講座・講演録

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2003.09.04
講座・講演録
第27回部落解放・人権西日本夏期講座(2002.07.11)より

人権時代における自治体行政

片山善博(鳥取県知事)

 今日は皆様に私の普段やっていますこと、実践していますこと、それから考えていますことをお聞き頂く機会を与えて頂きまして、大変ありがたいと思っています。鳥取県は今、人権先進県づくりというスローガンの下に、いろんな分野での人権を大切にする、一人一人の県民に皆さんの人権を大切にする施策を行っています。そういう普段の実践の一旦をお聞き取り頂ければと思います。

【日本外交官の北朝鮮亡命者に対する取り扱いについて】

 つい先だって中国の瀋陽で北朝鮮の亡命者の事件がありました。ほとんどの日本国民の皆さんがあの事件の模様をテレビの映像を通じてご覧になったと思います。あの事件を見て、私は人権の問題を考える上で、大変いい事例になると感じました。あそこに登場したのは北朝鮮から中国に逃れてきて、韓国ないしアメリカに亡命したいという5人の方でした。

  一方、日本国側は、我が国の外交官です。それから中国の官憲の人もある意味では加わっていたわけです。私は我が国の外交が何を大切にして、何を基軸にして仕事をしているのか、あの事件を通じて考えざるを得ませんでした。と言いますのは、我が国は今、日本国憲法の下で平和を国是とし、人権を大切にする、これを理念とした外交を展開しているはずです。世界に貢献する日本、世界から尊敬される日本、これを目指して外交の努力をやっているわけです。しかし、実際に本当にそのスローガン通りなっているのかどうか、あの事件を通して検証することができると思うのです。

  あの事件では5人の北朝鮮の方が身体を張って、日本国総領事館に突入をしたわけです。入る許可も取ってないわけで、明らかにあの5人の方は総領事館に不法に入ってきました。しかし、実際に5人とも日本国総領事館に入ってきたわけで、そうしますとその段階から国際法上の取り決めによって、日本国の法律、日本国の取り扱いによって、あの方々の身の振り方は決まってくる、こういうことになるわけです。

  不法に侵入した経緯はあるにせよ、日本の外交官は自分の問題としてあの5人の方に接して、その後の取り扱いを決めなければいけない、これが外交上のルールだと思います。特に、北朝鮮から来たということは、もし亡命に失敗して、母国の北朝鮮に返されたら、過酷な運命が待っているだろうということは容易に想像がつくわけで、そういう方が目の前に突如現れたわけです。その時に我が日本国の外交官はどういう態度を取るべきか、ということです。そういう時に、人権感覚というのがよく分かると思うのです。

  普段、平和と人権を理念として外交を行っていますと言っていても、目の前にいる5人の人を助けることができるかどうか、そこが大きな試金石だと思います。残念ながら我が国の瀋陽総領事館の外交官はそう言う意味での人権感覚は欠如していたとしか思えません。命がけで日本国総領事館に侵入した人達に対して、日本国の外交官は共感をする心がなかった。今、手を差し伸べなかったらどうなるかに思いが及ばなかったのです。外交官は悪い人ではないと思うんです。中国の官憲が置き忘れていった帽子を親切に取り上げて、埃まではたいて返してあげたわけで、非常に親切な人です。目先のことには親切ですが、人権ということになると、どうも感覚が薄いのではないでしょうか。

  日本は世界に貢献するために、たいへん多額のODAの予算を使っています。それは何よりも日本が武力や「金満国家」として、世界から尊敬を集めるのではなく、日本の平和外交を諸外国に理解してもらい、経済的に困窮を極めている国、地域に対して援助をして、その地域の人々の暮らしを良くする、人権が守られるようにする、そういうことでODAをやっていると思います。そういうODAで多額の金を使いながら、実際に5人の方の人権を救うということに思いが及ばない、このギャップに大きなショックを受けたのです。

  私はまず自分の身近なところで起きたことに対してちゃんと人権を守る実践ができるかどうかが大切だと思います。これに対して後で色々なことが言われました。5人を助けるのは容易であるが、一時的な感傷で5人の人を助けるべきだという人は、背後に10万人の難民になる可能性がある人が北朝鮮にいることを知っているのか。10万人を助ける気がないのに5人を助けろと言うのは無責任だと。一理あると思いますが、やはり何か違和感があります。それはちょっと人権感覚からずれたことではないかという気がします。とりあえず5人の人を助けて、後のことはまた考えたらいいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

【鳥取県西部地震から】

 役所で仕事をしていますといつも悩まされる問題です。この事件は解決できるけれども、これを解決するとバランス上、全部やらなければならない。そこで躊躇してできなくなってしまう。やろうと思えばやれるんだけども、あえてやらない。役所でよく出てきますバランス感覚、全体のことを考える、他の事例のことも考える。よくあるんです。

  1年8ヶ月ほど前、鳥取県西部地震がありました。M7.3、最大震度6強という大変大きな地震で、私は震源地から100キロ以上離れた所におりましたけれど、県庁舎が潰れてしまうのではないかと思うほどの揺れを感じました。鳥取県の西部地方が大きな被害を受けたので、行ってみますと軒並み住宅が壊れている。もう住めない家がほとんどだったんです。その地域は、高齢化が進んで過疎化が進行していまして、被災を受けた方も高齢の方になるわけです。

  最初は命が助かってよかった、大ケガもしなくてよかったという話題で持ちきりなんですけれども、数日経ちますと将来への不安が段々と増してくる。70歳、75歳になって、この先どうしようか。ずっとこの住み慣れた地域で住んでいこうと思っていた。その時にこんな大きな地震が突然襲いかかってきて、家が壊れてしまった。直せばいいではないかと言うのは簡単ですが、なかなかそうはいきません。75になって、多少の貯えはあるかもしれませんけれど、新しい家を造り直すとか、数百万かけて修繕するというのは難儀なことです。ローンを組めばいいではないか。ローンは75になったら無理です。さあどうしようかと不安が募るわけです。

  私は地震の直後から毎日、被災地に行き、多くの被災者の方に接して、まず感じたのは、今回の地震の復興には住宅、特に高齢の皆さんの住宅がポイントになるということです。住宅に何らかの手当をしないと被災者の皆さん方は、ここに住めない。そうすると子どもさんなんかが東京や大阪に出て行っていて、お父さん、お母さんもう僕のとこに来なさいよと、多くの人にそういう声がかかってくる。

  本当はこの地域にずっとこれから住み続けたいけれども、しょうがないから行かざるを得ない。それを聞くと隣近所の人達もあなたが行くなら寂しいから私も行ってしまおうか。本当は行きたかないけれど。こういう話でもちきりなわけです。

  ある役場に行きますと、女性職員が住宅相談の窓口を務めておりまして、被害にあった方が、もっぱらお年寄ですけれども、何か補助してもらえる制度はないでしょうか、支援してもらえる制度はないでしょうかと言って連日窓口に来られるけれども、何にもないんです。その職員は、もう私の前で本当に顔をくしゃくしゃにして、毎日毎日お年寄りの皆さんに、ひたすら頑張ってくださいと声をかけることしかできない自分が惨めでしょうがありません、何とかしてくれませんか。こういう訴えを聞きました。

  日本には地震等で住宅が被害に遭った場合に、再建を手助けするという制度は全くないんです。道路を直す、橋を架け替える、崖崩れを止める、こういうことには手厚い制度があり、国から補助金が一杯きます。けれど、2年前の鳥取県の地震のように、高齢の皆さんが住宅を失って、その住宅問題を解決できるかという点については何らの手当もないわけです。その時、住宅再建に手を差し伸べる政策を取らないと、この地域は崩壊してしまうと思いました。

  いくらお金をかけて道路、橋を直して、崖崩れを止めても、肝心の住民の皆さん、高齢の皆さんが、住む住宅がなくなって、建て替える、修繕する資力も気力もない。そうすると子どもとか血縁の者を頼って出て行かざるを得ない。こうなるなら、道路、橋を直したそのお金は一体何になるのだろうかと思いました。国に制度がないのであれば、県独自でもやろうと決意したわけです。

  ところが、国の方は絶対そんなことをしちゃいけないと言う。絶対そんなことはやらせないと。神戸の地震の時だってそんなことはしていない。鳥取県だけそんな勝手なことをするわけにはいかない。いや、国から補助金下さいなんて言いません。鳥取県は決して裕福な県ではありませんけれども、多少の貯えはありますからその金でやりくりして、何とか今回の被害を受けた方に対する住宅再建支援はできるから自力でやるんです、と言ってもやっちゃダメだと。こういう時に出てくるのが先ほどのバランス論です。

  今、鳥取県は一定の地域で被害を受けて、そこは人口の希薄な所だから住宅再建支援はできるかもしれないが、例えば中心都市で軒並み家が壊れたような時にできるんですかと言いますと、そんなことはなってみないと、その時に財政事情がどうか分かりません、と言わざるを得ない。そうしますと、それ見たことか。後先のことも考えないでやって、もし全県下が被害に遭った時にバンザイしてできませんとなったら、不公平ではないですか、という話になるんですね。確かに不公平です。ですけども、今目の前にいる困った人を助けることができるのに、全体のこと、将来のことを考えてやめておこうというのは何か違和感があったんです。

  政府とは大喧嘩をしました。憲法違反だって言われました。税金を住宅再建という個人の財産形成に使うのは憲法違反だ。税金というのは公共のために使うんで、プライベートなものに使うために集めているんではない。もっともだと思います。

  私も23年前に税務署長をやっていました。税金を無闇やたらに個人の財産につぎ込むということはしてはいけない。当たり前です。といっても道路や橋ばかりに税金つぎ込んで、道路や橋は立派になりました、ですけど住宅の再建は手つかずで、人がいなくなりましたと言ったら、つぎ込んだ税金は一体何になるんだろうか。それよりもみんなが住宅を何とか直したいと思っている、そこにちょっとでも手助けをしてあげて、それでみんなが元気を出して、地域を守ることができるのであれば十分にパブリックな役目を果たすのではないか、こんな話もしました。

  とにかく、住宅再建に支援をすることにしました。その時は正直言って、今後、もっと大規模な広域的な災害があった時にもちゃんと対応できるかなんて考えませんでした。それより、今、目の前にいて本当に困っている、不安におののいているお年寄り達に、何とか元気を出してもらって、この地域に住み続けたいとおっしゃるお年寄りに住み続けてもらう、その為には住宅再建をここで敢えてやるということの方を選んだわけです。現地で建て替える人には300万円、修繕をする人には150万円を限度に差し上げました。決して十分な額ではありません。けれども、それが一つのきっかけ、引き金になって、行政がそこまで手助けしてくれるのなら我々も頑張ろうかということで多くのお年寄りの皆さんの元気が出ました。

  後で、当時メンタルケアにあたって頂いた精神科医の皆さんなんかに聞きますと、その住宅再建に支援をするというメッセージが発せられたのが何よりのメンタルケアであったと伺って大変良かったと思いました。1年半以上経ちましたけれども、地震で家が壊れたことを理由として出て行った方は皆無に近い。地域を守ることができました。ある程度お金もかかりましたけれども、地域を守るために、そのぐらいのお金は費やしてもいいと思った次第です。行政は、いつもバランスを考えてしまう。バランス、公平を考えることは重要です。しかし、時と場合によって、公平さをあまりに重視すると今できることさえできなくなってしまう。

  公平さを守るためにかえって人権を守り、一人一人の人権を大切にすることがおろそかになってしまう。そういうことになってはいけない。5人を助けるのなら10万人を助ける覚悟があるのかというのは、詭弁だと思うんです。まず5人を助ける。その後で10万人の人がどうなるか、それはまた議論したらいいと思うんです。

  同じような問題で、三宅島の問題があります。三宅島の火山が噴火し、島から追い出され、東京都内、本土の方に皆さん身を寄せているわけですけれども、いずれ火山活動が治まったら帰りたいという方が多いんですね。ですけども、帰ったところで家はありません。使い物になりません。鳥取県の地震の時と同じように、家を失った方をどうするのかが問題になるわけです。その時に鳥取県がよく引き合いに出されました。

  県と市町村とで100億円を上回る金額を費やして、住宅再建をしたんですね。それは鳥取県にとっては、小さな金額ではありません。ですけども、鳥取県ではできました。鳥取県でさえ住宅再建支援をしたのだから、大東京都で三宅島の、全部で千世帯ぐらいの皆さんの住宅再建支援に手を差し伸べることができないはずはない、という議論があるのだそうです。東京都の財政上の体力からいえば簡単なことだと思います。

  最大限千戸、一戸300万円として30億円です。鳥取県が西部地震の復興で住宅再建の為に使った金額の3分の1以下です。やろうと思えばできると思うんですね。ただ東京都の皆さんはこう考えていると思うんです。三宅島だったらできる。けれど、東京都の23区、世田谷区とか杉並区とか、そういう所が同じように地震や大火災で家屋が焼失をして、何とかして下さいと来られた時に、全部対応できるかと言われると自信がない。膨大な金額になる。そうすると、公平平等を考える役所は、三宅島ならできるけれども全体のことを考えたら、とてもできないからやめておこう。東京都の議論はそういう風になっているのだと思うんです。

  そういう時に、全体のこと、後先のことを考えて、今できるけれどもやらない方を選択するのか、それともいつ起きるか分からないことはちょっと置いといて、今困窮している人達に手を差し伸べるか、これは政策判断の問題です。私も聞かれました。あなたが東京都知事だったらどうしますか。私はその時、こう答えたんです。三宅島は離島であって、本土から見たら住環境としての条件は決してよくない。でもそこにちゃんと人が住んでいて、我が国の国土の一部を生活を実践しながら守るというのは、大変貴重なことだと思う。災害に遭ってもまた帰って、そこで生活したいという人の意志は大いに尊重してあげなきゃいけない。それはその人達の為でもあるけれども、日本全体の為、東京都の為でもある。それならば23区なんかとは別に考えて、将来のことは将来のこととして、今三宅島の皆さんを助けてあげるという発想があってもいいのではないですかねと。

  バランス感覚、公平感覚がどうしても気になるのであれば、特別だということで、秋からホテル税なんて課税されていますが、3年分だけ三宅島対策に使うといって、目的を明確にされたらいいんじゃないでしょうか。私も喜んでホテルに泊まって税金払いますよと。全体と今起きた個別の事例をどう整理するのかという一つの例ですので、東京都の話もちょっとお節介ですけども、申し上げた次第です。皆さん方にも、目の前に起こったことと将来も含めた全体のバランスということをどう考えたらいいのか、考えてみて頂ければと思います。

【同和問題】

 人権問題で何と言っても大切なのは同和問題です。先般法律の期限が切れました。法律の期限が切れたから、もう同和行政はいらないという意見が、鳥取県の議会でも一部の政党から出されました。私はその時に答えました。法律がなくなって、差別の実態もなくなって、従って同和行政も必要なくなるというのであれば、それにこしたことはないのですが、さて我が国の現状はどうでしょうか。特に鳥取県の現状はどうでしょうか。

  鳥取県では差別の現状について一昨年の夏から実態調査を行いました。法律の期限切れを目前に控えて、本県において差別の現実、現状について調べました。決してまだまだ差別の実態がなくなっているわけではありません。残念なことです。これだけ長い間、差別と偏見をなくすために努力をしてきた。にもかかわらず、まだ現在においても差別・偏見が残っている。これは非常に残念で悲しいことでありますけれども、我々はこの法律がなくなった今日においてこの現状をもう一回よく認識をして、その上でこれからの行政を考えなきゃいけないと改めて思った次第です。

  差別事象、例えば落書きの問題等も、本県でも随分たくさん発生しておりますし、段々と悪質で陰湿になっていることにも、よく注意しておかなきゃいけない。こういう現状を踏まえますと、法律がなくなったのだから、行政もいらないじゃないかと楽天的なことはとても言えたものではないわけでして、確かに今までのように法律に基づいて行政を行ってきたという条件は変わるかもしれませんが、これからは我々の地域における差別と偏見の実態に基づいた、実態から生じる必要性に基づいた行政を行わなければいけないということになるわけです。

  我々自身で考えて、法律によって導かれるのではなく、我々自身が現場の実態に基づいて政策を作り上げ、実践していく。必要なことは国に申し上げていく。こういう仕事のやり方をしなければいけないということで、鳥取県では今後の同和対策のあり方を今年2月にまとめました。それを今実践しつつあるところです。

  私は、差別をする人というのは病気だということをかねがね言っております。差別意識と偏見に囚われている。自らの心が自由でない。これはその人にとって病気です。その病は治癒してあげなきゃいけない。一種のマインドコントロールに罹っている。実態がないところにバーチャルな違いを見つけて、バーチャルな認識を持っている。このマインドコントロールを解いてあげなきゃいけない。こういう考え方も必要だろうと思っております。

  もう一つ、この社会に差別があるということは社会の病理現象です。この病理現象も治さなきゃいけない。差別があるということは、差別をされる方の心が傷つく。差別を受ける側が自らの能力や個性を発揮する機会を奪われる。あってはならないことです。同時に、差別があるということは、一人一人の社会の構成員の能力や個性を十分に社会に還元してもらってない、社会で能力を発揮してもらえてない。社会にとっても大きな損失です。

  そういう観点からも、法律はなくなったけれども主体的にこの社会のありようとして、社会のあるべき姿として、差別と偏見の解消に向けて努力をしなければいけない。こういう思いを新たにしているところです。

【在日韓国・朝鮮人について】

 差別、偏見の問題は色々な局面で出てきます。その一つに、在日韓国籍、朝鮮籍の皆さんに対する差別の問題があります。今話題になっていますのは、政治参画の道を閉ざされているという意味での差別です。その一つが地方参政権の問題でして、市町村の議会の被選挙権、選挙権をどうするのかという問題です。

  私は、知事になる前は公務員でした。長い公務員生活の中で税に携わった期間が長いんです。国税の税務署長をやったこともありますし、地方税に携わったこともあります。納税者の皆さんには国家や地方団体から無理矢理取られるという感覚が強いかもしれませんが、地方自治の理念から言いますと、税金というのは取られるものではなくて、自分達が共同で持ち寄って、それでもって一人一人のために必要なことを共同で処理する。そのための必要なコストであるわけです。

  ゴミ処理を毎日、一人一人でやるというのは非常に不効率ですし、現実には都市ではできませんから、税金をみんなで持ち寄って、ゴミを共同で収集、処理する。税金を納めるということは、自分達に必要な行政を共同で処理するということです。そういう意味から言いますと、税金を納めている人が税の使い道について意見を言える、使い道について決定する過程に参画できるということは、当たり前のことで、税は納めるけれど使い道について発言できないというのは、やっぱりちょっといびつなわけです。

  税の仕事をやった者から言いますと、在日韓国籍、朝鮮籍の皆さんが、市町村議会の議員選挙にすら関与できないというのは、何か欠けたものがあるのではないかと思うんです。イデオロギーとか、人権という問題とは別に、税と自治のあり方という実務的なことからアプローチしてもそう言えるんです。在日韓国・朝鮮籍の皆さんは税をずっと納めていて、市町村の構成員、共生の仲間ですから、市町村議会の選挙権はあってしかるべきではないかと思うんです。これは法律で決めることで、鳥取県だけでというわけにはいきません。立法、政策の問題です。これもよく考えて頂きたいと思うんです。

  政治参画という時に、もう一つあるのが国籍条項の問題です。今論じられていますのはもっぱら都道府県の職員、一般行政職として公務員になる権利があるかどうか、その前に公務員試験を受ける資格があるかどうかという問題です。従来からほとんどの都道府県では、技術的な職種については、在日韓国・朝鮮籍でも試験が受けられたのですが、一般行政職については、国籍条項が必要だと、試験は受けられないという取り扱いをしておりました。

  最近、いくつかの県でこの国籍条項が撤廃されました。鳥取県も平成12年度の職員採用に伴う採用試験から全ての職種について国籍条項を撤廃しました。従って、今は一般行政職も含めて在日韓国・朝鮮籍の方が鳥取県の県庁職員の採用試験を受けることができます。いくつかの県で鳥取県と同じように国籍条項は撤廃をしているのですが、本当に受け入れているかどうかになると、実はそんなに進んでいないのです。

  今年、また増えているかもしれませんけれども、私の知る限りでは、在日韓国・朝鮮籍の人で都道府県の一般行政職の職員として採用されているのは2名です。その2名の在日韓国・朝鮮籍の職員というのは鳥取県の職員です。いずれも女性ですけれども、県職員試験を優秀な成績で合格して、今、本名で働いてもらっております。

  他の府県でも国籍条項は撤廃して、門戸は開かれているのですが、まだ採用はないようです。是非、多くの県で門戸を開いて頂けばと思いますし、門戸を開いてる県では、できるだけ優秀な在日韓国・朝鮮籍の人が職員になって頂いたらいいと思います。私は、在日韓国・朝鮮籍の皆さんをどういう風に遇するかという問題は、この日本が本当に世界に向かって開かれた国になるかどうか、それを点検する一つのリトマス試験紙みたいなものだと思うのです。

  先般、ワールドカップがありました。鳥取市は公認キャンプ地になり、エクアドルのチームがキャンプをはられました。いい交流ができたわけですが、エクアドルチームの帰国後、本国から大臣が来られたんです。この大臣はアメリカ人とパラグアイ人の両親の間に生まれて、生まれた時はエクアドルに両親がいたので、エクアドル人ですが、そういう方が大臣になっているわけです。随分開かれている国だと思いました。

  もちろん、どういう人に国籍を与えるかという国の方針が日本とは全然違います。日本は属人主義といって、両親が何人であるかによって国籍が与えられたり、与えられなかったりする。でもエクアドルはアメリカなんかと一緒で、エクアドルで生まれたら国籍が与えられるわけですね。そういう国柄は違いますけど、随分開かれていると思いました。その大臣がスペイン語で挨拶をされたんです。通訳の方が日本語に通訳をしてくれるんですけども、途中で突如日本語でしゃべりだしまして、「昔自分は日本語を勉強しました。その頃は変なガイジンと言われましたけど、今は変なダイジンと呼ばれます」。それだけで私はエクアドルという国が大好きになったんです。

  それはともかくとしまして、そういう開かれた国であるということに本当に感銘を受けました。日本はそこまでというわけにはいきませんけれども、もっともっと開かれた国にならなければならない、そういう思いも強くした事例でした。

  在日の問題というのは、よく考えなければいけないと思うんです。と言いますのは、外国人一般の皆さんと在日の皆さんというのは、その歴史的経緯を見ると全然違うわけです。最近来られた例えばアラビアの方とかアメリカの方も、日本に滞在しておられますから在日の外国人と言えますけれども、いわゆる在日の韓国・朝鮮籍の人というのは、そういう意味での在日外国人とは違うわけです。

  なぜ違うかと言いますと、在日韓国・朝鮮籍の皆さんの起源というのは、戦前に遡るわけです。戦前のある時期に、在日一世の方は日本に日本人として来られている。当時、朝鮮半島は日本です。我が国は、朝鮮半島を1910年に併合して同じ国にしてしまった。日韓併合です。平和的に、友好的に、対等の立場で合併したわけではありせん。無理矢理併合したわけです。

  従って1910年の時点で朝鮮半島に在住しておられた方々というのは、その時から自分の意思に関わらず、日本国籍になったわけです。従って戦前日本に来た時は、パスポートも何もいらない。切符だけで来れたわけです。色々な来方があったと思います。

  時期によっても違いますが、当時の言葉で言うと、内地、日本列島に行って、より所得の高い仕事に就きたい、そして家族を含めて自分の生活をもっと豊かなものにしたいと思って来られた人も多いわけです。そこで一生懸命、日本の社会の中で溶け込もうと努力をされ、生計の道を作っていったわけです。それが1945年に日本が第二次大戦に負け、サンフランシスコ講和条約で日本の領土は本州、四国、九州、北海道の4つの島と、その周辺の付属する島に決められたわけです。

  その時点で、日本国憲法の下で、これからは平和で民主主義の国として再出発しますということにした。それはそれでいいわけですが、その時に1910年に無理矢理併合して無理矢理日本人にしてしまった人達、日本の中にそういう人達がいて、つつがなく平穏裏に生計を営んでいることをすっぱり忘れてしまっている。その人達はサンフランシスコ講和条約で日本国籍を自動的に失うことになってしまった。

  無理矢理日本人にしておいて、今度は本人の意思も選択もなく自動的に国籍をなくしてしまう。こういうことを日本はやったわけです。せめて無理矢理日本人にして、国籍を与えたのなら、離脱する時には本人の意思を聞いて、日本国籍を持っていたいという方にはその選択の道を認めるべきだったと思うんです。それをある日突然、もう今日からあなた方は関係ありません、帰りたきゃ帰って下さい。私達はこの4つの島で平和で民主主義の国を作ります。もうあなた達のことは関係ありません、どうぞ自由にして下さい。極端に言えばこういうことです。

  日本が明治以来、富国強兵、近代国家への道を歩む過程で、近隣諸国を無理矢理巻き込んでしまった。にもかかわらず、終戦後はもう今度は自分達だけのことを考えて、無理矢理巻き込んだ人のことは忘れて、我々だけで平和な国を作っていきます。そういう身勝手なことをやっているわけです。

  人の人生を無理矢理巻き込んで翻弄してしまった、そういう感覚が我が国にはなかったと言われてもしょうがない。植民地を持ったことの是非、これは大いに論じられなければいけませんが、その是非はともかくとして、植民地を持った国として当然しなければいけない後始末を日本は忘れていたのではないか。それをしていないが故に、今、在日韓国・朝鮮籍の皆さんに非常に不当な人権の制限をしてしまっている。こう思えてしょうがないのです。

  公務員になれない、地方参政権がない。こういう声に対して、嫌ならクニに帰ったらいいじゃないか、クニに帰ったら参政権があるじゃないかという心ないことを言われる方もおられます。日本で公務員になれない。だったら帰化したらいいじゃないか、ということを言われる方もおられます。私はそういう問題ではないと思うのです。

  なにしろ無理矢理日本国籍を取得させておいて、ある日突然、無理矢理放りだしてしまっているわけです。それで今になって、嫌なら国籍取ればいいじゃないかと言われても、なかなかああそうですか、じゃあ分かりましたというわけにはいかない。そういう心情はよく理解しないといけないと思うのです。

  我々日本人は在日の皆さんと共生をしていかなければいけない。在日の問題も、是非人権の問題として、過去からの日本の近代国家を歩み始めた頃からの歴史のことも含めて、我々国民は知らなければならないと思うのです。

  これは日本の在日のことだけではないんです。例えば昔、満州と言っていた中国の吉林省に行きますと、南の方に延辺朝鮮族自治州があります。ここに行きますと、空港に着いたら中国語とハングルが書いてあります。両方が公用語なんです。それくらい朝鮮族の人が多い。なぜ中国に朝鮮族の人がそんなに多いか。陸続きですから、昔から住み着いていたというのもあるでしょうが、1910年から1945年の日本時代に、いわば日本人として旧満州に移り住んだ、そういう方々の子孫も多いんです。

  これも日本が近代国家として、非常に腕力の強い国として、東アジアでその権勢を振るっていた頃の歴史的な産物です。こういう問題があることも知っておかなければいけない。それから中央アジア、例えばウズベキスタンとかカザフスタンに行きましても朝鮮族の人がたくさんいます。30万人いるという統計もあります。中央アジアに行きますとキムチがあった、日本語をしゃべる人もいたと言って驚いて帰って来られる方がありますが、そういう地域です。

  なぜ、そこに朝鮮族の人が30万人もいるのだろうか。キムチはともかく、何で日本語が分かるのだろうか、ということですが、その人達、と言いますかその人達の祖先は、昔はロシアの沿海州、ウラジオストックとかあの辺りに住んでいたわけです。それをある日、スターリンが貨車に乗せて、中央アジアの方に強制的に連れて行って、住まわせたわけです。なぜそんなことをしたのか。当時、ソ連と日本との間がだんだん険しい関係になってくる。そういう中にあって自分の国の領土の中に、朝鮮族でありますけれども、朝鮮半島が当時日本ですから、日本人、ないしその日本人に非常に近い人々が自分の国の中にいるというのは危なっかしくてしょうがないわけです。ですからスターリンは朝鮮族の人々を無理矢理、遙か遠方の中央アジアに強制的に連れて行ってしまって、その結果、今日中央アジアに30万人とも言われる朝鮮族の人がおられるわけです。非常に辛い、過酷な人生を送ってきたと思います。

  それは決して日本人の罪ではありません。強制移住をさせたというのはスターリンの罪です。ですけども、よく考えなければいけないのは、スターリンがなぜあんな遠い所まで強制移住をさせたかといえば、それは朝鮮半島が日本であったが故です。そういうことに対する理解を日本人はしなければならない。

  我々の国、日本が近代国家になる過程、その歴史との関連において、多くの朝鮮族の皆さんが過酷な運命を辿らざるを得なかったということは、よく知っておかなければいけない。最近中央アジアとの関係が深くなって、行ったり来たりする人が多くなりましたが、今私が申し上げたような歴史は学校でも教えませんから、あまり知らない。のんきに行って、キムチが美味しかったと、日本語もちょっと通じましたよと言って帰って来られる方も多いんですね。それではやっぱりいけないと思うんです。

  日本が近代国家の過程でどういう歴史を辿ってきたのか、それで近隣諸国をどういう形で巻き込んできて、どういう余波を及ぼしたのかということを、植民地を持った国として知っておかないといけないと思うんです。日本の歴史教育というのは、そういう面でも一面的と言いますか、足らざるところがあるのではないかという気がしてなりません。

【ハンセン病】

 次はハンセン病の問題です。ハンセン病の問題は、昨年、熊本地方裁判所の判決が出まして、一気に国民の多くの認識を得ることになりました。この判決というのは、元患者の皆さんが政府を相手取って訴えたわけです。らい予防法という法律でもって、ハンセン病の皆さんを強制隔離してきた。感染を防ぐために患者の皆さんを強制隔離するということだったが、もう随分前からハンセン病は決して感染力が強くない病気で、しかもいい薬ができましたので隔離をする必要はないということが医学の世界では常識になっていた。通院で治療は可能である。しかも、いい薬ができましたから、適切な治療で後遺症も出現しない。

  ところが日本の場合には、そういう世界の医学上の常識に反して、長い間、つい数年前まで不必要に強制隔離政策を続けてきたわけです。そのことによって、どれほど多くのハンセン病の元患者の皆さんが人権を蹂躙され、名誉を汚されたか。その回復を求めて政府を相手取って訴訟を起こされたわけです。

  判決は原告の全面勝訴。当たり前だと思います。政府の不作為を裁判所も認めたわけです。本来もっと早めに、医学の常識が分かった時にらい予防法を改正して強制隔離政策をやめておくべきだったにも関わらず、漫然と続けていたために、原告をはじめとするハンセン病の元患者の皆さんに、辛い過酷な人生をいたずらに長くさせてしまった。これを裁判所も認めたわけです。

  この当たり前の判決を政府が控訴するかどうか、去年、多くの国民が注目しました。控訴すべきではないと我々思っていましたけれども、中央政府というのはそういう常識が通用しない部分があります。その判決を認めるということは、国が間違っていたということを公に認めることになる、そんなことはあってはならない、国が間違うはずはない、こういう前提で考えるわけです。ですから、絶対控訴しなければいけない、ということになるんですね。そういう形で準備を進めていた時に、小泉内閣が登場して、結果的には控訴しないことになって、国民は拍手喝采を送ったわけです。みんな喜んだわけです。

  けれども私は、手放しで国だけが悪いといって喜んでいていいんだろうかと思ったんです。と言いますのは、らい予防法は確かに国、国会が作りました。しかし、強制隔離政策を実際に実行したのは、都道府県のレベルです。無らい県運動といって、らい病をなくす運動を全国的に展開したんです。無らい県運動というのが、らい病と当時言っていましたが、ハンセン病をちゃんと適切に治療して、それでもって病気を社会からなくしていくというのなら正しかったと思うんです。

  しかし、当時の無らい県運動というのはそうではないんです。ハンセン病に罹った人を目の前からなくしてしまう、即ち強制隔離。一定の所に収容してしまう。それで残った社会からはハンセン病がなくなった、無らい県になった、無らい県が達成できました、ということだったんですね。非常に歪んだ無らい県運動なわけです。

  ハンセン病に罹った患者の皆さんは、本当に辛い人生を送らざるを得なかったわけです。この社会から隔離されてしまうわけです。非常にむごい、今からは想像もつかないような過酷な人生です。徳永進さんという鳥取県のお医者さんが『隔離』という本を書いております。出版は今から22年くらい前です。私も最初に出版された時に読みまして、その時初めてハンセン病というものが、どれだけ元患者の皆さんに辛い、むごい、過酷な運命を強いたかを知ったんです。いい本です。今、岩波書店から岩波現代文庫として復刻されています。読んで頂くと、その頃の様子がわかります。今からでは本当に想像もできないようなむごい仕打ちです。

  家族から、親子であっても引き離される。いったんハンセン病であると認定を受けますと、ただちに県の職員、場合によってはサーベルを持った官憲も来て強制隔離をするわけです。その患者の方の日用品、衣類、用具、全て焼却処分。これみよがしに焼却処分です。その方の居住していた家は徹底的に消毒をする。それを家族はもちろんですが、周りの人もみんな見ているわけで、ハンセン病というのは本当に恐ろしい病気だという不必要な恐怖を呼び起こしたわけです。これが無らい県運動です。

  今、この元患者の皆さんは、長い間強制隔離政策を続けたのは政府の間違いだということが裁判で確定しましたので、一応法律上、建前上は人権と名誉の回復ができたことになっています。これからの課題は社会復帰だと。大筋、それは間違いではないと思うのですが、ことはそんなに単純ではないです。

  医学上は治癒していますから感染もしない。仮に今の世の中でハンセン病が出現したとしても通院で治る。いい薬もある。後遺症も残らない。もう恐ろしい病気ではない。こうやって社会の認識も段々できてきましたから、どうか郷里に帰って下さい。当時強制収容されてほとんどの方は収容施設におられますから、その施設から家に帰って下さい。安心して帰って下さい。こう言うんですけれども、決してそんな単純なものではない。

  と言いますのは、数十年前に社会から隔離された元患者の皆さんは、本当に大きな心の傷を負っているわけです。現代風に言うとトラウマ。何か平板に聞こえてしまうのではないかと恐れるんですが、そんな平板なものではない。本当に深い深い心の傷を負っているわけです。

  なにせ、ある日突然、郷里から隔離されてしまうわけです。しかも焼却処分や徹底した消毒というものが伴っております。官憲も登場する。まるで犯罪者か何かのように、病気に罹ったことが犯罪行為であるかのような扱いも受ける。親しかった家族や友人、知人から、まるで恐ろしいものでも見るかのような恐怖のまなざしを受けて、今まで住み慣れた故郷を離れざるを得なかったわけです。その時のつらさはいかばかりであっただろうかと思います。

  よく我々は辛い目にあったとか、ひどい目にあった言います。言い得て妙だと思います。ハンセン病の元患者の皆さんは郷里を追われる時に本当にひどい目にあってる。今まで親しかった家族や友人、知人からある日突然ものすごい恐怖、憎悪、そういう目で追放されているわけです。まさに目にあってるわけです、ひどい目にあってる。その時のことは一生忘れられないだろうと思います。

  鳥取県の元患者の皆さんは、岡山県の邑久町にある長島の愛生園、それから邑久光明園というハンセン病の施設に入所されている方が多いものですから、私も去年裁判が確定してから伺いました。一人一人の方から色々なことをお伺いしたんです。永住という意味ではなく一時的に郷里に帰って来ることも含めてですけれど、帰ってこられますかと言うと、帰りたい、何十年も見てない郷里がどうなっているのか、この目で、生きている内に見てみたいと言われる方がほとんどです。

  ですけども、じゃあ帰りましょうという方ばかりではないです。帰りたいけど帰れない、帰りたいけど帰らない。なぜ、帰らないんですかと言うと、一番会いたくないのが友人、知人、家族だと言われる。あの目に会うかもしれない。当時、自分を追い出した時の周りの人、親しかった人の目にまた会うかもしれない。そのことに対する恐怖感があるわけです。これは本当にそういう目にあった方でないと分からないと思うんです。

  世の中変わったし、ハンセン病のこともみんなちゃんと分かるようになったんだから、もういいじゃないかというのはそういう目にあったことのない人の言うことであって、本当にそういう辛い目にあった人は、その時のことが脳裏を離れない。また郷里に帰って、懐かしい郷里だけれども、ああいう目にあうことだけは絶対にしたくない、そう思っている人がおられるわけです。私達は、そういう元患者の皆さんの心理、心境ということを是非わきまえておかなければいけない。

  それから多くの元患者の皆さんは、多かれ少なかれ後遺症を持っておられます。指がない。顔に後遺症がある。それが、かつて無らい県運動をやっていた時に、らい病は怖いという一つの有力な証拠だったわけです。その後遺症をもって郷里に帰る。後遺症のある自分の姿を見て周りの方が恐怖感を抱くだろう、恐怖感を抱くかもしれないという恐怖感が自分にあるわけです。そういう心の中の複雑な思いというものも是非我々はよく理解しておかなければいけない。決して単純なものではないとさっき申し上げたのは、そういうことです。

  ハンセン病の元患者の皆さんの多くは、人生そんなに残り時間が長くないわけです。過去の時間は取り返すことができません。残された、本当にわずかな人生の時間をどうやって、人権の回復と名誉の回復をして頂きながら、平安に過ごして頂けるか、真剣に考えなければいけないと思うんです。ハンセン病の問題も、決して他人事ではなくて、懐かしい郷里に何十年振りに帰りたいけど、帰って来れない、そういう方々がまだ日本におられるということ、これはその人の心の傷がいかに大きいかということですけども、同時に、そういう方々をちゃんと暖かく迎えることができないこの社会のあり方の問題として私達は考えなければならない。

  今、鳥取県では人権先進県づくりを目指しまして、このハンセン病の問題も大きな課題の一つにしております。と言いますのは、無らい県運動を鳥取県は徹底してやったんです。無らい県達成第一号は鳥取県です。そういう県ですから、患者の皆さんの名誉、人権の回復も是非いの一番にやりたいと思ってるんです。

  一昨日、ハンセン病の資料集が完成しました。『風紋のあかり』というハンセン病の資料集です。これはかつて無らい県運動に加わって、それを生真面目にやり遂げた鳥取県の過去をもう一回検証する。そして二度とこのような過ちをしないための資料集です。この資料集を実際作って頂いたのは、先ほど紹介しました徳永進医師をはじめとする委員なんですが、委員の中には、岡山県の長島に今でもおられる元患者のお二人、長島の愛生園で患者の皆さんと日々接しておられた看護婦をされていた方、それから元県職員で無らい県運動に実際に携わった経験のあるOB、こういう方々に委員になってもらいました。

  私も目を通してみまして、本当に色んなことを考えさせられました。是非、皆さんにも目を通して頂きたいと思います。8月24日にこのハンセン病資料集を元にして、ハンセン病のことを考える、ハンセン病を通じて人権のことを考える、ハンセン病を通じてこの我々の社会をあり方を考える、こういうフォーラムを鳥取県で開こうと思っております。いずれ準備が整いましたらこのハンセン病資料集もインターネットで県庁のホームページに載せることも計画しております。

  鳥取県では人権先進県づくりということを標榜いたしまして、一人一人の県民の人権を大切にする社会にしようと取り組んでおりますが、決してそのスローガンを作ってそれで満足するという、そういう行政にはしたくないと思っています。一つ一つの実例、事例というものを一つ一つ解決をしていく、実践型の人権先進県づくりをやってきております。その一つが同和問題であり、在日韓国・朝鮮籍の皆さんの問題であり、ハンセン病の元患者の皆さんの問題でもあるわけです。他にも色々実践をしております。是非この機会に鳥取県の実践も、皆さん方のこれからのものを考える上での参考にして頂ければと思います。

【ホテル税論争を通じて】

 先ほどホテル税の話をしましたけれども、私は税を長いことやっていたものですから、自分で言うのも何ですが、税の専門家の一人です。そういう面から東京都のホテル税というものを見ますと、どうも変な税金だなというので、純粋に税の理論上の問題として問題提起をしましたら、何か石原さんと喧嘩しているみたいな取り上げ方をされて、私としては不本意なんです。まあ、それはいいんですが、このホテル税論争を通じて考えさせられることがありました。

  私がホテル税は欠陥税制だと申し上げましたら、翌日から数多くのメールが来ました。電子メール、電話、葉書、手紙。もう一杯、どっさり来ました。中には「片山さん頑張って下さい。石原さんに負けないでね」というものもありましたが、東京の人から来たメールにはある種の特性がありました。かなりひどいものが多かったんです。

  なんせ知事が「てめえこのやろう」というぐらいですから、そうかもしれませんけれども、「石原にたてつくとは何事だ」というような内容のものがありました。でもこんなのはいい方だと思ったんです。「貧乏県のくせに生意気を言うな」。そんなにお金があるわけじゃありませんから、貧乏県と言われても、悔しいけどしょうがないのかなと思ったりもしました。「小さい県のくせに大口をたたくな」。これも人口は全国でも一番少ないですから、小さい県と言われてもしょうがないのかな、悔しいけどと思いました。一番の極めつけは、「鳥取県のくせに生意気なこと言うな」。これにはみんなで笑ってしまいました。一体どういう意味だろうかと。

  小さい県だとか、貧乏だとか言われたら、まあ、そういうこともあるのかなと思ったりもしますけどね。鳥取県のくせにというのは、明らかにこれは一種の偏見が混じっているわけですね。今回のホテル税論争を通じましてね、本当に日本の人権感覚の一旦を垣間見ることができたと思うんです。一見弱そうな存在とか、一見小さい存在に対して、共感を覚えるとか同情するんではなくて、見下したり、馬鹿にしたり、そういう人達が我が国にはまだまだたくさんいるんだなと思いました。

  だから、よけいこれから人権の問題とか、偏見をなくす運動に我々は力を入れなければいけない。一つの差別を解消するために努力して、段々それが解消して社会が良くなっていくかと思ったら、また別の新たな偏見や差別が出てくる。絶えざる社会の運動としてこの人権の問題、差別や偏見を無くす問題は取り組まなければいけないと思ったんです。

  我々はこの社会を一人一人の人が本当に伸びやかに暮らせる社会にしなければいけない。小さな存在とか弱い存在を見つけたら、そっと手を差し伸べる、そういう共感する心を一人一人が持ったらきっといい社会になると思うんですけども、逆に馬鹿にしたり、見下したり、さげすんだりする。そういう性癖を持った人がいる社会、これは決して良くない社会です。住みやすい社会にするために、今日お集まりの皆さんと共に、これからも頑張りたいと思います。