森原秀樹さん
武者小路さんの提起に対して、我々日本の被差別集団がディエン報告書を受け止めてどのように運動を展開することができるのかを考えていきたいと思います。我々運動体は日本にも人種差別・民族主義の問題は存在しており、それを公的に認めて解決に向けて取り組むよう、これまで求めてきました。ディエン報告書はそういった不可視化された差別の問題を歴史的・社会的に真正面から指摘しているといえます。そこでまず初めに各パネリストからこの報告書をどう受け止めるのか、また各々の差別の実態等について報告してください。
北口末広さん
部落差別の状況で差別事件から見える実態として、ネット上の差別事件の悪質化・増加という点が挙げられます。ご承知の通り今年の5月に運動体内部の不祥事が発覚し、それが刑事事件に発展して以降、これまで同和行政や解放運動に対するマイナス報道が続いています。それらの報道が既存の部落差別意識を活性化することを危惧しています。こういった報道に連動してネット上ではもっと露骨で差別的な情報が流されています。事件以降に「エタ」というキーワードで検索するとヒット件数が急激に増えています。しかしネット上での差別事件に対して何もできないのが現状です。
またこれ以外にも戸籍不正入手・「部落地名総鑑」差別事件や電子版「部落地名総鑑」の存在も深刻な状況にあります。実際に調査業者とも今年の5月以降身元調査の依頼が増えているとの事実確認ができており、ここでも先の事件によって差別意識が活性化されたと言えるでしょう。特に電子版「部落地名総鑑」については、いったん電子空間上にアップされれば従来とはまったく異なった経路で拡散していく可能性が高く、愉快犯的な発想や差別煽動を目的としたものになる可能性も高いのです。私は電子版「部落地名総鑑」が出回ることにより、差別意識が強化されることをもっとも危惧しています。
また意識面では5年ごとに行なわれている大阪府民意識調査から2000年まで良い傾向にあった意識が、2000年以降は逆の方向を示していることがわかります。つまり今日の市場原理至上主義や格差社会を顕著に反映して、差別意識が悪化しているということです。さらに実態調査から格差拡大の中で悪化する差別実態も指摘されてます。日本の経済格差は確実に広がっており、2000年のデータを基にしたOECDの調査では日本の相対的貧困者層は米国に次いで世界第2位です。その差が僅かだったことから最新の数字では日本がトップになっているのは間違いないでしょう。
この大きな原因に正規雇用と非正規雇用との賃金格差があるわけですが、部落の就労実態は非常に厳しく、格差拡大の底辺を同和地区が担っていると言えます。こういった差別の現状をディエン報告書が世界に知らしめたことは非常に大きな意味があったと思います。
金城馨さん
自分自身の中では正直言って「人種差別」という言葉に違和感を持っています。恐らく明治以降の沖縄統合を巡る「沖縄人と日本人との関係」を体感することのないまま同化が進められ、いつしか日本人だと思い込まされて育ちました。その結果、自分が日本人だという意識と、沖縄人だという意識が複雑に絡まって、整理がつかない状態が続いているからなのでしょう。
それは裏返せばディエンさんがおっしゃる通り、私たちは植民地主義と同化政策よって生み出された民であって、日本人に気に入られる沖縄人を演じているに過ぎません。そうして自らの主体性を放棄した、自己決定権を持たない「沖縄人」「沖縄」が作り上げられていったのです。そのような自分たちの今ある立場を知るきっかけとして、報告書は非常に大きな意義がありました。
内面的には同じ日本人でありたいと思っていても、実際には同じ日本人として扱って貰えません。その間に存在する差別を乗り越えるには、沖縄の現状を日本人にもわかって貰うしかないと考え、これまで沖縄を理解して貰う取り組みを行なってきました。しかし、結局理解されることはありませんでした。「沖縄を理解して貰うことで問題が解決する」という発想は結果的に錯覚だったのです。
それはここ数年間「人類館事件」(1903年に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会というイベントの際、「学術人類館」という東大の学者の監修によるパビリオンで沖縄、アイヌ、台湾、インド、マレー、ジャワの人々が民族衣装姿で展示され、見世物とされた事件)について調べる中で明らかになってきました。沖縄人が同じ日本人であるなら、何故沖縄人が展示されるのでしょう。それは本質的にそうは思っていないからです。沖縄人を日本人とは別の民族として位置づけたことは正しいのですが、問題は展示する側の優越感と展示される側の劣等感を植民地支配に利用しようとする意図と、それを学問として日本全体が受け入れていた点にあると私は考えています。それが今日の基地問題等につながっているのでしょう。
日本社会は一方で沖縄人を日本人と同等、或いはそれ以上と称えておきながら、他方では基地の75%を沖縄に集中させています。つまり我々の思いが植民地支配へプラスの方向で作用しているということです。そして差別は今も続いています。人類館が展示されていた一定期間だけ差別されたのではなく、今も続いているのです。
宋貞智さん
現在日本に住む外国人は200万人を超え、そのうち旧植民地支配国出身者やその子孫の特別永住資格者は46万人といわれています。日本政府はこれら在日コリアンに対する戦後処理を誤り、排外と同化の施策で臨んだのです。
具体的には日本政府は国籍条項に基づく過酷な法的制度差別と、生活に直結する就職差別で在日コリアンに絶対的な「貧困」か絶対的な「同化」を強いてきました。現在、在日コリアンの6世が誕生する時代ですが、その法的地位は権利としての「永住権」ではなく、不安定な「永住資格」でしかありません。
また在日コリアンの人権を守る法律はなく、あるのは治安を管理する「外国人登録法」と「出入国管理及び難民認定法」だけなのです。また国籍条項を理由に参政権・援護法・公務員採用・国民年金等の社会保障等から排除され、教育では日本学校への就学が義務付けられました。しかし税金については日本人同様の納税義務が適用されています。要するに義務があって権利がない状態が今日まで続いているのです。
このような在日コリアンの問題を目の当たりにして半世紀以上が経ち、新たに外国人が増加する中で、全国で外国人に対する差別事件が増加しています。例えばスポーツクラブへの入会や人材派遣会社への登録の際に外登証の提示が求められるケースや、NTTドコモが在日コリアン以外の外国人に対して預託金制度を設けている実態があります。
何故このような事件は起きるのでしょう。それは企業が外国人を消費者や地域住民ではなく「リスク」という考え方で捉えているからでしょう。料金を払わない等のリスクは日本人も外国人でも同じはずです。しかしこういった企業は相手を知らないままに「リスク」と捉え、一方的に差別的なルールを外国人に用いているのです。また外国人に対する入居差別も日常的に発生しています。
在日外国人を「リスク」ではなく「地域で共に生きる住民」と捉えていかなければ、多民族・多文化共生はただの幻想になってしまいます。ディエン報告書は残念ながら在日外国人の生活実態を十分反映したものではなかったのですが、日本の差別実態が包括的に明らかにされたのは画期的と言えます。従って今後はこの報告書を受けて差別を禁止する法律の制定や、「違いを認めて共に生きる」社会の確立に向けた取り組みを進めていきたいと考えています。
リリアン テルミ ハタノさん
世界人口に対する男女比率は半々だと思いますが、この会場では女性の参加者は圧倒的に少ないですね。これには様々な背景があるのでしょう。
いずれにしても社会というものは様々なマイノリティを生み出します。ですので、私たちは常に自分自身を監視し続けなければなりません。つまり皆さん一人一人が「男女が平等であるか」「国籍や歴史的背景が違っていようが、全ての人が平等であるか」ということをいつも考えていかなければならない、ということです。そういった観点から今回は女性で、かつ在日ブラジル人1世(日系ブラジル人という言葉は非日系ブラジル人を排除してしまうので、敢えて在日ブラジル人と自称しています)としての当事者性も含めて、報告していきたいと思います。
日本は現在多くの外国人を受け入れる立場にありますが、同時にこれまで多くの移民を海外に送り出している国でもあります。私の親がブラジルに移住した当時、移民たちは現地のブラジル人を「外人」と実に自己中心的な発想で呼んでいたように、日本は移民と一緒に人種主義も海外に輸出していたのです。
私が今回危機感を持って最も報告したいのは、構造的・制度的につくられる「ゼノフォビア(外国人嫌悪)」についてです。記憶に新しいことですが、広島でペルー人男性が日本人女児を殺害するという事件がありました。当時マスコミはこの事件を大々的に報じ、これによって外国人は日常生活に恐怖を覚えるほど厳しいバッシングを受けることになりました。
しかしこれが逆に外国人が被害者の場合はほとんど報道されません。例えば97年に14歳のブラジル人少年が20人以上の日本人少年にリンチされた事件がありましたが、警察は当初、事件化さえしようとしませんでした。そういった状況であるから、メディアからの一方的なバッシングによって命を狙われる、差別されるのではないかと外国人は日常的に不安を感じています。
こういった状況は徐々に作り上げられてきたものです。皆さんの中にも最近外国人による犯罪が増えていると信じている人が結構いるのではないでしょうか。統計を調べれば事実は明らかなのですが、嘘も百回言えば真実になると言われるように、日本政府がメディアを通じて国民の間にデマを浸透させてきたことに、私は非常に危機感を感じています。
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