はじめに
明治維新の後、遅れて出発せざるを得なかった日本の都市計画は、川上秀光によれば「富国強兵・殖産興業の都市計画」と特徴づけられるとされている。今日では軍事との結び付きは表面からは失せているが、(1)産業基盤整備が優先されていること、(2)道路、港湾、鉄道といったインフラストラクチャー整備、すなわちハードな都市計画が中心とされていること、(3)お上の手による都市計画・都市計画事業であり、基礎自治体への分権も遅れていること、などの特徴をもっている。これに対し1970年代から、(1)住環境を中心とする身近な環境整備を重視すること、(2)ハードな分野だけでなく、アメニティや福祉といったソフトな分野を重視すること、(3)都市計画・都市計画事業の計画・事業主体として基礎自治体を重視し、計画策定にあたっては市民参加・市民参画を推進すること、といった主張が強まり、このような内容をもった都市計画を私はまちづくりと称している。
阪神・淡路大震災の経験でも明らかなように、今日のまちづくりの主な対象は木造密集市街地であろう。1970年代以降、豊中市庄内地区のまちづくり、神戸市真野地区のまちづくり、世田谷区太子堂地区のまちづくり、墨田区京島地区のまちづくり、上尾市仲町愛宕地区のまちづくりなど先進的なまちづくりの事例が知られている。事業手法としても1978年の住環境整備モデル事業創設以来、一連の密集市街地を対象とする整備事業が創設され、1997年には密集市街地における防災街区の整備の促進に関する法律も制定された。しかし、具体のまちづくりの事例に即してみると、現場ではさまざまな困難が生じており、事業の進展も概して遅れているといえよう。
これに対し、同和地区(被差別部落のうち地方公共団体によって指定された地域であり、属地的事業はこの地域内のみを対象とする)の場合、住宅地区改良事業の施行地区180地区、小集落地区改良事業675地区、改良住宅建設戸数約6万8千戸、同和地区を対象とする公営住宅約6万戸を数え、1969年の同和対策事業特別措置法の施行以来、まちづくりは急速に進展してきた。私自身も北九州市北方地区のまちづくりなど数多くの同和地区のまちづくりに関わってきた経験を有している。
本論では、同和地区のまちづくりを既成市街地のまちづくりの先進的事例として取り上げ、その特徴、まちづくりの進展を保障した条件を整理し、一般地区のまちづくりの発展の糧としたい。これが本論の第一の目的である。さらに、現在の同和地区のまちづくりが当面している問題点を明らかにし、それらの問題に対し、まちづくりの現場においてどのような対応が試みられているかを示したい。先進的事例としての同和地区のまちづくりが当面している諸困難とその克服の試みの経験の中に、一般地区のまちづくりのさらなる発展への示唆が存在し、このような経験を通して都市政策化への途が展望しうるものと私は考えている。これが第二の目的である。最後に、同和地区の住環境整備の基幹的事業であり、今後のまちづくりでも大いに活用が期待されている住宅地区改良事業の今後の発展可能性を概観する。
一 まちづくりの先進事例としての同和地区のまちづくり
1 同和地区のまちづくりの歴史的変遷
同和地区のまちづくりは、戦前より融和事業として、また都市の社会事業として実施されてきた。1927年制定の不良住宅地区改良事業は大都市のスラムや部落を対象とするスクラップアンドビルド型の事業であった。一方、融和事業のうち生活環境改善に関連する事業は地方改善事業と称され、部落の社会福祉、環境整備、教育振興、部落産業への助成、コミュニティオーガナイゼイションなどを含む幅広い事業体系をもっていた。環境整備としては道路や橋梁、上水道や下水路の整備などが含まれているが、特に地方改善地区整理事業ではこれらの施設整備が一体的・面的に施行されている。地方改善事業には公共住宅の建設は含まれていないが、地方改善事業と一体で公共賃貸住宅が建設された例も見られる。
戦後は地方改善施設整備事業(戦前の地方改善事業のうち施設整備に関わる事業)が細々と再開される一方、関西では同和地区を対象とする公営住宅の建設が進められた。
1960年には不良住宅地区改良法が廃止され、新たに住宅地区改良法が制定された。この法律は不良住宅が密集する地区の整備改善を図り、健康で文化的な生活を営むに足りる住宅(改良住宅)の集団的建設を促進することを目的とし、事業主体は地方公共団体で、一般には市町村である。対象地区は不良住宅が密集する地区、具体的には(1)面積0.15ヘクタール以上、(2)不良住宅戸数50戸以上、(3)不良住宅率80%以上、(4)住宅密度80戸/ヘクタール以上とされ、都市のスラムや同和地区が対象とされた。事業内容は、地区内の全住宅を買収除却し、住宅地の基盤整備を行い、そこに改良住宅を建設するというものである。この事業は京都、大阪を中心とする都市部落の環境改善に大いに適用された。
一方、厚生省所管の地方改善施設整備事業により地区の道路、上下水道、小公園などを整備し、一方で個人が住宅の更新を図ったり、公営住宅を建設する事業も地方都市や農村部で数多く実施されたが、面的な環境整備が不十分であるという限界が見られた。
1969年に同和対策事業特別措置法が制定され、同和対策事業は補助率、起債発行、地方交付税などの面で優遇されることとなった。同時期に小集落地区改良事業が創設された。住宅地区改良事業は、地方都市や農山村の小規模な同和地区や、個別の住宅更新がある程度進み不良住宅率が相対的に低い地区には適用されないこと、持家志向に対応できないことなどの問題点が指摘されていたが、小集落地区改良事業では対象地区の要件を(1)不良住宅戸数15戸以上、(2)不良住宅率50%以上と緩和する一方、存置改修を認め、さらに住宅地の基盤整備の後に個人住宅の建設を認めることとなった。この事業は結果的には大規模な地区を含め、不良住宅率50%以上80%以下の不良住宅地区に幅広く用いられ、この事業創設以降、同和地区のまちづくりでは大都市を除き、この事業がもっぱら適用されることとなった。
なお小集落地区改良事業の適用は同和地区に限定されているが、ほぼ同一の内容をもち(補助率など異なる)一般地区を対象とする住環境整備モデル事業が1978年に創設され、この事業が発展・多様化して今日の密集住宅市街地整備促進事業にいたっている。
2 改善型まちづくりの先進事例―北九州市北方地区のまちづくり
前述したように住宅地区改良事業はスクラップアンドビルド型のまちづくりであるが、小集落地区改良事業は改善型のまちづくり手法のパイオニアであった。本論では私が計画策定に関わった北九州市北方地区のまちづくりの事例を簡単に報告したい。
北方地区は小倉駅の南約3.7‡qに位置し、地区面積31.2ヘクタール、事業前の1984年において人口4,091人、住宅戸数1,926戸(うち不良住宅1,116戸)の大規模な同和地区であった。環境的には、不良住宅が密集し、道路網が不備である点が最大の問題であった。北九州市は1983年に計画策定に着手した。事業期間は1984年12月から1995年3月まで、事業費は286億円にのぼった。基幹事業は小集落地区改良事業であり、買収・除去された不良住宅807戸、移転した良住宅153戸、改良住宅建設409戸、改良住宅団地14団地である。
この事業の特徴としては以下の諸点が挙げられよう。
第一に、大規模な改善型のまちづくりであり、まちには存置された個人住宅、新築された住宅、改良住宅団地がパッチワークのような空間を織り成していること。
第二に、まちづくりの推進機関としてまちづくり推進協議会が設置され、市は現地事務所(最盛期職員数60余名)を設け、行政と住民、地区住民と周辺住民のパートナーシップが重視されたこと。
第三に、まちづくりにあたりワークショップが多用され、改良住宅の計画にあたっては延藤安弘教授の指導の下で住み手参加の住まいづくりが実践されたこと。
第四に、解放団体の主張もあり、弱い立場の住民も安心して住みつづけられる福祉のまちづくりが重視され、長期低利の宅地取得資金や住宅新築資金の貸し付け、比較的低廉な改良住宅家賃の設定などが実施されたこと。
第五に、地区は従来よりコミュニティがしっかりしていたが、その集まって住む楽しさを継承した空間計画を意図したこと。
以上のような特徴をもつ北方地区のまちづくりを、私は既成市街地のまちづくりの先進的事例の一典型と考えている(北方地区のまちづくりに対し、1993年度の日本建築学会業績賞が授与され、また同年に建設大臣表彰もなされている)。
3 同和地区のまちづくりを保障した条件―一般地区のまちづくりの発展にむけて
私自身が同和地区のまちづくりに関わった経験やその間、調査した同和地区のまちづくり事例を踏まえ、曲折はあるものの同和地区のまちづくりが一定の進展をみた理由、換言すれば同和地区のまちづくりを保障した条件として、私は以下の諸点をあげておきたい。
第一に、まちづくりが住民の運動として取り組まれたことがあげられる。部落解放同盟は地区レベルの解放運動としてまちづくりを位置づけており、住民の手による部落白書づくり、地区総合計画策定委員会の設置、テーマごとの要求者組織の設立、まちづくり研究会や先進地視察に率先して取り組んでいる。
第二に、以上の反映でもあるが、事業主体である行政当局が、住民参加のまちづくり推進委員会などを設け、計画の大枠をこの委員会で議論し、了解を得る一方、個々の施設計画や用地買収にあたってもきめ細かく住民の参加を保障したこと。
第三に、単なる物的な環境整備でなく、部落産業の振興、同和(解放)教育の推進、社会福祉の推進といった地区総合計画の一環としてまちづくりが取り組まれたこと。環境整備中心の場合でも、地区には隣保館、児童館、作業所など多様な施設が設置されていることが多い。
第四に、改善型まちづくり手法である小集落地区改良事業や、小規模な道路や公園などを建設しうる地方改善施設整備事業などフレキシブルで小廻りのきく事業手法が適用されたこと。
第五に住民と事業主体である地方公共団体に対し、それぞれの負担を軽減する措置がとられていたこと。住民に対しては長期低利の住宅ローンの貸し付けや低廉な家賃の設定、自治体に対しては国庫補助金(補助率2/3)、起債、地方交付税(同和対策事業に係わる起債の元利償還にようする経費についてその80%を地方交付税の額の策定に用いる基準財政需要額に算入する)などの分野で優遇措置がとられている。
住民への負担軽減についてはその水準に関し、一般地区住民との公平性に欠けているという批判も存在しており、検討に値しよう。しかし、いくつかの不十分な点があるにせよ、一般地区のまちづくりを推進させるためには上記の諸条件の保障が不可欠であることを私は主張したい。私の経験からも、いかにフレキシブルな事業法が存在し、事業に対する財政的な優遇措置がなされたとしても、住民がまちづくりに主体的に参加し、住民と行政のパートナーシップがつくられない限り、改善型まちづくりの進展は不可能であることを強調しておきたい。
二 同和地区のまちづくりに残された課題―都市政策化にむけて
1 同和地区のまちづくりが当面する諸課題
私は同和地区のまちづくりを日本のまちづくりの先進事例と考えているが、それは同和地区のまちづくりがすべての面でうまくいっていることを意味するわけではない。現実的には同和地区のまちづくりは、一定の進捗をみる中で、新しい困難に直面している。そして私はこの現在直面している問題点を整理し、考察することが、まちづくりのさらなる発展(都市政策化)にむけて不可欠な作業であると考えている。
一定のまちづくりが行われた同和地区の当面する問題点は次の五点に大別される。
第一は、若年層の地区外転出と地区人口の高齢化に関する問題である。今日同和地区の公共住宅家賃は、公営住宅法の改正に伴い、応能応益家賃体系に段階的に移行しつつあるが、将来的には地区の中堅所得層の地区外転出と低所得かつ高齢な地区外住民の転入により、部落がスラムに変質するおそれがある。
第二は、同和地区に公営賃貸住宅や改良住宅を優先的に建設するという公共賃貸住宅中心主義の評価に係わる問題である。従来、公共賃貸住宅供給方式は財政上の限界などからその実績は限定されてはいたが、方式自体は住宅の社会化を保障するものとして大いに評価されてきた。しかし今日、この方式自体の客観的評価・見直しが必要とされていると私は考えている。
第三は、同和地区のまちづくりが周辺地区のまちづくりと切り離されて実施されてきたという問題である。
第四は、環境改善された施設や空間が十分に使いこなされているかどうかに係わる問題である。
第五は、住文化に係わる問題である。従来、部落の生活は一般の生活に比べて遅れているとされ、その格差是正が急がれてきた。私は進んだ生活―遅れた生活という図式には批判的であるが、いずれにせよ今日では格差はほとんどなくなりつつある。とすれば、部落は今後どのような住文化を形成していくかが問われよう。
2 同和地区のスラムへの変質をめぐって
都市部・農村部を問わず、若年層が地区外に転出し、地区人口が高齢化する傾向は同和地区以外でも一般的である。しかし、公営住宅や改良住宅が圧倒的な割合を占める同和地区の場合、いささか特殊な事情が存在する。1980年以前に建てられた公営住宅や改良住宅は住戸も狭く、風呂もなく設備水準も低い。そのため、それらの住宅は子どもが成長したファミリー層には住みづらいし、若い家族にはいささか不評であり、結果としてそれらの階層の地区外転出が多くなっている。その結果、地区人口は高齢化し、地区は活気を失い、地区活動も衰退しがちである。
一方、応能応益家賃制度の適用(同和地区では強制的な追い出しにつながるペナルティ家賃の適用は計画されていない)に伴い、空き家となった地区内の公営住宅や改良住宅には高齢かつ低所得な地区外住民が流入してくることが予想され、部落は徐々にスラムに変容していくこととなろう(改良住宅に空家が生じた場合、所得階層12.5%以下の層を入居させる方式が一般的である)。
もともと部落は多様な社会階層から構成されていたが、住宅地区改良事業施行の際に比較的高所得の階層が低水準の改良住宅居住への忌避感情もあって地区から転出し、さらに前述したようにファミリー層の転出があったが、応能応益家賃の適用に伴い、いよいよ事態は深刻化しよう。元来、部落は定住のコミュニティであり、同和地区のまちづくりにおいて定住性への配慮が不十分であったことは否めない。
一般地区でも大規模な公営住宅団地や改良住宅団地の居住者が高齢な低所得階層に特化していく傾向は今日すでに顕著であるが、応能応益家賃体系の適用とともにいよいよ激化しよう。これは都市政策上大きな問題点であろう。この問題に対処するためには、大規模な団地建設を改めるとともに公営賃貸住宅の直接供給より、むしろ家賃補助を重視する必要があると考えている。
同和地区においては、今後のまちづくり、とくに改良住宅や公営住宅の建て替えにあたり、多様な住宅供給を追求している。地方公共団体が跡地に定期借地権を設定し、そこにコーポラティブタイプのマンションを建設する試みやコレクティブハウス建設も検討中である。
なお今後、高齢者への福祉政策と居住政策とのより強固な結合が不可欠であり、在宅高齢者への介護サービスや給食サービスの提供、コレクティブハウスの建設、ケア付住宅の供給、さらに小規模な特別養護老人ホームの建設などが必要であろう。
また公営住宅や改良住宅について部落解放同盟は、(1)定住のコミュニティに見合った都市型誘導居住水準の確保、(2)従前の低家賃体系を見直し、定住可能なわが方からの応能応益家賃体系の提案、(3)家族型に応じた入居方式・住み替え方式の整備、(4)住民組織による住宅・住環境の自主的管理、を追求している。
3 公営賃貸住宅(改良住宅を含む)中心主義をどう評価するか
私はこれまでの同和地区のまちづくりにおいて、公営賃貸住宅中心主義が採用されてきたことに対しては、当時の事情を鑑みるとそれなりの必然性を有していたと考えている。また、同和地区のまちづくりにおいて、今後も公営賃貸住宅(改良住宅を含む)が大きな役割を果たすと考えている。
しかし、公営賃貸住宅居住をめぐっては、結果的に住民がサービスの受け手として位置づけられ、行政への依存度が高まり、行政への要求闘争においても既存の住宅施策体系の枠内での要求にとどまることが多く、居住・居住空間を自ら創り、管理していく能力が弱まっていることは否定しえない。一方で行政のパターナリズム(後見主義、保護主義)もあいまって、住民と行政の対等な関係は徐々に崩れていく傾向もみられる。そしてこの問題はイギリスにおいても公営住宅の払い下げの際の主要な論点であったと伝えられている。
私は行政の役割として質の高いきめ細やかなサービスを供給すること(それ自体は結構なことである)より、住民が居住・居住空間を自ら創り、使いこなしていく能力、住における自立をエンパワーする(潜在的な能力をひきだす)ことを重視したい。その観点から公営賃貸住宅中心主義に対しては見直しが必要であり、多様な住宅供給の保障、場合によっては(特に地方では)公営住宅の払い下げもありうると私は考えている。
4 周辺地区と一体のまちづくり
いままでの同和地区のまちづくりにあたり、行政当局は同和地区のみを対象とする事業や、同和対策事業への優遇措置に規定されて、同和地区のまちづくりを周辺のまちづくりと切り離して実施する例が多かった。
しかし、同和地区に隣接する周辺地区の環境も劣悪なことが多く、施策の公平性の面から問題であろう。今日部落解放同盟は、(1)運動でかちとった諸施設を積極的に周辺地区住民に開放すること、(2)周辺地区と一体となったまちづくりを周辺地区住民とのコミュニケーションの機会として活用すること、を追求中であり、私もこの考え方に賛成している。
なお、私はまちづくり事業のプライオリティは、(1)環境条件、(2)まちづくりを担う地元の主体的条件の二要因によって決まると考えている。既述したように、環境が悪い地区を対象に、行政がまちづくりに取り組んでも、地元の体制がつくられなければまちづくりが進展しないことは明らかである。しかしいずれにせよ、行政としては問題地区の環境評価を実施し、その結果を広く公開しておく必要があろう。
5 まちを住みこなし、環境を適正に管理するために
このテーマに関してはさまざまなレベルが存在する。
大規模で立派な施設がつくられたが、十分に使われていないケースは箱モノ主義と批判されるが、部落のまちづくりにも該当する。周辺地区からの利用も含めて施設の適正な活用計画の策定が急がれる。
また、路上や小公園に無断駐車がなされたりリサイクル関連の資材や部落産業の廃棄物が放置されるケースも見られる。環境管理を運動として展開する必要があろう。
ガケ下から住宅を除却した後に物置など建設されたり、事業が終了後接道していない農地に違法建築が建設されるケースも知られる。部落差別も絡み周辺の土地が取得しがたいという事情はあるにせよ、環境上問題は多く、まちづくりが一定終了後には建築基準法をきちんと適用すること、建築協定や地区計画の策定も検討されてよい。
6 新しい住文化にむけて
農村部落のまちづくりの際に、鴟尾の乗ったいわゆる入母屋御殿が建設されることが多い。このような現象は部落以外でも漁業権を手放した漁村や農地を集団売却した農村でもしばしば見受けられるが、部落の場合、周辺に見劣りしない家をつくりたいという住民の思いが多く多額の借金をしても、築山、石積の塀を備えた豪邸が建てられることも少なくない、これは、独自の住文化の欠如の表現であろう。かつて「進んだ生活」としてモデルとされた一般地区の住生活・住宅建築も今日では方向を見失っており、省資源、省エネルギー、自然との共生といったライフスタイルに見合った住宅、そして新しいコミュニティ生活を同和地区のまちづくりの中から模索したいと私は考えている。
三 住宅地区改良事業をいかに発展させるか
1 現行の諸事業の特色と限界
今後のまちづくりの上で、住宅地区改良事業と住宅地区改良事業から派生した一連の住環境整備事業の果たす役割は大きいと考える。特に改善型のまちづくりが主流となりつつある今日、新しいまちづくりの要求に対し、上記の諸事業をいかに対応させていくかが問われていると私は考えている。
住宅地区改良事業はイギリス住居法の流れをくみ、不良住宅地区の基盤整備を行うとともに、その事業に伴って住宅に困窮する住民に対し改良住宅を供給するという優れた事業手法である。しかし、(1)事業対象とされる地区が不良住宅率80%以上ときわめて限定的であり、一般の木造密集市街地のまちづくりに適用不可能なケースが多いこと、(2)全面的なスクラップアンドビルド型であり、改善型まちづくりには適用しづらいこと、(3)供給される住宅は公営賃貸の改良住宅が原則であること、(4)事業にあたり、多額の費用と人材を必要とすること、といった欠陥をもっている。
一方、小集落地区改良事業の創設、住環境整備モデル事業の創設を経て、今日では密集住宅市街地整備促進事業が制度化され、さまざまな自治体で改善型まちづくりの有力な手法として幅広く活用されている。しかし、この制度はいわゆる任意事業(非法定事業)であり、(1)事業に土地収用が認められていない、(2)事業に際し租税特別措置法上の優遇措置がない、といった限界が存在する。しかし、市街地再開発事業では、地権者は地主、借地人、家主とされ借家人が除外されているのに対し、住居法の流れを組む住宅地区改良法や密集住宅市街地整備促進事業では家主、借家人を問わず事業に伴って住宅に困窮する住宅に改良住宅やモデル住宅が供給される建前であり、内閣法制局は後者のようなアプローチに否定的であると推察されている。このように市街地再開発事業とのバランスもあって密集住宅市街地整備促進事業を法定化することは、現行の法体系の枠内ではきわめて難しいとされている。
他方、小集落地区改良事業が幅広く活用されるとともに、住宅地区改良事業も柔軟に適用されるようになり、地区に隣接して戸建住宅用の住宅地が開発される例も見られ、分譲改良住宅制度も整備された。さらにこのたびの阪神・淡路大震災の被災地では震災バージョンとも称すべきフレキシブルな運用が認められている。
2 住宅地区改良事業、密集住宅市街地整備促進事業の改善の方向
私は住宅地区改良事業法の改正・事業の運用の改善、密集住宅市街地整備促進事業の運用の改善案として次の諸点を考えている。
第一に、住宅地区改良事業の採択要件を緩和し、不良住宅戸数15戸以上、不良住宅率50%以上といった小集落地区改良事業なみのミニ改良事業を創設したい。これにより対象地区は大幅に増加しよう。
第二に、住宅地区改良事業の施行にあたり、公共の役割を不良住宅地区の基盤整備に限定し、基盤整備された土地には公団・公社住宅や持家などの多様な住宅の建設を認めることにしたい。このようにすれば事業費も軽減されることとなる。この方向への改正は現行法体系下ではきわめて難しいとされている。しかし、地方公共団体施行の土地区画整理事業の場合、事業主体の役割はまちの基盤整備に限定され、上物(建築物など)については個々人に任されており、上物の整備には公共・民間のデベロッパーの参加が歓迎されている。この事実から考えてもこの提案は、必ずしも不可能なことではなくとくに罹災地特例の実施は可能性が大きいと私は考えている。
第三に、住宅地区改良事業、とくに上述のミニ改良事業を新しく制定された密集住宅市街地における防災街区の整備の促進に関する事業に組み込んで活用することを追求したい。
第四に、密集住宅市街地整備促進事業と土地区画整理事業を合併施行することにより、(1)減歩率の軽減、(2)事業への強制力の賦与、(3)税制上の優遇、などが可能となろう。この試みは筑紫野市の同和地区や名古屋市の一般地区などですでに実施されている。
第五に、住宅地区改良事業の対象としてRC造の集合住宅を考えるか否かに係わる問題が存在する。法律上の問題は少ないが、公共がマンションの建て替えにどこまで関わるかに関連するテーマである。私はマンションの建て替えにあたっては現行の組合施行の市街地再開発事業のマンションバージョンの適用が優先されるべきであると考えている。しかし、住民のコンセンサスがつくりえない老朽マンションの場合、分譲改良住宅の供給も含め、住宅地区改良事業の適用も十分検討に値すると考えている。
参考文献
内田雄造『同和地区のまちづくり論』1993年、明石書店
(社)全国市街地再開発協会『住環境整備'97』1997年
北九州市建築局『北方地区環境改善事業報告書』1995年
北九州市建築局住環境整備室『住民参加によるまちづくり―北方地区環境改善事業』1997年
内田雄造「新たなるまちづくりにむけて」『部落解放』1996年6月号、所収、解放出版社
内田雄造「公営住宅法の改正と部落の住宅計画」『部落解放研究』第115号、所収、1997年、(社)部落解放研究所
内田勝一「都市定住の権利」『講座・現代居住4』所収、1996年、東大出版会