使う代わりに,32枚のパネルを使うポールが登場し,この方が球体を作りやすいので,現在ではこの方が主流になった。防水加工の技術も進み,特殊なポリウレタンを調剤して完全に防水することが可能となり,豪雨の中でもポールが重くならないようになっている。ざらに,最近ではなめし革を使わないで,合成ポリウレタン(人口皮革)が使われるようになっている。しかし,公式の試合に使うポールは牛皮を使い手製で縫ったポールである。

 シアルコットやシャランデルでの生産形態をみてみよう。世界のスポーツ用品を支配しているのはナイキ,リーボック,アディダス,アシックス,モルテン等々の有名ブランドになっている会社である。これらの会社は自ら生産部門を持たず,製造/輸出会社に発注する。外注に出す場合でも,有名ブランド会社自身が資本投資をする会社に発注している場合もある。これらの発注会社はデザイン部門を持っており,新しいデザインを考案して,その生産を発注する。

 発注を受けた製造/輸出会社では,経営する工場で牛皮やポリ塩化ビニール(PVC)を裁断して,ミシン目をつける。さらにそれを染色して模様をつける。その模様は発注先の登録商標,スポンサー名,ログ等である。さらに3つのパネルを縫い合わせて組み立て用の部品や,シルクスクリーン用のシートを準備する。この製造会社で縫い合わせの作業をして完成品を作ることもあるが,ほとんどの場合には,家庭での内職として下請けに出される。

 そのために仲介業者が自分の配下におく200〜500ぐらいの家庭にパネルやワックス済の糸等で縫い合わせるに必要な部品や道具を配送する。各家庭ではそれを使ってパネルを縫い合わせてポールを作り上げる。仲介業者は縫い合わせたポールを回収し,ボールのでき具合をチェックして製造/輸出会社に持っていく。仲介業者は縫い合わせ作業の手間賃を支払う。製造/輸出会社はポールを検査して,梱包して輸出する。

 1940年代から1970年代中頃まで,製造/輸出業者の工場での生産のみであったが,それ以後家内工業での内職として下請けに出す形態が一般化した。このころから児童労働が見られるようになった。この家庭での仕事は小規模産業(cottage industry)ととらえられている。貧困を解消する手段の1つとして,就労の場を広げるために小規模産業が奨励されている。

  これを積極的に提唱したのはマハトマ・ガンディである。マハトマ・ガンディは経済の基本を農業にすえ,それを支える農村工業を奨励した(17)。それが手織や手紡績,精米,製粉,皮革なめし,搾油等々の小規模産業である。これは独立後のパキスタンやインドの工業化政策の中心にはならなかったが,小規模産業は生き続けてきた。しかし,問題は,この小規模産業はインフォーマル・セクターに分類されて工場法の適用から除外され,そこで働く者が労働法規の保護の対象から除かれていることである。

 児童労働がみられる要因として,いくつかある。1つはそれまで高度な熟練や物理的な力が必要とされていたが,生産方法が変わってきたことがあげられる。牛皮を使う場合,球体となるようにつなぎ合わせるには高度な熟練が必要であったが,機械で裁断できるようになってパネルを作るのが容易になり,空気入れの部分の製造にも高度の熟練が不必要になってきた。パネルを縫い合わせるのに子供の力でも可能になってきた。つまり,作業の単純化によって,家庭での内職として縫い合わせる作業がこなせるようになった。さらに,女性が家庭の外に働きにいくことに抵抗があるイスラム社会では家庭での仕事が好まれるという事情があった。家庭で仕事をすれば児童が親の手伝いとして仕事に従事しやすくなる。

 さらに,以下の理由で安上がりに生産できることが要因にもなっている。工場法は動力を用いる場合には20人以上,動力を用いない場合には10人以上雇用している事業所に適用になる。この適用を受けると,労働者は労働条件の規制を受ける。そこで下請け制度を利用すれば,その規制を受けなくてすむし,10人未満の事業所であれば,労働法規の適用を排除できる。さらに下請け制度を使うと直接製造/輸出会社は家庭での仕事を監督する必要がなくなる。仲介業者がその仕事を担当するからである。児童労働があっても直接製造/輸出会社が責任を負うことがなくなる。工場法の適用を受けないために下請け制度を利用する手段が一般化している。

 さらに家内工業を利用すれば注文量に合わせた生産が容易になることである。注文量に合わせて家内工業に発注する量を調節できるからである。しかも急ぎの仕事であっても,仲介業者を通じて無理が効くし,注文が少なくなれば,仕事を減らすことが容易だからである。仲介業者の意のままに生産をコントロールできるからである。ということは家内工業に従事する者の地位の低さを反映していると言えよう。


 3児童労働の実態

 サッカーボールの生産に従事している児童労働の数はいくらであろうか。シャランデルでの調査はギリ国立労働研究所が1998年1月におこなっているが,それによればパネルを縫い合わせる仕事に従事している5歳から14歳までの児童の数を約1万人と結論づけている(18)。シアルコットではILOの協力を得て,パキスタン労働福祉省が1996年に調査しているが、それによれば7000人以上の児童が働いている(19)。大人は4万2000人働いている。

 ILO138号条約によれば,発展途上国では14歳未満で義務教育を終えていない児童の労働を禁止している。この時どのように年齢を確定できるのであろうか。日本のように戸籍制度がきちんとしている場合には年齢をめぐる紛争は起こり得ないが,戸籍制度のあいまいな国では年齢の確認が難しい。パキスタンやインドでは年齢不詳の児童は結構おり,最終的には医者の鑑定によって年齢を決める方法が定められているが,そこにいたらない段階で決めることができるにこしたことはない。正確な年齢が決まらない場合があることを知っておく必要がある。その結果年齢をごまかすことが容易になる。

 どのような労働条件で働いているのであろうか。賃金は出来高払い制であり,1個いくらで決められている。インドでは1個完成させると質のよいポールであれば20ルピー(日本円で60円)ぐらいであり,1日1個から3〜4個ぐらい作れる。熟練度が高まっても4個ぐらいが限度であるという。できてもその質によって手間賃に差が設けられている。質が悪いと1個13〜4ルビーにしかならないという。ギリ国立労働研究所の調査ではこのあたりの最低賃金は63ルビーであるので,1日3個以上作らないと最低賃金にも達しないことになる。児童が作るボールは力が十分でないために質の悪い場合が多いので,低い手間賃しかもらえない。シアルコットでも大人が作っても1個20〜30パキスタン・ルピーであり,児童の場合は平均して1個20〜22パキスタン・ルビーにしかならないという(20)。児童であれば1日1個つくるのがやっとであるという。

 さらに問題なのは強制労働(債務労働)がみられることである。親が仲介業者から借金をして,その返済のために親とともに児童も働くという事態が生じている。シアルコットでの調査によれば,1000から5000のパキスタン・ルピーの借金を抱えているという。手間賃から借金を返済しているが,その借金の利子が高く,児童を含めて働いても返済が容易でない仕組みになっている。この強制労働はインドではBonded Labour System Abolition Act, 1976によって,パキスタンでも同様な名称の法律が1991年に成立しており,ともに禁止されている。ただ借金を抱える家庭の割合がギリ国立労働研究所の調査では平均15%ぐらいである。農村部では少し高くて約20%になっている。これを高いとみるか,低いとみるかであるが,調査では低いと見ている。シアルコットでは13%の親が平均3000パキスタン・ルピーの前借金を抱えているが,これは強制労働までには至らない額であるとしている。したがって,他の分野の場合より強制労働の割合が小さいと見なされているようである。

 労働環境であるが,だいたい暗い部屋で作業している。これは集中力を失わないで作業ができるようにという配慮からであるが,それだけでなく外部からの調査に来る者が撮影しにくいようにという意図もあるとされている。これは現代の写真技術からすると意味のないことであろう。非常に暑い地域なので,もともと窓から光が入らないように家を作るのが普通であるので,部屋が暗い場合が多い。ダリットの貧しい家は泥とレンガで固めた1間か2間の家である。ガラスの窓はないのが普通である。そもそも電気がきていない可能性も高い。

 問題は仕事中に話したり,失敗した時に児童を処罰することである。倉庫に閉じ込めたり,柱に吊したり,むちで打ちつけたり,食事を抜かしたりという人権を無視する取扱がなされている。たいてい罰を課すための部屋が設けられている。これは仲介業者が直接工場を経営している場合におこっている。間違って縫いつけたり,材料を無駄にした場合,手間賃から差し引かれる。これに乗じて仲介業者がピンハネをし,十分計算のできない児童の弱みにつけこむ場合もある。

  このような取扱に児童自身が抗議をする手だてがない。抗議をすればただちに請負契約や雇用契約が切られるであろうし,そうなればその日から生活に困るであろう。日本のように公的扶助(生活保護)の制度はないし,労働組合が結成されたという報告もない。労働監督に期待することもできない。そもそも家庭で仕事をしている児童は工場法や児童労働禁止法の適用がないために労働監督の対象にならないし,そうでなくても労働監督を担当する者が使用者側や仲介業者から賄賂をもらってつながっている場合があるからである。そうなると,働く児童の救済活動を実施しているNGOに助けを求めるか,泣き寝入りをするかである。

 長く縫い合わせ作業をしていると,座って作業するので,ひざを痛めたり,パネルが固いために力を入れて縫い合わせなければならない。そのために指を痛めている。職業病といっていいであろう。さらに暗い所での作業のために視力を悪くしている。

 児童が働いている場合,学校での勉強はどうなっているのであろうか。ギリ国立労働研究所の調査によると,2326人の児童のうち,1719人が学校に行きながら仕事もしている。225人が学校に行かず仕事だけをしている。家庭での仕事なので,午前中学校に行き,午後から仕事をおこなうことが可能である。その場合,学校での勉強と仕事の時間を合計すると平均で1日9時間である。これに対して,仕事だけしている児童が1日平均6時間働いている。

 シアルコットの調査では,88%の児童は家庭で働き,残りが事業場で働いている。70%の児童が1日平均8〜9時間仕事をしている。28%の児童は1日平均10〜11時間働いている。農閑期や長期の休み,週末には労働時間が長くなる。家庭で働く児童が多いので労働時間は柔軟になっているからである。長時間働いている児童がいるが,労働時間に応じて賃金が支払われているわけではないので,製作するポールの数をこなすために長時間働かざるをえないのであろう。働いている子供の平均年齢は12歳であり,10歳から14歳までの子供がもっとも多い。男子の19%,女子の36%は学校に通っていない。女子の割合が高いのは男子に優先的に教育を受けされようとする親の意識のあらわれとみることができる。それ以外の児童は学校に通いながら仕事にも従事している。家庭で仕事をすることができるので学校との両立が可能となっている。

  このことのために識字率(小学校3年以上通った者の割合)が80%を越えており,他の分野で働いている児童と比べると識字率が高い。しかし,学校に通いながら仕事にも従事する児童は,高学年になるとしだいに学校に通わなくなってドロップアウトする確率が高くなっている。ここで注意することは,家庭内で親の手伝いをしている児童労働は,禁止されている児童労働に該当するかどうかを見ておく必要があることである。ILOでは児童労働としてChild LabourとChild Workが区別されている。親の手伝いとして労働することは子供の教育として意味があり,経済的に搾取することにはならない労働なので,条約で禁止すべき労働にあたらないとして,これをChild Workと表現している。これはILO条約によって禁止されている児童労働に該当しないとざれている。

  これに対して,Child Labourは経済的搾取を受け,危険な労働や教育の妨げとなる労働,身体的精神的道徳的に有害となる労働に従事している児童労働を指している。ここで考察の対象としている児童労働はChild Labourに該当すると判断される。親の手伝いとして児童が働いているが,親とともに児童も製造/輸出業者や仲介業者のコントロールを受けて低い手間賃で労働に従事しており,とても教育のための労働とは思えないからである。


 4 児童労働をなくすための試み

 児童労働をなくすためにどのような対策がとられているのであろうか。代表的な活動の事例を紹介することにする。

(1)サッカーボールに児童労働によって作られた商品でないというラベルを貼る運動

 世界的にスポーツ用品を扱っている会社が自社の商品に児童労働によって作られたものでないというラベルを貼る運動を実施している(21)。これはカーペット産業でも採用されている運動であるが,消費者運動とつながって進められている運動である。その代表的な事例としてリーボックの場合を見てみよう(22)。

 リーボックでは1992年「人権に基づく生産基準」(23)(Reebok Human Rights Production Standards)という企業行動規範(24)が作成された。これはスポーツ用品を扱う会社が安い商品を入手するために,国際労働基準を無視して製造しているという批判がなされている時期であったために,その批判に答えるためにだされた企業側の対策であった。この生産基準の中で強制労働や14歳未満の児童労働を利用する取引先と提携しないことを明言している。提携しないというのは,そのような企業に発注しないこと,そこに原材料を卸している企業とも取り引きしないことを意味している。したがって,リーボックだけでなく,リーボックと取り引きしている下請け企業やそこに部品を納めている企業にも強制労働や児童労働を禁止することになる。それを実施するために,リーボックが下請け企業や取り引き企業の順守状況を監視することが必要になる。このように下請け企業や取り引き先にも生産基準を順守することを求めているのは,リーボック自身が生産工場を持っていないで,リーボックというブランド名をつける商品の生産を外注に出しているためである。

 リーボックは1997年3月以来,シアルコットにある製造/輸出会社であるモルテックス(Moltex Sporting Goods (Pvt.) Ltd.)と契約して商品を作っている。リーボックはモルテックスに資本参加している。モルテックスだけでなく,現実に製造している工場や家庭で15歳以上の者だけを働かせることを約束している。そこで外部の者によるモニタリングで児童が働きそうな工場や家庭に部品を出荷していないかどうかを監視するシステムを作った。シアルコットでは家庭内でパネルを縫い合わせる作業がなされているために,各家庭内で児童が働いていないかどうかをチェックする必要があるためである。

 3名の監視人をリーボックが雇用し,うち2人は人権団体で活動している者,1人はラホールに進出しているアメリカの会計事務所に所属する者である。先の2名は児童が働いていないかどうかを各工場や家庭に出かけてチェックする。この2名には予告なくいつでも工場や家庭に入って調査する権限を与えられている。あとの1名は会計帳簿を検査する権限を与えられている。帳簿によって生産数が確認できるが,それによって従業員の数が予測できる。それが現実の従業員数と食い違っていると児童が働いているのではないかという疑いが生じる。これで陰で児童を働かせていることがわかるという仕掛けである。このモニタリングの結果,モルテックスではガードマンを1人雇用して,モルテックスの正門で部品が児童が働く可能性のある家庭に部品が配送されないように監視することになった。これらのモニタリングのために,生産コストが従来より15%アップしたという(25)。リーボックは児童によって作られていないことを明示するために,「Reebok Human Rights Guarantee :Manufactured Without Child Labour」という字を書き込んだラベルをポールに貼りつけている。児童を労働の場から排除しても,それだけで済むわけではない。児童が働らざるをえない状況そのものを改善する必要がある。リーボックはそのために児童の教育や職業訓練の支援をおこなうことを決めている。教育施設の設立費用やそこで教える教師の人件費,勉強する児童の教材費用をリーボック側が負担することになっている。3年計画で実施することになっているが,残念ながら具体的な成果の報告を見ることができなかった。労働の場から解放されるだけでは問題は解決しない。一度解放されると,もとの仕事には帰りにくい。もしリハビリテーションがなければ,もっと悲惨な労働条件のもとで働かざるをえない状況に追い込まれる可能性が高くなる。そこで14歳になるまでの間,教育や職業訓練を受けて労働能力を高めると同時に,その間の生活ができる面倒を見る必要がある。そうなると救済できる児童の数には限界がある。1つの会社が救済できる範囲には限界がある。スポーツ会社が企業行動規範を制定するメリット点と思われるのは,サッカーボールの生産だけでなくスポーツ用品全般の生産に従事している児童を救済できる可能性があることである。

 リーボックの方式のポイントは児童労働がないことを監視するモニタリングをきちんと実施することである。児童によって作られていないことを表示して販売しているのに,それが間違っていることが分かれば,虚偽表示であるとして消費者から反発を受け,売れなくなると同時に,企業イメージを悪くしてしまう。ヘたすれば企業の存続が危うくなるおそれがある。ところで消費者は表示が虚偽であるかどうかをどうやって知ることができるのであろうか。自ら調べることは困難であろうし,企業の内部告発やマスコミによる報道によって知るほかないであろう。それを避けるためにはモニタリングをきちんと実施する必要性がでてくる。

 このラベリング方式の問題点は販売戦略として商品の差別化をするために児童労働を利用している点である。一方で児童労働が存在している所があるからこそ,児童労働がないことを販売戦略に使える。児童労働がなくなってしまえば,この方式の有効性は小さくなる。このような状況がいつ生まれるのであろうか。

(2)国際サッカー連盟と国際労働組合との協力

 国際サッカー連盟は1996年9月に労働行動綱領(Code of Labour Practice)を定めた。これは国際自由労連(ICFTU),国際繊維被服皮革労連(ITGLWF),国際商業事務技術労連(FIET)との合意によって締結された文書である(26)。これは労働・雇用に関する基本的ルールを順守して作られるポールだけに国際サッカー連盟のライセンスの使用を認め国際サッカー連盟が認可したというログマークをつけることを定めたものである。国際サッカー連盟としては,消費者にサッカーボールとして一定水準以上の質を保証することが必要であり,その質の中に労働・雇用に関するルールを含めることを決めたものである。初め国際サッカー連盟は児童労働問題に関心を示しておらず,そのために行動綱領を作ることに積極的ではなかったが,アメリカに本部がある国際労働基金が「ファール・ポールキャンペーン」を立ち上げ,児童によって作られたサッカーボールを公認しないように国際サッカー連盟に要請する運動が展開されたり(27),その他の団体の同様な運動を無視しえない状況になって,国際サッカー連盟は決断した。

 この文書の特徴は次の点にある。1つ目は順守すべきルールの範囲が中核的労働基準以外にも及んでいることである。順守すべきルールとしてILO条約29号,87号,98号,100号,105号,111号,138号の7つの中核的労働基準を定めた条約の他に,賃金が最低の生活を保証するものであること,労働時間が法律の規定にしたがっており,週48時間を越えないこと,残業が週12時間を越えないこと、週1日の休日を保証すること,安全衛生規則を順守すること,臨時労働者を過度に利用しないこと,下請け制度や徒弟制度を使い,正規の従業員を減らし,労働法上の義務を免れることのないようにすること,若い労働者に教育や訓練プログラムに参加させることが含まれている。

 もう1つは,この順守は下請けの企業,部品を作る企業,販売をする企業にも適用することにし,ライセンスを認める前提として順守されているかどうかのモニタリングをきちんとおこなうことが定められている。

 3番目の特徴として,この行動網領が順守されているかどうかのモニタリングのために国際サッカー連盟に情報を提供すること,その情報提供を理由としての解雇や不利益な取扱を禁止すること,いつでもモニタリングのために企業内に立ち入ることを認めること,労働者の名前,年齢,労働時間,賃金額の記録を整備しておくことを定めている。

 4番目には,この綱領に違反する企業,下請け企業,取り引き企業に制裁を課すことが明記され,ライセンスを取り消すことを定めている。

 5番目には,この綱領に合意するかどうかの会議にILOの職員も出席して,おり,ILOの協力が背景に存在していた。特に7つのILO条約が掲げられているが,これはILOの示唆を示すものである。正式にILOが中核的労働基準についての宣言を決議するのは1998年6月であり,それ以前にこの綱領に取り入れられていることはILOの意向やそれを先取りした国際的労働組合の意図が働いていることを示している。

 スポーツ用品会社としては国際サッカー連盟からの認可を得られなくなることは大きな痛手であり,ライセンスの使用が不可能になれば売り上げが下がることになる。この綱領の効果はきわめて大きい。したがってモニタリングをきちんと実施することが必要であると同時に,働いている児童に教育や職業訓練を支援することが不可欠である。国際サッカー連盟自身がそれを実施するためのノウハウを持っていないので,それを実施する専門能力を持つ組織に財政的に支援することで,その責任を果たすことができる。

 この労働行動網領は1998年再び国際自由労連との間で合意ざれ,ワールドカップのフランス大会では児童によってつくられたサッカーボールを使わないことになった。2002年の日本と韓国の共同開催によるワールドカップでも同様な措置が取られている。このワールドカップではアディダスが取扱い,モロッコで児童以外によって生産されたポールが使われている(28)。

 しかし,以下の問題点がある。国際サッカー連盟とはライセンス契約を持たない業者にはこの綱領の効力が及ばない。小規模な業者には契約を結んでいない者がいるので,この綱領にはそれらの業者には効力が及ばないという限界がある。さらに,国際サッカー連盟はサッカーボールの生産に児童労働が従事しているのをなくすのが目的で活動しているが,サッカーボール以外にも各種のポールやスポーツ用品も生産しており,それに従事している児童はどうなるのか。救済の対象から省かれるのであろうか。国際サッカー連盟としては多分そこまで責任は持たないと主張するであろう。同じ会社の仕事なのに,サッカーボール以外のスポーツ用品を生産している児童は置いてけぼりでいいのか。各種のスポーツ団体の共同作戦が必要ではないか。国際オリンピック委員会あたりが指導力を発揮すべきではないか思われる。

(3)アトランタ協定(Atlanta Agreement)

 これはアメリカのアトランタで1997年12月14日パキスタンの児童労働を撲滅するために締結された協定である。締結当事者はシアルコット商工会議所,ILO,UNICEFである。ILOはUNICEFとともに1992年以来児童労働撲滅計画(IPEC)を実施しており,その一環としてアトランタ協定の締結に至った(29)。

 この協定では児童労働をなくすための監視活動と児童に教育や訓練を与えるためのプログラムが定められている。それを実施するために委員会を組織し,それには先の3つの組織の他に,NGOとして「Save the Children-UK」,「Bunyad Literacy Community Council」(BLLC基礎教育に力を入れているパキスタンのNGO),「Pakistan Bait-ul-Mal」(パキスタン総理府によって設立された社会福祉機関)の組織が参加している。この協定に賛同するスポーツ会社は55社にのぼっている。日本からもミズノ,ミカサ,タチカラ,ニマツが参加している。

 モニタリングはILOが担当している。家庭での児童労働の有無を調査するのは難しいので,男5人,女3人ぐらいで縫い合わせる作業をおこなう作業場(Stiching Centre)を作り,それを登録させる。家庭とは切り離した作業場を設置している。ここでは工場法の適用を受けなくてすむように人数を限定している。ILO自身が工場法の適用を受けない事業場の設立を提言していることに,児童労働の解決の難しさを表しているように思われる。製造/輸出会社にはその縫い合わせ作業場に生産部品を持っていくように求められている。1999年3月31日までにすべての生産を登録された作業場でおこなうことが計画されていた。

  監視には内部監視と外部監視がある。内部監視は製造/輸出会社が実施する監視活動であるが,まずポールを生産している事業場や家内工業の場所を特定する。次に,そこで働く者の名前,年齢,住所を記録し,14歳未満の者がいないかどうかを確定する。この記録はILOに送付される。この調査は6ヵ月ごとに実施し,それがILOに送られる。

 外部監視は,内部監視が正確かどうかをチェックする。ILOは監視人を訓練しており,その者は予告なく事業場に出かけて調査できることになっている。毎日1人の監視人が1日4〜5ヵ所で監視できる。7人の監視人で1日35カ所を監視することができる。午前中に監視活動をし,午後にはその結果がILOに報告されると同時に,輸出業者にも送られる。

 記録されている員数と仕事している事業場が分かれば,生産個数の予測がつく。平均して1人1日3.5個作るという前提で計算されており,その予測と違う個数がでてくれば違反の疑いが生じてくる。協定に違反していることが判明すれば委員会に知らされる。

 監視の結果児童労働が見つかった場合,はじめはその児童を解雇するようILOは指導していたが,途中からそれを改め,訓練を受けることができるようになるまで,同じ所で働くことを認めている。いきなり労働の場から排除すると生活に困る家庭が出てくるので,それを避けるために柔軟な方法を採用している。

 訓練プログラムであるが,計画ではインフォーマル教育を実施するセンター(Umang Taleemi Centresと呼ばれている)がBLCCによって設置ざれ,1ヵ所で35人ぐらいの児童を教える。そこで7歳から14歳までの児童6500人ぐらいが1日3〜4時間勉強し,2年間の教育を受ける予定になっている(30)。7000人の児童が働いているという統計からすれば,9割の児童が救済を受けることになる(31)。176人の教師(うち女性163人)が雇用され,朝と夕方にそれぞれ3〜4時間数えることになっている。2部授業であり,児童は働きながらでも授業が受けられるようになっている。これはいきなり児童を労働の場から引き離すことは家庭の生活の基盤を危うくするおそれがあるためである。徐々に児童労働を削減するという政策を採用していることを意味する。

  ここでの教育はあくまでもインフォーマル教育であるので,いずれはフォーマル教育に移行すことを前提としているが,その実態がどうなっているのか不明である。移行のケースは少ない可能性がある。インフォーマル教育機関におれば支援があるが,フォーマル教育機関に移ればそれがなくなるからである。フォーマル教育機関に移っても奨学金制度をもうけて経済的理由でドロップアウトすることがないよう配慮する必要がある。

 教師の賃金は1月1000パキスタン・ルビーで低い。教師になるためには少なくとも中学校を卒業していることを条件としている。さらに2カ月ごとに2〜4日教師としての訓練を受けるとができる。教育の質を確保するための努力がなされている。これはこれまでのパキスタンの教育への批判が背景にある。児童が教育を受ける機会からドロップアウトするのは,児童側の理由だけではなく,教育を提供する側にも問題があるからである。教育を受ける意欲を減退させる教育方法や教員の質の悪さ,アルバイトに精を出すために欠勤が多いこと,勤務態度の悪さが指摘されており,それらを解決する試みがなさていることになる。

 教育センターの施設,机,椅子,教科書がBLCCによって提供されるとともに,UNICEFはパンジャブ州政府の厚生省と提携して児童の健康管理のために,健康診断を毎年実施している。シアルコット商工会議所に加盟する企業は児童のスポンサーとなって学校に通う費用を負担した。「Save the children」はこの地区の2つのNGOに財政援助をして,児童が学校に通いやすくするためのインフラストラクチャを整備し,出席率向上に貢献している。さらに教師の訓練費用も支援している。

 児童を労働の場から解放するためには家族の生活の安定が不可欠である。そこで家族の収入を増やすために,貯金と低利の小規模クレジット制度を実施している。そのために農村支援計画(National Rural Support Programme)では,農村部で生協を組織し,そこに3500の家族が加入している。そこに政府の資金援助で低利のマイクロ・クレジット制度を設けている。さらに家畜やポンプ等の共同購入を進め,生活の安定のための活動をしている。児童が労働の場から離れることによって生じる穴を埋めるために,女性が家庭でポールの生産に取り組むようになった。

  先程モニタリングをきちんと実施するために家庭から切り離された作業場で仕事をおこないようになっていたと述べたが,それが宗教上の戒律から嫌われた。女性は家庭の外で働くことは避けたいために,再び家庭を作業場とすることを認めざるをえなくなっている。手間賃は児童の場合より上昇し,Aクラスの製品1個28ルピー,Bクラスで25ルピー,宣伝用のボールは15〜20ルピーとなっている。これで収入が増えているし,生活費用が不足しても生協から安い利子で借りられるようになっており,従来より生活の不安が少なくなってきた。

 このアトランタ協定では,働く児童を労働の場から教育の場にむかわせるためのプログラムを実施し,それが効果をあげるために,児童を抱える家庭の生活が成り立つような工夫がなされている。これは児童を労働の場から解放するだけでは問題が解決しないことを認識した上で,児童を含む家族の生活をいかに保証していくかという発想で総合的なプログラムが作られている。そのために国際機関,政府,NGOを巻き込んだ大規模な活動になっている。そうしなければ実施困難なプログラムだからである(32)。この協定は4年間続いたが,その成果として児童労働が75%以上減少し,成功したと評価されている(33)。この問に170人の児童が働いているのが見つかっている(34)。そこで2002年3月からさらにもう4年間の協定を締結して児童労働撲滅に努力することになった(35)。

 問題はこの協定に参加しない会社があることである。2000年2月段階で65の会社が参加していたが,すべてを網羅していない。さらに,モニタリングが厳しくなればなるほど,より遠くの農村部の家庭に下請けに出す可能性があり,そこで児童が働く事態が生じる。つまり,1つの所で児童労働を解消しても,別の所で児童労働が見られるといういたちごっこが引き起こされる可能性がある。

 さらに重大な問題はシアルコットでは児童がサッカーボールを初めとするスポーツ用品の生産だけに従事しているわけではない。それ以外にも,れんが製造,石切り,じゅうたん製造,外科用の手術用品製造等にも従事している児童がシアルコット周辺部にいる。サッカーボールの生産に従事している児童の救済に成功しても,それ以外の仕事についている児童をどうするかも心配しなければならない。サッカーボールの生産から他の仕事に移動していく児童さえいるからである。

 救済を受けることができた児童はラッキーであるが,受けられなかった児童はアンラッキーと割り切ることができるだろうか。

 救済を受ける児童をどうやって選択しているのであろうか。すべての児童を救済できないことはわかっているので,選別せざるをえない。救済してもらいたいと声を上げた者が救済を受けるのが普通のようである(36)。児童自身なり親なりが救済団体に訴えていかなければ救済を受けられないのである。じっと受け身で救済を待っていたのでは番はまわってこない。つまり自己主張をしなければ救済を受けられない。日本であれば救済の必要度の高い順番から救済の手を差しのべるということを考えるであろうが,パキスタンやインドは違うようである。救済をもらいたければその旨を主張しなければ得られない社会である。自己主張しない者は主張すべきものを持たない者であると解されるからである。そうなると主張すべき手段を持たない者は不利益を受ける。その手段を多く持つ者ばと早く情報を入手して自己主張して利益を取ってしまう。このような社会では自己主張こそ生きる手段なのである。このことはインドで生活しての実感としてよく分かる。この場合本当に救済の必要な者に救済の手が差しのべられない可能性がある。これは救済を受けられる者をどう選ぶかという問題があることを示している。

(4)インドのスポーツ用品製造輸出団体とインドスポーツ用品基金の活動

 インドでは児童の人権を守るNGOである「South Asian Coalition on Child Servitude」(SACCS)が中心となって児童労働を撤廃する会議が1997年4月に開催され,そこで「スポーツ産業児童撤廃合同会議」が結成された。そこには8つの使用者団体,3つのNGO,政府機関であるスポーツ用品輸出促進協議会,ILO,UNICEFが参加した。1ヵ月後「Christian Aid」がSACCSと共同でスポーツ産業の児童労働の実態調査の結果,2万5000人から3万人の児童が働いているという報告を発表した(37)。これに製造/輸出業者が反発して,この合同会議は活動停止に陥った。そこで,スポーツ用品製造輸出団体(Sports Goods Manufacturers' and Exporters' Association, SG MEA)は自ら指導力を発揮して児童労働撲滅を実現することを宣言した。これはSACCSを排除して活動する道を選んだことを意味する。

 25の製造/輸出会社が集まってインドスポーツ用品基金(Sports Goods Foundation of India, SGFI)を設立して,世界スポーツ用品産業連盟(WFSGI),ILO,「Save the Children」と共同で活動を開始した。SACCSは排除されている。1999年2月に協定を締結したが,インド政府はILOに外部監査をまかすことに反対した。計画の実施に多額の金が流れるだけで,子供自体の救済に直接役に立つ費用にならないことが,その反対理由であった。輸出業者もこの反対意見に賛成し,外部監査に反対した。これはILO側がSACCSをこの協定に含めようとするのに対して,インド政府と輸出業者が反対の立場にたっていたからである(38)。さらに,インド政府がパキスタンで採用された方式を真似したくないという意見の表明でもあった。

 SFCIは次のような方法で2000年1月からモニタリングをおこなった(39)。SFGIに加盟する企業は下請けでポールを縫う仕事に従事している事業所の登録とそこで働く人のリストをSFGIに提出しておく。そのリストには縫う仕事を担当する人の性別,年齢,学歴,経験年数を記録しておく。SFGlに登録された事業所には赤いプレートをつけておく。2001年9月までに約2200か所で赤いプレートがつけられた。その事業所は2種類に分類されている。1つは7人以下の人が仕事をしている事業所であり,Stitching Unitと呼ばれている。もう1つは8人以上が働いている事業所でStitching Centreと呼ばれている。これは80前後設置されている。この両方をまとめてStiching Locationと呼ばれている。

 企業内部で担当者がモニタリングをおこなうだけでなく,外部の者によるモニタリングが実施されている。6週間おきに,抜き打ちに調査をおこなっているが,どの事業所を調査するかは調査の当日に任意に抽出して決めている。これは事前に調査することがもれないようにするためである。調査の結果,2000年1月から12月までに70人の児童が働いているのが見つかっている。2001年1月から9月までで125人の児童が見つかっている(40)。

 SFGIでは児童が教育を受けることを支援している。公立の学校の施設を利用して,インフォーマル教育を支援している。公立の学校の従業が終わった後,約100人の子供が週5日2時間ずつの授業に参加している。制服や教科書はSFGIが提供しているし,子供を学校にいかせている親には月100ルピーが支給されている。子供にはおやつも提供されており,栄養面での配慮もなされている。インフォーマル教育からフォーマル教育に移行していく児童が生まれており,この児童には奨学金が支給されている。

 問題はSFGIに加盟していない企業が存在することである。少しづつではあるが加盟企業が増えているが,すべてを網羅しているわけではない。SFGIではパネルに製造者のlDナンバーがついているので,もしそれが赤いプレートのない事業所で見つかった場合には,ただちにSFGIに通報することが義務づけられている。これによってパネルがどのようなルートで発送されているかをチェックできるようになっている。これでモニタリングが完全にできるような仕組みができている。ただSFGIに加盟しない企業があり,これをいかに減らしていくかが課題である。さらにこの制度で救済される児童の数に限界があり,これをいかに増やしていくかが,もう1つの問題である。


 5 おわりにあたって

 児童労働を撲滅するためには,児童を労働の場から解放するだけでは終わらない。問題はそこからである。その児童に教育や職業訓練を施すことが必要である。それは児童が14歳になった時の就労を助けることになる。読み書きを身につけることによって,将来熟練を身につける準備になる。その教育や訓練を受けることができるためには,その間の生活が保証される必要がある。そのためには児童を含めて家族の生活の安定を図っていかなければならない。そのためには総合的な社会政策が不可欠である。親が貧困のために児童が働くのであり,親の生活を保証するための政策をセットで立案しないと,児童労働の撲滅につながらない。アトランタ協定に関連してなされた政策にそのことがはっきり示されている。今後の政策立案のモデルがここに示されているように恩われる。

 本稿では実態調査を経ていないために,もっとも新しい実態を呈示することができなかった。現在いくらまで児童労働が減っているのであろうか。救済を受ける児童がいる反面,労働に従事する児童が新たに生まれているのではないか。そうすれば児童労働の数を確認するのは難しくなる。さらに救済を受ける児童が公平に選ばれているのであろうか。すべての児童を救済できないので,救済を受ける児童をどう選んでいるのか。公平さを確保できているのかの確認も必要である。

 その他にも文献研究だけではわからない領域が存在する。その中で一番気がかりなのは,救済を受ける対象側の自発的な活動があるかどうかである。児童自身がみずからの意見を述べる場とか組織がないのであろうか(41)。また児童を働きに出さざるをえない親が活動する組織はないのであろうか。縫い合わせる仕事をしている女性が字を習うための運動をおこしている可能性もあるかもしれない。ダリットの女性の識字率は低いが,それを高める活動をおこしている場合もあるのではないか。これは児童にもいい影響を与え,勉学の意欲を高める機能を果たす可能性がある。これまで受け身で救済を待っている存在だけではないかもしれない。救済を受けるにしても自己主張しなければ得られない社会だからこそ必要な活動なのである。しかし,これらの情報がなく,本稿では救済を与えようとする使用者(団体),国際機関,スポーツ団体,NGOの活動についてしか述べることができなかった。つまり,児童労働を撲滅するというAbolitionの活動と,それを救済するというProtectionの活動にはふれることができたが,みずからの力を発揮するためのEmpowermentの側面や,それをもとに自立して活動するSelf-Relianceの側面にはふれられなかったということである。

 日本では児童労働,特にサッカーボールの生産に従事している児童のことを知り,それをなくすための活動が少ないように思われる(42)。いくつかのNGOが活動しているが,それが大きな運動につながっていないのが大変残念である。最初に述べたように日本はサッカーボールの消費大国であり,消費者運動と組んで活動していく必要がある。サッカーの暗部としてフーリガンが注目を集めている。フーリガンとして社会に不満を持っている者が騒動を引き起こしているが,フーリガンが暴力行為をおこなうのは試合の期間中とその前後だけである。これに対して児童労働はもっと深刻であるし,その解決に取り組まなければ長く続く可能性がある。解決の必要度はフーリガンよりずっと高いと恩われる。

 本稿ではサッカーボールの生産に焦点をあてて述べてきたが,スポーツ産業ではそれ以外のスポーツ用品も児童によって生産されている。その児童の救済をどうするのか。国際的なスポーツ用品会社や国際的スポーツ団体の活動に期待するところ大であるし,NGOの活動する余地はますます大きくなっている。ILOの2002年の総会で,6月12日を「児童労働に反対する世界の日」(反児童労働国際デー)とすることを決定した。毎年この日に児童労働問題に世界の注目があつまる行事を実施する予定になっている。これが児童労働への関心を高めるきっかけとなることが期待されている。


(注)

(1)児童労働撲滅に貢献するマスコミの役割を議論したものとしてKarim Malik, "The Critical Role of Media Towards Child Labour in Pakistan", South Asian Studies, vol.13, no.1, pp.77-86。

(2)アメリカが国際貿易のための協定を結ぶ時,社会条項として国際労働基準を順守することを定め,それに違反すれば制裁を課すという提案をGATTにおこなったことがきっかけで,社会条項をめぐる議論が沸騰した。これはWTOやILOで議論されたが,現段階ではILOでの中核的労働基準を順守することを宣言して一応の解決を見た。児童労働の廃止,強制労働の廃止,差別の禁止,結社の自由に限って,関連する8つのILO条約を批准していなくても順守していくことを宣言した。しかし,制裁を課すことは含まれていない。各国にその順守状況をILOに報告させるが,それは順守できない場合に順守できるように技術援助を与えるためである。その後,任意に労働や雇用に関する企業行動規範を普及させる運動がおこっている。国連のアナン事務総長が提案したグローバル・コンパクト,OECDの多目籍企業ガイドラインの2000年6月の改正,レオ・サリバンが提唱したグローバル・サリバン原則,SA8000〈SAとはSocial Accountabilityの略語)等がそれである。これらの資料として全日本金属産業労働組合協議会(IMF-JC)編「海外事業展開に際しての労働・雇用に関する企業行動規範」2001年5月参照。

(3)中村敏雄編「ラグビーボールはなぜ楕円形なの?」大修館書店,1992年7月,p.54。

(4)牛の取扱をめぐってヒンズー教徒とイスラム教徒の紛争を詩じた文献として小谷汪之「これからの世界史5巻ラーム神話と牝牛―ヒンドゥー復古主義とイスラム」平凡社,1993年11月参照。

(5)Sydney H. Schanberg, "Six Cents an Hour", The Life, June 1996, p.41. Jonathan Silvers, "Child Labour in Pakistan", The Atlantic Monthiy, vol.277, no.2, p.85. 深沢宏「サッカーボールは誰が作るのか」平井肇編「スポーツで読むアジア」世界思想社,2000年9月,3頁。

(6)拙稿「アジアにおける児童労働と日本の役割」日本労働研究機構編(主査・香川孝三)「アジアにおける公正労働基準」2001年3月(拙著「アジアの労働と法」信山社,2000年2月にも収録),拙稿「インドにおける児童労働と法律」はらっぱ(子ども情報研究センター編)187号,1999年7月,拙稿「サッカーボールの生産と組合運動」lMF‐JC267号,2002年4月。

(7)中核的労働基準とは結社の自由(ILO条約87号,98号),差別の禁止(100号,111号),児童労働の禁止(138号,182号),強制労働の禁止(29号,105号)の4分野で関連する8つの条約を指している。アジアの中ではインドネシアとカンボジアだけが8つのすべての条約を批准している。日本は6つしか批准していない。宣言にいたる経緯とその後の動きについてはAnne Trebilcock, 「労働の基本的原則および権利を尊重するためのアジア諸国の努力を支援するILOの役割」日本労働研究機構編・前掲書,2001年3月19頁。

(8)日本労働研究機構編(主査・秋元樹)「先進国における児童労働」日本労働研究機構,2000年3月。

(9)前掲深沢宏論文14−15頁によれば,パキスタンのサッカーボールの輸出量として1990−91年には,1975万個(金額2979万円),1991−92年には1922万個(金額3243万円),1992−93年には2097万個(金額3612万円),1993−94年には3464万個(金額7024万円)となっている。これらは1993−4年にはアメリカ(597万個),ドイツ(382万個),イギリス(294万個〉,日本(244万個),フランス(231万個),スペイン(226万個),アルゼンチン(194万個),ベルギー(133万個),イタリア(132万個)等の国々に輸出している。

(10)チャマールの役割をまとめた文献として押川文子「原皮流通の変化と皮革カースト」『カースト制度と被差別民第四巻』明石書店,1995年1月,289頁以下およびG.W.ブリッグス(渡辺健夫訳)『不可触民の民族と宗教一皮革カースト,チャマールの世界』人文書院,1989年9月,52−55頁。

(11)"Dark Side of Football---Child and Adult Labour in India's football industry and the role of FIFA". http://www.indianet.nl/vbindia.html

(12)押川文子「困難な貧しさからの解放」佐藤宏・内藤雅雄・柳沢悠編『もっと知りたいインド1.』弘文堂,平成元年4月,196頁。

(13)長谷安朗「シク社会における不可触民」『カースト制度と被差別民第一巻』明石書店,1994年10月,307頁。シク教はナーナク〈1469年‐1538年)を開祖とするヒンズー教とイスラム教を批判的に融合した宗教である。パンジャブ地方にシク王国を築き上げたが,1849年イギリスによって滅ぼされた。シク教団はシク連盟という政党を結成して,独立後シク教徒だけの州を要求し,一時期であったがシク教徒のパンジャブ州とヒンズー教徒のパンジャブナに分割することに成功した。今もシク教徒はパンジャブ州に多く住んでいる。インド全体ではシク教徒は2%弱しかいないが,パンジャブ州では60%を占めており,多数派である。このことがパンジャブ州での宗教紛争を引き起こしている。

(14)前掲長谷論文,321頁。

(15)前掲押川文子論文「原皮流通の変化と皮革カースト」322および326頁。

(16)サッカーボールの生産技術の問題についてはデズモンド・モリス(白井尚之訳)『サッカー人間学―マンウオッチング2.』小学館,昭和58年2月,186一192頁。

(17)深沢宏「モハンダース・カラムチャンド・ガンディ一―特にその経済思想について」一橋論叢55巻4号,1964年。

(18)V.V. Giri, National Labour Institute ed., Child Labour in the Sports Goods Industry---Jalandhar-A Case Study, 1998, pp.13-17

(19〉Directorate of Labour Wefare and International Programme for the Elimination of Child Labour(IPEC), Child Labour in the Football Manufacturing Industry, ILO, December 1996, p.IV パキスタン全体で児童労働は600万から1000万人の間の数字になっている。パキスタン政府の1996年の数字では630万人としている。(S. Nazre Hydr, "Child Labour in Pakistan: Problems, Policies and Programmes", Asia-Pacific Development Journal, vol.5, No.1, June 1998)。1994年インド政府は2000万人の児童労働があるという統計を発表している。しかし,それは少な目であり,Balai Data Bank, Manilaでは1億人を越えているとし,Campaign Against Child Labourでは7000万から8000万人と推定している(Child Labour in India, http://www.citinev.it/associationi/CNMS/archivio/paesi/childlab_india.html)。製造業の場合にはスポーツ用品製造以外に,じゅうたん製造,マッチ製造,花火製造,石切り,ガラス製造,れんが製造,外科用の道具製造等に児童労働がみられる。2002年5月6日のILOの発表では世界で働いている5歳から17歳の児童でILO条約に違反しているのが2億4600万人と報告している。うちアジア太平洋地域では1億2700万人としている。読売新聞2002年5月8日朝刊。

(20)"Soccer Ball", http://www.dol.gov/dol/ilab/public/media/reports/iclp/seats4/soccer.htm

(21)児童労働によらない商品であることを示すためのラベリングはカーペット製造業で使われているのが有名である。ラグマーク運動がそれである。Janet Hilow ed., "Labelling Child Labour Products", ILO, 1997 (http://www.ilo.org/public/english/comp/child/papers/labelling/part2.htm

(22)スポーツ用品の生産にみられる児童労働が問題とされているが,それを告発した文献であるアジア太平洋資料センター編『Nike: Just Don't do it --見えない帝国主義』月刊オルタ臨時増刊251号,1998年7月では,スポーツシューズの生産においてアジア諸国の労働者を搾取していると告発している。それに対して,:企業行動綱領を設けて対応している(http://www.nikebiz.com/labour/code.shtml)。ここでは代表としてリーボックの事例をあげたが,それ以外にも同様な活動をしている会社としてBaden Sports,Dunkin" Donuts Promotion, Kmart, Franklin Sports Inc. Molten, Spalding Sports Worldwide, American Soccer Company等々がある。

(23)その内容については全日本金属産業労働組合協議会編『海外事業展開に際しての労働・雇用に関する企業行動規範‐‐資料集〈第3版〉』2001年5月,131−2頁。差別待遇の禁止,労働時間の順守,強制労働の禁止,公正賃金の実現,児童労働の禁止,結社の自由,安全衛生の順守,下請,供給業者への適用,人権擁護への取り組みを定めている。

(24)企業行動規範は企業倫理を確立する手段として用いられているが,労働・雇用だけでなく人権や環境を保持することが企業に求められてきている。それらを含めて企業行動規範を作成することを促進する運動が進められている。SA8000,国連のアナン事務総長が提唱するグローバル・コンパクト,レオ・サリバン氏の提唱するグローバル・サリバン原則,OECDの多国籍企業ガイドライン,IMFが進めている企業行動モデル,それを日本の実態に合わせて設定したlMF‐JCの「海外事業展開に際しての労働・雇用に関する企業行動規範」の運動がある。今後経済のグローバル化が進むにつれて無視できない.動きとなるであろう。

(25)Soccer Balls, http://www.dol.gov/ilab/media/reports/iclp/sweat4/soccer.htm

(26)その内容は前掲"The Dark Side of Football---"の中のAnnex1.に掲載されている。

(27)ILO Focus vol.10, no.1 Child Labour Pact, (http://www.us.ilo.org/news/focus/ChildPact.html)およびMian Neem Javed, "Light on the Horizon of the Millennium, (http://worldcup.globalmarch.org/world-cup-campaign/press-center/sialkot.php3)

(28)この情報は日本で機械で張り合せて作るサッカーボールを生産している広島のミカサからの提供である。

(29)"Soccer Ball", http://www.dol.gov/dol/ilab/public/media/reports/iclp/sweat4/soccer.htm

(30)Samuel Poos, "The football industry from child labour to workers' rights", http://www.cleanclothes.org/publications/child_labour.htm U.S. Department of State ed., Pakistan--Country Reports on Human Rights Practices-2001によれば,計画では185のリハビリテーションのセンターをつくる予定であったが,2000年末に153のセンターを設置した。さらに70のセンターを設置する予定となっている。作業場の設置であるが,2000年末までに家庭に基盤を置いた作業場を360,それより大きい作業場を146設置したとある。これは女性が家庭から離れた場所での仕事を嫌うことを考慮した結果である。家庭を基盤にすると児童労働の温床になることから,それをなくす方向であったが,軌道修正された。シアルコットでもっとも模範的な企業としてSaga Sportsがあるが,ここでは地域に作業場に設置し,食堂,託児所,休憩所,診療所,水飲み場,自家発電装置,通勤のための輸送手段を備え,地域のコミュニティ・センターとしての機能も持つ作業場となっている。さらにシアルコットではじめての労働組合がこの会社で結成されている。

(31)働いていた児童が学校に通い始めた後も労働の現場から消えていないという問題点を指摘する文献として"Pakistan's soccerball industry ---After the children went to school", The Economist, April 8th 2000, p.76.

(32)約2年間にシアルコット商工会議所は25万ドル,ILOは50万ドル,UNICEFは20万ドル,Save the Childrenは100万ドルを提供している。パキスタン政府は農村支援計画のために8000万パキスタン・ルビーを提供している。Samuel Poos, "The football industry from ---", p.7-8。

(33)ILO and IPEC ed., Fact Sheet, "Pakistan-IPEC successfully applies model programme in football-making industry", p.1(http://www.ilo.org/public/english/standards/ipec/about/factshht/facts02.htm

(34)News. http://www.bbc.uk/hi/english/world/south-asia/newsid-1231000/1232262.htm

(35)Samuel Poos, "The football industry from child labour to wrker' right", http://www.cleanclothes.org/publications/child_labour.htm

(36)ACE ed.,『グローバルマーチ・ワールドカップキャンペーン2002―世界から児童労働をキックアウト!』(2001年5月31日記者会見およびNGO交流会記録報告書)13頁。(http://www.jca.apc.org/ACE/wcc/pressconf.htm

(37)Christian Aid, A Sporting Chance---Tackling child labour in India's sports goods industry, May 1997, p.3.

(38)前掲" Soccer Balls", pp.16-17, および"Dark Side of Football", p.11。

(39)岩附由香「インドのスポーツ産業にみる児童労働防止の取り組み」ヒューライツ大阪二ユースレター41号,2002年1月,8頁。および「サッカーボール生産過程」http://www.jca.apc.org/ACE/football/production.htm

(40)Sports Goods Foundation of India, "The Sporting Goods Industry Responsive Approach to Child Labour", http://www.wfsgi.org/SGI/activities/CEFT/SGFI/htm

(41)インドでは児童が労働組合を結成している事例が報告されている。1991年8月子供労働組合(バル・マズドウール・サンガ)がバタフライというNGOの援助で結成されている。これはインド労働組合法に基づく登録が拒否されたが,インド最高裁が登録を連邦政府に命じた判決を出した。国際子ども権利センター編『インドで働く子どもたち』1998年11月,45頁。

(42)日本での動きの事例として次のものがある。2001年5月31日,東京・竹橋でchild labour free footballsをスローガンに児童労働についての理解を深める会議が開かれた。Global March Against Child Labourが中心となって国際的に展開しているキャンペーンの一環であった。それ以来キャンペーンを展開している。2001年6月1日にはこのキャンペーンに参加しているNGOが会議を開催している。いくつかの新聞が啓発のための報道をおこなっている。産経新間2001年11月23日朝刊,東京新間2002年1月1日朝刊,2002年1月3日朝刊,2002年1月12日朝刊,2002年1月18日朝刊,週刊労働ニュース(日本労働研究機構編)2001年6月4日,ヒューライツ大阪ニュースレター38号(2001年7月),読売新聞2002年5月5日朝刊を参照。