講座・講演録

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2004.08.16
講座・講演録
月刊 ヒューマンライツNo.195(2004.06) より

座談会

大阪の部落史が、見えてきた
―『大阪の部落史』史料編近代・現代の刊行なる―

北崎豊二(大阪経済大学名誉教授)
秋定嘉和(部落解放・人権研究所副理事長)
里上龍平(大阪の部落史委員会元事務局)
司会  渡辺俊雄(大阪の部落史委員会企画委員)

はじめに

渡辺 大阪の部落史をまとめたいという話は以前からあり、『新修 大阪の部落史』(上・下巻)を編集しながら、今までどんなことが部落史の中でわかってきたのか、これからの課題はなにかを議論し、研究者の協力をお願いしてきました。そして1995年度からの10カ年計画で、部落解放研究所(当時)が中心となって「大阪の部落史委員会」という組織をたちあげ、部落解放同盟大阪府連と大阪人権博物館、現在は名称変更しましたが当時の府同促と市同促に入っていただいて、『大阪の部落史』編纂を始めたわけです。大阪府・大阪市の補助をいただきながらやっていくことになりました。

 当初、10カ年計画の前半の5年間は史料収集に費やしました。いろんな史料が思った以上に集まり喜んでいます。全体として10巻の構成で考えていて、ようやく2000年の春から第7巻第8巻(史料編 現代1、2)が出て、そのあとに続いて第4巻-第6巻(史料編 近代1-3)が今年の春までに出て、これで近代と現代の史料編5巻が出揃ったわけです。あとは史料編の前近代3巻と補遺、通史が残っているという状況です。

 そこで、部落史には関心があっても全巻通して読むのは大変ですから、近現代がそろったこの機会に、近現代を担当した大阪の部落史委員会の企画委員である北崎・秋定両先生や事務局の皆さんにお集まりいただき、史料紹介を兼ねながら、『ヒューマンライツ』読者の方にご案内をしたいということになりました。

 それでは、史料編の近代から、ほぼ章立てに沿って、北崎先生からお話し願います。対象とした時期は、第4巻が1868-1911年、第5巻が1912-1927年、第6巻が1928-1945年です。


第4巻-第6巻 史料編

近代1-3

-行政と町村合併-

北崎 まず第4巻では、大阪市の拡大、膨張のなかで周辺の町村、とくに西浜などの被差別部落が大阪市に編入されていくところの問題などについて、今までにないくらい多くの史料をとりあげたのではないかと思います。これを基礎にして今後周辺町村の合併問題の研究がなされるのではないかと思います。

 第5巻では、大阪市接近町村・接続町村の大阪市への編入と、舳松村の堺市への編入問題が大きなテーマです。とくに舳松村の編入問題では、いままでにない史料を使っています。ただ、史料編に入れたのは一部です。この問題については、『部落解放研究』(148149150号)に、私なりにまとめたものを発表しましたので、ご一読ください。

 第6巻の合併問題の評価は非常にむずかしいのですが、これは明治期の町村合併とは違った問題を含んでいるのではないでしょうか。それをこの史料を中心に深めていかなくてはいけないと思います。それから、これは現代になりますが、現代の町村合併とどのような違いがあり、共通点があるのかを考えていく必要があると思います。私は町村合併については時代とともに部落がどのように関わってきているかに関心を持って見ています。そうしたことを解明する手がかりとなる史料が4-6巻に掲載されており、合併の性格の違いや、特質がよく分かると思います。

 

-実 態-

秋定 実態については産業の史料が中心です。部落の生業が近代になって変わってくるなかで、枠が職業の自由によってはがれ、いろんな職業につけるということになりました。したがってかつてのように雑芸能や死牛馬処理などについて「非人」とか「穢多」といわれた人たちが特権を持てなくなって、近世以来の枠組みが変化していきました。

 しかし同時に、新興の部落産業というか、被差別部落の人たちにも新しい工業、職種に就く条件ができてきました。例えば、食肉関係は部落の資本です。史料を見ていただくと、それがわかってきます。

 もうひとつ特徴としては、これまでの部落史では、部落は貧困であると言われてきましたが、その一方で部落でも産業資本をもった人もいて、部落のなかにひびわれがでてくるというのが実態です。

 

-在日朝鮮人-

渡辺 次に、在日朝鮮人の問題です。部落史の史料集に在日朝鮮人の問題を入れたことについての評価はわかりませんが、いまの実態でも部落の中にかなりの在日の人が住んでいるわけですから、部落史という地域を基本にした歴史を考えていくうえで、この問題は欠かせないと思いますね。

北崎 ここで朝鮮人問題を取り上げたといっても、部落との関係のものを中心にしているというのが特徴で、そういう意味では大阪の部落史に入れたこと自体は問題ありません。

秋定 大阪には、関東大震災以降に朝鮮人の人口流入が始まるわけですが、大阪府としては上から内鮮協和会という組織を作っていきます。居住する地域は部落と重なる部分もあり、仕事でも部落産業と重なるところがあります。朝鮮人の運動団体が水平社と交流し、友好的な団体としてやっていこうとした史料も載せています。

 もう少し時代が新しくなって、朝鮮人の人口も多くなっていくと、ちょっと事態がかわり、部落と朝鮮人とが共存しながらも競合してくるという状況がおこります。差別意識が強くなり、部落のなかの共同浴場からは朝鮮人が排除されたりします。

 ただし、南王子村では朝鮮人が学務委員になったり、多奈川の部落では朝鮮人の遺骨の引き取り手がない時に、部落のお寺が引き取ったといった事実も、忘れてはならないと思います。

 

-自由民権運動と改善運動・融和運動-

渡辺 ありがとうございました。そういう広い意味での実態をふまえて差別をなくす運動がはじまるわけですが、明治期の個別のテーマとして自由民権運動を第4巻で組んでいただきました。その辺からご紹介ください。

北崎 部落差別の問題を民権家がどうみていたか、そして部落の人がどのように民権運動にかかわってきたかということをここで取り上げたと言ったほうがいいと思います。「自由と平等をめざして」というテーマがありますように平等に力点を置いた動きが早くから見られます。大阪では民権家が部落との関わりをかなり早くから持っています。それがあってはじめて、中江兆民が衆議院選挙で支持され当選するわけです。その前提となるものを、ここにかなり取り上げています。それから、後年、部落出身で代議士となる森秀次がどのようにこの運動にかかわっていったのか、どういうことをやったのか、という史料も載せています。

秋定 そういう民権運動を前提として、改善運動・融和運動が出てくるわけですが、この史料集のなかでは、森秀次、福原正雄、沼田嘉一郎などの動きをかなり積極的に取り上げたのが特徴ではないかと思います。

北崎 新しい新聞史料としては、関西日報という独立党(月曜会)の機関紙であった新聞があります。いままではそうした史料があること自体あまり知られていませんでした。短い間しか続かなかった新聞ですが、大阪府立図書館で見つけました。

里上 これは保管の状態がよくなかったのですが、図書館のほうでマイクロフィルムにおさめられました。このなかでは車夫の問題などがよく取り上げられています。

渡辺 『東雲新聞』は新しい史料ではありませんが、中江兆民が大円居士のペンネームで「新民世界」という論説を書いた直後に反論が載っていますね。部落の人間は服装が汚い、言葉づかいがあらい、食うものがまずしい、その祖先から気力、知力がとぼしいなど、差別されるのは差別される部落の側に責任があり、しかも先祖からのものだという意識が当時の自由民権家のなかにもあったことがよくわかります。

秋定 次に改善運動が出てくるわけですが、大阪でもけっして改善運動の経験がないわけではなく、それが後の水平運動に地域的にもつながっていきます。

 融和運動の時代になると、大阪府公道会がいちばん有力な団体ですね。

北崎 今回、融和運動、融和主義者を取り上げたことで、今後の研究の足がかりになるのではないでしょうか。ここに載った史料だけでは十分議論できませんが、きっかけとして活用するといいと思います。

 

-水平運動-

渡辺 水平運動については、第5巻第6巻に収録されています。

秋定 できるだけ地域が偏重しないように、糾弾闘争や労働運動・農民運動との連帯など、まんべんなく関係史料を収録したつもりです。官憲の側の史料ですが、大阪府内の運動団体の一覧の史料や、1933年の高松差別裁判糾弾闘争の時点での史料の発送名簿なども、貴重な史料だと思います。

 そんななかで、創立当時、木本凡人など部落外部からの応援があって、こうした人の役割は大きかったと思います。それから、朝鮮人との連帯の史料もあります。しかし、外部の社会運動や在日朝鮮人との連帯は進まなかったようです。思想や運動の上で水平社指導者層が階級闘争を重視したため、社会民主主義的運動や民族主義的独立運動への関心は遅かったようです。戦時下になって始まるようですが。泉野利喜蔵や北井正一が努力したのですが残念でした。

渡辺 例えば近代でいうと、大阪の中心はどうしても浪速の地域だと思われていますが、改善運動でも水平運動でも北区にあった地域がもう一つの中心なんですね。全国水平社も浪速に本部を置く前に、この北区の部落に本部を置きますからね。現在では地区指定をされていませんので地名を出せませんし、忘れられがちですが、指摘しておきます。

 

-改善事業・融和事業-

渡辺 大阪における改善事業・融和事業はどうですか。

秋定 大阪では、まず社会事業あるいは救済事業として発展します。済生会などが中心ですね。済生会が取り組んだ診療所の統計をみますと、今宮や西浜で大規模な事業を行っています。1920年代には、まだ南王子村や水本村などが中心のようです。

里上 昭和の大恐慌のあとには、応急の地方改善施設事業が行われますが、そのなかでも大阪市内の関係の史料を今度はかなり載せました。具体的な事業の内容まで、克明に追えると思います。

 そのことと関連して言えば、大阪市の公文書館は、不十分ではありますが、あの時期の改善事業のものが5冊そろっていました。ところが大阪府の公文書館にはそうした史料がほとんどなくて、融和改善事業は箕面市などの史料で相当補足しました。

 

-融和教育・同和教育-

北崎 教育に関しては、研究所がすでに『大阪同和教育史料集』全5巻という史料集を出しています。基本的なことについてはこの史料集に出ています。

 第4巻の近代教育と部落というテーマのところは、「部落学校」の問題と近代教育に部落がどのように関わったかを示す史料を多く出しています。

 第5巻では、有隣小学校、徳風小学校など勤労学校の問題を取り上げているのが大きな特徴ではないでしょうか。

秋定 先に「実態」で触れましたが、部落でも産業資本を持った人もいて、そういう人が教育の機会をつくり、部落の貧困な家庭の児童を有効な労働力にするわけです。大阪市には私立の勤労学校などが十数校ありますが、そのうち2校は部落にかかわる学校です。東京などではそうした勤労学校は早くから公立になりますが、大阪は私立で続き、昭和の始め頃にようやく公立化しました。

 第6巻では、少ないながらも融和教育、後の同和教育の実態を示す史料も収録しています。

里上 太平洋戦争中は考え方としては「これからは読み書きそろばんがきちっとできる人間を」という方向であり、これからはそうでないと生きていけない、というくらいの意識で、軍隊などもそうだったと思いますが、どうも実際にはなかなか言うほどのことはできません。

 職業の問題の関係でいうと、戦前と違い、戦後には格段に読み書きそろばんの能力が問われるようになりました。戦前は例えば大工や板前などの職業には識字能力を問われずに就けましたが、戦後は例えば国家試験という形で識字能力を要求されるようになりました。そのようなことが周りに出てくると、部落の人たちの非識字という問題が非常に深刻なものになってきました。

 

-文化・芸能・思想-

渡辺 文化・思想のところは、どんな問題意識で編集されたのでしょうか。

秋定 第4巻でいうと、芸能文化ですが、近世の見世物、河原者が近代にどうなっていくのかですね。違式註違条例という、今で言う軽犯罪法で取り締まられ、芸能の近代化が始まるわけです。

 ただし近代化と言っても、歌舞伎などのように賤視観をなくしていく部分と、大衆芸能のような社会的地位の低いままのものに分かれていきます。これを部落差別という視点で考えると、非常に難しいことです。

 もう一つの視点は、芸能の中の差別的表現要素。これは演じる側もそうですが、作者の側にもあります。

北崎 芸能に関しては、演者はどういうふうになっていたかということと、演じたもののなかでの差別の問題などが問われる、そういうことを主としてここで取り上げているのではないかと思います。近代になってからの変化と、実際に演じられたものの内容に対する問題、これらのことを多く取り上げています。

秋定 道頓堀でも障害者の見世物があったという議論がありましたが、あれを部落差別といえるかどうかは、わからないですね。

 それと、説経師の逵田良善の日記は、貴重ですね。坂田三吉ともつながりがあって、おもしろいですね。

渡辺 全国各地を歩き回っていて、どのようなところに行ったかわかり、また「あそこへ行けば誰がいる」というようなつながりが見えてきます。日記のかなりの部分を復刻した本『逵田良善日記』も研究所から出しました。

 それと、泉南のほうで改善運動を担った堀田又吉という方の日記も、一部紹介しました。

秋定 南王子村の青年団の機関誌『国之光』を見ると、「新平民と結婚するくらいだったららい病の人と結婚したほうがいい」という部落外の偏見に抗議するようなことが書かれていました。

 それから水平記者クラブはどうなんでしょう。

里上 新聞記事で見ただけですが、その後どのようになったんでしょうかね。在阪の各社の記者が加盟しているんです。難波英夫などが音頭をとって、「これからは記者も部落問題を勉強してしっかりとした記事を書かなければいけない」という主旨でつくったようですが、その後その人たちがどのような記事を書いたかは分かりませんね。

秋定 沼田嘉一郎が選挙で立候補したときに森秀次と決定的に違うところは、「納税者資格を撤回せよ」「戸主には必ず選挙権を持たせる」という2点を言っていますね。それが斬新でした。沼田の研究をしていけば、なぜ方面事業をやったかということがわかります。彼の目線の基準は所得階級であって、部落身分で切ってはいないということです。その目線の違いが大阪では強いのではないかと思います。また貧乏人がそれだけ多いということで、それが方面事業を発展させ、逆に部落解放の事業はそれだけ遅れ、または軽視されたということです。だから沼田は水平社から批判されるわけですが、再評価が必要でしょう。

 それと、浪速の部落の有力者は、龍谷大学に図書館を寄贈しています。こうした解放への意欲、取り組みも、融和運動だと否定せずに、正当に評価されるべきでしょうね。今でもその建物は、琵琶湖の東側にあるキャンパスに移築して残っているようで、見てみたいですね。

 もうひとつ、富田林の水平社の松谷という活動家が、部落は朝鮮人差別をたくさんやっているということを言っていますが、貴重ですね。

 

-宗 教-

渡辺 宗教のところは、章を起こしましたが、史料がなくて、担当の方には苦労していただきました。当初の予定では、必ずしも仏教の話だけではなく、キリスト教や神道から部落はどう扱われていたのか、排除されていたのかどうか、ということがあればよかったのですが、中心は仏教、それも西本願寺の動きが中心になりました。

秋定 真宗の教区内で1928年、同じ信徒のなかで部落の信徒に対する排除行為がありました。水平社の創立にあわせて、黒衣同盟という組織ができましたが、そこで似たような組織ができていますね。

里上 融和運動を進めていくところで、1930年代には、大阪府公道会が宗教者の動きを後押ししていますね。

 大阪に限定すると史料は少ないと思いますが、やはり部落は西本願寺系の寺が多いので、それが中心になるのはどうしてもやむをえないと思います。キリスト教とか天理教関係の史料が少しありましたが、実際にかかわりが少ないのも事実ですね。天理教の人に聞くところによると、大阪の八尾のほうに、どれくらいの範囲かわかりませんが少しは布教活動があったようです。

 天理教は明治に入ってから猛烈な布教活動を行っています。大阪府内のある村では一時みんなが天理教に改宗したという時期があったようです。ですから部落に向けての働きかけが当然あったと思います。


第7巻-第8巻 史料編

現代1-2

-実 態-

渡辺 では、第7巻第8巻、史料編の現代1と2について、少し私から発言したいと思います。

 現代では、「宗教」という章を独自には立てませんでしたので、全体としては八章立てになっています。町村合併も、現代1にはありますが、現代2には入っていませんので後ろに回しました。そんなことで、現代の章立ては、近代とは少し違っています。対象とした時期は、第7巻が1945年から1960年まで、第8巻が1961年から1974年までです。

 まず「実態」というところでは、不就学、不衛生という状況がこの時期の一貫した問題だということがわかります。むしろ戦後のほうが貧困という問題がより深刻になっているようです。貧困の度が進むということではないと思いますが、貧困の状態が放置されるということで周辺の地域と比較した場合、逆に目立ってくるということがおきてくるのでしょうし、そういうことでより問題として深刻になっていくのだと思います。

 1968年の時点でも、生江では火事で多くの死者が出たり、浅香では堤防の上に家が建っているということで注目されていたわけです。

 ただ、史料編を編集する際に、次のようなことを配慮しました。「実態」という言葉で考えるのは必ずしも貧困か豊かかということではなく、地域の中にあった既存の社会団体がどのように機能したかという現実も無視できないということでした。そういう意味で、広い意味で「実態」という言葉を使って検討してみました。同対審答申が出る以前、改善運動が本格的に始まる前までは例えば、婦人会や青年会、仏教青年団、消防団といった地域の団体の活動が、部落解放の推進力になっている場合がありました。それは住吉や池田のルポの例からもわかります。そのように部落のなかでどのような解放運動がおきていくか、どういう行政闘争がとりくまれていくかといったことを読みとってほしいと思います。

 

-仕 事-

 二番目は広い意味で実態にふくまれる「仕事」というものを少し取り上げ、露天商、靴直し、皮革のことだとか、一点くらいずつですが同対審答申前と答申後の状況がわかるような史料をそれぞれ載せました。

 十分な史料で追えたわけではありませんが、和泉の人造真珠などの様子を見てみると、戦時下にはアメリカへの輸出がとだえてたちゆかなくなり、アンプルを作るようなこともありましたが、戦後すぐ復活して1960年くらいまでは調子がよくそれが部落の生活を支えていました。しかし高度成長がはじまることで、中卒などの若年層が部落の外へ働きに行けるようになったり、地域のなかに残らなかったり、真珠を作る人たちの手間賃があがって単価があがり、安いがゆえに売れていたものがそういうメリットがなくなったため、むしろ中国、台湾などから追い上げがきて、人造真珠の輸入が増えてくることで危機に直面したという状況がありました。

 これも業種によって違うでしょうが、このように高度成長のなかで、いままでまがりなりにも残ってきた仕事が弱まってきたという様子が少し見えてきたと思います。その程度や影響は今後明らかにしていかなければならないと思います。

 

-在日朝鮮人-

 三番目は在日朝鮮人の問題を引き続き入れましたが、率直に言って第7巻にはまとまった史料がなく、唯一、朝鮮人の研究者が和泉の部落に入って調査をしているものがあるくらいです。

 1960年代に入ってくると、運動とのかかわりで、もう一度在日朝鮮人の問題が解放運動のなかでも関心をもたれてきます。部落の中には多くの朝鮮人が住んでいるわけですが、同和対策事業で建てられた同和住宅には部落出身者ではないので原則として入れません。日之出の住宅闘争の史料を入れておきましたが、要求組合の規約のなかにもはっきり構成メンバーの条件として「日本国籍をもつ」というのをうたうようになり、排除につながるわけです。同和対策事業として建った住宅である以上はこのような問題がおこってくるわけで、それを克服するには別の取り組みが必要になってくるわけです。しかし60年代始めのほうは解放運動のほうでも運動しきれていないということがあります。ただ、組織上の運動のいろいろな連帯だとか、民族学校の支援などは具体的におこってきているので、状況は変化しつつありました。こうした取り組みが、後の共同闘争、国際連帯の取り組みに発展していくわけです。

 

-差別意識-

 四番、これは近代編にはなかった項目ですが「差別意識」という問題を考えてみたいと思い、加えました。そこで入れたのは戦後おこってくる差別事件の史料ですが、そのなかで、できるだけ内容が明確に分かるものを取り上げました。糾弾闘争などは史料として多く残っていますが、新聞記事のなかの何が問題か、またはテレビのどういうシーンが問題で解放運動が何を問題にしたか案外分かりにくいものが多かったため、内容がわかる史料を拾い上げてみました。

 典型的な例でいうと、第7巻に収録した1954年の硫酸事件、1956年の朝日新聞の「文壇は特殊部落」という記事、また第8巻では1964年の信太山の自衛隊差別事件、1971年の中城結婚差別事件などがあります。糾弾闘争というのではなく、差別事件の中身をもういちど検証してみたいと思い、載せました。まあ、ざっといえば部落というところは特別なところで、牛や馬を平気で殺す人がいるからこわい、というイメージは案外、今でも続いているのではないかという印象です。

 

-解放運動-

 五章は運動に関する章ですが、従来からも、部落史とはいいながら運動史であり、実際には解放同盟の運動史を追うというもので、またそれしかできなかったという状況があります。ここでは数は少ないのですが、全日本同和会や部落解放同盟正常化委員会などの史料も少し入れています。

 またこれは解放運動といえるかわかりませんが、戦後、各地域で、かなりの数の生活改善的な運動が行われています。そのあたりは差別をなくす目的の運動ということで入れています。そのほかにも、解放同盟以外にも組合や市民運動を少し取り上げ、部落解放の多様な取り組みを記録しました。

 少し具体的に紹介すると、戦後の大阪の解放運動は青年同盟から始まったわけですが、青年同盟結成前後の事情については、かつて大阪府同和事業促進協議会(府同促)の会長だった寺本知さんがお持ちだった史料を収録しました。また、1955年に部落解放委員会から解放同盟に組織が変わる前後の史料や、1960年ごろ、今のJR桃谷駅近くにあった同和会館で開催された解放学校のスケジュールなども収録しています。いずれも第7巻です。

 第8巻、1960年代以降は、同対審大阪府民共闘会議の結成や浅香の住宅闘争、矢田教育差別事件、狭山差別事件への取り組み、郵便局連合部落解放研究会の結成、羽曳野の住宅闘争など、大きな闘争の史料を収録していますので、ぜひ読んで欲しいと思います。

 

-行 政-

 六番目は行政の取り組みです。戦後はあまり行政文書が残っていないせいか、それほど克明に追っていませんが、大阪の同和事業はオールロマンス事件以降に始まったのではなく、それ以前から取り組まれていましたので、そういう史料を載せました。同対審答申以降は、大阪は全国的にいっても先進的な取り組みがありました。また、大阪府の同和対策審議会の答申などはレベルの高いもので、そのあたりを載せています。

里上 私のほうでは現代の行政の担当をしましたのでお話しします。ひとつは、戦後の同和行政についてです。戦前の同和行政が、戦後どう引き継がれているのかということが問題になります。これは行政に限らず、たしかに戦後改革がありそのなかで憲法も変わりましたが、どうも行政の面では戦前を引き継いでいる色彩が非常に強くあるのではないかと思います。これは単に行政に限らず、いろんな面で戦前からの継続があり、それが部落の歴史にも同様に、戦前と切れた部分と引き継いだ部分があらわれているのではないかと、私はそのように理解しています。

 

-教 育-

渡辺 それから教育、これは戦前と同じで、また別途史料集もありましたので、なにをするかむずかしかったのですが、それでも当初は不就学、非行の取り組みから始まって、答申以降は30人学級を要求したり、自主教材を作ったり、それが『にんげん』に通ずるわけですが、そのような大阪の同和教育の取り組みが追える史料を集めました。

里上 戦後についていうと、大阪市に関する史料は公文書館に割合あり、今度の史料集にも何点か入れました。そのなかで、なぜか戦後、特に同対審答申の前までの史料を見るとその時期は運動にしても教育にしても、大阪は低迷して、というと言いすぎですが、それは我々がイメージしていた大阪の姿ではありませんでした。何が原因だったのか、私の中に疑問として残り、答えがえられていません。少なくとも先進地域のなかにおいてあまり進んでいませんでした。一般の受け止め方では大阪はずっと同和教育をひっぱってきたという印象がありますが、どちらかというと、先進的でなかったということです。それは指導者の問題も大きいとは思いますが。

 

-文 化-

渡辺 八番目は、現代編の場合は文化ということを大きく広げ、広い意味で部落差別をなくす様々な取り組みを跡付けてみました。例えば歴史研究、奥田家文書が発刊されたり、マスコミが特集を組みキャンペーンを行ったり、小説や映画などを通して部落差別をなくす取り組みがどのように過去あったかを記録しました。もう一つの文化の意味として、部落の外からの働きかけだけではなく、部落の中の文化的な取り組みも出しています。例えば、識字の取り組みや講座を開いて学習会を行ったり、機関紙・誌を出して文化的な取り組みをしたり、盆踊りなど伝承文化の継承などを紹介しています。

 なお文化の取り組みについて言えば、1955年の部落解放同盟大阪府連の大会で、部落の文化を高める闘いで大切なものは、部落に伝えられている文化を発展させることであり、人間としての自覚と誇りを高め解放の精神を強めることであり、そのためにはまず自分たちの文化を発見し確認することが重要だとしているのは、早い時期の指摘として特筆すべきでしょう。

 

-町村合併-

渡辺 最後に『史料編 現代』としては第7巻だけですが、やはり町村合併の問題も少し取り上げています。どのように位置づけるかはよく分かりませんが、部落のなかにも積極的にほかのところと合併しようとするところとそうでなかったところがあったと思います。和泉の部落は人口が増えるし、周辺地域との格差はひどくなるし、合併しようとするところの典型ですね。

 和泉の部落の場合、周辺の町村では部落との合併を受け入れるかどうかで対応が分かれました。泉大津市は合併してもいいが、ほかの町村は絶対反対ということもあります。結局は和泉町を含めた合併になるのですが、このように条件によって多様な反応がありますが、いずれにしても部落を含んだ地域が合併されることで、部落問題がより広い人びとの問題になったような気がします。


史料収集の苦心など

編集部 ありがとうございました。ところで、今回どのようにして史料を集めようと出発し、またその結果どうだったのか、ご苦心も含めてお話していただきたいのですが。

里上 とにかく公文書に関するものは公文書館へ、また各市町村の市役所等がひきついで持っているところや市町村史の編さん室の所蔵しているものについては全部当たろうということになり、大阪の南から北へ探し回りました。公文書館には目録がありましたが、市町村では目録を備えているところは少なく、苦労しました。

 そうしたなかで大阪市は、一貫してというわけではありませんが、比較的史料が残っていました。しかし大阪府の史料は、いろいろ打診をしてみたのですがほとんど出てこず、府の公文書館も関係史料はほとんど持っていませんでした。各市町村では議会の議事録はありましたが、同和事業についての一件書類のようなものはひょっとして出てくるかもしれないと思ってきいてみましたが、戦前のものは少ししかありませんでした。

 あとは図書館ですね。これは一応あたりました。できるだけ初出の史料ということを探索しましたが、実際にはなかなかそうはいきませんでした。あと、研究機関としては、法政大学の大原社会問題研究所の史料を、相当使わせていただいています。


今後の課題

渡辺 最後に。先日ようやく五冊目の史料編が出まして、今、前近代の史料編の編集にかかっております。すでに校正にかかっていますので、来年の春を待たずに、年内にも6冊目、第1巻が出るのではないかと思います。第1巻は古代・中世・近世の初期の史料集です。もう一つ、「考古編」というのを入れ、いろいろな動物を発掘した跡などについても紹介していただく予定です。大阪の部落史の一つの特徴になると思いますが、時代としては近世まで含まれています。

 それから、これはどこまで実現するかわかりませんが、今日のような議論を何度か繰り返しながら、教育や啓発の現場で使える教材化の方向を探りたいと考えています。教材化といっても、ただ史料をコピーすればいいというものではありません。議論を何度か重ねるなかで、教材としてどういうことを考えるのか、何を注意しなくてはいけないか、今までに教材化したものを検討することを考えております。

 今後ともよろしく、お願いしたいと思います。

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