講座・講演録

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2006.12.26
講座・講演録
世界人権宣言大阪連絡会議ニュース292号 より

イラクなどの紛争地からみた人権と平和構築

ジョン・パチェ (元イラク国連支援ミッション人権局長)


国連のイラクでの取り組み

 国連がイラクに国連イラク支援ミッション(UNAMI)の事務所を設置したのはイラク侵攻直後の2003年4月でした。その4日後、バクダッドで国連代表団が攻撃を受け、当時国連人権高等弁務官であったセルジオ・デ・メロ国連事務総長特別代表を含む22名が死傷しました。この事件を受けて国連はいったんイラクから撤退し、ヨルダンのアンマンに事務所を移しました。現在も大半の活動の拠点はそこに置いています。その年の8月、国連は厳重な警備のもとイラクに戻りました。特別代表と側近からなる小さなチームで、その中に人権事務所も再び設置されました。人権事務所は2人からなり、その1人が私でした。人権事務所はヨルダンのアンマンとバクダッドにオフィスを構え、当初私はアンマンに、もう一人がバグダットで活動を開始しました。私は2006年2月にその任を終えイラクを去りました。

 国連のイラクでの仕事は、政治体制の段階的移行と憲法草案・議会選挙のプロセスのサポートでした。イラク侵攻後、3段階で政府が作られてきました。最初は連合軍による暫定政府でした。次は2005年1月30日の国民議会選挙による、1年限りの憲法起草のための暫定政権であり、アラウィが首相となりました。その後、同年10月に憲法草案が国民投票で承認され、12月15日の国民議会選挙を経て、2006年5月20日に現在の政府が正式に発足したのです。言葉にしてしまえば非常にスムーズな移行と思われるかもしれませんが、現実は決してそうではありません。

イラクが抱える問題

 問題はいくつかあります。まず1つは政治体制確立のプロセスです。スンニ派が移行のプロセスに適切に代表されずに進みました。イラクの人口の主要な構成部分の1つである彼らが、政治プロセスの蚊帳の外に置かれてしまい、その結果、戦争に発展するほどの敵対的な行動をとる人々も少なからずいます。このため、2006年8月に制定されるはずの憲法は今も見直し中です。

2つ目は法の支配と秩序が存在しておらず、警察も司法も正しく機能していないという問題です。2003年の侵攻以降、アメリカのブッシュ政権はイラクの軍隊と警察を解散させました。そのため数10万人の訓練された兵士が職を失い、その一部が民兵になって治安を悪化させています。現在イラクでは誘拐事件が多発しており、ひどい時には1日に100件以上発生しているほどです。

こうした治安の悪化によって、経済が良くならないという3つ目の問題も生じています。経済状況が悪いために失業者が増加し、失業した人々が自分たちの集団を守るために武装します。その結果、メディアでも報道されているような、シーア派とスンニ派の対立激化といった事態に発展してしまいます。

 またイラク北部はクルド人の多い地域で、国境を接するトルコ、シリア、イランにも多くのクルド人が生活しています。イラン・イラク戦争の時にこれらのクルド人がイラン側に寝返ることを恐れたサダム・フセインは、北部のクルド人を強制的に他へ移住させ、代わりにアラブ人を入植させました。戦争が終わるとクルド人は元住んでいた場所に戻り、今度は入植していたアラブ人が追い出されることになりました。

これ以外にもサダム・フセイン時代のクルド人の虐殺やロマの迫害など、経済的理由や戦争等によって、イラクでは人の移動が頻繁に起きてきました。これらも、それぞれの地域の住民感情を刺激し、問題をより深刻化させてきました。

軍事活動が続く現状

 イラクは文化的に豊かな国です。首都バグダッドも豊かな文化と緑に恵まれた町でした。現在、市街中心部は四方を壁で囲まれ要塞のようになっています。人々はここをグリーンゾーンと呼んでいますが、その中は、待ち伏せ攻撃などを防ぐために、樹木はすべて刈られています。中に入るには何重にもわたる厳重な警備を通過しなくてはなりません。バクダッド空港はそこから約10キロメートル離れており、そこへ向かう道路は「世界で最も危険な10キロ」と言われ、多くの場合、民兵を雇って警護してもらうことになります。米軍でさえも、夜間は民間の警備会社に守られているように、現在のイラクは警備ビジネスにとって魅力的な市場になっています。

今日のイラクで軍事活動を行っている民間人は3つのグループに分けることができます。1つ目は軍隊解散で失職して犯罪的な活動をする人、2つ目は民間警備会社に雇われた民兵。そして3つ目はアメリカを倒すために外国から入ってきた人たちで、21カ国から集まっているといわれています。このような人々が毎日のように民間人を標的に攻撃を続けています。 

こうしたことから起きる人権侵害のケースを、私たちの事務所では日々調査、記録してきました。そして、このような事態を早期に解決するようにイラク政府や米軍にも働きかけていますが、一向に成果は出ていないし、むしろ、事態は深刻化しているといえるでしょう。

国連のイラク人権プログラム

 UNAMIの人権事務所の仕事は、毎日さまざまな人々と会って実情を把握し、そこで得た情報をアンマンでイラク復興のために働いているUNICEF、UNESCO、WHO、あるいはILOなどの国際機関やNGOと共有しながら協議し、実情に即した法制度と人権システムの再建プログラムを当局と協力して作っていくことです。イラクは、過去から引きずってきた深刻な人権問題と、侵攻後に発生している深刻な人権問題を抱えています。侵攻前と後では問題の種類は違いますが、被害者は常にイラク市民です。そのため、私たちは、イラクの人々が自助努力するなかで、状況をいかに回復するかの方法を探ってきました。

 これら取り組みは、イラク人権プログラムと呼ばれ、2004年6月8日の国連安全保障理事会決議1546に基づき実施されています。その目的は法の統治と人権尊重の確立です。その特徴の一つは継続性です。何が起こるかわからない状況の中で取り組んでいるため、プログラムを絶えず見直して、進化させていくことは重要です。この安保理決議には人権以外の課題への取り組みも含まれており、それらとの整合性を図ることも特徴といえるでしょう。具体的には選挙のサポートや、憲法草案のサポートで、どれも決して容易な活動ではありませんでした。そのため私たちは政府当局や市民など、イラクのパートナーとの対話を重視しながら、取り組みを進めてきました。

 イラク人権プログラムのもとで多くのプロジェクトが進められていますが、それらは2つのグループに大別できます。1つは社会的基盤(インフラ)整備の強化に関するもので、もう1つは行政サービスに関するものです。 まずインフラ面では司法制度の強化、人権省の強化、市民社会の強化という3つのプロジェクトがありました。司法制度について言えば、法務省は全国で約4万人の職員をかかえていますが、その中で博士課程を修了した人は6人しかいませんでした。人権省は新しい機関で熱意ある若い職員によって構成されていますが、経験不足という問題がありました。私たちはこれら職員の育成の支援を行ってきました。市民社会とのパートナーシップについても、さまざまな市民組織とやり取りを行いながら築いてきました。

行政サービス面については、まず法制および司法改革の支援があげられます。これはそもそもイラク国内にどのような法律があって、それが今でも適用できるかを調査・分析する作業から始まりました。

人権教育に関する国内計画の策定と実施の支援も重要なプロジェクトでしたが、人権教育の実施を担うはずの教員が多数国外へ出てしまっている、教育省の職員が誘拐されてしまうなど、イラクにおける人権教育は非常に難しい状況にあるといえるでしょう。

また最近はメディアの活動も活発化してきましたが、まだ特定の人々が金品を渡して都合の良い報道をしてもらうなどの慣行が残っています。独立性強化のためのメディアの支援もプロジェクトとして取り組んできました。

さまざまな矛盾を抱えながら

イラクには今もなお問題が山積しています。特に深刻なのは法律の問題です。国内レベルおよび国際レベルでも法的矛盾を抱えています。例えば、憲法が制定されていない段階で選挙が行なわれて国会議員が選ばれたり、法律上は市民を拘束する権限のない内務省が多数の市民を拘束し続けています。国際レベルでは、多国籍軍が無実の人を含む2万3千人の市民を拘束しています。国連は先の安保理決議を根拠に治安のためにこのような拘束を行なっていますが、これら拘束の現況は、ジュネーブ条約の規定とはほど遠い場合が多々あります。このように現在もイラクは混乱を極めており、解決しなければならない問題が非常に多くあります。

【質疑応答】

Q,日本も敗戦を経て体制が変わったわけですが、それと比較してイラクの現状はどうでしょうか。

A,それらを一概に比較することはできないでしょうが、再建に向けた政治意志のレベルが違うといえます。日本の場合は再建に向けて国内的にまとまった一貫性のある政治意志がありましたが、イラクではそれが弱く、加えて外部からの干渉が多いという問題があります。パレスチナ問題や難民問題などイラク周辺にはフラストレーションを起こすような問題が多くあり、そこに外からの政治的干渉が絡み、さらには世界第2位を誇るイラクの石油埋蔵量も再建に大きく影響しています。これらが日本とイラクの大きな違いです。

Q,治安の回復は軍隊にできることではないと思います。最優先課題は法の整備と、それを行使する警察の再建ではないでしょうか。

A,フセイン政権時代から文民警察は軽視されていました。そこでアメリカは侵攻後ヨルダンに警察官育成の施設を設けて、イラクの若者を6週間トレーニングするなどのプログラムを実施しました。しかしトレーニング期間が短いことと、トレーニング終了後の管理体制ができていないことで、研修を受けてイラクに戻っても仕事に就くことができませんでした。結局これらの取り組みは効果がなく、警察の再建は失敗に終わっています。これに対して、警察を管轄する法務省は手っ取り早い手段として、元民兵を訓練もしないまま警察官として採用しています。その結果、警察官が、個人的に気に入らない人や敵対関係にある人を理由もなく逮捕する、お金を巻き上げるなど、法律を無視した行為に走っています。

法制度についても問題があります。アメリカは司法省から裁判所を独立させました。それ自体はとくに問題はありませんが、独立させただけでその基礎となるインフラを十分に提供しなかったため、双方が弱体化してしまい、汚職のメカニズムや警察が裁判所に従わないなどの問題を生み出しています。

Q,イラク人権省の役割はどうなっていますか。

A,人権省を設けることが良いことかどうかは私には分かりません。一般的に言って、人権省以外の省庁は、市民から人権に関する訴えがあったときに、「うちは人権省ではない」という口実で責任逃れする傾向があります。したがって、イラクの人権省の管轄権や任務について、今後注意深く見守っていく必要があるでしょう。また人権省をどれだけ活かしていけるかは、今後の政治意志にかかってくるでしょう。