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2007.11.22
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部落解放・人権入門2007 第37回部落解放・人権夏期講座報告書 より

今日の部落差別の捉え方

北口末広 近畿大学教授


部落差別の今日的状況

電子版「部落地名総鑑」の存在

  部落差別の今日的状況で、「差別が強化される」と私が最も恐れているのが、電子版「部落地名総鑑」の存在です。

 以前から、「部落地名総鑑」の内容が全部収録されたFD(フロッピーディスク)が存在しているという情報を、差別事件の関係者、調査業者の関係者から得ていました。現在、回収に向けて、ほぼ最終段階に入っているところです(この後、2006年9月に回収されました)。

 今まで部分的に、たとえば大阪の同和地区の一部とか、何何県の一部の同和地区名を、愉快犯的な人がインターネット上に載せた、ということはありました。が、実際に本になっている「部落地名総鑑」ほど正確ではありませんでした。「部落地名総鑑」 の内容がいつでも誰にでも見られるということになれば、どういうことになるか。私は、「部落地名総鑑」差別事件というのはひどいと思っていますが、電子版「部落地名総鑑」は、比較できないくらい悪質です。

 これまでの「部落地名総鑑」というのは、差別図書であるわけですから、公に販売することはできませんでした。宣伝もできません。差別図書であるがゆえに、極秘に、関係者のつてを使って、販売されてきたのです。しかし、そのことが、「部落地名給鑑」が爆発的に広がらなかった一つの要因でもありました。そのような「部落地名総鑑」だったがゆえに、調査会社やその関係者、そして一部企業等にしか出回っていませんでした。

 しかし電子版「地名総鑑」はちがいます。

 私が最も心配しているのが、もしインターネット上にアップされたらということです。これを最も警戒しております(2006年10月に数百の被差別部落の地名一覧がネット上に流出したが、内容は正確ではない)。

 もし「部落地名総鑑」が電子空間上にアップされれば、ネットに関わるすべての人が、部落差別をするための「武器」を持つことになります。これをいかに防ぐかということを、今、真剣に考えています。

 一度ネット上にさらされると、いろんな人がダウンロードして、FDやCDなどに保存すれば、いつでもだれでも利用できるようになってしまいます。簡単にコピーできます。瞬時にメールで送信することも可能になってしまいます。電子版はまったく異なった経路で拡散していく可能性が高いのです。

 これまでの「部落地名総鑑」は金儲けのために作成されていました。しかし「部落地名総鑑」がネット上に流出すると、金儲けの手段としての価値はなくなります。作成する意味が変わり、マニア的な人が出てきて、愉快犯的な発想や差別扇動を目的として「部落地名総鑑」を流出させるようになります。

 2005年大阪府民人権意識調査の報告によると、前回の2000年調査のときと比べて、意識が悪化している面があるということがわかりました。特に若い人の意識が悪化しています。若い人がインターネットに関わるのは非常に多いのです。今の大学生の多くは、ほとんど新聞を取っていません。ニュースもネットで見られますから取る必要がないのです。すべてネットで入手します。そういう面と、ネット上にでた「部落地名給鑑」、あるいは「部落地名総鑑」に似た内容のものとがクロスすれば、差別意識はさらに悪化します。つまり電子版「部落地名総鑑」という手段が差別意識に悪影響を与えることになります。

インターネットの特徴と差別

 テレビや新聞などで事件が報道されると、それに反応するようなかたちで、インターネット上に差別的な書き込みが現れます。ネット上のそれを見て、見た人がまた差別意識を悪化させていく、という現象が今、起こっています。

 今でも差別落書き、差別ハガキ事件が起こっていますが、差別落書きを書く人は、多くの人に見てもらいたい、伝えたい、そして差別落書きの対象となる人を攻撃したいのです。しかし、自分がそれをやっているということがわかれば、自分が攻撃をうけることになります。だから、トイレの中とか、人の通らないところとか、あるいは夜中にとか、自分の身を隠しながら、人が見ていないところで書いていました。これまで差別落書きなどをする人にとっては壁があったわけです。今でもそういう事件は起こってます。しかし、ネットはそういう壁がないのです。ネットでは、それが、簡単にできるわけです。自宅にいながらにして、差別文書を書けば、みんなが見てくれるのです。たとえばそれを「2ちゃんねる」にはりつける、という具合にです。

 このように、インターネットでの差別の特徴は、まず、地理的・時間的制約がない、ということです。どこでもいつでもできます。二つ目は、不特定多数の人に情報発信ができる、ということです。三つ目は、匿名性が多くの場合保障されており、証拠が残りにくい、ということです。

差別意識の増幅

 差別意識が最近増幅しているといわれています。それはなぜでしょうか。

 機械工学が発展することによって人間の筋力を増幅させることができた、ということは、すぐご理解いただけると思います。つまり、私がいくら穴を掘るのが早くても、ブルドーザーには勝てません。いくら早く走る人でも時速30数キロですが、車で走れば、ゆうに100キロを超えます。そういう意味で、機械工学が人間の筋力を増幅しました。

 自由に行動できる範囲が広がり、たとえば高層ビルで50階に住むという人も出てきました。しかし、その機械工学の発展のもっとも大きなマイナスは、戦争で今までと桁(けた)違いの人が死ぬということです。江戸時代以前の戦争と現代の戦争はまったく違います。また日常的な交通事故でいうと、自動車がない時代には馬に蹴(け)られたというようなことでしたが、今日では毎日毎日、交通事故で人が死ぬ事態になっています。

 そして、このような機械工学だけでなく、情報工学の進歩、インターネットに代表される進歩が、人間の筋力だけでなく、精神や意識を限りなく増幅させました。100年前と今日とでは、一日に接する情報量はまったく違います。私たちは、相当な量の情報に接しています。

 携帯電話で地球の反対側の人と、即、話ができます。そういう時代なわけです。これは非常にすばらしいことです。しかし、大きなマイナスも生み出しているように思います。多くの企業で、メンタル(精神的)不調を訴える人が非常に増えています。これは企業内の問題でもありますが、もっと大きな視点で見ていくと、情報工学の進歩が大きな背景にあります。

 意識が増幅するということは、差別意識も増幅するということです。私たちは、人権意識を増幅させるためにこそ情報工学を使いたいと思うわけですが、インターネットを見てみると、むしろ差別意識を増幅する情報化が起こっています。

パンドラの箱があくまえに

 そういう視点から、インターネットの特徴に戻って見ると、データ複製や再利用が容易にできる、ということであり、多くの人によって書き込みが行われるなど、情報の連鎖性・更新性をもつ、ということです。

 インターネットでは、検索機能で、いろんな情報が大量にはいってきます。それを自分のFDなりCD、メモリースティックに入れておくということも可能です。それだけではありません。それを多くの人に発信するということもできます。

 ネットには、誤った情報や、でたらめな情報もたくさん存在しています。それを見たマニア的な人は、それがあたかも真実のごとくとらえて、また情報として発信するということがあります。

 私は「パンドラの箱があくまえに」という表現で、みなさんに申しあげます。結婚のときの差別身元調査が後を絶たない現状があります。まさに電子版「部落地名総鑑」が流出してしまうと、いかなる事態が起こるかということは簡単に理解できると思います。一度、ネット上に電子版「部落地名総鑑」が出回ると、もうとめることはできません。それをどのように防ぐかと今、考えているところです。

これからの同和行政

 さて、ここから「これからの同和行政」について、基本的な話をしたいと思います。「条件整備と支援の発想を」ということでお話をしますが、もう少しくわしく知りたい方は『部落解放』2006年10月号の「人権行政とは何か」と『ヒューマンライツ』2006年9、10月号の私の原稿を見てください。

 まず、基盤となる考え方を説明するために、1990年に成立した「全米障害者法(Americans with Disabities Act of 1990 略称ADA)」の紹介をします。

「全米障害者法(ADA)」(1990年)と自己実現としての人権

 私自身、初めて、この法律「ADA」のことを、障害者運動をしている友人から聞いたときに、正直、これは米国議会で通らないんじゃないかと思いました。アメリカでも業界団体などが非常に反対して、成立が疑問視されていましたが、見事成立しました。当時としては非常に画期的な法律でした。

 それまでの法律の考え方は、端的にいえば行財政から障害者に対して一定の給付金を支出することによって、障害者の生存権を守る、というかたちです。

 しかし、「ADA」の考え方はまったく違いました。この法律は、障害者自身から提起されたのですが、自分たち(障害者)は特別な給付金はいらない、われわれは、世の中に社会に貢献したい、納税したい、そのために働きたい、という発想です。私はあえて自立生活権とよんでいますが、「自立して生活できる権利」という発想です。自分たちの能力を生かして仕事ができるように、「自立して生活できる権利」を保障する条件整備を完壁に行え、という法律なのです。

 私が、はじめ、なぜ、通らないと思ったのかというと、たとえば、車いすを利用している人が、一人でどこへでも行くためには、どんな政策が必要でしょうか。公共のバスに乗ろうとした場合、どうでしょうか。「ADA」は、すべてのバスに車いす利用者が自動的に乗れるリフトをとりつけることを義務づけました。

 電車のホームにはエレベーターで上がれるようにしなければなりません。ホームと電車の間には隙間があって、誰の手助けもなしに車いすでそこを通れるとは限りません。そこで誰の手助けもなしに乗れる車両を一台は確保することを義務づけました。

 また、当時は、携帯メールなどまだありません。耳の不自由な人、言葉の不自由な人が、誰でも不自由なく電話できるようにするということを求められる電話会社は、猛烈に反対しました。

 そういう対策が求められるわけですから、多くの業界団体が反対しました。しかし1990年、「全米障害者法」は成立しました。それによって、障害者が自立して生活できる条件整備が進められていきました。もちろんこの法で、障害をもつ人たちの就業も非常に幅広く、前進しました。

 これは、障害者のためにある特別対策ではなくて、社会のシステムを変えていくという取り組みなのです。社会の仕組みを変える、社会の条件を変えるという政策なのです。こういうことが、これからの同和行政にも求められる、といえるでしょう。それが、「生存権から自立生活権へ」そして「労働権―就労保障の重要性」ということです。

就労保障の重要性

 就労の問題について、新聞の社説でも、ニートの問題、フリーターの問題をどうするのか、それに真剣に取り組まなければだめだ、ということが書いてあります。でもフリーターもニートも、どんどん増加してきています。

 2000年の大阪府部落問題実態調査でもいえますが、同和地区と同和地区外とを比べた場合、就労の保障はどう違うでしょうか。特に若者層では、同和地区外の失業率も高いですが、同和地区はその約2倍になっています。フリーターも、同和地区では、おそらく多いといえます。そういう状況が、市場原理至上主義の中で起こってきています。

 つまり、世の中全体に現れている矛盾が、同和地区の場合には集中して現れています。就労に決定的に現れています。就労に決定的に現れていることが、部落出身者の自立とか自己実現とかを阻んでいます。

 バブル崩壊から15、6年がたちました。最近景気はよくなっているといわれていますが、格差は拡大しています。格差拡大の時代は差別も拡大する時代だということは歴史を見れば明確です。2010年には就労状況はより一層格差が拡大しているだろうと思います。

 親に余裕があるから子どもがフリーターあるいはニートでおれる、というふうに単純に言いますが、そんな問題ではないと思うのです。ニートやフリーターの問題を真剣に考えないと、年金制度はもたないし、将来の社会はもたなくなります。

 現在、極めて単純な負の循環、負のスパイラルが起こってきていることを、今日の部落差別の問題として率直に申しあげなければなりません。生活水準の低位性が、文化にも影響します。それは教育にも、就学にも影響します。

 500人以上の企業に勤めている人は、同和地区外と同和地区出身者とでかなりの格差があります。これまでは、行政が現業部門を中心とする地方公務員に積極的に雇用をすることによって、ある程度是正されてきた部分があります。しかし、これから、行政、行財政が非常に厳しくなってきている状況では、間違いなく、部落の就労状況は悪化します。

 就労が悪化すると経済不安定が起こります。それがまた生活に影響を与えます。かつて同和行政がほとんど取り組まれていなかったときの悪循環が、今また起ころうとしています。

 その問題解決を、私は、特別対策でやっていくんではなくて、「条件整備」でやっていく必要があると考えています。そのためにはどんな制度やシステムが必要なのか、ということを考えていかなければならないと思っています。

 この条件整備をするということは、先ほどの「ADA」を見ても障害者のためだけじゃありません。社会全体のためです。また条件整備をやった企業は、企業にとっても大きくプラスとなってきています。多くの人の能力を生かすという意味でも、この考え方が非常に重要だと申しあげたいと思います。

 

競争すらできない人びとが増加

 現在は競争社会というふうにいわれています。しかし、競争社会が、競争すらできない人びとを増加させています。

 読売新聞によると、1996年から20005年の10年間で、正規雇用者が約407万人減少し、フリーター、パートなど非正規労働者が650万人増えているということです(2006年2月12日付)。

 平均年収をみますと、正社員は531万円、派遣社員で226万円、フリーターで167万円です。正社員の40%、30%です。非正規労働者の働く条件の厳しさ、そして稼げるお金が非常に少ないという状況になっています。まさに世の中全体で、経済格差、生活格差が進行しています。

 これは、被差別部落に大きな影響を与えています。

 高校を卒業したけれど、就職先が定かでないという若い人たちが、非常に多くなっています。おそらくこれは同和地区だけじゃなく、全体にそうなのですが、同和地区というのは、今の社会の矛盾が顕著に現れるということです。

 ニート、フリーターを防ぐ政策がますます重要になってきています。それらの政策が、部落差別をなくしていく政策とも密接に結びついているのです。

部落差別の捉え方

 次にシステムと意識・感覚、関係性が一体だということを、お話しいたします。

 人が人を差別しなければ差別はなくなります。どのような出身であろうが、どういう障害をもっていようが、人が人を差別しなければ、差別はなくなります。差別の問題は、この人と人との、関係という側面を持っています。差別というのは、ある意味では、関係性の問題でもあります。そして、その関係性というのは、システムと密接なかかわりをもっています。

 たとえば、男女雇用機会均等法という法律、システムができていなかったら、職場における男性と女性の関係、企業と女性の関係は、今のようには変わっていないでしょう。まだ不十分ではありますが、この法は、職場における男性、女性の関係を変えてきました。職場におけるセクハラの問題も同様です。

 また、交通事故にあってけがをした場合、補償額を決めるのに、後遺障害別等級表というものがあります。例として、女性の外貌と男性のそれとは等級が違います。つまりこれは、女性は外見、男性は実力という考え方です。こういう感覚が世の中に厳然と存在しているからこそ、同じキズなのに等級差があるという後遺障害別等級表というシステムが残ることになります。そして、こういうシステムがあるから、女は顔で、男は中身という意識が残っていきます。

 また、国によってシステムが違います。他の国のシステムと日本のシステムが違うからこそ、評価の仕方の違いというものが出てきます。

 つまり、システムと意識・感覚は一体なのです。

 国連の法務部長もされたオスカー・シャクターという著名な国際法の先生は、「法(システム)は人の行為を変え、行為は人の態度を変える、さらに心を変える」と言っています。そういう意味で、システムを変えることによって、行為・態度を変え、意識・感覚を変えていくことができます。ですから、システムをどう変えていくのかということが、重要なわけです。

マーサス・パインヤード島の事例

 システムと関係性の問題、そして政策の問題の例を、もう一つお話しします。

 アメリカのニューヨークの北東にあるコッド岬の最先端に小さな島があります。19世紀のエレングロースという学者の報告なのですが、彼は、この島の人たちが聾(ろう)者にたいして障害をもっているという感覚がきわめて少ないことに気づき、不思議に思います。そこでわかったのは、当時の産業は19世紀ですから農業と漁業です。話せない、聞こえなくても、この島の人はほぼ全員、手話ができるので、なにも不自由しませんでした。生まれた子どもが日常会話を、小学校で学ぶ以前にすでに家庭で自然に話すことができるように、サークルなどで習わなくても、日常生活のなかで自然に、手話が身についていたということです。この島の多くの人は、口話と手話を同時に話していました。口話ができる多くの人も、同時に手も動きます。島のすべての人が相手の話していることがわかるわけです。そういう仕組みが、聾者と聾者でない人の関係を変えていたということです。

 現代の私たちを考えてみます。医師が聾者に対してスムーズに問診しようとすれば、手話が必要です。私は、医学部の学生に、どうしたら手話ができる医者がふえるだろうかと聞いてみました。医学部の講義に手話講座を入れたらいい、さらに、医師の国家試験に手話を入れたら、まちがいなく全員できるようになると思う、という意見がでました。この学生が言ったように、医師国家試験で手話が必要というシステムだったら、ガラリと変わるのです。そんなことはできないと最初から思っているから、だめだと思います。

 システムを変えることによって、人と人との関係が変わっていくのです。人と人との関係を悪化させるシステムのあり方ではなく、人と人との関係を改善させるシステムのあり方を考えることが重要です。そのために思考の壁、考え方の壁をとって、人と人との関係を変える政策創造を考えていただきたいと思います。

差別の原因とは何か

 ところで、差別の原因とは何でしょうか。それも仕組みです。仕組みをつくっている私たちの意識も関係していますが、究極的には仕組みです。

 被差別部落に生まれたこと、障害者、女性、黒人、在日韓国・朝鮮人に生まれたことが差別の原因ではなくて、そういう立場で生まれたことをもって差別する社会の仕組みが原因だということです。

 部落差別の場合、どういう立場に生まれるかは、単純に考えれば、住所の違いです。1丁目に生まれたか、2丁目に生まれたかの違いだけです。しかしこの区別によって、ずいぶんと違ってくるのです。生活水準も違うし、就労の状況も違う。区別がなぜ差別になったのかというと、そこに社会の仕組みが介在しているからです。

 女性差別の場合、世界の国々で、かなり違います。国によって仕組みが違うからです。国内でも、戦前と戦後では違いますし、改正男女雇用機会均等法の後では、さらに違います。社会の仕組みによって女性差別の状況も変わってくることは、わかっていただけると思います。

 「差別」をもう一度たんなる「区別」 にするためには、何が必要でしょうか。それは、この差別する社会の仕組みを、取り除くことです。さらに、取り除くだけではだめで、差別撤廃の社会システムを組み込む必要があります。長年張り付いた仕組みは簡単には改善されません。先ほどの改正均等法のような、差別を撤廃するためのシステム、仕組みをつくることが必要です。

好循環する仕組みを

 先ほどもお話をしましたが、女性差別撤廃条約を批准したことによって、日本の国の意識が全体的に変わって、男女雇用機会均等法ができました。不十分ではあったとしても、均等法というシステムができたことによって、経営者や多くの労働者の意識も変わりました。その変わった意識を土台にして、1997年に改正男女雇用機会均等法ができ、99年に施行されました。この改正均等法ができたことによって、さらに私たちの意識も変わりました。そして、今度、新改正男女雇用機会均等法ができる力になりました。そういう好循環をいかにつくるかということが求められていると思います。

著書