講座・講演録

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2003.07.18
講座・講演録
 
第241回国際人権規約連続学習会(2003年6月26日)
世人大ニュースNo.251 2003年7月10日号より

失業・貧困・ホームレスの連鎖と社会保障制度

庄谷 怜子さん(大阪府立大学名誉教授)


セーフティネットとは?

 現在、2万5千〜3万人が全国でホームレス化してしまっています。今回は生活保護を専門とする立場から、最後のセーフティネットであるはずの生活保護の問題を中心に話を進めて行きたいと思います。

 先日、八尾市で起こった心中事件は皆さんもご存知でしょうが、こういった事件は生活保護の周辺では急速に増えてきています。この状況を受けて厚生労働省は保護を受けやすくするように修正を進めていますが、現場ではそうはいかず、むしろ状況は悪化しています。

  中でも貧困の顕在化と長期化する野宿状態に対して日本では制度的対応ができておらず、現場はその人たちを追い出そうと努力しているのです。このままでは問題解決どころか、経済不況とあいまって大変なことになるのではないかと不安に思っています。

 社会保障とは生命と生活を守るセーフティネットであり、中でも生活保護は最後のセーフティネットであるはずです。しかし実際にはそれが十分に機能せずに、本来救われるべき人々が死亡する事例も発生しています。例えば38歳の男性が失業して餓死寸前の状態で病院に救急車で運ばれ、一命は取り留めましたが、3週間後の退院とともに稼働年齢であることを理由に保護が廃止されてしまい、その2ヵ月後に自宅で亡くなっていたケースがありました。

  本人の弁解がないので事実は推測になりますが、福祉事務所は本人が保護を辞退したとしています。しかし、辞退によって保護が廃止できるのでしょうか。実際にそれで保護が廃止されるケースはありますが、本来の法解釈では本人の辞退があっても保護が必要な状態が続いている限り廃止はできないはずです。

  また母子世帯の子どもが餓死するという事件も起こっています。このケースで母親は養育を放棄したということで刑事処分を受けたのですが、実は二人とも大変な困窮状態にあり、母親も栄養失調だったのです。この母親が周囲との関わりが薄く生活保護を知らなかったために悲劇は起こってしまったのですが、同様のことは他にも起こっています。

 

生活保護制度―最後のセーフティネット―

  このように生活保護制度が最後のセーフティネットとしてあるのですが、実際には十分機能していません。 そもそも社会保障というものが人々の生命と生活を守るセーフティネットであって、そういった安心できる社会保障制度があってこそ人々は、働いたり、勇気ある行動をとることもできるはずなのです。

  しかし、ネットが機能しないで将来の年金がどうなるか、最後の生活保護がどうなるか分からない状況では、最近のように経済の「縮み指向」となるのも仕方ないのでしょう。セーフティネットとは単にサーカスで空中ブランコなどから落ちた人を受け止めるだけのようなものを意味しているわけではありません。ネットとは人々の生命と生活を守る連帯の思想と、そのための規制、システムを作り、支える責任を持つものなのであって、その最後にあるのが生活保護なのです。

  経済学者の中には、最後のネットは重要で、それより上のネットについては重要視しない意見もあるようですが、私はそうは思いません。なぜなら最後のセーフティネットだけでは機能を果たさないからです。やはり年金や社会保険といった様々なセーフティネットが体系的に社会保障として機能しなければ、最後のネットも十分に機能しないと私は思います。

  例えば、川が氾濫して周辺の住宅が浸水し、そこには生活保護世帯を含む低所得者層が生活していたとします。その場合、生活保護を受けている人は、住宅扶助で浸水した家屋を補修できますが、周りの保護を受けていない低所得者層との兼ね合いで実際にはそれができません。

  また住宅政策で低家賃住宅がボーダーラインより少し上の層に適切な基準で十分に供給されていなければ、一番下の層の住宅保障だけが法律で保障されていても活用できないのです。つまり健康で文化的な最低限度の生活の保障は、現実には制度が空洞化して機能していないのです。

ドイツにおけるセーフティネット

 これに対してドイツには例えば「社会住宅」というシステムがあります。これは国の低利融資で民間が住宅を建設するもので、これを借家として人に貸すことができます。この住宅は国の低利融資で建てているため、高い家賃で貸すことが許されず、また所得の高い人が借りることにも規制があります。

  つまりドイツでは民間の資金も活用しながら社会住宅を大量に建設して、低所得者向けの低家賃住宅を供給しているのです。またドイツでは建築基準で一定水準以下の家を建てることが許されていないためにウサギ小屋のような家はなく、最低基準の住宅が規制によってすでに保障されています。そして最近では障害者や高齢者向けといった福祉的ニーズに応え、レベルアップした社会住宅が建てられるようになり、社会住宅は量から質に転換してきました。

  また一方では社会住宅が必要な数を満たしていることから学生も入居できるようにしたり、自立を望むホームレスが一定のケースワークを受けた後に入れるように社会住宅の一定量が留保されているところもあります。

  これ以外にも日本では失業保険の受給期間が終われば生活保護まで何もありませんが、ドイツでは失業手当(失業保険)が(近々法改正で期間短縮されますが)2年8ヶ月支給され、その後も失業していれば無拠出の失業扶助が受けられます。これは生活保護ではなく労働行政の分野で、失業手当より支給額は減りますが、無期限で受けられたのです。

  このようにドイツでは最低保障の生活保護だけで全てを賄うのではなく、それより少し上の住宅政策や労働政策などの一般施策がそれぞれの領域でセーフティネットを張ることで、全体が連動して無理なく最後のセーフティネットがうまく機能しているのです。しかし日本ではそれぞれの一般施策の中で一番底辺の人に対する目配りができていない上に、一般施策全体につながりがないために問題が全て生活保護に被さってきているのが現状です。

戦争と社会保障

  そもそも貧困というものは個人責任ではありません。これは1600年イギリスのエリザベス救貧法以来、多くの学者が貧困についての研究を重ね、こういった認識になるまで実に長い年月がかかりました。その中でB.S.ラウントリーは、1900年初めに労働者の生涯は貧乏線を上下する波動の中で一定のサイクルで営まれていることを発見し、貧困は特定個人の問題ではない社会的問題であって、その解決も社会的に計らなければならないことを明らかにしました。

  こうして貧困が解明されて世界的に社会保障制度が整備されていきますが、それは戦争によって打ち砕かれてしまいました。なぜなら戦争というものは「人を殺しても良い」というものであって、それと社会保障は両立し得ないものであったからです。したがって日本において近代的・民主的な社会保障制度が成立したのは第2次大戦終了後で、戦後日本に駐留したアメリカ占領軍の社会保障専門担当者の熱意ある協力もあって誕生しました。

  日本の公的扶助法である生活保護法は憲法の理念に基づいた素晴しい制度として、国際的に非常に高く評価されています。この法律は憲法の生存権の理念に基づき、生活に困窮する全ての国民に対して健康で文化的な最低限度の生活を国家責任で保障することを原理としています。戦前は戦争による貧困と一般の貧困を区別して扱っていましたが、戦後は原因を一切問わない無差別平等になりました。また戦前は国家責任であっても対象者は権利を持っていないとされていましたが、戦後はその権利性が明らかになった点も大きな違いといえます。ただ残念ながらこの点が今もなお十分に理解されていないのではないでしょうか。

現在の生活保護制度

  現在、日本で要保護状態にある人の中で実際に保護を受けているのは1〜2割といわれています。人口1000人に対する保護率は10‰(パーミル)になるといわれています。1985年から10年間で保護を受けている人は全国で50万人減っていますが、これで豊かになったかといえば決してそうではありません。確かに保護率の減少の原因に経済状況の改善はあげられますが、保護行政の運営の仕方や、保護を受けることを恥じる意識や権利意識の希薄さも大きく影響しています。

  今でもそういった意識は見受けられますし、最近の福祉見直しと称する保護行政締め付けの現状から考えても、豊かになった現われだとは考えにくいでしょう。貧困は個人責任ではないことに長い時間を掛けて気づいたにもかかわらず、また昔に逆戻りしているように私には思えます。

隠された貧困の顕在化

  最後に日本の現状を考えてみたいと思います。日本では高度経済成長期以降、企業や工場で働く雇用労働者が急増し、生活形態も外見上は皆同じようになっていきました。しかしそうなるとその家庭の収入を調べない限り、貧困が見えなくなってしまいます。そういったことから、貧困問題は解決したとさえ言われるようになりました。

  高度成長期には確かに多くの人が仕事に就くことはできましたが、先の「見えなくなった貧困」だけではなく、経済成長期であっても失業してホームレスになる人や病気によって差別と貧困に苦しむ人も多くいたわけで、決して貧困がなくなったわけではありません。言い換えれば、これまでの保護の考え方では捉えにくい対象者の問題がずっと顕在化してきているにもかかわらず、国の政策では80年代以降保護の対象がきびしく減らされているのが現状です。

  これ以外の問題点をいくつか指摘すると、まず冒頭でも触れたような多重債務の問題があります。本来ならば保護を受けるべき貧困者がサラ金からしかお金を受け取れないのは重大な問題です。またホームレスの人に対する民間宿泊所の活用の問題があります。これは様々なNPO等が主体となって取り組んでいるようです。

  例えば大阪の釜ヶ崎ではドヤの経営者が、そこを利用していた日雇労働者が仕事に就けずにホームレスになってしまったために、ドヤをアパートに変えてその人たちに入居して貰い、そこで保護申請をするという形で運営しています。それとは別に東京都内だけでも100ヵ所以上の民間宿泊所で保護申請が行われています。しかし中には相い部屋で1部屋を利用したり、長期間住むことのできないような粗末なものも少なくないようです。

  先の困窮者に対する多重債務の問題もですが、そもそも自治体がホームレスの人たちを積極的に保護しないために、そこに付けこまれてしまっていて、生活保護行政の運用に問題があると思います。

ホームレス対策―ドイツを事例に―

  ドイツでは困窮者がホームレスになる前に、予防措置を取るように法律で定められています。例えば家賃が払えずに強制退去を命じられそうな場合にはまず福祉事務所が家賃を立替えて、とりあえずその人が家を出なくて良い状況を作り、それからケースワークを始めるという予防的なやり方が全国的に取り組まれています。

  またすでにホームレスになってしまっている人に対しては、一つはNPO等がいつでも利用できる場を提供し、そこで決して強制ではなく自発的に様々な援助が受けられます。そして自立したいという気になれば、今度は生活扶助(生活保護)法72条による手厚い援助を受けながら、普通の住宅で暮らせるように変えていきます。

  ドイツも含めてEU各国は日本よりも失業率が高いという問題を抱えています。しかしそういう状況であるからこそ、今、EUは貧困問題に一生懸命取り組んでいます。確かに日本も経済的には厳しい状況にありますが、だからといってこれらの問題を放置するのではなく、EUなどを見習い、経済を一番下からきっちり積み上げていくべきです。