講座・講演録

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2004.04.20
講座・講演録
第24回人権・同和問題企業啓発講座 第1部 Aコース より

「これからの企業経営と人権」

奥井功(関西経営者協会会長・積水ハウス株式会社代表取締役会長)

はじめに

 只今、ご紹介賜りました奥井功でございます。関西経営者協会の会長を仰せつかっており、本業は積水ハウスの会長です。また、関西経営者協会会長は伝統的に部落解放・人権研究所の理事も仰せつかっておりまして、非常に皆様方のお世話になっています。今日は、これからの企業経営と人権問題という主旨でお話をしたいと思っています。

 まず、自己紹介ですが、1931年に生まれ、1953年に学校を出まして、サラリーマンとして会社に就職しました。今年で約50年、サラリーマン生活をやっています。33年前に現在の積水ハウスに入り、それから住宅産業の仕事をやってきました。1992(平成4)年に社長になり、1998年まで6年間社長をやったわけですが、6年目に病気をしまして、会長になりました。会長になって、住宅業界、経済界のことをこの5年間やってきました。その一つが関西経営者協会の仕事です。

 本日は私ども積水ハウスの経験を中心にお話しますので、簡単に会社の概要をご報告します。現在、積水ハウス単独で約1万5000人の社員が働いています。住宅建設の仕事をやっており、年間約1兆2000億ほどの売り上げになります。個人住宅、集合住宅を合わせて約6万戸ほど毎年供給しています。

日本社会を取り巻く急激な変化

 我々日本社会を取り巻く時代の変化を、釈迦に説法ですが、順序としてお話しします。現在はめまぐるしく変化を遂げている時代です。それもスピードが非常に速い。昨日やっていたことは、もう今日通用しない。こういうことが1990年代以降起こっています。私見によれば1989年のベルリンの壁の崩壊、ソ連がなくなり、超大国はアメリカ一国になったわけですが、これを契機に非常に世界全体の変化が激しくなった。それから世界全体がアメリカを中心にして一国主義になり、グローバル化し始めた。

 特に私どもが感じる変化の一つに、会計制度の問題があります。アメリカ式の時価会計が入ってきたことです。私は社長になる前は経理も担当していましたが、私の時代には、持っている資産が少々減っても取得原価主義で、時価評価というのは行っていませんでしたが、アメリカ式の時価会計は従来とは違う概念で、持っている資産でも時価が下がれば、その下がった時価で評価せよということになったわけです。

 私どもは住宅会社ですので、住宅用地を4000億円ほど持っていました。時価会計が入ってきて、それと同時に1990年以降、デフレ状態で、株や土地の値段が下がり、4000億の土地を時価評価すると半分の2000億になってしまいました。昔の会計のやり方では、2000億を評価減して落とすのは、逆粉飾だということでできませんでした。ところがアメリカ式の時価会計が入ってきまして、評価せずに放っておくと、損を隠している形になります。当社も値下がりした2000億を結局、評価減で落としました。落とすと損失になります。評価の問題だけなんですが、評価減で損失が出ます。こういう大幅な会計システムの変更が行われたわけです。ところが一方で、納める税金は従来と何も変わってない。2000億を評価減しても、その損は税務署は認めてくれないので、税金は今まで通り払う。その結果どういうことが起こったかというと、納めた税金とのギャップを会計の方で税効果会計と言いますが、繰延税金資産ということで資産にあげた。例えば2000億を評価減しますと、税務上はその2000億が損金として認められませんから、それに対して税金がかかる。ところが、5年間の期限がありますが、それは後で税金を納めますときに引いてくれるわけです。すなわちその会計と税務とのギャップを税効果会計ということで計上するわけです。これについての生々しい最近の事件が、りそな銀行の税効果会計の数字つまり、繰延税金資産の数字を会計士が否認して、ああいう事件になったのです。会計システム一つを取っても、このように刻々と変わってきています。

企業の社会的責任

 油断のならない変化の早い時代の中で、違った側面で企業に大きく求められているのが、企業の社会責任です。近年、国連の提唱する課題は人権、環境、平和ですが、企業にとっては、人権、環境、安全が企業の社会的責任として要求されるようになっています。日々変化していく時価会計その他の社会システムに対応すると共に、企業は人権問題、環境問題、安全問題、この3つを企業の損益とは次元の異なる問題として、社会的責任として要求されるようになった。こういう時代が来たわけです。

 企業は個人と同様に社会的な存在です。特に企業は人間の大きな集団ですので、その動きが社会に大きく影響を与えます。環境を守ろうと思うと企業に環境を守ってもらわないといけない。人権を尊重しようと思うと、企業で人権を尊重してもらわないといけない。社会の安全を守ろうと思うと、企業自体で安全を考えて事業を進めていく必要がある。こういう時代になったわけでして、この3つの問題を疎かにすると、たちまち社会から指弾を受けます。一朝一夕の内に、ワンマンな社長と言えども辞めざるを得ない。これほど重要な問題になってきました。我々企業としては、21世紀、真剣に取り組まなければならない問題となったわけです。環境、安全という問題は、別の機会にしまして、今日のテーマは人権問題です。これにどう取り組むかを企業として考えなければいけません。

少子高齢化問題

 これからの企業経営として、日本社会がどういう風に変化していくのかを考えておかなればいけません。ドラッガー博士も言っていますが、我々は未来について次の二つしか知らない。一つは、人間は未来を知ることはできない。二つ目は、未来は今日存在しているものや、今日予測しているものとは違う、ということです。いずれにしても未来は、悲しいかな我々人間にとって見通しが利かない問題であり、未来は分からないという前提に立つことが必要です。

 ただし現時点で未来に確実に起こるであろうことはやはり予想して、用意をしておかないといけません。今、かなりの確度で分かっているのは、日本社会は少子高齢化社会になるということです。これから確実に子どもの出生が減って、お年寄りが増えるという社会になっていく。もう一つは、グローバリゼーション。私はこの二つじゃないかと思います。この内でまず人権とも密接に関連がある、少子高齢化問題を簡単に見たいと思います。

 2000年の国勢調査の結果によると、人口は1億2692万人です。5年前に比べて136万人、1.1%の増加です。人口増加率で見ると、1920年以来最低です。人口の内訳は、男性6211万人、女性6482万人で、女性の方が少し多い。女性100人に対して、男性95.8人です。労働力人口で見ますと、15歳から65歳までが労働力人口で、これが約6500万人。ここで現在出てきた問題が、出生率の著しい低下です。一昨年は出生率1.36、去年が1.3です。1966年、丙午の年の出生率は1.58だったんです。これは夫婦2人で1.58人の子どもを生んでいるという数字です。これが1989年になり、出生率が昔の丙午の数値を下回って1.57となった。さらに去年は1.33まで減ったのです。厚生労働省の推計では、2006年には人口は頂点になって、それから下がり始めるという予測が出ています。これはほぼ確実な近未来の予測です。

 一方で人間の寿命は長くなっています。男性78歳、女性85歳というのが現在の日本人の平均寿命です。江戸時代の日本人の平均寿命は30歳代だったという説がありますが、徐々に長くなり、1947年に50歳を越えるようになった。それが現在80歳まで延びている。子どもが産まれなくて、人間が長生きするわけですから、当然の結果としてお年寄りが増えてきます。65歳以上の人口に占める割合が、2000年が17.4%。50年経って2050年には35%、3分の1以上が65歳以上で占めるという推計が出ている。従いまして、これから出てくる現象は、男女雇用均等と申しますか、女性も高齢者もみんな元気なうちは働いてもらうということです。極端に言うと人口が半分になっても、皆が倍長生きすればそれで補いがつくと考えられますので、こういった労働の変化、男女間の変化が出てくるのではないかと考える次第です。

 厚生労働省から少子化を防ぐ手だてはないかというお話がありますが、極端に言うと妙手はない。少子化の原因は3つ挙げられています。一つは晩婚化。結婚年齢が遅くなっていく。それから非婚化です。結婚しない人が増えています。そして三つ目は、子どもの出生率の低下です。

 こういったところから男女平等社会の実現、あるいは年齢差別、高齢者が働くことを差別しない、あるいはグローバリゼーションも含まれて、外国人に対する差別をしないという問題が出てくるんじゃないかと思います。その他に年功序列賃金の見直しや、雇用延長、勤続年数に応じた賃金体系から能力に応じた賃金体系への移行とか、一方で、高齢者等が能力を発揮できる職場環境の改善や新規の能力開発を進めることも必要です。あるいは、女性が安心して働けるために託児所を作ったり、短時間の勤務やフレックス制度、在宅勤務制度といった柔軟な勤務体系が必要だという課題も生まれてくるわけです。それが今一度に、大きく社会に押し寄せています。我々企業としても、こういった社会の動きを充分見きわめて、柔軟に変化し、スピードをもって対応することが要求されているのではないかと思います。

 今まで申し上げたことが、我々企業を取り巻いている時代の変化の問題です。やはり企業の社会的責任として、雇用に関する人権問題というのは避けて通れないということです。

人権を巡る国内外の動き

 人権を巡る国内外の動きをご報告します。20世紀は、戦争と革命の世紀と言われ、世界で約1億人が戦争の犠牲になったと言われています。日本でも、1904年に日露戦争、1914年に第一次世界大戦、1931年に満州事変、1937年に中国で廬溝橋事件、1941年には太平洋戦争が起こった。そして1945年に敗戦。その後は幸い日本は戦争をしていませんが、前半は日本人は戦争ばかりやらされておった。軍国主義でですね、軍人が一番偉い、こういう国であったわけです。戦争の世紀だったのです。

 こういう反省に立ち、国連が1948年12月10日に「世界人権宣言」を採択、発表し、以来、全人類の自由と平等が求められてきています。しかし、なかなか上手くはいっていないようです。そこで、1994年にウィーンで世界人権会議が行われましたし、1995?2004年の10年間を「人権教育のための国連10年」と位置づけたわけです。そして、各国に人権教育の具体的な行動計画の策定と実践を促しました。人権尊重という共通の価値観について認識を徹底することが求められたわけです。日本政府も国連、国際社会の約束に従い、1997年に国内の行動計画を策定し、各県に具体的な実施を求め、人権教育、人権擁護に取り組んでいます。特に、社会的責任が重く、特別な権限が与えられている特別職の公務員や医者、教育、マスメディア、こういった特定の職業に従事する方たちに対しては、重点的に人権教育が必要だとされています。この行動計画の中で9つの重要課題が具体的に設定されました。1番目は同和問題、2番目は女性問題、3番目が外国人の問題、4番目が子どもの人権問題、5番目が高齢者の問題、6番目が障害者の問題、7番目がアイヌの人々の差別問題、8番目がHIV感染者、ハンセン病など病気の方に対する人権問題、9番目が刑を終えて出所した方に対する差別問題。

 その間に国内法が整備され、新しい法律も成立しました。1997年に人権擁護施策推進法、アイヌ新法、1998年に障害者雇用促進法の改正、1999年に改正男女雇用機会均等法。この均等法は、女性の就労に対して積極的なアクションを企業で取りなさいということです。もう一つは職場におけるセクハラ防止のために雇用管理上の配慮を事業主に義務づけています。それから同じ1999年に男女共同参画社会基本法、2000年に人権教育及び人権啓発の推進に関する法律。2003年には個人情報保護法、障害者雇用促進法の再改正。このように国もいろんな法律を制定しました。人権の擁護、啓発あるいは教育などに力を入れているわけです。

 ただ、残念なことに、現在でも就職差別事件が頻発しています。1998年に大阪で発生した、採用にあたって調査会社に出身地区や民族、思想、信条などを身元調査させ、同和地区出身者を排除するという就職差別事件。2001年に福岡市で起こった、新規に営業を展開する過程で、その営業対象地区について同和地区の有無を管轄の市役所に問い合わせをした、同和地区確認事件など。インターネットを含めた差別事象が後を絶たないことも周知の通りかと思います。

 人権を軽視した企業活動の結果が企業不祥事となり、企業の存在すら危うくしかねない結果となっています。企業においても、社員一人一人が人権問題を身近な問題として積極的に取り組む、将来に向けて人権文化の構築に寄与することが責務として求められています。特に21世紀は、モノからサービスの時代ということで、いかにお客様にご満足いただけるかが企業競争として、一番の眼目になっています。我々住宅業界においても、各社、お客様からできるだけ大きな満足を得られるように競争しています。もちろん価格の競争も品質の競争もあります。しかし、このサービスというのは、相手の人権を尊重し、無責任な行動、あるいは態度を取らない、こういうことが重要だと考えています。企業構成員一人一人の人権意識の水準を高め、変化し続ける人権基準に乗り遅れないように、最も進んだ人権水準に学ぶことが、社会、お客様から評価を得ることになると考えています。先ほど来、変化の激しい時代と申し上げましたが、変化し続ける人権基準、こういうこともご留意願いたいと思います。

 お手元に私どものパンフレット、「2003年人権啓発レポート」をお配りしていますが、例えばこの21頁には、精神分裂病という言葉が統合失調症に、2002年8月に用語自体が変わってきています。あるいは、健康増進法の制定により嫌煙権、タバコを吸う問題も中身が変わっています。私どもの本社ビル1階に換気扇を付けてタバコを吸う場所があったんですが、取り払いました。健康増進法の制定と嫌煙権の問題から、ビル全体がタバコを吸う場所は作らないという方向に変わってきています。人権の問題も時代と共に変わってきていることにご留意を願いたいと思います。

積水ハウスにおける人権問題への取り組み

取り組みの契機

 当社の人権問題の取り組みについて、ご報告したいと思います。当社の人権問題の取り組みは1980年、差別図書である部落地名総鑑を当社が買っていたことが発覚しまして、大阪を初め各地で行政指導、及び人権団体から厳しい確認・糾弾を受たことが契機になっています。糾弾会ではたくさんの教えを受け、私の前の社長ですが、当時の社長は「これは購入者個人の問題ではなく、その個人を取り巻いている社会意識、つまり当社の体質の問題であると共に、同和問題に対する正しい理解と認識を教えていなかった私自身、社長自身の問題である」と言明しました。この糾弾会は、我が社にとって、心の変革を促してくれる教育の場であったわけです。

この時に、当社は3つの約束を交わしました。1つ目は、社員の差別意識を無くすために社長をトップとした推進組織を作り、人権啓発の継続的な取り組みを行う。2つ目は、公正な採用選考と同和地区住民の積極的雇用を行う。3つ目は、同和問題を初めとしたあらゆる差別の解決に向けて、企業として行動していく。この3つを約束しました。差別の厳しさ、本質に迫る糾弾学習会は、今まで人権問題に全く関心を持つことなく、眠っていた我々積水ハウスの社員達が、まさに耳元で目覚まし時計の鳴り響く音でようやく目が覚めた、こういう実感を持つものでした。

 1981年から本格的な社内啓発がスタートしました。まず、推進するための社内組織を社長を委員長として、人権研修の目的・方向を定めた実施要項を策定し、全社に周知徹底を図るために全国の事業所に赴き、説明と趣旨徹底を図りました。そして人権研修を会社の重要な研修として位置づけました。

1980年代の取り組み

 当社の23年間の取り組みを2つの期間、1980年代と1990年代の2つに分けて紹介します。

初めの1980年代は、まずは部落問題の基本的な知識や理論を理解させるべく、外部講師に依頼し、全国の事業所毎に同和問題の歴史、差別の実態、同和問題の本質、企業と同和問題などをテーマに、行政が作成した冊子や講師に紹介された図書をテキストに、講義形式で進めていきました。そして、「しない、させない、許さない」の3つを目標に、まず第1段階として、社員全員、差別をしないという立場に立つこと、その為には同和問題に対する正しい理解と認識を持つこと。第2段階は「させない」という目標。これはチームリーダーである推進委員の立場で、周りの人に「それは差別に繋がりますよ、ダメですよ」と正していく立場です。更に、第3段階の「許さない」という段階は、差別を憎み、許さないという強い意志で差別解消に向けて取り組んでいく、職責幹部社員の立場です。このように、「しない、させない、許さない」という3段階を目標として行いました。1984年には社内テキスト『働く私たちと同和問題』を作成し、このテキストを3年がかりで学ぶことを合い言葉に、職場でディスカッションを行い、共に考える中で、同和問題の正しい理解と認識を深め、全員が満点を取れるように、着実に理解させてきました。1981年からは幹部推進委員を対象に、社内研修、部落解放・人権夏期講座への参加をスタートさせ、本年で700名以上の役員・幹部が参加しています。この研修は参加者から大変評価を得ています。後ほど、参加者の感想文をいくつかご紹介します。

1990年代以降の取り組み

 1990年代に入り、従来の研修のやり方から、何とか一工夫したやり方はないものかと考え、『働く私たちと同和問題』に続く社内テキストの必要性を感じ、1989年より「人権啓発レポート」を作成することにしました。この冊子の狙いの1つは社内テキストです。2つ目は、1年間の社内の取り組み内容を整理する、白書的な位置づけです。3つ目は、世の中の流れを人権ベクトルでどう捉えるかという情報提供誌。こういった3つのコンセプトで、年一回発行しております。

 この10年間の主な特集や討議テーマを一部ご紹介します。1994年には「社員一人一人が人権を守るリーダーとなるために」というテーマで全社員に訴えました。1995年には「差別表現を考える」を特集として取り上げました。当時、作家の断筆宣言がマスコミでクローズ・アップされ、差別表現が大変な関心を呼んでいたこともあり、差別語や不快語を我が社では使わないでおこうという理解を深めたわけです。1996年には「人権教育のための国連10年」のスタートとしまして、同和問題、女性問題、HIV感染者等の問題、アイヌ問題を中心に事例研究として取り上げ、国連10年の意義について訴えました。1997?99年には、国連10年で言う「人権文化の創造」という提起の中で、慣習、風習、六曜、清め塩、女人禁制など、我々日本人の日常生活の中に潜む偏見について、身近なところから正していこうと呼びかけました。2000?02年には、国連「人権教育10年」の押さえとして、同和問題を中心として各課題の更なる提起を行いました。2003年は、「プライバシーと人権」ということで、プライバシー保護の時代を解説しました。私どもの業務の特徴として、個人情報の重要性について、討議テーマとしたわけです。

 その他の事例として、1984年から人権標語の全社コンクールを毎年実施しています。スタートの年には応募総数が全社で100点にも満たなかったのですが、一人一人が人権について考える機会ということで継続し、昨年20回目になったのですが、1万5000人の社員数を上回る1万9000点近い作品が寄せられました。特に社員の家族から330点もの作品が寄せられ、企業を越えて社員の家族も一緒になった人権週間のイベントとなったと自負しています。社内の優秀作品はポスターにして全事業所に掲げると共に、会社の年賀状にも印刷しています。また、当社社員の作品が大阪同企連の最優秀作にこの6年間で3回も選ばれていることも、大変嬉しいことです。(「人権啓発レポート」47?50頁に掲載)

 1994年からは毎年12月の人権週間に人権パネル展を開催し、9回目の2002年度には全国7ヶ所の会場で行いました。在日コリアンの人権、部落の問題、ケガレ意識の問題を中心に、30?60枚のパネルを展示し、社員はもちろん、多くの方々に見学して頂いています。特に入社が内定している学生を集め、少しでも早い段階から当社が人権問題に取り組む意義を周知徹底しています。(「人権啓発レポート」44頁)

 1989年には役員、支店長、所長を初めとする幹部社員を対象に第一回目の現地研修をスタートさせ、以後、毎年継続しています。人権問題に対する認識を深め、差別の実態に接した時に、自分のこととして考えられる人権意識を持って、相手の立場に立つことができるリーダーの育成を目的にしています。現地研修は、奈良県の水平社博物館、三重県の人権センター、京都府のマンガン記念館、あるいは関係者のご努力によりまして羽曳野市で行いました。(「人権啓発レポート」41?43頁)

ボランティア活動の拡がり

 大げさですが、企業はどこも生きるか死ぬかという競争を強いられています。その中で信じられない不祥事も起きています。社員にはこういった中でも、人間尊重の立場で、自分自身を鍛え抜いて成長して欲しいと願っています。私ども住宅ビジネスは、お客様に住宅という一生に一度の買い物をしていただくわけですので、お客様に徹底して応えることができなければ、本当の意味で社会から信頼される会社とは言えないわけです。

 阪神淡路大震災の時、数十人の社員が食料を持ち、その日の内に自発的に被災地に駆けつけました。命令されずに自発的に動ける社員がいるという発見は、本当に嬉しかったです。道で迷っている人がいれば、すぐに手を差し伸べてくれる社員が一人でも多くいてくれることを願っています。この10年間に当社の事業所において、各地で様々なボランティア活動の取り組みがスタートしています。例えば福知山営業所では、1996年、「夢と希望の21」というボランティア・グループが結成されました。マラソン大会のコース掃除、河川の清掃、市内清掃などのボランティア活動を行っています。本社を初めとする大阪市内の事業所では、1994年以来、社会福祉法人ノーマライゼーション協会主催のチャリティ・フリーマーケットに毎回参加しています。

 相手の立場に立つことは、人権問題を考える基本的なスタンスです。相手の立場に立って相手を理解する、相手と同じ気持ちになって、共に泣き、共に問題解決を考えることが求められていると思います。私どもの企業理念の一つに「人間愛」が謳われていますが、これもその別の表現に過ぎないのではないかと考えています。

部落解放・人権夏期講座

 部落解放・人権夏期講座に参加した当社幹部社員の感想文をご紹介します。その前に、この研修に対する当社の取り組み姿勢をご紹介します。毎年8月に和歌山県の高野山において二泊三日の合同研修が部落解放・人権研究所や大阪人権同和企業連絡会等が構成する実行委員会主催で行われています。全国から企業のみならず、行政、学校関係、宗教関係、人権団体の方々、約2000名の参加があり、今年で34回を数えています。当社からは1981年以降、毎年40名前後が参加し、既に延べ800人の役員、職責者等の幹部社員が受講しています。この夏期講座は合宿型の研修ですので、夜の時間を有効に利用するために、当社独自の研修を夜に行っています。1日目の夜は、社内の具体的事象を中心に、当社参加者のみによるグループ討議。2日目の夜は、社外から数名の講師の先生方をお招きして、特別講座。こういうことで、二泊三日ですが、幹部社員も非常に感銘を受けたということです。少しピック・アップします。

 「今日まで、自分の生き方は決して間違っていないと思いつつ、日々生活していたように思います。真の意味を理解することなく、また知ろうと努力もしないで生きてきたことがいかに恐ろしいことであるか、責任が重いことであるかを痛感させられる研修でした。研修を課されることによって、物事を捉える視点、真実を自分自身で確認することの大切さも理解できました。同時にそのためには真実を知ろうという強い意識を持って努力し、訓練することが大切であり、このことは同和問題に限らず全てのことに共通しており、結局、自分自身の生き方に帰結するように思われます」。こういう感想だとか、「これまで自分は随分と長い間、こうした問題について正面から向き合うことを回避して生きてきた」と告白する感想もあります。「学びて己の無知を知る。初めていい勉強をさせて頂いた」という感想、あるいは「『人は悩みながら差別をする人はいない』という言葉が非常に考えさせられました。私たちはつまり無意識に、また一方的に親や世間から受け入れてきた慣習やしきたりに何ら疑問も持たずに生きてきた。こういう古い共同体意識、あるいは差別的な意識、差別が日常化している」と反省する感想文もありました。高野山の合宿は、非常に有意義だと考えています。

セクシャル・ハラスメント

 一つ追加したいのは、セクシャル・ハラスメントの問題です。非常に忸怩たるものがあります。「人権啓発レポート」24頁に、セクハラ・ホットラインが載っています。当社でも未だにセクハラの訴えがホットラインを通じて10数件、残念ながら出てきます。よく報道されていますが、女性の人権問題、セクハラ問題が最近非常に問題に感じられます。こういう所への訴えが10件にしても、「ハインリッヒの法則」によれば、1件出てくればその下に29件同じ事が隠れているということで、多くないことを願いたいのですが、やはり表に出てくるのは、氷山の一角ではないかという気もします。これは私も男性の一人として反省しないといけないわけですが、女性の側から起こる問題ではなしに、男性の側、つまり男性の価値観、女性に対する人権感覚に問題があるから発生するのだと思います。

 セクハラについて特に申し上げると、セクハラの加害者は必ず上司で、被害者は部下で、逆のケースはまずあり得ません。組織内における力が上の者が、下の者に対してそのような行為をしても相手は反抗できない。圧倒的な力の差を背景にして、セクハラが行われる。これは権力を使った極めて卑劣な行為です。たとえば、上司から食事の誘いがあれば、部下は断りにくい。いくら上司が「無理をしなくてもいいからね」と配慮した言葉を付け加えても、部下は無理をします。立場の違いがそうさせるのです。当社では男性上司と女性の部下が一対一で飲食することに、警鐘を鳴らしています。自分の行為がセクハラにあたるかどうかは、相手の女性がどのように感じるかが重要です。男性はなかなか女性の気持ちにはなりきれませんが、判断の目安になる方法はあります。同じ行為を自分の娘や姉、妹、連れ合いにされたらどんな気分になるかを考えることです。自分の身内の女性がされて気分が良くないことは、やっぱり避けるべきです。「人権啓発レポート」27頁に、セクハラ認識度チェック・シートを載せています。ご参考に願いたいと思います。

おわりに

 人権問題というのは社会と共に発展していきます。高齢者の、例えば就職にあたっての年齢差別。これは、厚生労働省の指導でも、年齢を限って募集することは止めてほしいと問題にし始めています。アメリカでは1979年辺りから、年齢によって差別したらいけないという法律を作っています。こういった人権問題は、これから益々、厳しくなってきます。これをよく認識して対応しないと、企業自体も社会的責任を問われかねないわけです。こうした変化の早い、厳しい時代に生き残るためには、企業の各部署、各社員が小さなことでも留意して、絶えず前進、改善、向上を図ることが第一番に求められると思います。

 最後になりましたが、このところ株も少し上昇し、「失われた10年」という景気の悪いデフレ状況も、ひょっとすると今年あたり上向くのではないかということですので、人権、環境、安全、こういった社会問題を機敏に克服しつつ、未来はやはり明るいんだと進んでいくことが、我々としては必要だと思います。

 企業経営、また企業の個々人にとってもハードな時代です。よく言われる言葉ですが、私の好きな言葉を結びとして申し上げて、私の話を終わらせて頂きたいと思います。「強くなければ生きていられない。優しくなければ生きている値打ちがない」。これはアメリカのレイモンド・チャンドラーという探偵小説作家が『プレイ・バック』の中で探偵の言葉として言わせているのですが、強くなければ結局、現代というのは生きておれません。抹消されてしまいます。ただし、優しくなければ生きている値打ちはない。やっぱり人間としての価値というのは、強さだけではなしに、あらゆる意味で優しくなければ生きている値打ちはない。英語で言いますと、「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.」。現代という時代は、まさに我々全部が強くなければ生き残れないわけです。同時にやはり優しくなければ生きておる価値がないんだと、こういうことを最後に申し上げまして、私の話を終わらせて頂きたいと思います。