はじめに
人権とは、何よりも「知る」ことからはじまります。事実関係や法理論、国内・国際社会の努力の実態と成果、課題を知ることです。次に求められるのは「行動」です。おそらくこの連続学習会もそういう主旨で企画されたと思います。私は1980年第1回目から今回まで合計14回、この学習会で報告を続けることができました。友永所長をはじめ、事務局の方に敬意を表したいと思います。またご参加のみなさまなしに継続はありません。みなさまにも敬意を表したいと思います。
さて、昨年、日本国際法学会の100周年記念事業として10巻の本が出版されました。私は第4巻『人権』の編集を担当し、マイノリティをテーマにした研究論文を載せました。今回はその紹介を含めて、マイノリティの歴史的・今日的な状況や問題、課題を皆さんと一緒に確認したいと思います。
マイノリティとは
まずマイノリティとは何か、マイノリティが抱える問題とは何か確認したいと思います。「マイノリティ」の定義は国際連合のレベルで長い間議論されましたが、今日も明確な合意に至っていないのが事実です。マイノリティとは、一言でいうと数の問題です。ある特定の社会に所在する個人を民族や宗教などで分類したとき、少数に属する人たちと考えれば間違いないはずでした。ところが国連レベルでは、数だけでマイノリティを定義できないという問題があります。特に南アフリカのアパルトヘイト問題で、少数の白人が多数の有色人種を差別しました。
女性の問題にしても、確かに女性は男性よりも多数ですが、歴史的に今日、女性は差別を受けています。女性はマジョリティで男性はマイノリティだという議論は、少なくとも国際人権法の立場から議論できません。マイノリティとは、特定の個人集団が享有する人権とその尊厳、アイデンティティを尊重するために用いられ、それを課題とする歴史があり、数だけで割り切れないのです。結局、マイノリティの定義を議論するのはやめることになりました。
マイノリティ問題の本質として、一方で古くからこれを国内問題とする議論があります。一国内に所在する民族的・文化的・宗教的マイノリティの人たちは、その国内の法律や政策により地位や処遇が決定されるということです。国際社会や外国がこの問題に口を挟むと内政干渉となります。伝統的な国際法では、国内決定を尊重することは常識だったのです。他方で、国際法上、古くから「人道的干渉」という言葉があります。これは国内紛争地域でNATO軍や国連軍の介入を正当化するときに使われます。国際法上、禁止された干渉の違法性を阻却する理由として、「人道」という言葉が用いられました。宗教改革後の30年戦争で、十字軍がイスラム教地の東・中央ヨーロッパに集団的に干渉するのを正当化したとき、はじめて「人道的干渉」が用いられました。
93年に開かれたウィーンの第2回世界人権会議以来、議論が続いている人権の普遍性の問題もあります。例えばフランス人権宣言で、人間は生まれながらにしてその権利と自由において平等であり、人権は人間がすべて享有すべき権利であると人権の普遍性を謳っています。これは、フランス人権宣言から200年を超えた今日でも達成できておらず、依然として概念・観念上の定義にとどまっています。その中で、マイノリティの人たちは、一国内に所在する特定の集団として、その違いゆえに本来享有すべき権利が否定されたり排除されたり、時には虐殺の対象にさえなったりしています。もちろん人権に優劣があるとはいえませんが、人権と平和を考えるとき、マイノリティの問題が正しく認識され解決されなければ、今後も特定の宗教や民族の違いだけで権利が侵害され、生命さえ脅かされることになります。この問題は、今日の国内・国際社会の平和や安定にとって非常に重要で不可欠な問題になっています。例えばスリランカや東チモールの問題のように、アジアだけでもマイノリティの処遇や権利の問題が間違った方向に走ったことが、武力紛争に発展しました。
第一次世界大戦までのマイノリティ問題
第一次世界大戦までのマイノリティ保護に関する歴史を見ると、さまざまな条約の中でマイノリティが保護の対象であることが分かります。1648年のウエストファリア条約で、ドイツ国内のプロテスタント(新教徒)に対し、ローマ・カソリック(旧教徒)は平等であるべきだと約束しました。1815年ウィーン会議の最終議定書で、スエーデンは自国内のポーランド人にその民族性を保障しました。1856年パリ条約で、ギリシャの独立を承認するかわりにモスレム教徒に信仰の自由を認め、1878年パリ条約では新生独立国を承認する条件として国内の宗教の自由を保障しました。このように一連の国際文書の中で、すでにマイノリティ保護の国際的努力や合意はできていました。ナポレオン戦争後、1815年に結ばれたウィーン会議最終議定書で、ボズナン地方のポーランド人にポーランド語をドイツ語と並んで公用語に認めさせました。この条約以外、宗教的・民族的マイノリティが、国家独立を認めるかわりに義務を課すといった二国間・多数国間条約の中で保護の対象になりました。これはヨーロッパの慣行でした。この場合、国家が国際法上負うべき一般的義務ではなく、国家間の力関係としてマイノリティ保護を認めさせたことが特徴です。
国際連盟とマイノリティの保護
第一次世界大戦終結後、人類初の国際的平和機構である国際連盟が設立されました。この国際機構は一国内に所在するマイノリティ集団の権利保障にはじめて関与しました。その意味で国際連盟のマイノリティ保護政策は、画期的で人権の歴史上見逃せないエポックだと言えます。特定国家に所在するマイノリティの権利保護は、ヨーロッパの国際平和にとって欠かせないという戦勝国(連合国)側の認識があって、それを政治的圧力の中で実行しました。つまり戦後処理の過程で、先勝国が特定の敗戦国と第一次世界大戦の結果として独立した国、あるいは戦争によって何らかの恩恵を受けた国に、その国内にいるマイノリティの保護義務を押し付けました。押し付けられた国は、二国間・多数国間条約または宣言で、その保護を国際的に約束しました。ここまでは大戦前のヨーロッパの慣行と同じです。
大戦前との違いは、一つに連盟の同意なくして、マイノリティ保護に関する条約の変更や修正は認めないとしたことです。もう一つに、連盟の中にマイノリティに関する事務局や委員会を国際機構の一つとして設置したことです。マイノリティの人たちは、自分たちの権利が侵害された場合、連盟に苦情を「請願(petition)」できるようになりました。請願の処理方法は、今の国際人権規約の通報制度と比べると非常に脆弱で、効力においてあまり期待できないものでした。しかし、一国内のマイノリティの権利状況が政府の頭越しに請願され、国際機構で話されるという制度は確立しました。この保護制度の欠陥は、特定の国家だけが国内のマイノリティの保護義務を負い、差別的だったということです。
ほとんどの国に間違いなくマイノリティが存在するにもかかわらず、なぜ我々だけが保護義務を負うのかと抗議し反対するようになりました。連盟は法の一般化に失敗しました。しかも請願の取り扱いに関するガイドラインがきちっと確立されないうちに、世界大恐慌とヒットラー登場、第二次世界大戦が起きました。結局、マイノリティ保護制度は失敗したといわざるをえませんでした。しかしこの制度は第二次世界大戦以降の国際人権法や国際的人権保障の制度的発展に重要な役割を果たしたと私は評価しています。
国際連合の成立とマイノリティの保護
第二次世界大戦の反省がきっかけとなって、国連が‡@平和維持、‡A自決の原則に沿った友好関係の発展、‡B人権と基本的自由の普遍的尊重を達成するために国際協力を進め、人権が国連の目的の一つとして据えられました。当然、「普遍的尊重」というと、あらゆる差別のない人権尊重を謳うことになります。憲章をつくるときからマイノリティ差別もここに含まれ、十分カバーできるという議論がありました。世界人権宣言が採択される過程で、ソビエトやユーゴスラビアが、具体的にマイノリティの保護についての条文を宣言に入れるべきだと提案しました。ところがこの提案はまとまらず、マイノリティ保護に関する条文は入れられないことになりました。
そのかわり、国連の人権委員会の下に「マイノリティ保護及び差別防止に関する小委員会」を設置し、そこでマイノリティの問題やその保護が議論されるようになりました。この小委員会の議論は、国際人権規約の制定過程で具体化されました。実際に、国際人権規約の成立を待たなければマイノリティ保護に関する具体的な条約はできませんでした。「市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」は世界人権宣言の採択から、17年目にようやく成立しました。成立にこれほど長くかかった一番の理由は、人権問題は国内問題だとの考えが非常に根強く、国際社会がこれに関与するには主権的抵抗が強かったからです。
特に最初から議論になり、かなりの時間がさかれたのは、実施措置を設けることでした。最初は国際司法裁判所に提訴する権利まで認めるという提案が出ましたが、最終的には報告制度にとどまりました。国家間の苦情申立ては、批准とは別の意思表示をしなければ実現しないようにしました。この国家間の苦情申立て制度はほとんど死んでしまった制度です。この制度は、冷戦期のように、ささいな人権侵害でも政治的に非難するための口実として利用されました。また犠牲者個人が規約人権委員会に直接訴える個人通報制度は、選択議定書として規約の外に出されました。日本も含め締約国は、まず規約本体だけ受け入れることになりました。
現在、日本はこの選択議定書に批准していませんが、100を超える国がこれに批准しています。この制度ですべての個人は、権利を侵害されて、なお国内で用意されている救済手段を尽くしても救済されないとき、規約人権委員会に通報することができます。委員会はこれを受理するかどうかを判断し、受理すれば当事国から意見を聞いて、最終的に違反があるかどうかを判断し、救済措置や是正措置を含めて当事国に勧告します。マイノリティの問題を、自由権規約の中に取り入れるとき、締約国の義務についていろんな提案がありました。
自由権規約27条が保障するマイノリティの権利
自由権規約27条は、民族的または種族的(national or ethnic)・宗教的・言語的マイノリティの人たちは、「自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を享有する」と確認しました。これらの権利の具体的な保障はいちばん大事です。しかし27条を見ると、そのような権利を「否定されない(shall not be denied)」と非常に消極的な表現になっています。つまり国家の言い分は、積極的に干渉し、権利を侵害さえしなければ27条の義務は十分果たせるということなのです。非常に不十分で消極的な国家の保護義務をいかに克服するかが最大の課題でした。27条の具体的な実施過程で、規約人権委員会が発足し、実施報告を定期的に審査するという監視制度ができました。その監視制度で27条が締約国に課す義務、あるいはマイノリティが享有する権利の中身が確認されました。
日本の例を見ると、政府は最初の実施報告で、日本に27条でいうマイノリティはいませんと報告しました。ところが、規約人権委員会は、報告審査のときアイヌや韓国・朝鮮人の人たちがいるではないかと質問しました。政府は、アイヌは日本民族で韓国・朝鮮人は外国人で、外国人はマイノリティではないと言いました。しかし2回目の報告の中で、日本歴史上はじめてアイヌという民族的マイノリティが日本にいると公に認めました。当時の中曽根首相が、「日本は『単一民族社会』だ」と発言したことに対して、アイヌの人たちが「我々は大和民族ではない」と言ったからです。ところが政府は、その人たちの権利は尊重され、差別されておらず、何も問題はありませんと報告しました。これに対し規約人権委員会は満足しませんでした。
日本の外務省は、委員会の意見や勧告は裁判所の判決ではないから拘束されないとの立場を取っています。国際人権規約が国際条約であることは間違いなく、規約の義務が国際法上の義務であることも間違いありません。それに違反した場合、どのような制裁が締約国に課されるかは別問題です。しかも規約人権委員会は国家代表によって構成されているのではありません。日本政府も推薦した専門家集団であって、政府自らがこの集団に権限・権能を委ねているのです。たとえ裁判と違っていても、意見や勧告を尊重する義務は当然あります。
ではこの27条でいうマイノリティとはどういう人なのでしょうか。27条の成立過程で、民族的または種族的、宗教的、言語的マイノリティの他に、外国人はマイノリティに含まれるかが問題になりました。マイノリティ問題の歴史が古いヨーロッパでは、外国人はマイノリティに含まれないとの理解が一般的でした。ところが第二次世界大戦後、在日韓国・朝鮮人の人たちのように旧植民地の住民として所在する外国人、ヨーロッパ統合によって自由に移動する人々といった外国籍のまま所在する住民が増えました。
国籍は確かに違いますが、マイノリティ保護の立場から見ると、間違いなく彼らのもつアイデンティティは保障されなければなりません。最終的には、外国人はマイノリティではないとされました。しかし、27条に関する規約人権委員会の一般的意見では、定住外国人はもちろん、一時的な観光客であっても外国人は27条で保障されると明確な意見が出されました。この一般的意見は、自由権規約の各条文に関する委員会の基本的な意見をまとめたもので、報告審査と並び重要な機能があります。しかし日本政府はいまだに在日韓国・朝鮮人をマイノリティとして認めていません。
マイノリティ権利宣言と条約
このように国際人権規約27条の実施過程では権利内容や国家が負うべき義務がかなり明確になりました。国際人権基準、特に自由権規約だけでは不十分との認識から1992年「民族的又は種族的、宗教的及び言語的マイノリティに属する者の権利に関する宣言(マイノリティ権利宣言)」が国連で採択されました。ここではかなり細かい国家の義務とマイノリティの権利を規定しています。27条を考える上で、この宣言は補完的機能を果たしていると思います。マイノリティに関するワーキンググループの議論で、外国人を含む27条の理解、自決の問題について時間がさかれ議論されています。ワーキンググループは、この権利宣言を条約化することを目指し、各国の意見を集約しています。私は今後、マイノリティのより完全な権利を保障し、国家に積極的措置を含めた義務を課していくために、権利宣言にとどめず条約化することに期待しています。
特に積極的措置に関して、「アイヌはマイノリティだが何も問題はない」と日本政府は言いましたが、一般的意見では、積極的措置が必要だと明確に謳われています。27条との関連で、規約人権委員会は先住民族のように歴史的に差別され阻害されて権利を享有できなかった人たちのために積極的措置を行わなければ義務を果たしているとは言えないということです。また、言語的マイノリティの人たちに対して、公教育の中で自己の言語にアクセスする、学習する権利を保障することは大切だとの意見を出しています。今問題になっている、いわゆる民族教育は正規カリキュラムの中で積極的に保障すべきなのです。民族的アイデンティティを保持するためには、言語、歴史、文化、伝統もきちっと保障されなければなりません。積極的措置として必要な措置を取ることは国際人権規約の締約国としての義務です。
マイノリティ権利宣言を条約化し、27条の義務をさらに細かくし、積極的措置は国際法上の義務だと明確にしないと国家は受け入れません。人権条約を国内で実施する上で、NGOが負っている義務、果たしている役割は非常に大きいわけです。尻叩きしないとなかなか動いてくれないというのが、権力の本質だからです。NGOや運動体がある地域には、民族教育の制度があります。大阪府・大阪市はかなり改善されましたが、全国・政府レベルで見ればまだまだです。日本だけでなく、特に国内紛争のある国で、政府自らの政策によって権利を侵害さえしなければいいという態度は、規約27条の義務と両立しません。もちろん国によって難しい状況にありますが、国の努力こそ27条は積極的に求めていると思います。