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2003.11.13
講座・講演録
部落解放研究128号(1999.06.30)より

生涯学習審議会「社会教育行政の在り方について」の答申

元木 健(川村学園女子大学)

1 生涯学習審議会とは

 1998年9月17日、生涯学習審議会は、文部大臣に対し「社会の変化に対応した今後の社会教育行政の在り方について」と題する答申を行った。これは、それに先立ち97年6月12日に、文部大臣より同審議会が同題名の諮問を受け、その後、同審議会の社会教育分科審議会において審議を重ねてきた結果を取りまとめたものである。

 同答申は、第1章 社会教育行政の現状、第2章 社会教育行政を巡る新たな状況と今後の方向、第3章 社会教育行政の今後の展開(第1節 地方分権と住民参加の推進、第2節 地域の特性に応じた社会教育行政の展開、第3節 生涯学習社会におけるネットワーク型行政の推進、第4節 学習支援サービスの多様化)、という構成になっている。

 現行の社会教育法(1949年制定)にもとづく第2次大戦後の社会教育行政が、制度発足以来50年を迎えようとしている現時点において、今後の当行政がどのような方向にむかおうとしているかは、「人権教育のための国連10年」のもとでの教育・啓発活動に密接な関連を有するはずのものであるだけに、今回の同審議会の答申の内容を、ここでその視点から検討・分析しておきたいと思う。

 そこで、まずこの生涯学習審議会とは何かというと、これは1990年6月29日に、法律第71号として制定された「生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律」(生涯学習振興法、生涯学習振興整備法などと略して用いる)にもとづいて設置された文部大臣の諮問機関である。文部省には、文部大臣の諮問機関として、いくつかの審議会があり、これまで中央教育審議会が法律(文部省設置法)にもとづいて設置されているほかは、すべて政令によるものであったが、この審議会は新たに上述の法律にもとづく独特の機関として誕生した。なお、もともとは政令による社会教育審議会という諮問機関があったのが、この法律によって同審議会は、生涯学習審議会に吸収されて、その一分科審議会となったという経緯がある。

 ところで、生涯学習振興法は、法の目的に係わる行政官庁として文部省とともに通産省をあげていること、関連分野として労働行政と福祉行政をあげていること、そして民間の機関や事業との提携、民間活力の利用という考え方を大きく打ち出した法律として注目されたが、そもそも法律の題名である生涯学習とは何かということについては明確な規定をしていないという批判を受けている。

  ふつう法律では、そこで扱う主題についての定義がなされるものであるが、この法律にはそのような定義を行った条項がないからである。しかし、その第3条には、生涯学習の振興に資するための都道府県の事業として、「学校教育及び社会教育に係る学習(体育に係わるものを含む)並びに文化活動の機会に関する情報を収集し、整理し、及び提供すること」、また、「地域における学校教育、社会教育及び文化に関する機関及び団体相互の連携に関し、照会及び相談に応じ、並びに助言その他の援助を行うこと」と規定し、さらに第10条の生涯学習審議会の審議事項として、「学校教育、社会教育及び文化の振興に関し、生涯学習に資するための施策に関する重要事項」と記されており、これを見ると生涯学習とは、学校教育、社会教育、文化活動という幅広い範囲の事業や活動を含むものと解されていることが分かる。また「生涯学習」という名称を用いることによって、教育行政に限定されないで、文部省と通産省との連携、さらに教育行政と労働行政や福祉行政との結びつきを謳うなど、施策の総合的推進、すなわち総合行政としてこれを推進しようとする意図を伺うことができる。

 なお、このような生涯学習振興法にもとづき、生涯学習審議会が設置されているわけであるが、国の審議会については第10条で「文部省に置く」と規定するとともに、第11条では「都道府県に、都道府県生涯学習審議会を置くことができる」とし、この審議会は、教育委員会だけでなく知事の諮問にも応じ、「生涯学習の振興に資するための施策の総合的な推進に関する重要事項を調査審議する」と記していることを付言しておきたい。

 さて、以上に述べた(国の)生涯学習審議会から今回の答申が出されたわけであるが、この答申の背景となる文部大臣の諮問の意図は、今後の社会教育行政のあり方を検討するにあたって、とくに現行の社会教育法および関連法規の見直しということに重点が置かれたとされている。


2 社会教育法について

 それでは、上記の見直しの対象になったという社会教育法について触れておこう。

 1947年、第2次大戦後の民主教育の理念を高く謳った教育基本法と、教育の機会均等の原則にもとづく現行の6・3・3・4制の学校体系を規定した学校教育法が制定されたあと、2年後の1949年6月10日に、法律第207号をもって社会教育法が発せられた。

  これは、以後の改定を経つつも、現在のさまざまな教育関係法規のなかで、教育基本法の精神を最も正しく受け継いだ法律であるといわれている。つまり、教育委員会法(地方教育行政の組織および運営に関する法律)やその他の学校教育関係法規が、その後、かなり国・文部省の統制・拘束性の強い性格のものへと改訂されていったのに対し、社会教育法は1959年の大改訂によっても、その基本的性格は変わらず、民主教育の鬼子などと冗談をいう人もいる。

 1984年、中曽根内閣のもとで、内閣総理大臣直轄の諮問機関として臨時教育審議会が設置され、国の全行政に関わる課題として21世紀にむけての教育政策のあり方について審議が進められ、4次にわたる膨大な答申が出されたが、その答申を貫く基本的な理念は「生涯学習体系への移行」ということであった。

  なお、この審議の過程で、生涯学習体系のもとでの総合的な行政を進める上で、現行の社会教育法の見直しという問題も俎上に出て、そのことは答申にも記されているが、これを受けた文部省は、これまでの全国の社会教育専門職員や市民団体の強い意向を配慮して、社会教育法には手を着けずに今日にいたり、その間に生涯学習振興法が出されたという経緯がある。

  ところで、この社会教育法と生涯学習振興法との関係であるが、今回の答申で、その点については必ずしも明確な説明がなされていない。

 さて、社会教育法であるが、まずその第1条の「この法律の目的」で、「社会教育に関する国及び地方公共団体の任務を明らかにすることを目的」としていることを記す。そして、第2条の「社会教育の定義」で、社会教育を「学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含む)をいう」と規定する。

   すなわち、社会教育とは、青少年および成人に対する、学校外の、組織的な教育活動である、と定義しているわけである。なお、この「組織的教育活動」という言葉の意味について、本法の法案作成時に当時のGHQ(占領軍総司令部)との間を往復した文書(英文)を見ると、この部分は「systematic activities of education」となっている。「組織的」というと、英語では「organized」という言葉を思い浮かべるが、これだと上から組織したという統制的な意味を含みかねない。そこで、これは社会のシステムとして設けられ、計画的に組織立って行われる教育活動であるという意味で「systematic」という言葉が用いられているものと解釈できる。また、この「組織的」という概念を導入することによって、私的で非組織的な家庭教育と区分し、学校教育とも家庭教育とも異なる社会教育の範疇を明らかにしたものと考えられる。

 この第2条の社会教育の定義は、今日の社会教育関係者の大凡のコンセンサスを得ている定義であるといえるが、一方で、これはたんに社会教育の範囲を限定しただけで、いわば消去法的な規定であり、社会教育の本質を述べていないと批判する人もいる。しかし、それは第3条の「国及び地方公共団体の任務」で、社会教育に対する行政の責務を述べるなかで、その本質に触れているとみることができる。

  すなわち、「国及び地方公共団体は、この法律及び他の法令の定めるところにより、社会教育の奨励に必要な施設の設置及び運営、集会の開催、資料の作製、頒布その他の方法により、すべての国民があらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するように努めなければならない」と述べ、そこで人びとが「あらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高め」る活動が社会教育であるとして、それに対する行政の奨励・環境醸成の任務を記しているわけである。

 じつは、ここに第2次大戦後の社会教育と社会教育行政の基本理念が見られるのであって、まず社会教育とは、人びとが自らその意志にもとづいて実践するという、市民の自主的な活動を意味するものとしているわけで、これは欧米の成人教育の自発学習・自己教育の理念と対応するものといってよい。また、社会教育行政は、その市民の活動を奨励し、その環境を醸成する責務があるとしているわけである。

 社会教育法は、さらに市民の自主的活動に対する行政の関わり方について、さまざまの留意を払っている。例えば、第九条の三「社会教育主事及び社会教育主事補の職務」では、「社会教育主事は、社会教育を行う者に専門的技術的な助言と指導を与える。但し、命令及び監督をしてはならない」として、社会教育専門職員の中核にあたる立場にある職のあり方を述べている。

 また、第3章の「社会教育関係団体」では、社会教育関係団体と行政との関わり方について、まず第11条で「文部大臣及び教育委員会は、社会教育関係団体の求めに応じ、これに対し、専門的技術的指導又は助言を与えることができる」とし、さらに2で「文部大臣及び教育委員会は、社会教育関係団体の求めに応じ、これに対し、社会教育に関する事業に必要な物資の確保につき援助を行う」と規定している。そして、第12条では、「国及び地方公共団体は、社会教育関係団体に対し、いかなる方法によっても、不当に統制的支配を及ぼし、又はその事業に干渉を加えてはならない」と述べ、行政の統制の排除の原則を謳っている。

 第2次大戦前の社会教育には、文部省とともに内務省より強い干渉が加えられ、社会教育が国民の思想統制、そして戦争への協力の手段に使われた苦い歴史がある。上記の条文は、第二次大戦後の民主社会建設の基盤としての社会教育の発展のため、戦前の歴史を踏まえ、行政の統制に対する強い歯止めを行っているものと解釈できる。また、その上で、行政の基本姿勢として、「support but no control」,統制なしの支援、すなわち、当事者の求めに応じて一定の物質的な援助や専門的な立場からの指導・助言を行うが干渉・統制はしない、という原則を貫いていることが分かる。 

 しかしながら、戦後の教育行政を巡っては、東西冷戦構造をそのままに、体制・反体制、すなわち行政と民間運動の激しい対立があり、反体制の立場では、行政は教育の条件整備(物理的環境の整備)に徹すべきで、教育の内容に立ち至って統制を行ってはならないと強く主張してきた。それに対し、国は、例えば学習指導要領の法的拘束性を強化するなど、一定の関与の必要を強調してきた。そして、社会教育においても、近年まで、同様の立場の両者の間での論争が続けられてきた。

 このような観点から社会教育法を見ると、第3条の「施設の設置及び運営」は物理的環境の整備、すなわちハードウエアの面を意味するが、「集会の開催、資料の作製、頒布その他の方法」とは、いわばソフトウエアの面まで踏み込んで、それを行政の社会教育の奨励と環境醸成の方法としていることが分かる。

  この点について、これまで民間運動の立場からは、例えば国の補助による「上からの押しつけの」学級・講座などの開催についての反対意見もあった。しかし、それでは憲法や国連の人権諸条約などにもとづく、いわば市民の義務としての社会的必要課題に関する学習について、行政は住民の要求がなければ何もしなくてよい、あるいは何もしてはならないのかということになると、社会教育法第3条は、それに対する行政の奨励と環境醸成の任務を謳っているわけである。

  つまり、市民の主体的な問題意識を喚起し、自発学習を促進・援助する責務があることを説いているのであって、この原則は、東西冷戦終結後の現在では、わが国の社会教育関係者の大凡のコンセンサスを得られているものと考える。

 社会教育の主要な対象は、学校を出たあとの成人であり、成人には義務教育というものはあり得ず、また何人からも強制されることがあってはならない。しかし、上述のような社会的必要課題に対する啓発(その語源は、学習者の主体的な活動の「手引きをする」の意)は必要とされているわけである。


3 今回の答申の内容

 さて、今回の生涯学習審議会の答申は、戦後の社会教育行政が、社会教育法のもとで、「制度発足以来50年近くを迎えようとしているが、今日、社会の変化に伴う人々の多様化・高度化する学習ニーズや生涯学習社会の進展等の新たな状況に対応した社会教育の推進が求められている」との認識から、「社会教育関係法令の見直しを含め、今後の社会教育行政の在り方や具体的方策について検討する必要がある」という判断に基づいて行われたものである。

  したがって、現行の社会教育法に、どのようなメスを入れられるか、関係者は大いに注目してきたわけである。しかし、答申の内容は、基本的には上述の社会教育法の精神を変え、国の統制を強化するような方向のものにはなっていない、といってよかろう。

   今回の答申の特徴は、「生涯学習社会の構築に向けた社会教育行政」、「地方分権、規制緩和の推進」、「民間の諸活動の活性化への対応」などを視点とし、社会教育行政の今後の方向として、「地方公共団体の自主的な取り組みの促進」、「社会教育行政における住民参加の推進」、「ネットワーク型行政の推進」、「学習支援サービスの多様化」などを提言している。なかでも、「規制緩和」は今日の時代の趨勢ともいえるが、「ネットワーク型行政」とは、従来の社会教育法でも文部省・教育委員会の管轄に限定せず、国・地方自治体の任務を説いている部分が多いものの、学校や首長部局と連携した総合的な行政による人びとの学習支援サービスの必要を強調しているのは、生涯学習の視点に基づくものであるといってよい。

 生涯学習(教育)の基本的な理念は、「統合」という概念で説明されるものであって、それには「縦の統合」と「横の統合」とがあるとされている。まず、縦の統合とは、乳幼児から高齢者まで、人の一生という時系列に沿った垂直的次元での、各段階の教育機能の統合・再編成、横の統合とは、個人や社会の生活全般にわたる水平的次元での、さまざまな教育機能の統合・再編成を図ることを意味している。

 生涯学習(教育)とは、このように家庭教育・学校教育・社会教育を通した、また社会のさまざまな教育機能の統合・再編成、すなわち今日の教育の構造自体の抜本的改革を意味する理念であるといえる。そのなかで、社会教育もまた、文部省・教育委員会の社会教育関係部局の所管の事業や活動だけでなく、国の他省庁・地方自治体の首長部局や、さらに民間の機関が行う広い意味の社会教育関連事業・活動をも含めた統合的な施策、総合的な行政のあり方が求められているわけである。また、その行政は、権力行政ではなくサービス行政であり、人びとの自発学習・自己教育活動に対する支援サービスなのである。

 なお、縦の統合という意味からは、とくに学校教育との関係の見直しも必要である。これまで、社会教育関係者は、社会教育と学校教育との違いを明白にし、その点を強調してきた。それは、社会教育の本質と独自性を関係者が認識する上では必要なことであったといってよい。しかし、今日、人びとの多様化し高度化するニーズに的確に応え、質の高いサービスを提供しようとするとき、学校という教育資源の利用、また学校型の学習形態の適用なしには不可能な状況になってきている。そして、一方で学校もまた、今日の深刻な教育病理現象が進行するなかで、学校は家庭や地域社会そして社会教育の協力なしに、この問題を克服し得ないところにきている。そこで、ユネスコで生涯学習(教育)の理念が提唱されたペーパーのなかでも述べている「コミュニティ・スクール」の理念が見直され、学社融合が説かれるわけである。

 ところで、今回の答申において、規制緩和とも関連して、いくつかの関係法令の見直しにつながる提言がなされており、そのなかには社会教育関係者が、答申の「中間まとめ」が発表された時点で、反対意見の陳述ないしは慎重な審議を要望しているものがある。

  例えば日本社会教育学会の理事会が、生涯学習審議会会長に宛て要望書を提出している。それには、まず公民館運営審議会の必置規定の廃止の案について、公運審は地域社会教育施設の中核としての公民館の運営に対する住民参加の制度として重要な役割を担ってきており、その必置規定は「規制」ではなく基本原則であること、この規定を廃止すれば、現在の市町村の財政事情ではその統合や廃止が進み、結果として地方分権、住民参加の内実を弱体化させる懸念があること、また、公民館長任命の際の公運審からの意見聴取の廃止についての案も、公民館運営への民意の反映、教育機関である公民館の一般行政からの相対的自立性の担保の原則を損なう怖れがあること、さらに、公民館、図書館、博物館の職員の専任・専門規定の改定の案について、公民館長および主事の専任規定の緩和、国庫補助の際の図書館長の専門資格の廃止、司書・学芸員の配置基準の廃止は、これらの教育機関としての質を低下させ、場合によっては教育機関としての性格が失われる危惧があることから、慎重な審議を要望している。しかし、これらは規制緩和によってその普及・活性化を図るという方針のもとに、最終答申においても基本的に変更されないまま提言されている。

 この答申を巡っての論議の一つに、青年学級振興法の廃止の件がある。青年学級とは、第2次大戦後、東北の農村で自然発生的に、働く青少年の自主的な学習の場として次々に作られ、それが全国的に広がるにおよんで、国がその財政的な保障を図ることを目的に法制化したものであるが、その後、中学校から高等学校への進学率が爆発的に増加するなかで、対象者の激減という状況を迎えていたものである。

 青年学級振興法は、1953年8月14日に法律第211号として公布・施行されたもので、その制定当時は、地域における自主的な活動を法律で規制することへの反対もあったが、この法律は、戦後社会教育の理念を示すいくつかの重要な事項を含んでいる。

  すなわち、この第1条「この法律の目的」は、「勤労青年教育がわが国の産業の振興に寄与し、且つ、民主的で文化的な国家を建設するための基盤をなすものであることにかんがみ、社会教育法の精神に基づき、青年学級の開設及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もって国家及び社会の有為な形成者の育成に寄与することを目的とする」となっており、第3条「青年学級の基本方針」には、「青年学級は、勤労青年の自主性を尊重し、且つ、勤労青年の生活の実態及び地方の実情に即応して、開設し、及び運営しなければならない」と規定する。

  また第5条3「実施機関」には、「青年学級の実施機関は、原則として、市町村の設置する公民館又は学校(大学を除く)とする」として、学級・講座などの社会教育の事業が、行政の直営を避け、教育機関である公民館や学校で行われるべきことを述べている。

  そして、第六条「開設の申請」では、「同一市町村の区域内に住所を有する15人以上の勤労青年は、当該市町村の教育委員会に対し、青年学級の開設を申請することができる」、第7条では「市町村の教育委員会は、前条の規定による申請を受けたときは、その申請に係わる青年学級を開設するかまたはしないかを決定し、その旨を代表者に通知しなければならない」とある。

 答申は、進学率の上昇などによるニーズの低下など、その存続異議が乏しくなってきたことから,同法の廃止を適当としながら、「その法律の精神については、生涯学習社会の構築を目指す現在においても重要である」とし、「学習したい青年に対し学習機会や学習情報を確実に提供することや、その学習成果の評価のためのシステムを構築することなど、青年学級の精神を継承した社会教育行政を展開することが期待される」と結んでいる。

  これに対し、さきの日本社会教育学会の要望書は、「とくに全国的に、障害者の青年学級への期待が広がるとともに、高校中退者の増加、不登校や「ひきこもり」の深刻化など、青年の発達と教育をめぐる問題が多発している現在、それらに対処するため、より積極的で具体的な法制の提起を含め、より慎重な審議を要望」している。また私は、「人権教育のための国連10年」に関連し、識字・日本語学習や、成人基礎教育の機会を保障する公的措置として、青年学級振興法の適用を期待していただけに、同法が廃止されることは(もし、その代替措置が講じられないのであれば)極めて残念なことであると思っている。

 なお、この答申においても、社会教育法と、さきに述べた生涯学習振興法との関係は明確にされておらず、第1章「社会教育行政の現状」の1「社会教育法等の制定と改正の経緯」のなかで、「我が国の社会教育行政は、戦後間もなく制定された社会教育法、図書館法、博物館法、青年学級振興法等の社会教育関係法令に加え、生涯学習の振興を目的とした生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律等にのっとって行われている」と述べているだけである。


4 答申の問題点―人権の視点の欠如―

 最後に、この答申の重要な問題点について述べたい。

 1971年4月、当時の社会教育審議会が、文部大臣の諮問に答えて、「急激な社会構造の変化に対処する社会教育のあり方について」と題する答申を行った。これは、高度経済成長期に、日本の産業構造が変容し、農山村から都市への大量の人口移動という現象が生じて、社会教育のあり方にも抜本的な検討が必要になった時期に、ユネスコで提唱されて間もない生涯教育(ユネスコでは「生涯教育」という言葉を用いている)の理念を導入して出された答申で、社会教育法とならび、今日のわが国の社会教育行政の基本的指針となっているものである。そして、このなかでは、社会に内在している各種のひずみや格差に起因する未解決の問題、とくに同和問題の存在と社会同和教育の必要が説かれている。

 ところが、今回の生涯学習審議会の答申では、全体を通じてその視点が欠落しており、同和問題はもとより、人権という言葉さえ見られない(平和や民主主義という言葉も出てこない)。ことに政府の「人権教育のための国連10年」の施策が進行するなかで、この答申の姿勢は疑問である。一方で文部省は、「人権教育のための国連10年」と関連して、人権教育のための20億円を超える予算を計上しているし、そのなかには、生涯学習局所管の市民の人権意識の向上のための学習や、識字・日本語教育のための補助金が多く含まれている。

  そして、1997年5月にスタートした法務大臣・文部大臣・総務庁長官三者の諮問機関である人権擁護推進審議会では、現在、人権教育・啓発のあり方についての審議が進み、答申の作成のための作業が進行中である。このような時期に、今回の生涯学習審議会の答申で、社会教育行政のあり方を論じるなかで、人権教育・啓発に関する記述が見られないのは、理解に苦しむといってよい。

 なお、生涯学習審議会が、1992年7月に出した「今後の社会の動向に対応した生涯学習の振興方策について」という答申には、第2部「当面重点を置いて取り組むべき四つの課題」の第四章「現代的課題に関する学習機会の充実について」の1「現代的課題とは」の(2)「主な現代的課題」のなかで、具体的な現代的課題の一つとして「人権」の文字が見られる。そして、97年7月に出された政府の「人権教育のための国連10年国内行動計画」では、とくにこの答申のこの部分を取上げ、人権教育が生涯学習として進められるべきことを説いているのである。その点から見ても、今回の答申に対する物足りなさの感は拭い得ない。

 1997年7月、ユネスコ主催の第5回国際成人教育会議が、ドイツのハンブルグで開かれ、その成果として、いわゆる「ハンブルグ宣言」と「未来へのアジェンダ(政策提言)」が採択された。そして、さらに参加各国が、国や地域のそれぞれのレベルで、「宣言」と「アジェンダ」の普及・啓発のためのフォローアップを行うべきだとされた。ハンブルグ宣言は、「成人教育は権利以上のものであり、21世紀への鍵である」にはじまり、民主主義、平等、平和の文化を謳い、識字と成人基礎教育の意義を強調し、女性、先住民族、高齢者、障害者の教育機会の増大と、そのための教育施策の促進を論じるなど、一貫して「人権」の理念に満ちている(ちなみに、成人環境教育の重要性にも触れている)。

 そもそも、ユネスコが提唱した生涯教育とは、人間の最も基本的な権利であるところの教育を受ける権利(人間が人間になるための権利)を、その生涯にわたって保障しようとするものであり、またその教育を通じて、人びとの人権意識を高め、その高い人権意識をもって、お互いがお互いの人権を守り合うことにより、真の世界平和を達成しようとするものであるといえよう。ユネスコは国連の専門機関であり、政府間組織であって、そのわが国での受け皿は文部省のなかにある日本ユネスコ国内委員会である。

  それにもかかわらず、わが国の教育に関わる各種審議会の答申に人権の視点が希薄で(かつて、生涯学習体系への移行を謳った内閣総理大臣直轄の諮問機関である臨時教育審議会の四次にわたる膨大な答申にも、人権という文字が見られなかったが)、とくにハンブルグ宣言と今回の生涯学習審議会答申の内容との落差には、暗然たる思いがするのである。