自由権規約第5回政府定期報告書について
村上正直
自由権規約の報告制度
自由権規約とは「市民的及び政治的権利に関する国際規約」という、1966年に国連で採択された国際条約の略称です。人権を自由権と社会権に大別したうちの自由権を主に規定しています。
第2次大戦以降、国際社会には様々な人権条約が誕生していますが、それらには締約国に条約を履行させるための国際的な監視組織と監視制度がそれぞれに備えられています。その制度の一つが報告制度です。
自由権規約の場合、規約人権委員会という18名の専門家で構成される監視組織があります。各締約国はそこへ定期的に自国の条約の履行状況を報告することが義務づけられています。その報告を委員会が審査して、問題があれば最終見解で政府に対する勧告等が出されます。そして次回の報告書の審査では、その勧告の実施状況を含め、その後の履行状況が審査されます。日本政府がその5回目として提出した報告書が今日の学習会のテーマです。
委員会では5年毎の報告を要請していますが、前回日本政府が報告したのは1998年です。つまり今回の報告は約10年間の法制度、及びその運用状況が主な検討対象となります。
前回からの経緯
前回の第4回報告書に対する最終見解では、第3回報告書の最終見解で示された問題点が解決されていないために、引き続き多くの勧告や懸念が示されていました。内容的には「差別」と「被拘禁者の取扱い」に多くが割かれていたことが特徴といえます。具体的には婚外子、在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族、部落の人々への差別をはじめ、6ヶ月の待婚期間(離婚女性の)及び婚姻年齢に関する男女差別、外国人登録証明書の常時携帯義務の永住者への適用は差別であると指摘し、規約第26条に違反していると明確に認定しているものもあります。また被拘禁者の取扱いについても入管被収容者や死刑確定者への処遇、あるいは代用監獄制度等も規約違反として指摘しています。
こういった委員会からの指摘に答えるのが今回の報告書です。ここでは外登証の常時携帯義務違反に対する罰則が刑事罰から行政罰へ一段階引き下げられたことなど、若干の進展も見られます。しかし約10年あったわりには問題があまりにも進展しておらず、委員会から指摘された課題はそのままになっていると言わざるを得ません。
第5回報告書の全体的な問題点
まず第4回報告書審査の最終見解の中で指摘されている問題点の中で正面から回答していない項目があります。特に委員会が規約違反として指摘した点について、日本政府の考えが触れられておらず、従来と同様の制度についての説明に終始しています。さらに最終見解に対する回答の説得性にも問題があるものもあります。例えば、勧告で委員会は入管被収容者の処遇に対して独立調査機関を設置して改善を図るよう求めているのに、日本政府はその勧告を受けて入管施設内に意見箱を設置して、被収容者の意見を取り入れて改善を図っているとしています。確かにやらないよりやった方が良いのですが、これだけ内容に落差があれば回答に説得性がないと言えるでしょう。
また国際的に認められない規約解釈が依然として見られ、記述内容にも矛盾が生じています。これは報告書の縦割作成と省庁間の調整不足の表れでしょう。それ以外にも制度の説明に終始し、その「実態」や「質」に関する記述がみられず、制度の効果性に関する自己評価を欠いているものが多いなど、これでは前回と同じ結果になってしまうのではないでしょうか。
今後のうごき
近々第5回政府報告書は審査を受けるわけですが、委員会の審査のやり方も変わってきており、政府報告書に対するフォローアップ制度が取り入れられるようになりました。これは従来5年毎の報告であったのに対して、委員会が審査で緊急性を要すると判断した項目については1年後に再度報告を求めることができるという制度です。この制度が適用されて、日本の第5回政府報告書にいくつの再報告が求められるかは注目されます。
また同時に適切な審査が行われるように、NGOによる情報提供の重要性も決して忘れてはならなりません。
著書:
在日朝鮮人をめぐる問題について
康由美
内容がない「在日韓国・朝鮮人問題」
今回の政府報告では第2条の実施義務の項目として「外国人問題」をあげています。その中を「在日外国人問題」と「在日韓国・朝鮮人問題」に分けて記述している点は評価できます。しかし、在日韓国・朝鮮人問題の細目としては「偏見・差別をなくすための啓発活動」と「外国人登録証明書の携帯義務」、「朝鮮学校」の3点しかなく、実質的には内容がない状況です。
位置づけの問題
政府は特別永住者イコール在日韓国・朝鮮人と考えているようですが決してそうではありません。「特別永住者」とは1965年の日韓基本条約において韓国籍保持者のみに認められた協定永住権という特殊な在留資格の「協定永住者」と、その約20年後に日本が難民条約に加入してから朝鮮籍保持者に付与された特定永住権を有する「特定永住者」を一本化したものであって、すべての在日を含むわけではありません。
たとえば戦後一時帰国者や再入国許可を得ないままの出国者、あるいは再入国期間内に再入国できなかった者らは特別永住者に含まれていません。同じ在日韓国・朝鮮人であるにもかかわらず、私自身も含めてそういった人々は「一般永住者」(通常の一般外国人として永住権を申請し許可された者)か「定住者」(一般外国人としての永住権申請をしていない者あるいは申請しても拒否された者)として存在し続けているのです。日本政府が戦後補償の観点から旧植民地出身者の法的地位を包括的に扱う法律を制定しなかったためにこのような事態になっています。
「啓発活動」は不十分
次に細目ですが、まず「啓発活動」に関して報告書では「在日韓国・朝鮮人に対する偏見・差別をなくすことを含めた啓発活動を行っている」としていますが、最も重要な歴史的背景についての言及がありません。また拉致問題に伴い発生した、在日韓国・朝鮮人児童・生徒らに対する嫌がらせ等の防止について、チラシ等の配布を挙げていますが、実際にはほとんど見かけたことがありません。2001年の社会権規約委員会勧告39項で非差別立法を強化することを強く勧告されていることに対しても(注:社会権規約第2回日本政府報告に対する同委員会の最終見解)、今回の報告書では「嫌がらせ等を受けたときには法務省の人権擁護機関に相談するよう呼びかけを行った」としています。しかし立法が求められている中で、相談を呼びかけるだけでは不十分です。実際には、本名では生活し辛くなっています。むしろ「拉致問題」以降、在日韓国・朝鮮人をめぐる状況は悪化しています。また総連の家宅捜査に代表されるような公安事件が多発しており、政府は啓発以前に自らの差別をやめる必要があるのではないでしょうか。
数多く残る課題
外国人登録証明書の携帯義務について、違反の罰則が行政罰に修正されたことは評価しますが、報告書では「不法入国・残留者が多数存在する現状では外登証の常時携帯義務は引き続き維持する」とされています。罰則を修正したといっても行政罰の対象者は特別永住者のみで、他の人は相変わらず違反者を逮捕できる刑事罰の対象にされたままです。また特別永住者にも行政罰を残したのは別件逮捕の材料を残すためだと思えます。
「朝鮮学校」については「日本国籍を持たない外国人の子女であっても、我が国の公立学校に於いて義務教育を受けることを希望する場合は、すべて無償で受け入れる」としています。つまり外国人の子どもには教育を受ける「義務(権利)」がなく、日本の公立学校に入れるのは「恩恵」だという位置づけになっているのです。これに対して委員会勧告60項(注:上記の社会権規約委員会の最終見解)では民族学校への財政的援助や公立学校での母国語教育導入が強く勧告されていますが、それは「夢のまた夢」で、まず学校に行かせてほしいというのが現状です。
その他にも親族訪問の機会を奪う再入国許可という入管法上の問題や公務就任権、居住権、社会保障システム、民主主義社会への参画の問題等、課題は実に多く存在しています。
部落差別撤廃の視点から見た問題点
友永健三
第4回報告書に対する最終見解を受けて
1998年の日本政府第4回報告書の審査を踏まえて自由権規約委員会から出された最終見解では、部落問題について「委員会は教育、所得、効果的救済制度に関し部落の人々に対する差別が続いている事実を締約国が認めていることを認識する。委員会は締約国がこのような差別を終結させるための措置をとることを勧告する」との見解が示されていました。
このような勧告が出された背景には自由権規約委員会で部落差別の実態に関して、高校進学(中退含む)や大学進学面等で存在している格差、失業者や不安定就労者が多い実態、差別を受けた場合でも法務局や人権擁護委員に相談している人がほとんどいない実態などが、問題とされたという事情が存在しています。
今回、日本政府が提出する第5回報告書は、この勧告を踏まえたものとなっているでしょうか。第5回報告書の規約26条「法の下の平等」との関係の部分で部落問題に関する報告を見ると、1993年度同和地区実態把握等調査結果の「住宅環境の状況」「市町村道の整備状況」「婚姻の状況」という部分的なデータを根拠にして、「部落問題は解消されたので法律が失効する2002年3月31日をもって特別対策は終了することとなった」とされています。
就労・教育における差別の実態
確かに特別措置法以降、部落の住環境面の改善がなされてきていることは事実です。しかし部落問題の解決にとって決定的に重要な就労や教育の面では、今日も明確な格差が存在しています。そのことは1993年の同調査結果を踏まえて地域改善対策協議会が出した意見具申の中でも、「高等学校等進学率は向上してきており、ここ数年9割を超えているが全国平均と比べるとなお数ポイントの差がみられる。最終学歴については、高等教育修了者(短大・大学等)の比率が20歳代、30歳代では40歳以上に比べてかなり高くなっているが、全国平均との差は大きい。就労状況は若年齢層を中心に安定化する傾向にあるが、全国平均と比較すると不安定な就労形態の比率が高くなっている。就労先は全体的に小規模な企業の比率が高くなっている。また年収の面では全国平均に比べて全体的に低位に分布しており、世帯の家計の状況も全般的にみると依然として全国平均よりも低位な状況にある」と指摘されています。
また政府は1993年以降、全国的な部落の生活実態に関する調査を実施していません。昨今の格差拡大社会となってきていることを考慮したとき、部落の就労や教育面等の生活実態は急速に悪化してきていると推測されます。
2000年に大阪府が実施した実態調査結果を踏まえて、2001年に出された大阪府同和対策審議会答申では、大阪府における部落の教育や就労面等の実態を踏まえた課題が次のように指摘されています。①高校進学率は90%以上にまで高まり、今日では大阪府平均に比べ3-4%程度の格差がなお残るものの大きく改善されたが、大学進学率はなお相当の開きを残している。また高校の中退率も高く、中退問題はなお重要な教育課題となっている。②同和地区のパソコンの普及率は、全国と比べ大きな格差がみられる。インターネットの利用率においては、全国平均の半分にとどまっている。高度情報化社会においては、情報手段を使いこなせる人と使いこなせない人との間に情報格差が生じ、それが社会的、経済的格差につながるおそれがある。このため誰もが情報通信の利便を享受できる「情報バリアフリー」が課題となっている。③失業率は男女とも大阪府平均を上回っており、とりわけ若年層の失業率が非常に高く、また40歳代の男性の失業率も府平均の2倍前後となっている。このため就労に結びつける総合的な取組みを講じる必要がある。
結婚差別の実態
第5回報告書の示すとおり、部落出身者と部落外の人との結婚が増えてきていることは事実です。しかし結婚をめぐる差別がなくなったわけではありません。こうした問題について第5回報告書ではまったく触れられていませんが、先の大阪府同和対策審議会答申では次のように指摘されています。「婚姻類型では同和地区内外の結婚が確実に増加しており、若い世代ほどその率が高くなっているが、同和地区内外の結婚の場合、結婚に際し被差別体験を有する夫婦が2割を超えている。また同和地区出身者と自認している人のうち2割が結婚破談経験を有し、その半数近くが同和問題が関係したと思うとしている。さらに約2割の府民が結婚にあたって相手が同和地区出身者かどうかが気になるとしており、同和問題が府民の結婚観に影響している。根強い差別意識解消の取組みはもとより、差別を乗り越え結婚しようとしている人々への相談機能等の充実が必要である」。
根絶されない身元調査
また就職や結婚差別の背景には調査業者等による身元調査事件が根絶されていないという問題があります。これについて第5回政府報告書では関係者に対する指導・啓発を行う等、事案に応じた適切な対応を行っているとしています。
しかしここには身元調査にあたって戸籍謄本等の不正入手事件が多発している現実や、2005年末以降新たな部落地名総鑑、特に電子版の部落地名総鑑が発覚しているという深刻な実態についてまったく触れられていません。またこうした深刻な実態を踏まえたとき、関係者に対する指導・啓発だけではまったく不十分で、法的規制なり関係法の抜本的な改正が必要ですが、この点にも言及されていないという問題があります。
就職や結婚差別に際してなぜ部落地名総鑑や戸籍謄本等が利用されるのでしょうか。ある人が部落出身者であるかどうかは外見上では分かりません。このため世間の人々は「本人が部落に住んでいる(いた)こと」、その人が部落に住んでいなくとも「父母あるいは祖父母が部落に住んでいる(いた)こと」、その人や父母あるいは祖父母が部落に住んでいなくとも「本籍地(出生地)が部落にあること」等でその人が部落出身者であると判断します。部落差別にこのような特徴があるために部落地名総鑑や戸籍謄本等の不正入手事件があとを絶たないのです。
これに対して2007年4月の戸籍法改正という一定の前進もありましたが、その後も行政書士等による戸籍謄本等の不正入手事件が続いていることや、新たな部落地名総鑑が調査業者から回収されているという深刻な差別の実態がまったく報告されていないという問題があります。
ネット上での差別宣伝・差別扇動
第5回報告書では条約第20条:戦争等の宣伝の禁止との関係で、インターネット上での差別宣伝・差別扇動について、多くの文量を使って報告されています。しかし悪質な差別投書やネット上での差別情報の実行者が逮捕されたり処罰されたりしたとしても、罪名は脅迫罪や名誉毀損罪であって「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的または宗教的憎悪の唱導」そのものを禁止しているものではないという問題があります。また例えば「部落民を皆殺しにせよ」といった落書きやネット上の差別扇動については個人や団体を特定したものでないため、法的には野放しとされているという問題もあります。これらの行為を処罰するための法整備も求められています。
著書: