講座・講演録

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2006.06.12
講座・講演録
第273回国際人権規約連続学習会
世界人権宣言大阪連絡会議ニュース286号より
拷問等禁止条約の第1回日本政府報告書審査にむけて

海渡雄一(弁護士、監獄人権センター事務局長)


刑務所の中の人権問題

 私は弁護士になってこれまでずっと刑務所の中の人権問題に取り組んできました。弁護士になって1年目のとき国会で監獄法の改正が議論されていて、それに反対する弁護士会の委員会に入ったのがきっかけでした。刑務所の中の人権については様々な考え方があるでしょうが、罪を犯した人が刑務所に入れられて自由を奪われるというのは世界的な制度です。

 しかし約20年前にイギリス、フランス、デンマーク、スウェーデンの刑務所を見て回った時、日本とのあまりの違いにカルチャーショックを受けたことを憶えています。これらの国々では罪を犯した人の人権を保障することで、彼らが安心して自らの行為を考え、反省できるように刑務所が援助すると考えられているのです。

  特にスウェーデンの刑務所は社会福祉施設のような所で、受刑者が出所後に社会復帰できるように刑務所職員が様々な機会を通じて助けていたことが印象に残っています。確かにどこの刑務所でも逃げられないように塀が設けられていたり懲罰規定が定められている等の基本的な枠組みは日本と同じですが、その中でもヨーロッパの刑務所では受刑者の人間性や品位を傷つけない扱いが行われており、日本でもその点を改善していかなければならないと強く感じました。

問等禁止条約とは

  世界人権宣言でも拷問の禁止が非常に重要視されているように、拷問等禁止条約は国連の人権条約の中でも最も重要な条約の1つです。それにも拘らず日本では99年6月の通常国会でようやく批准承認されており、日本の批准は世界で115番目(批准国は05年9月現在140カ国)です。

 またこの拷問等禁止条約は拷問だけでなく、広く被拘禁者等に対する拷問と非人道的な取り扱い、品位を傷つける取り扱いを禁止することを目的としています。つまり警察拘禁、刑事拘禁、死刑制度、精神医療、外国人の入管収容所拘禁、難民認定、公立学校における体罰等拘禁施設における人権保障に関わる幅広い条約です。

拷問の禁止は国家の義務

 政府報告書審査で争点になることが予想される条約のポイントをいくつか説明します。まず拷問についての明確な定義を定めたこと(1条)。拷問といえば中世の時代に行われていたようなものをイメージされるかもしれませんが、ここでは要するに一定の明確な目的を持って人に肉体的・精神的に激烈な痛みを与えることと理解されています。ここで重要な要因となるのは「目的性」と「心身への苦痛」です。

  2条ではいかなる例外もなく拷問の禁止は国家の義務とされています。国際人権規約等でも表現の自由等の権利は戦争等の非常時には一定の制限が認められていますが、拷問の禁止はそうではないとこの条約は宣言しています。これは当たり前だと思われるでしょうが、現実には大きな問題になってきています。なぜならブッシュ政権がテロ対策を拷問禁止の例外にしようとしているからです。

 今年の4月から5月にかけてアメリカの拷問等禁止条約の第2回政府報告書審査が行われましたが、拷問等禁止条約委員会からアメリカ政府は条約の立場に立つよう強く勧告されたのも含めて、45もの勧告を受けています。

3条に関する一般的見解

 3条では拷問等の恐れのある国に対する強制送還を明文で禁止しており、これは非常に重要な点です。この点に関して委員会は、難民認定についての一般的見解として『本案に関する条約第3条の適用については、論証できる事実を提出することが通報者の責務である。

 これは締約国からの回答を求めるために十分なだけの通報者の立場に関する事実的な基礎がなければならないということを意味している』や、『締約国及び本委員会は通報者がもしも追放、送還または犯罪人として引き渡された場合には、拷問を受ける危険があると信ずべき十分な理由があるか否かを審査すべき責務があるという点を想起して、拷問の危険性は単なる憶測や疑いにまさる理由に基づいて評価されなければならない。

 しかしその危険性は、高次の可能性の判断基準を満足させる必要はない』とし、その基準として『当該国家について人権の大規模な、重大な大量の侵害の一貫した形態についての証拠があるかどうか』等という点を示しています。つまり申請者が拷問の証拠を持っているとは考えにくいのでとりあえずは申請者の信用できる証言と、当該国家における人権状況についての国際的なレポート等から判断するということです。

 またこれに関連するものとして条約22条に個人通報制度があるのですが、この制度の大きな特徴に仮保全措置が認められている点があります。これは仮処分のような措置で、例えば難民認定が却下されて本国に送還されることになり、本国で拷問を受ける可能性がある場合、拷問等禁止委員会に仮保全の申請を行えば委員会が審査している間は送還されないという制度で、この判断にも先の基準が用いられています。

 この個人通報制度は実際に多く使われているらしいのですが、残念ながら日本政府は委員会にこの通報を受理し検討するための権限を与えることを認める「受諾宣言」をしていないので、日本で適用されません。しかし、現在求められている国際人権規約の選択議定書が批准されれば、こちらも批准される可能性が高いのではないでしょうか。

アギザ対スウェーデン事件

 また3条及び22条に関して最近の事例で最も重要なものに2005年のアギザ対スウェーデン事件があります。これは9.11事件以後の「テロとの戦い」の中、北米や欧州でテロ容疑者を「外交的保証」にもとづき虐待のおそれのある国に送還する事例が相次いでいるという国際的背景の下で起こった事件です。アギザは01年12月スウェーデン政府の庇護申請拒否と退去強制命令の直後、決定を争う機会もなくエジプトに送還されました。

 エジプトからは拷問等の虐待をせず公正な裁判を開くことや監獄での外交官との面会等の外交的保証が与えられましたが、03年6月代理人を通じてエジプトで拷問を受けたことを理由に、スウェーデンに対して3条違反の申立がなされました。これに対して委員会は、外交的保証は執行のメカニズムを定めるものではなく、明白な拷問等の危険性から保護するには十分でないとした上で、国家の安全を理由として通常の審査機関が政府に決定を全面的に委ねてしまったことが、政府決定に対する司法・行政審査の手段の不存在をもたらし、3条の手続上の義務の違反を生じさせたとしてスウェーデンの3条違反を認定したのです。

 これは特殊な事例と思われるかもしれませんが実際にアメリカの報告書審査でも同様の見解が示されており、昨今の「テロとの戦い」によって世界中で後退させられている人権保障に対して、委員会がその立場を厳格に宣言した画期的な事例です。

国内法化と人権教育研修

 次に4条〜9条の拷問犯罪を国内法化し、その管轄について普遍的な管轄を認めたことがあげられます。これは要するに拷問罪を法律化するよう求めているのですが、現在の日本にそのようなものは存在していません。刑法には特別公務員暴行陵虐罪という罪があってこれで一応網羅されていると言われていますが、これには脅迫のような精神的な苦痛は要件として含まれていないので拷問罪にはなり得ず、この点は審査で問題になるでしょう。

 例えば名古屋刑務所での暴行事件は所内での懲罰に対して受刑者が弁護士会に申請した人権救済を取り下げるか否かが原因で、職員が革手錠で受刑者を締め上げて暴行したのだから、これは明らかに拷問だと言えるのですが、現行法では特別公務員暴行陵虐罪に問われることになります。ちなみにアメリカも拷問を処罰する法律がないと委員会から勧告を受けているのですが、カナダのように条約の定義に沿って拷問罪を法律化した国もあります。

 10条では拷問等防止のための拘禁施設職員の研修が義務づけられています。実は昨年成立した受刑者処遇法案には刑務官に対する人権研修を義務付けるという画期的な規定があり、既にインタラクティブな内容の研修が活発に行われています。今後はそれを警察官やその他の職業従事者にも拡大していくことが課題ですが、この規定はそういった拷問の防止を目的とした人権教育を実施する根拠規定となる重要なものです。

 また11条では警察の取り調べ等の尋問規則等を組織的に見直すことを義務づけています。これは拷問が最も起こりやすい取り調べ等に対してその実務をレビューするよう求めているのですが、この点に関して最近検察庁が取り調べの一部を録音する考えを示すという大きな動きがありました。これに対して新聞報道は総じて評価していますが、私は異論を持っています。

 当然私たちもこれまで取り調べの録音を求めてきたわけですが、今回示された方針は最も無理な取り調べがなされる警察での取り調べを含まない検察庁の取り調べのみが対象で、どの事件のどの部分を録音するかは全て検事の判断であり、私たちが求める逮捕からの全ての取調を録音するのとは程遠いものです。従ってこれは取り調べの可視化ではなく、むしろ拷問によって得た自白をそうでなく見せるための演出に使うことができるでしょう。実際弁護士の中でも一部からでも録音をはじめてそれを拡大していけば良いという意見もありますが、私は危険だと考えています。

独立した医療体制の重要性

 12.13条では拷問等が行なわれた合理的な疑いがあるときは権限ある当局の迅速かつ公平な調査の義務付け、また迅速かつ公平な調査を求める権利を被拘禁者に認めるという重要な事項が記されています。例えば刑務所では情願制度というものがありました。これは不服申立を文字通り「御上の情け」に願うというもので、具体的には受刑者が処遇に不服がある場合、法務大臣に直接申請する制度です。

 法的にはこの申請書は法務大臣が開封することになっていますが、実際には官房に届くこともなく法務省矯正局長が処理していたことが判明し、これでは受刑者の権利救済にはならないと批判を受けて、結局先の受刑者処遇法案では他の行政不服審査と同様の制度に改正されました。加えて部外の専門家からなる不服調査検討会が今年から設置されており、まだ具体的な活動内容は公表されていませんが、形式的には条約12.13条の求める環境は整いつつあります。

 更に拷問の被害者の賠償を受ける権利、リハビリテーションを受ける権利を保障していること(14条)、拷問によるものと認められる供述を証拠から排除すべきこと(15条)、拷問に至らない非人道的或いは品位を傷つける取扱についても、10〜13条の規定を適用すること(16条)もポイントといえるでしょう。

 特に16条に関しては拘禁施設における革手錠等の戒具の完全廃止や、刑務所における最大の人権侵害の一つである独居拘禁の廃止、或いは拷問を速やかに察知し、且つその隠ぺいに加担できないように刑務所から独立した医療体制の確立等が重要なポイントとなります。

実施機関としての委員会

 この拷問等禁止条約の実施状況を監視しているのは拷問禁止委員会で、その構成は17条で「徳望が高く、且つ人権の分野において能力を認められた10人の専門家」から構成されるとされており、医師が多いという特徴もあります。そして委員は「個人の資格で職務を遂行する」、また「委員の配分が地理的に衡平に行われること及び法律関係の経験を有する者の参加が有益であることを考慮して選出する」とされています。   

 この委員会の仕事は政府報告の審査(19条)、組織的な拷問に対する調査(20条)、国家通報に関する審査(21条)、個人通報に関する審査(22条)、予防的訪問のための選択議定書に基づく査察の5つですが、国家通報については事例がないので実質4つです。

 本日のテーマである政府報告の審査の前に組織的な拷問に対する調査に触れておきます。これは5年ごとに提出される政府報告書だけではあまりにも時間が掛かりすぎて実際に起こっている拷問はなくせないために設けられた制度で、「委員会はいずれかの締約国の領域内における拷問の制度的な実行の存在が十分な根拠をもって示されていると認める信頼すべき情報を受領した場合には、当該締約国に対し、当該情報についての検討に協力し及びこのために当該情報についての見解を提出するよう要請する」と20条1項に規定しています。

 またこれに近いものとして予防的訪問のための選択議定書に基づく査察があります。この予防的訪問のための選択議定書とは02年に拷問等禁止条約の第一選択議定書として採択されたもので、この議定書に基づいて設立される拷問等禁止委員会内の拷問等防止小委員会が、締約国内の公私の身柄拘禁施設を訪問し、その施設の状況について改善の勧告等を行うこと、各国の国内にも同様の一つ以上の拘禁施設に対する訪問機能を持った委員会を設置することを義務づけるものです。

 要するにヨーロッパ拷問防止委員会の活動と同じように、政府からの報告を待つだけではなく委員会自らが各国の拘禁施設を訪れて勧告等を行うというものです。しかし残念ながらアメリカと日本政府は最後までこの議定書案の採択に反対していて、結局提案から採択までに10年も掛かってしまいました。

人権状況を改善するために

 次に政府報告書の審査についてですが、やり方としては自由権規約の報告書審査とほぼ同じです。ただ拷問等禁止条約の場合は第1回目の審査では法律制度の説明が中心になりそうです。それ以外では国ごとにレポートを書く担当者がいたり、NGOがカウンターレポートを提出する等の扱いはほぼ同じで、既に拘禁問題に関わるNGOがCATネットという連合体を立ち上げて統一した情報を委員会に提供できるように活動しています。

 過去の審査でどのような点が問題視されたかを既に2回の審査を終えているイギリスを例に見てみると、まず1回目の審査では全般的には条約上の義務に合致しているという評価が得られましたが、拷問防止義務との関連で警察による尋問のテープ記録が存在しない、尋問に弁護士が立ち会っていない、また北アイルランドでは黙秘権が認められていないこと等について委員会から憂慮が表明されています。

 加えてここで注目したいのはこの審査の会合にイギリスの国営放送BBCのカメラが入り、その模様がテレビで放送されたことです。そしてそれまで北アイルランドでの拷問の申し立てが1ケ月に100件あったのが、放映後は10件に減少したといわれています。人権団体が力を持てばこれだけのことができるのです。

 また次の2回目の審査で委員会は前回の審査以降、例えばプリズン・オンブスマンが任命されたり、刑事施設の改築が活発に行われている等について積極的に評価しています。しかし同時に北アイルランドでのテロ関連事件の尋問においてまだテープ録音が実現していない点や、弁護士の立ち会いが実現していないこと等、合計9項目について勧告がなされています。この事例から考えても日本の審査で代用監獄が存在していることや不十分な取り調べの録音について等、多くの勧告が出されると予測できます。

 拷問等禁止条約は人権の分野では被拘禁者の人権ということでマイナーな条約と思われがちですが、実は非常に幅広い内容です。確かにテーマは絞られているのですが、アメリカを中心とした「テロとの戦い」という深刻な対立状況にあっても国連の人権保障についての確固とした姿勢を明確に示している重要な活動だといえるでしょう。日本政府は来年の11月にようやく初めて政府報告書の審査を受けるわけですが、私たちNGOもそれに向けて日本の人権状況が改善されるような勧告が得られるようレポートをしっかり作成していきたいと思っています。

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