日韓交流を阻害するもの
日韓で政治的摩擦を起こしている要因はいくつかありますが、検定の度に日韓で争点化する歴史教科書問題は、日韓交流の進展に対して最大の阻害要因になっているといえます。では、なぜ教科書問題は出てきたのかというと、もともとは数年前に出された歴史の教科書の中で従軍慰安婦問題についての記述があったことに対する、日本のタカ派の政治家の反発から始まっています。では、まず最初に慰安婦問題について触れておきたいと思います。
最近では実証研究もかなり進んできていますが、私が慰安婦問題を初めて知ったのは大学に入った76年で、その後に韓国の民主化が進む中で慰安婦問題について実に多くのことが明らかになってきました。これまでの研究を総合してみると、慰安所というのは1930年代に入ってから日本軍の大量進出に際して兵士の性病予防と、現地の中国人女性に対するレイプを防ぐために各占領地に設置されていったのです。
38年には軍の慰安所を各部隊ごとに作る指示が軍から出され、慰安所は中国の河北部を中心に膨れ上がっていきました。そして41年に陸軍はソ連の侵攻に備えて中ソ国境付近に80万人の兵隊を集めたのですが、軍はこれに合わせて先の慰安所とは別に2万人の朝鮮人慰安婦を集めようと計画していたと言われています。このときの募集の背景が今も争点になっているのですが、最初からいわゆる身売りという形で慰安婦になった人も確かにいました。
しかしそれ以外にも斡旋業者の巧みな勧誘に騙されて集められた女性は決して少なくなかったのです。そして何よりも慰安婦の募集や移送に警察や陸軍省が携わっており、日本の国家権力が介在していたことがますます明らかになってきました。
このような慰安婦の存在は、戦争を体験してきた年代の人にとっては恐らく明白な事実なのですが、この問題を明らかにするのは韓国でもタブーとされてきました。なぜなら韓国という国は非常に儒教思想が強く、女性の貞操概念を絶対視する国であったからです。そういった社会では慰安婦にされた女性は自分の過去を覆い隠さなければ生きられなかったといえるでしょう。また日本の関係者もこの問題が日韓の戦後処理問題として発展していくことを極めて恐れていたのではないかと思います。
従軍慰安婦の補償をめぐって
韓国では盧泰愚(のてう)大統領によってなされた民主化宣言で、特に90年代以降はジェンダーを中心にした民主化運動が急速に進み、その流れの中で日本支配下の朝鮮人慰安婦の実態に迫った「挺身隊の足跡を訪ねて」という衝撃のレポートが新聞に連載され始めました。これが韓国で最初に出された報告書ではないでしょうか。そしてこの記事を手がかりに37の女性団体が韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)を90年に結成、慰安婦問題を世に問う女性運動が活発化していきました。
91年には元慰安婦として初めて金学順さんが名乗りを上げ、日本軍の慰安婦としての過酷な体験をメディアの前で証言しました。その後金さんを初め3人の元慰安婦の方々が日本政府に対して謝罪と補償を求める訴えを東京地方裁判所に提出し、韓国でも慰安婦問題に対する日本政府の責任を問う声が高まっていきました。
これに対して日本政府は当初、90年6月の参議院予算委員会で民間業者が慰安婦を軍とともに連れて歩いたと聞いていると答弁して、軍の関与を否定していました。しかしその関与を裏付ける陸軍省の業務日記要綱等の資料が発掘されたことで形勢が逆転し、93年8月に初めて日本政府は韓国人の元慰安婦の方から事情聴取を行いました。
これによって日本軍や国家権力が従軍慰安婦の募集・管理などに関与していたこと、慰安婦の募集・管理は本人の意思に反していたこと、慰安婦問題は当時多数の女性の名誉と尊厳を傷つけたことなどを認めた内閣官房長官談話が発表され、不十分でしたが日本政府は慰安婦への謝罪を表明しました。しかし韓国の女性団体が求めた本人や遺族への個人補償については、65年の日韓条約で請求問題は決着しているのでできないという姿勢を日本政府は取ったのです。
この問題が次に動いたのは、慰安婦問題の解決を目指す村山政権が95年に発足してからのことでした。当時の村山首相は元慰安婦への償い事業として日本国民からの募金を財源として一人200万円の一時金の支給と、公的資金で一人300万円の医療・福祉事業を展開することなどを目的としたアジア女性基金を立ち上げました。国民から募金を募って財源を捻出するという方法は国家として個人賠償できないという従来の姿勢に配慮した苦肉の策だったのでしょうが、国家賠償をあくまでも求める韓国の元慰安婦の女性や支援団体から強い反発を受けました。
実際97年に7名の元慰安婦に償い金を支給しましたが、当時の韓国のマスコミは「韓国に通報もなく一時金支給を強行したことは日韓の外交摩擦に発展する」という記事で強く反発しました。一方韓国政府は当初アジア女性基金に対して黙認する姿勢をとっていましたが、償い金支給に反発する世論に押されて次第に態度を硬化させていき、最終的には外交ルートを通じて日本政府に償い金支給の凍結を求め、基金の事業についても慰安婦に対する慰霊塔や記念館の建設などへの方向転換を提案しました。しかし、それでも基金は受け取る意志のある当事者が多いとしてその求めに反発し、日本側は事業を継続しました。
日本政府が募金による償い金に固執した背景にはもう一つ理由があります。それは慰安婦問題で個人補償を認めれば、その次には100万人いると言われている強制連行の被害者への数十兆円にも及ぶ補償の問題が出てくることを日本政府は恐れていると言われています。
慰安婦問題における日韓のズレ
98年に韓国で金大中政権が発足すると、金大統領は被害者の生活支援は自分たちの国で行うべきだとする立場を表明して、アジア女性基金に対抗する慰安婦への支援金制度を作りました。このとき申し出のあった人の9割に日本円で約350万円が支給されましたが、残念なことにアジア女性基金からの償い金を受け取った人は支援金支給の対象から外されてしまいました。韓国政府がここまで強硬姿勢を貫いた理由は金大統領も誌面で語っている通り、慰安婦問題は日本政府の責任であって日本国民の責任ではないので、日本国民からお金を貰う筋合いはなく、それを貰うことは事の本質を摩り替えてしまうという考えにあります。
慰安婦問題でのこのような日韓のズレはどこからきているのでしょうか。結局は日韓問題全てに関係していることなのですが、日本政府に個人補償を求めている元慰安婦の人びとと、個人補償ができないので国民募金で償い金を払おうとした日本政府と、被害者個人に対する賠償金を請求しないとしながらも日本の基金に大幅な見直しを要求する韓国政府、この3者のボタンの掛け違いから問題が生じていると私は考えています。
ただ元慰安婦の人びとは単に補償や謝罪だけを求めているわけではないということは、ぜひ理解してもらいたいのです。私は何度も韓国を訪れて直接本人たちから聞いているのですが、彼女たちは全ての事実を認めた上での謝罪や補償、そしてそれ以上にこうした過ちを繰り返さないために日本の歴史教育の中でこの事実を語り続けて欲しいと望んでいます。
こうした思いが通じたのか、97年には7社の中学の歴史教科書で慰安婦の記述が登場しました。これは日韓両国の戦後補償要求運動の中で実現した僅か1行程度の簡単な記述ではありましたが、日本の歴史教科書の中でこの記述がなされたことは大変大きな意義があったと思います。しかし同時にこれらの記述に不快感を示す日本の学者や政治家も少なくありませんでした。そこからの反発が強かったために残念なことですが、今年の教科書から慰安婦の記述はゼロになってしまい、強制連行と言う記述もほとんどなくなってしまいました。これは非常に悲惨な状況です。いずれにしても今回の検定結果に中国や韓国は納得していないだろうし、この教科書問題が今後の日韓・日中交流の発展の足かせになるのは間違いないと思います。
無視される近隣諸国条項
歴史教科書検定問題の中で先の従軍慰安婦問題と並んで、もう一つ日韓間で大きく取り上げられている点として「竹島問題」があります。これは教科書での竹島の領有権に関する記述の問題で、当初『韓国とわが国で領有権を巡って対立しています』だった記述を文部科学省が圧力をかけて、『わが国固有の領土ではあるが韓国が不法占拠している』に改悪させて検定を通過させました。
私はテレビ番組に出るとこの点に関して出演者から、「なぜ韓国人は日本の教科書に口を挟むのか」といった質問や、「私たちは韓国の教科書にクレームなどつけないのに韓国人はいやらしい」という意見さえも聞かれることがあります。しかしこれには82年に日中・日韓間で外交問題化した教科書問題を収束させるために設けられた近隣諸国条項という根拠があるのです。これは教科書における日本とアジアの関係の記述について、近隣諸国の意向を十分に配慮することを決めたものであって、これが存在する限り検定修正に際して韓国や中国の意向が反映されるのは当然なのです。
従ってアジア諸国が日本の教科書に修正を求めるのは正当に認められている権利であって、それを内政干渉などと言うのは近隣諸国条項を無視した暴言に他なりません。しかし今回の「竹島問題」については教科書検定を通じて日韓摩擦をかえって煽るような記述に修正されていて、近隣諸国条項が全く無視されていると韓国から批判されても日本政府は言い訳できません。
教科書問題の解決策
従って教科書問題を巡る日韓・日中の紛争を解決するためには、現在の検定制度そのものを見直す必要が出てきていると思います。もっと言うならば歴史教科書問題を解決するためにはいくつかの選択肢があるということです。これは以前に私が参議院の国際問題調査会で話したのですが、まず選択肢の一つとしては教科書検定制度の廃止があげられます。一般の書籍と同じようにどんな思想で書かれたひどい教科書でも学校で自由に使用できるようにすれば日本政府が介入できないのと同時に、韓国や中国も介入できなくなるからです。当然、ひどい教科書も出てくるかも知れませんが、教科書の選定は教育委員会や各学校の教職員の良識に委ねるしかないと思っています。
また検定がどうしても必要だというのならば、韓国のように歴史教科書を1種類の国定教科書にするという選択肢も考えられます。ただこの場合、教科書作りには様々な考え方の歴史学者だけでなく、韓国や中国の歴史学者等もご意見番として加えた歴史教科書作成委員会を設置して、誰もが納得できる教科書を提供していくことが絶対に必要です。そうなると現在ある日韓の歴史共同研究機関の役割が大きくなると思いますが、ここの中間発表を見ている限り両者の共通性を持った教科書を作ることは難しいので、両論併記と言う形になるでしょう。しかし世の中にはいろいろな考え方があるのだから、これは良いことだと私は思います。
例えば靖国問題にしてもなぜ小泉首相が参拝にこだわり、それに中国や韓国がなぜ反発するのかが併記された教科書の中で、学生が自分の思考と判断でそれを今行うことがどうなのかを国民のひとりとして考えられる教育が必要だと思うからです。つまり異なった意見の書かれた教科書を基に皆で議論する歴史教育を行い、その上で国民投票を行って靖国参拝の是非を問うという方法もあるのではないでしょうか。また最後の選択肢として、教科書検定に対する近隣諸国条項を廃止する方法もあって、実際国会議員の中にもこれを望む人は多くいるようです。しかし、この選択肢はアジアから日本が孤立する結果をもたらすものです。
ダブルスタンダードの姿勢をとる日本政府
いずれにしてもアジア諸国に対して過去を反省すると言っておきながら、一方では過去を正当化するような歴史教科書を公認する現在のようなダブルスタンダードの姿勢をとっていれば、どこの国からも信用されません。どの選択肢が日本の国益にかなうのか、どうすれば教科書問題を解決できるのか、これを日韓国交正常化40周年を記念して位置づけられた日韓友情年の今こそ無用な摩擦を回避するために、国民が知恵を絞る段階にきていると思います。
以上のような教科書問題に今年は竹島問題が重なったために、日韓の摩擦はここまで激化してしまいました。この問題のきっかけになったのは島根県議会で「竹島の日」条例が成立したことにあります。これまでも竹島は日本固有の領土であると日本政府は繰り返し主張しているのに、韓国が今回はなぜあそこまでむきになるのか分からないと聞くことがよくあります。しかし韓国人にとって、日本政府が竹島の領有権を主張するのと、島根県が日韓友情年の今年にこの条例を制定するのとでは根本的に意味が違います。
かつて竹島が島根県に編入されたのは、韓国を日本の保護国にする準備をしていた最中の1905年2月22日です。日韓併合条約が結ばれたのは1910年ですが、多くの韓国人はそれよりも竹島が編入されたこの日を併合の第一歩と認識していて、その記憶が今回の条例制定によって呼び起こされたのです。第2次日韓協約(保護条約)締結から100年と言う象徴的な年に島根県が改めてこのような条例を制定し、それを黙認する日本政府の態度はかつての植民地支配を正当化する行為に他ならないと韓国では考えられています。しかしこういった歴史認識が全く欠如した日本の政治家たちからは韓国側の反発を、大統領支持率低下を抑えるパフォーマンスだとする意見も聞かれますが、それは韓国の政治家を非常に馬鹿にした発言です。
盧大統領の演説の真意
一方で韓国国民の対応はどうかと言うと、反日ナショナリズムをヒートアップさせた中国とは対照的に極めて冷静で、日本のテレビ映像で取り上げられている韓国の抗議行動は極一部の過激派の姿です。マスコミも「日本人全員が歴史の歪曲に加担しているわけではない」との記事を掲載して冷静な対応を呼びかけているし、国民のほとんどは竹島問題や教科書問題から日韓関係が悪化して、活発化した日韓の文化交流に悪影響が出ないかを非常に心配しています。これらの点を考えると盧武鉉(のむひょん)大統領の日本への批判は、韓国国民の反日感情をすくい上げるパフォーマンスというよりも、国際世論を視野に入れて日本政府に向けられたものと考えるべきです。
盧大統領は、就任当初は過去の問題には触れないと公約していましたが、「竹島の日」条例成立受けて対日政策の変更を主張するようになってしまいました。彼の主張は「三・一独立運動」の86周年記念演説を読んでもらえば分かりますが、盧大統領は歴史問題の解決には双方の努力が必要だと言いたかったのです。日韓どちらか一方の努力だけでは歴史問題は解決しないのだから、慰安婦を馬鹿にするような閣僚の文言、韓国人を刺激するような自治体条例の制定、過去の植民地政策を正当化する教科書、そしてアジアの人民に不信感を与える靖国参拝などの問題に対して日本がもっとうまく対処しなければ困ると盧大統領は演説の中で伝えたかったのだと思います。
過去克服に向けた韓国側の努力
韓国は問題解決を日本だけに求めているわけではありません。韓国では昨年12月に反民族行為真相究明特別法が制定され、植民地時代に行われた朝鮮人による対日協力行為の洗い直し作業が行われようとしています。つまり日韓併合や植民地支配の責任を日本だけに問うのではなく、それを許した韓国側の責任も追及しようということです。
更に韓国政府は今年に入って日韓条約関連文書の公開に踏み切っています。ここで公開される文章は韓国側にとって不利な内容で、強制徴用などに対する個人補償責任が韓国政府にあることなどがこれによって明確になりました。慰安婦問題でも触れましたが、90年代以降日本政府に個人補償を求める訴訟が多数起こされていますが、今回の文書公開はその矛先をあえて韓国政府に向けさせようとするものであって、韓国政府はこうした問題処理を引き受けることで過去を巡る日韓の紛争に自ら区切りをつける姿勢を日本側に強くアピールしているといえます。
ではこれに対して日本側はどうかと言うと、日本の過去克服に向けた努力は残念ながら韓国人には見えにくいというのが私の印象です。日本政府は口では「過去を直視し、反省すべきは反省しつつ、和解に基づいた未来志向的な日韓関係を発展させる強い決意を持っている」と言いながらも、相変わらず韓国人の神経を逆なでする閣僚の妄言、竹島や教科書問題への対応を見る限り自ら進んで歴史問題を解決しようとする誠意さえも感じられません。
例えば「竹島問題」にしても、なぜ日本政府は外交関係を揺るがすような条例の制定を黙認したのかが韓国人には理解できません。そもそも日本政府が竹島を巡る問題を真剣に考えようとしなかったために、日本政府に対する地元住民の満足に漁業ができないという不満を県議会が吸い上げ、条例が制定されたのです。もし日本政府が漁民たちの声に耳を傾けて何らかの打開策を提示できていれば、島根県議会も「竹島の日」条例にこだわることもなかっただろうし、韓国もナショナリスティックに反応することもなかったのではないでしょうか。
泥沼の日韓関係の修復を
こうしたことからも両国の政治家、特に日本の政治家には紛争を回避するための事前交渉や外交努力が欠落しているといえます。
しかし、むしろ今回の紛争は考え方によっては日韓関係を成熟化させる好機ではないかと思います。日本では韓流ブームと言われていますが、所詮過去の問題を棚上げにした日韓交流には限界があります。ならばこれを機会にしてどうすればこれらの問題を解決できるのかについて、両国の政治家や国民が真正面から徹底的にお互いの意見を表明して、ぶつかったり歩み寄ったりする中で合意形成の道を切り開いていくことが重要です。