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2003.10.29
講座・講演録
部落解放研究124号より
1998年10月31日発行

まちづくりの新たな展開を求めて
第3期の部落解放運動論の提案によせて―

内田雄造(東洋大学工学部教授)

1 総論編をめぐって

(1)「提案」のスタンスに共感

  この「提案」を大層興味深く読んだ。そしてこの「提案」を基本的に支持したい。まず、「部落解放運動を楽しむ」「部落のまちづくりを楽しむ」という姿勢(スタンス)に共感する。私も運動やまちづくりは自己の可能性の追求であり、自己実現であり、さまざまな局面があるにせよ、楽しいことだと考えている。「提案」で述べられているように、「人間として生きる気持のよさ」を享受することであり、「人と人との豊かな関係をつくっていく」プロセスであるだろう。

  なお一言要望を述べると具体的な事例に即して上記の主張を展開されればもっと迫力のある「提言」となると考えている。

(2)第2期の部落解放運動への評価

  「提案」では、第2期の運動の発展の論理を次の3点に求めている。この見解に私も大筋で同意する。

  第1に部落の生活実態それ自体を差別の現実としてとらえたことをあげている。

  他方でこの論理は、「部落差別の撤廃」が「部落の実態改善」に矮小化されたとし、「部落問題」は「部落だけの問題」ではないので「部落に対する手だて」だけで「差別からの解放」は実現しないと述べている。いわゆる格差論では部落が、進んだ一般の生活に追いつくという姿勢を強く感じるが、私は(1)部落の生活を一概に遅れたあるいは劣った生活とすることには疑問があること、(2)マイホーム主義や大量生産・大量消費に支えられた一般の生活自体が今日では壁にぶつかっていることを指摘したいと思う。

  第2に「個人給付事業」と「減免措置」に代表される実態改善における対症療法的手法の導入をあげている。しかしこの手法の長期化がかえって事態の根本的な解決を先送りさせてしまったと述べている。たしかにこの手法の安易な適用は、部落差別の根本的な解決をむずかしくしたと思うし、市民社会から公平性を欠くとの批判もうけた。ただし、「提言」の「特別措置」を賠償につながる語感をもつ物質的「補償」というとらえ方には若干違和感を覚える。格差の補墳措置と私は考えている。

  第3に「行政責任論」の論理を活用したことをあげ、この論理は行政闘争において大いに活用され効果大であったが、同時に「行政依存の傾向」を生んだとされている。私も同意するが、これは公営住宅や改良住宅といった公共住宅建設の評価をめぐって、私にとっても大きな課題である。

  と同時に、差別事象への法的規制などの問題をめぐり、私は司法に対しても緊張感をもっていることをつけ加えておきたい。司法が差別か否かの認定権を占有する事態は避けなければならない。

  いずれにせよ、第3期の解放運動の展開は「解放が目的、事業は手段」という原則の再確認から開始されるという「提案」の指摘は正当と思われる。

(3)第3期の解放運動の3大戦略について

  「提案」では「差別からの解放」という一つの目的を達成する3つの側面として、「人権を軸とした社会システムの創造」という社会変革の課題、「人と人との豊かな関係づくり」という人間関係変革の課題、「誇りをもって生きる一人ひとりの自立」をめざす自己変革への挑戦があげられている。

  私もこの3大課題に同意するが、そのうち「誇りをもって生きる一人ひとりの自立」が運動にとって、もっとも緊要な課題と考える。個の自立をなくしては「人と人との豊かな関係」などつくりえないと私には思われる。

  個の自立に関しては、コペルNo.63(1998年6月号)で展開されている吉田智弥の「いかなる被差別者も自らを解放するためには、まずあるがままの自分の存在を肯定しなければならない」という主張を重く受け止めたいと考える。一方で、吉田は「部落民」に対する差別は存在するにせよ、「部落民」は今日では異質性を喪っていると主張している。そして私はこの吉田の指摘に大筋で同意するものである。

  その上で、私はいささか逆説的であるが次のように考えている。すなわち、部落解放運動の担い手としての「部落民」への自己評価こそセルフエスティーム(自尊感情)の源泉であり、「部落民」のアイデンティティをなすと考えたい。そして「提言」も同じ主張をなしていると理解している。このような立論からすれば、部落解放運動の質と強さが「部落民」のアイデンティティを規定することとなり、改めて部落解放運動の有する普遍性と先進性が問われているともいえる。

2 実践編、特にまちづくり運動論をめぐって

  私はまちづくりは楽しいことという「提言」の主張を強く支持したいと考える。まちを計画することは、住宅設計と似たおもしろさがあり、かつまちづくりを通じて人間関係が拡がっていく楽しさもいいつくせぬものがある。

  被差別部落のまちづくりに関しては、私はすでに何回か記述してきた。最近の論文としては、『部落解放』1996年6月号に掲載された「新たなまちづくりにむけて」をお読みいただきたい。重複は避けたいと考えるが、立論上必要な部分を要約して整理しておく。論文の中核は後半の、4同和地区のまちづくりが当面している問題点と、5新たな展開を求めて、の部分である。

(1)被差別部落の住環境の問題点

  1969年に「同和対策事業特別措置法」が制定されたが、同法に基づいて同和対策事業が実施される以前の被差別部落の環境は惨たんたる状況であった。

  「河原者」「坂の者」という賤称もあったが、被差別部落が河川敷や遊水池などの低湿地やガケ下、山あいに立地するなど立地条件が悪いケースが多くみられた。また、墓地、火葬場、下水の終末処理場など「迷惑施設」が地区内や地区に隣接して立地するケースも少なくなかった。

  また、(1)住宅とリサイクル資材の処理場、皮革関連の小工場、墓地などが混在するという土地利用の混乱、(2)木造住宅の密集、(3)劣悪な道路事情、(4)上下水道の不備、(5)老朽化した住宅などの不良住宅の存在や過密居住といった不適格居住、などと住環境は劣悪であった。

(2)大幅に改善された同和地区の住環境

  1969年の「同和対策事業特別措置法」の制定以来、国と地方公共団体をあわせて現時点で15兆円を超える同和対策事業が行われ、かつその6割近くが環境整備費と推定されている。

  同和地区を対象とする改良住宅建設戸数は6万8000戸、今日では特定目的公営住宅としての同和向け公営住宅は制度的には廃止されたが、かつての同和向け公営住宅を含め実質的に同和地区住民を対象として供給された公営住宅は6万戸を数える。また住宅新築資金の貸し付け件数は7万5000件、住宅改修資金の貸し付け件数は10万件にのぼる。

  前記4施策の対象となった世帯数は延べ30万を超える。住宅地区改良事業は属地事業であり、部落民以外の改良住宅への入居者も存在すること、改修資金の借入者が改めて新築資金を借入するケースも存在することといった事情を考慮しても延べ20万を超えていると考えられ、この数は1993年度の政府調査に示される同和地域内に居住する同和関係世帯数30万のかなりの比率を占めている。

  住環境改善事業の手法としては、(1)住宅地区改良事業、(2)小集落地区改良事業(個々人による住宅の改修・新築も可能)、(3)地方改善施設整備事業などの適用による道路、小公園、隣保館、上下水道などの地区のエレメント造りと公営住宅の建設、個々人による住宅の改修・新築、などのタイプが見られる。(1)の事業は都市部特に大都市で多く実施され、環境は抜本的に改善されるが、地区はいわゆる改良団地となった。(3)の事業では、事業規模とも絡み改善のレベルも多岐にわたっているが、一般的に面的な整備が不十分であることが多い。

  建設省の発表する環境整備事業の進捗率は、地方公共団体の申請した当初計画を100としており、当所計画の妥当性も絡み、絶対的な数値とはいえないが、いずれにせよ、同和地区の環境は大幅に改善されたと私も考えている。

  ただし、同和地区に指定されていない被差別部落の数は小さな地区が多いにせよ1000を超えると思われ、これらの地区は事業から取り残されている。また、西成や崇仁といった大規模な都市部落や農山村に散在する小規模部落の環境改善事業は遅れが目立つ。

(3)まちづくりの先進事例としての同和地区のまちづくり

  今日、木造密集市街地に代表される、既成市街地の改善型まちづくり(全面的なスクラップアンドビルド型ではなく、良い環境を残し、悪い環境を改善し、ソフトな施策を重視するまちづくり)が都市計画の一大テーマとされている。

  そして、一連の同和地区のまちづくりはまさにその先進事例として注目されている。私自身も計画にかかわった北九州市小倉南区の北方地区のまちづくりは、大規模な改善型のまちづくりであった。この計画では、住民と行政、地区住民と周辺地区住民のパートナーシップが活用され、改良住宅の設計では住み手参加の住宅計画がなされている。また「もやい」がキーワードとされ、地区のコミュニティを重視し、集まって住む楽しさが追求された。

  私は同和地区のまちづくりを保障した条件として、次の5点をあげることができると考える。

  1. 住民の運動として、地区レベルの部落解放運動としてまちづくりが取り組まれたこと
  2. 上記(1)の反映でもあるが、まちづくりにあたって推進協議会が設けられるなどきめ細かな住民参加がなされたこと
  3. 単なる物的な計画・事業と位置づけられず、福祉計画、教育計画、部落産業の振興、仕事保障といったコミュニティ開発計画の一環として取り組まれたこと、物的な側面をとっても単に道路、上下水道の整備と住宅建設のみならず、隣保館(解放会館)、児童館、保育所、老人施設、部落産業の作業所、農漁業施設といった幅広い施設の計画がなされていること
  4. 同和地区の規模が小さく、個々人による住宅の改修・新築が進んでおり、持家志向が強いといった地方都市や農村部の地区の実態に応え、小集落地区改良事業に代表されるフレキシブルな事業が創設されたこと。これらの事業は戦前の融和事業当時に創設された地方改善施設整備事業とともに、小まわりのきく、改善型のまちづくりを担保したといえること
  5. 住民に対しては低家賃の公共住宅の供給や長期かつ低利な住宅新築資金などの公的ローンを整備し、負担の軽減を図ったこと。同和対策事業の事業主体である地方公共団体に対しては、一連の特別措置法により国庫補助率、地方債の発行、地方交付税の算定にあたり優遇措置を設け、財政負担の軽減を図ったこと

 私は以上の5条件は、今後、一般地区のまちづくりを行う上でも重視すべき内容を有していると考えている。

(4)同和地区のまちづくりが当面している問題点

  第1に地区人口の高齢化があげられる。この現象は農村部、都市部を問わず、また同和地区、一般地区を問わず全国的な傾向といえる。しかし、改良住宅や公営住宅が多数を占める大都市の同和地区では、初期の公共住宅が狭小でかつ風呂がないなど設備水準が低く、成長家族には狭すぎ、若い家族の生活スタイルにはマッチせず、若年層が地区外に居住するといった現象が目立つ。家族構成の変化に応じ住み替えすることはうまくいっていない。地区外に居住するためには高額な住居費支出が必要であるので、定収入が保障される中堅所得層の地区外への転出が多いようである。その結果、残された地区のコミュニティは人口の高齢化ともあいまっていよいよ沈滞化している。

  第2に、同和地区の低家賃が社会的公平の観点から強い批判にさらされており、家賃体系の全面的な見直しは不可避と思われてきたが、この問題は、公営住宅の改正にともなう応能応益家賃体系の導入により、新しい局面を迎えた。

  第3に、1996年の公営住宅法の改正にともない、応能応益家賃体系が導入され、公営住宅や改良住宅居住者の比率の高い同和地区に大きな影響を与えるものと思われる。公営住宅入居資格者は所得分位25%以下(高齢者の場合40%以下)に制限され、所得分位50%では市場並み家賃、60%に達すると転出を強制すべく市場並み家賃の2倍というペナルティ家賃とも称すべき高家賃の支払いが義務づけられている。ただし、同和地区の公営住宅、改良住宅の場合ペナルティ家賃の適用はないものと思われる。

  また改良住宅に空き家が生じた場合、入居資格者は所得分位12.5%(高齢者の場合20%となろう)とされている。現在は新家賃体系への移行期があるが、この体系が全面的に適用された暁には、公共住宅に住む同和地区の中堅所得層の地区外転出は激増し、新たに流入する入居者は、高齢かつ低所得者層と予想され、定住のコミュニティであった部落はスラムに変質してしまうだろう。そもそも現行の応能応益家賃体系では、一般の公営住宅団地も高齢かつ低所得の居住者の集中地区とならざるを得ず、都市構成上大問題となるだろう。この問題についてはここでは論じないが、私は基本的には家賃補助中心のシステムに移行すべきであると考えている。

  第4に、公営住宅や改良住宅といった公共家賃住宅中心のまちづくりの評価にかかわる問題である。1960年代、70年代の都市部落のまちづくりにおていは改良住宅や公営住宅の供給は唯一無二の選択であったし、公共賃貸住宅は住宅の社会化の旗手として無条件で支持された。家族型に応じた供給、住み替えがうまくなされないという指摘もあったが、技術的な問題と考えられてきた。

  しかし、最近では、現行の公共住宅制度の下では居住者はもっぱらサービスの受け手として位置づけられ、結果として行政への依存性向がたかまり、居住・居住空間を自らつくり、かつ運営・管理していく力が衰退する傾向があるという批判もなされている。たしかに、一方では行政の同和施策に対するパターナリスティック(温情的、後見的)なかかわり方もあり、結果として、住民と行政が対等の関係をとり結ぶことが難しくなっていると私も考えている。第3期の解放運動の展開にむけて、この問題の総括も不可避であろう。

  第5に住文化にかかわる問題である。地方都市や農村部の同和地区においては「入母屋御殿」と称される豪邸も少なくない。この種の建物は、企業や発電所に土地や漁業権を売り渡した一般の農漁村でもしばしばみられる。狭小・老朽な住宅に住むことを余儀なくされてきた同和地区住民が、周辺の住民に負けない住宅をと考えた心情は理解できるが、美材を競い、南面に配置された伝統的な座敷、築山を配した庭園などは改めて問い直される必要がある。

  第6に改善された地区の空間や施設が十分に使いこなされているか、適切に管理されているかが気にかかる。小公園や路上にリサイクル関連の資材が放置されていたり、河川敷で廃材が燃やされたりすることも少なくない。大規模作業場や農漁業の機器や倉庫が活用されていないケースもある。また、接道条件の未整備な農地扱いの土地に事業の終了後に住宅が建設されるケースもあった。差別も絡み、あらたな土地取得が難しい事情は分るが、「せっかく改善したのに」との思いにかられる。

  最後に、同和地区のまちづくりが周辺のそれと切り離され実施されてきた事実があげられる。同和地区と隣接し、スラムや在日韓国人・朝鮮人の居住地が形成される例は多く知られているが、このような場合、周辺地区の環境も劣悪なケースが少なくないし、道路や下水道など一体的な事業が不可欠である。にもかかわらず行政当局は、同和地区のみを対象としうる事業手法の適用、同和対策事業は補助率が高いことなどの理由で、「特別措置法」期限内にともかく同和地区のまちづくりを急ぎ、周辺の住民から反発を買った。私は市民の行政への批判はもっともであると考えている。

(5)新たな展開を求めて

  私は上記の問題点について、次の方向を考えている。

  第1に、公共賃貸住宅中心主義を見直し、多様な住生活を可能にすること、具体的には公共賃貸住宅を含む、多様な住宅供給が望ましいと考えている。公営住宅の位置づけが国民住宅から福祉住宅と変質しつつある今日、入居資格の制限がきびしい公営住宅や改良住宅は定住のコミュニティである部落にはうまくマッチしない。むしろ、さまざまな規模、設備水準、所有形態に見合う多様な住宅供給を模索したいと考える。

  私は公営住宅や改良住宅の建て替えにあたり、(1)地方公共団体が跡地に定期借地権を設定した上で貸与し、住民がマンション(できれば住み手参加で計画されるコーポラティブ形式のマンション)を建設すること(建て替えをまたず、現在のまま所有形式を変更することも不可能ではないことを指摘しておく)、(2)現行の区分所有のマンションの外に、建物を住宅組合が所有し、組合員が住戸の利用権を有する欧米の住宅組合方式(クラブ方式とも称される)のマンション建設、(3)住戸部分の改築が可能なスケルトン・インフィル方式マンションの建設などを追求したいと考えている。また、高齢者を対象に(4)住宅施策と高齢者福祉施策を結合した新しいタイプのコ・ハウジング(コレクティブハウスやグループホームもその一種)も十分考えられるだろう。同和地区の住宅計画において、行政は従来のいささかパターナリスティックなサービス提供路線から、住民の主体的な努力、自立をエンパワーする路線にシフトすべきではないだろうか。

  第2に公営住宅や改良住宅への需要は今後も大きく、その重要性はゆらぐことはないだろう。私は家賃体系に関しては、定住のコミュニティに見合ったわが方の応能応益家賃とすること、住宅水準に関しては定住のコミュニティにふさわしい都市居住型誘導居住水準の確保を要求すること(建設省によれば、誘導居住水準については2000年を目途に全国で半数の世帯がその水準を確保することを目標としており、都市居住型誘導居住水準では4人世帯の住戸規模は91平方メートルである)、さらに住宅の供給・住み替えシステムを整備することなどが必要であろう。

  ただし、農村部や一部の地方都市の接地型の共同住宅(例えば2戸連棟型住宅)は積極的に払い下げることも有力な選択肢だろう。また団地の荒廃に悩むヨーロッパの諸国では借家人である住民の自治組織に公共住宅の管理や家賃徴収を委任する動きも強く、このテーマも検討に値すると思われる。

  第3に新しいライフスタイルの確立が求められているといえるだろう。夫と妻、親と子などの関係の見直しをふまえた家族生活像、資源やエネルギーを大切にする環境共生型のライフスタイル、省資源かつリサイクル可能な住宅建設システムが求められている。

  第4に周辺の地区と一体のまちづくりが求められている。そのためには、まず隣保館、児童館、保育所など解放運動がかちとってきた地区内施設を広く周辺の住民に開放していくことが必要と思われる。特に隣保館は交流の拠点として位置づけられ、その活発な活動が期待される。保育所を共用する場合、保育料の格差が問題となってくると考えられるが、地区の父母が地区外の父母と保育の場であい接する中で、妥当な額に変更されていくものと期待している。

  「提言」でのべられているようにまちづくりは周辺の地区や地区住民と交流する絶好の機会だし、この共同の営みを通して解放運動への幅広い理解の獲得ができるだろう。そして部落解放運動はまちづくりに関しては、さまざまな経験をもち、多大な力量を有している。私は周辺地区と一体となったまちづくりを展開するためには、地区の解放同盟組織は、裏方として世話人活動をも引きうけるべきであると考えている。大阪の浅香地区協議会が中心となった、浅香の地下鉄車庫跡地利用をテーマとするまちづくり運動は周辺地区を巻き込んだ大規模な運動として注目に値する。

  「提言」では「校区まちづくり運動」が提唱されている。人口密度や道路条件など地域の物的な形状により周辺地区の拡がりは変化するし、地域における歴史的な経緯によって、周辺地区の範囲も異なってくるものであり、校区を絶対化する必要はない。しかし、行政の地域計画において校区が重視されているケースが多いこと、子どもの生活、PTAの活動などにより、校区が住民の生活圏として意味をもっていることを考えると、校区はまちづくりの一つの単位として重視されてしかるべきだろう。

  私はまちづくりの優先度を決める要因として、地区の物的環境の水準(劣悪な地区が優先される)と、まちづくりを担っていく住民の主体的力量の有無の2点を重視している。この観点から、環境水準が悪い地区からまちづくりを手がけることを一面的に主張する一部の論調に対しては批判的だが、行政当局は各地区の客観的な環境評価を行い公表する必要があると考えている。

  第5に地区レベルの環境管理の必要性を強調しておきたい。そもそも、仕事保障や解放教育というテーマに比べ、まちづくり特に施設づくりはお金をかければ見かけ上事業が進捗することもあって、行政・運動体とも安易に見栄えのする施設づくりに走ったきらいがあったといえる。生活のイメージが乏しい場合、大規模な施設は使いこなされないこととなる。私は「小さいものは美しい」という原則を重視したいと考える。

  また、まちづくり事業が一定の進捗をみた後、まちを使いこなすとともに、よい状態に管理し、再び荒廃化させない努力が必要である。行政としては建築基準法の厳格な適用、地区計画の活用などが考えられるが、住民としても駐車のシステムや部落産業の原料・廃材の保管やリサイクルなどをきちんと運動として取り組んでいく必要がある。

  最後に「住み続けられるまちづくり」について触れておきたい。今日、木造密集市街地のまちづくりや公団団地の建て替えにあたり「住み続けられるまちづくり」はしばしばキーワードとされている。これは最も立場の弱い人もコミュニティの一員としてまちに住み続けられることを目指すものであり、同和地区のまちづくりはこの点でも先進事例といえるだろう。

  しかし、今後地区人口の高齢化はいよいよ進行する。高齢者が安心して住みつづけられるハード、ソフトなシステムの構築が急がれる。この分野でも解放同盟は高齢者センターや特別養護老人ホームを地区内に誘致し、さらに住宅の高齢者にも給食サービスを行うなど福祉のまちづくりを実践してきた。私はこれらの分野で解放同盟がもつ福祉のまちづくりのノウハウを生かし、その対象を周辺の地区まで拡大していくことを強く希望している。そして、このような試みを通じて部落解放運動も発展していくものと信じている。