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2007.06.04
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「学力格差社会」の現状と課題

耳塚 寛明(お茶の水女子大学教授)


メリトクラシーという概念

 学力格差社会の現状と課題について話を進めていく前に、重要な概念であるメリトクラシー(Meritocracy)について説明いたします。これはイギリスの社会学者Young, M.による造語です。彼は能力(知能指数)と努力を併せたものをメリット(Merit)と位置づけ、そのメリットを持った者たちが成功し、高い地位につく社会構造をメリトクラシーと定義しました。つまり生まれ・身分・社会階級あるいは豊富な富ではなく、メリットをもった者たちが成功し、人々を支配する社会です。これは貴族社会や身分・階級社会とは違って、機会が平等になったという意味で、格段に進歩した社会といえるでしょう。

 メリトクラシーの時代において、人々の選抜は主として学校教育と職業世界における業績に基づいて行われます。学歴は学校教育における代表的業績指標であり、学校教育は学歴獲得競争を通じて、人々を生まれの束縛から解放して社会的上昇移動を可能とする競技場だったのです。

 しかしこのように機会が平等になっても、人々の間には結果的に不平等が残っており、メリトクラシーが人類の求めてきた究極の社会構造とは言えません。しかしそれでもメリトクラシーの観点から現代社会を検証すれば、どこに問題があるのかが明らかになってくるのではないでしょうか。

 そこでまずこの観点から、日本の学校教育で何が起こっているのかをいくつかのデータ事例から考えてみたいと思います。

 

何が学力を決めるのか

 学校現場には努力万能神話あるいは「学力は努力に比例する、だからがんばれ!」という「がんばれ!」主義が存在しています。しかしその考え方は事実なのでしょうか。

 「努力はどこまで学力を高めるか」を明らかにするために、2002年に関東地方12都市で17公立小学校、約6,200人を対象に学力調査を実施しました。ここでの小学校6年生の算数の基礎的学力調査結果を分析すると、次のようなことが明らかになってきました。

 分析の大雑把な枠としては<1>学力としての正答率、<2>努力を示す家庭での学習時間、<3>父親が大卒であるか否かから見た社会階層の3点で、それぞれの関係性を調べてみました。すると父親が大卒の場合、学習時間が平均50分で正答率が83.6%であるのに対して、非大卒の場合は学習時間が31.5分で正答率は75.9%という結果が出ました。

 つまり父親の学歴が子どもの努力と学力に影響しているということです。一方、学習時間から正答率を見てみると、学習時間が伸びるに連れて正答率も上がっており、努力すれば学力は上がるということも明らかになりました。

 

努力媒介仮説の検証

 この単純なデータから、努力媒介仮説という仮説が導き出されます。つまり父大卒の子どものほうが学力が高く、それは彼らが努力する(学習時間が長い)ことが原因ということです。

 努力媒介仮説について結論から先に述べますと、この仮説は半分正しいと言えます。それは今回のデータの正答率を縦軸、学習時間を横軸とするグラフを用いて、父大卒と非大卒の階層別に表すとわかりやすいでしょう。

 両階層の直線には大きな特徴が2つあります。1つは直線の傾斜角度が父非大卒階層より大卒階層の方が緩やかであるということです。これは学習時間が学力に及ぼす効果の度合いであって、父非大卒階層では100分勉強すれば20点上昇するのに対して、父大卒階層では100分勉強すれば7点上昇すると示しています。

 もう1つの特徴は学習時間が0のときの正答率が父大卒階層では80であるのに対して、父非大卒階層では70になっている点です。これはつまり父大卒の子どもは努力量0のとき、すでに優位にあるということです。高学歴層の初期的優位性が明らかになったといえるでしょう。

 この高学歴層の初期的優位性を、父非大卒の子どもはカバーできないわけではありません。しかし父非大卒階層の子どもが努力量0の父大卒階層の正答率に追いつくには51.7分の学習時間が必要となっています。父非大卒階層の平均学習時間が31.5分であることからもわかるように、父非大卒階層の子どもがその差をカバーするには格段の努力を要するので、その意味で努力媒介仮説は半分正しいといえるでしょう。

地域による学力形成過程の多様性 

 次のデータですが、これはお茶の水女子大学21世紀COEプログラム「誕生から死までの人間発達科学」という調査によるもので、Aエリア(関東地方で人口約25万人、保護者大卒率は父39%・母26%)とCエリア(東北地方で人口約9万人、保護者大卒率は父24%・母17%)という2つのエリアで継続的に行なった調査研究の結果です。

 この2つは対照的なエリアです。Aエリアは首都圏の中都市で、私立の中学校があるために一部でそこへの入学をめざした準備行動が見られます。一方のCエリアには公立の学校しかありません。これらの地域で学力テストと併せて、性別、家での学習時間、家庭的背景等を指標に何が学力を決めるのかを比較分析しました。その結果、学力に影響があると思われる要因で、次の3つの違いがあることがわかりました。

 それは<1>平日の学習時間の平均はCエリアで長く、かつ勉強する子としない子のばらつきが小さい。<2>校外学習機会の利用率は受験塾・補習塾双方においてAエリアではどの学年でも高い。Cエリアでは中3段階になると通塾者が増加するものの、小学校段階ではごく少数である。<3>父親の大卒比率は、Aエリアで高いという3点です。

 つまりこれらが学力を左右する重要な要因であると言えます。特に受験塾に通塾している場合としていない場合の学力差が顕著に現れていました。

 

大都市圏の場合

 次にここで行ったAエリアでの学力テストをもとに、私立中学の入学者選抜シミュレーションを行なってみると、今日の大都市近郊中都市の風景を描き出すことができました。そもそもAエリアでは非通塾者86.3%・通塾者13.7%で、父親の非大卒65.7%・大卒34.3%でありましたが、90点を合格ラインとすれば合格者の81%が受験塾通塾者、69%が父大卒で占められ、60点以上を合格とした場合にもそれぞれ通塾者が4割、父大卒が6割弱を占めることになります。

 このように学校側が「受験塾通塾者で父親が大卒階層」の選抜を意図しなくても、難易度の高い学校になればなるほど、学力による選抜を行なえば、結果的にこのような背景を持つ子どもによって占められることになるとこのシミュレーションは示しています。

 さらに突き詰めて考えれば、学力による選抜は受験塾通塾と父大卒による選抜であると同時に、家庭の「経済」と「文化」による選抜ともいえるのではないでしょうか。

 

地方都市の場合 

 一方Cエリアに注目してみますと、こちらでは家庭的背景や受験塾への通塾行動は、必ずしも学力に決定的な規定力を持っているわけではありません。父の学歴が学力に与える影響も相対的に小さいと言えます。

 それよりもここで注目しなければならないのは、学校間の学力格差の問題です。Cエリアで行なった学力テストの結果を学校別に見てみると、平均点が最も高い学校が61.6点であるのに対して、最も低い学校では30.3点しかなかったのです。この背景には地域や学校の特性、あるいは教員の力量など様々な要因があるのでしょうが、これだけ大きな格差は決して放置できない実態だと思います。

大都市の傾向が地方へ

 我々研究者はこれまで学力形成の社会的メカニズムを明らかにして、家庭的背景と学力の結びつきに警鐘をならしてきましたが、それらはもっぱら大都市圏およびその周辺都市における調査結果に基づくものでした。しかし今回、両エリアを比較してみて、地域による学力形成過程の多様性が存在することが明らかになりました。従ってこれまで私たちが発してきた警鐘が決して無意味なものだったとはいえないにせよ、その範囲は限定されなければ適切な対応ができないといえます。

 一方で地方変容の兆しも無視できません。文部科学省が2004年に実施した「子どもの学習費」調査の結果によると、これまで大都市圏で目立った小学生の通塾が中小都市へも浸透してきています。人口規模別に学習塾費の変化を見ると、大都市圏ではほぼ横ばい傾向なのに対して、5万人以上の中小都市で伸びが突出しており、低学年からの通塾が地方へも広がりを見せてきています。

 こういった傾向から考えて、今後は地域による学力形成過程の多様性が減少し、大都市圏に見られるような家庭的背景と学力の関係性が地方にも広がっていくのではないかと私は予測しています。

家計と学力 

 次に家計と学力について、再びAエリアのデータから考えてみます。

 最初に留意しなければならないのは、家庭的背景に関する確かなデータが集められていないという欠陥です。これまでの調査では家庭的背景についての情報もすべて子どもの回答から算出されていました。しかし、例えば保護者の学歴について質問した場合、保護者と子どもの回答ではデータに大きなずれが生じており、その結果、所得等と学力の関連は地域データに依拠した推測にとどまっているといわざるをえません。

 そこで欠陥を補うために保護者調査を実施したのですが、そもそも実施が困難で回収率も29.5%と非常に低い結果に終わってしまいました。また高学力・高学歴層で回収率が高いという偏りもあります。個人情報保護と調査拒否の趨勢の中で、政策的に重要な情報をどう確保するかが今後の重要な課題といえるでしょう。

 しかし、偏りのあるデータとはいえ、そこから見えてくることもあります。

 まず学校外教育費支出と学力の関係についてですが、当然支出に応じて学力は上がっていきます。中でも支出が1~3万円台の平均学力が49.9であるのに対して、3~5万円台では66.3と差が大きくなっている点が特徴といえます。おそらくここが受験塾に通塾しているか否かの境目ではないでしょうか。

 また親の子どもの学歴に対する願望が高いほど学力は高くなり、世帯所得と学力の関係においても所得が上がるに連れて学力が上がっていることが明らかになりました。

メリトクラシーからペアレントクラシーへ

 ここまで何が学力を決めるのかを分析してきましたが、家庭経済が学力に与える影響が予想以上に大きかったというのが私の感想です。これをさらに決定づけるデータを最後に紹介します。

 それは難関国立大学医学部にどういった人が合格しているかを調査した結果です。国公立9大学医学部合格者の出身高校の変遷を調査してみると、1981年では72.2%が公立高校で22.2%が私立高校であったのに対して、2005年になると公立高校12.5%、私立高校が83.3%というように逆転していて、難関国立大学医学部は急速に大都市圏にある私立中高一貫校出身者の寡占状態になってきています。

 つまり今日では難関国立大学医学部に進学するには、大都市・その周辺に居住し、小学校の早期から私立進学を選択して受験塾に通塾し、それを可能とする経済力と文化的環境を有する人が有利な状況にあるといえるでしょう。

 では誰がこのような進路を選択するのでしょうか。それは当然子ども本人ではなく、その親による選択なのです。そうなると冒頭で説明したメリトクラシーという概念は通用しなくなります。なぜならメリトクラシーという能力と努力が合わさって生み出された業績が成功につながるという構図ではなく、財産と願望が合わさって生み出された選択が成功につながるという構図になっているからです。

 先の概念をメリトクラシーというのに対してこちらの概念をペアレントクラシー(社会学者ブラウン・P)と言います。難関大学入学分布データだけでなく、これまでみてきたデータの多くがメリトクラシーからペアレントクラシーへと時代が移行していることを如実に表しているといえるのではないでしょうか。

ペアレントクラシーの時代を迎えて

 ではこのようなペアレントクラシーの時代にどのような政策が必要なのでしょうか。

 まず経済的支援の必要性があげられます。家庭の所得の多寡が進学機会を制約してしまうことを危惧する声がにわかに高まっています。データが示すとおり、高所得層の子どもほど大学等への進学率は高く、中でもエリート難関校でその傾向が強いと言えます。ここから所得格差の是正と経済的支援の必要性が叫ばれるのです。学力が所得により規定されているのならば、十分な経済的支援が行われた場合、これまで大学への進学を希望していなかった高校生の一部は奨学金等によって進学を果たせるようになるでしょう。また所得格差の是正には雇用政策の改善も必要です。

 しかし経済問題としての対応だけでは十分ではありません。経済のみならず家庭の文化的環境も進学機会を制約するため、文化的環境の重要性も十分に認識する必要があります。

 高学歴家庭においては無意識的に備わることの多い文化的環境 ―例えば豊富な書籍や博物館見学等の文化的体験、視聴するテレビ番組、茶の間の話題- すら学力に影響します。そうした文化的環境と体験に恵まれた子どもに、恵まれない子どもが追いつくには、先述のとおり格段の努力を要することになります。

教育の不平等を乗り越えるために

 現在の日本社会は2つの教育の不平等に直面しています。1つは所得に起因する学力と教育機会の格差で、もう1つは文化による学力と教育機会の格差です。これらへの対応策として、所得については政策によって奨学金等を通じて家庭に配分することができますが、文化は政策的に配分することが絶望的に難しいといわざるをえません。

 しかし今後の調査研究によってこの点に対する具体的な政策も打ち出されることになるでしょう。たとえば学校教育においては、成功している学校の取り組み事例を共有化すること。学校現場以外においては、現在は存在しないような専門職を配置して、地域の活動を巻き込んだ全国的な取り組みを行うことなどが考えられます。

 いずれにしてもペアレントクラシーの時代を迎えた現代において、学力という結果だけを見て、当の子どもの努力不足に原因を求めるのは間違っています。それはペアレントクラシーの時代に存在する「メリトクラシー的な業績主義の衣をまとった不平等」を是認することにほかならないのです。

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