5.同和教育を教育の普遍に
さて、本大会の基調に示された、同和教育が人権を確立していく教育の普遍として問われているという点について、考えてみたいと思います。同和教育こそが教育の普遍であるという点について、2007年度の全同教研究課題で次のように整理しています。
同和教育は、「長欠」「不就学」の解決をめざして教職員自らが子どもや親たちと向き合い、学び、そこにある教育課題を見いだしてきた営みにその出発があります。そして、その後のなかまづくりや人権・部落問題学習、学力保障、進路保障といった取り組みは、全ての子どもたちに教育の機会均等を保障し、差別を許さず人権の確立をめざす教育のありようを示してきたといえます。つまり、同和教育は、部落問題の解決に向けた取り組みを通して、子どもたちが自分を価値ある存在として実感し、自分の立場と生き方に希望と誇りをもてる教育活動をすすめてきたことにほかなりません。したがって、同和教育の事実と実践にこそ教育の普遍性があるといえるのです。
また、「同和教育の理念や手法が、教育の普遍として確かさと展望を示すものとして多くの人々に届けることができるのか(基調)」という時の、「同和教育の理念・手法」の根幹が「差別の現実から深く学ぶ」ということであることをあらためて確認したいと思います。
今大会のレポートの多くに、部落の子どもをはじめとして、さまざまに差別・抑圧を受け苦しんでいる子どもや親たちの姿が、差別の現実として浮き彫りにされています。現在の日本社会において、こうした厳しい現実はどこの学校・地域でも起きていることだと思います。しかし、残念ながら差別の現実から学ぶというところに立てていない場合には、そうした子どもや親たちは見えていないのです。
目の前の子どもの姿の背景にあるものを読み解き、寄り添い、共に生き、人間としての尊厳をとりもどす営み、自らを問い、自己変革をしていく、そういう営みを指して同和教育というのだと思うのです。
同和教育がそういったものであるならば、私たちは、誇りをもって同和教育こそ教育の真実だということを今一度確認したいと思います。今から半世紀前に全同教が示した「同和教育指針」では、次のように書かれています。
同和教育は、教育活動の中で特別な部分をなす特殊教育ではない。差別に苦しんでいる国民大衆全体の要求のうえに立った真の民主主義教育そのものであり、国民的な課題の現実的な要請に根ざし、教育の真実を貫こうとする教育である。
また、同和教育は、部落差別の解決を中心的課題としてきましたが、部落問題だけを教育的課題として限定してきたわけではありません。「同和教育指針」の中に次のような一節があります。
人種、信条、性別、社会的身分・門地、貧富などはもちろんのこと、母子家庭に育ったことによってさえ、社会的な、経済的な、生活的なあらゆる場合に差別が重苦しく国民のうえにのしかかっている。これらの多様な形態でうち出されている差別に比べて、部落に加重されている差別は、質的にも量的にも絶大なものであるが、その本質は、日本社会の封建遺制によって生み出され、根を一つにする共通の課題なのである。
今日の社会の差別や抑圧が、「封建遺制」という言葉では括られないとしても、部落差別からの解放に向けた教育実践が、すべての差別からの解放に向けての実践へと広がっていったことは当然の結果でした。さらには、すべての人々の自己実現をめざした教育へとも発展してきました。そして、そのことを、理念や言葉としてでなく、事実と実践にもとづいて確かめあってきました。その場が、全同教研究大会であったと思います。
そういう意味では、分科会に出される実践レポートこそ、同和教育を教育の普遍にしていこうとする時の生命線であり、分科会での熱い討議がそこに命をふきこむのだと言えます。全同教の専門委員として長く司会を務められたある方は、分科会討議の魅力を次のように記されています。
「その心地よさはそれまでに感じたことのない類のもので、大会の期間中は『自分がもっとも自分らしい自分になっている』と感じられたのでした。報告者やフロアの人達の言葉の一つひとつが心にしみ込んできて、『ここに大切な仲間がいる』『人間を人間と尊重する世の中の実現を熱く願う人達がいる』と思えるのでした。 ─ 中略 ─ 全同教大会にでかける直前はくたくたになっていて、時には不整脈が出たりしていたのに、大会で現地に着くと心身ともに生き返り、嘘のように不調が消えてしまうのでした。」
こうした感想を抱いておられる方は決して少なくないと思います。全同教創設50周年記念誌のタイトルに「全同教このよきもの」とありますが、全同教大会はまさに同和教育の魅力を広げてきたと確信しています。しかし、まだ全国のすべての学校、地域に同和教育が浸透しているとは、残念ながら言えません。けれども、例えば今回の石川大会に初めて参加された方が、31年前に石川から参加されたお二人のように、同和教育の温かさと確かさに触れ、自分の地域・学校で、同和教育を始めようとするならば、同和教育の裾野は確実に広がっていきます。同和教育は教育の普遍です。一人でも二人でも、たった一人からでも同和教育を誇りとして教育の真実をつらぬこうとする人の輪を増やしていきたいと考えます。
来年は、世界人権宣言60周年にあたります。また、全同教大会も60回という節目の大会です。そういう中で全国水平社誕生の地、奈良で大会が行われます。今回石川で学んだことをもとに、互いの実践をもちより、奈良で会いましょう。これで大会総括を終わります。