講座・講演録

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2004.12.15
講座・講演録
第255回国際人権規約連続学習会
世界人権宣言大阪連絡会議ニュース267号 より

国連持続可能な開発のための教育の10年の経緯と日本の課題

阿部治(「持続可能な未来のための教育10年推進会議」
EDS-J運営委員長・立教大学社会学部教

持続不可能から持続可能へ

 「国連持続可能な開発のための教育の10年」(以下DESD)は日本のNGOと日本政府が2002年に行われたヨハネスブルグサミットで共同提案したことから始まっています。それを受けて私たちは「国連持続可能な開発のための教育の10年推進会議」という組織を立ち上げ、現在では様々な分野のNGO約90団体が加盟して、いろいろな活動に取り組んでいます。

 しかしこのDESDがその目的を達成するにはNGOだけでなく、政府が国内でのイニシアティブをいかに発揮するかに掛かっていますが、なかなか動こうとしないのが現状です。国際的にはユネスコが実施計画を先日策定したなど、様々な機関が動き始めています。そこで皆さんにもDESDへの理解を深めていただき、中央政府への働きかけのみならず地域からの取り組みを広めていってもらうために今回は環境教育を通じて、DESDについて話していきます。

 今日、私たちの暮らす社会は実に多くの問題を抱えています。例えば地球温暖化や異常気象に代表されるような環境問題、資源・エネルギー問題、食料・人口問題、開発と貧困、人権や平和・民主主義の問題などで、実に大変な状況にきています。

 国内的に見ても同じで、自殺が日常化してしまっているような生きることの出来ない社会で私たちは生きています。いずれにせよ環境問題が非常に悪化し、平和が脅かされる社会は目前に迫っているのです。つまり現代社会は持続不可能ということです。ですからこの持続不可能な社会を持続可能な社会にし、持続不可能な自分を持続可能にしていくことこそが私たちの世代に課せられた最大の課題なのではないでしょうか。

 この課題に応えるために持続可能な開発の概念が生まれてきたのです。これは使い方によっては環境を保全したいとする先進国側とまだまだ開発を進めたいとする途上国側の両方に良い顔が出来る都合の良い言葉ではありますが、その意味は将来の世代のニーズを奪わない範囲で現代の世代のニーズを満たしていくというものです。

 もっと分かりやすくいえば将来世代の選択肢を奪わない範囲内で現世代のニーズを満たす開発ということです。そしてそれを進めていくには貧しい人びとにどう答えるのかと、環境の限界をどう知るのかに留意しなければならないとしています。今の私たちの生活は全て将来の世代の選択肢を奪っています。つまり再生可能な資源を再生不可能にして、再生不可能な資源を浪費しているのです。

持続可能な社会を築くための要素

 では持続可能な社会を築いていくためには何が必要なのでしょうか。まずは「世代内の公正」と「世代間の公正」と「人間と他の生物種(自然)の関係における公正」という3つの公正の視点が重要です。具体的には世代内では人権や貧困の問題、世代間では原子力発電の放射性廃棄物処理の問題などがあげられます。

 人間と他の生物種との関係では地球が誕生して以来人間の生活によってこの100〜50年ほど多くの生物種が絶滅した期間はないといえます。しかし今日の先進国のような大量生産・消費のスタイルを世界的に求めれば次の世代に資源を残せません。しかし、次の世代に資源を残せば他の生物種を残すことになります。つまり全てが連動していて、これらの公正をいかに実現していくのかが重要なのです。

 持続可能な社会を築くために公正とともに重要なのが、自然と社会と人間という3つの持続性です。私たち人間は自然が健全でなければ生きていけないのは明らかです。そしてこの健全な自然というのは物がしっかり循環し、自然や生物の多様性(遺伝子・種・生態系の多様性)が保たれている状態です。つまり自然にはそういった持続性が求められています。  

 次に社会の持続性についてですが、かつて神戸で起きた酒鬼薔薇事件で犯人の少年が犯行声明文に「透明な存在である僕」と書いていたのを憶えているでしょうか。これは他者や自然とのコミュニケーションを絶ったために、他者との関わりによって生かされている自分の存在が見えなくなっているために存在意義がない、つまり「透明」だと感じているのだと思います。当時多くの人がこの事件にショックを受けましたが、同時にその犯行に類似した若者の凶悪犯罪もその後多発している。そしてこのような「透明な存在」は若者だけではなく、大人にも増えています。

 つながりがどんどん消えて、社会として持続し得ない状況にきています。文化もその最小単位である食文化が加工食品の消費が増えていることからも分かるように廃れてきていますし、経済も環境の限界を超えて活動しています。これらを持続可能なものに変えていかなければならないのです。

そして3つ目が個としての人間をどう位置づけていくのかという問題で、また先の3つの公正と3つの持続性をどう具体化していくのかが持続可能な社会を築いていく上で非常に重要です。そのために地域では人と自然・人と人との関係を回復させ、世界的には経済・平和・人権・民主主義の視点から全ての国が同じスタートラインに立てるように取り組んでいかなければなりません。そのプロセスが環境教育だと私は思っています。

環境教育とESD

 従来の環境教育は自然や大気汚染の問題などに焦点を当てましたが、次第に「環境」概念の範囲が広がっています。あるいは環境問題は環境だけでは解決できない、社会的公正や人権・平和の問題とリンクした問題であると捉えられるようになってきた結果、環境教育も様々な課題のつながりを創造する力を養うものへと変わってきました。

 つまり今のつながりでは自分も相手も社会も持続できないのだから、どんなつながりならば自分も相手も社会も未来の人も持続できるか、それを豊かな感性の下で想像し、そして更にそれを創造する力を育んでいく教育になってきています。

 具体的には幼児期・学齢期・成人期という生涯学習に当てはめると分かりやすいのではないでしょうか。幼児期においては直接体験を通じて自然や人と直接触れる感性の学習、学齢期では自然や社会の仕組、あるいはそれらとの折り合いをつける知識や技術を学びます。そして成人期には先の幼児期・学齢期に学んだことを基に前述の持続性を具体化するために直接参加します。これが今日の広義の環境教育です。

 こういった環境教育が登場してきたのは、80年代に入って地球環境問題が顕在化してからです。オゾン層の破壊や温暖化に代表されるこの問題は様々な問題がリンクした複雑な原因があり、一度事態が深刻化すれば回復は困難という特徴があります。それが明らかになった頃、92年に地球サミットで行動計画が採択され、そこで「持続可能な開発」という言葉が世界に提唱されたのです。そしてその後ユネスコは環境教育を環境・人口・開発教育、あるいは持続可能な未来のための教育と呼び換えるようになり、94年にこれを平和・人権・民主主義・寛容と合わせて最も重要な教育課題として位置づけました。更に97年にギリシャのテサロニキで開いた世界会議ではテサロニキ宣言を採択しました。

 ここでは持続可能性という概念は環境だけではなく、貧困、人口、健康、食料の確保、民主主義、人権、平和をも包含するものであって、環境教育を「環境と持続可能性のための教育」と表現してもかまわないと宣言しています。これ以降、国際機関やNGOとが環境教育と併せて「持続可能な開発のための教育」(以下ESD)の言葉を用いるようになりました。

 では環境教育からESDに変わって、具体的な教育内容はどう変わったのでしょうか。従来の環境教育は個人の態度の変容を主として目指してきましたが、問題は社会変革をどう起こしていくのかにあるためESDは参加型・合意形成型学習などを通じて多面的な見方やコミュニケーション力などを育んで、人間の尊厳や多様性・共生を重んじる価値観を持った人を育てていこうとしています。

国内外のESDの動向

 日本でも国際的な動向と同様に様々な課題をリンクさせた持続可能な社会を目指す総合的な環境教育が地球サミット以降に登場しています。またそれにつながった取り組みが地域・自治体・企業でも始まっていて、90年代に入ってからは昨年の環境教育推進法制定に代表されるように、環境教育に関連した法律・条文が多く制定されています。

 日本の環境教育において重要な位置を占めているのが総合学習で、これは子どもたちの生きる力を育むために年間100時間程度設けられた新しい教育です。従来の教育では様々な教科を通じて環境問題を学んできましたが、教科別のために自分たちの生活にマッチしてきませんでした。

 そのバラバラに学んだことを自分の生活でつないで具体化していく場が総合学習の時間です。つまり環境や福祉や人権などをテーマに総合学習することで子どもたちに自分の存在意義を気づかせて「透明な存在」にならないように、社会参加を促していく時間なのです。このように総合学習はESDの典型的な例であるにもかかわらず、現在これは残念ながら風前の灯になってしまっています。そこで私はこのDESDを契機に総合学習の見直しを文部科学省に働きかけており、何とかして総合学習を残していきたいと考えています。

 国連は2000年に国連ミレニアム宣言を採択し、21世紀に向けた国連の役割の明確化と再方向づけに向けて平和と安全、開発と貧困、環境、人権とグッドガバナンス、アフリカの特別なニーズをテーマに、極度の貧困と飢餓の撲滅や普遍的初等教育の達成などを2015年までに達成することを国連ミレニアム開発目標としました。そして迎えた02年のヨハネスブルグサミットで貧困の撲滅やグローバリゼーションの光と影への対応などが課題として取り上げられました。これを受けてヨハネスブルグ宣言では私たちが直面する課題への挑戦として、生産消費形態の変更やグローバリゼーションへの対応など様々な事柄が宣言されました。

 こういった背景の下で私たちはDESDを02年9月ヨハネスブルグサミットで提案し、02年12月国連総会で決定しました。04年10月に国連総会でユネスコ実施計画が承認され、05年1月からDESDは実施されます。そしてその間、中間評価を行うというのが一連の流れとなっています。

DESDの目的と今後の課題

 DESDの目的は次の5点です。

  1. 持続可能な開発を求めて学ぶことへの輪郭を明確にする、
  2. ESDの利害関係者間で連携やネットワーク、交流や交互作用を促進する。
  3. あらゆる形の学習や人々の気づきを通じて持続可能な開発のビジョンをより洗練させ、促進するための場所と機会を提供する、
  4. 持続可能な開発のための教育、学習の質の向上を図る、
  5. ESDの能力を強化するための戦略をあらゆるレベルで策定する、

です。

 これに対して日本のNGOは世界にDESDを提案した当事者として何をすべきかを考え、DESDを契機にESDを推進するため、政府、地方自治体、企業、教育関係機関のカウンターパートとなろうと「国連持続可能な開発のための教育の10年推進会議」を立ち上げ、国内のNGOをつないで大きな力としていこうと取り組みを始めました。

 しかし日本の実施体制は外務省をまとめ役として文科・環境・国土・農水・経産の6省庁が省庁連絡会を作り担当していますが、遅々として進んでいないという問題があります。その意味では街づくりや総合的教育の仕組を作りたいと思っている地方自治体のほうが、地域の存続のためにはESDが格好のテーマだといえますし、中央よりも元気があって進んでいるといえます。

 以上のような背景において持続可能な生産・消費スタイルへの転換など、日本における多くのDESDへの課題に取り組んでいかなければなりません。

「持続可能な開発のための教育の10年」推進会議(ESD-J)

 ESD-Jの活動・5つの柱 2005年に本格的にスタートするESDの10年。日本各地でESDへの取り組みが活発化し、ESD−Jのミッションを具体化していくための活動を、積極的に推進していきます。

■ 情報提供 …ESDに関する国内外の情報を収集し、HPやメールマガジンで発信します。
■ 教育出版 …ESDに関する冊子や書籍を発行するとともに、学習会の開催、講師の派遣などを行います。
■ 政策提言 …より良い政策や具体的な取り組みを実現していくため、ESDに関する日本のNGO/NPO・市民の声を提言として発信し、政府、地方自治体、国際機関、企業、教育関連機関などに働きかけます。  
■ 地域ネットワーク推進 …..各地でESDをキーワードに活動している人や団体がつながり、地域の中でESDを実現していくためのネットワークミーティン部の開催や、全国レベルの交流の場作りを支援します。
■ 国際ネット−ワーク推進 …..アジア太平洋地域を中心とするESDに関するNGOネットワークと連携し、国際的な活動を側面から支援します。

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