1 マルクス主義に対する評価
この文章では、『部落解放運動には夢がある』というパンフレット(以下、『夢パンフ』と略)を読んで感じたり、考えたりしたことを書いている。特に「(2)より大きな広がりを求めて〜『市民活動論』」というところを中心にするが、他の点にも言及する。
『夢パンフ』は、そのタイトル通り解放運動のイメージをいっそう明るく広がりあるものに変えようとしている。この点は、内容的にも大いに成功していると私は感じる。このパンフレットの方向を基本的に支持する立場から、考えを述べる。だから、ここで述べようとすることは、『夢パンフ』の考え方を否定したり、それと矛盾したりするものではない。
第1に、マルクス主義的発想との関連である。部落解放運動に限らず、日本の市民運動は、マルクス主義の考え方に大きな影響を受けてきた。冷戦体制の崩壊後、この枠組みを再検討することがさまざまな領域で求められている。この『夢パンフ』もその一つであろう。
改めていうのもおかしいが、日本ではさまざまな理論が中国や西洋など諸外国から「輸入」されても、それが日本の文脈に応じてどんどん変えられ、利用できるものに変えられていく。マルクス主義もしかりである。
しかし、土着化することによって、すっかり変わってしまうわけではない。また、変わったことによって良くなるだけではない。このことを考えると、マルクス主義についてもう少し議論があってよいように思う。
人間の物質性・身体性そのものが共同性・社会性を求める。労働をはじめとする社会的実践が人間の理性を鍛え、普遍的思考と個性的感性を育てる。個々人の欲求に従った行動が社会全体の矛盾を生み出し、明日を胚胎する。大衆の要求の中に、未来が映し出される。政治経済的な諸関係が土台となって、社会的文化的な仕組みの反作用を受けながら全体を規定する。魅力的なテーゼがたくさんある。けれども、同時に問題をはらんだ考え方もたくさんあったように思う。
議論すべきポイントのひとつは、日本に限らずマルクス主義的運動の絶対主義的傾向・独善主義的傾向がどこから生まれるか、「前衛―大衆」というとらえ方のどこにどのような問題があるのか、組織論としての民主集中制の功罪は何か、といった点である。
大阪の部落解放運動は、マルクス主義の影響を受けながらも、地域の実態に即して住民の要求に根ざしつつ運動を展開してきた。生業資金闘争、教育無償闘争、住宅要求闘争、最低賃金制闘争、部落解放地域総合計画運動などなど、これらはいずれも一人ひとりの要求に根ざしながら展開された典型的な要求闘争であったかと思う。
これらの運動の思想的前提とされていたのは、「民衆には力がある」というテーゼだったのではないだろうか。この「民衆には力がある」というテーゼを発展させることによって、大阪における第2期の部落解放運動が進められてきたように思う。特に1950〜60年代の子ども会運動や住宅要求闘争などの具体例を聞けば聞くほど、運動の中心になっていた人びとの心理的な背景に顕在的・潜在的にこのテーゼがあったと感じられる。
実は、この「民衆には力がある」というテーゼは、参加型学習を支える一番の土台となってきたテーゼである。フィリピンなどにおける参加型学習の発展経過を見ていると、そのことがよく分かる。「民衆には力がある」だからその力を人びとが自覚し、民主主義的な社会づくりのためにその力を伸ばしていくことを援助することこそ、民衆教育運動にとって最大の課題である。参加型民主主義に貫かれたフィリピン社会をめざすからこそ、彼らは参加型学習を進めているのだ。このようにしてマルクス主義的運動のひとつの総括として参加型学習が出てきたのだということを指摘しておきたい。
日本では、部落解放運動では、どうだったであろうか。要求闘争を立ち上げた時点では、「民衆には力がある」というテーゼが多くの人の心に確信となって育ったと思う。けれどもその確信が組織のあり方全体を変えていくような論理としてどれほど発展させられたであろうか。行政や企業が人権啓発を進める体制を組むようになった現在、ここでいう「民衆」中には、少なくとも日本に住むほとんどの人が含まれる。今改めて、「民衆には力がある」という視点に立った総括が進められてよいように思う。
私は、マルクス主義の総括を事前にすることなしに運動は前に進むことができないというつもりはない。私自身は唯物論者ではあってもマルクス主義ではないが、その私を含め、私たちを知らず知らずのうちに縛っているものとして、このマルクス主義があるように思える。だから、一つひとつの議論をマルクス主義の総括と結びつけて進めなければ、なかなかその問題状況から逃れられないと考える。
第3期の運動を大きく発展させるためにも、「民衆には力がある」という大原則を再確認すべきだ。
2 サバイバー自身による調査を
「民衆には力がある」というテーゼを土台に、原点に帰って運動を進めるとすれば、ひとつには結婚差別をはじめとする被差別体験者=サバイバー自身による参加型調査(participatory research)が展開されてしかるべきではないか。結婚差別を乗り越えてきた人自身が、結婚差別に関わる事実を調査し、それがなぜ生じ、くりかえさないためには何が必要なのかを明らかにするのである。
参加型調査とは、社会発展のための方策を住民自身が作り上げていくために編み出された考え方であり、方法論である。インドのラジェシ・タンドンさんがその提唱者の一人である。地域開発に関わるこれまでの調査では、専門家が調査研究し、住民はそのための資料を提供するにとどまっていた。これでは専門家がますます力を付け、住民は専門家が肥え太るための材料にされてしまう。専門家による搾取であるといわざるをえない。このような調査研究への批判の中から、住民自身が力を付けていくためにも、住民自身による調査研究が進められ、政策提言が進められるようになってきた。参加型調査とは、そのための裏付けとなる考え方と手だてをさすものである。
近年各地で開かれているまちづくりワークショップも基本的には同様の考え方に基づいている。そこで大切にされているのは、一人ひとりが自分の問題意識を生かして参加しやすい方法論を徹底してだいじにし、住民が主役となるためにさまざまな工夫を凝らすことである。ここでは参加型学習・参加型組織活動の手法が盛んに利用されている。1970年頃の部落解放地域総合計画運動においても、自然発生的な工夫はあったが、それが十分に自覚的に発展させられたとはいえない。『夢パンフ』でも触れられているようにその原因は多様だ。しかし、少なくともその一つは、「民衆には力がある」という原則に基づいた方法論を発展させられなかったことだろう。
ここで私が提案するのは、そのスタイルを結婚差別という典型的な部落差別について応用してはどうかということである。このように述べても、述べるだけでは空文句である。実際に結婚差別の被害にあった人がそのことを語ること自体、大変な困難を要するであろう。その人たちが徐々に集まって、お互いの経験を交流し、結婚差別をもたらしたり、それを乗り越えるにいたった共通の要因が何であるのかを整理していくという作業は、傍目からそれをいうよりはるかに困難なのかもしれない。
ただ、この結婚差別などの体験を語り交流する活動は、識字活動や女性部運動の中ではすでにずいぶん蓄積がある。その交流をさらにはってんさせていくことが可能ではないかと私には思える。
これは、従来弱かった結婚差別という各論への徹底した研究・運動プロジェクトをすすめようという提案である。マルクス主義の枠組みに縛られて運動が進められている間は、暗黙のうちに「社会体制が変われば、個々の差別もなくなっていく」と考えられていたのではないだろうか。だから、社会変革の総論は強くても個々の問題を極めるようなプロジェクトは弱かった。ことによると、これは解放運動における男性主義とも関わっているかもしれない。
3 部落外での部落解放運動、部落での女性解放運動
「民衆には」という原則をさらに敷衍して、もう一つ提案がある。それは、部落解放運動を部落外につくることであり、女性解放運動を部落の中で展開することだ。これは、いいかえれば自己の抑圧性や加害性からの解放運動を展開することである。
部落差別の現実認識に関する五領域論にしたがって論理を進めると、部落差別がなくなっていくためには、部落の人が中心になって運動しているだけでなく、部落外の人が部落解放運動のかなり中心部分を担うようになることが必要だということになるであろう。たしかに、部落差別をしたり、許したりすることを不快に思う人が増えなければ、部落差別がなくなることにはならない。だとすれば、部落解放運動が、部落外で始められるようにならなければならない。被差別者から始まった運動が、加差別であった人びとの間にも主体的な運動として広がっていくということだ。
この組織が、部落解放同盟の地区外支部というふうになるのか、それとも広く人権ネットワークのような名称で幅広い課題に取り組みつつ、その中に部落問題もしかるべく位置づけるかたちで進むのかはまだ分からない。私の知る限りでは、後者のような形は各地に見られるが、前者のような地区外支部という形を取っているところはまだ知らない。いろんな形が追求されてしかるべきなのだろう。
これが変われば、部落問題学習のあり方も変わる。従来、部落問題についての聞き取り学習といえば、部落出身者がその場へ行って自分の生い立ちや思いを語ることがめざされていた。これからめざされるべきは、部落問題学習において校区に住む部落外の人が、部落解放運動に取り組むようになって何を感じたか、なぜ自分が解放運動に取り組むようになって何を感じたか、なぜ自分が解放運動に取り組むようになったか、といったことを語ることだ。
この構想に納得いただけるとすれば、もう一つの、部落の中で女性解放運動を展開することについてもそれほど抵抗はないものと思う。部落差別の現実認識に関する五領域論は、それほど大きな変更を加えることなく女性差別にも適用できる。
部落に住む人たちのほぼ半数は女性である。だから、部落の中で女性解放運動が起こっても何ら不思議ではない。さらに、部落問題と同様に考えれば、部落の男性が女性解放運動を進めるようになってもしかるべきだ。部落の中で部落解放運動と同じ様な比重で女性解放運動が展開されるようになったとき、第3期の運動が具体化するようになったと思いやすいのではないであろうか。
部落解放運動が部落差別をはじめてするあらゆる差別に自覚的に闘う運動であるのなら、そしてそれが今までのところ部落内を中心に進められてきたということであるのなら、そこが自らの被害性とともに加差別性を乗り越えた運動を展開していないうちは、部落外にも部落差別をなくそうとする大きな運動は起こらないのではないかと予想できる。いいかえれば、部落の中に女性解放運動が大きく盛り上がらないうちは、部落差別もなくならないだろうということだ。私は、部落の中で女性解放運動が広がっていくことが必然だと思う。
もちろん同様のことは、外国人問題や障害者問題、第三世界との関わりという問題などについても指摘することができる。これらはそれぞれの地域で、すでに何らかのかたちで取り組まれていることが多いように思う。それらは、ここで女性解放という課題について述べたような視点に立って、今後いっそう発展していくことになるであろう。
4 解放同盟がいっそう参加型の組織になる
「民衆には力がある」という考え方に立って、『夢パンフ』で書かれているような運動を展開するとすれば、部落解放同盟の組織形態もずいぶん変わってくるのではないかと思う。これまでよりもいっそう、現場で日々取り組んでいる人の声が活動の一つひとつを想定するようになるだろう。まちづくりにあっても、ワークショップで最もだいじにされていることのひとつは、ワークショップで提案されたことを実現するよう、リーダーは精一杯努力するということだ。集会やワークショップで提案しても、それが実現しないということは、とりもなおさず「民衆には力がある」という原則を事実によってリーダー自身が否定しているということになってしまう。
最終的には、一つひとつの活動のみならず、「民衆には力がある」という思想を具体化するためにどのような組織づくりを進めるのかということになる。この点については、日本国内だけでなく、世界の各地にある市民団体に学ぶことができる。そのような問題意識も持って世界の市民団体と交流すれば、部落解放運動の可能性がよりひろがるのではないだろうか。