はじめに
部落の産業問題に関する基本的認識
部落差別の本質的目的は、政治的には分断支配であり、経済的には搾取である。とくに後者、部落に対する経済的差別の実態は、産業・労働・雇用面などにおいてあらわれている。『同和対策審議会答申』(『同対審答申』と略称、1965年8月)は、現実における部落問題の経済的側面をわが国産業構造の「2重構造」(上層に近代的に発達した部門と下層に非近代的で遅れた部門が広がっている)という構造的特質の中でとらえ、「同和地区の産業はその最底辺を形成し、わが国経済の発展からとり残された非近代的部門を形成している」(1)と述べている。
産業と職業の問題としては、農業・商工業の零細経営、不安定な雇用労働、都市における伝統産業の不安定さ、業種として代表的にと肉業・皮革業・製靴業・荒物業・行商・仲買業などがあげられている(1)。これらをめぐっての問題は、「基本的には社会的差別と偏見」(1)に起因しているといわねばならない。部落問題の経済的側面、とくに産業問題は、「わが国産業経済の二重構造の最底辺を形成している」(1)というよりも、むしろ差別の結果、それを余儀なくさせられているととらえなければならない(2)・(3)。
不当な差別の結果、いやこのような職種に就かせるために被差別層が封建時代の権力支配者によって策略として固定化され、この屈辱的身分の犠牲のもとに、たとえば、牛馬などの死体処理とかかわって上述の産業が部落に定着してきているのである。
わが国が近代国家への道を歩み出した初頭、『解放令』1871(明治4)年は、封建的身分の解放という形こそとっていたが、その実、職業をも取り上げてしまったのである。新たに政府と結びついた部落外大手資本(近代的工場制工業)の参入により、在来・固有産業(小・零細工業)として競争過程で敗退、それにもまして部落という運命共同体としての絆の中で慢性的窮乏化が余儀なくさせられてきている。
しかしながら、部落外からの参入ということは、それだけ、これら代表的な部落の産業がいかに重要な国民経済を担いうる産業であるかということの証左でもあるのである。現在、ことに諸外国からの部落の産業部門への参入=自由化の波は、日本経済の国際化の要請とともに一層日増しに激しくなってきている。
時あたかも、同和対策関係の法律の中身はまさに後退してきている。しかしながら、これらの産業にたずさわってきている人びとは、このようなハンディと苦悩を克服しつつ、たとえば皮革産業界ではトータルファッション産業の一環を担っている文化産業へとさらなる飛躍をめざしての自助努力、そして、関連業界(アパレルなど)との交流・ネットワーク化も確固たるものにして、さらにそれを支援するところの行政・学識研究者などとの研究・開発の積極化がみられてきているのである(4)。
21世紀を目前にし今こそ部落の産業への偏見をなくし、国際的観点からヒューマニズムあふれる産業作りへむけて国民的理解もまたさらに要請されるところである。
さて、本題である同和地区の産業経済・企業における実態調査は、(1)上述の『同対審答申』をはじめ、行政側においては、たとえば「『同和対策事業特別措置法』(1969年)施行後、5年を機会に従来の同和対策のあゆみと現況をとりまとめ、ひろく国民の同和問題に対する認識と理解を深め、あわせて関係者の参考に供するために発行」された総理府編『同和対策の現況』、総務庁の『就業構造基本調査』など、同じく、(2)地方行政自治体によるもの、(3)関連運動体・機関、とくに企業連合会などによるもの、(4)研究者・研究機関などによるものなどに分けてみると、『実態調査報告書』などの数は枚挙にいとまがない。
これらの実態調査の意義、そして究極目的は、実態調査=現状・問題点などの分析をつうじて、今後の部落の産業・企業の望ましい存続・発展のための対策課題は何であるかということを積極的に提言することにある。問題は、実態調査で示された統計データによる分析の限界である。「統計データによってどこまでわかるか……統計データは政府なり研究者なりによって収集されるのが通常である。集められた標本がまんべんなくカバーしているか」(5)さらには、基礎的方法論という基本的な問題が横たわっていることも、またいなめない事実である。そして、「これらの課題に対処するためには、統計を収集する際にすべての標本を調査の対象にし、かつ特性に関してかたよりなく収集し、正確に測定するよう努める」(5)ことが当然要請される。なお、「測定」とは「判断」である。
では、これまでに行われてきた部落の産業・企業に関する主要・画期的な実態調査をつうじて、今後の望ましい存続・発展のための課題は何であるかをいくぶん模索してみよう。
一 部落の産業・企業
部落の産業は、本来ならば他の多くの企業がそうであると同様に、立派な伝統的地場産業であるということを誇るべきであり、また広く内外の国民=消費者の必需品の生産にたずさわり、文化生活を支えてきている重要な中小企業であるのに、わが国においては全く不当な差別を被って、産業構造の最底辺に位置させられているのである。このような中小企業・地場産業としての部落産業がもっている固有の特質について、上田一雄大阪市立大学名誉教授は社会学的観点から理論と現状分析をフィードバックさせながら幅広くかつ奥深く掘り下げてとらえられ、以下のように鋭く問題指摘されている。
- 部落産業は部落共同体の物質的基盤としての生産関係を構成し、それによって当該部落の共同体的社会生活の基調が形成せられている。製造業者・下請職人・賃職人・内職者といった生産関係が網の目のようにはりめぐらされている。と同時に血縁・婚姻・家の系譜などの関係によって系列化されている。
- 部落産業は部落のもつ社会的・経済的諸条件を基調として存在する。その労働力は、部落内部の慢性的な失業・半失業人口であり、しかも家族ぐるみの総労働力と部落ぐるみの分業による協業の形態によって、低賃金労働集約的生産が営まれている。
- 部落産業とは以上のような現代の資本制社会における基本的な社会的体系から疎外されたところに存在し、また疎外されていることからくる矛盾のうえに成立している(6)。
対象になっている伝統的かつ典型的な産地・産業はグローブ・ミット、手縫い靴、食肉であり、たずさわっている人びとのナマの声も盛り込まれ、それらをとおして人びとの生きざまが如実にうかがわれる。そして、上田教授は、部落の産業における親方―子方的意識の顕著さとその問題性について、鋭いメスを入れ、それらの意識が部落産業の置かれた被差別の状況から生み出されていることを明らかにされる。そして、部落産業が被差別の状況に置かれることによって起こってくる種々の困難を克服し、部落の産業が存続・発展する道を、部落の産業の近代化=部落労働者および住民の意識高揚→組織化に求められる。その上で、それを助成するためのあるべき行政施策が具体的に提案・勧告されている。
なお、この親方―子方という旧態の制度関係などの改善をはじめ、部落の産業の近代化・合理化などへのみずからの絶え間ない努力の成果がいちじるしくみられだしたこともまた如実にうかがわれる。以下にあげておこう。
〈高度化事業の問題点〉
川口 高度化事業にかぎっていえば、資金や情報が不十分なまま協同化が行われても、けっして成功しません。建物への資金提供だけではなく、運営資金についても配慮してもらうよう求めてきたが、結局だめだった。
田中 高度化事業を行う場合には、販路や流通をどうするかという問題も同時に考えていく必要があります。
部落の人たちも、なんとか自分たちだけの力で自立していこうと、いろんな工夫や努力をしているのですが、そのためには緻密(ちみつ)な指導がほしいということをいつもいっておられます。しかし、なかなか現実はそのようになっていない。わたくしたちとしても、みずから進んでなおいっそう具体的な研究会や調査をしないと、いつも手遅れになるということを痛感させられています。
川口 高度化事業を行う場合にも、企業の基盤づくり、骨組みの部分の金融政策、技術改善、情報収集などを合わせて施策を講じる必要があると思うんです。
田中 協業化のむずかしさは、“個人ではだめだから、弱いもの同士が集まってやる”というのではだめですよ。これから伸びていこうかというもの同士が協業化するのなら、おたがいのノウ・ハウと規模の経済性の追求もできます。
川口 協業化は、助け合いになるとおたがいに甘えがでてくる。競い合い、学び合いでないといけない。
田中 弱いもの同士が集まると、守りだけの姿勢になる。攻めの経済でなければならない。ただ、部落産業の場合は、意識が低いままほおっておかれたんですね。意識がもてるような状態ではなかったというのがまず問題ですね。解放運動によって意識が芽生え、またそれが芽生えることによって解放運動も進んでいくという関係がうまくいかねばなりません。
川口 これはわたくしの考え方ですが、経営能力のある人はその分野でどんどんがんばってくださいと。そのことが部落産業の振興や地域の振興・活性化につながる。おおいに稼いで、その分、従業員に対しても支払いをしてもらおうと。これが労使関係の近代化だと。
部落産業対策や商工業対策をとおして、いままでのような親方・子方・職人という徒弟制度も解体し、近代的な労使関係が育ちつつある。これは部落解放運動の成果であるといっていいでしょう
(対談 近代的企業の育成を―国際化・高度技術化のなかの産業対策―」(7)・(8)、川口正志 部落解放同盟財務委員長・中央企業対策部長・田中 充、207〜208頁)。
このようにみてくると、部落の産業については、次のような規定が今や一般的なものとなってきている。
「部落産業を、前近代の伝統的職種に系譜をもつ産業に限定する考え方もあるが、ここでは、部落の多数の者が従事し、部落内で分業体制がとられ、部落の経済を左右する大きな影響力をもつ産業のことをいう。このような部落産業が成立するためには、部落の規模が相当大きくなければならず、全国的にみれば、部落産業がある部落は少ない。しかし、今日の部落のおかれている経済的産業的基盤を理解し、部落差別と資本主義経済体制との関係をとらえるには、きわめて重要な位置にある」(8)。
部落の産業、それは、単なる一般的中小・零細企業ないし中小・零細地場産業ではなく、「観念的差別」と「実態的差別」を内包せしめられているところの「部落」における中小・零細企業であるということは、ふたたび強調されねばならない。
二 同和地区の産業・経済実態
1) 大都市=大阪の場合をつうじて
まず、典型的な同和地区の産業・経済の実態をみておこう。
たとえば、大阪の部落の人びとの就職先・職場の企業規模(従業員数、1990年4月)を大阪府・全国(1987年度、以下同じ)と比較してみると、100〜299人層では部落―8・2%で、大阪―12・1%、全国―12%におよばない。また、300〜499人、500〜999人の大規模層になると、大阪―10・9%、全国―9・4%に比べてその5分の1程度の2・3%と極端に低くなっている。小・零細層の方では部落の方が多くなっている。さらに年間所得についても1千万円以上では、大阪―2・1%、全国―1・7%に対して部落―0・7%である。また企業経営規模を大阪(1986年度)と比べてみると、部落の方は小・零細の方が高く(従業員1人=生業的、部落―37・6%、大阪―17・9%)、300人以上の大規模層では大阪―0・2%の半分の0・1%にしかすぎない。いかに、部落が主要な経済社会から疎外され、生活基盤が脆弱であるかということが如実にうかがわれる(9)。
以上のような同和地区のシビアな実態は、7年後の今日においてますます悪化しているということがあらゆる面においてうかがわれる。主要な面についての「あらまし」を以下に掲げてみておこう(10)。
- 産業構成
産業大分類レベルでみた同和地区の産業構成は、卸・小売業、飲食店が最も多く、この点では大阪府全体と変わることはないが、それ以外の産業構成において特徴があり、不動産業と建設業が多く、サービス業が少ない。前回調査との対比において、不動産業の構成比が上昇する一方で、製造業が低下するなど、同和地区内の産業構成は大きく変化している。産業中分類では、不動産賃貸業・管理業(不動産業)、職別工事業、設備工事業(建設業)、なめし革・同製品・毛皮製造業(製造業)、飲食料品卸売業、建築材料、鉱物・金属材料など卸売業(卸・小売業、飲食店)、廃棄物処理業(サービス業)、道路貨物運送業(運輸・通信業)などが同和地区の構成比が高く、かつ大阪府全体の構成比を大きく上回っている。産業小分類では、貸家業・貸間業と食肉小売業を営むものが多い。また、大阪府の構成比との比較では、革製履物用材料・同付属品製造業、特定貨物自動車運送業、農畜産物・水産物卸売業、再生資源卸売業、食肉小売業、一般廃棄物処理業、その他のなめし革製品製造業が大阪府全体の構成比の10倍を超える(10)(3頁)。
- 従業者規模
同和地区の個人経営事業所の従業者数は、前回調査以降約14%増加しているが、大阪府全体では大幅(約15%)に減少している。同和地区では、パート労働や家族労働に依存する度合いが高い。近年、常雇従業者を減らす傾向にあり、臨時雇用者に対する依存度がますます強まっている。同和地区の半数以上の個人経営事業所が従業者1〜2人の規模である。また、5人未満の事業所が全体の8割弱に達している。事業所あたりの従業者数では、同和地区の個人経営事業所が大阪府全体の平均をやや上回っており、その差は拡大する傾向にある。この間、同和地区の個人経営事業所は常雇従業者を減らし、その代替として家族従業者や臨時雇用者を数多く増やすことによって経営の効率化を図ってきたが、結果的に従来から指摘されている労働集約的生産を助長し、近代化への取り組みが遅れるという悪循環を来し、そのなかで従業者数が拡大したものである。確かに平均すると従業者規模は同和地区のほうが大きいが、同和地区の個人経営事業所が集中している産業になるほど、大阪府全体の平均と比べて同和地区の零細性が目立つ。また、常雇従業者だけの規模でみると、全従業者の場合とは異なり、同和地区のほうが大阪府全体を下回る結果となっている。同和地区の個人経営事業所が、人材や組織の面で質的な問題をかかえていることは明らかである(10)。
- 販売額(出荷額)
同和地区の個人経営事業所の年間販売額(出荷額)は、集計区分上では1千万円〜3千万円が最大値となっているが、軒数からみると1千万円前後に最も多くの事業所が集中している。同和地区の事業所あたり販売額(出荷額)は4、592万円となったが、前回調査と比べると300万円強減少している。とくに、不動産業の落ち込みは大きい。ただし、平均販売額(出荷額)は確かに4、500万円と高いが、販売額(出荷額)別事業所構成からみると、1千万円前後の事業所が圧倒的に多く、金額平均と事業所の分布との間に大きな乖離が生じている。大阪府平均と比較可能な3つの産業大分類(製造業、卸・小売業、サービス業)とも、同和地区の販売額(出荷額)が大阪府全体の平均を大きく上回っている。ただし、同和地区の製造業、卸・小売業の販売額(出荷額)自体は、前回より減少している。3つの産業大分類のなかで同和地区に多く存在する産業中分類の販売額(出荷額)をみると、製造業、卸・小売業、サービス業とも1〜2の産業中分類を除いて、同和地区の販売額(出荷額)が大阪府全体の平均を上回っている。従業者規模と同様に、販売額(出荷額)の規模においても、同和地区の個人経営事業所は大阪府全体の平均を上回っており、単なる「零細性」だけでは同和地区の個人経営事業所の実態は把握できないといえる(10)。
- 事業主・後継者
40歳代と50歳代の事業主が半数を超える。ただし、60歳代、65歳以上が増加しており、着実に高齢化が進んでいる。不動産業ではこの傾向が強い。後継者のいる事業所の割合は40%で、いないとする事業所の割合を13ポイント下回っている。後継者の有無の割合を前回調査と比較すると、後継者を有する事業所の割合も増加しているが、それ以上に後継者のいない事業所の比率が増加しており、その結果、前回は後継者を有する事業所の割合のほうが多かったが、今回はこの比率が逆転することとなった(10)。
- 地区別
同和地区の個人経営事業所を地区別の軒数でみると西成、堺、浪速、和泉、松原、向野、西郡などの地区が多くなっている。特定の産業に集中している地区がある一方で、多くの産業に分散している地区もある。また、同和地区に多く存在する産業であっても、地区によってその構成比はさまざまである。事業所・自宅ともに地区内にある事業所の割合が減少し、事業所地区内・自宅地区外、事業所地区外・自宅地区内、事業所・自宅とも地区外が徐々に増加している(10)。
- 定性的調査の結果と評価
事業主の業況判断を示すDI(景気動向指数)は「悪化」超幅(47.5ポイント)が大きく、同和地区の個人経営事業所はきわめて厳しい経営下におかれている。とくに、製造業、卸・小売業・飲食店、金融・保険業が厳しい。厳しい業況感をもってはいるが、最低限現状は維持したいとする事業者が大半を占めている。今後の事業の進め方としては、現事業を継続すると答えた事業所が75%弱となった。一方、現事業の見直し・再編や新しい事業の追加を考えている事業者は少なく、全体として事業に対する革新性が乏しいといえる。全体としての法人化の意向を持つ事業所の比率は14%強にとどまっているが、常雇従業者を有する事業所の割合が30%程度であることから推測すると、現実的には決して低い数値とはいえない。パソコンを導入している事業所は一割弱にとどまり、かつ、95年の調査から改善の兆候はみられず、情報化に対する取り組みは大きく遅れをとっている。労働保険の加入状況は、96年の調査以来大きく改善されている。しかし、同和地区の個人経営事業所の従業者規模を考慮すると、現加入率は低いといわざるを得ない。同和地区の個人経営事業所は、経営の質的な面からみてもさまざまな問題点を抱えていることが確認できる(10)。
以上、本調査報告書は、「今なお存在する社会的差別を根絶することが同和地区産業振興の大前堤である」(10)ということを結論として強調指摘している。
2) 地方=奈良(桜井市)の場合をつうじて
つぎに、奈良県桜井市の場合について簡潔にみておこう(11)。なお、筆者はすでにくわしく紹介、分析して部落の人びとの経済生活向上のための対策課題などをいくぶんか提言した(12)。
奈良県はわが国最古の都であり、国を代表する伝統的地場産業の故郷であり、それらの中には数多くの典型的な部落の産業の発祥と存在がみられる。奈良県の部落地区は歴史的にみても古く、前近代にはすでに80余の部落が存在しており、現在でも世帯数・人口など、県人口に占める比率は全国最高である。
「1975(昭和50)年の総理府実態調査によれば、地区数82、世帯数1万8、353、人口6万2、175。県人口に対する比率は5・7%で、全国最高である。世帯数による地区別規模においても、100戸以上比較的大きな部落が約6割を占め、近畿圏や全国における部落分布とも異なった様相を呈する。その原因の一つに数えられるものとして部落産業の発展がある。歴史的転換を経た結果、スキー靴、運動靴、紳士靴、グラブ・ミット、ヘップ・サンダル、毛皮革、皮ボタンなどの業種がある。ごく一部の企業を除いて、ほとんど零細企業であり、生業に等しい。生産額において、いずれも相当な国内シェアーを占めてきたが、グラブ・ミットのアメリカ市場からの脱落に示されるように、大手商社がからんでの発展途上国の追い上げなどにより、総じて崩壊の淵に立たされている」(13)。
同和問題ないし部落解放運動に関しては、西光万吉(1895年4月17日〜1973年3月20日)をはじめ、全国水平社の創立に携わってきた人びとを数多く輩出した地区である。
このような背景のもと、本調査報告書は、奈良県の桜井市における部落の産業が現在直面している諸問題の分析などを通じて、究極の目標である部落解放へむけてとられるべき対策・行政施策への基礎的指針を提供することが意図されている。それはまた、桜井市長の要望でもある。すなわち、「桜井市同和地区産業実態調査委員会」(1988年1月発足。会長 藤井彰 部落解放同盟桜井市協議会議長)の委託を受けた奈良産業大学地域経済研究会(代表者山本順一教授)の手になるもので、その対象業種なども幅広く、調査実施の検討会発足以来、本報告書作成まで、慎重審議を重ねたため、実に3年間の月日を経過している。最近におけるこの種の実態調査としては画期的で有意義なものであるということを強調しておこう。
桜井市の場合、1、人口動態からみれば、大都市大阪に隣接しているため、最近では県下でも奈良市に次ぐ有数のベッドタウン化が進んでいる。2、産業構造の特徴からみれば、肥沃な大和平野に立地し、もともと農業が主要産業であったのが、1985年には、第一次産業(農業)への就業人口構成比は6・7%(全国9・3%、奈良県6・4%)と低く、しかも農家戸数2、664のうち、兼業農家は2、477、93%をも占めるにいたっている。このことは、農業以外の産業に従事する比率、いやしなければならないという事情を物語っているとして、まずここに問題点を指摘しておこう。次に、第2次産業は35・6%(全国33・3%、奈良県32・9%)とやや高い。そして、第3次産業は57・2%(全国57・5%、奈良県59・5%)と高くなってきており、桜井市においても全国的傾向ともいうべき第3次産業化(サービス経済化・ソフトエコノミー化)が進展してきていることがうかがわれる。3、第2次産業、すなわち製造業のほとんどが軽工業であり、地場産業を中核としたところの中小・零細企業によって成り立っている。このような地場産業のうち部落の産業としての主要な業種については、すでにみてきたとおりである。そして、4、桜井市の場合も、他の部落の産業の特徴を如実に現し――いや桜井市における部落の産業の特徴こそが典型的なものであるともいえるのであるが――本調査報告書においても「地域ぐるみでこれら製品の生産に従事し、その産業構造は下請、再下請、内職が発達して重層的であるだけにこれらの同和地区における地域社会にとってその対応はきわめて重要な課題となっている」(11)ことが問題として、強調指摘されている。
ところで、解放運動の成果の現れとして、部落の人びとことに若者が部落外の一般企業などに就労するチャンスが多くなった一方で、地区内の部落の産業が後継者および労働力・人材不足に悩まされだしたことが、新たな部落の産業問題となってきている。
「もはや衰退の憂き目にあっているような部落の産業にいつまでもしがみつく必要はないのではないか」という地区内部からの意見ももっともであると認められるようにさえなってきている。しかしながら、解放運動の成果の一つとして、ようやく行政からの援助施策などもかち取り、位置づけられてきた部落の産業、そして、それがたとえ封建時代における差別の結果によるものであったとしても、部落の人びとにとっては伝統的に固有の産業であり、この灯を消してはならない、誇りをもって守っていかねばならないということはさらに重要であると痛感している人びとも多い――広瀬幸久「ムラの会社になぜ就職したか」(14)。
なお、就職差別撤廃という問題は、ただ単に部落の人びとの一般企業などへの就職ということのみならず、部落の産業の近代的・合理的存続・発展を促進せしめるために、むしろ地区外から高度の専門労働者や人材などが就労するようになるべきである。異業種交流・業際化が推し進められねばならなくなってきている今日、「偏見と予断」・差別観をなくし――国民的課題である――、積極的に地区外から人材が入り込んでくること、そのための部落の産業の基盤整備や施策など――国家的責務である――が並行して積極的に行われねばならない。このことを強調指摘しておこう。
3 伝統・代表的部落の産業業種
1) 大阪の皮革靴業界の場合をつうじて
奈良県桜井市の場合、同和地区における住民の経済生活を支えてきている部落産業そのものの本質・問題性との関連において調査・分析されているのに比較して、大阪の場合は、皮革靴メーカーという一業界に焦点を絞り、その現状をつうじて今後の当業界のありかたを模索・提言することに重点がおかれている。
大阪では、かねてより当業界に関する実態調査研究は幅広く行われてきているが(2)、現在、なおも研究会(財団法人 大阪同和産業振興会“皮革産業部会”)を定期的にもっている。
今回の報告書は、そこでの検討をつうじて、内外環境がいっそうきびしくなってきている折から、ことに“関税割当制”(TQ)、まさに目前に迫ってきている“皮革自由化”という外圧に対して、そして、そうであるがために、対内的に国民の生活文化を担ってきている伝統産業としての当業界が、いわばトータルファッション産業の一環として大きく脱皮・成長するための対応策を示そうと試みたものである。
それは、(財)大阪同和産業振興会 吉田信太郎理事長の“はじめの言葉”にも述べられている。
「日本の皮革産業の歴史は、同和地区産業の歴史でもあります。この観点をぬきにして今日の皮革産業の現状や将来について語ることはできません。しかし、本報告書では、あえて同和地区産業であることを強調していません。なぜなら、『本報告書』の目的は、早急な取り組みが迫られている実践的な課題に解決の方向を示すことであり、また、皮革産業が近い将来占めるであろう位置、つまりトータルファッションの主要な担い手として国民生活の質的な豊かさの実現に寄与するという位置を明確にし、当産業の発展の基本的な方向を示すことにあったからです。わたくしたちは、当業界の発展にむけた積極的で前進的な取り組みを推進することによってかならずや、同和問題の解決に大きく貢献することができると確信しています。……最も重要なことは、これらの課題の解決が皮革関連業界全体の社会的地位の向上につながるということです。わたくしたちはこのような思いで報告書をまとめましたが、今回の振興ビジョンの提起にとどまらず、今後個別具体的な課題についても、推進計画の策定にむけて努力する所存です」(はじめに)(15)。
このようにして実態調査と理論(産業経済的観点ことに中小企業問題論)とを絶えずフィードバックさせながら、業界の望ましい発展のためのビジョンとその実現化にむけて積極的提言を行ってきている。その主要なものを以下にあげておこう。
さらに、靴の先進国であるイタリアおよびドイツに学ぶべく、視察研究なども実施されている(18)・(19)。
チャート1 大阪靴メーカー・人材育成への提言
2)欧米先進国の食肉産業実態調査研究をつうじて
皮革製品などと同様に、部落の代表的な産業業種として食肉産業があげられるが、特定牛肉調整品および牛肉の輸入自由化(1990年度および1991年度)以降、わが国の食肉産業は全く苦境に陥らざるをえなくなった。そこで、当業界の振興のためにも実態調査が痛感され、その一環として、欧米先進国における当該産業の実態調査から始められた。
筆者は、1996年8月25日〜9月1日、「ヨーロッパの食肉流通実態および食肉を中心とした食文化の実情視察団」の1員として、実態調査研究のためオーストリア(ウィーン)、ドイツ(ミュンヘン)、そして、イギリス(ロンドン)へ渡航した。
その主旨・目的は次のとおりである。
「わが国の食肉流通業におきましては、食肉の輸入自由化・不況の長期化のもと、新規参入や市場外流通などの構造変化が進んでおり、国内の食肉産地の生き残りをかけた振興のあり方の真剣な検討が進められています。
(財)大阪同和産業振興会では、2年前から、同和地区の伝統的な基幹産業である食肉産業の振興をめざし、食文化産業としての地位を確立するため、地域での『ミート・ミート・フェア』といったイベントの開催や『啓発教育研究会』などでの議論に参加・協力してまいりましたが、このたび、『ヨーロッパの食肉流通の実態および食肉を中心とした食文化の実情視察』を実施し、具体的な振興方向を検討するための情報収集をはかる」(財)大阪同和産業振興会 北口佳佑事務局長)ことが緊急課題であると痛感されたからである。
このような主旨・目的―それは、われわれに課せられた使命でもあったが―に沿って渡航したメンバーは9名であった。
ところで、筆者は、今回の視察に先立つ2年前、関西大学の在外調査研究員として2度目の長期海外研究生活をおくることができた時期(1994年4月〜10月)をとおして、ヨーロッパの主要な産業調査・企業訪問などのチャンスにも恵まれた。
それらのなかには、近代的産業あり、また、伝統的産業などもふくまれていたが、ことに後者のなかには、日本では歴史的・社会的にいわれなき差別によってハンディをおわされてきたいわゆる部落産業とみなされている業種などが、日本と全くちがって、ヨーロッパでは中世以来、歴史的・社会的に高い地位を占めている伝統的手工業、およびそれから発展してきた産業であり、しかも、現在の世界的な経済環境きびしい折りから、それこそ、自国民・行政に支えられて国民の基本的文化生活を担ってきているということなどを身をもってあらためて認識させられていた。
筆者は、このことについて、小編著『日本の経済構造と部落産業―国際化の進展と中小企業の課題―』のなかでも「ヨーロッパの食肉産業事情」として、とくに、「ドイツ・ミュンヘン郊外『総合畜産・農産物経済センター』――と場は芸術の場である」、「個人経営の精肉業中心のオーストリア・ウィーンの食料店」、そして、「英国の食肉産業奨励策」・「ロンドンの食肉中央市場問題」について、いくぶんか実態調査して論じ、また、ことあるごとに報告してきた(3)。
今回、ふたたび、これらの産業について実情視察・調査研究を行うチャンスをあたえられたので、さらにこれらのいずれの国の食肉産業は、国民の基本的な食文化生活を担っている重要な産業として古くから歴史と伝統によって支えられて、しかも、今日、ますます世界経済がいちじるしく変貌してきているさなか、当産業のさらなる発展をめざして国家行政施策が積極的にとられてきているということを、如実に学びとることができた。
要するに、国家および国民によって支えられてきたともいうべき歴史的・伝統的・社会経済的な位置づけの差が日本の場合といかに異なっているかということである。日本における食肉産業の将来の発展・育成のための基本的かつ精神的課題であるということ、これこそが国家の責務であり、すべての国民一人ひとりの課題でもある。そして、抜本的で具体的な施策が実現可能になってくるということを重ねて強調指摘しておこう。そのためにも、このような実態調査と研究・分析がさらに行われるべきであるということもあわせて強調指摘しておこう(20)。
このような食肉産業の望ましい発展課題については、皮革製品などと同様、国民の文化生活を担う重要な産業であるという認識のもと、奈良県においても奈良県部落解放研究所が母体となって『食肉産業文化研究会』が1998年1月に発足し、現在、食肉産業の歴史・理論・実態など幅広くかつ奥深く研究会がもたれている。
4 むすびにかえて
以上、本小論は、部落の産業経済に関する最近行われた実態調査研究報告書などを産業経済ことに中小企業問題研究の立場からややくわしく紹介し、論じてきた。
それは、“国家の責務”であり、“国民的課題”である部落問題の解決=部落完全解放へむけて、まず、国民の一人ひとりに部落の現状・実態を認識せしめ、部落問題への真の理解を促すことを意図したからである。
時あたかも、最後の同和対策のための時限立法である『地対財特法』の期限切れ以降、早や2年が経過した。真の意味での部落完全解放、すなわち、不当に奪われてきた部落の人びとの“人権回復(21)”をめざした『部落解放基本法』を国家に制定させるためにも、まず、部落の現状・実態を具体的に世に訴えることからはじめられなければならないからである。今や部落の産業をめぐる問題は、内外環境のダイナミックな変貌のなかで一層シビアになってきていることが如実にうかがわれる。
さて、部落の産業を中小企業問題との関連でみるとき、重ねて以下のことを述べておかねばならない。
それは、「そもそも、中小企業の存続・発展は中小企業者自身の絶え間なき努力と、国家をはじめ地方公共団体などの行政・為政者の手になる抜本的施策がうまく調和してこそ達成されるものである」(22)ということである。部落の産業をめぐる問題などについても、わが国の産業・経済構造、ことに現代資本主義構造の中で今一度ふり返って明確にこれを位置づける必要がある。そして、そこから真の対策を生み出していかねばならない。それは、単なる資金援助のみで解決できるようなものではない。ことに、「企業は人なり」という鉄則を実現するためにも根本問題として、経営・技術などを主眼とした高度の人材育成教育・訓練の実施・充実・強化・開発などが行われねばならない。
もとより、わが国の経済社会は、資本主義を基盤とするところの競争経済社会であるということは、いまさら改めて述べるまでもないであろう。
ここに基本的に強調しておかねばならないことは、すでにみてきたように、わが国資本主義発展の過程で形成されてきた「差別の再生産構造」のために競争から疎外され、根本的に不利な立場に立たされてきた部落の産業については、単なる「保護的対策」に終始するだけであっては決していけないということである。
そもそも、中小企業全般そのものが、対独占・大企業関係で不平等・不利な立場に立たされている。有効で合理的な競争経済社会という土俵にのせるための育成・強化施策は当然必要である。ましてや、部落の産業に対しては、「差別の撤廃」=部落完全解放計画の一環として、積極的な総合施策は今後ますます必要となってくるのである。
このようにみてくると、究極的に「部落完全解放」の真の主体作りとしては、「部落解放は国民的課題である」ということを真に理解し、自分自身の問題であると受けとめねばならない国民全部を含め、その全面的総意に基づいたところの真の民主政治をおこない、「国の責務」を果たす政府・行政を構成していかねばならない。
要するに、これまでの『特別措置法』などにみられたような同和対策事業の不十分性を改善・補強することによって、いわば実のある総論的ともいうべき基礎作りを可及的すみやかに行い、さらにそれを受けて、その先に各論的あるいは、一層積極的具体的な施策が積み重ねられていかねばならない。ただ5年間の延長とか、「地域改善」施策、ましてや一般施策ということのみで済まされるようなものではない。それは、絶えずフィードバックしながら先へ先へと補強されていかねばならない。それでこそ、「国の責務」を果たすことになり、「国民的課題」への真の取り組みなのである。『部落解放基本法』の制定=早期実現が望まれるのもこの意味においてである。
なお当問題は、究極的には「人権問題」であるということを今一度思い起こす時、それは、ただ単に日本一国における経済社会での問題にとどまるのではなく、グローバルな観点から取り上げられねばならなくなってくる。すなわち、日本経済社会の真の国際化推進のためには、国の内外における人権問題――たとえば外国人労働者の権利などの問題――に対しても先進国の責務として、積極的に対処していかねばならなくなってくるということである。そのためには、まず自らの国の内なる部落差別撤廃=人権回復にむけて、国家をはじめ国民すべてが真摯に取り組まねばならないのである。このことを重ねて強調しておこう。
チャート2 社団法人 日本皮革産業連合会『皮革産業21世紀ビジョン-次代の皮革産業の文化の構築を目指して』1997年6月(17)
注
- 同和対策審議会『同和対策審議会答申』、関西大学部落問題委員会編『部落解放と人権』関西大学、1974年(32頁、39頁、52頁)。
- 田中 充『日本経済と部落産業―中小企業問題の一側面―』解放出版社、1992年2月。
- 田中 充編著『日本の経済構造と部落産業―国際化の進展と中小企業の課題―』関西大学出版部、1996年4月。
- 田中 充「部落産業の現状と課題」、奈良県部落解放研究所『研究所通信』úY31、1998年6月1日(10頁)。
- 橘木俊詔『日本の経済格差―所得と資産から考える―』岩波新書、1998年11月(82頁、83頁)。
- 上田一雄『部落産業の社会学的研究』明石書店、1985年9月(3〜6頁)。
- 『部落解放』(特集 部落産業の現在)366号、解放出版社、1993年12月。
- 『部落問題―資料と解説 第3版』解放出版社、1993年(104頁)。
- 部落解放研究所『おおさか部落の実態1991年』解放出版社、1991年7月。
- 財団法人 大阪同和産業振興会『1997年度同和地区企業実態調査報告書』、1998年3月(12頁、23頁、33頁、37頁、45頁、55頁)。
- 桜井市『桜井市同和地区産業実態調査報告書』、1991年3月。
- 田中 充「部落産業の現状・問題点および対策課題―奈良および大阪における実態調査を通じて―」、関西大学経済学会『経済論集』、1第42巻3号(1992年8月)・2同4号(同10月)・3同6号(1993年3月)・4第43巻1号(同4月)・5同2号(同6月)。
- 部落解放研究所編『部落問題事典』解放出版社、1986年9月(辻本正教、645〜646頁)。
- 部落解放同盟奈良県連合会『第18回奈良県部落解放研究集会報告書』、1991年9月14日〜15日(87頁)。
- 財団法人 大阪同和産業振興会『大阪靴メーカー90年代のビジョン』、1991年3月。
- 同『皮革業界の人材育成に関わる提言』、1993年3月。
- 社団法人 日本皮革産業連合会『皮革産業21世紀ビジョン―次代の皮革産業文化の構築を目指して』、1997年6月。
- 大阪同和産業振興会『イタリアの靴学校、国際皮革・素材見本市 調査報告書』、1995年3月。
- 同『ドイツ靴研究所等視察』、1998年11月22日〜11月29日。
- 同『ヨーロッパの食肉流通実態および食文化の視察報告書』、1997年3月(46頁)。
- 上田卓3『部落の解放と人間の復権』明治図書、1974年6月。
- 「サービス経済化と中小企業政策」、巽 信晴・山本順一編『中小企業政策を見なおす—日本経済百年の計—』有斐閣選書、1983年5月(73頁)。
なお、本小論は田中充編著『日本の経済構造と部落産業-革新的中小企業への発展課題-(21世紀増補版)』関西大学出版部(2001年11月)に収録されている