講座・講演録

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2005.04.28
講座・講演録
第260回国際人権規約連続学習会
世界人権宣言大阪連絡会議ニュース272号 より
今、あらためて教育基本法を考える

大内 裕和さん(松山大学教員)

茶色の朝

 教育基本法は教育の憲法とも呼ばれており、日本国憲法と同時期に制定された教育の最高法規です。それだけ重要な法律なのですが、学校現場に直接関わりのない人にとっては、名前は聞いたことがあっても内容は知らない状況になってしまっています。そして今、その教育基本法が改悪されようとしているのです。そこで今回は教育基本法の重要性、学校現場の状況、与党による教育基本法改正に関する動き等について話していきたいと思います。

 さて皆さんは『茶色の朝』という本をご存知ですか。これはフランスの心理学者フランク・パヴロフ原作の寓話ですが、フランスで茶色と聞くとすぐにファシズムや全体主義が連想されます。なぜなら茶色は初期のナチスドイツの制服の色であったために、ヨーロッパでは特別の意味を持っているからです。   

話を簡単に説明すると、登場人物は「俺」とシャルリーの二人。この二人が暮らす町では茶色以外のペットを飼っている者を罰するペット特別措置法が制定され、二人は法律に従って飼っていたペットを安楽死させ、ペットを買い換えた。そしてその後も同様の特措法がどんどん増えて新聞は茶色新聞になり、行きつけの喫茶店は茶色喫茶店になり、二人が好きだった競馬も茶色記念というレースだけになってしまいました。二人はそれまで読んでいた新聞が読めなくなったり、競馬が一つしかないことに不満を感じつつも、新聞が読めないわけでも競馬が全くできないわけでもないという思いと、日々の忙しさの中でこれらの法律を受け入れていって、町は茶色一色になっていきました。ところがペット特措法が過去に茶色以外のペットを飼っていた者も罰すると改正されて、シャルリーも逮捕されてしまいました。    

この話の最後は「俺」の部屋のシーンで、朝目覚めて窓を開けると外は茶色。そして自分を捕まえに来た警察がドアをノックするところで終わっています。

この本はフランスで極右政党の党首ジャン・マリー・ルペンが大統領選挙の決選投票にまで残り、ルペンを大統領にしてはならないという運動が起こっていた時期に出版されました。最終的にルペンは大統領になりませんでしたが、今やこの本はフランスよりも日本で重要になってきていると私は思います。なぜなら日本の一部の地域は既に茶色になってしまっているからです。それは東京都です。

ルペン同様の排外主義者で、外国人や障害者や女性に対して堂々と差別発言をする人間が知事を勤めている東京都。このファシスト石原慎太郎の政策を象徴しているのが10・23通達事件です。

10・23通達事件

 一昨年の10月23日に東京都教育委員会は全ての都立学校に、卒業・入学式での日の丸・君が代の実施に関して非常に事細かな実施規定を通達しました。日の丸の位置や大きさ、君が代の聴き方や歌い方から服装にいたるまで規定されており、それを校長が職員に対して職務命令を出すという内容です。職務命令ということは従わなければ処分の対象になります。その影響性から考えて、これは明らかに日本国憲法第19条思想及び良心の自由に反する内容といえるでしょう。実際には教育委員会の職員が式に出席して通達の実施状況を見張り、従わなかった教職員を尋問していて、激しい学校では式の途中でも従わない教職員や生徒を体育館の外に連行して、問い詰めるということもあったそうです。それどころか式の当日に通達に従わない生徒がいたことから、処分の対象を事前の指導や生徒・保護者の行動にまで広げてきています。こうなれば教職員や子どもの問題だけではなく、広く権利一般に抵触する問題になってきています。

先進国で国旗国歌を強制している国はどこにもなく、ましてやその違反によって処分することなど考えられません。こういった状況はいかに東京都教育委員会が人権を理解していないかを如実に表しているといえます。

 こういった行動の背景には2001年に石原都知事と横山教育長が、東京都の教育目標からそれまであった「憲法・教育基本法の精神・理念にのっとり」という文言を削除したことがあげられます。つまり東京都は憲法や教育基本法の精神を無視することで、これらの改悪を先取りしているのです。従って教育基本法が改悪されればどうなるのかという問いへの答えは簡単になります。大阪府も含めて全ての自治体が東京都のようになるということです。

このような流れは学校現場だけではなく、治安弾圧の強化は各地で続いています。有名なところでは先日無罪判決が出されましたが、イラク戦争への反対ビラをポストへ入れた反戦団体のメンバーが住居侵入罪で逮捕されたという事件です。いくら無罪になったとはいえ配ったチラシが戦争に反対するものだったというだけで逮捕されたり、家宅捜査を受けるということは本当に恐ろしいことですし、同様の事件は他にもいくつも起こっています。

確かにこれまで警察は無茶なことをしてきましたが、ここまでのことはなく、現在、明らかに何かが変わってきていると言えます。その原因は今日本が戦争状態にあるからだと私は思います。日本はアメリカの戦争に賛成しているのだから参戦状況にあって、自衛隊の多国籍軍への参加は既成事実の積み重ねによるなしくずし派兵に他なりません。こういった戦争状態を維持するには挙国一致が必要であって、そのために戦争に反対する人間がいると困るのです。つまり戦争状態を継続するために既に一部が茶色になっており、それとこの教育基本法改悪が繋がっているという点が重要です。

疲弊する教職員と子ども

 次に教育基本法について考えるために、学校現場が今どうなっているのかを考えていきたいと思います。私はこの基本法改悪の動きが出てから全国の学校現場を廻って多くの声を聞いてきましたが、そこから今の学校現場を一言で表すと「疲弊する教職員と子ども」という言葉が適当だと感じています。昨今は少年犯罪や学力低下が取りざたされていますが、それは一部の現象であって現在の学校現場全体を捉えてはいません。学校現場ではみんなが疲れきっているというのが私の受けた印象であり、その原因は間違いだらけの教育改革が行われたことにあると思います。

この教育改革は「ゆとり」と「個性化」教育を目指して十数年前から取り組まれてきましたが、これほど小泉内閣で看板倒れになった政策はないでしょう。具体的には学校週5日制の導入と学習指導要領内容の削減を行いましたが、これでゆとり教育になるのでしょうか。絶対になりません。なぜなら学校は5日になっても、学校でやるべきことが6日分あるとどうなるのでしょう。学校では授業以外にも生活指導等やることは沢山あるにもかかわらず、それを解決するための策をとってきませんでした。つまり仕事量も人員も予算もそのままで、ただ日程だけが短くなったのです。その結果6日分の仕事を5日でやるか、終わらない分を家でやるかしか手はなく、学校はきりきり舞いになってしまっています。

では子どもたちはどうかというと、休みが増えても学歴社会や学校間格差には変わりないため、結局は塾に通う子どもが増えてしまいます。またこの指導要領が適用されない私立の学校に入るために塾に通う年齢は下がってきています。つまり受験の早期化や経済的負担による家庭の格差を生み出しているのが今日の教育であって、これをゆとり教育とよべるのでしょうか。私には決してそうは思えません。個性化教育についても、どこへ行っても上から強制されている画一的、且つ中央政府が喜びそうな個性を作り出そうとする個性化教育が行われていて、本当の個性が育つとはとても思えない状況にあるといえます。

 このような状況によって教育現場では疲弊による思考停止と諦めに教職員が陥っているのです。これは実に恐ろしいことです。イラクに自衛隊が派遣され、憲法が改正されようとしている今、まさに日本が戦争をする国になろうとしているにもかかわらず、子どもたちの将来を考える場の教育現場でも教職員の思考停止と諦めによって、それが正しいのかについての議論さえ行われないのは本当に恐ろしいことです。しかしこれは教育現場だけでなく、日本社会全てにいえることなのです。



新自由主義の支配による教育

教育現場がこのようになってしまった原因は、教育現場を新自由主義が支配してしまったことにあります。これは学校現場に市場・競争原理を導入する考え方で、教育の問題を権利ではなくサービスの問題として捉えようとする考え方です。現在、大阪市が厚遇で叩かれていますが、それと同様に公立学校は公に守られて甘えているのだから、競争原理を取り入れなければ改革できないという理由からこのような流れになったのです。

この新自由主義の考え方には、教員や子どもの人権は存在せず、現在出てきているのは学校選択制や通学区自由化などです。私にはこれで教育が改革され、ゆとり・個性化教育が実現するとは到底思えません。これでできるのは学校の序列化と格差の拡大ぐらいでしょう。しかし教育問題へのマスコミの誤った批判や子どもを良い学校に入れたいと思う保護者の願望、あるいは教育委員会による教員と市民・保護者の分断によって新自由主義改革がこれまで優位に進められてきたのです。

 ところが最近ではゆとり教育批判が大ブームになっています。私は以前から今日のゆとり教育はゆとり教育ではないと批判してきたのですが、最近の批判はそれとは違って、ゆとり教育は学力低下を生み出しているといわれています。この点に関して教育の専門家としてこれだけは責任を持って伝えておきます。それはまだ学力低下は証明されていないということです。確かに低下傾向を示すデータはいくつか出ていますが、それだけで学力低下とは言えず、本当に証明するならもっと長期的な調査が必要です。またゆとり教育が始まって3年しか経っていないのに、なぜそれが原因だと証明できるのでしょうか。あるいは仮に学力低下があったとしても、その低下した学力の内容についても冷静に分析する必要があると思います。

 今日の教育改革が出てきた背景には校内暴力に象徴される、80年代の荒れる学校という現象がありました。当時は生徒が反抗したために学校が荒れていましたが、今の学校では反抗することさえできなくなっているのではないでしょうか。それを示すものとして道徳の補助教材の「心のノート」があります。この教材の最終目標は愛国心を養うことにあるのですが、ここで繰り返し訴えかけられているメッセージは、「今の社会秩序は間違っていないので喜んでそれに従い、奉仕活動を通じて報恩しなさい」ということです。つまり疑問を持ったり、人権を主張するのではなく、責任と奉仕の心を持った「従う子ども」を作ろうとしています。そしてこの「心のノート」の教師版が「人事考課」といわれるものです。これは教職員を序列化して支配しようというものですが、もっと恐ろしいのは、最初は反発していた教師も次第にそれに慣れてしまい、いつしかこれで良い点を取ろうと思うようになることです。そして人事考課に書かれた価値を内面化して、喜んでそれに従う教師(公務員)を作り出してしまっていることです。教育基本法が改悪されればこの人事考課に愛国心教育が含まれてしまい、それが結果的にイラクに喜んで行く子どもを生み出す愛国心教育の徹底に繋がっていくことになるでしょう。

教育改革による差別化と序列化

 こういった愛国心教育と並んで教育改革の狙いはどこにあるのかというと、それは教育の差別化にあると考えています。既に多くの学校で行われていますが、現場では教科毎に生徒を序列化して習熟度別にコース分けした教育を行っています。しかし、これと重なっているのが95年に日経連が示した『新時代の「日本的経営」』です。ここでは労働力を管理・総合職と専門部門と一般部職の3つにグループ分けして、賃金から待遇に至るまで労働力の差別化が必要だとしています。この場合、労働力の大多数が一般部職に位置づけられ、それらは昇給なしの時間給制で働くことになります。つまり労働者の大半が低賃金で保障のないフリーターになるということで、まさに今の社会はこの方向に進んできています。さらにこうした労働力には、教育は必要ないとして公教育は削減され、加えて年金や社会保険制度は崩壊しつつあります。これらの先には何があるのでしょうか。それは今日のアメリカ社会です。

今、アメリカでは苦しい状況に置かれた一般部職の労働者や失業者が、生活のために志願兵となってイラクに行っています。つまり小泉改革、自民党が狙っているのは志願兵だけで自衛隊を容易に増強できる、この状態を作り出すことなのです。そして学校がそれを作り出す場を担っています。これが基本法改悪の本質です。

教育基本法の理念が変えられようとしている

 今日の教育基本法は戦前の天皇制中心主義・国家中心主義教育を否定し、個人の価値や尊厳を基盤とすることが最大のポイントです。そのため第1条の教育の目的を平和的な国家及び社会の形成者の育成とし、憲法第9条の平和主義と強い一体性を持っています。つまり基本法を変えるということは、憲法を変えるのと同じぐらいの重要性があることをぜひ理解してください。

さらに条文について一つ触れておきたいのは、第10条は国家権力・政治権力による教育内容への介入を不当な支配として認めていない点です。この条文は権利を主張する側にとって武器であって、先の東京都の通達もこの点に違反しているとして現在裁判で争っているところです。この点からも分かるように憲法や教育基本法は私たちを規制する法律ではなく、国家権力を規制する権力拘束規範なのです。だから政府はこれを変えたいと考えているのです。このまま変えられてしまえば第9条の廃止や愛国心の導入など大きな問題もありますが、最大の問題はこういった法律の性格そのものが私たちを守るものから、私たちを縛るものへ変えられてしまうことにあるのです。そうすることによって愛国心を条文化して私たちに強制することができ、国益主義や国家のための国民の犠牲が正当化されるようになるからです。去年に与党が提出した教育基本法の改正に関する中間報告では、まさに法律の性質そのものを変え、権利の主体者が国家となり、あらゆる人権が奪われ、正当化されるような条文にしようとしているのがわかります。2004年7月に自民党が発表した「教育基本法改正に関する検討会『中間報告』」を見ると、教育基本法の理念を変質させようとしていることが分かります。*

今後の課題〜基本法改悪の本質を捉える〜

 子どもや教職員の人権からみても、国際人権規約や子どもの権利条約からみても今回の教育基本法改正は問題であって、私はこれを改悪と捉えて阻止していかなければならないと考えています。そのために考えなければならないこととして、まず一つは教育基本法問題への関心をいかに広げていくのかということがあります。実はこの教育基本法改悪反対運動はこの約2年間に大変広がってきて、その関心は広がってきているといえます。しかし先にも述べたとおりその重要性は日本国憲法と同じぐらいですが、教育基本法は日本国憲法よりもまだまだ地味な法律だと言わざるを得ません。

教育というものは将来の社会へ向けての行為であって、そのあり方を変えるということは将来の社会のあり方を変えることでもあります。ですからこの教育基本法改悪の問題は憲法と同じぐらい重要な問題であるということをぜひ広げていってもらいたいのです。特に分かりやすい与党中間報告の問題点を広く訴えていくことが大事だといえます。そのためには職場や地域や保護者を対象にした学習会や、小さな集まりを積み重ねていっていただくことが重要です。

 そして二つ目は、教育基本法改悪の本質を捉えることです。これが行われれば学校現場の状況が一層悪くなると考えるのは間違いではないですが、そんなレベルでは済まないということです。それでは教育基本法改悪の本質を捉えていることにはなりません。ではその本質は何でしょう。それは社会の原理・原則をも変えてしまうこと、それほどのレベルにこの問題の本質はあるのです。

先述の通り今の学校現場は悪い状況にあります。ですがそうはいってもまだ憲法も教育基本法も残っていて、建前としては平和主義も民主主義もあります。悪い教育行政やダメな政治家が邪魔をするから現場で思い通りのことができずに、今日のような結果を招いてしまっています。しかし基本法が改悪されればそうはいきません。例えば現在ならば平和や権利についての教育は正当な教育であって、それが弾圧されれば新聞記事になります。しかし基本法が改悪されれば平和教育を弾圧しても事件にはならないが、平和教育を行うこと自体が事件になるのです。そして平和と平等という絶対的なものが愛国と差別に変わり、平和と平等を追及する教員は追放されて、教員は愛国と差別に向けて一生懸命取り組むようになるでしょう。それによって愛国教育はどんどん進み、いつしかその数値目標が出されて自衛隊に何人送るかが具体的に求められるようになると私は考えています。なぜなら政府が海外へ派兵して戦争することを既に決めているからです。

今日の日本は実に平和的であるし、学校には憲法や教育基本法があります。ここには大きな矛盾があって、そのギャップを埋めるために今回の改悪が進められています。60年間続いた平和を一気に戦争状態にするために、学校を完全に押さえ込んで軍事組織に切り替えていかなければならないのです。そのための教育基本法の改悪であって、そのための10・23通達です。これこそが教育基本法改悪の本質です。つまり基本法の改悪は、子どもたちを数年後にイラクで本格参戦させて良いのかどうかが問われていると思います。戦争は最大の人権侵害です。人が殺しあうことを肯定するようなものを認めるのなら、人権教育は無だと思います。そのためにも私は「教育基本法の改悪を止めよう!全国連絡会」(http://www/kyokiren.net/)の一員としてこの問題に一生懸命取り組んでいます。みなさんにもぜひ教育基本法の認識を高めていただき、ともに改悪を阻止するよう協力をお願いしたいと思います。

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