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2003.08.11
講座・講演録
 
研究所通信300号(03.08.10)より

研究所創立35周年記念シンポジウム

国際的な視点から部落問題を考える

  2003年6月27日、大阪市内において当研究所創立35周年を記念した総会、記念シンポジウム、ならびに記念レセプションが開かれた。

  とくに記念シンポジウムについては、1995年より立ち上げられた国際身分制研究会で、三期八年にわたり研究が深められてきた内容をテーマに行われた。この研究テーマはまた、現在国際連合の諸機関をはじめとして、部落問題が、世系に基づく差別の観点から、注目を集められているものでもある。具体的には、被差別部落とインドの被差別カーストとの比較、国際連合での身分差別問題の動向、アジアにおける身分差別思想の源流という三つの観点から、今一度部落問題を国際的な視点から捉えなおすというものである。

  以下、その内容を要約して紹介する。


部落の歴史をインドの被差別カーストの歴史と比較しながら考える

寺木 伸明(桃山学院大学教授、部落解放・人権研究所理事)

úJ.起源について

  部落差別の起源についての学説を整理した上で、様々な要素が複雑に作用しつつ、近世初頭国家権力により編成されたという意味での政治起源説を提唱する。インドの被差別カーストについては、萌芽的には紀元前8世紀には四つのヴァルナが成立したが、紀元前4世紀から2世紀に、後の被差別カースト、チャンダーラが成立した。このヴァルナの中に、小集団ジャーティが属している。これがインドのカースト制度である。その確立は、紀元7〜12世紀とされる。被差別カーストの起源としては、古くは征服・支配によるものだが、その他の要素がカースト制度の発生・維持に関与していた。

úK.主たる職業について

  被差別部落では、皮革業、履物業、太鼓製造業、農業、漁業などが挙げられるが、近代では食肉業が発達し、日雇い業に従事する者も増えてくる。明治期、松方デフレ以降農業では小作が増加するが、戦後農地改革により、自作農が増加している。現在では、公務員や会社員が増加している。インドの被差別カーストの職業としては、様々なものが挙げられるが、主に皮革業、洗濯業、清掃業、火葬業、農業(小作又は隷属)に従事している。

úL.役務について

  皮革の上納、行刑役などが被差別部落に課せられたが、解放令以降、これらの役務は解消した。インドでは、被差別ジャーティが行刑役を課せられたとの報告があるが、その他職務として動物の死体処理や清掃を行っていた。

úM.宗教について

  日本では特に密教系、大乗仏教の経典などによって、部落差別が助長・維持された。但し、鎌倉新仏教においてケガレ観に基づく差別を克服しようとする動きがあった。インドでは、カースト差別自身がヒンドゥー教と非常に深い関係をもっている。現在多くの被差別カーストの人々は新仏教やイスラム教・キリスト教に改宗している。

úN.ケガレ観について

  日本では人の死亡や動物の死亡などによるケガレが定められ、部落差別意識と深く結びついた。インドでは死・産・血・罪が経典上ケガレとされ、このケガレ観念が大乗仏教に紛れ込み、日本へと伝来したと思われる。

  両者の相違点をまとめると、インドの差別は歴史が古く、また宗教により積極的に根拠付けられているが、部落差別の場合、温存・助長に宗教が荷担したにとどまる。また職業についても、インドでは体から出てくるものがケガレとされており、洗濯業は被差別カーストの仕事とされている。最も顕著な相違は、その比率である。インドでは全人口の内16%(1億3000万人)にのぼる。また、存在形態として、インドには被差別カースト内にジャーティが細かく分かれており、上下関係が決められており、連帯を阻害している。


国連と「身分差別」問題をめぐる動向

友永 健三(部落解放・人権研究所所長)

  部落問題が国連で本格的に議論されるようになるのは、人種差別撤廃条約締結後のことである。日本政府は1995年に当該条約に加入し、2000年に第1回・第2回国家報告書を提出したが、その際人種差別撤廃委員会は、「世系」が独自の意味を有し、他の概念と混同されるべきではないとして、部落問題が含まれることを明示した。また昨年8月、条約第一条に規定された「世系」に関して一般的勧告を作成した。この勧告は、「『世系』に基づく差別がカースト及びそれに類似する地位の世襲制度等の(略)社会階層化の形態に基づく集団の構成員に対する差別を含む」と述べ、インドのダリットや日本の部落差別が含まれることを明確にした。国連人権の促進及び保護に関する小委員会では、2000年8月に、職業と世系に基づく差別について決議が採択された。この決議に基づき、2001年、グネセケレ委員が作業文書を提出した。ここでは南アジア諸国と日本における身分差別が取り上げられた。2001年、反人種主義・差別撤廃世界会議でも世系に基づく差別が議論されたが、インドの反対によって、政府会議での宣言には世系に基づく差別は含まれていない。しかしNGOの宣言・行動計画には盛り込まれている。

  上記のような国連での議論は、部落問題の解決との関連で、どのような意義があるのだろうか。次の四つの基本的視点が重要である。(1)差別の撤廃は、人権確立の基礎であるということ。(2)差別は、道徳的にも、科学的にも合理化されないということ。(3)差別は社会の平穏と世界の平和を脅かすということ。(4)差別は、差別者の人間性をも傷つけるということ、である。これらの原則を踏まえて、次の五つの方策を総合的に取り組むことが差別撤廃のために求められている。すなわち、(1)差別の禁止、(2)被害者の効果的救済、(3)教育・啓発、(4)実態改善のための特別措置、(5)連帯の構築、である。

  以上のような研究に伴い、若干整理を必要とする問題がある。第一に、人種との関連でる。現在、「人種」概念は科学的に定義できず、社会的に形成された概念であるとされる一方で、部落差別において、差別者は部落出身者を異なる「人種」とみなしている。第二に、職業との結びつきである。インドのカースト制度が典型であるが、これは二つの概念、すなわち分業(ジャーティ)と支配階級による秩序付け(ヴァルナ)に基づく制度である。これが身分差別なのではないか。そしてこれらを結びつけているのが役負担なのではないか。更に、身分差別には、いくつかの共通する現象形態が見られる。例えば職業の世襲、集団内の婚姻、主要な生産関係における周縁化、差別の「悪循環」である。

  それではなぜ部落差別はなくならないのか。これには次のような理由が考えられる。(1)日本社会が、前時代の諸制度を利用してきたこと(重層論)、(2)近代化の原理自体が差別を生むこと、(3)天皇制、叙勲制度の存在、(4)集団のアイデンティティを基礎とした権利擁護運動の展開、(5)国家による相対的な比重低下と集団の役割増大、(6)グローバル化による貧困の世襲化、(7)遺伝子に基づく新たな人種主義、である。

  それでは、部落が解放された姿をどう展望するのか。次の二通りの考え方がありうる。(1)全くちがいがなくなる。(2)差別はなくなるが、歴史性、社会での位置、他者の見方、自覚から形成される部落民としての誇りやアイデンティティは残る。このいずれかである。報告者の主張は、後者である。


アジアにおける身分差別思想の二大源流
―中国の〈貴・賤〉観とインドの〈浄・穢〉観

沖浦 和光(桃山学院大学名誉教授)

  部落問題を国内的視点のみでは究明することはできず、全アジア的視点から検討する必要がある。中国の貴賤観と、インドの浄穢観とが、どのように日本に影響したのか。これを歴史段階ごとに精密な比較検討が必要であり、総体的に解明しなければならない。

(1)

  全アジア的視点から身分差別の源流を考えた場合、三つの観念が考えられる。一つは中国の良賤制、インドのカースト制、そして南太平洋海域の首長制である。

 中国律令制文化圏はベトナムから北方の渤海、日本、朝鮮半島を含む区域である。『魏志倭人伝』が著された時代には日本と朝鮮半島南部は「倭」と呼ばれた。渡来人による文化の伝来である。さて、前述の第三説の仮説をなぜ挙げたのか。それは次のような理由による、東南アジアの王国には王を中心として、貴族、平民、そして奴隷の三層に分かれている。このような制度は、律令制とも、カースト制とも異なる。つまり、東南アジアには独立の身分制があったのではないか。この形態が当てはまるのが日本の邪馬台国である。

(2)

  さて、それでは日本文化の諸源流をたどれば、まず挙げられるのが蝦夷、現在のアイヌ系の人々である。この人々は分子生物学の応用により自然人類学界において縄文人の末裔であることがほぼ確定的になっている。次に挙げられるのが南方の隼人であるが、縄文時代以前から南九州に渡来していた南方海洋民である。そして前述の倭人、次に朝鮮三国からの渡来人。これらの人々が製鉄や米作をもって日本の産業構造を担った(品部雑戸)。第五に、ツングース系である。

(3)

  縄文時代末期から米作農耕が広がり、これを基点としてヤマト王朝が成立するわけだが、狩猟・漁労・焼畑の文化が辺境と呼ばれた各地に残った。縄文文化直系の山地民、海民の文化が江戸時代まで存続していた。したがって日本の文化を米作農耕中心に考えることは誤りである。

(4)

  米作農耕中心に考えていたのが中国律令制である。中国の断簡は、次の者を賤とするとして、商工医巫を挙げている。つまり農民を良民とし、それに外れる者を賤民としていた。但し、中国の良賤制は身分の移動が可能である。ここがインドと決定的に異なる。インドの場合は徹底的で、移動は絶対できない。種姓制度である。生まれによる血統は全く変えられないという重大な問題がある。

(文責・李 嘉永)