部落問題が国連で本格的に議論されるようになるのは、人種差別撤廃条約締結後のことである。日本政府は1995年に当該条約に加入し、2000年に第1回・第2回国家報告書を提出したが、その際人種差別撤廃委員会は、「世系」が独自の意味を有し、他の概念と混同されるべきではないとして、部落問題が含まれることを明示した。また昨年8月、条約第一条に規定された「世系」に関して一般的勧告を作成した。この勧告は、「『世系』に基づく差別がカースト及びそれに類似する地位の世襲制度等の(略)社会階層化の形態に基づく集団の構成員に対する差別を含む」と述べ、インドのダリットや日本の部落差別が含まれることを明確にした。国連人権の促進及び保護に関する小委員会では、2000年8月に、職業と世系に基づく差別について決議が採択された。この決議に基づき、2001年、グネセケレ委員が作業文書を提出した。ここでは南アジア諸国と日本における身分差別が取り上げられた。2001年、反人種主義・差別撤廃世界会議でも世系に基づく差別が議論されたが、インドの反対によって、政府会議での宣言には世系に基づく差別は含まれていない。しかしNGOの宣言・行動計画には盛り込まれている。
上記のような国連での議論は、部落問題の解決との関連で、どのような意義があるのだろうか。次の四つの基本的視点が重要である。(1)差別の撤廃は、人権確立の基礎であるということ。(2)差別は、道徳的にも、科学的にも合理化されないということ。(3)差別は社会の平穏と世界の平和を脅かすということ。(4)差別は、差別者の人間性をも傷つけるということ、である。これらの原則を踏まえて、次の五つの方策を総合的に取り組むことが差別撤廃のために求められている。すなわち、(1)差別の禁止、(2)被害者の効果的救済、(3)教育・啓発、(4)実態改善のための特別措置、(5)連帯の構築、である。
以上のような研究に伴い、若干整理を必要とする問題がある。第一に、人種との関連でる。現在、「人種」概念は科学的に定義できず、社会的に形成された概念であるとされる一方で、部落差別において、差別者は部落出身者を異なる「人種」とみなしている。第二に、職業との結びつきである。インドのカースト制度が典型であるが、これは二つの概念、すなわち分業(ジャーティ)と支配階級による秩序付け(ヴァルナ)に基づく制度である。これが身分差別なのではないか。そしてこれらを結びつけているのが役負担なのではないか。更に、身分差別には、いくつかの共通する現象形態が見られる。例えば職業の世襲、集団内の婚姻、主要な生産関係における周縁化、差別の「悪循環」である。
それではなぜ部落差別はなくならないのか。これには次のような理由が考えられる。(1)日本社会が、前時代の諸制度を利用してきたこと(重層論)、(2)近代化の原理自体が差別を生むこと、(3)天皇制、叙勲制度の存在、(4)集団のアイデンティティを基礎とした権利擁護運動の展開、(5)国家による相対的な比重低下と集団の役割増大、(6)グローバル化による貧困の世襲化、(7)遺伝子に基づく新たな人種主義、である。
それでは、部落が解放された姿をどう展望するのか。次の二通りの考え方がありうる。(1)全くちがいがなくなる。(2)差別はなくなるが、歴史性、社会での位置、他者の見方、自覚から形成される部落民としての誇りやアイデンティティは残る。このいずれかである。報告者の主張は、後者である。