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2005.11.17
講座・講演録
第266回国際人権規約連続学習会
世界人権宣言大阪連絡会議ニュース279号より
人権としての消費者の権利

細川 幸一さん(日本女子大学教授)


消費者問題の特質

 この学習会では今まであまり消費者関連のお話はなかったと聞きました。それは消費者被害があまり人権侵害として認識されていないことを意味しているのかもしれません。典型的な消費者被害は「多数少額被害」です。ひとりひとりの被害は少額でも市場にたくさん点在する消費者が被害を受けるようなカルテルや不当表示の場合、社会全体の被害の総額は膨大なものになります。

 しかし、消費者は通常、市場に広く点在しているので、集結することができませんし、ひとりひとりが裁判等で争うという動機も小さく、結局問題が社会的に表面化し辛いという面があります。通常、人権侵害とはマイノリティに対する問題ですが、消費者はマジョリティ過ぎて、その被害の重大性が認識されにくいという特徴を持っています。

「消費者の権利」について

消費者の権利という概念がはじめて社会的に明らかにされたのは、1962年にケネディ大統領が発表した「消費者利益の保護に関する特別教書」においてです。この中では、「安全である権利」(the right to safe)、「知らされる権利」(the right to be informed)、「選ぶ権利」(the right to choose)、「意見を聞いてもらう権利」(the right to be heard)の4つの権利がうたわれました。

 同時にケネディ大統領は、消費者がこれらの権利を支障なく行使できるようにするのは、政府の責任であると述べ、教書の中に、そのために必要な広範な立法・行政措置を盛り込んでいます。この教書は、アメリカのみならず世界の国々の消費者政策展開の出発点となりました。

その後、1975年にはフォード大統領が「消費者教育の権利」(the right to consumer education)を5つ目の消費者の権利として追加し、国際的な消費者団体連合組織であるConsumers International(国際消費者機構、以下「CI」という)が救済への権利(the right to redress)、健康的な環境への権利(the right to a healthy environment)、最低限の需要を満たす権利(the right to satisfaction of basic needs)を加え、国際的には8つの消費者の権利が主張されています。

消費者基本法の規定

 1968年制定の消費者保護基本法には消費者政策を遂行する上での基本理念についての明示はなく、消費者の権利規定もありませんでした。2004年の同法改正(名称は「消費者基本法」に変更)では、基本理念を2条で新たに規定し、そこで消費政策推進にあたっての基本的な考え方を示し、消費者の権利の内容を示しました。改正法第1条は同法の目的について以下のように述べています。

第1条(目的)

この法律は、消費者と事業者との間の情報の質及び量並びに交渉力等の格差にかんがみ、消費者の利益の擁護及び増進に関し、消費者の権利の尊重及びその自立の支援その他の基本理念を定め、国、地方公共団体及び事業者の責務等を明らかにするとともに、その施策の基本となる事項を定めることにより、消費者の利益の擁護及び増進に関する総合的な施策の推進を図り、もつて国民の消費生活の安定及び向上を確保することを目的とする。

 

ここでは、消費者の権利の内容についてはふれていません。第2条(基本理念)は以下のように言っています。

第2条(基本理念)

消費者の利益の擁護及び増進に関する総合的な施策(以下「消費者政策」という。)の推進は、国民の消費生活における基本的な需要が満たされ(最低限の需要が満たされる権利)、その健全な生活環境が確保される(健康的な環境への権利)中で、消費者の安全が確保され(安全である権利)、商品及び役務について消費者の自主的かつ合理的な選択の機会が確保され(選ぶ権利)、消費者に対し必要な情報(知らされる権利)及び教育の機会(消費者教育を受ける権利)が提供され、消費者の意見が消費者政策に反映され(意見を反映させる権利)、並びに消費者に被害が生じた場合には適切かつ迅速に救済される(補償を受ける権利)ことが消費者の権利であることを尊重するとともに、消費者が自らの利益の擁護及び増進のため自主的かつ合理的に行動することができるよう消費者の自立を支援することを基本として行われなければならない。( )及び、下線、筆者

続いて、第3条では国の責務を以下のように述べています。

第3条(国の責務)

 国は、経済社会の発展に即応して、前条の消費者の権利の尊重及びその自立の支援その他の基本理念にのっとり、消費者政策を推進する責務を有する。

 皆さん、これを読んでみてどのような印象をお持ちでしょうか? これが「消費者の権利」の宣言と言えるでしょうか? 一般にこれこれのことが「消費者の権利」とされているから、それを尊重して政策を遂行する・・・そのような文章です。韓国や中国でも、消費者を権利主体として宣言し、国などがその確保の義務を負うということを明示した消費者法ができています。未だに、日本ではこの程度の法律しかできないのです。

「消費者の権利」の権利性

 市場における事業者と消費者の情報、交渉力、資金等における非対称性に起因して起こる問題が消費者問題であるとの認識から、力が強すぎる事業者の活動を規制する「規制行政」と弱い立場にある消費者を支援する「支援行政」によって日本の消費者政策は進められています。そこでは、弱い立場にある消費者を賢い政府が庇護するという構図がみてとれるとの立場から、消費者を権利主体として法的に認めるべきとの主張がなされてきました。そうした中で規制緩和が重要な政策課題となり、極力規制行政を廃止すべしとの大合唱が起こり、自己責任が強調されたのです。そこで、消費者保護基本法の改正によって消費者の権利規定が盛り込まれたと言えると思います。

消費者の権利を考えるには、消費者個人の私法上の権利としての消費者の権利と、理念あるいは人権としての消費者の権利に分けて考えるもことができます。

  私法上の権利として確立すると、権利侵害があった場合、当該行為を差し止めるなど、法律に基づき、消費者の救済を当該法律に基づき直接図ることが可能となります。一方、理念としての消費者の権利の明示は、消費者政策の指導原理として有効であり、国の消費者政策の推進に資するものとなり得る反面、私法上の権利としては認められないため、当該規定を根拠に直接消費者の救済を図ることは不可能です。

 まず、基本法での消費者の権利は私法上の権利として位置づけられているとは考えられません。また、理念として消費者の権利を述べたものであると考えられますが、ここでも、理念の実現がなされなかった場合の国の責務を逃れようとする意図もうかがえます。というより立法者は私法上の権利としても、国の消費者の権利確立のための義務規定としてもみなされないように立法化したのではないかと推察しています。消費者基本法がその名のとおり、消費者保護基本法に引き続き、基本法の性格を有していることもあいまいさを残している理由でしょう。

 現在、日本で「基本法」という題名がつけられている法律は22あります。これらの法律は「教育、農業、公害等国政に重要なウェイトを占める分野について国の制度、政策、対策に関する基本方針を明示したもの」であり、「その規律の対象としている分野については、基本法として他の法律に優越する性格を持ち、他の法律がこれに誘導されるという関係に立っている」とされます。その反面、「直接に国民の権利義務関係に影響を及ぼすような規定は設けられず、訓示規定とかいわゆるプログラム規定でその大半が構成されている」というのが実情です。消費者基本法の最大の眼目は消費者の権利の明定ですが、基本法としての性格を維持したままであるため、立法者はそこでの権利の宣言が私法上の権利規定として概念される可能性を危惧したものと推察されます。そこでこのようなあいまいな表現となったのでしょう。同時に消費者の権利の確立が国の義務であるとして概念されることで、消費者と国の権利義務関係が確立することも嫌ったのであろうと考えています。

 日本の消費者の権利規定が消費者基本法の中で提示されていることから、それ自体が民事上の権利規定の性格を有せず、また国家の法的な義務の明示もなされていない状況では、今後、同法の理念を受けた消費者私法や消費者行政の充実が図られるか否かがその評価を左右すると言えます。

人権としての「消費者の権利」

 理念としての消費者の権利を憲法が保障した基本的人権の内容を具体的に示したものと解釈すれば、その権利侵害があった場合には、国の施策における不作為を法的に追及したり、あるいは基本的人権規定の私人間効力の問題の中で、私人への損害賠償請求権も考えられる余地があります。

 日本では、直接に消費者に言及する規定は憲法に存在しませんが、憲法との関係で考えられるのは生存権概念です。北川善太郎教授は「消費者の権利と称されているものの多くは、その包括的内容のままでは、ただちに実定法上の権利とは言いがたいであろう。いわば憲法25条の生存権を消費者向けに書き改めたもの」としています。近代立憲主義憲法は、いわゆる抽象的人間像、即ち、精神的にも身体的にも経済的にも自立した「完全な個人像」を念頭においていたといえます。

 しかし、現代立憲主義型憲法の一つである日本国憲法には生存権・社会権規定(憲法25条等)がおかれていることに示されるように、人間を理性的行為主体という点のみにおいて観念的抽象的に捉えるのではなく、各人のおかれた具体的生活状況に留意しつつ、人間をより個別具体的に捉えていこうとする立場に立つものと解されます。すなわち、「具体的人間像」を念頭においているものと解することができるのです。情報力や資金力及び交渉力において圧倒する力を持つ事業者に対して一消費者は事業者と対等な地位にない属性の人間であり、その結果、生存を脅かされるような事態があればそれは人権の侵害として概念すべきでしょう。

 ここで海外の憲法について紹介します。韓国では、憲法第124条が「国は、健全な消費行為を啓導し、生産品の品質向上を促すための消費者保護運動を法律が定めるところにより保障する」とし、憲法で消費者保護運動を保障しているため、憲法上の消費者の権利の位置づけについて議論が進んでいます。韓国の学界では、憲法上、消費者の権利が人権として位置づけられているとの解釈が有力です。ポルトガル憲法60条は「消費者は、製品及び役務、教育及び情報、経済的利益の安全及び防御、損害の保障に対する権利を有する」とし、スペイン憲法51条は「公権力は、消費者及び利用者の保護を保障し、かつ、実効的な手続を通じて、消費者及び利用者の安全、健康及び正当な経済的利益を擁護する」としています。タイでも憲法57条は「消費者としての権利は保護を受ける」としています。

人権として捉えることの重要性

 最後に、消費者の権利を人権として捉えることにどのような意義があるのかについて考えたいと思います。民事における権利侵害と人権概念との関係につき、稲本洋之助教授は以下のように言っています。「公害訴訟において、被告企業はある時期からは被害の発生を予見しえたとして、その時期以降の発病者については損害賠償をみとめ、それ以前の発病者については損害賠償を否定する判決がなされたと仮定しよう。これは従来の不法行為責任の観念に依拠した相対的解決の一つである。しかし、同じ原因で罹患し、死亡した人びとが、ある一時点を基準として勝訴と敗訴に二分されることは、人間の生命と健康という基本的条件にかかわる抗争である以上許されないとするのが、『人権』の考え方である」

 近代市民法は「過失責任主義」を基本原則としています。不法行為等による被害者の救済は当然、加害者に損害賠償義務を負わせるという形になりますが、そこでは、加害者に「責任能力」や「故意・過失」等があることが要件となるのです。つまり、そうした要件を満たす場合にのみ被害者は救済されることとなります。したがって、被害者の損害が法益の侵害として救済に値するか否かは、その一方の当事者である加害者側の違法性の度合いや責任の度合いによって相対的に判断されることになってしまいます。

 しかし、人権としてその損害が認識されるということは加害者の違法性や責任能力といった点を判断基準とするのではなく、被害者の側の損害に注目し、それが人間の尊厳、人間らしく生きるといった理念に照らし合わせて許容されうるものであるのか否かといった点が判断基準とされるのではと考えます。だからこそ、例えば、加害者が不明であるとか特定できないとか、あるいは加害者に損害賠償能力がないといった場合に、それを当事者間の民事案件であるとして突き放すのでなく、国家などによる救済義務が法的に構成されるのだと考えます。その意味では、消費者の権利を単に理念上の権利とするだけではなく、人権として位置づけ、その尊重を社会的に広く認識する必要があるのではないかと思います。

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