講座・講演録

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2003.11.13
講座・講演録
部落解放研究128号(1999.06.30)より

地域の教育力と「総合的な学習」

池田寛(大阪大学)

1 「総合的な学習」はなぜ必要なのか

 「総合的な学習」が提唱されるようになったきっかけの一つが、「新しい学力観」にあることは否定できない。「新しい学力観」は、知育偏重に陥っている学習を、子どもの意欲や関心や態度を重視するものに転換することをねらったものであった。学校での学習が果たして知育に偏重しているかどうかは慎重に検討してみなければならないことであるが、学校教育とは別に、子どもの「学習観」が知育、つまり知識の獲得への偏りを示していることは、小学生まで受験競争に巻き込まれるようになったことによってますます顕著になっている。

  いまや子どもの学習は塾の存在を抜きにして語ることはできない。すべての子どもが塾に通っているわけではないが、塾の影響は学校の授業にも明らかに現れており、子どもの学習観はそのことによって有形無形の影響を受けているのである。塾での学習が子どもに何をもたらしているかは総合的に評価しなければならないことであるが、塾学習の主たる目標は知識の注入であり知識の増大である。より多くの知識の獲得を刺激することによって子どもの学習意欲を高めようとするのが塾である。

 獲得した知識の量によって、人よりも多くのことを知っている、より多くの問題を解くことができる、より高い点数をとることができる、という自尊感情をもたせることができるのである。

 現代の多くの子どもたちがむかっているこの学習観に対する危機感が背景となって、「新しい学習観」が打ち出された。これは、伝統的な教育論的な対立、いわゆる「系統的学習か経験学習・発見学習か」の再来であるという見方もできるが、塾という存在が学校学習にとって無視できない影響を与えている現代的状況を踏まえたものであるところが過去の論争とはちがう点である。学歴偏重、受験競争、塾学習の隆盛といった社会全体の状況の中で、学校は何をなすべきなのかを「新しい学力観」は問題提起しているのである。

 「総合的な学習」を生み出したもう一つのきっかけは1998年に出された「中教審」答申「幼児期からの心の教育のあり方について」である。文部省が「心の教育」を打ち出す引き金となったのは、少年の凶悪事件であることはまちがいない。この数年、神戸の友ヶ丘中学校の事件、栃木の黒磯中学校でのナイフによる教師殺傷事件、遊ぶ金欲しさの盗みがきっかけとなった大阪府寝屋川市の中学生による老女殺人事件など、少年による凶悪犯罪がマスコミをにぎわしている。

  警察統計によれば少年非行も戦後第四のピークを迎えており、「むかつく」「きれる」といったことばで表現されるような、子どもの心理状態とそれを生み出す社会状況が目立ってきている。子どもの心の中で何かが変質しつつあるという問題意識が「心の教育」の提唱へとつながったものと思われる。自己をコントロールする力や他者を思いやる気持ちが子どもたちの中で薄れつつあるのではないかという思いを多くのおとなたちが抱いている。

  「心の教育」はそのような社会感情に呼応した時宜を得た提案であった。「心」を育む具体的な方法として、道徳教育やボランティア体験、自然体験や仲間との交流も上げられている。子どもたちの生活体験の貧弱化が、他者を思いやる気持ちや自然との連続感を失わせているのである。学校のカリキュラムの中に心の発達に必要な生活体験を組み込んでいこうとする方向を「心の教育」論は明らかに指し示していた。


2 子どもは変わったか

 「新しい学力観」にしても「心の教育」にしても、いまの子どもが抱えている問題状況を見すえて、それに対応する方法をそれなりに提案している。その言説にのっとって子どもの問題を考えると、いまの子どもは昔(それがいつかは明言できないとしても)の子どもとはちがってきていると思われるし、その見方を裏付ける事件や現象が現に数多く起こっている。

 人を罪悪感なしに殺せるような子どもの事件、金が欲しければ人がもっているものをひったくればよいと考えるような子どもの犯罪……。このような情報に日々接していると、子どもの「本質」は変わってしまったのかと思ってしまう。実際変わったのかもしれない。人を殺す、人のものを盗むという行為を良心の呵責なく行っているかのような少年事件=情報に接していると、そういう子ども観にどうしても傾いていってしまうのである。

 一方、社会環境がそのような子どもを作り出しているという主張、いわゆる環境論も依然として根強いが、環境論はいまの子どもの問題を考える時には旗色が悪い。子どもを取り巻く社会環境が殺人や窃盗を認めるようなものに変わっていないにもかかわらず、子どもたちに基本的な規範に対する侵犯が起こっている。社会全体の規範状況や連帯性はかつてと比べ悪くなっているのは事実だろう。しかし、マスコミなどで報道される凶悪犯罪が子どもの身近な環境の中でたびたび起こっているわけではないし、無規範状態にあるわけでもない。おとなの間で人を殺したり人のものを盗んだりすることを認める雰囲気が広まっているとしたら、子どもたちのあいだでそのような行為を犯すものが増えるのは当然である。

 しかし、おとなの社会の規範がこの10年かそこらで大きく変わったとは思えない。おとなのほとんどは人を殺したり人のものを盗むことは悪だと考えているはずである。子どもの規範はなぜおとなの規範とちがってしまったのか。

 子ども自身に問題があるという見方も、子どもを取り巻くおとな社会に問題があるという見方も、現実の半分をいいあてているが、残りの半分は説明していないのである。「残りの半分」とは何か。それは、子どもとおとなの関係性である。子どもは社会環境からもたらされる情報に常にさらされているが、その情報を子どもはストレートに受け取るわけではない。その情報を詳しく説明したり、子どもにわかるように通訳したり、時にはその情報を遮断したりする媒介者が常に子どものそばにいるのである。こういう「媒介者」も子どもの環境の一部であると考えれば、この主張も環境論の変種であるという見方もできる。

 ただ、環境論と決定的にちがうのは、子どもを外的な刺激や情報を受けとめるだけの「白いキャンバス」とみなしていないという点である。子どもは外的刺激や情報をそのまま受け取るのではなく、みずからのフィルターによって屈折させながら受け入れているのである。そして、子どもは自分のそばにいるおとなとの共同作業によってそのフィルターを作り上げている。それは親であったり、教師であったり、近隣や親戚の者であったり、クラブのコーチであったりする。

  かれらは情報を子どもに伝える際に、自分の価値観や規範意識を意図せずに加味している。それは、子どもがものごとを判断したり、評価したり、選択したりする際の視点や立場や枠組みを形成する際の土台を提供するのである。子どもの規範とおとなの規範がずれはじめてるということは、この関係が崩れているということではないのか。

 子どもがおとなから学ばなくなった、あるいは、学べなくなった結果、子どもたちの世界でいま何が起こっているのか。学級崩壊を例にとって考えてみよう。


3 学級崩壊について考える

 学級崩壊がマスコミでも取り上げられるようになり、文部省も調査に乗り出した。どんな調査をするのか興味のあるところだが、学級崩壊の定義も定かでないのにどのように調査をするつもりなのか。その定義は一体誰がするのか。調査委員会が組織されそこで学級崩壊の定義が行われることになると思うが、果たして概念的・分析的に定義して実態の把握はできるのだろうか。調査をすれば何らかの数字は上がってくるだろう。

  最近どこかの県で学級崩壊の調査をしたところ14学級という結果であったというマスコミの報道に接した。それで「調査をした」と県教育委員会が公表するのは、教育委員会の無能さ、現場と県教育委員会がいかにずれているかを公言しているようなものである。学級崩壊はそんな状況ではない。

 学級崩壊を現象的に定義するものとして、正常な授業が成り立たないとか、担任教師が過労でダウンしたとかといったことなどをあげることはできる。しかしそれらは外見的な定義でしかない。授業が成り立たない状態にもさまざまな程度があるし、教師の主観もある。

  子どもが教師のいうことを静かに聞いている状態が望ましいと考える教師は、授業中に少しでも子どもの発言があれば思い通りに進まないと考えるかもしれない。その教師にとって子どもの発言は単なる私語にすぎない。それに反し、子どもの発言が活発に出る授業が望ましいと考える教師はむしろ子どもが静かすぎるのは物足りないと考えるだろう。

 教師がダウンしたという基準はその点では明確である。本人からの申し出によるか管理職などの判断によるかは別として、「これ以上もたない」という状態は客観的に判定できる。しかし、それを学級崩壊の基準もしくは定義としたら、そこにいたるまでの経緯や段階は学級崩壊とはみなされなくなる。教師がダウンするまでの長い過程にこそ重要な鍵が潜んでいるのである。

 私が実際にみた学級崩壊の情景を描いてみよう。

 それは小学3年のクラスの授業であった。学級運営がうまくいっていないということを聞いていたので、私はそのクラスを一度みてみようと思い教室に入った。

 私がそのクラスに入っていった時にはすでに授業がはじまって10分ほどたっていた。教師は教壇に立って子どもたちに指示をしている。子どもたちは机の上にガリ版刷りの教材を出している。何かの台本らしく、登場人物とそのせりふが開いたページが並んでいる。その各せりふの頭に子どもたちが鉛筆で書いた番号がついている。それぞれのせりふを読む割り当てを教師はしているのだということはすぐわかった。

 教師の声や動作にクラスの子どもたちが集中していないことを、全体的な雰囲気から私は直感的に感じた。特に、2,3人の子どもは明らかに「自分勝手な」行動をしている。台本の1番目のせりふから誰が読むかを教師は決めている。次々子どもの名前が上がり指名されている。

  20人目ぐらいだったろうか。「授業に参加していない」と思われた子ども(A)が教師から指名された。そのせりふを読んでほしいという旨の発言が教師からAに対して行われた。Aは反応しない。もう一度教師がAの名前を呼んで指示を与えた。すると、「おれ、それ、いやや」という反応がAから教師に返された。教師は、みんな一つずつせりふをいうことになっているから、自分のせりふと決まったものは引き受けなければならないといった。

 ふつうならそれで子どもは納得するだろう。しかしその場の状況からするとそれだけではおさまらないだろうと予感できた。実際、教師が諭すのに対してAは「それ読むのいやや。○○のがいい」と、すでに決まっている他のクラスメートのせりふを要求しだしたのである。教師はそれはだめだと諭したが、Aはそのせりふでないといやだといって取り合わない。とうとう教師が折れて、すでに決まっている子どもに「Aと代わってやってくれる」と働きかけることになった。しかしその子も納得していないことはすぐ理解できた。小柄なその子は目に涙をためて、すでに決まっている自分のせりふが理不尽なかたちで変えられることに対して「ノー」を表明した。わがままなクラスメイトによって、自分の権利が犯されることに直感的に反応したのである。

 Aの自己主張はそれによっておさまることはなく、ますますエスカレートしていったが、それにともなってクラス全体も以前に増して騒がしくなり、その後のせりふの指名は不可能な状態になった。

1 授業妨害と学級崩壊

 実は、学級崩壊に出くわしたのはその時が最初ではない。3年前に小学校の高学年のクラスで授業が成り立たない、教師のコントロールがきかない状況に出くわしたことがある。しかしその時は、子どもが教師に反抗する理由を私なりに解釈することができた。4,5人の反抗生徒は学力に問題があり、授業がわからないからおもしろくない。自分は取り残されているという気持ちをその子どもたちは次第に強めていたのだろう。その気持ちが、授業中のルールをはじめさまざまに規制を強いてくる教師に対する反抗となってあらわれたのである。いつからはじまったか定かではないが、反抗生徒の学校不適応の「履歴」ははっきりしていた。授業妨害は、不適応状態に対する子どもたちの異議申し立てであり、その意味では確信犯的行動であった。

 この小学校高学年の学級崩壊は、教室で繰り広げられる現象としては決して肯定できるものではないが、私は子どもの心境をある程度理解できるものと考えた。子どもがそれを自覚しているかどうかはわからないが、かれらの行動は「勉強がわからない」ことに対するレジスタンスである。反抗生徒の行動が、そんな授業を続けることに対する教師や学校に対する反抗であることは、外部的観察者である私にも理解できた。それに対して、3年生のクラスでみた情景は私にとってまさに理解不可能な「異常」なものであった。子どもたちが授業を混乱させる理由や動機が理解できなかったのである。

 私が考えられる一つの理由は、教師と子どもたちは「ウマが合わない」のだろうということぐらいである。しかしその教師は40歳代のベテランであり、教師の個性や性格が問題であるなら過去にも生徒が反発したことがあるはずであるが、どうもそうではないらしい。子どもたちが「集団で」反抗的な態度をとるというのは、その教師にとって初めての経験であった。

 人間関係は定式通りにいかないことが多い。師弟関係、上司と部下の関係、親子関係、友だち関係など、どんな場合でもささいなことで関係がこじれることがあるものだ。3年生のクラスで起こった現象はそういうレベルの問題なのだろうか。そうだとしたら、私はその状況を「異常」とは感じなかっただろう。いや、異常だと感じたにしてもその理由を理解しようとしたはずである。しかし3年生のクラスの学級崩壊状況に直面して、私はその原因を探る意欲を失って、ひたすら自分の気持ちが落ち込むだけであった。

 なぜだろうか。私が落ち込んだのは、私が子どもについてのある先入観をもっていたからではないだろうか。幼い子どもは無垢であり、自我に目覚めてくるにしたがって親や教師といった権威をもった存在に対して反抗的になるという前提である。

  5年生の行動には教師に対する「反抗」が明らかに感じられた。授業がわからないというかれらなりの「いらだち」もあっただろうし、教師が押しつけてくる行動様式に対する反発もあっただろう。だから、かれらは教師に対して反抗したのである。反抗したら授業が混乱する、教師を困らせることになるということがわかって行動しているという意味では、かれらは「確信犯」である。なぜそうしたのかということを聞いたら、かれらは自分の気持ちをそれなりに表現するだろうし、何がおもしろくないのかをある程度説明することができる。

 それに対して3年生のクラスの情景は、5年生と同じようにみえるが、子どもの意図がどこにあるのかわからない。教師に反発していることは子どもの様子からわかる。しかし、何に対して反発しているのかがつかめないのである。「幼い子どもは無垢である」という前提と3年生の態度のあいだにずれがあり、そのずれを私はうまく処理できないのである。幼い子どもはおとなの権威に無条件に従うものだという前提をわれわれはもっている。たまになまいきな子がいたとしても、子どもは本来おとなのいうことには従うものだ、そういう従順さをもっているという子ども観(「無垢な子ども」)をもっている。3年生のクラスでみた情景はこの子ども観では解釈できないものであるということなのである。

2 人に「つきあう」ということ 話は変わるが、ここで私の個人的な体験を話してみよう。

 ある学校に呼ばれて教員対象に人権教育について話をしたことがある。いつもの通りの講師紹介の後話をはじめたのだが、少しして場の雰囲気がいつもとはちがうことに気づいた。20人あまり教員がいたが一部の教員の態度がおかしいのである。あきらかにこちらの話を聞いていない。いや、聞こうとしていない。事前に説明を受けていたわけではないが、教員間に政治的対立があることはその場の雰囲気からすぐにわかった。一部の教員が話を聞こうとしない態度をとったのは、話の内容や話し方のまずさに原因の一端はあったかもしれないが、どうもそれだけではなさそうなのである。最初から話を聞こうとする態度ではないのである。全体の2割ほどが、あるものは寝たふりをし、あるものは別の方向に顔を向けている。

 そういう雰囲気の中で話をするのはいやなものである。こちらの考えをはなから受け入れてくれない対象にむかって話すということは、骨が折れるだけでなく想像以上のストレスを話す者は受けるのである。

 講演にせよ授業にせよ、聞き手と意志疎通ができなかった場合はあまり達成感はない。コンサートなどについても同じことがいえるだろう。聴衆は演者からの情報を受け取りながら、明確なメッセージを同時に返している。コンサートでは拍手や声援といった手段によって、講演や授業ではうなづきや注視などの手段によって、演者とコミュニケーションしているのである。そのコミュニケーションがうまくいっているときには、演者もリラックスして自分のもっているものを次から次へと表出することができる。逆にコミュニケーションがうまくいかない場合は、演者は自問自答しはじめ空回りするというパターンに陥ってしまう。

 人間の基本的特質は、相手の行動に注目し、相手が何を望んでいるのかを察知し、それに合わせるという「共応」行動にあるのではないだろうか。動物にも共応行動はある。ライオンの集団が獲物を協力して捕獲したりするのも共応行動だし、何よりあらゆる動物の生殖行動は共応によって成り立っている。しかし、社会のすみずみまで共応を浸透させ、それを制度まで高めたのが人間社会である。

  「符合」「協力」「協調」「連携」といったことばで表現される行動の仕方を人間はまず学び、そこから他者とちがう自分の個性や自己概念を見つけだしていく、というのが人間発達の一般的筋道であろう。個性の自覚や自己主張が現れてからも、人間として生きていくかぎり、他者とどう共応関係をつくるべきかは一生持続的に追求される基本的課題である。

 学級崩壊は、端的にいえばこの共応関係が成り立たないという事態である。たとえ教師と子どもの関係であれ、人としてつきあうということが子どもの側にないことが問題なのである。幼い子どもにそんなことを期待するのがまちがっているという人がいるとすれば、その人は子どもの発達の筋道を誤解しているのである。子どもはわがままな存在であるが、そのわがままを共応的なものに変えていくのがしつけであり、親子関係、友だち関係、他のおとなとの関係へと徐々に組み込まれていく過程で、子どもは共応的な関係をつくる術を身につけていくのである。自由な状態においておけば子どもは自然にそういう術を身につけるというのはまちがいである。

 おとなによる指導がなければ、いいかえればおとながそういう共応的行動が大事だとみずから信じ、それを子どもにしつけなければ、共応的関係をつくろうとする子どもの行動は起こってこないし、共応的関係が拒絶的あるいは断絶的関係より居心地のよいものだという感覚も生まれないだろう。


4 社会規範が子どもに伝わっていない

 学校に行ったら先生の話を聞かなければならない、先生のいうことには従わなければならない、クラスの仲間と仲良くしなければならない、といったことは常識の範囲の規範である。それが成り立たなくなっているところに学級崩壊という現象が生じている。

  「新しい学力観」がいうように、子どもの意欲や関心を喚起する授業を工夫することも大切だし、「心の教育」が提案する道徳教育やボランティア体験もやったほうがいいだろう。しかし、いま、そういう学校改革や授業改革の努力では追いつかない事態が起こっており、学校教育の基盤そのものが危機に瀕しているのだが、そういった危機感が「新しい学力観」や「心の教育」からは感じられないのである。

  総合的な学習と銘打った授業改革では従来の授業とはちがった形態の授業が工夫されており、子どもがさまざまな体験をする機会が提供されている。栄養失調の子どもに足りない栄養素を与えるのは当然のことである。しかし子どもの生活習慣に問題があり(例えば嗜好が偏っており)、摂取している食物から発達に必要な栄養がとれない状況にあるとすれば、どうすればいいのだろうか。ビタミンなどの栄養素を錠剤や注射で毎日補給すればいいと考える人はいないと思う。子どもに対して、必要な栄養素が含まれる食事をとらせる指導をすることが何より大事だと考えるのではないだろうか。

 栄養学の知識をもっていないにしても、母親の作る食事は栄養のバランスがとれているものである。子どもの嗜好にまかせれば、子どもはスナック菓子を食べ、ビタミンなどの含まれた食事をあまりとらなくなってしまう。母親が作ったものをきちんと食べることをあたり前と考え、そういう料理を作ることが食事をすることなのだという日常感覚が日々の食事習慣を通して定着していくのである。

 日常感覚というものは頭で考えてこうする方がいいからと判断し選択するという類のものではない。それは、繰り返される行動パターンを通じて肌で感じ取るものであり自然に身につけるものである。規範意識の根底にもこの日常感覚が横たわっている。子どもがことばで教えられた道徳を理解するのは、それと符合する日常感覚をすでに身につけているからである。

  「人を殺してはいけない」とか「人の物を盗んではいけない」ということをことばだけで説明することはむつかしい。そういうことは絶対してはいけないことだという暗黙のメッセージが小さい頃からさまざまな形で伝えられることによって、子どもの中にそれが「あたり前」の規範として根づいていくのである。集団生活の規則を破るような行動をするよりも、みんなと仲良くし規則に従った行動をするほうが心地よいと思うのも日常感覚である。対人関係で相手に好意を持たれるような行動をしようという意識も日常感覚から発したものである。


5 正統的周辺参加

 こういう日常感覚を根づかせるために何をしなければならないかと考えると気が遠くなってしまう。学校だけでそんなことができるわけがない。いや、それは学校の責任ではなく家庭や地域の問題だ、という意見が多数を占めるだろう。子どもの日常生活の中で「こうするのがあたり前」とか「これが常識」といったことが十分伝わっていないことが問題なのであり、そのことを保護者や地域の人びとが重く受けとめなければならないことはいうまでもない。

 しかし、このことについてどこが責任を果たすべきかという議論は不毛である。これは環境全体の問題であり、環境を構成している機関や組織や人びとすべてが考えなければならないことだからである。日常感覚を子どもに根づかせるというきわめて困難にみえる課題だが、それを可能にするヒントを与えてくれていると思われるのが「正統的周辺参加」論である。これは、レイブとウェンガーがその著書『状況に埋め込まれた学習』の中で展開しているもので、かれらは徒弟制の中での学習を分析することによってそのアイデアを導き出した。

 徒弟制では弟子入りした新参者は親方や先輩と同じような一人前の仕事人として認められないが、その集団の一員として扱われそれなりの役割が割り当てられる。掃除や材料運びや道具の準備といった一連の仕事の中の周辺的な仕事をしながら、年季を重ねて徐々に中心的な仕事をまかされるようになっていくのである。「正統的」ということばの意味は、集団の一員として認められているということである。

  集団の一員であるから怒鳴られることもあるししつけも受ける。仕事のことにはじまり世間のことや生き方のことにいたるまで、さまざまなことを親方や先輩から聞かされる。それは体系だった教育ではないが、親方や先輩の体験を素材にした具体的教育である。仕事がうまくできた経験談や失敗した経験談、いろいろな人物についての肯定的な評価や否定的な評価、世の中の出来事についての寸評といった日常的な会話を通して、新参者は仕事についての心構えや世間のものの見方、人間の評価の仕方などを身につけていくのである。

  「周辺参加」というのは、まかされる仕事や役割が周辺的であるということと同時に、活動の場において周辺にいるということでもある。親方や先輩が仕事をしているまわりに常にいて、その仕事ぶりをみているのである。

 正統的周辺参加の特徴をこれまで述べてきたことと関連させてもう一度整理すると次のようになろう。

  1. おとなと子どもが共通の課題や目的をもった仕事あるいは活動にともに取り組む。
  2. 子どもにも年齢に応じた一定の役割が割りあてられる。
  3. 子どもはおとなたちが仕事をしたり活動したりする場に参加し、その様子を観察する。
  4. 言語的、非言語的働きかけを通じて、おとなが大事だと思っていること、望ましいと思っていること、美しいと思っていることなど、いわゆる日常感覚が子どもに伝わっていく。

6 自己完結しない総合学習を

 正統的周辺参加が具体的な形をとるとすればどういうものになるだろうか。一つは、実際に仕事が行われている場に徒弟あるいは見習いとして一定期間参加するというかたちが考えられる。物を作る場に参加するというパターン、客を相手にする仕事に携わるというパターン、幼児やお年寄りの世話をするというパターンなど、おとなが受け入れてくれさえすればこのパターンは無限に広がっていく。

  また第二のパターンとして、地域の行事などの企画や実行に参加するというかたちもある。地域にはさまざまな団体や組織があり、それら団体や組織によって多くの催しものやイベントが行われている。そして、おとながお膳立てをして子どもはお客さんというかたちのものがほとんどである。子どもが参加するとじゃまだと思っているのかもしれないが、子どもといっしょに活動を進めていくことでおとな自身が励まされたり、活動の意義を再確認したりするということも起こるのである。これまでやり方を変え、祭りや青少年団体の活動、地域の美化活動、防犯活動など地域で行われるイベントの企画者や実行者として子どもを参加させるべきである。

  さらに第三の形態として、地域の環境調査、健康調査、文化財の調査などに子どもが参加するというかたちがある。子どもを地域のさまざまな問題の探求者であり解決を模索する者として、おとなとともに地域のさまざまな問題を考えていく存在として受け入れていこうとする方向である。子どもを必ずしもおとな扱いする必要はないが、おとなが、子どもを自分たちの意思を受け継いでくれる存在とみなし、自分たちの心意気やものごとに取り組む姿勢を積極的に吹き込む存在としてみることが、子どもがこのような活動に参加する際に求められる最も大切なことである。

 子どもを「教えたり」「導いたり」することは手間のかかることであるし、わずらわしいことであるかもしれない。しかし、おとなが子どもに何かを教え、その行為が子どもに受け入れられるということは、人類が長い歴史の中でずっと行ってきたことであり、単なる使命感だけでそれが行われてきたのではなく、人間としての本源的な欲求が「教え導く」行為と「教わり学ぶ」行為の間にあったからこそ続いてきたのだと思われる。その本源的欲求が忘れられた状況、いや、本源的欲求を満たすことが困難な環境的条件がいつの頃からかつくられてきたのである。それを元にもどすこと、私がいいたいのはそのことである。

 総合学習は、学校の教育課程として行われる活動である。子どもの意欲や関心を高めたり、生きる力を育むことをめざしてその取り組みは進められるだろう。しかし、その取り組みが子どもや教師といった学校の「内」にいるものにとって有益なものになるだけなら、それは短命に終わってしまうだろう。子どもとおとなとの意味あるふれあいとつながりをつくりだし、新たなコミュニティの創造へと発展させることによって、学校そのものも次の時代を生き抜いていく活力を手に入れることができるのである。