講座・講演録

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2003.11.08
講座・講演録
研究所通信303号(2003年11月10日)より

シンポジウム『高松結婚差別裁判糾弾闘争70周年の歴史的意味』

喜岡淳(香川人権研究所)
秋定嘉和(人権博物館)
高野真澄(高松大学)
黒川みどり(静岡大学)
友永健三(部落解放・人権研究所)

  2003年8月30日大阪人権博物館において、シンポジウム『高松結婚差別裁判糾弾闘争70周年の歴史的意味』が開催され、5人のパネリストが様々な角度から、高松結婚差別裁判を検証、報告された。

  以下、その内容を要約して紹介する。

●高松結婚差別事件とは

  1932年香川県の被差別部落出身の男性が知り合った女性と結婚生活を始めたが、女性の父親が二人を探し出して男性を警察に突き出し、警察も男性が部落出身であることから結婚はありえないとして立件、女性の父親も誘拐罪として告訴し、結婚を破棄させた。裁判でも、部落出身であることを隠して結婚しようとした事が犯罪であるとし、有罪判決を言い渡された。それを受けた地元・全国水平社は全国各地で判決の取り消しを求める運動を展開した。

●喜岡淳さんの報告

  香川人権研究所の喜岡淳さんから、地元・香川における当時の状況、事件の発端から差別裁判への展開、それを受けて県水平社から全国水平社へと広がった糾弾闘争の取り組みなどが報告された。

  結婚相手が被差別部落出身者であることを理由に行われた裁判。そのことは、結婚という身近な問題として一般の人びとの共感を得、大きな運動の流れを作っていた。しかし、有罪判決を受けた被差別部落出身(被告)は、その後も名誉回復することもなく現在に至っている。今後の課題として、事件の真相解明と、名誉回復するための方策、教材化等に取り組んでいきたい。

●秋定嘉和さんの報告

  大阪人権博物館の秋定嘉和さんからは、高松事件の歴史的意義について報告があり、高松裁判事件を受け、全国水平社は差別裁判糾弾闘争とともに、国に対して差別の賠償と改善費増額、行政の窓口民主化を要求して行く方針を固めたことを特徴に挙げた。

●高野真澄さんの報告

  高松大学の高野真澄さんからは、高松裁判事件と闘争について報告がされた。

  高松裁判事件は、「結婚誘拐被告事件」として公訴されており、終始一貫して、検事局は被差別部落出身者(被告)に対して、露骨な差別語を繰り返し用いて侮辱の意思と差別感情を露わにしていた。

  しかし、刑事手続きにおける露骨な差別性は当然ながら水平社と地元の仲間を差別反対に団結させ、村民一体となった闘いへ導いた。闘争はなによりも被差別仲間の「身分的共通感情」を原動力に、結婚の自由(市民的権利)の獲得に向けて全国的な政府糾弾へと盛り上がり、これに圧倒され司法当局は今後記録、公判時の差別字句の使用、取り扱いに注意する「通達」を出さざるを得なくなった。さらに制憲議会における政府の「謝罪」や「結婚の自由な合意による成立」が新憲法に編入されたことで全国民の人権保障へと裾野を拡大する成果をみたといえる。

●黒川みどりさんの報告

  静岡大学の黒川みどりさんからは、ジェンダーの視点から見た高松裁判事件として報告がされた。結婚が、「イエ」に嫁ぐという点から、当人よりも、男性側の「身元」のほうがより重視されていた当時、被差別部落出身者との結婚はありえず、「誘拐」だと結論付けられた。また、前借金のため女給として働いていた相手の女性は、借金の肩代わりをしてくれるならと当初結婚を承諾していたことからも、経済面でも男性に依存せざるを得ず、そのことが配偶者選択の主たる要因になっていたことがわかる。

●友永健三さんの報告

  最後に部落解放・人権研究所の友永健三さんから、今日の部落問題からみた高松裁判闘争について報告がされた。

  意識調査等のデータをもとに、結婚に対する意識変化についての報告のあと、司法に関わる公務員への部落問題理解、人権理解をシステムとして高めることの必要性を指摘した。また、高松裁判のような事件を現状ではどのような方法で救済できるのかを考えたとき、法的規制の必要性、相談・救済機関の設置、草の根人権のネットワークを構築することが重要である。したがって、人権擁護法案の抜本修正の必要性を強調された。

(s.k)