私たちが仮面劇の文化運動をする理由
今回このような場を提供して頂いたことにまず感謝を述べたいと思います。そして今年の4月に大阪で私たちの創作仮面劇『白丁(ペクチョン)』が公演できることを嬉しく思います。このような機会によって韓国と日本が文化的に親しくなり、そして人権という共通の課題を進めていければと思っています。
今回は私たちがタルチュム(仮面の舞)という仮面劇を媒介とした文化運動をなぜ行っているのか、そしてその方向は今後どこに向いていくのかについて話していきたいと思います。
21世紀は文化の世紀だと言えると思います。それがどういう意味かというと、政治や経済ではなく、文化そのものが中心となる時代だからです。21
世紀に入り文化の位相は変化してきています。20世紀の文化は政治や経済に従属していて、政治的問題を解決するための道具の一つに過ぎませんでした。例えば独裁政権を打倒するための尖兵的な役割を文化が担っていました。しかし21世紀は文化が政治や経済をリードしていく時代だといえます。
文化とは、新しい生の形式と理念を創出するためのコンテンツを意味していて、文化運動をするということは新しい価値と理念、そして生のかたちを探求していくことです。そしてそのような文化の核心に芸術があるのです。芸術とは、それぞれの民族の持つ美的価値や生の形式を含む、民衆が持っている精神や情緒を中心としています。その伝統的な芸術の中に新たな政治や経済、つまり新しい21世紀のパラダイムを創り出す内容が含まれているのです。
新たな21世紀の文化について
21世紀に入り文化の位相が変化してきている理由が2つあります。まず第1に全地球規模で起っている生態系の破壊や異常気象、貧富の格差拡大や倫理の混乱、人間的価値観の喪失などといった危機的な問題は、政治的、経済的原理だけでは解決しにくいという認識が広がってきています。
このような危機を克服し、改善するための新しい代案として私は、文化というものが大切だと思っています。つまり仮面劇などの文化活動を通して、「私たちの心というものを変えていこう」、という運動なのです。ですのでこの場に集まっている皆さんも新しい認識、新しい心を持つためにここに集まっていると私は思っています。なぜならこういった機会を持つことも大きな意味での文化活動だと考えるからです。
第2の理由としては、科学技術の発展とそれに対する懐疑があるといえます。科学技術の発展とは人類の生活・文化の様式を転換し、特に情報通信の発達はそれまででは考えられないような状況をもたらしてきました。そして政府と資本家たちは超高速情報網を作り、それで世界中をつないでしまったのですが、そこで問題となるのがその情報網で流通されるコンテンツの中身なのです。
流す内容を決めずに流通の道だけを作ってしまったため、そこにポルノ産業だけが入り込んでしまい、今日悪辣な文化資本主義が大手を振る深刻な状況を招いてしまっています。彼らは文化理念や人間性・人権に全く興味がなく、ただ人間の本能をくすぐってお金を儲けることにのみ興味があるのです。このように科学技術の文化には否定的な側面もあるということです。しかし、そもそもこのようなものも文化と呼べるのでしょうか。
このような文化の中で新しい時代の政治・経済・世界体制へのビジョンは生まれるのでしょうか。
このような状況の中でこそ私たちに必要なのは、否定的な文化を変える新しい文化のコンテンツを作り流通させることだと私は思います。果たして私たちの社会、政治・経済が生命・環境・人権が尊重されたものになるような文化の理念や生の様式はあるのでしょうか。まさにこれが21世紀に文化が関心事になっている2つ目の理由なのです。
従って私たちが行っている仮面劇運動も全地球規模の危機的状況を文化的に解決するためのコンテンツ作りのための運動なのです。
仮面劇とは
仮面劇は昔から伝えられてきた韓国の「民俗遊び」です。また「仮面遊び」とも言われています。仮面をかぶり、音楽に合わせて踊り、歌い、話しもある、劇的なストーリーを展開する一種の演劇です。日本の能や、それ以前にあった神楽をイメージされるとわかりやすいと思います。仮面劇の由来については韓国でも学者によって意見が別れるところですが、一般的には村の「クッ」という儀式から生まれたもので、それが発展して演劇として形作られました。今日の形に定着したのは17世紀だといわれています。
その主題は<1>厄払いの儀礼、<2>破戒僧に対する風刺、<3>両班(ヤンバン)と呼ばれる貴族階級に対する侮蔑、<4>男女間の対立と葛藤、<5>庶民の暮らしの実状と哀歓などです。仮面劇はダイナミックな踊りや、風刺とパロディーに包まれた、あるいは侮蔑や卑しめる表現や台詞で民衆の涙と笑いを生み出してきました。つまり仮面劇は当時の特権階級と堕落した倫理に対する批判精神を具体的に演出した民衆劇だといえるでしょう。
仮面劇は村の儀礼的な部分が維持されている村祭り形式の農村型と、儀礼的な部分がもっと劇として精錬された都市型の仮面劇との、大きく分けて2種類あります。農村型が農民を主体として行われたものであったのに対して、都市型の仮面劇は17世紀に設立された山台都官庁という芸能を司る政府機関に所属していた芸人たちが、19世紀後半の山台都官庁解体後に地方に分散し、伝承したと言われています。この山台都官庁に所属していた芸人たちは身分の低い人たちだったため、都市型仮面劇の演技者は「賎民」であったといえます。
文化運動の媒体としての仮面劇
ではこのような伝統的な仮面劇がどうして文化運動の媒体として登場することになったのでしょうか。この点を理解して頂くために仮面劇の歴史について少し触れておきたいと思います。
韓国の仮面劇運動は3つの時代に分けることができます。まず最初は19世紀中期の仮面劇全盛期です。この時期は朝鮮王朝の末期であり、朝鮮の儒教的な伝統が崩壊し、伝統的な身分秩序が徐々に崩壊していった時期でした。しかしその反面、民衆は経済的基盤を持って成長していき、自分たちの意識を芸術的に表現し始めたのもまさにこの時期でした。当時各地で農民蜂起が起こり、有名な晋州農民抗争(1862年)が起こったのもこの頃で、その晋州市で仮面劇が活発に行われていました。
2つ目の時期は1920年代の終わりから1930年代初めに至る日本の植民地時代の仮面劇復興運動期です。1923年に晋州市で衡平運動、つまり「白丁」の解放運動が生まれました。そしてそれが人権運動として全国規模で行われるようになりました。これとともに仮面劇の復興運動も晋州市をはじめとする各地域で起こっていきました。このような運動によって1932年に朝鮮半島では民族学会というものが設立されています。これらの運動の根底には植民地期に民族の伝統文化を回復することによって独立を果たそうとする考えがあったのです。
そして3つ目が1970年代の、学生による仮面劇の文化運動期です。70年代、私が大学生だった頃、当時は各大学に仮面劇の班があって、そこで仮面劇を学んで公演するという活動が行われていました。しかし、それは同時に当時の独裁体制に抵抗する反体制運動であって、また近代化と産業化に反対する反抗文化運動でもありました。当時私たちは仮面劇を西洋の文化的な帝国主義に対抗するものとして認識していました。つまり仮面劇とは、独裁体制と近代化・産業化の過程において現れた抑圧的な勢力に対する、学生・農民・労働者・女性などといった被抑圧階層の人権運動でした。そして彼らは自分たちの状況や意識を表現するために仮面劇という媒体を使ったのです。
このように見ると韓国では30-40年周期で仮面劇が盛り上がりを見せていることが分かります。この周期に沿えば、2010年は仮面劇文化運動のルネッサンスになるかも知れません。その契機になるのは先述の通り、全地球的な危機状況を解決するための文化的模索ではないでしょうか。しかし、注意していただきたいのは私たちが進めている仮面劇復興運動には、以前のそれと根本的な差異があるということです。かつての仮面劇運動は、政治的問題を解決する道具として仮面劇を用いたのに対して、21世紀の仮面劇運動は政治や経済を変革し、進歩の方向に導いていくものでなくてはならないのです。
伝統芸能を通じた民衆のための文化
では21世紀の仮面劇運動は具体的に何を目指すべきでしょうか。まず第1に仮面劇というものは民衆の文化の生産力、伝承力を回復させるものでなくてはいけません。現代の大衆文化は、大衆の文化的生産力を抹殺していて、大衆たちは少数の文化エリートたちが商業的に行っているものを共有しているに過ぎないと思います。しかし、伝統芸能という大衆の自発的な文化活動によって残っているものもあります。私たちが仮面劇運動を行っている理由はまさに、そういった伝統芸能を通じて文化的生産力を民衆に返していくためなのです。
ただ私たちが日本や韓国で伝統芸術活動を行う上で最も残念だと思うのは、文化財保護制度です。世界で文化財保護法があるのは日本と韓国と台湾だけで、伝統文化が消滅の危機にあるときにこの制度は役に立つでしょう。しかしこの制度が一方では伝統文化の自然な伝承の妨げにもなっています。これに対して私たちの仮面劇運動は自然に発展する正しい伝承の方向を目指して、現代の私たちの問題を伝統的な様式で表現しようとしています。4月にここで講演する創作仮面劇『白丁』はまさにこのような意図のもとで作られました。
仮面劇運動が目指すものの第2は、生命運動、人権運動、環境運動の基本的な価値の発掘及び創造です。先述の通り19世紀中期の朝鮮王朝末期は、民衆の意識が覚醒され、自らの人権を要求し始めた時期です。彼らはその中で仮面劇を通じて身分や階級の矛盾を告発・風刺して問題点を表面化し、平等な世界を目指しました。しかし、その方法は当時の支配階級であった両班を単純に攻撃するのではなく、寛容や・和解に満ちたものでした。
私はこのような人権尊重、生命の尊厳、そして生態学的要求を込めた仮面劇のメッセージが今こそ継承され、新しい問題提起が行われるべきだと思います。なぜなら世界の人権状況を政治的、あるいは経済的に解決しようとする姿勢はもう古いからです。生命運動や環境運動を科学技術だけで解決しようとするのも同様です。これらは今後、文化という新しい基盤を持つべきです。
21世紀の文化運動のめざすもの
人権問題は個人的自由と機会均等の問題に限定されるものでなく、個人の美学的生産性と創造的なアイデアの問題とも関係しています。そして人間は自分の考えを個性的に、そして美しく表現できたときに本当の意味で自由だと言えるのですから、新しい文化や文化的価値の想像力が強調されることが必要だといえます。従って、文化を媒体として今日の生の問題を根本的に解決しようとする文化運動は人権運動であり、生命運動であり、環境運動なのです。
昔から東洋では世の中が崩壊するときは、まず音楽が腐敗するという言葉があります。音楽が腐敗すると詩が腐敗し、詩が腐敗すると舞が腐敗し、演劇が腐敗します。そして演劇が腐敗するということはその社会の礼と道徳の腐敗を意味し、そうなると政治や経済も腐敗するということです。だから東洋では新しい政治や生活を起こそうとするときに、まず音楽から新しくしました。この音楽を新しくするということは、宇宙と自然と人間の関係、人間同士の関係を新たに見直し、それを美的に表現するということです。
このような宇宙と自然と人間とが互いに愛し合い、和解する新秩序を提示する芸術こそが21世紀の文化運動の目指すところです。それが病んだ人間と社会を治癒し、社会と道徳の新しい生命秩序を基礎にした政治や経済を変革する理論や哲学を生み出すことになるでしょう。