講座・講演録

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2007.08.07
講座・講演録

インドでの反差別の闘いから学ぶ

―IMADR理事会・総会への参加と被差別カーストのコミュニティを訪ねてー
<2007年3月11日~3月19日>


IMADRインド・スタディツアー参加者
柄川忠一(大阪同和・人権問題企業連絡会広報委員長)
小頭芳明(大阪同和・人権問題企業連絡会理事長)
友永健三(部落解放・人権研究所所長)


2007年3月11日~3月19日、反差別国際運動(IMADR)の理事会、総会およびスタディツアーがインド南部のタミールナドゥ州において次のような日程で行われました。

  1. 第15回IMADR理事会・第7回IMADR総会 3月11日~13日(チェンナイ市ブリーズホテル)      
  2. 記念シンポジウム 3月13日(同 上)  
  3. スタディツアー 3月14日~17日(チェンナイ・カンチープラム・ポンディシェリー他)


インド・タミールナドウ反差別訪問記

友永健三

IMADR第15回理事会
IMADR第15回理事会

今回で15回目を迎えるIMADR理事会(3月11日・12日)で、現在IMADRが力を入れて取り組んでいる1.インド洋大津波の被害者支援、2.世界社会フォーラムへの参加、3.日本におけるマイノリティ女性の実態調査、4.国連人権委員会・人種差別等に関する特別報告者の日本訪問報告書の勧告の実施を求めた取り組みという4点の活動がまず報告されました。

次に個別の課題として「職業と世系に基づく差別」の撤廃、搾取的移住と人身売買との闘い、先住民族の権利確立の闘い、マイノリティの権利確立に関する闘い、司法制度における人種差別の撤廃、国連人権保障機構の強化と被差別者の活用という6点の各論的な活動が報告されました。その後組織と財政に関する報告が行われて初日が終わりました。IMADR国際の年間予算は3700万円で、その内の3000万がIMADR日本委員会、すなわち解放同盟や同企連等から拠出されたものです。これらの組織の国際社会への貢献が非常に大きいと言えます。

2日目の理事会では次の活動方針が確認されました。

  1. 「原則と指針」のとりまとめと草の根活動支援に重点を置いた「職業と世系に基づく差別」の撤廃、
  2. 南アジアやアフリカも視野に入れた搾取的移住と人身売買との闘い、
  3. グアテマラプロジェクトの評価を踏まえた先住民族の権利確立、
  4. スリランカの和平に向けた取り組みや国連本部でのロマとスインティに関するパネル展示などに見られるようなマイノリティの権利確立、
  5. 狭山事件の国際的キャンペーンを中心にした司法制度における人種差別の撤廃、
  6. 国連人権保障機構の強化と被差別者の活用に向けた各国での取り組み。

そして理事や顧問の補充による組織の強化と予算案が検討され承認されました。

IMADR第7回総会と記念シンポジウム

翌13日はIMADR第7回総会と記念シンポジウムが開かれました。これには日本からも多くの人びとが参加しました。総会では先の理事会で議論された事項が報告・承認されました。総会では狭山第3次再審請求と「人権侵害救済法」の早期制定を求めた決議が提案され、承認されました。最後に、IMADR理事長に再任されたニマルカさんの『日本の部落差別、インドのダリット差別、スリランカのマイノリティの権利を守る闘いの旅を今後も続ける。法律を制定させるだけで差別がなくなるわけではない。法律の実施が求められている。日本、フランス、インド、スリランカなどで、右翼、ファシズムが力を持ってきている。貧困のグローバル化が進み、福祉予算が削減され、軍事に回されている。人権のための闘いは、平和を求める闘いでもある。人種主義、カースト差別、マイノリティ差別の問題とも深く結びついた問題だ。平和なくして人権なし、人権なくして平和はない。いつの日にか、鳩のように自由に飛べる社会を構築していきたい』という挨拶で総会は閉会しました。このあとに開かれた記念シンポジウムでは200人以上の参加者のもと、「アジアにおけるカーストと世系に基づく差別との闘い」というテーマで議論が行なわれました。

スタディツアー

IMADR支援の小型漁船総会の翌日から現地のスタディツアーに参加しました。最初の夕方に訪問したクーダラパッカク村について報告します。この村はインドの内陸部にあるため、津波の被害はありませんでした。50世帯ほどのダリット家庭が生活しています。村が経験した深刻な差別事例が3つ報告されました。1つはヒンズー寺院の建て替えに際してダリットからも寄付を集めておきながら、ダリット住民の寺院への立ち入りを拒否した問題。ダリットの人々が近くの池で魚を捕る権利を買ったにもかかわらず、漁が禁止されている問題。そして最後にダリットの住民は水を溜めたタンクから直接水を汲むことを許されていない問題。たまたま訪れたダリット住民の親戚の人がそれを知らずに直接水を汲んだために村が襲撃されたという事件も起きています。このような差別事象は以前より話には聞いていましたが、直接現地で見聞きしたのは初めてでした。

次に農村開発教育協会(SRED)の本部を訪問しました。SREDは1979年に創立された法人で、代表のブルナド・ナティソン・ファティマさんをはじめ37名の専従スタッフが働いています。ドイツのキリスト教系の団体「世界にパンを」などから財政支援をうけているSREDは、ダリット、農村女性、性産業で働く女性、マタマ(寺院に隷属した女性)、石切労働者、レンガ工、牛車労働者、土地なし農民、先住民の9つの運動を組織しています。

性産業で働く女性は、運動に立ち上がった結果、『警察の暴力から逃れられるようになった。食糧の配給をうけたり、家を借りられるようになった。人間として対応されるようになった』と語り、あるマタマは『村々を回り、子どもをマタマにしないように訴えている。仕事と住宅を保障すること、子どもに教育を保障することを要求している』と語ってくれました。SREDはこれ以外にもIMADRなどと協力しながらデイケアセンターの建設を進めたり、津波の被害者でありながら救援や補償を受けられなかったダリットへの食糧支給、被災各戸への山羊やミシンの配布などを行っています。SREDの運動は女性を中心にしていること、草の根レベルでの運動であること、ダリットをはじめとした被差別者を組織していることなど、私たちが学べることが少なくありません。これからも交流を継続していく必要を感じました。(以下、紙面の都合で略)

復興支援の過程にも差別が陰を落とす

小頭芳明

復興が進まない被災地のすぐ奥には豪華マンションも見えている

インド・スタディツアーに参加して、私自身大変多くのことを学ぶことができました。特に被差別カーストのコミュニティを訪ねて、差別の現実に苦しみながらも団結し、主張し始めた人びとの活動を直に感じることができて非常によかったです。

今回私がツアーに参加した目的は、インド洋大津波の復興支援への取り組みと大阪同企連から100万円の寄付を行なったダリット子どもデイケアセンターの取り組みが実際にどのように動いているのかを現地でしっかり見ることと、そしてインドにおける職業と世系に基づく差別の現状を学ぶという3点でした。

インド洋大津波被災地の復興状況についてですが、写真にもあるとおり、復興が進まない被災地のすぐ奥には豪華マンションが見えています。これを見てもお分かりのとおり、復興支援が届いているところと、そうでないところがあるようです。訪問したどの被災地も大きな被害を受けており、漁業で生計を立ててきた被災地では生活基盤が失われて大変であるという訴えを聞きました。しかしSREDによれば、被害を受けた漁村の中には一定程度の支援が届いていた子どもたちは元気!地域もあったそうで、本当に厳しいのは支援が届かずに瓦礫のままで放置されているダリットの村だそうです。つまり復興支援にも、差別の影響が大きいといわざるをえないのです。

津波で被災した村々を訪問した後、大阪同企連の資金協力で建設されたムトゥール村ダリット子どもデイケアセンターの開所式に参加することができました。日程がうまく合い、私はテープカットをする大役に恵まれたのです。写真ではセンターは小さく見えるかもしれませんが、中はとても広く、喜んでいる子どもたちの元気な笑顔が印象的でした。

物流の大きな手段街の風景について少しお話します。チェンナイの市街地で建設現場をいくつか通り過ぎましたが、ほとんどが手作業で進められていました。また、牛車が物流の大きな手段でした。こうした状況から、地方の生産性はまだ低い状況にあるという印象を受けました。しかし大手建設機械工場が竣工間近で、「経済のディープインパクト」がインドを襲うのは時間の問題であるといわれています。次に来る「ディープインパクト」に耐えるために、団結と連帯を今から準備してほしいと願っています。

最後に先ほどのダリット子どもデイケアセンターですが、実は復興需要で資材価格が高騰してしまい、屋根に恒久的な材料が使えなかったそうです。そのため今後は頻繁に屋根を葺き替えなければなりません。これに対する組織としての継続支援は難しいかもしれませんが、個人としてこれからも支援を継続していきたいと思っています。賛同される方は是非ご協力をお願いします。

人びとのエンパワメントにつながる支援を

柄川忠一

魚網の修理もダリットの仕事スタディツアーでは津波被災地の現状とダリットに対する人権侵害の実態について学び、差別の悲惨さや差別解消のための取り組みの重要性を改めて認識することができました。私からは訪問先の村や人々の状況を報告していきたいと思います。

最初に訪問したのはダリット津波被災地であるムッチクッポン村でした。チェンナイ市街地から車で約20分のところにあるこの村は、ベンガル湾に面したところにあり、主に漁業でなりたっています。村にはダリットと他のカーストが混住しており、コンクリートの集合住宅と、日干し煉瓦の壁に屋根は葉を掛けただけの住宅が並んでいました。後者にはこの辺りで最も貧しいダリットの人々が暮らしていました。村はビーチから50~100m程度しか離れていません。そのため、先の津波ではこの村から60人の犠牲者がでたそうです。

その後、車で数時間移動して、ダリットの津波被災地であるピライチャワディ村を経て、パンチャイヤット村に到着しました。その頃には辺りはすでに暗くなっていました。ここは30世帯の小さなダリットの集落で、他のダリットの村と同じように行政や多くのNGOから見放されてきました。

SREDの立ち上がる女性たちダリットに対しては漁民に対する支援の10%程度の支援しかなく、SREDに連絡してようやく緊急支援を受けることができたと現状の厳しさを訴えていました。そしてそのような訴えを聞いていると突然停電し、それまで私たちを照らしていた2台の投光器からの光が消えました。停電はしばらくすると解消したのですが、暗い間、村の人がメモをとっている私の手元を携帯電話の明かりで照らそうとしてくれました。そんなダリットの人々の追い詰められた状況を私は暗闇の中で感じました。

翌日も津波被災地を2ヶ所訪問しましたが、漁業を中心にしていたこれらの村では津波の被害は大きかったようです。ダリットの人びとの村では、舟や網があれば漁に出て生活費が稼げるようになるので何とか支援してほしいという訴えがありました。もう一つは他のカーストの村ですが、ここは津波以降、舟があっても魚が獲れなくなったので、女性が生活基盤を確立させるためのミシン等の機材が必要だと訴えていました。

ダリット子どもディケアセンターその後ダリット子どもデイケアセンターを訪問しました。センターの開所を皆が喜んでくれたことは大変うれしく思いましたし、本当にこの建物が役立ってほしいと思いました。小頭さんが触れた屋根の恒久化問題については、あの暑いインドで電気も十分ではなく、クーラーのない施設を考えると、現地の人たちが居心地の良い方法で工夫することが大切だと感じました。

単に現地にお金を落とすのではなく、現地の人たちが自ら頑張れるようにすることが本当の支援だとIMADRは考えています。その視点が必要なことをあらためて感じました。

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