一、 「第一次(案)」の前提
2003年6月より始まった「人権教育の指導方法等に関する調査研究会議」の「第一次とりまとめ(案)」(以下、第一次(案))が4月に出された。意見募集をへて、早ければ6月中には内容が確定し都道府県教育委員会へ周知される運びとなっている。
この「第一次(案)」は、「実施要項」にあるように、「人権教育・啓発に関する基本計画」や学習指導要領等を踏まえて、人権教育の指導方法の望ましい在り方等を検討したものである。従って、人権教育調査研究会議は、人権教育のあり方や国の取組み体制・支援策そのものを検討する場ではなく、「第一次(案)」も当然ながらその制約を受けたものとなっている。
こうした制約があることを前提にしつつ、以下、評価・活用できる点、問題点、そして今後の課題、について触れていきたい。
二、 評価・活用できる点
これまで人権・同和教育が培ってきた数多くの教訓や視点から見て、「第一次(案)」の内容は一定評価・活用できる点がある。以下、八点を指摘したい。
第一に、これまで人権・同和教育の内容について、文科省として公式な検討のテーブルを作ったことがないという経緯からすれば、制約があるとはいえ、今回のテーマで初めて研究会議を立ち上げ積極的な議論をしたことである。
第二に、近年の教育基本法の改悪の動きなどから、当初、人権教育が徳目主義的な道徳教育に解消されかねない危惧もあったが、人権教育としての課題をまとめたことである。
第三は、国際的な人権教育の概念を「人権感覚」という言葉を通してだが、国の文章として初めて整理したことである。例えば「知的理解」を深めることは言うまでもなく、
「学級をはじめ学校生活全体の中で自らの大切さや他の人の大切さが認められていることを児童生徒自身が感じ取れるようにすることが肝要である。一人の人間として自らは大切にされているという実感が持てなければ、自己や他者を尊重する感覚を持つことは難しいからである。」
とし、「日常の学校生活も含めて人権が尊重される学級・学校」作り(環境)を重視し、
「また、このような人権感覚が態度や行動に現れるようにすることが必要である。すなわち、・・・具体的な人権課題に直面してそれを解決しようとする実践的な行動力など を児童生徒が身につけることができるようにする。」
という「態度」を育むこと、そして、そのための「技能(スキル)」の重要性を指摘している。
第四に、「児童生徒は家庭・学校・地域の中で日々を過ごして」おり、学校内の閉じられた取組みだけでなく、保護者や地域の人々に「開かれた学校づくり」を通して、「人権教育の効果を高める」ことの重要性を示している。
第五に、保・幼・小・中・高を通じた「系統的・継続的な人権教育の実践」に努めるとともに、そのための連携やカリキュラムの共同研究・授業研究を行うことを指摘している。
第六に、「児童生徒の自主性を尊重し、指導が一方的にならないよう留意することにより、課題意識をもって自ら考え主体的に判断する力や実践力を育成する」「児童生徒一人一人が活躍できるように配慮し、達成感を味あわせ、自立心を養うような工夫」を指摘している。
第七に、人権教育のための「効果的な学習教材の選定・開発」を「命の大切さに気づくことができる教材、さまざまな人権問題に気づくことができる教材、それぞれの人権問題を深く考えるための教材、自分自身を深く見つめるための教材、技能を学ぶ教材など学習の目的に応じて多様に選定・開発する」と指摘している。
第八に、こうした課題を担っていく、「教職員の姿勢そのものが、人権教育の重要な部分である」こと、教職員同士の関係の豊富化、さらには「校長のリーダーシップの下、教職員が一体となって人権教育に取組む体制を整え、人権教育の目標の設定、指導計画の作成や教材の選定・開発などの取組みを組織的・継続的に行う」こと、そして各教育委員会による指導・助言・支援の役割と責任を銘記している。
三、 「第一次(案)」の問題点
こうした評価できる点がある一方で、残念ながら問題点も少なからずある。
第一に、人権教育の根幹と言える、部落問題をはじめとした個別具体的な差別問題の認識については、(注)として「基本計画」の文章引用がされるに留まっている点である。
第二に、「人権教育の指導方法等」にかかわって、例えば、人権教育と同和教育の関係性、同和教育と多文化教育との関係性、など理論的・実践的にも未整理な課題があルにもかかわらず、その整理が全くされていないことである。この未整理な点が、人権教育の系統性・継続性・具体性などを弱めている大きな一因であることを考えると、整理の重要性は高い。
第三に、具体的な差別問題を避けたことから生じているのだが、「自分の大切さと他人の大切さ」を認めることを重視しているが、まさにそれを奪ってきたのが部落差別などの「差別」であり、それゆえに被差別者のエンパワメントが重要であること(もちろん児童生徒全体のエンパワメントもだが)、この点からも家庭や地域との連携・協力が極めて重要であること、などの視点が欠落している。
第四に、「効果的な学習教材の開発」のためには、国の「開発」に対する支援のための役割や責任は大きいにもかかわらず、全く言及がない。2001-02年度にわたり文科省が人権教育教材などの収集・検討を進めてきた経過もあり、この点に対する国の役割と責任を明記すべきである。
第五に、戦後50年に及ぶ人権・同和教育は、部落出身者とその問題提起を受止め立場を超えて実践してきた教職員の取組みに大きく支えられてきたが、こうした自主的な教育実践に対する行政的支援の意義が全く触れられていない。今日、NPOとの協働が重視されてきているが、こうした視点からも教育実践への行政的支援が触れられるべきである。
四、今後の課題
今後の課題としては、次の二点を指摘したい。
第一に、今回の「第一次(案)」を実践現場において最大限活用すべきである。内容的に批判すべき点は批判するが、積極的に活用できる点も多々あること踏まえ、各教育委員会や学校・地域での取組みを大きく前進させていくための「追い風」として最大限活用すべきである。
第二に、この「第一次(案)」は、2004年度も文科省において、人権教育研究指定校等の実践事例を踏まえ、指導の改善・充実点を検討していくこととなっている。したがって、全国同和教育研究協議会などと連携し、全国各地の積極的な教育実践事例を集約・分析し、それを文科省・人権教育調査研究会議へ積極的に提案していく中で、「最終報告」をより良いものにしていく必要がある。
折りしも2005年よりは「人権教育の国連10年」の後を受けて「人権教育のための世界プログラム」が、初等中等教育における人権教育をテーマに始まろうとしている。この点でも、「第一次(案)」をより良い内容にし、「人権教育のための世界プログラム」の国内具体化の大きな一歩としていかなければならない。