講座・講演録

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2005.01.07
講座・講演録
(部落解放研究第37回全国集会講演より)
(『部落解放』2004年2月増刊号(530号)
「部落解放研究第37回全国集会報告書」、解放出版社)
地方分権時代の人権・同和行政

炭谷茂(環境省事務次官)

私と同和問題

  私は20年ほど前から、ある一つのことを自分の人生の過ごし方としてきています。それは、私たち役人の仕事は、ほぼ2年ごとに異動があって変わるけれども、ポストを離れても、その仕事は生涯の仕事としようということです。ポストを離れても生涯勉強し、活動して生きたい、死ぬまでその仕事を続けたいと思っています。

  私はいまは環境省にいますが、厚生行政で大半を過ごしました。たとえば重度心身障害児の問題があります。私はこの問題に接して、福祉の仕事をしてよかったと思いました。重度心身障害児には施設や病院で生涯過ごさざるを得ないという人もいる。そうであればせめてその施設が楽しいもの、明るいもの、過ごしやすいものにできないか、重度心身障害児のディズニーランドのようなものができないかと、10年前に考えました。仕事を離れてもそのことを考えて、10年間も人間が何かを追求するとできるもので、今年の3月に北海道で、このような考え方に基づいた施設づくりがスタートしました。私はいま毎週、法政大学で福祉を教えていますが、これに感銘した学生が、この夏休みにその施設に勉強に行きたいと言いましたので、2人の女子学生を紹介して、行ってもらいました。たいへん感激して戻ってきました。

  このように私は、ポストを離れても、その仕事に関心を持ち、勉強して、仲間とともに死ぬまで活動を続けていきたいと思っていますので、テーマはたいへんな数になります。そのなかでも私が現在一番心配している課題、重い課題は、同和問題・人権問題です。

  2002年3月、特別措置法が切れた後、現在の同和行政が、はたして正しい方向、あるべき方向に行っているのかと思うと、どうも少し違うのではないか、地方によっては、「特別措置法が切れた後は、同和行政はやってはいけない」とか、また、「これからは同和行政ではなく、ひろく人権行政としてやらなければならない」という誤った考え方、誤ったというよりも、むしろ意識的なのではないだろうか、と心配しています。もちろん行政ですから、課題がなければやる必要はないのですが、同和問題の状況をみると、課題はまだまだあるのではないか。

  私が総務庁地域改善対策室長時代に、最大の苦労をした仕事は、1993年の「平成5年度同和地区実態把握等調査」の実施、分析、評価でした。要約すれば、物的事業についてほぼ終わったが、教育、就労、生活、福祉など、差別の事象はまだまだ解決しなければならない問題がある、という指摘でした。それから約10年。これらの問題は解決したのかということです。問題をみる場合は、なんらかの科学的な調査、もしくは具体的な事例から考えるべきですが、残念ながら、現在の全国的な実態調査はありませんので、推論せざるを得ません。

  93年の実態調査時から現在の状況をみると、むしろ日本の経済、社会は悪化している。たとえば、95年の生活保護状況は0.7%という史上最低の被保護率でした。しかし、その後どんどん上昇し、現在は1%前後になっています。これに象徴されるように、93年以後の状況は、弱い層に打撃を与えていると推論できます。千葉県の2001年の実態調査においても、同和地区世帯の所得の状況、生活状況は悪化しているという資料が出ています。これは私の推論を裏付けるものです。

「社会からの排除」という問題

  しかし、さらに重要なことは、10年前に私が気づかなかったような新たな問題が、わが国に生まれているのではないだろうか。その代表的なものがホームレスの問題です。

  私は、厚生省社会・援護局長のとき、大阪城の周辺や西成区のホームレスの状況を視察して愕然としました。これは1999年のことです。そのときのホームレス問題についての国の認識は、あくまで地方自治の問題だから、地方がやるべきものだ、国としては特にやるべきではないという原則でした。しかし、一地方自治体の手に余るということで、国の関係省庁と地方自治体が集まり、ホームレス関係連絡会議が設置され、その副委員長に私がなりました。そしてその年の5月に、今後の基本的な方針について定められました。それはわが国の社会政策上画期的なことだと思います。ホームレス問題が初めて国の仕事として位置づけられた最初のものだと思います。2002年8月には法律もできました。しかしそこで重要なことは、ホームレスの6,7割は、仕事がしたくても仕事がない、社会から排除されるということです。その状況はいまも変わっていません。

  私はいま、仕事としてはホームレス問題から離れましたが、冒頭でお話ししたように、この問題は生涯の仕事として活動していかなければならないと思い、2002年5月に大阪の釜が崎を中心に、ホームレス問題を解決するためのまちづくりについて研究する集まりをつくりました。最初は10人程度の小さなグループでしたが、ホームレスを支援するNPOの人、地域の商店街の人、簡易宿泊所の経営者の人、地元の大阪府、大阪市の社会福祉の関係者など、たくさんの方の輪ができました。

  そのなかで、いい方向が見えてきました。住居と仕事の問題が重要ですが、仕事の問題でも、技術をもっている人がいる、農業の技術がある、また、これからは環境が重要だから森林管理もあるのではないか、という話が出てくる。西成区にはお互いに助け合う土壌が残っている。だから、私のような外部の人間が働きかけても、50人、100人という輪ができました。

  このようなホームレスの問題というのは、社会からの排除の問題です。同じような問題が、中国残留孤児の問題であり、また、在日外国人の問題にもある。排除というのは外へ出そうという力であり、それに対して、自分たちの殻に閉じこもってしまう、いわば社会から孤立してしまうという新たな問題も最近目立っています。その代表例が児童虐待です。私は1981年から84年まで、イギリスで仕事をしていましたが、そのときイギリスの児童虐待はたいへんだと、いろいろな人から聞きました。その当時、日本では、むしろ過保護が問題になっていて、児童虐待については関心をもつ人は少なかった。事実、1990年の児童相談所の児童虐待の相談件数はわずか1000件、今日ではその20倍の2万件になっています。

  ヨーロッパの児童虐待は男が暴力をふるうというケースが多いのですが、日本の児童虐待は、若い母親が、孤立して、だれにも相談できないために悩んで虐待にはしるケースが多い。まさに社会から孤立した典型的な例だと思います。このほか、高齢者の孤独死も孤立の問題です。また、自殺者が多いというのも、悩み事を打ち明けられない結果ということもあるでしょう。いまや3万人が自殺するという時代です。

人権問題は個別・具体的

  このように10年前では、あまり指摘されなかった問題がいま起こっています。従来の社会問題は貧困という尺土で測ることが多かったが、いまでは社会の排除、孤立、という尺度で問題をとらえなければいけない。新しい問題が加わったのです。なぜこうなったのか。地域も家庭も崩れはじめています。企業でも簡単にリストラする時代です。そしてさらに加えるに、日本の社会自体が他人に対するあたたかい心、社会の絆というものを失いはじめているのではないかと思います。

  このような問題認識のもとに、私たちはどのように考えればいいのかということです。私はものごとをすすめる場合、一番重要なことは、その行動の原理原則をまず明らかにしなければいけないと思っています。

  私は、このような同和問題の状況、またひろく社会の問題に対応するために、あえて二つの原理原則を掲げています。一つは、人権に基本をおくこと。それは「同対審答申」に書かれていますが、しかしその人権のとらえ方が心配です。すなわち現在の人権のとらえ方は、一般的・抽象的なのではないか。一般的・抽象的な人権問題というものはありません。個別・具体的に人権問題は生じます。しかし、いまの人権行政のすすめ方は、ともすれば標語行政、「人権を大切にしましょう」という抽象的・一般的なものに終わっているのではないか。これではだめです。たとえば障害者問題、児童虐待問題、というとらえ方が重要だと思います。

  そして次に、人権問題は抽象的なものではなく、実体につながっているものだということです。障害者問題であれば、毎日の生活、毎日の移動、毎日の仕事といったような、生きていくための生活の問題、実体の問題につながっている。人権問題は個別・具体的であり、そしてそれはあくまで実体に根ざしているということを、しっかりとおさえなければ正しいものごとのすすめ方にはなりません。

  同和問題についても同様です。同和問題というものを個別・具体的にとらえ、そこに生じている問題、1993年の実態調査で明らかになったような実体的な問題を解決していくということが重要だと思います。

ソーシャル・インクルージョンの理念

  第二の原則は、ソーシャル・インクルージョン。これは日本語に訳すのがむずかしいのですが、「社会の仲間に入れていく」と訳しておきます。さきほど、新しい社会問題は、社会からの排除、孤立として生じていると言いましたが、同和問題も同様の部分があります。そこで新しい理念としてソーシャル・インクルージョン、つまり社会の構成員としてしっかりと位置づけていくという新しい理念が必要だと思います。

  この理念は、そう古い理念ではありません。10年ぐらい前にフランスで言われはじめました。フランスはもともと農業国ですから、人のつきあい、地域の結びつきがたいへん強い。そういう国でありながら、社会から排除していくという動きが強くなりはじめた。その典型例は外国からの移民者に対する扱いです。第二次世界大戦後、フランスは世界大戦の戦禍から復興するために単純労働者としてアルジェリアなどの旧植民地から多くの人を招き入れ、それを活用してフランスを復興させました。復興が成ったあと、失業者が増えていく。そうすると失業の原因は外国人のせいだ、外国人を追い出せという排除運動が強くなる。そこでフランス政府は外国からの移民者、失業者、覚醒剤や薬剤依存症の人たちなど、社会から排除されやすい人たちを社会の仲間として入れていくような政策をとりはじめた。1998年にはそのための法律をつくりました。ブレア政権もソーシャル・インクルージョンを政策のトップに掲げました。私はそのころ、このソーシャル・インクルージョンという考え方は、同じじような状況がある日本でも活用することが必要だと考えました。

  ソーシャル・インクルージョンは、単に困っている人に社会保障給付をするだけではなく、社会のなかで教育を受け、仕事を見つけ、生活をしていくということです。また、ソーシャル・インクルージョンの活動は、市町村などよりもっと小さい地域で行われ、活動の主体は、行政だけではなく、住民、労働組合、企業、NPOなどいろいろな団体がいっしょになって行うこと、そして、単に福祉だけではなく、教育、就労、住宅などを包括的に活用していくことです。

  しかし、このソーシャル・インクルージョンが日本で定着するにはまだまだ時間がかかると思うし、どのようにしたらいいのか、私自身、研究の過程です。できれば、日本でソーシャル・インクルージョンを研究するための研究会を2004年2月につくりたいと思っています。2004年2月にはソーシャル・インクルージョンについて勉強し活動している人たちがイギリスから来日しますので、その人たちといっしょに勉強することを最初のスタートにしたいと思っています。

ソーシャル・インクルージョンとまちづくり

  ソーシャル・インクルージョンを実際にどうするのか、ということですが、有効な方法は二つあると思います。

  一つは、まちづくりの手法で行うということです。同和問題のように、そこに生じている教育や就労の問題というのは、まちの中で発生している問題です。この場合、まちというのは同和地区の中ということではなくて、市町村など大きくとらえるほうがいい。

  まちづくりというのは、1970年代から日本で言われてきましたが、成功しているところはあまりありません。私が出会ったのはイギリスのCAN(Community Action Network = キャン)という団体です。訳しますと「地域の活動の結びつき」。CANとの出会いは3年前です。私は日本とイギリスの間で、高齢者、障害者問題についての交流活動をしていました。その一環として、イギリスからCANの事務局長に来ていただきました。CANの活動を聞いて、たいへん衝撃を受けました。

  ロンドンの東にイギリスで第二のスラム街ブロムリ・バイ・ボウという地域があります。そこでは50カ国語が話されている。つまり最低50カ国からの移民で構成されている町です。そこでいまから10数年前に母子家庭の母親がガンで亡くなった。まだ20代の若い母親でしたが、医療制度、福祉制度が完備したイギリスにおいて一度も治療を受けることなく、一度もソーシャル・ワーカーの訪問を受けることなく亡くなった。これを自分のことのように心配したブロムリの住民たちは、ただちに保健医療期間、福祉機関に対して、なぜ対応できなかったのかと追及します。保健福祉当局は、情報がなかったからできなかったと回答しました。それなら自分たちでこのブロムリをよくしていこうと思いたちます。

  まず自分たちで診療所をつくる。日本円で1億9千万円かかったということですが、そのうち8千万円は国からの補助金、残りの1億1千万円は金融機関からの借り入れでまかなった。その診療所は成功して、地域の保健医療の向上に寄与しました。次に保育所をつくる。木造の居心地のいい環境の保育所をつくる。次には日本で言えば各種学校のようなものをつくる。そのなかにバレリーナの学校をつくる。ブロムリには若いときにバレーをしていた女性がいて、その人を先生にした。その先生には報酬が払われるし、習った子どもたちは自信をもつ。そこからトップクラスのバレリーナが生まれたということです。そして次には住宅建設が必要だと、5千戸の住宅を自分たちの手でつくりはじめた。

  このようにCANは自分たちで地域づくりを始めました。そしていまやブロムリ・バイ・ボウというイギリス第二のスラム街は活力を取り戻し、活気をもちはじめたと聞いています。

  CANの要素としては、第一は、ニーズ本位に考えるということです。住民にとって何が一番必要か、法律があるから、組織があるからやるのではなく、ニーズをまず考える。第二は、利用できるものはなんでも利用する。補助金や企業からの寄付金、英国航空、コカコーラ、英国ガス、あらゆる大企業に出資を求める。CANに出資すればこういうメリットがあるというやり方で金を集めた。第三には、ソーシャル・アントレプレナー(社会的起業家)、社会的な事業を行う起業家だという精神でやる。第四には、根底には、人権、住民参加、個人の尊重といった理念を据えているということです。

市民社会づくりを

  シャル・インクルージョンの具体化のための第二の手法として、市民社会づくりということが重要です。21世紀の市民社会は、住民、企業、団体、地方自治体が対等の関係になって、環境の仕事、福祉の仕事、人権を向上させる仕事、医療の仕事、文化の活動と、さまざまな仕事をつくりあげていくことが、21世紀の新しい手法ではないかと思います。

  がまちづくりとどう関係するのか。まちづくりの限界は、地域で終わっていることです。市民社会は、対等の関係になったものが、さらに横にひろがり、日本全体につながりをもってくるということです。日本の社会は縦社会と言われますが、これからは横の社会も形成されていく。一つの目的をもった横の社会です。環境の問題、文化の問題、人権の問題、福祉の問題、それぞれの特定のテーマをもとにした横のつながりができていく社会ではないかと思います。

  ような考え方に基づいて、今年7月に、環境保全活動・環境教育法という法律が議員立法でできました。住民、団体、企業、地方自治体が横の関係になって、環境を守る、環境教育をやっていこうという、新しい発想の法律になっています。まさに市民社会の法律です。

  ソーシャル・アントレプレナーと言いましたが、市民社会においてはさらにシビル・アントレプレナー、市民社会の活動家、市民社会起業家、というものも活動が望まれると思います。