はじめに
今回のテーマである国際刑事裁判所は世界中の様々な思いの下、20世紀の最後にできたもので、恐らく今年中に日本も加盟するだろうといわれています。ですから今後新聞等でも取り上げられる機会が増えるであろうこの問題についての知識を今回は得てもらいたいと思います。
戦争観の変遷と法
本題に入る前に戦争と法について歴史の上から考えてみたいと思います。戦争とは当然のことながら恐ろしいことですが、その戦争に対して規制や制限をかけるような何らかの法律はこれまであったのでしょうか。
そこで考えなければならないのが「善い戦争と悪い戦争はあるのか」という問題です。私達はどうしてもやらなければならない戦争とどうしてもやってはならない戦争があると考えがちですが、それはごく最近の発想で、歴史的には戦争に善悪等ない時代が長い間続いていました。つまり戦争とは力と力のぶつかり合いで、強い方が他の領土を奪っていくことに過ぎなかったのです。
これが12世紀頃からキリスト教社会であったヨーロッパではイスラム教社会との対立の構図から、キリスト教の大儀を実現するための戦争は構わないが、それ以外は駄目だとする聖戦論の考え方が支配するようになりました。しかしこれも18世紀に再び変化し、無差別戦争観という考え方が支配的になっていきます。これは聖戦論以前の考え方と同様に「力のあるものが力のないものから奪う」というもので、その背景には世界的な植民地の争奪戦があったのです。こうなってしまえばまた戦争に善悪はなくなって、必然的に勝者が善で敗者が悪という形になってしまいます。この無差別戦争観が戦争に対する法として長い間捉えられてきたのです。
ところが19世紀の終わり頃から無差別戦争観の中にも新しい考え方が登場してきました。それは例えば文民に対する攻撃や略奪をしないことや、化学兵器や生物兵器の使用禁止、或いは捕虜の処遇等について決まりを作ろうという動きです。これはアメリカの南北戦争で法として初めて出てきました。要するに戦争自体には法はありませんが、戦争のやり方については法を設けましょうという考え方です。これが後に戦争のやり方を規定したハーグ条約やウィーン条約、それらを詳細に規定した1949年のジュネーブ条約につながっていったのです。
戦争に対する法
一方、肝心の戦争に対する法はどうでしょう。こちらは20世紀に入って第一次世界大戦で多くの被害を出した後に、ようやく1929年に不戦条約として定められたのです。この条約には日本も入っていました。ここでは善い戦争と悪い戦争が定められており、侵略戦争を後者、自衛の為の戦争を前者とする考え方でした。しかし人類は再び過ちを犯して第二次世界大戦を迎え、戦後に国連が発足しました。そこで定められた国連憲章では先の不戦条約の考え方が取り入れられ、いくつかの原則が示されています。つまり国連憲章では戦争は原則違法とし、自衛の場合のみを例外としています。しかし不戦条約とは違って自衛の為の戦争でも、安保理が動くまでの暫定的なものでなければならないと規定しているのです。これによって戦争と法の関係、つまり戦争をやって良いのかどうかの問題は整理がついたといえるでしょう。また戦後になってからはジュネーブ条約のように戦争中の禁止事項を守らせるだけでなく、責任者の処罰も視野に入れた国際人道法という考え方も生まれているのです。
国際刑事裁判の必要性
では次に国際刑事裁判に話を移していきましょう。この考え方が出てきたのは第一次世界大戦の終了後になります。ご承知の通りこの戦争で負けたドイツは戦勝国であるイギリスやフランス等とベルサイユ条約を結ぶのですが、そこでドイツの皇帝を国際刑事裁判で裁くという話が出てきました。結局このときは連合国の考えがまとまらなかったために実現しませんでしたが、条約に違反する戦争行為が行なわれても、それに対する処罰はそれぞれの国内法に基づいて行なうとされていた当時において、国際社会が裁くという発想が出たことは画期的だったと言えるでしょう。そしてこれが初めて実現したのが第二次世界大戦終了後に日本やドイツの戦犯を裁いたニュルンベルグ裁判や東京裁判でした。
これらの裁判は「初めて国際刑事裁判が実現した」という意味で大きな意義がありましたが、問題点も多くありました。第一にそもそも戦犯を裁く根拠となる法律が国際社会にあるのかという大きな問題がありました。刑事法の世界では何が犯罪であるかはあらかじめ法律で規定しておかなければならないとする罪刑法定主義や事後法の禁止というのが常識ですが、戦争犯罪についてそういった規定が事前になかった点が大きく批判されました。また弁護側の権利が制限された点も問題視されています。これらの批判は東京裁判に否定的な立場の人々から出されていますが、これを擁護する人々からも例えば天皇の責任が問われていない等起訴が政治的であった等の批判も出ています。
これらについて話し出すと時間が足りませんが、私はこれらの裁判から二つの教訓が得られたと考えています。一つは戦争や大量虐殺といった人権侵害の責任者は処罰するべきだとするルールが国際社会にできた積極的側面。もう一つは手続的に問題のある裁判は国際的な正当性を得られず、いつまで経っても勝者による敗者への裁きだと批判されるという側面です。
国際刑事裁判所(ICC)の設立にいたるまで
国際社会はそういった批判を十分に理解し、1949年に国連で国際刑事裁判所(International Criminal Court-以下、ICC-)設立に向けた決議がなされたのです。ただこの後世界は冷戦状態を迎え、冷戦体制が崩壊するまでICCが議論されることはありませんでした。そしてベルリンの壁が崩され冷戦が終了すると1990年代に再び議論が活発化するのですが、同時期にヨーロッパとアフリカで無視できない事態が起こりました。旧ユーゴスラビアとルワンダでの民族紛争です。民族浄化や大量虐殺が行なわれたこれらの惨状に対して、国連や国際社会は何も手を出すことができなかったのです。
そこで急遽国連安保理は、特にアメリカ主導で旧ユーゴスラビア国際刑事法廷とルワンダ国際刑事法廷を設置しました。これらの法廷は東京裁判等と比較すると格段に進化しているといえるでしょう。例えば当事者の一方だけを裁くのではなく、悪いことをしたすべての当事者を処罰するシステムになっています。また被告人の人権も国際人権の水準で保障されていました。
しかし事件後に設置された法廷であるという問題は解決されていないのです。実際にここで裁かれた旧ユーゴスラビア大統領のミロシェビッチも国家元首を裁く国際法が存在しない上に、事件後に設置された法廷で裁くような裁判は認めないという見解を主張し、弁護人をつけることさえも拒否しました。他にも同様の主張を行なう被告人が多く、結局は事後的に設置された、さらに安保理に操作されているという点が被告人の法定に対する格好の攻撃材料になってしまったのです。
これでは裁判に正当性が得られない、また財政的負担もかなりかさむ等の理由から常設のICC設立に向けた動きが急速に進んでいったのです。
国際刑事裁判所(ICC)の設立
ICCの設立は、具体的には1998年のローマ全権外交会議で採択されたローマ規程で決まったわけですが、ある意味で世界規模の刑法典を作ることである上に、米中ロという大国の反対もあって当初は実現不可能とさえ思われていました。しかしヨーロッパやアフリカ諸国の政府の働きかけや、何よりも世界的なNGOの取り組みによってICC設立は実現したのです。
しかしローマ規定が採択されても条約への加盟国数は伸び悩み、条約発効の条件である60カ国以上の加盟に届かないのではないかと心配されていました。その状況が一変したきっかけは2001年の9.11同時多発テロ事件でした。この事件の後に多国籍軍がアフガニスタンを攻撃する等、一連の流れの中で批准国は急速に増え、2002年7月に条約は正式に発効したのです。
その背景には様々な要因があるでしょうが、やはり当時強かった21世紀に対する楽観的な考えが9.11事件によって覆されたことが一番大きかったのではないでしょうか。20世紀のような戦争を繰り返す時代に戻るのか、テロや大規模な人権侵害には法の支配、国際的な刑事司法を以て立ち向かうのか、今が瀬戸際であって、そこに危機感を持ったこれまでICCに賛同していた国々が一気に批准に動いたのではないかと私は考えています。
国際刑事裁判所(ICC)とは
ではICCとはどういったものなのでしょうか。ここが扱う犯罪は大きく分けて‡@ジェノサイド(集団殺戮)、‡A戦争犯罪(ジュネーブ条約等で禁止された戦争行為や、戦時下での女性に対する性暴力も含む)、‡B人道に対する罪(非戦争状態での大規模な人権侵害等)、‡C侵略の罪(侵略責任者の罪)の4点ですが、侵略の罪に関してはまだ定義規定が完了していないので現在は3種類となっています。
それでこういった犯罪をどのように裁いていくのかということですが、ICCでは補完性の原則が取り入れられています。これは犯罪が起こった場合、まず自国で国内法に基づいて裁くことを前提とし、それができない場合はICCが裁くということです。ICCの裁判システムは上訴ができる二審制で死刑はなく、例外的に終身刑はありますが原則的に刑期は30年までとされています。また手厚い保護の下、被害者が当事者として裁判に参加できるのも特徴の一つといえるでしょう。
ただICCが裁くのは個人ですが、世界中のすべての人に管轄権が及ぶわけではありません。ICCはあくまでもローマ規定という条約によって成立している関係上、犯罪が行なわれた場所が条約に加盟している国であるか、犯罪者の国籍が条約加盟国である場合しか訴追できないという問題があることもご理解いただきたいです。
日本の加盟について
ではそんなICCは日本にとってどのような意味を持つのでしょうか。
アメリカは既にICCに加盟するならば軍事面も含めた諸外国に対する援助を停止するといった反ICC法を作っているぐらいですから、アメリカの加盟は当面考えられません。ですから資金面においても日本に対する国際社会の期待は大きいでしょう。
しかし日本国内では他党がマニフェストにICC加盟を掲げていても、自民党は長い間この問題に関心を示してこなかったのです。だが武力ではなく法によって解決しようとするICCの趣旨を理解し、また安保理常任理事国入りを目指すには加盟すべきという判断もあったのかもしれませんが、いずれにせよ自民党が方針を転換した結果、年内の加盟がほぼ確実な状況になってきました。
市民・NGOと国際刑事裁判所(ICC)
では日本のICC加盟によって市民やNGOは何ができるのでしょうか。実は戦争責任や国際人権に関わるNGOからは以前からICCの必要性は叫ばれていました。例えばこれまで私が取り組んできた従軍慰安婦問題についても何故これまで性奴隷・性暴力が罪として裁かれないのかという思いがあり、同じ過ちを繰り返さないために戦争犯罪や人道に対する罪を裁くための国際的な裁判所が必要だということは共通認識になっていました。
また戦争責任を問われなかったチリのピノチェト事件や、日本が引渡しを拒否したペルーのフジモリ事件に代表されるような国内で裁くことが難しいケースに対して、ICCは国際人権のシステムの一つとして大きな活躍が期待されています。
I CCの存在は日本が加入しても、私達の日常にすぐに影響することはないでしょう。ただ実際に現在も世界各国で行なわれている紛争や人権侵害に対して、これまで何もできなかった国際社会の出した答えがICCであるのですから、それにきっちり応えていけるシステムを日本でも築いていかなければならないということを是非ご理解願いたいです。