講座・講演録

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2008.01.17
講座・講演録
全同教機関誌月間「同和教育」 であい (2007.12 No.549) より

第59回 全国人権・同和教育研究大会


 2007年11月23日(金)24日(土)の2日間、全同教および第59回大会石川県実行委員会の主催で、第59回全国人権・同和教育研究大会を開催した。開会全体会は金沢市の石川県産業展示館4号館をメイン会場に、金沢歌劇座、こまつ芸術劇場うららをサブ会場に行なった。開会にあたり、七尾市中島町に伝わる「「お熊甲祭り猿田彦の舞」がフロアからステージにあがって勇壮に披露された。

 多数ご参列の来賓の中から、谷本正憲石川県知事、山出保金沢市長(代読)、組坂繁之部落解放同盟中央執行委員長、高橋睦子日本教職員組合中央執行副委員長、上田卓雄人権政策の確立を求める連絡会議代表幹事、赤田英博日本PTA全国協議会会長の6人の方にご挨拶をいただいた。

 事務局基調提案のあと、「2年1組、壁はない!」と題して、金沢市立港中学校の米山千幸さんに特別報告をしていただいた。

 23日午後・24日終日、金沢市・小松市・能美市・白山市・野々市町・津幡町の24分科会分散会会場にて報告・討議があった。また、金沢勤労者プラザ、金沢駅もてなしドーム地下広場では展示と交流分科会が開かれ市民が展示やステージに見入った。産業展示館・金沢歌劇座では特別分科会が行なわれた。

 北陸で初めて開かれた全同教大会に、全国から1万2千人を越える参加者があった。

大会基調

1.はじめに

 第59回全国人権・同和教育研究大会は、全同教創設以来はじめて北陸の地・石川県で開催します。悲願であった石川大会開催の意義を改めて確かめあいたいと考えます。

 まず、研究大会を北陸の地・石川県で開催することは、そのこと自体に大きな意義があります。つまりそれは、同和教育の可能性と展望をより一層鮮明にしていく大会であるということであります。創設から半世紀を超える全同教は、文字通り同和教育の深まりと拡がりをめざして、全国各地で研究大会をはじめとする研究実践活動を進めてきました。とりわけ、研究大会は近畿・九州・四国・中国地方と西日本開催が多く、東日本での開催は過去に2度あるだけで、北陸地方での開催は初めてのことです。

 部落問題の解決をめざす運動の拡がりや同和教育の認知が歴史的に厳しい状況の中にあって、1991年に石川県同和教育研究協議会を結成し(研究課題参照)、その後の16年の歩みを通して大会開催を現実のものとされたことは、まさに同和教育の可能性と展望をおしひらいたことに他なりません。実践の確かさと魅力、そして展望を伝えあい、学び合い、確かめ合ってこられた手づくりの歩みが、教職員間のきずなを深め、行政をはじめ関係機関の理解と賛同を得、同和教育の社会的認知を拡げてきたことを示しています。誠実にそして丹念に進めてこられた歩みは、全国各地で奮闘する多くのなかまに光を与えています。

 そしてもう一つは、石川県での開催は同和教育がその普遍性をまさに問われる大会であるということです。言い換えれば、同和教育の理念や手法が、教育の普遍として確かさと展望を示すものとして多くの人びとに届けることができるのか、つまりすべての子どもたちや人びとのいのちと人権を確立していく教育として普遍化できるのかが問われる大会であります。「あの人だから」「あの学校だから」ではなく、「私にも」「私たちの学校でも」と、より普遍的なものとして響きあえる大会が求められます。そのことは実は同和教育に課せられた今日的な課題であり、本大会に与えられた大きな意義でもあります。

2.「差別の現実から深く学ぶ」を出発点に

 「差別の現実から深く学び、生活を高め未来を保障する教育を確立しよう」の大会テーマが打ち出されたのは、第17回の研究大会からでした。おりしも1965年の8月に出された「同和対策審議会」答申と時を同じくし、以来、42年間引き継がれてきました。

 当時、全同教は、この意義について次のように提起しています。

 部落差別の結果生じた部落におけるさまざまな生活上の劣悪さと、部落の児童生徒にみられる教育上の劣悪さを明らかにすればよいということではない。多くの部落の児童・生徒が、その能力をのばす機会と条件に恵まれていないことが、教育上には、さまざまな『低位性』という現象となって出てくるのであるから、その社会的な背景としての部落差別の現実──地域・家庭・学校・広くは社会全体──を明らかにすることは、部落の児童生徒の能力を育成していく機会と条件を保障する具体的な教育内容と方法を創造するための前提条件として必要である。すなわち、児童生徒のおかれている社会的背景を明らかにするということは、すべての児童生徒に教育の機会均等を保障していくための普遍的な原則として位置付けられるのである。(全同教討議資料・1972年「部落を解放する教育内容の創造と、学習の保障のために」)

 今日、格差社会は顕在化し、家庭生活や、その中でくらす子どもの日常生活や、未来までをも脅かしています。具体的には、生活保護や就学援助、高校授業料減免の家庭の増加として現れています。また、「親に捨てられたのわたしだけや。だってな、いっかい一緒に車に乗ったのに、忘れ物取りに行っている間に、行ってしもたから」というある子どものつぶやきが示すような家庭崩壊や親子の間での殺傷事件の多発、子どもへの虐待の深刻化等に現れています。

 さらには、それらに至らなくても、保護者の精神的なゆとりが損なわれていることが、家庭の教育力にも影響し、子どもたちの学習意欲の低下や、将来への希望が見いだせない状況となって現れています。「(中略)…子どもたちは、育てられた環境の中で育ち、経験したくらしの中で物事を考える。その中で、とりわけ『しんどい』状況の中で生きている子どもの中には、『どんなふうにくらしたいのか』という展望さえ見えてこない現状がある。…」これは、昨年の第58回研究大会の分野別総括の一節です。

 今日子どもたちは、格差社会の歪みの中でともすれば、ある子は被害者となり、ある子は加害者となって社会の闇に放置され、あるいは排除されているという事態は数知れません。改めて「差別の現実から深く学ぶ」ときにある、ということです。

 そのためにも

  1. 子ども一人ひとりに即して、差別・抑圧の現れ方を捉え、その実態と課題を捉えて取り組みを創造すること
  2. 差別と自己の関わりを深く認識し、人として豊かに生きるための自己変革をめざすこと
  3. くらしを高めようとする取り組みに学ぶこと
  4. 「加差別の現実」も捉えておく必要があること

が重要です。

 同和教育は今日においても普遍の教育であることをみなさんとともに確かめ合いたいと思います。

3.同和教育を基軸にした人権教育を創造しよう

 同和教育は、被差別部落の子どもたちの長欠・不就学の解決をめざして、教職員自らが親たちと向き合い、学び、そこにある教育課題を見いだしてきた営みから始まりました。そして、その姿勢は、部落差別以外の様々な人権課題の解決に向けた取り組みにも繋がり、そのことが部落問題の解決に向けた取り組みをより確かなものにしてきました。この事実は同和教育が豊かな拡がりをもって発展していることを示すものです。

 しかし、先にも記したように、今日の社会の急激な変化は人々のくらしに不均衡、不平等をもたらし、混迷する教育施策と併せて、子どもたちは厳しい教育環境の中で日々を過ごしています。すべての子どもたちに、教育の機会均等を保障し、差別を許さず、人権の確立をめざしてきた同和教育の原則や成果、教訓を確かめながら、以下の視点を中心に人権教育の豊かな内容を創造していきたいと思います。

(1)部落の子どもをはじめとする被差別の子どもの教育課題への取り組み

 文部科学省による「人権教育の指導方法等の在り方について」(第1次及び第2次とりまとめ)が公表されたことにより、全国すべての学校において人権教育を進めていく上での有効な根拠が示されたことになります。しかし、私たちが最も大切にしたいのは、進めていく必然性をどれだけ我がものにしているかという点だと考えます。つまり、子ども一人ひとりがどんなくらしの中で育っているのか、どんな思いをランドセルやカバンにつめて学校へ来ているのか、親や身近な人々の願いは何なのか、取りまく周囲の人々や社会の意識はどうなのかということ等が、しっかりと私たちに見えたとき、その取り組みは必然性を持ち、魂が込められていくと考えます。

 「子どもと向き合う」「子どもの事実から出発する」「子どもの背景をとらえる」などは、すべて「靴べらし」の同和教育の取り組みの中から生まれた教訓であり財産です。くらしの困難さや、いじめ、学力の問題など、昨今、子どもたちをとりまく教育課題が多様化する中にあっても、これらの教訓や財産をもとに教育実践を積み重ねていくことが、人権教育としての内実を示していくことに他なりません。

(2)教育の機会均等の取り組み

 同和教育は、教科書の無償配布、学級定員減の実現、加配教員の配置、奨学金制度の確立など、被差別の立場にある部落の子どもたちや親たちを中心とする教育要求を出発点とし、教育の機会均等の実質的な保障をめざした様々な教育条件を確立してきました。

 また、障害児・者の就学保障や夜間中学校設立、あるいは民族学級の設立や新渡日外国人のための日本語教室、要保護制度の拡充などに取り組み、教育の機会均等を保障する原動力となってきました。

 しかし、今日、市場原理主義を優先させ、選択権の自由を隠れ蓑に義務教育における学校選択の自由化をはじめ、教育バウチャー制度の導入の動きもあります。これらは、同和教育がめざす「地域とともに歩む学校」「地域に根ざした学校」とは相容れないものであり、「差別越境」につながる恐れを多分にはらんでいます。

 さらには、地域格差と少子化傾向の状況が重なり、とりわけ地方では高校の統廃合も進んでいます。そのことにより、学校を「選ぶ」ことはおろか、公共交通機関の廃止や縮減によって「通う」ことさえ困難な状況にいる子どもは少なくありません。教育の機会均等や学習権の保障は、すべての子どもたちに与えられるべきものであり、それを脅かされることは、自己実現を阻みかねない人間の尊厳にかかわる問題です。すべての子どもや人々が主体者になるための学習機会が保障されなければなりませんし、生涯にわたる学習が社会的なしくみの中で保障されることが求められています。同時にそうした機会を確かな情報として着実に届けることも忘れてはなりません。実態を点検し、実効あるものとしていくことが一層求められます。

 改めて、子どもたちや親たちのくらしや願いに深く学びながら、教育の機会均等を具体化する取り組みを積極的にすすめたいと考えます。

(3)部落問題学習をはじめとする教育内容創造の取り組み

 全同教は結成以来、一貫して部落問題学習を同和教育を実践していく上での中心的課題の一つとして位置づけ取り組みを深めてきました。特に、1972年の中学校用教科書への部落問題の記述を糸口に、くらしに潜む差別の現実に学ぶことから、多くの学習内容や学習活動、授業形態を創り上げてきました。

 第1に、部落差別の歴史や現実を踏まえた教育内容の創造を通して、くらしや社会を見つめ、差別に対する科学的なものの見方・考え方を育ててきました。そして、さまざまな差別問題についても、その不当性を認識し、差別への怒りを引き出し、差別解消への意欲と行動を育ててきました。

 第2に、差別の厳しい現実の中をたくましく、したたかに生き、人間としてのあたたかさや、やさしさをもとに、励まし合い差別に抗ってきた人びとの生き方に学ぶ学習は、部落の子どもたちをはじめ、さまざまな課題を背負わされた子どもたちにも生き方の展望を届けてきました。同時に「部落差別の問題は、部落にすむ友だちの隣に座っている自分の問題」としてとらえる子どもなど、多くの子どもたちの共感や連帯を生み、差別をなくそうとする生き方を培ってきました。

 第3に、部落問題学習は教職員自らが差別の現実にどう向き合い、どのような位置にたっているのかが厳しく問われ、教職員も子どももともに自己変革を迫られる質をもっていることを明らかにしてきました。

 第4に、部落問題を基盤とした学習は、多様な学習内容と活動をも生み出しました。

 例えば、地域の部落が形成されてきた歴史やそこで働き生活してきた人々の姿、生産と労働と文化を明らかにし、史実と授業を結合させてきました。また、生産と労働の学習を通して人々の技術や知恵に学ぶ授業や、部落の食文化や伝統芸能について学習を深める授業を創り出してきました。さらには、地域のフィールドワークや聞き取りを通して、部落差別の歴史を具体的に学び、差別との闘いや生き方に学ぶ学習へもつなげてきました。そしてさらにその発展として、演劇や版画などの創作表現活動の営みをも生み出してきました。

 これらの実践は、日本の人権教育の方法と内容を深め、拡めることにおいても、先駆的な役割を果たしてきたと言えます。

 今日、情報化社会の進展により部落差別をはじめ様々な人権課題が、陰湿かつ悪質に露呈しています。さらには、格差社会の矛盾がとりわけ被差別部落をはじめとするマイノリティの立場の人びとや子どもたちを覆っています。だからこそ、特設の時間だけでなく、すべての教科や領域で、解決の展望に結びつく学習内容や学習活動が創造されなければなりません。

(4)なかまづくりの取り組み

 「いじめ」や「いじめ」による自死が今日大きな社会問題になっています。子どもたちにとって、学級や学校が居心地のいい場所になりえているかが問われているということです。

 同和教育は、部落差別、障害者差別、在日外国人差別等に直面している子ども、きびしい生活実態にある子ども、いじめを受けている子どもなど、それぞれに課題を背負わされた子どもを中心に据えた「なかまづくり」に取り組んできました。

 具体的には、自分のこと、親のこと、くらしのことを「見つめ」「つづり」「語る」ことを通して、互いの信頼を生みだしつながりを深める営みを創りだしてきました。そして、その取り組みの前提にあるのが、子どもと教職員の信頼関係づくりです。日々の会話や話し合い、日記や生活ノート、家庭訪問などの日常的なていねいな営みこそが、丹念に積み重ねられなければなりません。そのことが悩みを解決し要求を実現していこうとする自主活動を育み、「いじめ」や「荒れ」を克服していく、質の高い学級・学年・学校集団へと発展していきます。

 今日の少子化、核家族化、情報化等によって、人と人との関係が希薄になっています。そのなかで、多くの子どもたちがうまく他者との関係がもてずに、孤独感や疎外感を感じて悩んでいます。傷ついたり傷つけてしまったりといった、深刻な姿もあります。

 だからこそ、「なかまづくり」はすべての教育活動の基盤に位置づく必要があります。そして、その取り組みは意図的、継続的、組織的なものであることを確かめあい、実践の深化と普及を進めましょう。

(5)進路保障の取り組み

 進路保障は「同和教育の総和である」と位置づけられてきました。子どもの進路の課題を、どこに進学・就職させるのかではなく、子どもの進路を阻む差別を許さず、さまざまな人権問題を解決していく生きる力を育む教育として築いてきました。

 具体的には、部落の子どもの低学力傾向の克服や一人の子どもも落ちこぼさない「わかる授業」「教材開発」に取り組み、学力保障を進めてきました。

 また、集団の中でみんなとつながり、豊かな感性を育むために、家庭と幼稚園・保育所の役割を確認し、共に育てる乳幼児教育を築いてきました。

 さらに、解放奨学金制度をはじめ、すべての子どもたちのための奨学金制度の実現をはかり、子どもの高校・大学等での教育を受ける権利を保障するなど、就学保障に取り組んできました。

 加えて、差別選考を常態化させてきた「社用紙」を撤廃させ、全国高等学校統一用紙(「統一応募用紙)を制定して、すべての子どもの就職の機会均等をめざす取り組みを進めてきました。その中で「言わない・書かない・提出しない」など、子ども自身が自らの不利益に対して、意思表示し、行動することにより就職差別を許さない生き方を培い、子どもたちが「自らの生活・進路を切り拓く」ことをめざす教育内容を創出してきました。

 しかし、今日、経済のグローバル化や高度情報化により、日本の産業構造が大きく変化しています。従来の日本型雇用システムが崩れ、企業の採用抑制や労働内容の高度化・専門化などにより多くの人々が苦況に追い込まれ、若者の社会的自立が阻まれている状況があります。その中で格差社会は一層深刻さを増し、そのことが子どもたちにも大きな影響を及ぼしています。それは、進学を断念せざるを得ない子どもたちや、不安定・不公正な雇用状況に追いやられている子どもたちの姿に顕著に現れているだけではありません。家庭基盤の不安定さが、子育てのゆとりのなさや不安につながり、生活リズムの崩れや、子どもの心を受けとめてやれない状況などを生み出しています。そのことが結果として、学校での子どもたちの学習意欲の低下や将来展望をもてない姿として現れています。

 奨学金制度や公正な採用選考を確立するシステムなどの条件づくりを一層強化・充実させていくとともに、こうした状況を克服していける力を、子どもたちにつける教育内容として確立していくことが急務です。

 その中心的な課題の一つは学力保障の取り組みであると言えます。教科の基礎・基本を習得することのみならず、情報を収集し分析・批判・発信していく力や人との関係を結んでいく力、確かな判断力をもとに問題を解決していく力なども重要な力です。また、その根底には、自分のくらしを見つめ、自分を取りまく人々の願いを受けとめ、生活を高めていく力が必要です。言い換えれば、部落問題学習を進めていく上で大事にしてきた力とも言えます。これらを含めて学力保障の取り組みとして進めなければなりません。

 その上にたって、豊かな体験や多様な人々との出会いなどを通して、自らの進路に展望を持ち、選択し、その目標に向かって自己実現を図っていく力をつけていくことが重要です。

 教育内容としての進路保障の取り組みをより一層進めましょう。

(6)人権のまちづくりを私たちの手で

<1>社会教育における同和教育の取り組み

 同和教育は、部落問題の解決とすべての人々の人権確立をめざす取り組みとして、社会教育における営みを創造してきました。それは、地区別懇談会や青年団・婦人会・PTAなどの各種機関・団体における多様な学習活動、公民館活動、身元調査お断り運動などによって、部落問題をはじめ様々な人権問題を捉え、いのちと人権を守り、くらしを高める営みの拡がりを創りだしてきました。

 また、識字運動や部落解放子ども会などの営みを通して、社会的立場を自覚して意欲的な活動や学習を担う部落解放の主体形成を図ってきました。

 さらに、行政・地域・企業・宗教団体などにおいて、部落問題の解決を国民的課題とするための多様な学習活動・啓発活動のあり方を考え、人権啓発・社会教育システムの確立をはかってきました。

 しかし今日、同和対策諸法の失効をはじめ、市町村合併あるいは地方分権の流れ等によって、行政によるさまざまな施策が縮小・中止され、活動が損なわれている状況は少なくありません。改めて1996年地対協意見具申が示した次の指摘を確認しなければなりません。「差別意識の解消を図るにあたっては、これまでの同和教育や啓発活動の中で積み上げられてきた成果とこれまでの手法への評価を踏まえ、すべての人の基本的人権を尊重していくための人権教育、人権啓発として発展的に再構築すべきと考えられる。その中で同和問題を人権問題の重要な柱として捉え、この問題に固有の経緯等を十分に認識しつつ、国際的な潮流とその取り組みを踏まえて積極的に推進すべきである」。

 人権のまちづくりに向けて、人権教育に関する民間の研究団体やNPO・NGO・ボランティア団体・マスコミ・企業・宗教界・労働組合・市民団体・PTAなど幅広い分野との連携を深め、地域住民が一体となった「人権文化」を創造する協働の営みへと発展させましょう。

<2>地域教育コミュニティを展望して

 住民一人ひとりが自らの存在と人権が守られ、「生きがい」や「学びがい」や「働きがい」を実感できる豊かな生活を創り出すことを「人権のまちづくり」として、全同教が提案して10年になります。この「人権のまちづくり」のモデルは被差別部落の中にありました。そこでは、住民の主体的な参加によって住民自治を育みながら地域共同体としての「まちづくり」が行われてきました。この解放運動の教訓が生かされて、各地で様々な取り組みがすすめられ、被差別部落から周辺地域へ「人権のまちづくり」がひろめられ、様々な立場の人との出会いや連帯が生まれ発展してきました。

 この間の実践から導かれたキーワードとして「協働」と「参画」があります。一つの目標に向かってともに情報を共有し、ともに協力して活動に取り組む「協働」と、様々な活動に企画段階から参加していく「参画」です。まさに職域や立場を乗り越えた活動が進められ、地域教育コミュニティが形づくられています。

 しかし、こうした取り組みはまだ限られた地域のものとなっています。子どもたちをとりまく状況は、幼い子どもたちの命が奪われる痛ましい事件が続いていることなど、深刻さを増しています。子どもたちを支え育てるまちづくりがあらゆるところで具体的に機能していれば避けられた事件もあったのではないかと思われます。

 子どもの安全面や教育活動への支援、あるいは児童虐待防止に向けた支援など、子どもの命と人権を守り、育ちを支えるまちづくりの必要性は、ますます高まっています。だからこそ、学校(園・所)と家庭・地域、そして子どものために活動する様々な人々との協働といったボトムアップの手法とともに、行政的な支援が不可欠です。「子ども(学校)を支え、育てるまちづくり」という目標にむけて様々な人々、関係機関等の協働と参画をどう構築していくのか、実践を束ね確かなあり方を明らかにしていきましょう。

4.豊かで実り多い大会に

 本年6月、内閣府の大臣官房政府広報室は、人権擁護に関する国民の意識調査を実施しました。全国の20歳以上の3000人を対象に行われた調査からは、次のような結果が報告されています。(抜粋)

 まず、人権侵害の推移について、「多くなってきた」(42・0%、前回調査2003年36・2%)と答えた割合が上昇しており、人権侵害の経験については「ある」(16・3%、前回調査13・9%)と答えた割合が上昇し、「ない」(83・7%、前回調査86・1%)と答えた割合が低下しています。また、「人権尊重が叫ばれる一方で、権利のみを主張して、他人の迷惑を考えない人が増えてきた」という意見について、「そう思う」(85・2%、前回調査76・7%)とした割合が上昇し、「そうは思わない」(12・7%、前回調査16・3%)とする割合が低下しており、孤立化する世相が垣間見えています。

 一方、同和問題を知ったきっかけについて、「学校の授業で教わった」(19・7%、前回調査16・8%)と答えた割合が上昇し、「同和問題を知らない」(20・5%、前回調査25・0%)と答えた割合は低下しています。また、同和問題に関してどのような問題が起きているかについて、依然結婚問題がもっとも高く(42・9%)、以下身元調査(30・1%)、就職・職場での不利益な扱い(29・8%)、差別的な言動(26・4%)などの順になっています。但し、結婚問題で周囲が反対すると答えた割合(42・9%、前回調査47・5%)は低下しています。学校で教わった後の結果が気になるところではありますが、いずれにせよ、学校教育が果たしている役割は大きく、部落問題の正しい認識を培う学習活動は今後も非常に重要です。

 その他、人権課題の解決のための方策については、「学校内外の人権教育を充実する」(55・4%)が最も高く、以下、「国や地方自治体、民間団体等の関係機関が連携を図り、一体的な教育・啓発広報活動を推進する」(46・4%)、「人権が侵害された被害者の救済・支援を充実する」(46・6%)、「犯罪の取締りを強化する」(41・1%)、「人権意識を高め、人権への理解を深めてもらうための啓発広報活動を推進する」(40・3%)と、報告されています。

 人権を擁護していく社会づくりのための「教育・啓発」が果たしている役割、そして果たすべき役割が改めて見て取れます。その意味では全国各地の事実と実践を交流する本研究大会は、それこそ人権確立にむけた自己変革と人間連帯を創出していく、まさに「教育・啓発」の場であると言えます。確かなであいと豊かな学びを切望します。

 また今回、現地実行委員会からは次のような大会に向けた想いが寄せられています。

 1991年に石川県同和教育研究協議会が結成され、いつかは全同教大会を開催できるような実践の積み重ねと組織の確立を求めて、この16年間取り組みを進めてきました。この間、県内外の様々な人々から、時には暖かく、時には厳しい助言や励ましをいただきながら遅々たる歩みを進めてきました。わずか16年でその願いが達成されたとは思えませんが、これまでの私たちの歩みの確かさと課題を今一度問い直す機会をいただきました。

 いわゆる「指定地区」もなければ解放運動も育たなかった地で、同和教育の必然性に気付かせてくれたのは第28回全同教兵庫大会に石川から初めて参加した2人の教師の問題提起でした。理念や方法論ではなく、徹底して子どもや親にかかわることと、そのために自分自身のありようを問いなおすこと、そしてその営みをていねいに綴ることの大切さは私たちの取り組みの原点となっています。

 「しっかりせんかい」と背中を押してくれる地区の親もいない中で、私たちの取り組みの確かさは、日々の目の前の子どもの笑顔や、障害のある子の親や在日を生きる朝鮮人たちの身を震わせながらも寄せてくれる学校や教師への期待と願いの声にどれだけ応えているのかを検証しあうことでした。

 しんどい状況におかれた子どもや親の願いを受け止められる教師になろう、そのために自分を問い、日々の教育内容を問い直そうというなかまが一人二人と県同教に結集し、県内に8つの地区同教を組織してきました。

 今大会が、石川県をはじめとして北陸の地における人権教育・同和教育の内実を問い、課題を明らかにし、進むべき新たな方向を展望することはもとより、北日本、東日本への同和教育運動の拡がりの可能性とその方向性をも問う意義のある大会ともとらえています。

 そのためにも、「同和教育って何?」という多くの県民の問いに「同和教育って、こんなにもあったかく、すてきなものなんだ」という答が残せるような、熱く、ていねいな討論の深まりを期待します。かつて兵庫大会に参加した2人の教師が受けた衝撃と「自分はどうなのか」という問い直し、そして「何かをせずにはおられない」という新たな踏み出しが北陸の地でふつふつとわき起こる、そんな全同教大会を、全国から参加する多くの仲間の皆さんと共に創りあげたいと願っています。

 本大会には、地元特別報告をはじめ、全国から学校教育部会、社会教育部会の分科会に141本の実践報告がよせられました。

 それぞれの報告は、子ども、教職員、保護者、地域の人々が「喜びや苦しみ、怒りや悩み」をのりこえてきた、生きた記録です。何に出会い、何に気づき、何に学び、どのように変わったのか、その道のりをこそ明らかにしたいものです。そこに感動があり、学び合う大切なことがあるにちがいありません。

 分科会討議は実践の質を深め、豊かにしていく共同作業です。長年にわたって取り組みを積み上げてきた人と地域があれば、いまようやく実践をはじめようとしているところもあります。また、学校・地域ががっちりとスクラムを組んで取り組んでいるところもあれば、たった一人で取り組まれているところなど、参加者の立場はさまざまです。こうした参加者の状況をふまえ、すべての参加者に「報告者」として日々の実践にある真実を明らかにしていただきたいのです。そして、ともに教育内容を創り上げていくという立場から報告に対する鋭く建設的な提起を、報告者へのあたたかい共感と励ましを、そして何よりも率直で誠実な討議を、参加者全員の力で創り上げていただくよう期待してやみません。

 地元テーマ「であいつながりわかりあい」に貫かれている石川の想い、そして同和教育を大切にする全国のなかまの想いを束ねて、さらなる深まりと拡がりを創り出せることを願って基調提案とします。