講座・講演録

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2003.12.24
講座・講演録
第245回国際人権規約連続学習会(2003年11月20日)
世人大ニュースNo256 2003年12月10日号より

パネルディスカッション

「人権教育のための国連10年をふりかえり、第2次10年の実現を」

部落差別の視点から

北口末広さん(近畿大学教授)


  今回は、部落差別や人権教育の現状や国際的な人権状況から、今後の「人権教育のための国連10年」の課題を考えていきたいと思います。

  まず、00年に制定された人権教育・啓発推進法について、『附則』で人権擁護推進審議会の救済に関する審議結果を踏まえ、3年以内に見直しをする旨の規定等が書かれています。しかし、もう既に3年が経過した今日もほぼ見直しされていません。また、第7条『基本計画の策定』や第8条『年次報告』についても、法制定後に十分に検証できていません。

  他の場合にも言えますが、法律や条令が制定された後の検証・活用が我々の運動の弱点ですので、皆さんにも是非関心を持ってもらいたいです。また、本法律には、3つの附帯決議がなされています。

  1. 人権教育及び人権啓発に関する基本計画の策定にあたっては、行政の中立性に配慮し、地方自治体や人権に関わる民間団体等関係方面の意見を十分に踏まえること
  2. 前項の基本計画は「人権教育のための国連10年」に関する国内行動計画等を踏まえ、充実したものとすること
  3. 「人権の21世紀」実現に向けて、日本における人権政策確立の取り組みは、政治の根底・基本に置くべき課題であり、政府・内閣全体での課題として明確にすべきであること

の3つです。しかし、これらの附帯決議は十分に実現できていません。

  そこで、法制定を踏まえた今後の課題として、

  1. 人権教育・啓発推進法の所管を法務省から内閣府に変更する
  2. 全府省庁に対してそれぞれの職員研修も含めた人権教育・啓発を推進するための計画の策定
  3. 人権との関わりの深い特定職業従事者に対する人権教育・啓発を推進していくためのカリキュラムやテキストを含む計画の策定
  4. 全ての自治体に対して国の積極的な補助を求めつつ人権教育・啓発を推進していくための体制の整備と計画の策定
  5. 全ての教育機関において学習指導要領やカリキュラムへの位置づけを含めた人権教育・啓発の推進
  6. 民間企業、農協や漁協、PTAや各種団体等において人権教育・啓発を推進していくための体制の整備と計画の策定
  7. 隣保館や公民館等を拡充して地域に密着した人権教育・啓発センターを整備するとともに、各方面で人権教育・啓発を推進していくためのリーダーの養成
  8. 人権教育・啓発の推進にかかわるNGOやNPOに対する積極的な支援等

が挙げられます。これらの課題に対して一定の前進はしましたが、人権教育・啓発推進法成立時や「国連10年」日本政府行動計画策定時の課題の多くが達成されていません。

  これらは、部落問題からも見ることができます。今もなお、部落差別が明確に存在していることは、00年の大阪府部落問題実態調査からも明らかになっています。端的に現れているひとつが地価です。例えば道路1本を隔てた場所で同和地区であるかないかの違いだけで、土地の値段が3倍ぐらい違うところもあります。それは、同和地区に住みたくない、つまり、意識の問題がそこにあるからです。また、もう結婚差別の問題があります。こうした現状からみても、多くの課題が残されています。

  以上のように、日本国内には多くの課題が残っています。国際的にも、「国連10年」が成立した背景は今も変わっていません。これまで20以上の国際人権諸条約が作成され国際法典化されてきましたが、その普及・啓発・教育は、不十分です。また、ポスト冷戦後の世界情勢は、民族・宗教紛争の多発が一層激化し、人権の普遍性の重要性や、より強固な国際的人権ネットワークの必要性が以前よりも強くなっています。そして、国際人権法の実施措置の限界もあり、人権教育の重要性がさらに高まっています。

  このような現状を踏まえて、「国連10年」の今後の課題としては、まず、教育機関を先頭に創造的な行動計画の作成、更にその行動計画の具体化と推進組織の設置が必要です。また、人権教育のための教材やカリキュラム作成をもっと進めていかなければなりません。そして、最近下火になりつつある「国連10年」に対する各組織のネットワークとキャンペーンをもう一度盛り上げて、人権教育を世界に徹底するためには第2次「国連10年」が必要であるという運動を、世界人権宣言55周年の取り組みに併せて行う必要があります。

おわりに

  正しい方針を確立するためには現実を正確に捉えることが何よりも重要です。第2次「国連10年」等が制定されたとしても、全ては現実が出発点であって、現実が分からなければそれを克服する手立ても当然出てこないからです。この点を再度強めて、今後の目標戦略を明確にしていきたいと思います。また、推進組織が形骸化していないかという問題もあります。従って、組織・システムを明確にする必要があります。

ジェンダー格差解消に向けて

藤枝澪子さん(京都精華大学名誉教授)


  ジェンダー格差とは、制度や社会システムの問題であり、同時に男女双方の意識の問題でもあるところから、今回のテーマもこのようにしました。

  では最初に、「男優女劣」の歴史認識の共有という点について触れておきます。日本語では「男尊女卑」という言葉が古くから使われていますが、この「男優女劣」という表現は、私が中国の女性の社会学者の著書で出会った言葉です。なかなか的を得た表現だと思うので、今回は、この言葉を使って近・現代の中で「男優女劣」の社会的仕組や意識がどのように作られてきたのかを考えていきます。

  人権宣言の代表ともされるフランス人権宣言は、正しくは「男性と男性市民の権利の宣言」と表現されていました。ちなみに、ここでの男性市民とは全てのフランス人男性を指していたわけではなく、農民や労働者階級、植民地住民の男性は含まれていませんでした。つまり、当時市民という概念で捉えられていたのは一定以上の税金を納める、一定以上の身分を有する男性に限られていました。

  ともあれ、女性が全く排除されていることに気づいた女性は何人もいて、その中にオランプ・ド・グージュもいました。彼女は、1793年に断頭台にその命を終えます。彼女の処刑の表向きの理由は反革命派とされたことでしたが、実情は「神聖な」政治の領域に女が踏み込んできたことへの革命派の男性の怒りであったといわれています。フランス革命で女性が大活躍をしたのは紛れもない事実です。しかし、それによって誕生した革命政府は女性の政治へ介入を嫌い、禁止令を出して女性を政治活動から一切排除しました。そして、その流れは男権の確立を中心に公的・社会的生活から女性を排除する歴史が続くことになります。この後、ヨーロッパ諸国の植民地だった多くのアジア諸国でも女性の知識人を中心に女性の権利獲得運動が継続的に行われましたが、それらはほとんど歴史の中に埋没してきました。

  時を経て、第2次大戦後に世界人権宣言が成立し、その前文で男女の同権が謳われています。その第2条で『すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教…による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる』と規定されています。しかし、ここで言及されている「性」の「権利と自由」とは具体的には何を指すのでしょか。国際的な文書においてこの曖昧さ・抽象性が正されたのが、85年に成立した女性差別撤廃条約でした。

  では、次に、現代における「男優女劣」の実態を見ていきます。内閣府が今年発表した男女共同参画白書によると、平均寿命や教育水準等から算出する「人間開発指数」で日本は世界で9位であるのに対して、これに男女間格差ペナルティーを割り引いた「ジェンダー開発指数」は11位となっています。日本では女性の平均寿命が突出して長いのですからこちらの指数ももっと上がるはずですが、そうはならないのはなぜでしょうか。この結果には男女の賃金格差が影響しています。更に、女性の所得や専門職・技術職に占める女性の国会議員の女性比率等から算出した「ジェンダー・エンパワーメント測定」は44位。この順位は年々下がり続けているのです。他の国々に比べて、日本の努力が極めて「なまぬるい」ことの結果ではないでしょうか。

  また、日本では多くの教師までもが、学校は平等であると思っているようですが、日本の学校でのジェンダー格差は他の先進国と比較しても非常に大きいのです。短大だけを見れば女子が圧倒的に多く、4年制や大学院では女子は男子の半分程度というのが現状です。教員の比率でも幼稚園や小学校では女性が大多数を占めていますが、中高大と進むにつれてその比率は下がっていきます。これ以外にも議員や公務員の数、あるいは労働力率や家事労働時間等を見ても、ジェンダー格差がこれほど露骨な状況にあるのは先進国では日本だけで、性別分離の徹底を特徴にしている社会であると言えます。

  結局、こういった現象は、社会政策の結果として起こります。従って、男女が互いにサポートしながら暮らしていける社会にしていくためには何が必要なのかということを、男女両方が考え、アクションを起こしていかない限り、日本は先進国とよばれるにふさわしい位置に立つことはできません。

おわりに

  ジェンダー格差の解消は建前だけをいくら掲げても解決しません。なぜなら、ジェンダー意識は人間が成長するプロセスの中で内面化するものであると同時に、社会政策をはじめ日本の司法に根深く埋め込まれているジェンダー・バイヤスによって絶えず、補強・再生産されていくものだからです。人権学習を通じて頭で理解したからといって簡単に解決する類のものではないのです。むしろ、政策的な取り組みの中で少しずつ変化していくものだと思います。従って、これは他のテーマにも通じることですが、問題解決を個人の努力に委ねるのではなく、仕組として作り上げていくことが今後の課題と言えるでしょう。

障害者の人権教育にとっての成果と課題は何か

楠敏雄さん(DPI日本会議副議長)


  今回は、障害者問題を巡る国内外の動き、成果と問題点について話していきたいと思いますが、その前に前提となる話を簡単にしておきます。

  先日、NHKから依頼を受け、原稿に『世界には6億人の障害者がいる』と書きましたところ、NHKからこの表現では衝撃があまりも大きいので修正して欲しいとクレームを受けました。しかし、この数字は事実なのです。障害の発生原因には南北で大きな違いがあり、先進国の主な発生原因が高齢化・成人病・事故であるのに対して、途上国では戦争・飢餓・貧困であるということです。

  この点から考えてもこの2年間だけでもアフガンやイラクの戦争で、またはカンボジアの地雷でどれだけ多くの障害者が発生しているか想像できます。また、障害者人口に関しては先進国でも注目すべき点があります。日本政府の発表では、現在の日本の障害者人口は約600万人(身体333万・知的62万・精神205万)と言われています。また、日本では全人口の4.7%、アメリカでは18%が障害者となっています。このことは、日本の障害者の認定基準の厳しさを象徴的に表しています。障害者人口の多さを誇る必要はありませんが、日本ではハンディキャップを持ちながらも障害者の認定が受けられずに、法の狭間で放置されている人が、アメリカよりも多くいるということです。

  さて、障害者を巡る世界の動きとしては、まず93年に国連で採択された「障害者の機会平等化に関する基準規則」があります。しかし、これでは法的拘束力が弱いということで、2001年に国連で「障害者権利条約」作業部会が設置されました。これについて、日本やアメリカ等の先進国ではNGOは積極的ですが政府レベルでは消極的で、むしろ南米やアフリカの国々の方が政府レベルでは積極的な状況にあります。

  また、同じく93年にユネスコで障害児教育と障害者を地域で受け入れるための意識改革を強く訴えた「サラマンカ宣言」が採択されています。これは、障害者を健常者の社会から単に排除しないというノーマライゼーションの考え方を一歩進め、社会や教育を変えて一人一人の人権を保障していかなければ障害者を受け入れられる社会にはならないとするインクルージョンの考え方を提起したものです。

  国内的には、93年に「障害者に関する国内長期行動計画」が策定され、自立と社会参加促進のためのバリアフリー化に向けた行動目標が制定されています。また、同年大阪府では「第2次ふれあいおおさか障害者計画」が制定され、全国レベルでも市町村障害者計画をつくるように働きかけが行われてきました。しかし、実際には昨年の時点で計画が作られた市町村は全国の4分の3程度で、しかも、この内障害者単独の計画が作られたのは半分強です。

  次に、障害者の状況についてですが、日本では啓発が有効に機能していません。その象徴的な例として、01年に内閣府が行った障害者問題に関する意識調査があります。この結果によると、ノーマライゼーションを知っている人は21.7%、障害者と関わった経験のない人が41.2%、一緒に仕事をしたことのある人は20.6%となっています。

  しかし、ノーマライゼーションの趣旨を説明した上でそれを支持する人は80%で、障害者問題に機会があれば関わってみたいと思っている人が65%います。つまり、これらから推測すると、障害者問題に積極的な意識のある人が2-3割、排除的な考えの人も2-3割、そして残りの4-5割の人はどう関わって良いか分からない、あるいは機会がない等からためらっている人ということになります。この人々をどう変えていくのかが今後の重要な課題です。

  また、不況の下での障害者雇用の停滞、失業の増加という問題があります。政府の集計によれば600万人の障害者のうち就業できているのは65万人で、解雇される障害者は増加しています。これに対して、従来のような障害者の側に努力を求める発想では問題は到底解決しません。それよりも企業に対する啓発、あるいは企業の障害者雇用をフォローするシステムづくりを進めていくべきです。

  更に、障害児教育については、文科省は分離教育を基本とする特殊教育から、ノーマライゼーションの理念を取り入れた特別支援教育に発想を変えるとしています。しかし、実際には特別支援教室にLD・ADHDの子ども達を入れ、手だてを必要とする障害児には養護学校を勧めるという方向へ再度シフトしようとしているのではないかと私は懸念しています。

  確かに、日本でノーマライゼーションは進んできていますが、単に今の社会に障害者が適応・統合することだけを目指すのではなく、社会を変えなければなりません。差別を生み出す価値観・構造・法制度を変えていく運動を行っていかなければ、本質的な障害者問題の解決はないと考えています。

おわりに

  まず、障害者の権利保障の法制化について、日本政府は来年に自由権のみに対する差別禁止条項を設けることで障害者基本法の改正を終わらせようとしています。我々としては、政府のこうした姿勢にごまかされることなく、5年後には差別禁止法の制定に結びつけ、そして、国連の障害者権利条約制定を目指して運動していきたいと思っています。また、個別の課題については特に企業の意識改革を中心にした障害者雇用促進や、権利擁護のシステム作りを強化していきたいと考えています。

公立学校の民族教育の制度保障の経過と現状
-大阪府内を中心に-

金光敏さん(民族教育文化センター事務局長)


  私の方からは、「人権教育のための国連10年」の継続の観点に立って、今、何が求められているのかを中心に話していきたいと思います。

  在日の立場から考えて見ますが、在日外国人をめぐる人権状況において絶対的に欠落している点としては、現在、日本に在日外国人の人権保障を規定する法律がないという事です。現在、外国人の処遇に関する法律は、外国人登録法と出入国管理及び難民認定法のたった2つだけであり、どちらも外国人を管理するためのもので、人権を守るためのものではありません。従って、在日外国人の人権は完全に空白状態にあるといえ、市民生活に一番密着している自治体が、切実さにせまられて外国人住民の支援策を作ろうにも結局行政裁量の範疇という小規模で不確実なレベルに留まってしまっています。

  こうした状況で、政府施策の中に外国人の人権の視点を取り入れていくには、在日外国人人権基本法等の法律整備が必要です。ただ、今すぐそうした展望は見えてきませんので、人権教育・啓発推進法などの人権に言及した法律をうまく活用してくことは重要です。例えば、人権教育・啓発推進法に基づく基本計画の中に外国人に対する視点を具体的に盛り込んでいくということも重要であり、この計画の進捗状況が毎年国会に報告される「年次報告」時に、関係の国会議員に取り上げてもらうことも大切です。

  現在、外国人の人権について言及している政府文書としては、91年の日韓外相が交換した覚書、「人権教育のための国連10年」政府行動計画、人権教育啓発基本計画の3つに集約できます。因みに、国連の各種条約の履行監視機関から外国人の人権に関する法整備が遅れていることを日本政府は再三にわたって指摘を受けています。

  こういった状況から、法律や政府文章において在日外国人の人権をいかに言及させていくのかは非常に重要で、それを行うことが私達の使命です。

  ただ、そういった運動を進めていく上で重要なのは、実態把握です。例えば、学校内における差別事象の把握についても、大阪府教委や大阪市教委では差別事象の調査・報告・教訓化に関して一定のルールが決められています。しかし、文科省では全く決められておらず、全国の学校現場で外国人の子どもを巡る差別の深刻な実態は全く把握されていません。また、南米をはじめとした渡日の子どもたちの未就学・不就学の問題が深刻化していますが、これも全く把握できていません。文科省が現在把握している外国人児童生徒の数とは「日本語指導が必要な児童生徒の数」であり、公立学校に外国籍の子どもが何人いて、どこの都市にどこの国の子どもたちが集中しているのかなど、まったく実態把握されていません。

  更に、渡日の子どもに対する十分なケアがなされていないために、彼らの退学が安易に行われている現実があります。小中学校において退学が認められるのは、外国人には就学義務がないからです。そうして学校から排除された子どもたちは地域社会にもなじめず、遂には、犯罪に巻き込まれるといった深刻な状況が起こっています。

  こうしたことからも、日本の外国人施策は全く体をなしておらず、むしろ、外国人施策の整備を拒むことで、日本に外国人が集まらないようにしていると言えるでしょう。

  来年、現在の「国連10年」は終了しますが、先のような状況から言及すれば、第2次「国連10年」は重要です。特に、現「国連10年」と同レベルの行動計画ではなく、より踏み込んだ外国人の人権保障に関する言及が次期の政府行動計画に位置づけられる必要があります。また、2001年の人種差別撤廃委員会の勧告において日本政府に民族別統計、即ち日本国内のマイノリティーの実態調査を行うように求めていますので、マイノリティーの把握なくして施策はありえないとの指摘について今後の日本政府の対応に注目していきたいと思います。

  最後に、人権救済について二つの観点を明らかにしたいと思います。一つ目は、実際に起こった差別への対処です。被害者へのケアと加害者への啓発や是正措置です。そしてもう一つは、差別の未然防止です。すなわち、人権救済には差別発生時の対処という観点と、差別の発生を未然に防止するという二つの観点が必要です。差別の未然防止のもっとも重要な点は、差別禁止法の整備などを通じた差別に対する社会的な抑止でしょう。そして、人権教育の中でかなり意識的に差別を未然に防止する教育実践が位置づけられる必要があります。人権教育が現在、ようやく市民権を得てきたということを実感しつつも、一方で、生きる力を育むや関心の領域を広げるという個人の生き方の域にとどめてしまい、より社会を意識した差別の未然防止としての教育実践の観点が弱いことが気になっています。

  私たちは、日本の学校における民族教育の推進を当事者の子どもたちを孤立させないという観点から重要視しています。そうしたことが根付いていくことで、外国人の子どもたちの存在がより肯定的に顕在化されていくだろうし、そのことを通じて日本の子どもたちにより多様性や多元性を提示することができるのではないかと考えています。

おわりに

  他のパネリストの方々との違いを指摘すれば、やはり外国人の問題に対してだけ法律がないということです。他の人権課題ももちろん法整備が不十分ではありますが、他の人権課題に追いつくためにも、在日外国人の人権法の制定は一刻も早く整備されなければなりません。そのための活動を続けて行きたいと思います。また、外国人の人権法の整備を急がなければならない理由のもうひとつに、政府高官である東京都知事による言いたい放題の人種差別扇動がまかりと通っているということも触れずにはおれません。ある意味で「国連10年」のレベルを超えた日本社会の本質が問われていると思います。