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2008.04.11
講座・講演録

世界人権宣言と婚外子の人権
-人権と平和と婚外子差別-

土橋博子(「婚外子」差別に謝罪と賠償を求める裁判を支援する会)


 世界人権宣言大阪連絡会議は、「婚外子」差別に謝罪と賠償を求める裁判を支援する会の土橋博子さんをお招きして、2008年2月19日(火)に第292回国際人権規約連続学習会を開催しました。報告要旨は以下の通りです。(文責 事務局)

はじめに

 本日お集まりの皆さんの中には企業の関係者の方も多いそうですが、皆さんは行政書士や弁護士が不正に戸籍や住民票を取得して、処分される事例が毎年何件も発生していることをご存知でしょうか。彼らは調査会社の依頼を受けて不正行為を行っています。その調査会社は不正に入手した戸籍情報を企業の人事担当に1通数千円以上の高額で売り渡しています。それを得た企業は、被差別部落出身者や在日韓国朝鮮人、アイヌ民族や沖縄出身者、あるいは婚外子を採用で差別するために利用しているのです。

 大企業であれば求人数も多いでしょうから費用もかなり必要でしょう。表沙汰になれば社会問題となって、企業の信用を落としてしまうことにもなります。もし私がその企業の株主だったら間違いなく株主代表訴訟を起こします。そうなれば責任を問われるのは取締役だけではなく、人事担当者等にも及ぶことになります。つまり今回のテーマは皆さんにとっても他人事ではないという意識を持って聞いて頂きたいと思います。

婚外子差別とは

 一般に未成年者は責任能力を大きく制限されていますが、法的には保護されています。しかし婚外子に限っては、生まれる前の父母の行為の責任を、子どもが差別される形で背負わされるという、非常に不思議な構造になっています。本人に責任のないことで不利益を負わせるのは、近代法の原則に反することです。それ以前に、親自身は不利益を被らないで子だけが不利益を被るのですから、封建制度の連座制よりひどい制度だと言えます。

婚外子差別制度の始まり

 婚外子差別は中世のカソリック教会の、婚外子に「親の罪を代贖させるべき」とする教義に由来します。キリスト教において、結婚とは男女が神の前で誓い合い、神がそれを承認するというもので、それに背く性的結合は強く禁じられていました。そのため同性愛者は死刑も含めて本人が処罰されていましたが、婚姻外性交渉は本人ではなく、それによって生まれた子どもが処罰されました。なぜなら性交渉を持った本人を処罰するとなると、異性愛者である多数の教会関係者にとって、自分が処罰される可能性が生じるからです。本来キリスト教では性交渉は快楽を得るためのものではなく、子どもを得るために必要最小限行うべきものと捉えられていたために、その裏返しで婚姻外性交渉への欲望が強かったという歪んだ背景の上に婚外子差別の制度は誕生したのです。その差別は、16世紀のイタリアで、実の親であっても婚姻外で生まれた子を扶養すれば違法というところまで行き着きます。多くの子供が捨てられて社会問題となると、教会は解決策として「赤ちゃんポスト」の原型を創りました。

 このようなカソリックの歪んだ思想は、キリスト教の普及とともにヨーロッパに広がりました。その後フランス革命期には、婚外子差別を否定する法律が制定されたりしました。しかし、反動としてのナポレオン法典によって、より強固な婚外子差別の法制度が制定されてしまいます。ナポレオン法典は、妻が夫の許可なく自分の財産を処分できないなど、妻を法的に無能力としました。そして妻以外の女性が産んだ子どもは、社会の統制からはずれた子どもとして差別するという規範を作りました。これと先のキリスト教の思想があいまって、近代以降の婚外子差別制度がヨーロッパで確立されたといえるでしょう。

 なお、ローマ法王庁は1962年から開いた第2バチカン公会議で、ハンセン氏病に対する教会の差別的な態度などとともに、婚外子差別が不当であることを認めました。

婚外子差別が生じなかった国々

 一方、同じキリスト教の影響を受けた中南米の国々では状況が違いました。スペインやポルトガルの植民地でしたが、当時白人女性が現地には少なかったので、入植者である男性達は現地の女性と結婚し、現地の考えに影響されることになりました。親子関係については「すべての子は母親の嫡出子とする」という考えが取り入れられて、民法上の婚外子差別はありません。また、これらの国々の憲法には、国際条約と同じく無差別の原則が採用されています。

無差別原則の重要性

 日本国憲法は合理的差別を認めています。逆説的に、民法において婚外子を差別するために、合理的差別という概念を創り出したといえるのではないでしょうか。

 無差別の原則か、合理的差別を認めるかの違いは、皆さんにも大きく関わってくる問題です。例えば、ある特定のカテゴリーの人々が政府から不当な扱いを受けているとして裁判で争う場合、無差別の原則が取り入れられていれば、政府の側がその扱いが不当でないことを論証しなければなりません。反対に合理的差別が認められていれば、差別を受けた側が不合理な差別であることを論証しなければなりません。

 また、法的に合理的差別が認められていれば、行政の裁量はすべて合理的差別の範囲内で行われているという、非常に危険な状況を生み出してしまいます。

 以上の点から考えても婚外子差別の問題は一部の少数者の人権問題だけではなく、すべての人の、人権の根幹に関わる非常に重要な問題であることをぜひご理解ください。

日本の婚外子差別-明治時代

 日本では、1871年、納税確保を目的として、世帯人数や資産を記した戸籍制度が始動しました。これは民事法の基礎となる明治民法が制定される以前であり、統一された戸籍制度が確立されていなかったために、地方からの「伺い」と中央からの「指令」で戸籍の記載を徐々に定めていったのです。その内容は戸籍の記載で扶養や相続まで決まるような、まさに行政が立法と司法を兼ねるようなものでした。

 そのような中、1886年に戸籍に妻と妾が併記されるようになり、それ以外の女性から産まれた婚外子は「母と子の戸籍」に入籍させることになりました。この「母と子の戸籍」は、「私生子」を産んだ女であることを公示し、そのような過ちを犯したふしだらな女に制裁を加えるという意図を持つと1877年の太政官指令で確認されています。

 現在でも通常、婚外子の出生は母の戸籍に入籍しています。1877年の政府見解は現在に至るまで公に否定されていず、「母と子の戸籍」という戸籍登録そのものが、女性の未婚での出産が非難の対象であることを、今もなお表し続けているのです。

 このような厳しい女性差別を前提に、1896年に明治民法は起草されました。ここでは明治維新が封建制からの脱却だったにもかかわらず、徳川政権下の武家の慣習による「氏」に基づく家制度を日本人全員に導入しました。「氏」の長を戸主とし、男系男子で家を相続させるとしました。この制度では婚外子を認知することで家督相続人にすることができます。既に妾制度が廃止されていたために、その子を産んだ女性に対する保障は規定されていません。戸主である男性にとって実に都合の良い制度でした。また、婚外子差別については一見当時のヨーロッパの制度を踏襲したかのようですが、実は大きな違いがありました。ヨーロッパでは親子関係を妻が産んだ嫡出子と、未婚の男女間に産まれた自然子、不貞行為で産まれた姦生子に分類して、姦生子を最も差別していたのですが、日本では自然子と姦生子の間の差別規定を設けませんでした。なぜなら必要に応じて姦生子を家督相続人とすることで、男系男子による家の継承という、日本の家制度を維持する上で重要だったからです。

 また、婚外子は妻に男子がない時の劣位の家督相続人なので、遺産の相続分は、嫡出子の半分とされました。この相続分差別は現行民法でも維持されています。

日本の婚外子差別-大正から戦中

 いわゆる大正デモクラシーを迎えた社会変化の中では、一枚の戸籍だけですべてを賄うのが難しくなってきました。そこで民法改正が試みられましたが、日本社会はその後泥沼の戦争の時代に突入して、法制審議会の議論はうやむやになってしまいました。

 またこの当時、それまでは裕福な資産家男性だけに認められていた参政権をすべての国民に認めさせようとする運動が起こり、まず全男性に参政権が認めらました。女性の参政権獲得運動も起こりました。しかし当時の運動は、スローガンでは「女と子どもに不利益な法律を改正しよう」と掲げながらも、実際にはすべての女性の人権という視点に立脚したものではありませんでした。この運動は翼賛体制に協力することで、政府に婦人参政権を認めてもらおうとするものとなり、女性翼賛と呼ばれるような積極的な戦争協力を煽るものになります。

 一方、戦時体制がますます厳しくなり、国民総動員によって若い男性がどんどん戦地へ駆り出されるようになっていきました。召集令状が息子に届いた家では、慌てて適当な女性と息子を、法手続きを経ずに結婚させました。その直後に出征して戦死するというケースが頻発します。その結果、戦死した男性との間に産まれた子どもが、婚姻の法手続きができていないために婚外子(当時の呼称は私生子)となるという問題も多発するようになりました。名誉の戦死を遂げた英雄の子どもが、「私生子」として国から公に差別されるという事態になりました。困った日本政府は、それまで生存中のみに認められていた認知を父親の死後も認めるようになり、併せて1942年には「私生子」の名称を廃止しました。

日本の婚外子差別-戦後

 日本は無条件降伏し、新憲法の下で民法改正へ向かいます。家制度が廃止され、家督相続の必要がなくなったので、民法上の婚外子差別をなくそうとする提案が政府から出ました。しかし当時の女性議員らは全員反対しました。戦前の婦人参政権獲得運動のリーダーでもあった彼女たちは、夫が自分以外に産ませた子どもに財産を相続させるのは嫌だという妻としての感情論を繰り返し主張しました。その「妻」としての意見を「女性」の権利と主張する者、GHQにデモをする者までいたのです。

 彼女たちは表面的には法婚姻尊重の観点から婚外子差別の必要性を訴えていましたが、実際に彼女たちが求めていたのは、事実上の家制度の復活だったのです。彼女たちは均分相続の例外を求め、戸主に代わる家の代表を求めました。家制度には婚外子を遺産相続で差別することが必要不可欠なのですが、これが平等になりそうだったので婚外子の相続権そのものを否定することで、婚外子差別を維持しようとしました。従って現在もなお、多くの日本人に刷り込まれている婚外子差別が法律婚を守るという考えはまったくの欺瞞から生まれたものです。ですから、婚外子差別が法律婚や家族を守るということを誰も論証することができないのです。これが日本の婚外子差別の歴史です。

国連が禁止する婚外子差別

 残念ながら婚外子差別を維持したまま、民法の一部を改正する法律が1946年に成立しました。その後、1948年12月に世界人権宣言が発布されます。この宣言はご承知の通り、2度に及んだ世界大戦の反省の上に成り立っています。その最大の目的は戦争を引き起こした原因である国内の差別・矛盾をなくしていこうというものです。世界人権宣言では婚外子差別は重大な人権侵害として明確に禁止されています。なぜならこの差別は他の社会的差別とは違って、強制力を有する法制度上の差別だからです。つまり差別しないという意志を持っている人でも、嫡出子であれば強制的に差別する側に立たされてしまうという性質を持っているのです。

 このような状況を正すために、国連は世界人権宣言に加えて、様々な国際人権条約を設け、批准国にその内容に沿った国内法の改正をさせようとしています。日本政府は多数の人権条約を批准しています。その中の社会権規約・自由権規約、子どもの権利条約、女性差別撤廃条約の各委員会から婚外子差別を廃止するように強く勧告されています。しかし、政府は勧告に法的拘束力がないという理由で従おうとしません。自ら批准した条約に対してこのような態度を取ることは、国際条約を愚弄するものであり、国際社会における日本国・日本国民の信頼を貶める行為ではないでしょうか。

私たちが行うべきこと

 婚姻届を見たことがありますか。憲法24条に「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し」とあります。ところが、婚姻届には結婚する二人の父母の氏名や父母との続柄を記載する欄があります。これによって、父母が婚姻中か、離婚したか、婚外子かどうかが判明します。父母の状況を記載しなければ結婚ができないのです。これは明らかな憲法違反です。ところが、どこからもそれを問題視する声はあがりません。このような制度を放置している日本人の人権意識は低いといえます。この届出用紙は行政裁量で決められています。私たちはこのような行政に無批判でした。本当の意味での民主主義・主権在民を実現しなければなりません。人権を侵害する民法を改正しなければなりません。国連勧告を政府に履行させるのは参政権を持つ私たちの仕事です。1996年に婚外子相続分差別を撤廃するための民法改正案が法制審議会から答申されています。自民党以外の政党はこの民法改正をマニフェストに掲げています。彼らを選挙で支持していけば事態を動かしていくことができるはずです。

 残念ながら男性より女性のほうが婚外子差別を必要だと考える傾向が強いようです。今後の運動は、参政権を獲得するために戦争協力した、かつての女性翼賛的なものであってはなりません。妻の権利を女性の権利にすりかえることは許されません。女性の権利のために、婚外子差別がなされているのなら、現に婚外子差別をしていない国の女性より、日本女性の地位は高いはずです。北欧諸国と比べて明らかなように、事実はまったく逆です。

 一方、最近では社会の様々な場面で人権を蹂躙するような風潮が甚だしくなっています。このような危機的状況にある今こそ、差別構造の根幹にある法制度上の差別である婚外子差別撤廃の重要性を認識してください。そして、日本を民主化し、人権を確立するために、多くの人々が共に立ち上がることが重要だと思います。

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