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第239回国際人権規約連続学習会(2003年4月16日)
世人大ニュースNo.249 2003年5月10日号より

「人権教育のための国連10年」の総括と今後の課題


友永健三さん(部落解放・人権研究所所長)

◆第1次「国連10年」の成果と問題点

  第1次「人権教育のための国連10年(以下、国連10年)」に取り組んできた成果として4点挙げたいと思います。<1>これまであまり議論されることのなかった人権教育の重要性が、国際的・国内的にある程度高まってきた。<2>従来は学校教育・社会教育・職場研修などバラバラに取り組まれてきた人権教育を、人権文化の創造という大きな目標の下に、総合的・計画的に実施していくための手がかりを作りだした。これは成果の中でいちばん重要だと思います。<3>人権教育を推進していくための重点課題として、各国に存在している被差別集団に光りが当てられるとともに、人権との関わりの深い特定職業従事者に対する人権教育の重要性への関心が高まった。<4>それぞれのレベルで人権教育を推進していくための体制と行動計画がある程度整備された、ことです。

  一方で問題点も多くあり、これが第2次「国連10年」の必要性につながります。<1>世界的・国内的に第1次「国連10年」に取り組んでいる国や自治体とそうでない所が極端に分かれてしまっている。<2>第1次「国連10年」の行動計画を作っても、実施計画まで具体化されていない。<3>特定職業従事者の中でも議員や裁判官の人権教育が本格的に取り組まれておらず、民間企業や宗教関係者の取り組みが弱い。<4>人権教育を、知識を増やすのではなく、人権を尊重する「人権のまちづくり」といった取り組みと結び付けられていない。<5>インターネットが普及する前に第1次「国連10年」が始まったため、この普及を踏まえた行動計画になっていない、ということです。

  以上のことを受けて第2次「国連10年」への課題として、まず国際的に求められている点は、<1>国連の中で「人権教育のための国連10年」の位置づけを高める。<2>すべての国でこの「国連10年」の推進委員会や行動計画ができるよう積極的に働きかけていく。<4>人権と関わりの深い特定職業従事者向けの人権教育テキストを引き続き発行するとともに、英語以外の言語に訳して広める。<5>世界的規模で事業展開する企業に、人権教育に取り組むよう求める。企業の果たす役割は大きいため、これは第2次「国連10年」の一つの目玉になると思います。<6>インターネットの普及を踏まえた行動計画を策定する。<7>多くの人権教育に関する情報を収集し、さまざまな事例を国際的に紹介する。<8>第1次「国連10年」の総括と第2次の提案を2003年の国連人権委員会が開催されるまでにすることです。

  次に国内で求められていることは、<1>第1次「国連10年」の総括をする。<2>人権教育推進に役立つ実態調査をする。<3>国や自治体レベルの行動計画を実施計画にまで具体化し、「人権のまちづくり」などの具体的施策と結合するよう改訂する。<4>実態調査や行動計画を改訂する際に、委員会を設置して各方面から意見を求め他方面から第2次「国連10年」に取り組む。<5>「人権教育・啓発推進法」の所管を内閣府に移す。これは、法務省と文部科学省だけでなく、すべての省庁を巻き込んだ計画を立てられるからです。<6>特定職業従事者向けのテキストを策定し、時間割を作り上げる。<7>すべての自治体で推進体制を整備し、「国連10年」行動計画を策定する。<8>学校教育・社会教育・生涯学習の中に人権教育を明確に位置づけ、人権に関する大学院大学を設置する。<9>企業や民間団体、宗教関係者やマスメディアなどの人権教育の取り組みを強化することです。

◆新しい局面に対応した取り組みの必要性

  この10年間でイラク戦争をはじめ、世界情勢は大きく変りました。第2次「国連10年」は、こうした新しい課題にも取り組まなければならないでしょう。例えば憲法改正で第9条の問題があります。人類の理想を表す第9条は、国際紛争を武力で解決しようとせず、話し合いで解決しようということを示しています。これは今だからこそ重要な視点だと思います。問題は、第9条を守るためにはそれを実現していく具体的な手だてを生み出さなければならないということです。国際紛争が起きたとき、話し合いで解決するしくみや担い手を積極的に生み出していくことが第9条を守ることに結びつけなければなりません。それができる第2次「国連10年」の取り組みが求められています。

  また名古屋刑務所事件から分かるように、形式的な人権教育をやっていても効果は上がらず、問題は解決しません。第2次「国連10年」の一つの重点として、国の責任として特定職業従事者の人権教育をやらなければ社会は変らないということを主張したいと思います。


阿久澤麻理子さん(姫路工業大学)

◆第1次「国連10年」の課題

  私たちが人権教育に取り組む根拠となる世界人権宣言第26条に、教育は基本的人権であると謳われています。また教育は、人権を尊重したり人権の尊重を強化したりする内容のもので、人種・宗教・国家・民族的集団の間の理解・寛容・友好を促進するものでなければならないと記されています。この第26条から、教育を受けること自体が基本的人権であれば、人権教育自体も基本的人権であるという重要な考え方が導き出されます。日本には「人権教育・啓発推進法」があります。この法律ができたということは、人権教育は私たちの権利であるという認識が一歩進んだと評価できます。ところが、その中身についてはまだ議論が必要だと思います。

  人権教育は、「人権」と「教育」という言葉から成り立っていますが、各国政府はどう捉えているのでしょうか。世界人権宣言第26条の教育権を人権だと否定する政府はいません。教育をすることは国の発展につながるからです。ところが、人権そのものを教育の中で扱い、発展させるような教育については非常に警戒して慎重になる政府が多くあります。そういう中で人権教育という言葉が広がると、人権よりも教育に重点のある価値教育や道徳教育に置き換えられます。そのような動きが日本だけでなくいろんな国で起きています。また、各国政府や行政のいう人権教育と、草の根のNGOやNPOのいうのとは若干違いがあります。これは、今後私たちが人権教育を考えるとき、重要な視点になると思います。市民社会がいう人権教育とは、「権利に根ざした教育」だと繰り返し指摘されています。すべての人が、どんな権利を持っているか理解して、権利の枠組みから自分たちの問題を見ていこうということです。2001年度法務省の人権啓発活動重点目標のように、「思いやり」とか「やさしさ」といった抽象的な言葉を強調して、人権問題を解決する立場と非常に異なると思います。

  人権とは、「human rights」と「s」がつき、決して抽象的なものではありません。人間一人一人の持つ具体的な権利が、いろんな侵害や差別、抑圧を受けた人から問題提起されて社会の中で概念になり、社会の共通基準にするために言葉にされ、具体的に法定化されます。これは、一人一人がどんな権利を持っているか認識していこうとの表れです。つまり、社会全体の中で、共通基準やルールができるそのプロセスが人権にとって重要なのです。法律は社会を築いていくための一つの有効な手段で、市民が社会を作る意思表示を政府や行政に対してする行為です。

  1999〜2000年、東京から福岡の教員・自治体職員研修会でのアンケート結果のように、自分の持っている権利を具体的に言えないのは、自分自身が社会の共通基準を作る主体だという意識が欠如していることの表れだと思います。また、法権力に対する人権侵害に対して無自覚である表れだと思います。法律がすべてではないですが、人権を「思いやり」や「やさしさ」と捉える感覚は、私人間の配慮によって人権問題を解決するということにつながります。結果として、人権を社会の中に位置づけ、公権力を市民が見ていくような動きが出にくいと思います。

  国際社会では、市民自らが権利を学び、自分で社会に参画して問題を解決し、社会を変えていく力をつけることが人権教育の一つの役割だと考えられています。すべての人が権利主体であるという主体形成の場としての人権教育は、これから重要になると思います。同時に政府機関は、市民の声や問題提起に耳を傾けるなどの役割があるので、特定職業従事者の研修制度は非常に強調されます。行政と市民どちらの取り組みも大切で、市民と特定職業従事者、企業を対象とする人権教育や立場、役割、目的を整理し、権利に対してそれぞれどんな責任があるか見ていく必要があると思います。

◆特定職業従事者にとっての人権教育とは

 名古屋刑務所の問題だけではなく入管など特定職業従事者の研修について、下からの人権教育という視点から、刑務所や警察、あるいは自分が住んでいる自治体の職員にどういった人権研修が行われているのか市民がモニターしていく目をもつ必要があると思います。そのために市民が情報公開を求めた場合、自治体や法務省が研修プログラムを公開するかどうか問題になるでしょう。それを見て市民から必要な研修を指摘するような下から上への人権教育が必要だと思います。

 最近「アカウンタビリティー」という言葉をよく耳にするようになり、市民のモニターやチェックする能力が高まっています。実際にISOといった民間企業の認証資格もでき、人権教育をしっかりやっている団体を市民の力で認証できればと思います。


廣瀬聡夫さん(人権NPO法人ダッシュ)

◆ボトムアップ型の人権教育を

  「ダッシュ(自己実現と人権の開拓者)」は、1999年10月に大阪府からNPOの認証を得ました。部落解放同盟の歴史を引き継ぎながら、同和地区の事例を通し、すべての人々の自己実現や人権の伸長に貢献しようと草の根で活動しています。

  部落解放同盟も含め全国的に、人権教育は行政や学校中心に取り組まれる傾向があり、自らが自らの経験を通して人権教育の事例を発信することはなかなか理解されませんでした。私の知る限り、部落解放同盟の中で「国連10年」の行動計画を持っているのは和泉支部だけです。上からの人権教育モデルばかりで、下からの草の根モデルの動きはなかなか見えませんでした。

  行政が行動計画を作り、市民に報告するトップダウン型の人権教育は、市民にとっておもしろくありません。国連が10年を決めたからといって、市民の生活が変るわけではないからです。自分の生活をどのように豊かにするかを考えるとき、身の回りにどんな草の根の取り組みがあるのか知り、自分の権利享有の具体例を学ぶことが必要です。これは、NPOが得意とする、狭く深いエンパワメントをはかるボトムアップ型の人権教育です。自分の人生をどう豊かにするかと考えれば、自分ごとであり他人事ではありません。自分の人権を伸ばすために、例えば同和地域や被差別者の経験や取り組み、モデルを学ぶことが必要だと思います。21世紀は人権教育の世紀といわれていますが、同じ人権教育を単に繰り返すのではなくトップダウン型とボトムアップ型両者の人権教育の結合が必要だとダッシュは主張しています。例えばダッシュでは、同和地域の運動と周囲のネットワークが交流することで、自らの人権をどう伸長していくかヒントを提供する「ダッシュツアー」というプログラムを実施しています。2年間で約2800人の参加者があり、そのうち4分の3はおもしろかったと感想を残しています。このように草の根レベルでの人権教育モデルを豊かにしていかなければ、第2次「国連10年」の行動計画を作っても同じことの繰り返しだと思います。

  ポスト「国連10年」づくりとして、ダッシュは3つの提案をしています。<1>今年からスタートした「国連識字の10年」で、国内外でエンパワメントの事例を多く持ち、それを整理しているNGOと交流する。識字運動は、草の根レベルの人権教育であり、国内外に多くの取り組みの事例があるので、草の根からの人権教育モデルの整理作業に大きく関与すると思います。<2>NPOのいろんな取り組みを人権教育モデルとなるよう整理し、発信するようNPOのスキルを磨く。<3>いろんな特色のあるモデルをたくさんつくる、です。

  それが見えていれば、他と連携することができます。今の行動計画では、具体的なカタログができているとはいえません。カタログをつくるために、展示会を開いて人権教育プログラムを発表する場を作ることが必要だと思います。また、コンペ方式でボトムアップ型の人権教育モデルの募集と助成をする取り組みも必要だと思います。そういった取り組みと、行政や企業などの第2次「国連10年」の取り組みを結びつけることが必要です。私の提案として、世界人権宣言大阪連絡会議の中で、コンペ方式で人権教育モデルに取り組む「NPO部会」をつくり、1年かけて準備してはどうかと考えています。そういう大阪府レベルの取り組みを受けて市町村レベルで市民団体との連携を模索できれば、上からと下からの結合ができるのではないと思います。一つの和泉という地域の取り組みやモデルがいっぱいある中から、本当に自分のやりたいことをピックアップして、教育が本当の自己実現と人権の伸長につながると思います。自分の暮らしを豊かにするための第2次「国連10年」行動計画になればと思います。

◆草の根の人権教育モデルを第2次「国連10年」へ

  2001年に南アフリカで「ダーバン2001」という国際会議が開かれました。これは世界的に非常に重要でしたが、地域レベルでは取り上げられませんでした。むしろ和泉市では2001年が国際ボランティア年であったことから、そこへの取り組みが重点的に行われていました。このように国際レベルと草の根レベルでは取り組む課題に違いがあります。国際的に第1次「国連10年」が議論されるだけでなく、地域で草の根レベルの人権教育モデルをどうしていくか議論を進め、それを第二次「国連10年」につないでいかなければなりません。今年からスタートした「国連識字の10年」という取り組みから見えてきた一つ一つの地域の小さな取り組み、人権教育の草の根モデルを作るのは今からでも間に合います。それが第2次「国連10年」へうまく合流できれば、第2次「国連10年」の行動計画はいいものになっていくのではないかと思います。