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2008.05.14
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世界人権宣言と現代日本の貧困

大谷強(関西学院大学経済学部教授)


人権宣言が経済の安定に貢献した

大谷強(関西学院大学経済学部教授) 1948年の国連総会で世界人権宣言が採択されて、今年で60周年を迎えることになります。採択された当時、日本やヨーロッパ諸国の社会や経済は、1945年に終結した第二次世界大戦によって壊滅的な被害を受けていました。そのような状況の中、国連が中心となって、世界人権宣言を基礎にして、国際社会を復興させたことには大きな意義がありました。

 人権宣言によって、政府も企業にも行動目標ができたと見ることができます。とくに、世界の全ての人々にとっては、人権が保障され生活も安定する社会で、もちろん、残された問題は山積みですが、経済社会活動に専念できた成果は大きいと思います。

 今日、日本内外の経済状況は非常に厳しいと言われています。しかし世界人権宣言が採択された当時の状況から考えれば、日本のみならず世界の経済は大きく発展してきました。ですから日本経済は「厳しい現状」とはいえ、人権を尊重するさまざまな活動によって、経済社会を長期的に見れば安定させていく必要があるのではないでしょうか。

世界人権宣言と貧困問題

 本日のテーマは「世界人権宣言と現代日本の貧困」となっています。世界人権宣言では前文に『恐怖及び欠乏のない世界の到来が一般の人々の最高の願望として宣言された』とあるように、恐怖や欠乏(貧困)が、戦争をはじめとする様々な社会問題の原因であると捉え、人権を尊重することでそれらの存在しない社会の発展を目指そうとしています。また、条文の中でも第22条『人はだれでも社会保障を受ける権利を持つ』という規定や、第23条『職業の自由な選択で公正な労働条件を確保する権利を持つ』という規定などを設け、人権として貧困のない社会を訴えています。皆さんもぜひ覚えておいてください。

貧困の要素の多様化

 世界人権宣言が採択されて以降、これを基礎として多くの国々は社会保障を充実させた福祉国家を目指して、社会的・経済的発展を遂げていきます。しかし、貧困の原因となる社会問題の捉え方について、宣言を採択した当時と現在とでは大きな違いがあるといえるのではないでしょうか。

 採択当時は社会問題を「戦争被害者」や「高齢者」などといった単一の要素として捉えるのが政策の中心だったようです。そして単一の対象者別・対象課題別に対応する政策を取っていれば解決できると思われていました。

 しかし現在では「複合差別」と言われるように、貧困の要素となる社会問題が「女性の高齢者(多くは医療や介護を必要とする)」や「外国籍の障害者」というように複合化・多様化していて、しかも、それぞれが複雑に絡み合ってきています。その結果、1950年代から培われてきた社会保障政策だけでは十分な対応が難しくなってきました。現代はそれらの見直しが余儀なくされている時代となっています。

社会保障の在り方の変遷

 政策の見直しの象徴といえるのが、よく言われる「セーフティーネット」という考え方についてです。以前は「セーフティーネット」とは、社会的に苦しい立場にある人々が、社会から振るい落とされても、ハンモックのように受け止めるという意味合いで使われることが多くは一般的と考えられてきていたように思います。しかし、1980年代後半から1990年代における各国の議論の中で、その意味合いは若干変わってきました。この間の、主に障害者運動の本人たちの議論の中から「セーフティーネット」とはハンモックではなくジャンピングボードのように、再度、社会に参加する、ジャンプするためのネット、再び自分らしい生活をするためにチャレンジできる機会となるべきだという捉え方に変わってきたのです。つまりこれまでの福祉政策がどちらかというと管理を中心とした政策依存による安住を目指してきたのに対して、今の社会の価値観を押し付けられるのではなく自分らしい生活を実現できるように支援する政策が求められるようになってきたのです。

対象者により異なる必要な社会保障

 もちろんすべての人を対象に自立を支援する政策を求められているわけではありません。日本の貧困問題を考える上で、ある統計調査を紹介したいと思います。それによれば1995-2005年における生活保護受給者は高齢者が約7割を占め、受給世帯の平均人数は1.4人家族となっています。つまり生活保護を受給している人の多くは一人暮らしの高齢者ということになります。先ほどのジャンピングボードの発想に当てはめれば、一人暮らしの高齢者に改めて仕事を見つけて、生活保護から脱却させるよう支援することが求められますが、それは実際には難しいことです。ましてや2008年の4月からスタートした後期高齢者医療制度で、年金からより多くの搾取が行われるようになった今日の日本社会ではなおさら難しいでしょう。その点に関しては最近の自立型の政策ではなく、別の観点からの社会保障政策が求められます。

 ここでもう1つ注目していただきたいデータがあります。現在、生活保護を受給している人数は日本の全人口の約1%にあたるわけですが、受給を希望していても受けることのできない人も数多く存在しています。そういった人々の相談を受け付けている『生活保護110番』という相談機関がありますが、そこには20-30代の女性から多くの相談が寄せられているという実態が報告されています。

 つまり実際に生活保護を受けているのは、再チャレンジが困難な高齢者が多く、ジャンピングボードとしてのセーフティーネットである生活保護からシャットアウトされているのは自立を目指そうとする若い世代であるというように、受給実態と政策とにズレが生じているのです。

自立型支援を必要とする人々

 では実際にどのような人々がセーフティーネットのない環境に置かれているのでしょうか。例えば家庭内暴力によって、離婚が成立しないまま、幼い子どもを連れて妻が家を出るとします。この場合、別居していても夫に収入があるために、妻が生活保護を受けることは難しくなります。しかも自分1人ならば何とか生活することができたとしても、幼い子どもがいるために仕事に就くことも容易ではありません。その結果、無理をして体を壊してしまい、その治療費を支払うために消費者金融から借金をして、多重債務問題に発展してしまうというケースも決して珍しくはないのです。

 またそれ以外にも不登校や引きこもりによって自らを閉ざしてしまった子ども達が年数を経て大人になり、親も高齢となってしまったけれど、そのままの状態を続けていて生活に困窮してしまっている、というケースも少なくありません。

 このような状況の人々が望めば再チャレンジできる環境、そして安心して働ける仕事が必要とされています。

ディーセント・ワークとは

 そこで課題になりますが単に働き口さえあればいいというわけではありません。つまり「人々が安心して働ける仕事」ということで紹介したいのが、今回の重要なテーマとなる「ディーセント・ワーク」という概念です。この考え方はグローバリゼーションの動きに対応して構築されているのではないでしょうか。

 「ディーセント・ワーク(decent work)」は1999年のILO総会でチリ出身の事務局長のフアン・ソマピアによって提唱されました。"decent"とは日本語で「見苦しくない、きちんとした」という意味になります。世界人権宣言の訳では「安心して-できる」、ILOの文章では「自由、公平、保障、人間としての尊厳が確保された条件」という意味で訳されています。先述の世界人権宣言第23条を発展させたような考え方です。

 1990年代以降、世界経済はグローバリゼーションによって発展してきました。それは大企業が自国のみではなく、世界中に進出して、安い賃金で労働力を得ることでコストを抑え、大きな利益を上げた結果です。しかし、それは各種の労働者にとって良い結果をもたらせたとは言えない状況でした。そのことに危機意識を持ったILOが、労働者がもっと人間らしい生活をできるような働き方を実現できるように、企業側に求めた考え方といえます。

 ILOは、ディーセント・ワークを「一言で言えば、職業生活における人々の願望」と表現しています。そして「それは生産的で、公正な所得をもたらす仕事の機会、職場における保障と家族に対する社会的保護、個人としての能力開発と社会統合へのより良い見通し、人々が不安や心配を表現する自由、自分達の生活に影響を及ぼす決定に団結して参加すること、すべての男女のための機会と待遇の平等などを意味している」と定義しています。

 つまり「働く人々と家族が安心して生活を営める十分な収入が得られ、子ども達が学校に行き、安心した老後を送れる補償がある仕事。適正な収入を得られることはもとより、働く人々の権利が守られ社会的対話に参加できる、そういう仕事、それを人々が得ること」と言い換えることができます。

ディーセント・ワークが提唱された意味

 ILOはさらに「ディーセント・ワークが欠如すると世界中の人々は失業、不完全就業、質の低い非生産的な仕事、危険な仕事と不安定な所得、権利が認められていない仕事、男女不平等、移民労働者の搾取、代表性や発言権の欠如、病気や障害・高齢による不十分な保護と連携の欠如などに直面することになる」と表明しています。

 これをワーキングプアや過労死という言葉に象徴される今日の日本社会の状況と照らし合わせれば、一方で苦しい状況にある人がセーフティーネットである生活保護から大量に排除されていて、不安定で低所得を余儀なくされている非正規雇用に労働者の3分の1が従事して、他方でたまたま正規雇用として雇われても、いったん失業すれば雇用から排除されるので、そうした状態を恐れて経営者に正当な権利を要求することさえできない過剰な労働状態に置かれているといった現状とまさに合致するのではないでしょうか。

 ILOはこのような問題への解決策を見出すためにディーセント・ワークという概念を提唱したのです。この意味ではディーセント・ワークは、先ほども述べたように世界人権宣言を労働の分野で改めて明確に練り直したものであるといえるでしょう。

 企業はグローバリゼーションの中で賃金格差を設けたり、差別的待遇を行ったりと、人権侵害や環境破壊を多発させています。しかし国際社会や各国政府は、すべての人々が自分らしい生活を実現するために、再チャレンジできるようにしたいと望んでいるのです。企業側にとっては大変厳しいことかもしれませんが、まさに労働の分野における人権といえるディーセント・ワークの実現が、国際社会にとっても重要だと思います。

多様性のある社会や地域、企業を目指して

 生活保護や年金などによって生活している人々の中にも当然、自分らしく生活していきたいという気持ちがあります。例えば、年金で生活している障害者であっても、多くの人々が自分の能力を発揮して、収入を得ると同時に、労働を通じて人々や社会とつながりを持ちたいと強く望んでいるのです。そのような人権課題に応えていくことも、企業や地域社会の社会的責任だと思います。

 またまた横文字ですが、これを考える上で1990年代に出てきた「ソーシャル・インクルージョン(Social inclusion)」という考え方が重要になってきます。"Social"は「社会」、"inclusion"は「包括すること」の意味で、それらをあわせたソーシャル・インクルージョンという言葉は日本語で「社会的包括」と訳されています。

 この考え方が登場する以前の1980年代、財政負担の軽減とあわせて、レーガン、サッチャー、中曽根など当時の政治指導者が提唱していた新自由主義的な社会政策によって、支援の必要な人々が社会から排除(ソーシャル・エクスクルージョン)されてしまいました。またその結果、その政策は社会に荒廃や亀裂を生み出したのです。

 その反省から、彼らを再び社会の一員として呼び戻し、誰もが地域社会の一員として、生きがいをもってその能力を発揮できるようにしていこうとしたのがソーシャル・インクルージョンなのです。

 この象徴として例えられるのが、1998年に開催されたサッカー・ワールドカップでのフランスの優勝です。当時のフランス代表チームはアルジェリア系移民二世であるキャプテンのジダンをはじめ、様々な国にルーツを持つ選手によって構成されていました。もし、これがフランスにルーツを持つ選手だけで構成されていれば、優勝はなかっただろうと言われています。かつて社会から排除されていた人々を再び呼び戻し、その能力を発揮させることで大きな結果を産み出せるということをフランス国民はこのとき実感したのです。彼らはスポーツで秀でた能力を持っていたから成功したのだと見ることもできます。

すべての希望者が公正・適正に働くことができる社会に

 フランスチームの例からも分かるように、社会には様々な立場の人間が必要です。つまりダイバーシティー、多様性が求められているのです。被差別部落出身者、障害者、高齢者、外国籍者、シングルファミリーの親など、様々な立場の人々がそれぞれの能力を発揮することではじめて、社会・経済は正しく発展することができるのです。そのために働くことを望んでいる人々のすべてが公正・適正に働くことができる社会の実現を目指すことが企業、行政、労働組合、運動組織や地域社会に社会的責任として求められていると思います。

 皆さんにはぜひそのための取り組みをお願いしたいと思います。

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